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This, however, can only be part of the explanation. There is also evidence that ethnic women have been ambivalent about their own kind of look for many years. For decades, women with dark skin the world over have tried to make their skin paler or their hair straighter, sometimes with dangerous chemicals. The model Alek Wek recently told Vogue India that, in her native Sudan, her dark skin is looked down on by lighter-skinned Sudanese. “What is this obsession with pigment?” she asked. Marriage adverts in India newspapers unselfconsciously express a preference for fair or wheat-coloured skin in women. Japanese and Chinese women regularly have cosmetic operations to remove the fold of skin above their eyes, so they look more like a “round-eyed” European, and dye their hair blonde. As Doukas said of a photoshoot in Japan recently: “The girls just didn't look Japanese. It was very sad.” Indeed, in my copy of Japanese Vogue, there was a total absence of Japanese models. “I am black but comely,” says the beautiful women in the Old Testament's Song of Songs. Why the “but”?

There are, of course, issues of status and power tied up in all this. Most dark-skinned people have been colonised or overrun by pale-skinned people. Pale, in folk memory, means power and wealth, and this has been deeply internalised. Perhaps this is partly why there is some resistance among black and other ethnic women themsolves to dark-skinned beauty, even now; perhaps they themselves find something else more aspirational.

Things may, though be beginning to change. The fuss over Jourdan Dunn and her distinctive black beauty may be a sign of the times, a renewed interest in diverse kinds of beauty. “Globally, I think a huge change is about to happen,” Doukas concluedes. “I'm optimistic. I think people will come to feel again that diversity is much more interesting than the rather bland, generic look we've seen so much of for so long.”

よろしくお願いします。

投稿日時 - 2011-06-28 21:30:18

QNo.6841596

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

しかし、これは説明の一部にしかなることができていません。少数民族の女性が、長年の間彼ら自身の容貌に対して相反する感情を持ったという証拠もあります。何十年も、世界中の黒い肌の女性は、時には危険な化学製品まで用いて、彼らの肌をより白くしようとしてきましたし、あるいは、彼らの髪をよりストレートにしようとしてきました。「顔料についてのこの強迫観念は、何でしょう?」と、彼女は尋ねました。インドの新聞の結婚広告は、さりげなく、女性の色白さあるいは小麦色の肌に対する好ましさを表します。日本や中国の女性は、目がより「丸みをもった目」のヨーロッパ人のように見えるように、彼らの目の上の皮膚のひだを取り除くための美容整形手術を定期的に受けます、そして、髪をブロンドに染めます。ドゥカスは、最近日本の写真撮影のことについて次の様に言いました: 「少女たちは、とにかく日本人には見えませんでした。 それは、非常に悲しかったです。」
実際、私の日本版ヴォーグの中には、日本人のモデルは、まったくいませんでした。「私は黒人だけれど美しいわ」と旧約聖書の雅歌の中で美しい女性が言います。なぜ「けれど」なのでしょう?

もちろん、この全てと結びついた地位や権力の問題が、あるのです。ほとんどの浅黒い肌の人々は、白い肌の人々によって、植民地支配を受けたり、侵略を受けたりしてきました。肌の白さは、民族の記憶の中で、権力と富を意味しています、そして、このことは、深く内在化されました。おそらく、このことが、肌の浅黒い美人に対して、黒人や他の少数民族の女性自身の間に、今でさえ、何らかの抵抗感がある部分的な理由でしょう;おそらく、彼ら自身が、より憧れを持てる何か他のものを見い出すのかもしれません。

しかし、状況は、変わり始めているのかもしれません。ジュールダン・ダンと彼女の特徴的な黒い美しさをめぐる大騒ぎは、多様な種類の美しさに対する新たな関心の時代の兆候なのかも知れません。「グローバルに、私は、大きな変化が起ころうとしていると思います」と、ドゥカスは結論付けました。「私は楽観的です。 我々が長い間それほど多く見てきた、むしろ個性のない万人受けする容貌より、多様性がずっと面白いことを、人々が再び感じる様になるだろうと、私は思います。」

投稿日時 - 2011-06-28 23:20:56

ANo.1

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