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宗教、信仰とはなにか?

辞書には、神仏など絶対的のものを信仰し安心を得ることとあるのですが、実際個人が何かの信仰なり、宗教を信じるということは、具体的にはどういうことを意味するのでしょうか?

投稿日時 - 2011-06-30 00:13:54

QNo.6844136

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

信仰世界を慕うようになるには、その人間の成長なくしては、ただでは難しいのだと思います。
そこで、人間の心の成長をわかりやすく段階的にとらえたキルケゴールという思想家がいます。
彼は人間が成長していく過程を三段階として捉えました。
第一に美的段階・・・あれもこれもと、いいと思ったものや快楽をもたらしてくれるものを貪る段階
第二に倫理的段階・・・あれもこれもと快楽を追求していると、それだけでは空しくなったり、物足りなく感じるので、より何が真理なのだろうと選択し始める・・・つまりあれかこれかの世界へと成長
第三段階は宗教的段階・・・いくら真理を得ても物足りなさを感じたり、解決できない問題に遭遇し、限界感を免れない時、逆説的飛躍の秘訣=信仰なのだとしたのである。
つまり、信仰とは、人間の成長過程で誰しもが通過しなければならない飛躍のための通過点だと言えそうである。
しかし私が提言したいのは、キルケゴールは体験できなかったかもしれないが、その上の段階があるということです。
人間の成長段階に不可欠な宗教的段階であることがわかったが、同時にその限界もわかることとなるのです。
ご存知のように、世の中の戦争や紛争の根本原因に宗教がからまないものは一つもないのです。
そこに宗教や信仰でも超えられない壁があるのだということです。
人間の思想や行動を支配しうるものは宗教以外ないのであるが、人間が正しく成長していけば、その宗教や信仰でも解決不可能な問題と遭遇することになるわけです。
そこのところでは宗教的段階の時以上の超飛躍なくしては成長できないため、宗教や信仰に囚われることは、逆に成長を阻止する力となってしまうのでありましょう。
ここは、まさに分水嶺、人間の努力を賢明に示す必要があるのだと思います。
宗教によって救われた実感を持つ人が、その宗教や信仰にすがるのはごく当然のことと思います。
しかし、頑なまでにすがる信仰がかえって仇となってしまう限界点があるのです。
逆説の逆説はありえるのです。

投稿日時 - 2011-06-30 22:15:42

お礼

キルケゴールさんの本は、まだ読んだことがありませんが、解説を人から聞いたことがあります。
死にいたる病でしたっけ。
宗教や信仰の限界というのは何だかわかるような気がします。
逆説の逆説ですか。
信心して得られるものも多いけれど、失うものもあるということでしょうか。
家族との不和とかそうなのかなと思います。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-02 22:56:18

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回答(5)

ANo.4

生きるということの価値判断を誰かにまる投げするということではないでしょうか。もとより正解のない命題に悩むことより、耳触りのいい言葉で自分自身を肯定してくれる誰かあるいは何かに寄り添うことで安心を得ようとするのが宗教の本質ではないかと思います。
ただ、宗教と信仰というものはまた別のものであるような気がします。

投稿日時 - 2011-06-30 08:44:36

お礼

生きるということの価値判断ですか、難しいです。
宗教の一側面ではあると思います。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-02 22:59:06

こんにちは。

クリスチャンです。
安心を得る事が宗教の目的ではなく、安心は副産物です。

宗教には大きく2種類あると思います。
1. 法則を相手にするもの
2. 神などの超存在を相手にするもの
2は1を含みますが、1は2を含みません。


万有引力やエネルギー保存の法則など科学の世界には様々な法則が存在します。
これらの法則を無視して行動すればそれなりの痛い目を見る事になりますね。それと同じで、心の法則、霊の法則といった物を信じ、その法則に則って生きようとする。これが1です。
だれもビルの屋上から飛び降りたいとは思いませんからね。

そして、この世界は愛なる神に造られ、その神が今でもこの世界を維持運営している王であると考える。この王は信じられない程の愛情でその国民を支えてくれるので国民も王だからという権威に対する服従としてではなく自発的にこの王のために生きたいと願う様になる。これが2です。
心底敬愛する人のためには命をかけてでもその人の意向を守りたいと思いますよね。


かなり端折っていますが基本的には宗教とはそういうものであり、特に安心が欲しいからというのが第一目的ではありません。というかそれが第一目的になっていたら恐らく自分を誤摩化さないと安心などいつまでたっても得られないと思います。

投稿日時 - 2011-06-30 01:21:49

お礼

キリスト教ですよね。
キリスト教もいろいろ本を読んでみたのですが、信心とか信仰の世界になるとついていけませんでした。宣教師さんや牧師といわれる人たちの話も聞きましたが、心の問題を解決してはもらえませんでした。
残念ですが、キリスト教には、信頼をおくことができません。というか私の理性では、ついていけない。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-02 23:09:52

打たれ強くなる、という事では?

人生、病気やイジメや貧困や災害やハンディキャップや試練があったりなかったりですから。

個人差があるのが、アレですが。

投稿日時 - 2011-06-30 00:45:33

お礼

生老病死の苦しみ、そういうものを克服していきたいと思っていま信心をしています。
頭では自分のやっていることが、どういう意味を持つのかという判断力には、自信がありませんが、
生きていくためにと思っています。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-02 23:14:07

ANo.1

あくまで個人的な考えですので、参考までに。


人間は「何だかよく分からない事」に恐怖したり、惹かれたりします。
例えば、「暗闇」って怖いですよね。
昼間は全然平気なのに、夜同じ場所に行くと妙に怖いとか。
「死」についても同じ事が言えます。生きてる人は死んだ事が無い
ので、「死」を恐れます。

そう言った「よく分からない事」に強く恐怖する人は「神」という
死とは対極の「未知な存在」を崇める事で、その恐怖を緩和(中和)
させようとします。簡単に言うと、それが「宗教」です。

ただし、何に恐怖を感じるかは「人それぞれ」です。
「死」とは限りません。限りませんが、恐怖する事に変わりは無いので、
「神」なり「教祖」なりを崇める事で、その恐怖から遠ざかろうと
してる訳ですね。

投稿日時 - 2011-06-30 00:36:05

お礼

恐怖っていうのは、トラウマというか無意識のことが多いですよね。
戦争の恐怖というものへの抵抗しての宗教というのはありでしょうか。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-02 23:17:26

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