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解決済みの質問

ダヰ゛デに何が起こったか?

 次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。

 ▼ (詩編26:2) ~~~
 わがかみ

 わたしをしらべ
 わたしをこころみ

 わがはらわたと
 わがこころを
 火のなかに
 ためしてください。
 ~~~~~

 ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。

 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。

 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう?
 お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。

投稿日時 - 2011-07-26 21:21:09

QNo.6901513

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。

> ☆ もしこのように視野を開くかたちに賛同いただけたのでしたら 話は――初っ端に述べましたように また わたくしにとっては―― 分かりやすくなって来ました。

 この度は、どうも失礼致しました。


 概ねまとめますと、以下のようになりましょうか。

・「旧約の時代」と「新約以降の世界(キリスト・イエス以降の世界)」では、律法に対する考え方・捉え方が異なる。
・バテシバ事件におけるダビデの行動とその処罰に関しては、その罪を神が取り除いてやるというかたちにおいて、「キリスト・イエスの愛」と共通するところがある。その意味での自然史過程にある。
・もしくは、アブラハムに起きた信仰の原点への《立ち帰り》が、ダビデの身と心において成った。ゆえに、ゆるされた。
・なぜゆるされたのかについては、ひとに対して説得不可能な要素を持つ。つまり「キリスト・イエスの時代としての愛」の世界であり、そういう自然史過程である。
・であるならば、ひとこと神は「すでに旧約の時代においてあたらしい契約の世界にも入っているのだよ」と言って欲しかった。言っているようなんですが 果たしてどうなんでしょう?(エゼキエル書33:11)


 4. では ただし なんぢ姦淫するなかれというモーセの戒律を犯したその罪を 神はどういうわけでゆるしたのか?
 5. アブラハムの信仰が その文章が規範とされ律法として持たれるようになった。もしこの信仰のための養育係としての律法が正式に与えられているのであれば その条文の違反を どのように取り扱うのか。どう扱えば 明らかな違法行為をいともかんたんにゆるすことが出来るのか?
 6. これは ゆるしてはいけないと言うためではなく 人びと一般がどう納得するかたちを取ったのか? これを知るために問い求めるものです。通俗に言えば ダヰ゛デひとりをそうたやすく赦すのであれば 社会生活として見れば しめしがつかないではないか? という問いです。

 なお、“4”、“5”および“6”についてなのですが、以下の福音書を見る限りにおきましては、モーゼの律法の罰則は意外と曖昧であったように見受けられます(もし、厳密ですと、即座に連行されて処刑されていたかと推察されます)。

ヨハネ伝 08:03-08:05
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

 ですが、“6”にもございますように、“ダビデをそうたやすく赦すのではしめしがつかない”のではないか?、との疑問も持ってしまいます。

> ☆ 律法という養育係あるいは 規範とされたからには何らかの目隠しのような覆いを 社会としては正式に掲げつつ 人びとそれぞれの主観としての内実において後世のキリスト・イエスの愛をじわじわとにじませつつ しめそうとしていたでしょうか?

 これは、あくまで愚見ではございますが、自然法がどのようにして生まれた・形成されたのかを考えてみましたときに、突き詰めますと、神のご意志等にまで行き着くものと思われます。

「自然法が人間には直接的には認識不可能であるという立場からは、何らかの補助手段を用いることが要求される。その場合、キリスト教の自然法論は、神からの啓示を重視する。それは、専ら新約聖書および旧約聖書から得られる指図である。典型的な啓示は、モーセの十戒である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95 

 例えば、今回出てきております“姦淫”でございますが、我が国でも、“売春禁止法”により、ある程度の制限がなされています。そこで、当法律の律法主旨は、以下の条文から“人としての尊厳を害し”、“性道徳に反し”、“社会の善良の風俗をみだす”が問題であるからとされています。
 ですが、例えば援助交際のように、自らの意志で行った場合では“尊厳を害する”ことに繋がるのか?という疑問もございます(金銭の授受の契約がなされていますと、被害者はいないと思われます)。さらにスイス、ドイツやオランダでは、売春は合法化されておりますが、登録制、年齢制限等が設けられる等、国・自治体の管理下におかれておりますが。
 では、なぜ“売春”が一般的に”道徳に反し”となるかを突き詰めましても、明確な答は得られないものと思われます。おそらく、これは”自然法”に帰するものかと考えております。やはり、“性行為の乱れの行き過ぎ(十戒の姦淫)”は、社会秩序の混乱を招く恐れがあることを、それとなくほのめかしていたのかもしれません。

売春防止法
第一条
この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、<略>

> バテシバあるいはその子ソロモンに対する〔ようになる〕ダヰ゛デの態度が 自分の思わくはなくまったくにおいて神の声に従うものであるということでは 一致した見方だと受け取りました。

 ご賛同いただきまして、厚くお礼申し上げます。

> 次の点について ダヰ゛デが終始 夢遊状態であったという見方は 修正したほうがよいようですね。

 了解致しました。

> ★ ~~~~~
 なぜ、そこまで[キリスト・イエスの降臨が]遅れたのかにつきましては、残念ながら愚生にはわかりません(全国に広まる、という条件、つまり、最大帝国であったローマ帝国の頃を待っていたのかもしれませんが、それ以上のことは残念ながら・・・)。
 ~~~~~~~
里程標のひとつとして 掲げました。

 どうもありがとうございます。
ただ、以下の福音書にもございますように、神だけがご存知なのかもしれませんが・・・

マルコ伝13:32
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。

> まとめに向かうことができましょうか。

 そう願ってございます。

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-03 20:27:10

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 自然法
 ☆ という法もしくは法源 あるいはさらにその法源としての神の法(永久法)といった視野のもとに 旧約≒律法の時代とそこから抜け出て来るあたらしい契約(むしろ無契約というほどに 無根拠のもとに なにかがはたらく)の時代との照らし合わせをおこなっていただきました。
 律法からは いまの主題になっている姦淫の問題を取り上げ そして現代においては売春防止法におけるその問題の扱い方を 説明いただきました。

 昔むかし 法源といえば 法律条文に明文がなければ 慣習法にもとづくのであり 慣習法も明確でなければ 条理によるのだとおそわりました。その教授がいかにも法律家(法学者)のように見えたものですから よくおぼえています。
 木の板にも その縦・横の筋目がある。この筋目に沿って板は切るのであって その筋をたがえるならば 困ったことになる。この筋目が 人間と社会との道筋としての条理であると。
 だとすると 自然法ないし自然本性とは 理性ではないでしょうね。ただ単に理性というのではないでしょうね。心というふうに広げておいたほうがよいでしょうし 境地と言って その現存在といった存在のあり方や動態を捉えてその平安や健全なる筋道のことを言ったほうがよいのかも知れません。
 その奥に むしろ無根拠としての神の場があるということでしょうか。

 無根拠としてこそ いわゆる国際法も 自然法にもとづくというかたちになるのかも知れません。


 ところで
 ▼ (レビ記20:10) ~~~~
 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は
 姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ とあります。そして 他方では――時代を隔てているでしょうが――
 ▼ ( イザヤ書 55:7) ~~~ 
 神に逆らう者はその道を離れ
 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
 わたしたちの神に立ち帰るならば
 豊かに赦してくださる。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ とも しるされています。

 ○ ダヰデもバテシバも 《立ち帰り》が成った。

 ☆ と受けとめることとします。その説明は むしろ無根拠のもとにあって 他人には分かりがたい。と。


 ちょっとあっさりし過ぎましたでしょうか。
 あとは――あたらしい回答者のあたらしい見解がまだあるかも知れませんが それをも含めて―― しばらくのあいだ みなさんからも補遺やまとめを書きこんでいただくために 開けております。

 
 まことにありがとうございました。みなさんにも 感謝申し上げます。これからもよろしくお願い致します。

 

投稿日時 - 2011-08-03 23:24:11

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回答(39)

ANo.39

こんばんは、bragelonneさん。


(^-^;)σ-(^-^;)σ-(^-^;)σ- チョイチョイチョイ)))

●韓流がはなやかですね。
風吹くよき日 見ましたか?



韓国語には一人称・二人称に男女差がないそうな (^~^)ヾみてないって

【日本語・韓国語の人称代名詞の比較】
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_22-2/RitsIILCS_22.2pp.103-111OH.pdf


二人称、二人しょうでしょ~  うーん?( ̄^ ̄)


( ̄□ ̄;)!! あっ!?そか、「二要素認証」



【第1回 ICカードとワンタイムパスワードの親密な関係】
http://www.atmarkit.co.jp/frfid/rensai/iccard/iccard01/iccard01.html




ダニエル書の冒頭部と最後部

冒頭部は「神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし」

最後部は「悪者どもは悪を行い、一人も悟る者がいない。しかし、思慮深い人は悟る」。


二人の長老を引き離し、別々に尋問

【取り調べ可視化の問題点まとめ】
http://matome.naver.jp/odai/2129177385394435901

投稿日時 - 2011-09-13 00:36:08

お礼

 りとうきすねえさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ 韓国語には一人称・二人称に男女差がないそうな (^~^)ヾみてないって
 ☆ ぼくって自称してんぢゃん。日本でも。
 ズを発音できず プロポージュっておかしいよねぇ。みてよ。

 ★ ~~~
 ダニエル書の冒頭部と最後部

 冒頭部は「神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし」

 最後部は「悪者どもは悪を行い、一人も悟る者がいない。しかし、思慮深い人は悟る」。
 ~~~~
 ☆ こわい。でも そうであれば困らないかも。


 ★ 二人の長老を引き離し、別々に尋問
 ☆ そうだった?



 アンニョンヒケーセヨ。

投稿日時 - 2011-09-13 07:17:45

ANo.38

こんばんは、bragelonneさん。


(^-^;)σ-(^-^;)σ-(^-^;)σ- チョイチョイチョイ)))



ダニエルってイケメン?(^_-)☆(^_^;) ちがうか?



【ダニエル】
http://www.sanrio.co.jp/characters/detail/daniel/index.html
http://www.sanrio.co.jp/characters/playland.html





【ダビデの将軍ヨアブ】
http://plaza.across.or.jp/~sugino/yoabu.html

投稿日時 - 2011-09-12 22:08:52

お礼

 ★ ダニエルってイケメン?(^_-)☆(^_^;) ちがうか?
 ☆ たぶん そうだろうね。そうでないと話が締まらない。

 淑女スザンナで 入浴シーンと言ったけれど ただしくは水浴シーンでした。それを見て言い寄ったのは 裁判官の男でしかも二人。
 ことわると どんな理屈でしたっけ 理由をいつわってスザンナは罪を犯したと裁判にうったえたのですよね。それが 嘘偽りだと証明したのが ダニエル。

 韓流がはなやかですね。
 風吹くよき日 見ましたか?

 ★ 【ダビデの将軍ヨアブ】
 ☆ ダヰデも 運がつよいようですね。ヨアブには負けていない。

 ダヰデあるいはダニエル どんなイメージですか?


 ご回答をありがとうございます。チョイチョイチョイ)))のおねえさま。
 

投稿日時 - 2011-09-12 22:55:24

ご無沙汰です。回答No.1番目の者です。

正直なところ、私の回答を読んで
>なぜそんなにダヰ゛デをかばおうとされるのでしょう。
>神とてもわざわざわれわれ人間がかばったりする必要もないでしょう。
>あなたは 神の代理だとでもおっしゃるのでしょうか。
という感想をお持ちになるとすれば、残念ながら日本語での意思疎通は困難だと
判断せざるを得ません。

それは、
1)私の作文能力が低くて、書いてもいない内容を誤解させる余地のある書き方をしていた
2)お互いが用いる語の語感の乖離が甚だしい
3)私が質問の意図を曲解して回答をした
のいずれかの可能性が高いからです。

原因が1)であるならば、私の作文能力は一朝一夕では改善しませんし、
2)が原因ならば、お互いの議論はまったく噛み合わない不毛なものとなりますし、
3)が原因ならば、私にはあの質問は「引用した詩篇を歌っていたダビデが王になってから【詩篇の内容に反するような悪行をした】のは何か原因があったのか?」という趣旨にしか読めませんので、やはり新たな発見はありません。
よって、本質問に対して回答するのは、お互いの時間の浪費である、と判断します。

私には、ダビデ王をかばうつもりも必要も無いし、アナタに回答することがどうして「神の代理」などという見当はずれの見解につながるのか、今もって理解できません。

とにかく、残念ながらお互いの意思疎通は困難であることは明らかなので、本質問に対する回答はいたしません。
他の質問が締め切られている中で、この質問が解決済みになっていなかったため、回答をいたしました。
私は、もう回答しませんので、他の回答者さんとの問答が終わられたらば、どうぞ締め切って下さい。

とは言え、これだけだと「回答ではない」と判断されるかも知れませんので、ネットの中には神も救いも無い件についてのみ、追記します。
答えは簡単で、ネットの中には人しかいないからです。聖書の中にすら救いはありません、聖書にあるのは救いに至る道標です。聖書を研究しても救いは得られません、聖書は神、そしてキリストについて書いてあるだけですから、聖書を全然読まなくてもキリスト・イエスを信じれば救われるし、聖書を千回読んでも信じることができなければ救いは遠いのです。

長々と書きましたが、参考になれば幸いです。

投稿日時 - 2011-09-11 22:01:29

お礼

 そうですね。お応えせずばなるまいと思われるところは ふたつでしょうか。

 まづ 前回のご回答の基調と言うべき内容は 次のように捉えています。
 ☆☆ (No.1お礼欄) ~~~
  ★ (回答No.1) ~~~~~~~
  イスラエルの王に即位して、得意になって権力を行使した。
  その結果、悪事をしでかしてしまった。
  それを預言者に指摘されて、ダビデは反省しています。(サムエル記下12章)
  ~~~~~~~~~~~~~
  ☆ つまりあとで《反省してい》れば 問題なくことは済むのであり 疑問に思うことは何もない。こういうご回答でしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 舌足らずだったことを添えるならば モーセの律法によれば 姦淫をおかした者は死罪なのです。
 ですから ここでの問い求めの結果としては すでにキリスト・イエスの愛が――むろん信仰のもとにおいて―― 律法の規範に勝ったという見方を 回答者の方々とともに 得たわけです。


 そうして 今回の回答内容です。
 ★ ~~~~
 ネットの中には神も救いも無い件についてのみ、追記します。
 答えは簡単で、ネットの中には人しかいないからです。
 ~~~~~~
 ☆ 《人がいる》なら じゅうぶんではないでしょうか。それはわたしだという声が 聞こえて来ないのですか?


 ということで。
 回答を寄せたことについてわたしがお礼の言葉を述べるなら あなたは心苦しく思われましょう。あるいは嫌味に聞こえましょう。よって そのままにてです。

投稿日時 - 2011-09-11 23:22:13

ANo.36

こんにちは、bragelonneさん。


仕方がないじゃん、今朝はこっちに台風近づいて来てたし…

意識は、しらずしらずのうちにそっちへ向かうジャン

ある意味、自己中心的思考 :p

で、「目があやしい」と言ってるジャン

自己中心的思考から( @@)とくれば、台風の目

台風の目からこの目( @@)を思考すると「ぞろ目」< 頭が出来たジャン

ハイ!ドラは―――――緯度?


【台風前線・参考資料】
http://front.eye.tc/about/concept.pdf
http://www.adobe.com/cfusion/showcase/index.cfm?event=finder&industryid=13318&loc=ja

気分は まあ ジャン打ちしてる 気分 ――――― 雨 台 風

三元牌・東・南・一索・伍索・九索のみで作った混一色


●★ 東風? ったく はいどらいど

★ ソロモンの鍵 王女リヒタの涙

☆ 連想の糸が つかめない。



つながってるんだな ~ これが

有機化学記号のベンゼン環とダビデの星も六角形 ← (@@ ) ぞろ目


【7.「香炉より煙立ち上り」(ソロモン)】
http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/bes1.htm

ユダヤ人の王の中で最大の権勢を誇ったイスラエル三代目の王ソロモン(正確にはシェロモ)を描くオラトリオ。ダブル・コーラスを用いる豪壮華麗な作品で、聴くものを圧倒する。有名な「ソロモンの裁き」やシバの女王の来訪といったエピソードも盛り込んである。第3幕冒頭のシンフォニア「シバの女王の入城」がよく知られる。この合唱は第2幕冒頭、ソロモンを称えて歌われるもので、「万歳、敬虔なるダビデの子、力強きソロモンよ!」と連呼する。第3幕の「神を称えよ」も力強い曲。CDはフィリップスのガーディナー盤と、アルヒーフのマクリーシュ盤が双璧でしょう。マクリーシュ盤は何で国内盤出さないかなあ。すごい演奏なのに。ソロモンがアンドレアス・ショルなのに。


『ソドンヨ』
http://www.kntv.co.jp/prog/dra/p0229.php

「主は我が牧者」
http://davidwilkersoninjapanese.blogspot.com/2011/01/blog-post_11.html

詩編23編
http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_psalm23.htm

投稿日時 - 2011-09-02 15:10:05

お礼

 王女リヒタぢゃなくて シバの女王だったか。言い損ねちまった。
 聞かん気のねえさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 【7.「香炉より煙立ち上り」(ソロモン)】
 ☆ でも 次もよいかも知れない。スザンナは 百合のこと。
 ▲ 3.「正義の天は彼らの企みを見届け」(スザンナ)~~~

 「スザンナ」は、旧約聖書続編(外典)に見える預言者ダニエルの若き日のエピソード。
 この中でダニエルは鮮やかな裁きで淑女スザンナを冤罪から救い、二人の長老の罪を暴く。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ ダニエルのほうが活躍するので 《池にはまって濡れずに起き上がる》人の事例に このスザンナは入れずじまいだった。これも 入浴シーンがある。(~v~)


 ◆ 風吹くよき日 http://www.bs4.jp/drama/kazefuku/index.html
 ☆ これ わたしは ほんの最近 途中から見始めたのみ。初めのほうはまだ知らない。
 ★ 『ソドンヨ』
 ☆ こんなのふるいぢゃん。

 台風12号は どうやら四国に上陸しそう。あぁ 直撃!? こちらには遠慮した模様。やはり普段のおこないが・・・。へへっ。(だいじょうぶ。勢力を落とすだろうから)。


 ★ ダビデの星も六角形
 ☆ 知ってたの?

 ★ 「主は我が牧者」 / 詩編23編 ~~~~
   ミズモール レ・ダヰド

   ヤフヱフ ローイー  ロー エ・フツァル


   〔ダヰデが竪琴に奏でるうた〕

   われは 子羊

   羊飼いは ヤフヱフ

   われに 乏しきも

   惑いも 無し
   
     (ぶらじゅろんぬ意訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ へへっ。

投稿日時 - 2011-09-02 18:38:16

ANo.35

おはようございます、bragelonneさん。


●でけんかしていたときは 若かったなぁ。
相手は聞かん気の王女であっても 負けん気で言い返している。
●《風吹くよき日》。お昼のドラマ。オボギが元気になった。

(^v~)



目があやしい( @@) 東風? ったく はいどらいど


ソロモンの鍵 王女リヒタの涙
http://www.retro-game-network.org/archives/1253
http://red.ap.teacup.com/masego/3896.html
ソロモンの鍵とは
http://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_sk/vc_sk_01.html


【QNo.4148911 無意識ないしアーラヤ識をめぐって おうかがいします。】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4148911.html

ぎゅわんぶらあ自己中心派 「恐怖のツミコミ麻雀」
http://www.youtube.com/watch?v=dzBlAKyC0O0
http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/html/y3.html
http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/

投稿日時 - 2011-09-02 05:25:36

お礼

 リヒタ王女 お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 ★ 【QNo.4148911 無意識ないしアーラヤ識をめぐって おうかがいします。】
 ☆ けんかは まだまだあったぞという意味?

 この質問と
 ★ ぎゅわんぶらあ自己中心派 「恐怖のツミコミ麻雀」
 ☆ とは どういう関係?

 麻雀は 坐りっぱなしでひと段落するのに時間が長くかかる。これが まづい。おもしろくない。


 ★ 東風? ったく はいどらいど
 ★ ソロモンの鍵 王女リヒタの涙
 ☆ 連想の糸が つかめない。
 あなたが 王女リヒタ?


 ★ ~~~~
 (^v~)

 ↑

 目があやしい( @@)
 ~~~~~~
 ☆ ったって オボギが強くなったんだから よろこびを表わすまばたき。他意は あるかも知れないけれど ありません。ドラマがおもしろいって。


 詩的精神とは 池に落ちて 濡れずに上がって来ること。のほうは どうなった? 思考中?

 

投稿日時 - 2011-09-02 09:32:38

ANo.34

こんばんは、bragelonneさん。


●上の部分が分からなかった。正解は カレーですか?
 
 それとも たこ焼き?

 (~^~)



 (~v~)ブッー ブゥー ちゃいますぅー☆


本日の一品は、“揚げめん” 一丁 毎度あり~♪”
http://www.marutai.co.jp/products/chowmein/


【QNo.4077221自然法は もう人気がないのでしょうか】
http://okwave.jp/qa/q4077221.html



台風直激の3日は、-------------------- 出勤です 乙ぽん!


|(◎◎)| ありえへん ありえへん ありえってぃ~~~ッ


土曜というのに…  乙


ということで 〆のは さらに 一週間 延長を お願いします。m[_ _]m2

投稿日時 - 2011-09-01 20:34:52

お礼

 こんばんは りとうきすねえさん。ご回答をありがとうございます。

 もう敬老パスだって。市バスと地下鉄にほとんど無料で乗れる。

 あぁ
 【QNo.4077221自然法は もう人気がないのでしょうか】
 でけんかしていたときは 若かったなぁ。相手は聞かん気の王女であっても 負けん気で言い返している。

 ★ 乙ぽん
 ☆ って出勤の種類の言うのですか? (~v~)

 台風12号 縦断(!?)。

 《風吹くよき日》。お昼のドラマ。オボギが元気になった。(^v~)

投稿日時 - 2011-09-01 22:49:04

ANo.33

こんにちは、bragelonneさん。

ひっぱりだこって… もしや…

【干しタコ】
http://www5d.biglobe.ne.jp/~jf-iwai/hositako.htm

食べ方は、
炙った後かなづち・包丁の背などでたたき
柔らかくした後に薄くスライスして
そのまま食べてもいいですし
酢味噌や砂糖醤油に漬けても
最高のご飯のおかずになります


(><;) あぶって… たたいて… スライスされて… ゲッ?|(><)|

---------- かぶって たたいて じゃんけん ポン! (*^^*)

… そのまま食べても … いい

お好みで 酢味噌 砂糖醤油 に 漬ける … … … ポタ

Do you remember?   本日の一品は、----------



内閣府 民間資金等活用事業推進室(PFI推進室)ホームページ
http://www8.cao.go.jp/pfi/

「民間資金等活用事業推進委員会第2回合同部会議事次第」
【平成11 年10 月19 日(火)】
http://www8.cao.go.jp/pfi/111019gijiroku.pdf

B専門委員
私が申し上げたところで、基本方針で、例えば、今ある法律の、どこをどう変えるというところまで、私はそれはさすがに基本方針の役割ではないと思っておりますが、やはりPFI事業を推進していくためには、基本的にはやはりいろいろな制度をこういう方向で各省庁とも基本的に考えていっていただきたいと、そこはやはりこの基本方針の役割で
はないかと思っておりますので御了解いただきたいと思います。

C委員
私も、まずPFIの基本理念、位置づけなり何かやはりあった方がよろしいと思います。というのは、PFI法を見ても、サービス自身も付け加えられたぐらいですが、そこに挙がっている公共施設と言われるものが非常に多様でして、要するに、従来から民間プロパーでできたものから、どちらかというと国、公共団体がほとんど専属的にやっていたものからレベルの非常に多様なものが並んでいて、非常に多様なんですね。ですから、およそPFIと言ったときにそこの共通項は何かというところだと思うんですが、それでもこれをPFIでやるという意味は、やはりそこの理念というか、まさに基本理念、目的という共通項は共通なものがあるはずであって、だから、あれほど多様なものが並んでおりまして、更にもっとどれでもよいというふうに政令等で拡がり得るわけですから、そういう観点からの押さえという意味もあって、基本理念というものは必要だろうなと。官民の役割分担とか民間事業機会の創出、これはまさにそういう観念は大きいんですが、この効率的かつ効果的な公共サービスの提供と、結果的に国民とか住民の利益になるからPFIをやろうというところが本質的な大前提にはあるというところを何かの形で押さえておいた方がよいかなと、そういう意味なんですけれども、より効率的、効果的な公共サービスの提供の受け手は国民だから、それはもちろん含んでいるわけですけれども、もっと明確に書いた方がわかりやすいかなというふうに思いました。それからもう一点は、先ほどの法整備の話ですが、1本こういう法律をつくりますと、本格的にやろうと思うと、いろいろなそこにかかわる法律を何本も並べてそれを改正するという作業があり得るわけですね。最近は、情報公開があれば、整備法がものすごくあるし、分権も四百何本という話になって、そういう世界で法律というのも結構そう固くなくって変わるようになってきたなという世の中にはなってきているんですが、今回のPFI法については、若干ありましたけれども、それほどの改正はない。となりますと、既存のものの中で、このPFIをうまく取り込んでいく、とりあえずは。長期的にはどうしてもというふうなことがあったときには、やはり改正せざるを得ないという場合も出てくると思うんです。確かに、直ちに基本方針の段階で、何法の何を変えろとやるのであれば、法律を通すときに一緒に整備法としてやるべきであったところでありますから、それはなかなか確かに難しいかなという感じがしております。そうすると、先ほど、例えば、自治体の方の現場サイドでなかなかいろいろ悩ましい問題があるというところからもありますように、非常にいろいろな問題がおこり得るんですね。例えば、ここの中で、すべて契約によるようなシステム、官民の関係というふうなものが
どこかにございましたけれども、いろいろな業法がありますと、それとダブルになりますから、そちらの方の監督庁の立入り検査とかそういう許可というものもまたあって、だから、そこと契約がダブりますね。そういう問題とか、もちろん、従前の公物管理法の問題もございますし、いろいろ実はかなり法的には問題点があって、これをいかにうまくクリアーしていくかという作業が、これからなかなか大変になってくるのではないと、その辺どういうふうに書くかですが、基本方針でそれほどの細かいことは書けないと思いますが、少なくとも会計法辺りのところはやはり必要でしょうし、その入札の辺りというのは基本ですから、これは何かせざるを得ないでしょう。行政財産、普通財産も大蔵省が普通財産でよいと言ったというところからのスタートで、自治体さんはそれなりにまた悩まれているという状況がございまして、なかなか難しいので、基本方針としてどのぐらい書けるかなというのがあって、¥かなり詰めて、細かい技術的な作業が必要になるんじゃないかという感じが私はします。もう一点だけなんですが、この基本方針については、3ページのところの二の民間事業者の発案による特定事業の選定の、特に民間事業者の発案によるというところをどういうふうにやっていくかというのは、ある程度基本方針として、民間事業者の一事業者が発案したのをどういうふうにとらえるか、そのやり方については、やはりPFIでやるという以上、どういうふうな方針でいくかということを書いておいた方がいいんじゃないかという感じがいたします。それで、随意契約的にやってしまうか、そういう余地があるのか、あるいは一回戻すというか、受け止めた上で多数に募るか、そういう辺りの話は基本的な問題ですので、やはり基
本方針のところで何かしら書いてあげた方がよいかもわかりません。

西野部会長
どうもありがとうございました。

D専門委員
ちょっと資料を見させていただいて、この後半にある自治体の見解をまとめた資料は非常によくまとめておられますね。複雑な課題もありますが、私は100 %わかりますし、ただ、現在日本の自治体はこれだけ現実の問題をほぼ正確に直視してとらえているのはさすが日本の自治体はしっかりしていると、将来に希望が持てるような感じがいたします。ただ、こういう問題を注視しながら基本方針をまとめるというのは極めて難しく、実は、私自身これを読ませていただきまして、なかなかプロダクト・イメージがつかみにくい、これは内閣総理大臣の告示になるわけですけれども、大きな考え方としては、民活法との差は、結局、主務大臣の認定ではなくて、公共施設等の管理者に大幅な事業の特定化と事業者の選択の裁量権が任されている。ということは、基本方針で連ねるべきは、国の施策としてどう
いう基本的な判断をとるか、やはり一番重要なのは判断基準、これをいかにわかりやすく、明確に書くか、こういうところがポイントになってくるのではないかと思います。ただ、今、C先生の御指摘がございましたけれども、どこまで書くか、場合によりましてはやはり内閣総理大臣の告示ということになりますと法律行為になりますので、あるいは推
進委員会名で別途法的要件を構成しないコンメンタールみたいなもので補足せざるを得ないような状況が出てくるのではないかと思えますし、是非ともこの点、お考えいただきたいと思います。----------云々
【QNo.5659419 線図により表現可能なモノ|コト|ヒト・・・この正体は何】
http://okwave.jp/qa/q5659419.html

投稿日時 - 2011-09-01 14:22:52

お礼

 ★ Do you remember?   本日の一品は、----------

 ☆ お忙しそうですね。

 ご投稿をありがとうございます。

 上の部分が分からなかった。正解は カレーですか?
 
 それとも たこ焼き?


 (~^~)

  ↑

 これ 案外おもしろい。

投稿日時 - 2011-09-01 15:49:41

ANo.32

こんばんは、bragelonneさん。


(^人^)ごめん、週末までは〆ないでください。


● ○ クレスピ村 Crespi d'Adda
   http://www.amomilano.com/crespi.html



【Coronet Peak / コロネットピーク】
http://tom.livedoor.biz/archives/51225581.html

ちょこっと待ってて。




懐かしい人と話が弾んで、惚ける 耄ける 呆ける ロロレイホ~♪

と、諸般の事情で少し時間ください。

投稿日時 - 2011-09-01 00:44:31

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ねえさん 引っ張りだこ?

 うらやましい。


 クレスピダッタ。(意味はありません)。(^^^)~~~

投稿日時 - 2011-09-01 10:54:27

ANo.31

こんばんは、bragelonneさん。




【第1サムエル記25章 ダビデからの祝福をののしるナバル】
http://www.gospel-house.com/bibletoday/more-about-ot/ot-history/1sam-list/331-125.html



??? ハテナ☆<( ̄□ ̄;)>☆わからん




ところで、キルアブはだれとだれの間の子???

投稿日時 - 2011-08-25 23:52:11

お礼

 こんばんは りとうきすねえさん。ご回答をありがとうございます。

 まぁ 何と言いますか。
 ウリヤの妻バテシバを奪った。
 それと同じように と言おうか それの前例としてのように ダヰデは ナバルの妻アビガイルを奪った。
 ただそれだけのことなのかも分かりません。

 アビガイルとのあいだの子が キルアブ。(早くに死んだとか)。


 その昔 オホクニヌシのミコトは オホナムチだとかアシハラノシコヲだのと いろんな名前を持っている。そしていろんな土地におもむいて行っている。それぞれの地で妻をめとっている。
 部族や民族どうしの族際外交の問題であるかも知れません。平和外交かそれとも戦争か。そして 政略結婚という手段もある。



 夏休みも終わりですね。

投稿日時 - 2011-08-26 01:36:45

ANo.30

こんばんは、bragelonneさん。


● 日本も一般にその後労使協調の路線が採られて行くわけですが こんな争議をするくらいなら クレスピダッタでの労働者の生活向上を優先させる行き方も わるくないと思われます。

福利厚生の充実
衣食住に困らないのは、働くうえで精神的には安定することだろうね。
働いても、働いても、働いたお金が家賃(ローン)・ガス光熱費等を支払えば、残りはスズメの涙ほどだったら…食事をとることもままならない。働くことが空しくもなる。空腹が長く続くと、気が立ってくる。すると、人を妬んだり、羨んだり、自身を蔑んでみたりといろんな感情が渦巻く。伝右衛門くんみたく反骨精神みなぎらせて笑ってきりぬけられればよいんだけれども、こう世の中豊かになってくるとなかなかそう気持ち切り替えられる人も少ない。悩みからの睡眠不足、精神疲労からの職場トラブル、労働効率の低下、大惨事を引き起こす諸要因がこんなところにも潜んでいたりする。労使交渉で、賃金が僅かばかり上がったとしてもそのときに物価も同じように上がっていたら、生活的には現状維持となんらかわらんやん。福利厚生の充実をはかった方がええのんちゃうやろか?


● ★ 【伊藤伝右衛門】
 ☆ は むろん三井三池炭鉱とは 地域も少し離れており 時代も違うようです。
 華族の娘の曄子が 駆け落ちしたことが せつないのか。それとも そんな目に遭っている伝ネムしゃんが せつないのか。

ちがいます。ってば、
【伊藤伝右衛門】
http://www.h7.dion.ne.jp/~wordword/sakuhin/denki/ito_denemon.htm

伝右衛門の母、伝右衛門の父伝六、伝右衛門の先妻ハル、伝右衛門の元後妻燁子、燁子の息子、伝右衛門、お話の中でどの人も亡くなったと記されてある。なんにしても人がのうなるいう話は、せつのうなるやん。でね、はじめハルの生き方ってなんやろ?と、好き勝手に振る舞う伝右衛門に対して文句も言わず、伝右衛門が大きな賭にでたときもヤマがハズレれば一文無しになるかもしれないのにそんな時でも一言の愚痴もこぼさず、何も言わずに見守っているハル。なんなんやろうって?伝右衛門は燁子に対しても好き勝手に振る舞っているけれど、ハルとは対照的に不平不満、文句を言わない日はない燁子。好対照な二人の女の人やなと。武家の出、皇室の出のちがいがそうさせるのか?とも思ったけど、控えめな振る舞いと、派手な振る舞い、振る舞いにはちがいはあるものの徹し方は共通している「決めたことは貫く」という姿勢。そうみれば、これ伝右衛門にもあてはまる。あっ!?「死ぬことと見つけたり」これって、武士道に通じてるやん。って思ったら、ちょっとしっくりしたかな。


●★ そそ、このお話をお話として読みいっとったんです。
 ☆ 《読みいっとったん》 この言い回しは 初めて聞きました。いろんな表現があるのですね。《読み行く》・・・《ついその話にはまってのように 読みすすめていた》という意味でしょうか?


よみ‐い・る 【読み入る】
[動ラ四]読むことに夢中になる。心をうばわれて読む。


《読みいっとったん》…神戸の言葉の特徴語尾に≪とう≫がつく

――――とう=現在

例:知っている(しっている)→知っとう(しっとう)
  成っている(なっている)→成っとう(なっとう)

語尾の音の上げ下げで肯定と疑問に変化する。

――――とう+たん=過去


●ダヰデには バテシバ ダヰデの子のソロモンには シバの女王。



なに???

ワレナベニトジブタ?

投稿日時 - 2011-08-23 01:58:11

お礼

 ★ ワレナベニトジブタ?
 ☆ うまいことを言いますねぇ。ソロモンとシバの女王は 夫婦ではないけれど。

 りとうきすねえさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ 福利厚生の充実をはかった方がええのんちゃうやろか?
 ☆ その全体のお話として ええこと言いますねぇ。企業ムラというかたちではないとしても そうなんだろうねぇ。
 仮りに世界の中での競争力ということを考えても 仕事をする人たちの生活の安全・安定をまづ考える。ここから いい製品がつくられいい仕事ができるようになるっておっしゃりたいのですよね。
 
 ★ ちがいます。ってば、 / 【伊藤伝右衛門】
 ☆ 日ごろ あまりくわしくは語らないお人だからなぁ。口が何故だか閉じている。やっと開いた。
 そうっ 武士道かいな。簡単に言ってくれるなぁ。でも腑に落ちたんですか。ですね。


 ★ ~~~~
 よみ‐い・る 【読み入る】
 [動ラ四]読むことに夢中になる。心をうばわれて読む。


 《読みいっとったん》…神戸の言葉の特徴語尾に≪とう≫がつく
 ~~~~~
 ☆ あちゃぁ。気づかなかった。《とう》は だいたい気づいていたけれど。


 今回は どれも おそれいりやした。


 あっ ダヰデのほうは シバとシバで シバつながりがおもしろいというただの話でした。

 《なぜ生きないのか?》のほうで またたびさんに声かけたって。

投稿日時 - 2011-08-23 07:13:35

ANo.29

こんばんは、bragelonneさん。


【QNo3385985あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください】
http://okwave.jp/qa/q3385985.html
■渋沢栄一 『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80
安田善次郎翁 暗殺事件
http://homepage1.nifty.com/oiso/sub2.htm


●★ 【伊藤伝右衛門】
 ☆ そう言えば どこかで三井炭鉱でのストライキが 死亡事件にまでなったと書いたようなおぼえが。

そうなん???

「あー なんやろ、しっくりいかんわ。」は、

脱線して「伊藤伝右衛門」さんの話を読んどった。って、いいましたやん。

そそ、このお話をお話として読みいっとったんです。

読み終えたあとの読後感が、もやもやと、なんや、せつのうなる。

で、つぶやいたの。

● 経営者ないし指導者が えらいさんに限られているとしたら それは一般人の中から

もっともっと人材が出て来ればよいだけであって それが押さえられているとは もはや

思えない。努力が足りないとこそ考えられまいか。



日々の努力は、怠られへんやろうけど、それだけかな?

船頭多くして船山に登るいうしね。

適材適所に人を配置することで、個々の個性が花開き活かされることもあるのとちがう?

●一般人の中からもっともっと人材が出て来ればよいだけであって

いやいや、それだけじゃあかんよ。

その人、その人にどんな能力が潜んでいるかを見抜き育てるスカウトマンも

おらなあかんのとちがう?

投稿日時 - 2011-08-22 01:37:04

補足

 ▼ (ヰキぺ:三井三池争議)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E4%B8%89%E6%B1%A0%E4%BA%89%E8%AD%B0

投稿日時 - 2011-08-22 15:30:18

お礼

 りとうきすねえさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ▼ (ヰキぺ:) ~~~
 § 1953年ストライキ・・・は当時、「英雄なき113日間の闘い」ともてはやされ、三池労組は一躍その名を高めた。

 § 炭鉱労働者の自治区
  以後、三池労組では労使協調派は力を失い、灰原茂雄を中心とする向坂門下の活動家たちが影響力を振るうこととなった。

 ・1955年(昭和30年)には、三池労組は三井鉱山に対して、労働者が退職した際には必ずその子女を採用することを認めさせた。
 ・また、労働者自身で各労働者の収入を平均化させるために、割の良い仕事と割の悪い仕事を労働者が交互に輪番制で請け負う制度をつくるなどして、三池炭鉱はさながら労働者の自治区のような様相を呈することとなった。
 ・一方で、1953年のストライキの成功によって一部の炭鉱労働者が増長し、事務職員に因縁をつけて吊るし上げたりするようになったため、事務職員は次第に炭鉱労働者との連帯意識を失っていった。
 ~~~~~~~
 ☆ そして《1959~60年ストライキ》に移るというようです。そこでは――すでに石炭は斜陽産業になっていましたから―― 敗北が待っています。

 日本も一般にその後労使協調の路線が採られて行くわけですが こんな争議をするくらいなら クレスピダッタでの労働者の生活向上を優先させる行き方も わるくないと思われます。

 ★ ■ 渋沢栄一 『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 ★ 安田善次郎翁 暗殺事件
 ☆ 日本にも クレスピ父子に負けない産業人・経営者がいるんだぞということでしょうか。企業ムラをつくるのとは別の行き方で これらの傑出した経済人もいたのだぞと。

 ★ 【伊藤伝右衛門】
 ☆ は むろん三井三池炭鉱とは 地域も少し離れており 時代も違うようです。
 華族の娘の曄子が 駆け落ちしたことが せつないのか。それとも そんな目に遭っている伝ネムしゃんが せつないのか。


 ★ そそ、このお話をお話として読みいっとったんです。
 ☆ 《読みいっとったん》 この言い回しは 初めて聞きました。いろんな表現があるのですね。《読み行く》・・・《ついその話にはまってのように 読みすすめていた》という意味でしょうか?


 ★ ~~~
 その人、その人にどんな能力が潜んでいるかを見抜き育てるスカウトマンも

 おらなあかんのとちがう?
 ~~~~
 ☆ そりゃあまあ そうだろうけれど。あなたが成ればいいぢゃないですか。
 あるいは 上司は部下の一人ひとりについて そのスカウトマンの目で じっときちんと見ていますよ。あるいは 一人ひとりが 自分にかんしてスカウトマンの目で見るようにすればよいだろうし 人びとは互いにその良さや得意な分野について認め合い 上司に勧めてやればよい。

 ★ 適材適所に人を配置することで、個々の個性が花開き活かされることもあるのとちがう?
 ☆ おいしいとこを持って行くなぁ。


 ダヰデには バテシバ ダヰデの子のソロモンには シバの女王。

投稿日時 - 2011-08-22 15:27:40

ANo.28

おはようございます、bragelonneさん。



● ☆ ん? 変わったんかい?

お風呂でポン!
http://trendy.nikkeibp.co.jp/news/life08q1/557259/



●クレスピダッタのほうは どないでしたか?



ああ、脱線して「伊藤伝右衛門」さんの話を読んどった。

【伊藤伝右衛門】
http://www.h7.dion.ne.jp/~wordword/sakuhin/denki/ito_denemon.htm

【筑豊の炭鉱画、国内初の「記憶遺産」に 山本作兵衛作】
http://www.asahi.com/culture/update/0525/SEB201105250050.html
http://www.montage.co.jp/yama/message.html

【貝島炭鉱】
http://hasiru.net/~maekawa/mine/kaizima/kaizima2.html
http://hasiru.net/~maekawa/mine/fukuoka.html

【産業遺産】
http://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/index.html
http://www.world-heritages.com/tomioka.html

【世界遺産クレスピダッダVillaggio Crespi d’Adda と「カンパニィパターナリズム」】
http://www.ohkagakuen-u.ac.jp/tosho/kenkyukaiyo/9th/11_morita.pdf


―――――工場に密接に拘束された労働者は,地域社会として会社の経済的利害を優先することを当然と考え

,社会的要求や階級闘争,労働組合活動から遠ざかったのである。


―――――,学校,病院,洗濯場,公衆浴場,生活協同組合,運動場などを建設し,労働者の家の台所のカマド

から病気の治療まで,労働者たちにとって必要なものに広く注意を払い,村の公的秩序とその維持を監督したという。

【電源立地地域対策交付金を活用した事業概要の公表について】
http://www.enecho.meti.go.jp/info/dengenkoufukin.htm


あー なんやろ、しっくりいかんわ。

投稿日時 - 2011-08-21 11:43:52

お礼

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ あー なんやろ、しっくりいかんわ。
 ☆ しっくり行かんのかい。
  

 ★ お風呂でポン!
 ☆ あぁ バテシバが 入浴中をダヰデに見られたちゅうことか。

 ★ 【伊藤伝右衛門】
 ☆ そう言えば どこかで三井炭鉱でのストライキが 死亡事件にまでなったと書いたようなおぼえが。

 ★ 【世界遺産クレスピダッダ Villaggio Crespi d’Adda と「カンパニィパターナリズム」】
 ▼ ~~~~
 工場に密接に拘束された労働者は,地域社会として会社の経済的利害を優先することを当然と考え,社会的要求や階級闘争,労働組合活動から遠ざかったのである。
 ~~~~~
 ☆ この中で 《社会的要求》からは遠ざかっていないはずだ。所有者=経営者からのお仕着せであったとしても その要求は議題に挙がっているはずだから。

 そのムラの外の世界へ視野を広げなければならないという批判は持ち上がるかも知れない。ただそれもこれも この会社共同体の成功と繁栄いかんによっていると言えるようにも思われる。よそでも そういうやり方を成功させるとよいと考えられるから。

 つまり 現代においても トヨタ・ムラにしても 決して湿っぽい温情主義によるのではなく けっきょくムラと会社とが協力してそれぞれの社会を自由によく築きあげていくしか道はないのではないか。

 経営者ないし指導者が えらいさんに限られているとしたら それは一般人の中からもっともっと人材が出て来ればよいだけであって それが押さえられているとは もはや思えない。努力が足りないとこそ考えられまいか。

 

 なんで
 ★ お風呂でポン!
 ☆ やねん? わたしのほうが バテシバねえさんよりもうつくしいゆーことか?

投稿日時 - 2011-08-21 13:22:37

ANo.27

おはようございます、bragelonneさん。


●☆ ぱちんこで石を飛ばして命中したという。
(二股になった木にゴムの紐を張りつけ ゴムを伸ばして勢いをつけて石を飛ばすパチンコ)。

スリングショット?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88
それとも…
カタパルト?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E7%9F%B3%E5%99%A8
【古代の皮革】
http://www.hikaku.metro.tokyo.jp/images/pdf/155pdf/02.pdf

●これを聞いたゴリアテはダビデに突進した。

ダビデは袋の中から1個の石を取り出して勢いよく放った。

石はゴリアテの額に命中し、彼はうつ伏せに倒れた。



まぐれ?

それとも… ヘルメスのご加護? ヘルメスは、旅人、商業、羊飼いの守護神とか?

一撃必殺できるほどに、日頃から訓練していたのかしら?

ゴリアテだって、まさか丸腰の(武装してない)相手にこうも容易く射止められるとは

思ってもみなかったことでしょうね。

まあ、なんにしても人が人を殺めるって話は、ここちいい話ではないよ。

●ダビデは剣を所持していなかったため、ゴリアテに近寄って剣を奪い首をはねて止めを刺した。



その場にいないものが、あーだー、こーだ、言うのもなんなんだけど…

なぜ、ダビデは止めを刺したんだろう?

一瞬、われをなくしてたんじゃないかな?ダビデは。

相手は倒れてるんだから、その間に逃げ去るとかさ、

相手を縄で縛って、お互いの気の高ぶりが落ち着いてから

話し合うこともできただろうに。

食うか食われるかの世界で何に甘っちょろいこと言ってんだと

どっかから、野次とんできそうだけど…

一介の羊飼いがゴリアテに止めをさす理由がわからない。

“まぐれ”当たりだったんじゃないかと…

圧倒的体格差のある相手だけに怖さが先だった

倒れた相手が起き上がってきたら…

誰よりもその怖さを感じていたのがダビデで、あったとしたら…

ダビデは、百発百中の名手ではないように思う。

ただの羊飼いなんだろうな。

投稿日時 - 2011-08-21 07:14:29

お礼

 りとうきすねえさん おはようございます。ご回答をありがとうございます。

 おひとりで ボケもツッコミも演じておられるので もう言うこと無し。

 ★ ただの羊飼いなんだろうな。
 ☆ ん? 変わったんかい?

 いや 何と言っても 問題は 民族ごとに分かれて生活をしていること。互いに敵どうしでした。個人どうしの争いではなく。

 とどめを刺すのは 相手の人びとが 民族全体としてこちらにとって敵となっているからです。見せしめなのでしょう。

 パチンコは スリングショット。

 ヘルメスは ユダヤ人にとっては 神ではないようです。《主=ヤフヱー》がいるわけですから。




 クレスピダッタのほうは どないでしたか?




 ダヰデは 自分が仕えたサウル王を追い落とそうとしたわけではなく 王位を奪ったわけではないようです。最後まで仕えました。
 連戦連勝のあと 王にねたまれ命を狙われるようになってからは あちらへ逃げたりこちらで隠れたり逃避行の日々でした。
 仕返しをすることはありませんでした。そのときに 《詩編》のうたをうたったと言います。


 ▼ (詩編  46:1-12) ~~~~~
 1: 【指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。】

 2: 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
    苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

 3: わたしたちは決して恐れない
    地が姿を変え 
    山々が揺らいで海の中に移るとも
 4: 海の水が騒ぎ、沸き返り
   その高ぶるさまに山々が震えるとも。〔セラ

 5: 大河とその流れは、神の都に喜びを与える
   いと高き神のいます聖所に。
 6: 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。
   夜明けとともに、神は助けをお与えになる。

 7: すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
   神が御声を出されると、地は溶け去る。

 8: 万軍の主はわたしたちと共にいます。
   ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ

 9: 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。
   主はこの地を圧倒される。

 10: 地の果てまで、戦いを断ち
   弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。

 11: 「力を捨てよ、知れ
   わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」

 12: 万軍の主はわたしたちと共にいます。
   ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ
 ~~~~~~~~~


 ▼ ~~~
 10: 地の果てまで、戦いを断ち
   弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
 ~~~~~
 ☆ これは その後三千年経ちますが まだのようですね。どうでしょう?

投稿日時 - 2011-08-21 09:04:22

ANo.26

こんばんは、bragelonneさん。

●ダヰデは ただの羊飼いだったんだよね。



仮に、ただの羊飼いだったとしてもよ、


ただ、棒ふって野っ原お散歩してるだけの仕事じゃないようね。

羊飼いって、いやいや、なかなか、こりゃどうして、ちょっとした商社マンぽくない?
http://www.toyo-sec.co.jp/china/column/yawn/pdf/r_071.pdf

【羊と他の物との交換】
http://wiki.livedoor.jp/ffxi_gm/d/%A5%CD%A5%AF%A5%ED%A5%DD%A5%EA%A5%B9%A1%A1%CD%D3%A4%CE%BC%E8%B0%FA

羊飼いが必要に応じて羊を、物や役務と交換する交換の形態については様々ある。

村でよく使われる職人の製品との羊の交換(村内で融通するのに使える)

日干し煉瓦作りや井戸浚いなどの役務との交換

隊商相手の場合は帰路での贈答を期待しての餞別(せんべつ)

遊牧の民相手の場合は種羊の交換など



●★ “教えて!goo”
☆ スクロールすると 画面がゆらゆら揺れる。どうして? “教えて!goo”。



熱もっちゃった?

【QNo.2284106ディスクトップパソコンの冷却について】
http://okwave.jp/qa/q2284106.html

【QNo.ネットの画面をスクロールすると揺れます。】
http://okwave.jp/qa/q6126009.html



これ、みてみて

で、

埒があかなかったら…

こっち、みてみて



【ゆれの正体は…これかも?】
http://androider.jp/a/e209ea7a8ec54b26/


夏ですから…  (^_-)-☆まあ、こんなかんじ


“ 幽霊の正体見たり枯れ尾花 ”

(ゆうれいのしょうたいみたりかれおばな)


まずは、お試しあれ~♪ 

投稿日時 - 2011-08-19 01:46:08

お礼

 こんばんは りとうきすねえさん。ご回答をありがとうございます。

 ▼(ヰキぺ:ダビデ) ~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87

 ペリシテ人の戦士ゴリアテを倒したことはダビデの名を高めた。
 ゴリアテ退治に名乗りをあげたダビデは、巨人ゴリアテが「さあ来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」と嘲ったのに対し、

   お前は剣と槍を頼りに戦うが、私はお前がなぶったイスラエル
  の神を頼りに戦う。
   戦いは剣と槍の力で決するものではないことを人々は知ること
  になるだろう。
   これはイスラエルの神の戦いである。

 と答えたという。
 これを聞いたゴリアテはダビデに突進した。ダビデは袋の中から1個の石を取り出して勢いよく放った。石はゴリアテの額に命中し、彼はうつ伏せに倒れた。ダビデは剣を所持していなかったため、ゴリアテに近寄って剣を奪い首をはねて止めを刺した。

 ダビデはその後も戦功をあげていくが、やがてその人気をサウル〔王〕にねたまれ、命を狙われた。サウルはダビデ殺害の命令を出すが、ダビデの親友であったサウルの息子ヨナタンの手助けで逃亡することができた。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ぱちんこで石を飛ばして命中したという。(二股になった木にゴムの紐を張りつけ ゴムを伸ばして勢いをつけて石を飛ばすパチンコ)。
 商社マンっぽいかなぁ。


 ビデオドライバって?
 ★ 【ゆれの正体は…これかも?】
 ☆ ったく!
 教えて! goo だけ画面がゆれる。ほかは だいじょうぶ。でも 熱くなっているかも。部屋の隅に置いてあるから。


 どこかで 親をころすとか言ってる。おっそろしい。投稿してましたね。
 いま ブロックを全部解除した。大道は無門なりゆえ。
 まだ暑かったね。風は熱風でもないようだけれど。

 ★ 『量子力学の誕生と数学』
 ☆ やっぱし計算式は歯が立たなかった。

 ★ 『景気変動をめぐる経済学各学派の理論的特徴について』
 ☆ いまひとつ乗らなかった。

 ★ 【産業的協同社会的新世界】
 ☆ このフーリエもいたけれど つぎの社会実験は どうよ?
 ○ クレスピ村 Crespi d'Adda
   http://www.amomilano.com/crespi.html
 ○ クレスピ村とは Villaggio Crespi d'Adda
  クレスピ村 アッダ川の工員の村
  世紀末の工員村 - 労働の理想郷 - ユネスコの世界遺産
   http://www.villaggiocrespi.it/jap/

 ★ 【発想の思考法と技法】
 ☆ 仮説法 abduction なら 出しましたよ。
 【Q:虚数とは その名のとおりに想像力の世界なのか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6759902.html
  回答No.27の補足欄・お礼欄

 ★ 【QNo. 4803472けんかをしては 何故 いけないのか】
 ☆ このとき・このころは 我れながら 油が乗っていたかも。何でも来いというような。

 ★ 【イスラームにおける寛容ークルアーンと法学に基いてー】
 ☆ これがまだ。


 ★ 【QNo.2284106ディスクトップパソコンの冷却について】
 ☆ ありがとう。(^_-)-☆

投稿日時 - 2011-08-19 02:37:56

ANo.25

こんばんは、bragelonneさん。

●ご回答をありがとうございます。
URL はもっと少なくていいです。
どうぞお気遣いなく。
ねえさんの声を聞くだけで元気は出ますから 
お薬は控えめに。

と、言われてしまえば…ぐーの音も出そうにないのですが、、、

そこはそれ、ここはここ“教えて!goo”

ヽ(^o^)丿ぱぁーっと、ご陽気に~♪ (^_-)-☆



『日本全国酒飲み音頭』

本日はお忙しい中を多数ご参加下さいまして誠に有難うございます。

まずは皆様方のご健康を祝して 乾杯!!

酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

一月は正月で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

二月は豆まきで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

三月はひな祭りで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

四月は花見で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

五月は子供の日で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

六月は田植で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

七月は七夕で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

八月は熱いから酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

九月は台風で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

十月は運動会で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

十一月は何でもないけど酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

十二月はドサクサで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

ヨーシ!!それでは続いて日本全国飲み歩いて行こう!!
 
北海道は毛ガニで酒が飲めんでないかい 酒が飲める 飲めんでないかい 酒が飲めんでないかい

秋田はキリタンポで酒が飲め~るぞ 酒が飲める 飲め~るぞ 酒が飲め~る~ぞ~

山形はサクランボで酒が飲めんだの 酒が飲める 飲めんだの 酒が飲めんだの

茨城は納豆で酒が飲めっペョ 酒が飲めっぺ 酒が飲めっぺ 酒が飲めっぺョ

静岡はお茶と一緒に酒が飲めるズラ 酒が飲める 飲めるズラ 酒が飲めるズラ

京都は舞子はんと酒が飲めるどす 酒が飲める 飲めるどす 酒が飲めるどすえ

富山は越中フンドシで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒がのめるぞ

岡山は吉備団子で酒が飲めるゾナ 酒が飲める 飲めるゾナ 酒が飲めるゾナ

愛媛は伊予カンで酒が飲めるでの 酒が飲める 飲めるでの 酒が飲めるでの

長崎はカステラで酒が飲めるバッテン 酒が飲める 飲めるバッテン 酒が飲めるバッテン

鹿児島は西郷隆盛と酒が飲めるとよ 酒が飲める 飲めるとよ 酒がのめるとね

沖縄は行った事ないけど酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒がのめるぞ

日本全国どこへ行っても酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒がのめるぞ

酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒がのめるぞ




●「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」

ひつじが1匹、ひつじが2匹、ひつじが3匹……(p_-)……(-_-)zzz (-_-)zzz (-_-)zzz

●「あなたの子孫はこのようになる。」

寝る子は育つ \(^O^)/

『量子力学の誕生と数学』
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/report/2-pdf/2_tetsugaku1/2_07.pdf

『景気変動をめぐる経済学各学派の理論的特徴について』
http://iwata-yamana.jp/cn6/pg128.html

『OEM契約とライセンス契約の違い』
http://www.jetro.go.jp/world/qa/i_basic/04A-010822

『不確実性マネジメントにおける組織選択と組織進化』
http://www.hosei.ac.jp/fujimi/riim/img/img_res/201003Matsuno.pdf

【新会社法の会社設立とLLP・LLCの活用】
http://www.333sun.net/

【ガイダンス】
http://www.law.okayama-u.ac.jp/~ryusuzu/3a01.htm

【商法】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E6%B3%95

●で けっきょくひとつの焦点は 《対立物の一致》でしょうか?
 
 あるいは そのように《二律背反》があたかも解消してしまうような《特異点》のこと。

 ダヰデの犯した罪と それを悔いてもとのこころに立ち帰る姿 これら二つが 

 いと高きところでは対立することなく受けとめられるという究極の場。

 的をはづしましたか。


【けん玉】
http://web-japan.org/kidsweb/ja/virtual/kendama/kendama06.html
http://web-japan.org/kidsweb/ja/virtual/kendama/kendama07.html

(^_-)-☆チャレンジしてみてください。

【QNo. 4243519現実は、虚構であるのでしょうか】
http://okwave.jp/qa/q4243519.html

【QNo.5017592日本人は 死んだのでしょうか】
http://okwave.jp/qa/q5017592.html

投稿日時 - 2011-08-18 00:15:32

お礼

 ★ 【QNo. 4243519 現実は、虚構であるのでしょうか】
 ☆ これを読んでみたけれど おもしろそうだが ちょっと発展はないかもと思ってしまった。

 おっと ねえさん こんばんは。酒もほどほどに。ご回答をありがとうございます。

 ★ 『量子力学の誕生と数学』
 ☆ 読んでみるかも。

 ★ ~~~
  的をはづしましたか。
  ↑
 【けん玉】

  (^_-)-☆チャレンジしてみてください。
 ~~~~~~
 ☆ してみたよ。レベル1で 4回目に成功したところでやめた。そう言えば けん玉は遊んだことがなかった どういうわけか。周りで見たことがなかった。


 お薬 たまっちゃったから
 ★ ひつじが1匹、ひつじが2匹、ひつじが3匹……(p_-)……(-_-)zzz (-_-)zzz (-_-)zzz
 ☆ と行きましょう。


 ★ “教えて!goo”
 ☆ スクロールすると 画面がゆらゆら揺れる。どうして? “教えて!goo”。


 きょうから 暑さはやわらいだ。たぶん あしたも。


 ダヰデは ただの羊飼いだったんだよね。

投稿日時 - 2011-08-18 01:00:03

ANo.24

追加


【QNo.5343872自由か平等か】
http://okwave.jp/qa/q5343872.html

投稿日時 - 2011-08-14 22:52:37

補足

 ★ 【QNo.5343872自由か平等か】
 ☆ こちらを先に読みました。

 ばななさんどさんは でーんと構えてゆったりと答えていますね。
 あなたもひどっちさんも回答しています。
 わたしもなのですが あまり覚えていなかったのですが どうしてかなぁ。

 なかなか 自然科学のことを何とかこなそうとしつつ 食い下がっているようです。けっこう長い――少しは おもしろいと感じるような――やり取りだったようです。

 で けっきょくひとつの焦点は 《対立物の一致》でしょうか? 
 あるいは そのように《二律背反》があたかも解消してしまうような《特異点》のこと。

 ダヰデの犯した罪と それを悔いてもとのこころに立ち帰る姿 これら二つが いと高きところでは対立することなく受けとめられるという究極の場。


 的をはづしましたか。

投稿日時 - 2011-08-16 00:46:55

お礼

 とほほほほ。

投稿日時 - 2011-08-14 23:35:55

ANo.23

こんばんは、bragelonneさん。



●きょうは 特別に暑かった。
昼からいままでは ぼーっとしていた。
きょうはどこへ遠出でしょうか?


はーぁ?ったく、「昼からいままでは ぼーっとしていた」ですって???

で、「きょうはどこへ遠出でしょうか?」ってか?!

シラー、ありえん、ありえへん、しんじられん

あっ!?かかった クソー 腹立つ

ほでも、この曲流れると つい口づさんでしまいたくなる…歌っちまうぅぅぅ…

しんじられない ことばかりあるの

もしかしたら もしかしたら

そうなのかしら~♪

●こうでししょうか? だったら ねえさんのおっしゃることはよく分かりますが 

たとえばこのダヰデの話に当てはめるのは いくらか離れ業であるように思えますが 

果たしていかがでしょう。


フリなが!!!ったく

あー暑うー、暑気払い、暑気払い

お盆やし、木魚たたいて暑気払い

ポック、ポック、ポク♪

ポック、ポック、ポク♪

飛びまーす!HTML びゅん~



【「魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの海」】
http://www.jagrons.com/archives/2007/10/post_142.html

【発想の思考法と技法】
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/jrc/annual-no8/no8-6-5.pdf

【産業的協同社会的新世界】
http://www.syugo.com/3rd/germinal/review/0040.html

【QNo. 3325968ほにゃらか形而左右学 「ちから」2】
http://okwave.jp/qa/q3325968.html

【QNo. 4642854悪は 存在しない】
http://okwave.jp/qa/q4642854.html

【QNo. 4803472けんかをしては 何故 いけないのか】
http://okwave.jp/qa/q4803472.html

【QNo.186872誤字・脱字、言い間違い、…そして誤解?】
http://okwave.jp/qa/q186872.html


●その後サラとアブラハムに――もう百歳とか言っているのに

―― 子はさづかったようです。独り息子。

(ただし それまでにはなかなか子が出来ないので アブラハムはサラが同意したので

 側女のハガルとの子をすでに生んでいる。イシュマイルと言って 

 かれが アラブ民族の祖となったと 言い伝えられている。

 アブラハムのいるところから離れた所に住ませた)。
 
 といったふうに物語は展開します。


それにしても、酷なことをする。

子が成人するまで、親は生きているのか?

高齢で子を授けるって、今でいうところの人工授精?

【QNo. 4346850もし”意思”の力で子供を作るものだとしたら】
http://okwave.jp/qa/q4346850.html

投稿日時 - 2011-08-14 22:25:51

お礼

 (TT)ブヒィ。もう一つおまけに (TT)ブヒィ。


 ご回答をありがとうございます。URL はもっと少なくていいです。どうぞお気遣いなく。ねえさんの声を聞くだけで元気は出ますから お薬は控えめに。

 ▼(ヰキぺ:アブラハム。その嫡子イサク) ~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0

 彼は老齢になっても嫡子に恵まれなかった(〔* 故郷の〕ハランを出発したときは75歳)が、神の言葉

  「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」
  「あなたの子孫はこのようになる。」
     (創世記15:5)

 の通り、後に老妻サラ(サライ)との間に嫡子イサク(イツハク)を授かった。アブラム100歳の時の事である。

 アブラム137歳の時、妻サラは127年の生涯を閉じた。そして、アブラムは175歳で世を去った。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ とのこと。こういう物語でございまする。
 さらに:

 ▼(ヰキぺ:イシュマエル) ~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%AB
 カナンの地に移住したアブラハムは子宝に恵まれなかった。
 すでに75歳だったサラは自分には子は授からないと思って、若い女奴隷ハガルを連れてきて、夫に床入りを勧め、老齢のアブラハムが奇跡的に身ごもらせた。

 しかし妊娠するとハガルはサラと不和になり、夫アブラハムは慣習に従い女主人に従うように命じたため、サラの辛い仕打ちに耐え切れなくなったハガルは身重の体で逃亡。
 神の使いの説得と加護を約束されて、ようやくハガルは帰還して出産することになるが、神の使いからは、息子はイシュマエル(「主は聞きいれる」の意)と名づけるように指示され(創世記. 16:11)、「彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」との予言を受けていた(創世記. 16:12)。

 ところが、再びアブラハムには主の啓示があり、今度は90歳になっていたサラが奇跡的に身ごもって出産。そうすると、庶子イシュマエルと妾が邪魔になったサラによって、母子は砂漠に放逐されるが、前述の神の使いの加護によって助かる。
 ~~~~~~
 ☆ だとさ。
 ★ それにしても、酷なことをする。
 ☆ 一面があるとわたしも思います。
 ★ 高齢で子を授けるって、今でいうところの人工授精?
 ☆ 何とも・・・。ナゾとしときましょう。


 あとは あとで。
 きょうはやっぱり暑かったよ。

 

投稿日時 - 2011-08-14 23:35:10

ANo.22

こんにちは、bragelonneさん。


豊かな男と貧しい男の関係を

地主と小作人とおくと…

さしづめ旅人(神の使い)は…

地頭かな?徴税人?

領 主

地 頭

地 主

小作人


ダビデの時代の農地改革って?


【農地改革(農地解放)】
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/nouchi.htm

【日本農業の市場経済化に関する課題】
http://seminar.econ.keio.ac.jp/tamada/thesis/graduate/06/endo.pdf

投稿日時 - 2011-08-14 16:09:45

お礼

 りとうきすねえさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 きょうは 特別に暑かった。昼からいままでは ぼーっとしていた。きょうはどこへ遠出でしょうか?

 その後サラとアブラハムに――もう百歳とか言っているのに―― 子はさづかったようです。独り息子。(ただし それまでにはなかなか子が出来ないので アブラハムはサラが同意したので 側女のハガルとの子をすでに生んでいる。イシュマイルと言って かれが アラブ民族の祖となったと言い伝えられている。アブラハムのいるところから離れた所に住ませた)。
 といったふうに物語は展開します。


 ★ ~~~~
 さしづめ旅人(神の使い)は…

 地頭かな?徴税人?
 ~~~~~
 ☆ そりゃあ旅の人なんだから たぶん何でもあり なんぢゃない?



 イスラームの寛容についてまだ読んでいません。ぼちぼち。


 ★ ダビデの時代の農地改革って?
 ☆ って?


 ★ 【日本農業の市場経済化に関する課題】
 ☆ ずっと前からひとつの課題でしたし いまもそうですが――ご研究中ですか?―― やはり専門家に任せるというええ加減な態度をいまは採っています。あしからず。でも 研究発表がありましたら ご相伴にあずかります。そのとき勉強します。

 

投稿日時 - 2011-08-14 17:41:02

ANo.21

こんばんは、bragelonneさん。


●“第二のアダムではない”

●《神のようにならないため》

ここふたつのkeyが気になってる

ってゆうのはね、

(二) 宗教的寛容
http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/newpage1.html

我々はここで大上段に構えて宗教の定義を論ずる必要はなかろう。ただデュルケムに倣い、宗教が個人的営為でなく、社会的営為であり、教団の存在を前提としていることを確認しておけばよい。

一般的「寛容」と区別された特殊宗教的「寛容」なるものがあるとすれば、その領域はどこにあるのであろうか。

直ちに思い浮かぶのは宗教儀礼と信仰であり、「宗教的寛容」とは「他人の宗教儀礼、内心の信仰を容認し、干渉しないこと」を意味するように思われる。しかし実はここでも問題はそれ程単純でもない。

我々の科学的常識からして迷信であるばかりでなく、あきらかに野蛮、生物学的、社会学的に有害と考えられる宗教儀礼、あるいは特定の成員を犠牲の生費に捧げるような儀礼を放置することは宗教的寛容と言えるであろうか。特に社会全体としてはその儀礼の正当性が広く受け入れられていたとしても、その儀礼によって犠牲となる当事者が、それを望んでいないといった場合にはいかなる対応が「宗教的な寛容」なのであろうか(1)。

上の例は我々自身は傍観者の立場にある、即ち前述の意味で能動的立場にあることを措定してのものであるが、我々自身が状況に巻き込まれ当事者の立場となる受動的状況も当然存在しよう。例えば異教徒は不浄な賎民として遇する、という宗教儀礼を持つ人々の間では「賎民」として振る舞うことが寛容なのだろうか。あるいは逆に旅人は神の使いとして饗応する儀礼を有する宗教に対しては「神の使い」として饗応に応じるのが寛容なのか、それとも自分は「人間」であるからとして拒否するのが寛容なのか。あるいは余所者は皆、悪鬼だとして殺してしまう宗教を持つ村に迷いこむ、といった極端な例を考えることもできよう。

このように考えてみると、信仰は内心の問題であるという考え方が、実は宗教戦争、政教分離の歴史に規定された特殊西欧的宗教理解に過ぎず、実際には信仰が内心の問題にとどまる場合はむしろまれで、多くの場合には信仰の違いは行動パターンの違いとなって現れるということが分かろう(2)。

信仰が一定の行為を伴い、なおかつ受動的立場に立たされた場合は、「寛容」に振る舞うことは、時には自己の内心の信仰、或いは信念の放棄を必要とし、時には生命をも危険に晒すことになる。――――――――――





第一のアダムは、善悪の木の実を食べたことによってものごとを

善であるか悪であるかを考えるようになったんだっけ?

ナタンがダビデに話した二人の男の話を聞いて激怒し、断罪を下したこと。

ここよくわかんない。斟酌なし。―――即決してるあたりが。

旅人は神の使い、神の使いをもてなすことがひとつの儀礼になっていたんだよね、この時代。

饗応とかいうんだよね

●豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。

●貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。

大量生産―手作り生産

物の価値からいけば、希少性を加味するなら手作り生産のほうが高価。神の使いをもてなすことが儀礼になっていることを大前提におけば、最高のおもてなしとして食卓にのぼるのはいうまでもなく、手塩にかけて育てられた羊になろうかと。そうすると、断罪された男がとった行為は罪にはあたらないんじゃないのかな?人々も旅人(神の使い)が来たならば饗応を開かねばならないなんて儀礼をガチゴチの制度のように信じて疑わないことがおかしい。相手を思いやる気持ちがあれば、冷蔵庫のあまりものでもなんでもいいわけじゃん、もてなしたいという気持ちがあれば。もてなされる側が神の使いであるのならなおのこと、だされたものが豆一粒だってありがたくいただくんじゃないかな?

もてなしの制度めいたもののことには一切触れてない


鮒ずし出して、「腐ってる!」と激怒された人がその昔日本にいた

それを用意するまでの人の苦労なんてつゆしらず…

戦国時代に生まれなくてよかったよ

投稿日時 - 2011-08-13 22:23:20

お礼

 りとうきすさん  お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 何ごともオモテがあればウラがある。――とは言っても この場合は何もよろしからぬことを隠すという話ではなくて 儀式や制度を取り上げてみても その裏方の仕事があって初めて成り立つものなのだ。オモテからは見えない一つひとつの過程 そこにおける一つひとつの手続きをないがしろにしてはいけません。お互いもっと心と心で話しをしようぢゃありませんか? と。
 こうでししょうか? だったら ねえさんのおっしゃることはよく分かりますが たとえばこのダヰデの話に当てはめるのは いくらか離れ業であるように思えますが 果たしていかがでしょう。


 たとえば
 ★ ~~~
 ナタンがダビデに話した二人の男の話を聞いて激怒し、断罪を下したこと。

 ここよくわかんない。斟酌なし。―――即決してるあたりが。
 ~~~~~
 ☆ この場合 ゆたかな男がまづしい男のただ一つの財産でありかわいがっていた家族の一員であるような小羊を取り上げたことが ゆるされているのか。つまりたとえば ふたりは支配関係にあったのか。
 記事は こう書かれているだけのようです。
 ▼(サムエル記) ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った。」
 ☆ 豊かな男は 町の名士としてそのボスのような力で奪い取ったと解すれば どうでしょう?

 ところが そこに別の観点をはさんでおられます。
 ★ ~~~
 旅人は神の使い、神の使いをもてなすことがひとつの儀礼になっていたんだよね、この時代。

 饗応とかいうんだよね
 ~~~~~
 ☆ 旅の者を客としてもてなすというときの儀礼もしくは慣わしを 重視するという見方のようです。
 ということは まづしい男の飼い方のほうがよいから その小羊を客に出してもてなすほうが その慣わしにかなっているではないか。ということですか?
 簡単に反応すれば たとえば自分のところの二三頭の羊と交換に取り上げればよい。そうしないで 腕づくで奪った。ので ダヰデは 激怒したのでは?

 ただし――まだまだ お考えはつづくようです ただし――
 ★ ~~~
 人々も旅人(神の使い)が来たならば饗応を開かねばならないなんて儀礼をガチゴチの制度のように信じて疑わないことがおかしい。

 相手を思いやる気持ちがあれば、冷蔵庫のあまりものでもなんでもいいわけじゃん、もてなしたいという気持ちがあれば。

 もてなされる側が神の使いであるのならなおのこと、だされたものが豆一粒だってありがたくいただくんじゃないかな?
 ~~~~~

 ☆ アブラハムが自分の天幕を 旅する三人が通り過ぎるというとき どうもてなしたか?
 ▼ (創世記18:1-15) ~~~
 1: 主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。
 2: 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、
 3: 言った。
 「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。
 4: 水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。
 5: 何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」
 その人たちは言った。
 「では、お言葉どおりにしましょう。」

 6: アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。
  「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」
 7: アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。
 8: アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。
 9: 彼らはアブラハムに尋ねた。
 「あなたの妻のサラはどこにいますか。」
 「はい、天幕の中におります」
 とアブラハムが答えると、
 10: 彼らの一人が言った。
 「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」
 サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。
 11: アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。
 12: サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。
 13: 主はアブラハムに言われた。
 「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。
 14: 主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」
 15: サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。
 「わたしは笑いませんでした。」
 主は言われた。
 「いや、あなたは確かに笑った。」
 ~~~~~~~~



 ☆ 旅の三人は サラの心を分かって言っているのです。わざと怒っています。ツッコミとボケです。



 《うつくしい》のほうは 一たんそのままにしておいてください。一たん忘れてしまっても 仕方がないと思います。時間がかかるようです。
 彦根から高松へ?
 ★ 戦国時代に生まれなくてよかったよ
 ☆ 生まれているようなもんだよ。

投稿日時 - 2011-08-14 10:06:03

ANo.20

こんにちは、bragelonneさん。


サムエル記II 12:01-12:06
主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて彼の皿から食べ、彼の椀から飲み彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った。」
“ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」”

> では なぜこの《我れを忘れる》というマ(間)の違いが 人ひとりを死なせる結果をも伴なって起こったのか? こういう問いをともなっているかと思えます。
 仮りに神の一撃が このようにふとダヰ゛デに落とされたとするなら なぜこういう中身の出来事であったか? こういう副次的な問いです。

 これは、難しい問題かと思われます。周りからも英雄として認められ、国王になりました。ですが、”第二のアダムではない“、ということを示したかったのか・・・



 ★ 〔* もし神の一撃であったなら〕これは、難しい問題かと思われます。周りからも英雄として認められ、国王になりました。ですが、”第二のアダムではない“、ということを示したかったのか・・・
 ☆ ここでは にゅうとらるさんが賛同された《神のようにならないため》という意図が どこかでははたらいたかも知れないといったところでしょうか。






●”第二のアダムではない“

●《神のようにならないため》

ここふたつのkeyが気になってる




寛容ってなんだろう?


【イスラームにおける寛容ークルアーンと法学に基いてー】
http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/newpage1.html

投稿日時 - 2011-08-13 09:08:39

お礼

 お早うございます りとうきすねえさん。ご回答をありがとうとございます。

 ★ ここふたつの key が気になってる
 ☆ 片仮名で書くとあまりにもだじゃれになるから・・・かも。

 き と言えば エデンの園の《生命の木》 そしてエワとアダムがその実を食べたという《善と悪の知識の木》。
 第二のアダムと言うからには 第一のアダムについて知らねばならない。

 いつも出すたとえは こうです。
 ○(エワとアダムが 木の実を食べたお話) ~~~
 エワという女が 光も曲がることに気づいたとか。
 わが心にちょっと逆らってみようかと思ったとか。

 その前には 自分の感じや思いをそのまま表わしていたかも。
 夫のアダムに逆らう場合にも わが思いをそのまま表出していたから 言ってみればまだまっすぐであった。
 
 言いかえると 言葉は わが心・わが思いをそのまま表わすとは限らない。もっと早くいえば ひとはウソをつくことができる。
 そういう意味でも 表現は自由なのだ。
 このことを やがてエワだけではなくアダムも知ったし そういう振る舞いにそれぞれ自由に及ぶこととなった。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これが 善悪を知る木から採って食べたというじんるいの初めの物語――じんるいの物語の初め――です。《心にさからう》という事態について《神がそれを食べると必ず死んでしまうから食べないようにと禁じていた木の実を食べた》と表現されています。
 食べたあと――創世記の初め(3章)にしるされています―― アダムは 或る日の風の吹くころ 《アダムよ きみは どこにいるのか?》と問われた気がした。エワにも声が届いた。
 そうしてふたりは ウソ・イツワリが心を捻じ曲げるとそれに伴なって自分も相手も人間は信頼しがたい存在になったと気づく。この心の状態は あたかも死である。つまり いづれ死に行き着くとさとった。

 かようにして この第一のアダム〔とエワ〕は 善悪の知るようになり ウソをつくことができるようになり 人は死を死ぬという存在であると知った。
 そこで人びとは考えた。多くの人が長い時間をかけて思った。人間について。ウソと善悪と死という主題をめぐって。
 何千年 何万年(?)のあいだ。たぶんアブラハムという信仰の人が出てからは ニ千年くらい人びとはつねに思い考えつづけた。
 たとえばその中身は 次のようにまとめることが出来ると思われる。
 ▲ (浄福)=(No.16補足欄) ~~~
 ・・・
 それというのも彼(=幸福な人)は起こり得ないことは欲しないから。
 けれども このような(=欲することは起こり得るという)生は私たちの可死性の生ではない。それは不可死性が存在するであろうときでなければ 存在しないであろう。
 もしこのような生が人間には決して与えられないとするなら 浄福を問い求めても空しいであろう。浄福は不可死性なくしてはあり得ないからである。
 (アウグスティヌス:三位一体論 13:7)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ つまりだから たとえば 
 ▼ (詩編26:2) ~~~
 わがかみ

 わたしをしらべ
 わたしをこころみ

 わがはらわたと
 わがこころを
 火のなかに
 ためしてください。
 ~~~~~
 ☆ とうたうダヰデが出た。
 
 そしてとうとう《不可死性》の権化とも言うべき人が 西暦一年から三十数年生きたと伝えられるイエスという人として現われた。

 その内容をいま端折ってしまえば かれがなぜ第二のアダムであるかと言えば こうです。
 第一のアダムがへそを曲げて木の実を食べると 人間にとっての死が死となった。そう明らかに知った。
 死だけならまだよかったかも知れないが ウソ・イツワリがついて来る。あるいはむしろ死の原因でもある。へそを曲げたことによって不信というあるいは無常という心の死がもたらされてもいる。
 この死を超える存在のあり方が――それは 非思考としてつまり 考えるによっては分かり得ないこととして―― イエスの磔の死によってもたらされた。と噂された。その噂は イエスをキリストと名づけて 第二のアダムと呼ぶ。

 ▼(パウロ:コリント前書15:54-55=新約聖書)~~~
 この朽ちるべきもの(=生身の人間)が朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。

   死は勝利にのみ込まれた。
     (イザヤ書25:8の意訳)

   死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
   死よ、お前のとげはどこにあるのか。
     ( ホセア書13:14)

 ~~~~~~~~
 ☆ ホセア書とイザヤ書とは 旧約聖書です。アブラハムからイエスまでの二千年間に人びとがアダムの咎(罪と言えば罪)とその結果をめぐって考えに考えつづけた成果の一環です。
 パウロは イエスの死のあとこれを書いています。イエスは ニ千年間の人びとの生活における観想と思索の成果だという見方もいくらかは出来ると思います。(それに神が応えてくれたという意味で)。

 ダヰデも イザヤやホセアと同じように やがて来るイエスのことを思っていたのでしょう。ただし自分はその《第二のアダム》なのではないということ。第二のアダムは じつは神であった。神(キリスト)であり人間(イエス)であった。という物語の内容です。

 何故かといえば イエスが去って行ったおかげで人びとはもう安易に人を信頼できないとは言えなくなった。やっぱり信用できんかったという場合にも たしかにあやまちは侵すが全然信用できんというのもおかしい。言い過ぎだ。互いの弱みを知りこれをおぎないあって信頼し合っていけばよいではないかというまでに 歴史時計の針を第一のアダムの時点にまであたかも戻した。
 わがはらわた わが心の奥底に 鉄鋼炉に火を入れるように 火をともしてくれてしまったからには 死んでも死ねなくなった。


 こんな人間なら ひとに対して寛容であるのは比較的たやすい。ただし 神ではないのだし すでに完全であるのでもなく あやまちうる人間です。(また わたくしの考えでは 寛容ゆえに けんかをふっかけることもあると思います。つまり 対話における批判のことですが)。



 ★ 【イスラームにおける寛容ークルアーンと法学に基いてー】
 ☆ いちど見たように思うけれど 忘れているようですから 見直してみますが あまりイスラームには期待していません。読み終わったあとでしるします。



 けっこう重い《ご思考中》でしたようで どこまでお応えしてまいるか分かりませんでしたが 一気に――尻切れとんぼみたいに――結論に到りました。
 それでは ご返事をお待ちしています。

投稿日時 - 2011-08-13 10:47:37

ANo.19

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。


> ▼ 参考:渡辺氏トップ、首相は2位・・・ 

 ☆ だったら いまのまま首相をつづければよいのに。とは行かないのですね。


 申し訳ございません。これは、昨年2010年の7月の調査結果でございました。このため、現在とは少々異なるところがございます。
 ですが、たかだか1年間で、こんなに評価が変わる(今では、菅氏は無能の代名詞とものっております)というのは、メディアの影響力が大きいのか、それとも、日本人の心移りが激しいのか、もしくは、(無能だと言うのでしたら)日本人にはリーダーなる人物を見る目がなかったのか等、いろんな理由が挙げられると思われます。


> ★ 学生さんたちを見ていますと、とても消極的な面が思い浮かびます(サンプルは理系の大学(院)生でございます。

 ☆ そうしますと 地道にまたは地味に生活し 非婚という情況(願望)にまでなりがちである。こうだとしますと 特別に褒めて欲しいとか甘えるということでもないようですね。


 はい。以外と世の中に対しましては”ドライな眼”を持っているように見受けられます。”自己責任論”の中で育って来た、というのもあるのかもしれません。


 
> ★ 市民はその地域コミュニティーの中で、自分たちの代表を作り育て、そして自らの選出者を国家に送り込んで、地域と国とのコミュニケーションを図っていく、さらには地元住民の意向をも反映させていく、というのが従来の考え方かと思われますす。おそらく、これで問題はないものと考えております。

 ☆ となりますと 《自分たちの代表をつくり育てる》という作業が 大事なように思います。あるいはつねにその代表に委託している政策などについて 見直しをもしつつ 地元住民と代表とが検討しあって行きつづけること。この工程をきちんと守っていることが 大事だと。


 はい、仰る通りでございます。選挙という方法を用いまして、代表者を国家に送り込んでいくこと これ以外には選択肢は余り残されていないようにも考えれます。
 そこでなのですが、地域住民は、代表者を育てていく必要は当然あろうかと考えております。現況は、「誰かに頼まれたから、”◯△候補”の名前を書いてくる」といった人情的な側面、もしくは、「この党は嫌いだから、この候補者には当選して欲しくない」といった消極的なものが多いと思われます。
 残念ながら、首長はじめ、その地域(選挙区)の党推薦者という人達も、元キャリア官僚で、その地域に僅かの期間出向した経験がある、という程度の方々である ということも親密感を失わしている一因なのかもしれません。


> そのような過程をつねにたどりつづけることを前提として その眼鏡にかなう代表をめぐって

> ★ “ガラガラポン”してしまうしか他に方法はないかもしれません(何時かは社会保障問題、年金問題等で問題が浮き彫りになってくると思われるのですが)。

 ☆ というように考えるのが せいぜいでした。いまの段階において。


 申し訳ございません。解決策となりますと、愚生のオツムでは浮かばないものでして・・・


> そう言えば 【Q:日本社会は 対話型か? なら話し合いを!】は 日本の社会と歴史の総点検をほんとうはした上で考えることでしょうし 総点検を遠くには想定しつつ進もうとする一歩ではあると思いました。自分ながら。


 はい。総点検することは、特にお二階様はいやがると思われます。もし、今そんなことをしてしまいますと、責任論もそうでございますし、バッシングには耐えられないと思えるからでございます。先の戦争の失敗すらも総括できなかった訳ですし(おそらく誰もが失敗と考えていると思うのですが)。
 ですが、一歩ずつ進めていくしか他に方法はないものと、少し憂鬱な気分になってしまいますが、そう考えてございます。
 なお、当ご質問におきましては、もはや愚生にはお答えすることも無くなってきてしまいました。つきましては、新たな【Q:日本社会は 対話型か? なら話し合いを!】に、ご回答させていただこうかと、勝手ながら思っております。


 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-11 23:56:24

お礼

 分かりました。いまは地道にいまの制度において最善をつくす。こうおっしゃっていると理解しました。

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。時事にからめたことがあれば さらになおと思っていましたが あちらの質問においても大丈夫でしょうし。(でもここは 要望がありましたので まだ開いています)。

 行政担当者らは 総点検もいやがるわけですね。戦争の失敗についての総括は 天皇の責任を問わなければならなくなるので 進まなかったのではないかとは考えます。


 あたらしい世代が わるくても《自己責任論》の中で育って来ている側面のほうがつよい。ゆえに 甘えるという傾向は割り合い少ない。これも 分かりました。



 ダヰデについては 先入見も予見も持たずフリーハンドで捉えることが出来 案外落ち着くところに落ち着いたというように思います。よかったと思います。

 今回も たいへんお世話さまでした。ありがとうございます。それでは あちらで。

投稿日時 - 2011-08-12 00:33:47

ANo.18

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。

> ○ イリ歴史知性なる人びとの社会
 ☆ 日本社会論 あるいは日本の歴史の総点検といった大きな課題につながってしまったのでしょうか。そういう思わくを持ったこともあったかに思いますが けっきょく研究者であるないにかかわらず 日本人としての《わたし》をおのおの内に返り見る仕事になるのでしょうか。

 基本的にはそう考えてございます。最終的にはそこにたどり着く、と考えてございます。ただ、他者からの意見・批判をもある程度受け入れられるような(透明化された)システムの構築も必要かと考えております(現実的路線でいかせていただきます)。
 昨今の原発事故での開発者・研究者に対する風当たりが強くございます。どこが間違っていたのか?、それとも根本的な瑕疵は、本当はなかったのか?、もし、間違いがあったとしますと、霞が関との“利権”関係も含めまして、何が問題だったのか?等、第三者を交えまして、透明性を保ちながら、検証しなおす必要があろうと考えております。
 ですが、ここで問題となりますのは、“責任問題”でございます。日本がなぜあの戦争の総括ができなかったかの理由につきましては、「責任問題が問われてしまうから(宮沢元首相談)」とも言われています。ここは、少なくとも民事訴訟のような責任問題は問わずに検証すべきかと思っております(ただし、その開発・研究者への無能呼ばわりは致し方ないものと思われます)。
 そして、これらの話合いの結果、反省すべき点等を改善させていけばいいものと考えております。
 ですが、最終的には、システム云々ではなく(“きっかけ”とはなりうるかもしれませんが)、“全国民が《わたし》をおのおの内に返り見る”ことが必要かと考えてはおります。

> これは 確かにやはり S 圏主導の S - A 連関形態としての民主制の問題になるかと考えます。アマテラス市民政府が 市民政府であるように振る舞うには どうすればよいか。

 “ガラガラポン”してしまうしか他に方法はないかもしれません(何時かは社会保障問題、年金問題等で問題が浮き彫りになってくると思われるのですが)。ただ、問題が表に出てきた場合、既に市民(日本国民)が、戦う気力も失ってしまい、お二階様のいいなり・奴隷状態となってしまっていれば、どうしようもございませんが・・・

> もしこの民主制にもとづく市民政府が 戦争も止む無しと決議すれば 相手や取り分け自国の人びとを死地に就けるという《交通遮断》を採ってよいのか? 民主制じたいが 自殺行為をおこなうことにならないか。あるいは けっきょく破れかぶれの行動に出ること これはやむを得ないことか。(国家という主権を前提として 破れかぶれではないと見なされているのでしょうか)。

 “破れかぶれの行動に出ること これはやむを得ないことか”と問われますと、市民が納得の上での戦争(こちらからの宣戦布告)でございましたら、それは致し方のないものと考えております。
 以前、湾岸戦争前にイラクからクウェートへの侵略がございましたが(パパブッシュの時代でございます)、昨今では非常に珍しい戦争だったとされています(クウェートの後ろには、米英仏さらにはロシアまでいたにも関わらず、”侵略”という形での侵攻でございましたため)。
 おそらく、現実的には、現在の同盟国であるアメリカが何らかの紛争に関わった場合、アメリカは日本にいろんなことを要求してこようかと推察されます。そのときに日本がどのような立場をとるのかが、現実的に問題となりうる話かと考えております。例えば、米・イランは敵対関係にございますが、日本・イランは歴史的にみましても良好な関係でございます。アメリカに要求された場合、日本がどのように振舞うのかが問われてくるものと考えております。
 ただし、他国からの侵略(他国からの宣戦布告)に対しましては、やはり、女子供・孫達を守るべく、戦わなくてはいけなくなるかもしれません。
 
> 人間――《 S - A 連関(つまり 身体‐精神の連関 および 市民‐公民の連関)》なる存在――は コミュニケーションの中断と その存在(現存在)の切断と どちらをその《死》と捉えるのか。コミュニケーションの継続のためには 一たん中断して 存在どうしの断絶を一定程度におこなって そのあとで話し合いをおこなうことの出来る人びとだけで 世界を運営して行こうと考えるのでしょうか。

 “コミュニケーションの中断”=市民が戦う気力もなく奴隷状態にある、とした場合ですと、もはやどうしようもないと思われます。おそらく、“死”そのものかと察せられます。
 “話し合いをおこなうことの出来る「人びとだけ」で 世界を運営して行こうと考える”、につきましては、元来、間接民主制の根幹をなすものと考えております。逆に申しますと、市民はその地域コミュニティーの中で、自分たちの代表を作り育て、そして自らの選出者を国家に送り込んで、地域と国とのコミュニケーションを図っていく、さらには地元住民の意向をも反映させていく、というのが従来の考え方かと思われますす。おそらく、これで問題はないものと考えております。

> ☆ 褒めて伸ばす あるいは 子どもであっても基本的には互いに人格を認め合ってまじわる。これは ふつうに常識であると思うのですが そのほかに何かあたらしいことが起こっているのでしょうか?
 ひと昔かそこら前に 新人類という言葉とともにその人たちの登場がありました。けっきょくむやみやたらに挨拶をすることはしない ただし用件があればそれについてきちんと話をする そういうふうに捉えましたが したがって特にそれほど変わったかたちなのでもないと思いました。
 現在さらに新しい世代において何か大きな変化は 起こっていましょうか。

 学生さんたちを見ていますと、とても消極的な面が思い浮かびます(サンプルは理系の大学(院)生でございます。「」内は学生さんの典型的な返答となっております)。
・車・バイクは? 「そんなのいらない」、
・趣味は? 「貯金することぐらいかな」、
・昼ごはんは? 「家で自分で作ってきたのがありますから」
・女の子は? 「金がかかるし・・・」
・だけど、いつかは結婚とかするんでしょ? 「別にしたくはありません」
と言った感じでございます。
 非常にまじめなのですが、面白みに欠けるところがございます。理由は分かりませんが、世間では競争社会といわれていますが、先輩たちの就職活動を見ますと、“実情はコネクション等によりスタート地点が全く異なる”こと、成功者として雑誌で取り上げられている人たちも、“現実は企業を志したものの0.1%程度”といったことを知っているからかもしれません。彼らからは、夢・希望が感じられない、というのが実感でございます。
 結婚願望が欠如しているのは、以下のサイトの理由が主流かと思われます(実際、そう話してくれた学生さんもおりました。メディアも「妻はセレブ、僕セルフ」なんてことを面白おかしく流すのも一因かもしれません)。
http://hikon.blogspot.com/2011/05/blog-post_22.html

> もっとも上の文章は そもそもわたくしの文章や人との交わり方に向けての批判なのですが だとすると ひとりぶらじゅろんぬ問題となるでしょうか。

 いえいえ。壮大な社会論になろうかと察せられます。

> オザワ首相の線がまた まだ 話題に上るということはあるのですね。

 はい、消去法的だとは思うのですが、事実かと思われます。一方、元K首相のご子息等もその名が挙がっているようでございますが。

参考:渡辺氏トップ、首相は2位=自民は小泉氏が上位-次期首相候補  2010/7/24 時事通信
http://soubiken.blog20.fc2.com/blog-entry-521.html

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-10 23:10:13

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ▼ 参考:渡辺氏トップ、首相は2位・・・ 
 ☆ だったら いまのまま首相をつづければよいのに。とは行かないのですね。

 ★ 学生さんたちを見ていますと、とても消極的な面が思い浮かびます(サンプルは理系の大学(院)生でございます。
 ☆ そうしますと 地道にまたは地味に生活し 非婚という情況(願望)にまでなりがちである。こうだとしますと 特別に褒めて欲しいとか甘えるということでもないようですね。
 

 政治の現実 あるいは 現実の共同自治には きびしいものがあると思われます。
 一人ひとりの内面においてその心を問うといった手続きから出発すると言っても その中間の代表としての議員たちの段階でことが決められるということもあるのでしょうね。 
 ★ 市民はその地域コミュニティーの中で、自分たちの代表を作り育て、そして自らの選出者を国家に送り込んで、地域と国とのコミュニケーションを図っていく、さらには地元住民の意向をも反映させていく、というのが従来の考え方かと思われますす。おそらく、これで問題はないものと考えております。
 ☆ となりますと 《自分たちの代表をつくり育てる》という作業が 大事なように思います。あるいはつねにその代表に委託している政策などについて 見直しをもしつつ 地元住民と代表とが検討しあって行きつづけること。この工程をきちんと守っていることが 大事だと。

 そのような過程をつねにたどりつづけることを前提として その眼鏡にかなう代表をめぐって
 ★ “ガラガラポン”してしまうしか他に方法はないかもしれません(何時かは社会保障問題、年金問題等で問題が浮き彫りになってくると思われるのですが)。
 ☆ というように考えるのが せいぜいでした。いまの段階において。

 そう言えば 【Q:日本社会は 対話型か? なら話し合いを!】は 日本の社会と歴史の総点検をほんとうはした上で考えることでしょうし 総点検を遠くには想定しつつ進もうとする一歩ではあると思いました。自分ながら。

 今回はこんなところとなりました。どうでしょう。

投稿日時 - 2011-08-11 00:14:46

ANo.17

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。

> 気ままな随想の旅におつき合いくださって ありがとうございます。

 こちらこそ、どうもありがとうございました。

> 人間という存在の中における《スサノヲ人間語〔の自由〕およびアマテラス人格語〔としての自由〕》が捉えられて そしてさらには
「この経験存在や経験世界を超えたところの言わば無根拠の自由・恩恵の自由 これらの按配をよく確かめつつ捉えていることが大事なのだ」なぁと。

 仰る通りかと存じます。

> KY ひとつを取っても 人びとには或る種の呪縛がかけられていると思われること。
 目に見えないながらも よくもこんなにうまく機能するナラワシとして築き上げたものと考えられます。

 ある意味、天才的かと思っております。

> おそらく日本では そのナラワシがあまりにも巧妙な方程式であるかに見えて その芸術品をこわすのも憚られ むしろその方程式をそのまま解く流れに(あるいは答えをいつまで経っても出さないかたちでいじくる過程の中に)いるほうが 居心地がよいと人びとは 思っているのかも知れません。

 よく言えば、保守的なのかもしれませんが、ただ問題を先延ばししているだけとも考えられます。
 保守を、つまり、日本人が古から重きをおいてきました、礼節、勤勉さ、さらには和の精神といったもの保持することと定義付けますと、保守的というよりも“臭いものには蓋をする”といった形で、楽な方にだけ進みたい、面倒なことは避けたい、とそう思っているのかもしれません。

> ○ イリ歴史知性なる人びとの社会
 ☆ について賛同いただきましたのでさらに明らかにしつつ顕揚していくことも考えられましょうか。

 はい。まずは、歴史的観点から見た、その功罪を列挙してみるのがよろしいかと思っております。ただこの場合、“責任問題”というものが関わってきますため、まずは、責任問題を棚上げした上で(これを持ち出しますと、隠蔽工作が企てられるためでございます)、反省・検証していくのがよろしいかと考えてございます。そして、これを反省材料ににしながら、日本人の英知を結集させれば、未来は見えてくるのでは、とそう思っております。

> ○ 養育係としての規範
 ☆ 子どもは かたちから入ることも決して悪くないということかも知れません。大人でも素人の場合 そうする場合があるかとも思われます。
 ▼ 経産相ら一斉辞任し、退陣迫るべし…鳩山前首相
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110806-00000590-yom-pol
 ☆ ですとか。・・・

 あくまで、これは愚見でございますが、特例公債法案の成立は、問題なく通過するものと推察しております。ただ、その後の再生エネルギー特別措置法案さえもが可決したにも関わらず、居座り続けるというのでしたら、問題は大きいかと考えております。

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-09 01:54:55

お礼

 ★ ~~~~
  > ○ イリ歴史知性なる人びとの社会
  ☆ について賛同いただきましたのでさらに明らかにしつつ顕揚していくことも考えられましょうか。

 はい。まずは、歴史的観点から見た、その功罪を列挙してみるのがよろしいかと思っております。ただこの場合、“責任問題”というものが関わってきますため、まずは、責任問題を棚上げした上で(これを持ち出しますと、隠蔽工作が企てられるためでございます)、反省・検証していくのがよろしいかと考えてございます。そして、これを反省材料ににしながら、日本人の英知を結集させれば、未来は見えてくるのでは、とそう思っております。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ 日本社会論 あるいは日本の歴史の総点検といった大きな課題につながってしまったのでしょうか。――あっ まづは ご回答をありがとうございます。ひどっちさん お早うございます。――そういう思わくを持ったこともあったかに思いますが けっきょく研究者であるないにかかわらず 日本人としての《わたし》をおのおの内に返り見る仕事になるのでしょうか。

 たとえば明治以来の近現代史の研究も 進展の見られることと思います。さらに中でも交通の道を 暗殺であるとか戦争であるとかに求めてしまった――つまり前者の場合は 道を断ってしまったことですし 後者の場合は そのように道を断つことという・戦闘員どうしの殺し合いなる手段を容認してしまっていますが――そのような事態に到るということについての分析・検証。

 これは 確かにやはり S 圏主導の S - A 連関形態としての民主制の問題になるかと考えます。アマテラス市民政府が 市民政府であるように振る舞うには どうすればよいか。
 もしこの民主制にもとづく市民政府が 戦争も止む無しと決議すれば 相手や取り分け自国の人びとを死地に就けるという《交通遮断》を採ってよいのか? 民主制じたいが 自殺行為をおこなうことにならないか。あるいは けっきょく破れかぶれの行動に出ること これはやむを得ないことか。(国家という主権を前提として 破れかぶれではないと見なされているのでしょうか)。

 人間――《 S - A 連関(つまり 身体‐精神の連関 および 市民‐公民の連関)》なる存在――は コミュニケーションの中断と その存在(現存在)の切断と どちらをその《死》と捉えるのか。コミュニケーションの継続のためには 一たん中断して 存在どうしの断絶を一定程度におこなって そのあとで話し合いをおこなうことの出来る人びとだけで 世界を運営して行こうと考えるのでしょうか。


 いえいえ 思わずここまで筆が伸びましたが 何か考えたことがあるのではありません。

 若い人について こういう指摘をもらいました。
 ▼ ~~~~
 最近の子供達は、まづ、自分を認めて褒めてもらわなければ、
 話は聞きません。(意外に、大人も多いですよ。)

 まあ、今の子供は、自分の考えたいいところを褒められたいんでしょうね。
 人間は、いいところを褒めれば成長するらしいですから。(笑い)
 ~~~~~~
 ☆ 褒めて伸ばす あるいは 子どもであっても基本的には互いに人格を認め合ってまじわる。これは ふつうに常識であると思うのですが そのほかに何かあたらしいことが起こっているのでしょうか?
 ひと昔かそこら前に 新人類という言葉とともにその人たちの登場がありました。けっきょくむやみやたらに挨拶をすることはしない ただし用件があればそれについてきちんと話をする そういうふうに捉えましたが したがって特にそれほど変わったかたちなのでもないと思いました。
 現在さらに新しい世代において何か大きな変化は 起こっていましょうか。

 もっとも上の文章は そもそもわたくしの文章や人との交わり方に向けての批判なのですが だとすると ひとりぶらじゅろんぬ問題となるでしょうか。



 ★ ただ、その後の再生エネルギー特別措置法案さえもが可決したにも関わらず、居座り続けるというのでしたら、問題は大きいかと考えております。
 ☆ 菅直人については ひとことあるいは一度 認めるという言葉をかければ済むことではないかと思えて来ています。
 オザワ首相の線がまた まだ 話題に上るということはあるのですね。

投稿日時 - 2011-08-09 10:56:56

ANo.16

こんばんは、bragelonneさん。


● 一難去ってまた一難。(TT)ブヒィ。

ひとぎきのわるい、それもいうなら、アコースティック・ギター?
http://okwave.jp/qa/q4444319.html

「ありがとう!」←アリス:チンペイ風

やがてリングと 拍手の渦が
ひとりの男を のみこんで行った
You’re king of kings
立ち上がれ もう一度その足で
立ち上がれ 命の火燃やせ

【QNo.340361ほにゃらか形而左右学 檻と機械】
http://okwave.jp/qa/q3403691.html

【QNo.4338027現代芸術における表現形式は どうなんですか】
http://okwave.jp/qa/q4338027.html

そやねん、別件、電気増幅云々をあたってます。
【鉄道・なぜなに教室】
http://www.tawatawa.com/denshanani/index.html
【安全性・信頼性向上のための鉄道信号
システムの設計手法に関する研究】
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/28727/3/Honbun-4772.pdf


昨日は、昨日で、朝もはよから電車乗って滋賀大のある彦根まで行ってきました。
頭煮詰まりそうになってましたから、お外の空気は新鮮。しかし、マジ歩いた。歩いた、歩いた。暑かった―!あんまり暑くて、ノド乾いて、一息いれにどっかで腰落ち着かそうとおもい辺りを見回しては見るもののお店屋さんらしきものはみあたらず、道行く土地の人に声をかけたずねた。「あの、この辺りで食事をとれるとこありますか?」「ああ、少し行けばキャッスルロードに出るから、そこ行けばお店屋さんが並んでるよ」「すぐそこだから」と、気軽い返事が返ってきた。「あ、どうも。ありがとうございます。」その言葉に従い、歩くのだけれど、いっこうにキャッスルロードに行き当たらない。
“すぐーそこ”と“すぐーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそこ”すぐそこって、どんだけ歩かなあかんねん。“すぐそこ”―――この距離感のちがい、どうよ。おそるべし、地元民。延々と歩き、やっとこさキャッスルロードに行き着いた。キャッスルロード沿いには両側にお店屋さんが並んでる、たしかに。とにかく、早く一息つきたかったから、人が混んでいなそうなメイン通り一本を入ったところのお店に入った。 “エルソン“って名のお店に。ここの、お昼のパスタランチあたり!!冷製パスタ+ピザ+サラダ+ドリンク+デザート3種類盛り←これヒットです。ボリュームがあって。極めつけが、デザート。チーズケーキ+シフォーンケーキ+チョコのアイス2つが1枚のお皿に乗って出てきた。完食。至福のひととき。午後からは、彦根城周辺を散策。散策してる中、井伊直弼大老の像が公園にいてはった。

【所有と労働の循環】
http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~yagi/nakano1.doc
【TPP(環太平洋戦略経済連携協定)(Trans-Pacific Partnership) 詳細解説】
http://eco.goo.ne.jp/word/issue/S00412_kaisetsu.html
【わが国の通商戦略に関する提言 別添】
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/030/betten.pdf
【QNo.5128328 日本はなぜ 産業革命】
http://okwave.jp/qa/q5128328.html

●そして、藤津氏はハウルの城に集まった者はまさに他者・弱者
であり、ハウルの城は「開かれたアジール」になっているといっ
ているのです。「アジール」とは、法や権力の及ばない不可侵の
領域を意味しています。

A国のなかにB人とC人が暮らしていた。しかし、ことあるたびになにかとぶつかりあう。
で、あるときこの国に暮らすB人とC人は互いに[もうお前とはやっていけん]とばかりに
それぞれに国をつくった。B人ばかりが住むB国とC人ばかりが住むC国を。
さて、それぞれに国をつくりB人ばかり、C人ばかりとなったB国・C国の中では諍いはもうないかといえば、これがそうでもない。そこに住み暮らす者同士の間でこと何かあるたびに諍いは起きていた。A国に暮らしていたときはB人はC人がいるから諍いが起こると考え、またC人もB人がいるから諍いが起きると。自分と同じでないものを互いに排除することで諍いがなくなるとでも考えていたのだろうか。結果、B国とC国をつくったもののそれぞれの国の中で諍いは無くならない。
A国に住んでいたある人がB国とC国からさほど遠くないところに1軒の家を建てた。
諍いのない暮らしを求めて。
家は建ったが、その家を訪れる者はいない。
だれも訪れることのない家にいるのは家を建てた男一人。
いつ訪れてくるかもしれない人をただ一人待ち続ける。
幾日の年月が過ぎたころ、B国人同士の諍いに疲れB国から逃げ出してきたB人と、同じくC国人同士の諍いに疲れC国から逃げ出してきたC人がこの家にやってきた…
【記憶の彼方へ】
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20100709/

投稿日時 - 2011-08-07 18:15:15

補足

 ▲ (浄福) ~~~~~
 ・・・テレンティウスが賢明にも

    汝の欲するもの起こり得ぬゆえに
    汝のなし能うものを欲せよ

 と語った・・・。この言葉の凱切なるを誰が疑い得ようか。しかし これは悲惨な人に いよいよ悲惨ならざらんため与えられた助言なのである。
 ところが すべての人がそうあることを欲する幸福な者には 汝の欲するものが起こり得ぬ と言うのは正当でもなく真実でもない。なぜなら もし彼が幸福であるなら 彼が欲することはみな起こり得るからである。

 それというのも彼は起こり得ないことは欲しないから。
 けれども このような生は私たちの可死性の生ではない。それは不可死性が存在するであろうときでなければ 存在しないであろう。
 もしこのような生が人間には決して与えられないとするなら 浄福を問い求めても空しいであろう。浄福は不可死性なくしてはあり得ないからである。
 (アウグスティヌス:三位一体論 13:7)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ これが目にとまった。

 あとは これこれに注目というふうに言ってくださったら 注意深く読んでみます。あしからず。


 ダヰ゛デの曾祖母のルツは ミレーの絵《落ち穂拾い》の人物です。まづしい暮らしでした。

投稿日時 - 2011-08-08 23:21:46

お礼

 ガスト――ふつうのではなく お箸のガスト――でいまカレーとサラダのバイキングをやっている。ドリンクバーを加えると 飲みものも飲み放題。うまかったよ 二人前。デザートは別。

 何の話?
 
 ○ アジール
 ★ A 国のなかに B 人とC人が暮らしていた。・・・
 ☆ むつかしいなぁ。ソロモンも解けないかも。
 ★ 【記憶の彼方へ】
 ☆ これをちらっと読んでみたけれど むつかしい。それとも アジールとしての話そのままかしらん。

 あぁ 夕方に書き込んでくれたんだった。ほかの質問で応えていたら(4件) もうこんな時間。
 ご回答をありがとうございます。ギャル曽根ねえさん。

 もういっぺん出しておきます。
 【Q:「うつくしい」って何ですか?】と訊かれたなら あなたはどう答えますか?

 あぁ そうそう。ダヰ゛デの話。
 ▼ (ヰキぺ:ダビデ) ~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87

 § 曾祖母ルツ

  ユダヤ教原理主義者には無視されがちであるが、彼(ダビデ)はモアブ人の血を引いている。
  彼の曾祖母であるルツは、『ルツ記』の記述に従えばモアブ人である。

  当時のイスラエル人と周辺諸民族は共存、通婚していたことを示している。
  加えて、彼女がモアブ人としてのアイデンティティと宗教的慣習を放棄し、イスラエル人のナオミが信じていたヤハウェ神を受け入れて回心したことが、イスラエルに受容されたことの大きな理由となっていると考えられる(ルツ記1章16~17節を参照)。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ ナオミは ルツの夫の母 つまり義母。ナオミも ルツも いづれも夫を早くに失くしている。それでも後継ぎをもうけることができた。その曾孫が ダヰ゛デ。
 モアブ人は 遠くユダヤ人と血はつながっているが よそ者に近い。
 あぁ これで
 ★ A 国のなかに B 人とC人が暮らしていた。しかし、ことあるたびになにかとぶつかりあう。・・・ 
 ☆ と少しはつながった。異民族や異者は たしかにその異なるところを認めあって おつきあいしましょう。イエスは ダヰ゛デの血筋です。つまり ルツねえさんの血筋です。


 あとは またあとで。
 こんばんはでした。

投稿日時 - 2011-08-07 23:43:55

ANo.15

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっちでございます。

> 規範というもの――例によってふるいなじみの言葉を持ち出せば アマテラス普遍語であり 科学語および人格語になりましょうか―― あるいはそれの帯びる《権威》 さらにあるいは社会形態として国家を成り立たせると アマテラス公民の《権力》という事態も生じて来ますが 律法の必要とされた時代情況のことをうかがうと これら大きく広く権力ということについて 思いをめぐらされます。


 規範、さらには、科学語・学術語および人格語は、愚生もアマテラス用語語(決して古くはないと思っております)、さらにはそこから派生する「権威」と、 アマテラス公民の(上からの)「権力」とは関連性があろうかと考えております。
 ただ、モーゼの十戒を見ますと、もちろん、上述のような要素も含んでいるかもしれませんが、元来「神から授かりし御言葉」であること、さらにまた、「殺人」、「窃盗」、「父母を敬うこと(愚生は失格者でございますが)」、「隣人の財産を貪ってはならないこと」等はほぼ自然法に近いこと、またモーゼが十戒を授かったときのイスラエルは弱小国(国というより、逃亡するのに必死であった一民族に近かったかもしれません)であったことから、幾分アマテラス普遍後とは異なるものと考えております。ただ、イスラエルの国が出来、そこから権力維持(特に祭司達の)がかようなアマテラス用語化していったものと考えております。


> 規範の権威が 人間化にとって広く養育係であったとも考えられるのでしょうか。


 例えば最近、”青少年健全育成条例(ほとんど淫行条例なのですが)”が厳しい方向に改正されておりますが、以外かもしれませんが、ご父兄の方々が賛成にまわったといわれております。その理由の一つとしましては、援交等(被害者なき犯罪)をする自分たちの子供を理屈でもって、これを阻止することが困難であったからとされています。この条例ができてしまえば、子供達に「そんなことをすれば、補導されるよ」の一言でほぼ阻止が可能だからでございます。
 これらを鑑みますと、養育係として認知されることは、やむを得ないところもあったのかもしれません。

 

> かの地では モーセに律法が与えられた。そのときには まだいわゆる市民とその上の階層に公民が二階建ての社会を住み分けるということではなかった。
 《〈わたしはある〉 それがわたしだ》という名乗りを聞いてモーセは そういう名のナゾの者が 自分たちをエジプトのくびきのもとにある生活から抜け出させるのだと人びとに説明して 《権威ないし権力》のようなかたちを演じた。そののち 王が 公民圏つまり第二階の権威かつ権力者に制度として立てられた。

 モーゼをかばってしまうように受けとられるかもしれませんが、目的の地に辿り着けることを神から許されませんでした。このことから、絶対的なまでの権力を演じたとは断定しにくいものかと思ってございます。



> 日本では 《和を以って貴しと為せ さからうこと無きを旨とせよ》という律法が敷かれるのは 《イリ歴史知性》の誕生のあとはるか(三百年近く)時を経て すでに《ヨセ(人びとを束ね寄せる)》なる超歴史知性が出現し これらはアマテラス公民として 社会の神棚にも比される雲の上の第二階に坐って 一般的に言ってアマテラス王制を樹立したあとのことであった。


 これは、策略家であり、かつ老獪なまでに強かであった太子の影響が強かったものと思っております。太子の姑息さには頭が下がってしまいます。


> 《むさぼるなと律法によって言われなかったなら わたしはむさぼりなることを知らなかった》というのは たしかにこの権威ある規範が 人間化にとっての養育係であったことを示しているかと思われます。


 ご賛同いただきまして、どうもありがとうございました。

> 《和を以って貴しと為せ》という普遍アマテラス語は 養育係であるのかどうか? 罪に国つ罪と天つ罪との二種類があるように 《和を乱す》という事態は 国ないし市民どうしのあいだでけんかをしてもそれは大した罪でもない。けれどもつまりは 《お上にさからう》という意味で和を以って貴しと為さなかったなら それは行き着くところは とどのつまりとしては 死刑である。すなわち 《天つ罪》は あたかも神の普遍性を権威としてまた権力として代理するかのごとくに 押し並べて否応なく当てはめられる。
 このたぐいの《和》の精神が 人間化への養育係であったのかどうか?


 ”太子”の「和」の精神は、養育係と致しましては、これを否定いたしたく存じます。ただ、「神の普遍性を権威」でもって上から押さえつけるやり方も、おそらく、祭司達に多くいたかと思っておりますし、また現在のバチカンの中にもかような考えを持った人達もいようかと推察しております。


> ヨセなるスーパー歴史知性によるアマテラス普遍語律法は 何だったか?
 お役人言葉とは 何であるのか? 人びとが過剰に心配することなくパニックに落ち入らないようにという心遣いから 無難な表現を用いて 社会の秩序をも重んじる行き方を取る。
 どうも鳥籠の中に人びとを入れてしまっておきたいという権威としての意向が アマテラス語律法やその言葉づかいには 見え隠れしているのではないでしょうか?
 あるいは 鳥籠などといったものは 決して見えるようにかぶせられているのではないとしたら 鳥黐(とりもち)のようなねばねばした・目に見えない通行手形をつねに携行させられているかのような社会生活。


 もちろん、社会の乱れ・ひいては治安の悪化には、認めづらいところもございます。従いまして、ある程度のところまでは、愚生は認められるのですが、権力と関わってしまうと、非常に厄介な代物になろうかと考えております。おそらくお上からしますと、”籠の中におとなしくいてもらいたい”という意向はあるのだと思っております。ただ厄介なのは、”籠の外枠”が、内側からですと透明であり、その眼には見えない壁にぶつかって初めて壁らしきものが認識でき、その透明なる壁をつきやぶろうとするならば、それなりの報復を受けかねない、という現実があることでございます。
 


> こんな随想を思わずしたためましたが そんな現状ではないでしょうか 日本の社会は。

 残念ではございますが、事実と思っております。

> ただ 西暦300年ごろ 三輪山のふもとには イリ歴史知性として〔社会的に人間的に〕生まれた日本人の社会がすでにいちど成りました。


 ご質問者様からご教授いただきまして、またその後自分でも調べてみたのですが、史実のように思われました。

> イリびとは ヨセびとのおとなぶりを・つまりは権威と権力に巻かれる物分かりのよい馬鹿ぶりを もっとまねぶ必要があるかも知れません。ヨセびとは イリびとの真面目ぶりをもっとまなばねばならないでしょう。
 イリびとは その原点のにんげんという動態を 現象としてはちっとは芸人も顔負けとなるほどのボケをも演じる中に表現しきる。三枚目に徹して ヨセびとが自分たちのもとにかかえる芸人たちのお遊びをも凌駕するボケっぷりを見せることも ひとつの道筋であるかに思えて来ました。
 
 果てさて どうでしょう。


 以下の言葉のように、笑い・ユーモアは効果があろうかと推察してございます。

「人は、笑いながら自分を笑わせている相手を殴ることはできない。笑っていると人を攻撃するほど体の筋肉に力を入れることはできない。ユーモアを発する人間に対して好意的な印象を持つのがユーモアの効果である。異文化衝突の多い多民族社会では、ユーモアは頻繁に見られるコミュニケーションのツールとなっている。日常の会話にユーモアを織り込むことにより、衝突を回避したり、敵対心や緊張感を緩和させたりして、人間関係の距離を縮めコミュニケーションをスムーズにする効果がある」

(Wikipedia 異文化コミュニケーション ユーモアの効用 からでございます)

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-07 02:24:27

お礼

 ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 気ままな随想の旅におつき合いくださって ありがとうございます。

 二点 わたしの中で確認いたしました。

 人間という存在の中における《スサノヲ人間語〔の自由〕およびアマテラス人格語〔としての自由〕》が捉えられて そしてさらにはこの経験存在や経験世界を超えたところの言わば無根拠の自由・恩恵の自由 これらの按配をよく確かめつつ捉えていることが大事なのだなぁと。
 ★ ~~~~~~
 規範、さらには、科学語・学術語および人格語は、愚生もアマテラス用語語(決して古くはないと思っております)、さらにはそこから派生する「権威」と、 アマテラス公民の(上からの)「権力」とは関連性があろうかと考えております。

 ただ、モーゼの十戒を見ますと、もちろん、上述のような要素も含んでいるかもしれませんが、元来「神から授かりし御言葉」であること、さらにまた、「殺人」、「窃盗」、「父母を敬うこと(・・・)」、「隣人の財産を貪ってはならないこと」等はほぼ自然法に近いこと、
 またモーゼが十戒を授かったときのイスラエルは弱小国(国というより、逃亡するのに必死であった一民族に近かったかもしれません)であったことから、
 幾分アマテラス普遍語とは異なるものと考えております。

 ただ、イスラエルの国が出来、そこから権力維持(特に祭司達の)がかようなアマテラス用語化していったものと考えております。
 ~~~~~~~~


 KY ひとつを取っても 人びとには或る種の呪縛がかけられていると思われること。
 目に見えないながらも よくもこんなにうまく機能するナラワシとして築き上げたものと考えられます。
 たしかにこの KY も あるいはガミガミ役とアース役のコンビ情況も 権威やあるいは権力のもとに派生すると見れば 世界共通という部分も見られる現象であるかと思いますが おそらく日本では そのナラワシがあまりにも巧妙な方程式であるかに見えて その芸術品をこわすのも憚られ むしろその方程式をそのまま解く流れに(あるいは答えをいつまで経っても出さないかたちでいじくる過程の中に)いるほうが 居心地がよいと人びとは 思っているのかも知れません。
 ★ ~~~~
 ただ厄介なのは、”籠の外枠”が、内側からですと透明であり、その眼には見えない壁にぶつかって初めて壁らしきものが認識でき、その透明なる壁をつきやぶろうとするならば、それなりの報復を受けかねない、という現実があることでございます。
 
 ~~~~~~

 ○ イリ歴史知性なる人びとの社会
 ☆ について賛同いただきましたのでさらに明らかにしつつ顕揚していくことも考えられましょうか。

 ○ ボケっぷり 笑い 異文化コミュニケーション  ユーモアの効用
 ☆ 客席に坐って 言いたいことを言ってしまいました。でも 賛同いただきましたならば 少しは実践のほうも考えて行こうかと・・・いや 分かりません。得意な方々について行きたいと思います。

 ○ 養育係としての規範
 ☆ 子どもは かたちから入ることも決して悪くないということかも知れません。大人でも素人の場合 そうする場合があるかとも思われます。

 ▼ 経産相ら一斉辞任し、退陣迫るべし…鳩山前首相
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110806-00000590-yom-pol
 ☆ ですとか。・・・
 
 
 

投稿日時 - 2011-08-07 07:03:01

ANo.14

こんばんは、bragelonneさん。


あー、夏休みですね。

でたでた、恒例の行事。

のりにハサミにセロテープ

カッターナイフにカッティングマット

工作、工作、工作

へっ、へぇー(*^^*)v

「どんだけ、こさえるねん!」と、愚痴をこぼすこともなく

今日も朝一から切り貼りチョキチョキ、ペッタ、ペッタと

工作に勤しんでおりました。←(お仕事、お仕事)

それとは別に、家でも急ぎの作り物しこたまあったので

そっち、かかりきり(TT)ブヒィ

お返事いただいてたようですが、手がはなせない、あぁぁ…

あっ、!?手がはなせない… はなれない…って

―――――アロンアルファが、あぁぁ… 

なにかと雑事におわれておりまする

息継ぎがわりに、参考URLをいれるのがやっと

すまん(^人^)

できれば、しばしここあけといてください。まだ、〆ちゃ、やーよ。



【ハウルとカルシファーの契約の中身とは(EJ第1513号)】
http://www.intecjapan.com/blog/2008/06/post_534.html
http://www.intecjapan.com/blog/cat37/
【歴史人物に学ぶ 男の「行き方」男の「磨き方」】
■秀吉にとって箔である利休が主客転倒した
http://www.geocities.jp/takesanwinds/book/doumon/otokonoikikata2.html
【3代将軍・家光側室 お楽の方】
http://www.ne.jp/asahi/chihiro/love/ooedo/ooedo52.html
【大日本近世史料 細川家史料 十五】
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/31/pub_kinsei-hosokawa-15.html
【「蜷川家古文書」(蜷川系図)】
http://www010.upp.so-net.ne.jp/ya-fuian/16_ninagawa.html
【「命が大切」というのは―――――――】
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/538c40ceaf8d80e1d6d39c41de9c208a/page/1/


―――ただいま、思考中――――

投稿日時 - 2011-08-04 22:02:39

補足

 りとるきすねえさん こんばんは。

 今回の参考 URL は 最初のものだけが長かった。
 次の主題のようなことがらは 少々出来過ぎなように感じますが 抜き出しておきます。

 ★ (ハウルの動く城) ~~~~~

 (2008年07月04日)
 ●映画のキーワードは『家族』である(EJ第1521号)

 ・・・
 藤津氏は難しいことをいっていますが、要するに戦争になると
国民はふるいにかけられ、他者・弱者は何らかのかたちで社会か
ら折り出されてしまう――その結果、それらの他者・弱者による
擬似家族的共同体が生まれて、これらの者を受け入れる「開かれ
たアジール」が必然的に構築されるといっているのです。

 そして、藤津氏はハウルの城に集まった者はまさに他者・弱者
であり、ハウルの城は「開かれたアジール」になっているといっ
ているのです。「アジール」とは、法や権力の及ばない不可侵の
領域を意味しています。

 宮崎アニメには、家族の象徴ともいうべき干している洗濯物が
登場するのですが、『ハウル』にもそれは出てきます。藤津氏は
この白い洗濯物こそ、国家から折出された他者・弱者に向けての
「ここはアジールである」との旗印であるというのです。

 ・・・・・・

  鳥の姿になったハウルとソフィーが出会う。
  「逃げましょう。戦ってはダメ」というソフィーにハウルは
 答える。
  「なぜ?僕はもう十分逃げた。ようやく守らなければならな
 い者ができたんだ。君だ!」
 ~~~~~~~~~

 ★ 【ハウルとカルシファーの契約の中身とは(EJ第1513号)】
 ☆ その魔法をどのように解くかが 問われているようですが その展開については よく捉え得なかった。(書いてないよね)。

 あとは 特にコメントはありません。
 ★ 【3代将軍・家光側室 お楽の方】その他
 ☆ 春日局のことをお調べでしょうか。よくは知りませんし えらい細かい資料のようですし。

 ★ 【「命が大切」というのは―――――――】
 ☆ 飯館町――建設的な意見が出なくてごめん。

 ★ 【歴史人物に学ぶ 男の「行き方」男の「磨き方」】 / ■秀吉にとって箔である利休が主客転倒した
 ☆ 利休も 少しは用心してふるまえばよかったものを。(ちがうかな)。


 【Q:「うつくしい」って何ですか?】と訊かれたなら あなたはどう答えますか?

投稿日時 - 2011-08-06 21:56:32

お礼

 テレングト・アイトルは 90ページやったで。
 一難去ってまた一難。(TT)ブヒィ。

 

 ゆっくり行きましょう。

 取り敢えず こんだけ。


 
 ご回答をありがとうございました。ぢゃわい。

投稿日時 - 2011-08-04 23:50:15

ANo.13

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち、でございます。

> 自然法
☆ という法もしくは法源 あるいはさらにその法源としての神の法(永久法)といった視野のもとに 旧約≒律法の時代とそこから抜け出て来るあたらしい契約(むしろ無契約というほどに 無根拠のもとに なにかがはたらく)の時代との照らし合わせをおこなっていただきました。

 ご参考としていただきまして、厚くお礼申し上げます。

> だとすると 自然法ないし自然本性とは 理性ではないでしょうね。ただ単に理性というのではないでしょうね。心というふうに広げておいたほうがよいでしょうし 境地と言って その現存在といった存在のあり方や動態を捉えてその平安や健全なる筋道のことを言ったほうがよいのかも知れません。
 その奥に むしろ無根拠としての神の場があるということでしょうか。

 おそらく、その大元となる根拠はわからない、というのが実情かと思われます。また、昔のそのひと時の権力者が作ったもの、と解することにも無理があろうかと思われます。その奥に、神の場があるのかにつきましては(愚生はそう信じておりますが)断じかねますが、少なくとも西欧文化圏につきましては、それなりの影響を受けていることは事実と考えております。

> 無根拠としてこそ いわゆる国際法も 自然法にもとづくというかたちになるのかも知れません。

 確かに、仰られるとおりかと存じます。

> ところで
 ▼ (レビ記20:10) ~~~~
 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は
 姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ とあります。そして 他方では――時代を隔てているでしょうが――

 以下にもございますが、レビ記が記述された時代というのは、動物と交わる等、かなり乱れていた時期かと推察されます。従いまして、かようなときには必要とされたのかもしれません。

20:14- 20:16
一人の女とその母とを共にめとる者は、恥ずべきことをしたのであり、三者共に焼き殺される。あなたたちの中に恥ずべきことがあってはならない。動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。いかなる動物とであれ、これに近づいて交わる女と動物を殺さねばならない。彼らは必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。

> ▼ ( イザヤ書 55:7) ~~~ 
 神に逆らう者はその道を離れ
 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
 わたしたちの神に立ち帰るならば
 豊かに赦してくださる。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ とも しるされています。

 理由はわからないのですが、キリスト・イエスをかなり意識した言葉かと思われます。単にモーゼの解説書のようなレビ記よりも、将来のメシア降臨を預言したイザヤの方が個人的には好き、というところございますが、預言を的中させているところを鑑みましても、

> ○ ダヰデもバテシバも 《立ち帰り》が成った。
 ☆ と受けとめることとします。その説明は むしろ無根拠のもとにあって 他人には分かりがたい。と。

 なぜ、ダビデがかような神からの(特別ともいえる)恩恵を受けたのか等、神のご意志に関わることですので、ひとには理解し難いものかと思っております。とにかく、“立ち帰り”が起こり、少なくともダビデとバテシバにつきましては、多少の困難には遭遇したかもしれませんが、充実した生涯であったと考えております。

> ちょっとあっさりし過ぎましたでしょうか。
 いえいえ。愚生と致しましては、緊張感のあるご質疑・応答であったかと思っております。

> しばらくのあいだ みなさんからも補遺やまとめを書きこんでいただくために 開けております。
 了解致しました。

 最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-04 18:59:31

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 規範というもの――例によってふるいなじみの言葉を持ち出せば アマテラス普遍語であり 科学語および人格語になりましょうか―― あるいはそれの帯びる《権威》 さらにあるいは社会形態として国家を成り立たせると アマテラス公民の《権力》という事態も生じて来ますが 律法の必要とされた時代情況のことをうかがうと これら大きく広く権力ということについて 思いをめぐらされます。

 規範の権威が 人間化にとって広く養育係であったとも考えられるのでしょうか。
 ヨリ(憑り)なる原始心性が 《わたし》に目覚める――すなわち 《わたしたち》の存在やその仲間や社会を超えたところに何ものかを感じたときから そのナゾに対するきよらかなおそれのもとに 《ひとり》としてのわたしにも目覚めた――ところに 世界への《イリ(入り)》なる歴史知性が現われた。
 これが 人間化であったと捉えます。

 かの地では モーセに律法が与えられた。そのときには まだいわゆる市民とその上の階層に公民が二階建ての社会を住み分けるということではなかった。
 《〈わたしはある〉 それがわたしだ》という名乗りを聞いてモーセは そういう名のナゾの者が 自分たちをエジプトのくびきのもとにある生活から抜け出させるのだと人びとに説明して 《権威ないし権力》のようなかたちを演じた。そののち 王が 公民圏つまり第二階の権威かつ権力者に制度として立てられた。

 日本では 《和を以って貴しと為せ さからうこと無きを旨とせよ》という律法が敷かれるのは 《イリ歴史知性》の誕生のあとはるか(三百年近く)時を経て すでに《ヨセ(人びとを束ね寄せる)》なる超歴史知性が出現し これらはアマテラス公民として 社会の神棚にも比される雲の上の第二階に坐って 一般的に言ってアマテラス王制を樹立したあとのことであった。

 《むさぼるなと律法によって言われなかったなら わたしはむさぼりなることを知らなかった》というのは たしかにこの権威ある規範が 人間化にとっての養育係であったことを示しているかと思われます。
 《和を以って貴しと為せ》という普遍アマテラス語は 養育係であるのかどうか? 罪に国つ罪と天つ罪との二種類があるように 《和を乱す》という事態は 国ないし市民どうしのあいだでけんかをしてもそれは大した罪でもない。けれどもつまりは 《お上にさからう》という意味で和を以って貴しと為さなかったなら それは行き着くところは とどのつまりとしては 死刑である。すなわち 《天つ罪》は あたかも神の普遍性を権威としてまた権力として代理するかのごとくに 押し並べて否応なく当てはめられる。
 このたぐいの《和》の精神が 人間化への養育係であったのかどうか?

 と言っても すでに三百年も前に人間化は イリなる歴史知性の誕生において 理論的にだとしても 成った。《立ち帰る》べき原点(もし 信仰ではないとすれば 出発点)は 成っている。
 ヨセなるスーパー歴史知性によるアマテラス普遍語律法は 何だったか?
 お役人言葉とは 何であるのか? 人びとが過剰に心配することなくパニックに落ち入らないようにという心遣いから 無難な表現を用いて 社会の秩序をも重んじる行き方を取る。
 どうも鳥籠の中に人びとを入れてしまっておきたいという権威としての意向が アマテラス語律法やその言葉づかいには 見え隠れしているのではないでしょうか?
 あるいは 鳥籠などといったものは 決して見えるようにかぶせられているのではないとしたら 鳥黐(とりもち)のようなねばねばした・目に見えない通行手形をつねに携行させられているかのような社会生活。

 
 こんな随想を思わずしたためましたが そんな現状ではないでしょうか 日本の社会は。
 そこでは 人がおのれの原点に立ち帰るときには 立ち帰ってその真実を表明しようと思うときには むしろ世間のどこかから音も無く鳥黐のような雪が降って来て あんた 待ちなさい そんなほんとうの正気に成ってはいけませんや ちょっとはバカにならなきゃぁ それが日本人の大人ってものですとささやくようです。
 ただ 西暦300年ごろ 三輪山のふもとには イリ歴史知性として〔社会的に人間的に〕生まれた日本人の社会がすでにいちど成りました。
 イリびとは ヨセびとのおとなぶりを・つまりは権威と権力に巻かれる物分かりのよい馬鹿ぶりを もっとまねぶ必要があるかも知れません。ヨセびとは イリびとの真面目ぶりをもっとまなばねばならないでしょう。
 イリびとは その原点のにんげんという動態を 現象としてはちっとは芸人も顔負けとなるほどのボケをも演じる中に表現しきる。三枚目に徹して ヨセびとが自分たちのもとにかかえる芸人たちのお遊びをも凌駕するボケっぷりを見せることも ひとつの道筋であるかに思えて来ました。
 果てさて どうでしょう。

 筆のおもむくままにでした。失礼しました。

投稿日時 - 2011-08-04 23:42:07

ANo.11

こんばんは、bragelonneさん。


【QNo.4238782 自己のクオリア】
http://okwave.jp/qa/q4238782.html

投稿日時 - 2011-08-02 01:23:35

補足

 ★ 【QNo.4238782 自己のクオリア】
 ☆ これを出してくれたということは わたしの《七転八倒から右往左往》の状態を見るに見かねて自信を取り戻し元気を出したまえというお気づかいでしたか。
 ありがとうございます。





 凹み落ち込んだときも その状態を楽しんでいるところがあり しぶといおっさんです。
 正直を言えば あぁ なんだそのひどい顔は? どん底って顔をしてるぢゃないかと声をかけ はっはっはっと笑ってくだされば この上ない元気づけになります。


 ○ 詩についての見方として 霊感(インスピレーション)説か それとも 自然や社会関係の模倣(ミメーシス)説か。 
 ☆ これは どうも後者が 自然および社会つまりまとめて世界についてのその自然科学的なありのままの認識 つまりは合理思考の問題になるのかも知れません。
 つまり ヒラメキとコギト(我れ考える)との二つの視点のことだと。

 質問者は ヒラメキがコギトに先行するという見方に立ちます。時間的な後先というよりは 考え方として優先するであろうと見ます。
 となると 必ずしもその通念として見られるほどの《二律背反》が互いのあいだにあるとは 見ていません。霊感が先行しているというからには そうなります。

 ただし この質問におけるダヰ゛デが 一目ぼれのインスピレーションを受けたとき その行動については まちがっていたという結果をもたらしました。
 つまりたぶんたとえば バテシバ〔とその夫ウリヤ〕のその後を ひとまづ待つ。じっと見守る。といった振る舞い方も考えられるでしょう。
 ヒラメキは・そのちからは けっこう大きいと考えます。必ずしもどちらかひとつをえらばなければならないといった二律背反になるとは じつは 思いません。その点 どうでしょう?

投稿日時 - 2011-08-03 09:39:53

お礼

 りとるきすねえさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 自分の文章ですが その中のひとくだりがご回答に関係しているのかと取ったものですから 掲げてみます。つまり次の――長いですが――文章の中の最後のほうの(6)です。
 つまりは やはり《自発・自己表出・自己の内面における自然本性としての展開》の話として。いわゆる客観的な科学的な事実認識や情況把握を得る前にも あるいはそして みづからの行為形式や生活態度としての思想を――つまりこれを 《文体》と言っていますが――まだ確立する前にも 《自己表出と自己表現》は内から湧き起こり 行動に出る場合はあるのだと。

 ☆☆(【QNo.4238782 自己のクオリア】回答No.22) ~~~
 かつて 《文体》という視点ないし主題として 考えたことがあります。以下のようです。

 わたしの存在は わたしがわたしであるという自同律(アイデンティティ)の展開過程である。
 自己到来するわたしの自乗・三乗・・・とその連乗積をかたちづくっていく過程である。わたしが一であるなら この冪は つねに一である。

 わたしとは何か。わたしと名のる存在である。ここから わたしが自己到来をつねに新たに展開していく過程は 表現行為の過程である。一般に内面における自己還帰の確認は 広く自己表現として表わされる。外化される。直接・間接あるいは顕在・潜在を含め広く ことばをとおしての表現行為として展開される。

 内面における自己同一性〔たるわたし〕そのものは 必ずしも定かになるわけではないが ことばの表現をとおして・もしくはことばを介した認識をとおして 了解し合われる。表情・振る舞いといったものも 解釈され これを ことばの表現として認識し了解していく。

 かくて わたしの生きる過程は 文体として展開される。これらの限りで 文体行為の過程が わたしである。(Le style, c'est l'homme meme.)

 文体の原則(命題):

 1. 文体は 生活である。文体にはわたしが生きていることが先行している。

 2. 文体は 生きることであるなら 過程行為であり 行為過程である。

 3. 生活は 自然界や社会やの世界すべてを含む。《わたしの自乗》理論は 表現過程として あたかもこの世界のすべてであろうと欲する。ただしそれは 文体行為としては 一人の人間の一主観であるにすぎないというのも然ることながら その(=世界過程の)事後的な認識であるにとどまることが ふつうである。

 4. 過程行為である文体は 《わたし》相互のあいだの了解を求める過程として展開する。各自のわたしに修められた主観としての世界観は 共通の基礎を問い求め 互いの共同化に進む。主観の共同化は 経験合理性にもとづく科学行為によってその基準が用意される。

 5. 科学によってもたらされた新しいいわゆる客観認識を持ったとき わたしは ふたたび自己に到来し これを自乗・三乗して生きていく。 

 6.文体行為そして科学行為は いづれも わたしが生きることに後行している。科学によるあらゆる客観知を得ない場合にも 文体は 自己の判断によって表現行為に出発する。文体がいわば確立しておらず 自己の判断がまだ定まっていない状態にあっても そこに生きる人間は あたかも世界の絶対的な現実である。また 絶対的な現実であるゆえ 一人ひとりのわたしに 自らの文体行為が促されるであろうし 望まれる。

 7. かくして わたしは 科学を補助行為として持ちこれを利用しつつ 文体過程として生きる。
 ~~~~~~~~~

 ☆ あとは その自己表出としての自己表現が たとえば倫理規範に違反するという場合 これをどう捉えたらよいか? ここに帰着する問題であるようです。
 ひょっとすると おのれの自然本性にしたがった自己表現の場合には 自分の人間としての原点に立ち帰ることが 変な言い方をすれば保証されている。といった見方にまでひろがりましょうか? (いえ まだよくは分かりませんが)。


 ★ 【概念としての文学─ 起源における東西詩学の伝統の相違をめぐって─】テレングト・アイトル
 ☆ は 90ページの内の66ページを読みましたが 注釈を除くとあと十数ページですので 一両日中には読み終え得ましょう。筆者は おおらかな文体ですすめているようです。ただしその旅の行く先が いまなおまだ見えていません。〔詩は 霊感(インスピレーション)によるものか それとも 自然や社会関係の模倣(ミメーシス)によって無難なかたちで成るものか。これをめぐって問い求めていましょうか? それにしては 議論はのどかです〕。

 ★ 【愛することと往生をとげること : 発心集第四九話成立の論理と背景】
 ☆ これは 読んだ結果をむしろ回答No.7のお礼欄で発表しました。


 取り敢えずにて。

投稿日時 - 2011-08-02 12:56:31

ANo.10

 こんばんは、ご返答賜りまして、どうもありがとうございました。ひどっち、でございます。

> 処理としては けっきょくちょうど自然史過程としてのように ウリヤという人間およびダヰ゛デとバテシバとの間に生まれた子というふたりが死ぬというかたちで推移しましたので それを受け容れるしかないようなのですが だとすればあとは この《魔の期間》をどうとらえておくかになると思います。

 了解致しました。

> 2. もしウリヤも生まれた子も いまの自然史過程にゆだねたとすれば あとは バテシバあるいはかのじょとのあいだの第二子ソロモンの存在が どう捉えられるかにあると考えられます。
> 2-1. その《魔の期間》についてみれば ダヰ゛デにとって このソロモンのことなどは むろん考えてもいなかった。けれども 例のナタンに臨んだ神の言葉には ダヰ゛デ家の将来ということが イスラエルのそれとつながって 大きな主題となっていたはずです。

 はい。以下にご教示いただいておりますように、ダビデの血を継ぐ多くの者達の中で偶然とも言えるソロモンが継承者となったこと。また彼が王位をつぐことにより、ダビデ家の内紛(さらにはイスラエル)は治まったこと等を鑑みますと、大きな主題となっているものかと思われます。
ですが、ダビデ自身が不倫相手の子(ソロモン)が神に愛されるとは、当初は考えても見なかったと思われます。

 ▼(サムエル記下7:4-16) ~~~~~
 8: わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。
 ~~~~~~~~~~~~

> 2-2. このお告げは むろんバテシバ事件より前に起きています。このお告げをナタンから聞いたダヰ゛デは 次のように祈ったと言います。
 ▼(サムエル記下7:18-29) ~~~
 25:主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。
  ~~~~~~~~~

 この神の御言葉を考えますと、バテシバとの関係以前に、既に神により、予め何かしらのものが決められていたように察せられます。

> 3.けれども たしかにおっしゃるようにダヰ゛デは つねに神の声にしたがうかたちで行動しているとも思われます。
 つまりは たとえばこのバテシバとの第二子が ダヰ゛デ家の将来を継ぐ者であるかどうかについての思わくを たとえ持ったとしても 自分の思わくなどとしては どうでもよいと十分に考えていたろうと思われます。

 おそらく、上記の御言葉を信じ続け、自らが選び出そうという気概はなかったものと思われます。
 また、バテシバの忠告(願い)を聞き入れ、ソロモンを王位に継がせた経緯を見ますと、ダビデ自身は自分自身が選び出すという気持ちはほとんどなかったものと解されます。

> 4.言いかえると そうしますと こう考えられても来ますが どうでしょう?
 すなわち モーセの十戒をもものともせず 神の声に就いたのだと。
 いまは 夢の中の無思慮の行動として捉えていますが そのダヰ゛デの行動も たとえば《むさぼるなかれ。隣人の妻・・・を欲してはならない》といった戒律もものかは 夢見る人という状態で神の声に〔のみ〕従った。とも解されて来ましょうか?

 非常に難しい問題かと思われます。つまり、神がお怒りになられたのは、“姦淫”によるものなのか、それとも“ウリヤを殺害してしまったこと”のどちらに、重きが置かれているのかを考慮する必要があるからでございます。ですが、以下の預言者の言葉からは、妻を奪ったこと、つまり“姦淫”の方を罰しているように察せられます。
 ですが、その後、ダビデは罰を受けることになります。従いまして、“夢見る人という状態で神の声に従った”とは断定しにくいかと思われます。 

12:09
なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』

> 5.アブラハムの信仰が優先した。信仰が律法に先行する。
 でも ダヰ゛デの行動はまちがっていた。

 少なくとも、今回のダビデによる“姦淫”には、間違いが認められたと考えられます(この背景には、幾人もの妾をつくり、挙句の果ては“近親相姦”にまで及び、ダビデ王家が不安定化していたのも原因かと考えております)。

> 6.そうしますと けっきょくのところは 神がモーセらにこの律法を与えたことがわるい。こうなりませんか?
 アブラハムの信仰にのっとって律法を受けとめれば 上からの・あるいは必ずしも明確に心に受けとめられていなければ外からの命令としてなどとは 思わなかったということでしょうが いまもユダヤ人にとっては生活のことごとくを律するかたちの規則となってしまっています。その責任は 人間にもありましょうが 神のほうにもあると見られませんか?
 でも エジプトにおける奴隷としての生活状態からは抜け出させなくてはならなかったでしょうか? そのためには 戒律も必要となったのでしょうか。

 この件につきましては、後述しておりますが、止むを得なかったのではないかと考えております。
 
> 自然史過程とは どういうことか?
 そのとき 中でも 大きな悪行を犯したりした場合 その場合においても これが大目に見られるということが起きます。それとして めぐみを享けるということかと考えられます。

 理不尽と思われることもあろうかと存じますが、現実的にかようなことはあることも事実かと思われます。

> その悪行の期間にあって 魔が憑いたように自分が自分でなくなっていたとしても そのあとで では何故そのような悪魔憑きに落ち入ったのかを説明するのが ふつうではないでしょうか? 

 仰られる意味は愚生にもわかります。

> かれは我れに還って反省しましたし 罪を赦すのは神のわざとして捉えますから人びとは その神の赦しのもとに赦すというかたちを取る。
 のですが もしこうであれば すでにそのとき 例のモーセの十戒なりそもそも律法という生活規範なりの効果を神は なくしてしまうべきであった。はっきりそう宣言しているべきであった。

 仰られますように、一理あろうかと考えております。
“モーセの十戒”が、律法として定められた経緯と致しましては、例えばアブラハムのように、ひとりの人間に対してならば、そんなことは不要だったと思われます。また、モーゼ一個人に対しましても、おそらく不要だったかと考えております。ですが、エジプトから、多数のものを移動・救済するには、ある程度の“規律”が求められたものと考えております。ときとして、ひとは群集心理に晒されますと、一対一の付き合い・話合いであるならば、問題ないところでも、いろんな厄介事を起こすのが常かと存じます(思わぬところで、別の神・偶像を崇拝してしまう等でございます。そうなりますと、勝手に姦淫にふけったり致しますと、内紛状態となり、追っ手からの逃避は困難となってしまうものかと推察されます)。
このために、最低限度としての神と人との契約が要求されたものと考えております。

> そのような律法の無効についての宣言とともに たとえばダヰ゛デのこの罪についても問われないのだと宣言する。
 つまりは 旧約の時代のいづれかのときにおいてすでに神は 律法は方便であり 時限立法でしかないのだよと明らかにしていてもよかった。
 
 平時のときには、必要性はあまりなかったものと考えられます。つまり、“時限立法”だったと察せられます。ですが、ただ、「わたしのほかに神があってはならない」は絶対的かと思っております。

> それが ウリヤの死をあがなって〔たぶん〕余りある世界史の転換であったろうし 子の死をもってつぐなうかたちを取ったことの意義であろうし ダヰ゛デもバテシバも赦されてあることになったという・そのような全体としての自然史過程であるのではないか。
 つまりあるいは イエスの登場が遅かった。遅れた。
 とすると その遅れは どういうわけか? にもなるかとも思います。

 いわゆる、救世主、メシア(משיח)は、「(油を)塗られた者」、つまり、ダビデの末裔から生まれる、とそう考えらていたように記憶しております。確証はないのですが、このダビデの件を含め、神から遣わされたものと考えております。なぜ、そこまで遅れたのかにつきましては、残念ながら愚生にはわかりません(全国に広まる、という条件、つまり、最大帝国であったローマ帝国の頃を待っていたのかもしれませんが、小例受のことは残念ながら・・・)。

> あるいはこれらすべての考えは 無効でしょうか?

 いえいえ。モーゼとの契約(カナン契約)がその後、どういう過程において、ひとに必要とされたのか、もしくは無用の長物であったのか?
 とても興味深い問題かと考えております。従いまして、かような考察は考慮に入れるべきかと、そう考えております。

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-08-01 23:39:37

お礼

 七転八倒から右往左往と言いましょうか あるいはむしろ逆にちょっぴり誇らしげに王道を歩いていると言ってもよいのでしょうか おかげさまで少し目の前が見えて来たように感じられます。

 ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。
 広く深い解説をいただきました。

 ★ ~~~~
  > あるいはこれらすべての考えは 無効でしょうか?

 いえいえ。モーゼとの契約(カナン契約)がその後、どういう過程において、ひとに必要とされたのか、もしくは無用の長物であったのか?
 とても興味深い問題かと考えております。従いまして、かような考察は考慮に入れるべきかと、そう考えております。
 ~~~~~~
 ☆ もしこのように視野を開くかたちに賛同いただけたのでしたら 話は――初っ端に述べましたように また わたくしにとっては―― 分かりやすくなって来ました。

 1. ことは 旧約の時代と新約以降の世界との違いにあるかと捉えます。

 2. 預言者ホセアの行動――自分を裏切った妻を取り戻し受け容れろという神の声にしたがった――については むしろ聖書記事がモーセの律法のもとにある社会の中での行動として描いているのに対して 現代のわれわれは――イエスの出現とその磔の死と復活のあとで―― どういう解釈を持ちみづからもどう行動するか。これについて考えました。(【Q:預言者ホセアの行動をどうとらえますか?】http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6827810.html

 3. ところが このバテシバ事件におけるダヰ゛デの行動とその取り扱いに関しては むしろ逆である。旧約聖書の記事のほうが その罪を神が取り除いてやるというかたちにおいて まったくのごとくキリスト・イエスの愛のもとにある。そのようにしるされており 現代人もその記事のとおりでそのまま納得するかと思われます。その意味での自然史過程にある。

 4. では ただし なんぢ姦淫するなかれというモーセの戒律を犯したその罪を 神はどういうわけで――当時の人びとつまり旧約の時代にあっては――ゆるしたのか?

 5. アブラハムの信仰〔という原点〕が その思惟や行為の内容(つまりまた形式)についてわざわざ人間の言葉によって表現され その文章が規範とされ法律(つまり律法)として持たれるようになった。もしこの信仰〔による生活動態〕のための養育係としての律法が正式に与えられているのであれば その条文の違反を どのように取り扱うのか。どう扱えば 明らかな違法行為をいともかんたんにゆるすことが出来るのか?

 6. これは ゆるしてはいけないと言うためではなく 人びと一般がどう納得するかたちを取ったのか? これを知るために問い求めるものです。通俗に言えば ダヰ゛デひとりをそうたやすく赦すのであれば 社会生活として見れば しめしがつかないではないか? という問いです。

 7. もしイエスのあとの時代という観点に立てば おそらく――にゅうとらるさんが ほかの場で提起しその考えを述べたところに従って No.5の補足欄にわたくしも応答した見方になるのですが―― ひどっちさんも初めから触れておられたように 《我れに還る》という反省もしくは 旧約聖書の言葉で《立ち帰り》の問題だと考えます。
 アブラハムに起きた信仰の原点へのつねなる《立ち帰り》 これが ダヰ゛デの身と心において 成った。ゆえに ゆるされた。(あるいは ゆるされた・つまりめぐみを与えられたゆえに 立ち帰ることが出来た)。

 8. ダヰ゛デあるいは人びと一般にとってそのひとりの人の内面における主観としての《立ち帰り》――あるいは パウロの目のうろこ事件のような《回心》(つまり 身と心とを みづからが改めるというよりは 身と心とが回転させられもとの道へと戻される)――は けっきょく他者には分かりません。基本的に なぜ回心できたのか なぜそれが《立ち帰り》であると分かるのか つまり要するになぜゆるされたのか これは ひとに説得することが出来ないことであるかに思われます。つまり キリスト・イエスの時代としての愛の世界であり そういう自然史過程なのだと考えます。

 9. ダヰ゛デの時代の人びとは このバテシバ事件の結末を では どう捉えどう納得したのか? ダヰ゛デもバテシバも信仰の原点に立ち帰ったと捉えたのか?――だとすれば それは イエスの愛の神のしわざである。モーセの律法の神はしりぞけられている。

 10. それでよいと質問者は考えますが ただし それならそれで ひとこと神は すでに旧約の時代においてあたらしい契約の世界にも入っているのだよと言って欲しかった。
 言っているようなんですが 果たしてどうなんでしょう?
 ▼(エゼキエル書33:11) ~~~~
  彼らに言いなさい。

   わたしは生きている、

  と主なる神は言われる。

   わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
   むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
   立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
   イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

 (そのほかの同趣の句は 回答No.5補足欄を参照)
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 律法という養育係あるいは 規範とされたからには何らかの目隠しのような覆いを 社会としては正式に掲げつつ 人びとそれぞれの主観としての内実において後世のキリスト・イエスの愛をじわじわとにじませつつ しめそうとしていたでしょうか?

   *


 以上は 次の見方およびそれについてのご見解をわたくしなりに 旧約と新約との異同という論点として 説明したものです。
 ★ ~~~~~
  > 自然史過程とは どういうことか?
  そのとき 中でも 大きな悪行を犯したりした場合 その場合においても これが大目に見られるということが起きます。それとして めぐみを享けるということかと考えられます。

 理不尽と思われることもあろうかと存じますが、現実的にかようなことはあることも事実かと思われます。

 ★ ~~~~~~~
 “モーセの十戒”が、律法として定められた経緯と致しましては、例えばアブラハムのように、ひとりの人間に対してならば、そんなことは不要だったと思われます。また、モーゼ一個人に対しましても、おそらく不要だったかと考えております。

 ですが、エジプトから、多数のものを移動・救済するには、ある程度の“規律”が求められたものと考えております。ときとして、ひとは群集心理に晒されますと、一対一の付き合い・話合いであるならば、問題ないところでも、いろんな厄介事を起こすのが常かと存じます(思わぬところで、別の神・偶像を崇拝してしまう等でございます。そうなりますと、勝手に姦淫にふけったり致しますと、内紛状態となり、追っ手からの逃避は困難となってしまうものかと推察されます)。

 このために、最低限度としての神と人との契約が要求されたものと考えております。

 ★ ~~~~~~~
  平時のときには、必要性はあまりなかったものと考えられます。つまり、“時限立法”だったと察せられます。ですが、ただ、「わたしのほかに神があってはならない」は絶対的かと思っております。
 ~~~~~~~~~

 ☆ 絶対者は 人間の意志や計らいや意識を超えて 絶対であるとつけ添えるのは 揚げ足取りですが。


 バテシバあるいはその子ソロモンに対する〔ようになる〕ダヰ゛デの態度が 自分の思わくはなくまったくにおいて神の声に従うものであるということでは 一致した見方だと受け取りました。

 次の点について ダヰ゛デが終始 夢遊状態であったという見方は 修正したほうがよいようですね。
 ★ ですが、その後、ダビデは罰を受けることになります。従いまして、“夢見る人という状態で神の声に従った”とは断定しにくいかと思われます。 
 ★ 少なくとも、今回のダビデによる“姦淫”には、間違いが認められたと考えられます(この背景には、幾人もの妾をつくり、挙句の果ては“近親相姦”にまで及び、ダビデ王家が不安定化していたのも原因かと考えております)。
 ☆ おのれの自由意志による行為という部分も見られると。


 ★ ~~~~~
 いわゆる、救世主、メシア(משיח)〔* マッシーアハと発音するようです〕は、「(油を)塗られた者」、つまり、ダビデの末裔から生まれる、とそう考えらていたように記憶しております。確証はないのですが、このダビデの件を含め、神から遣わされたものと考えております。
 なぜ、そこまで遅れたのかにつきましては、残念ながら愚生にはわかりません(全国に広まる、という条件、つまり、最大帝国であったローマ帝国の頃を待っていたのかもしれませんが、それ以上のことは残念ながら・・・)。
 ~~~~~~~
 ☆ 里程標のひとつとして 掲げました。


 まとめに向かうことができましょうか。

投稿日時 - 2011-08-02 11:47:15

 こんばんは、ご返答賜りまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。


> ★ 愚生にはとても難しい問題に察せられます。つきましては、新たな解釈等のご教示の程、よろしくお願い致します。

 ☆ いえいえ そういう意味ではありませんでした。《質問者にも いくらか光が差してくれたかも知れません》と言ったのは ちょっとした――ただし中身の破廉恥な――ヒラメキがまるっきり反故になるのでもないかなと思ったというそのこと〔のみ〕です。


 了解致しました。



> ★ 女性には”上書保存”が可能のようでございます(前の男は、自然と”delete"されてしまいます)。このため、その後の”愛ひとすじ”に生きられるのかもしれません。

 ☆ うっすらと そのように感じていましたが そうでしたか。ならば 双方における同時なる一目ぼれの仮説が とおるかも分かりません。


 これはあくまで、愚生の経験則と周囲の男(女)友達からの伝聞によるものでございます。女性批判とも捉えられるかもしれませんが、そのような意志は全くございませんでしたので、この旨ご了承いただければ、幸いでございます。因に男の場合は”別名で保存”とされております。


> そしていまは 正直に申して 次の事態の捉え方においてわたし自身は足踏みしています。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 
 つまり、神が予めそれを知りながら、いや、むしろそれを望んで、” バテシバを孕ませウリヤを戦場に死なせた”、としますならば、神が負うことになろうかと考えられます。
 また、その可能性は完全には否定できないのも事実でございます(後述しております *)。
 
 ですが、この事件はダビデに魔が差したものかと思われるのですが・・・
   
   * 6. 神はサウルを許していない
  
   21:01ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデは主に

   託宣を求めた。主は言われた。「ギブオン人を殺害し、血を
  
   流したサウルとその家に責任がある。」

 ~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ダヰ゛デの側から見れば 《魔が差した》で済むかとも思いますが ウリヤから見れば では《魔が差した》ことの犠牲になっただけという解釈でしょうか?



 はい。そのように考えてはおります(非常に冷酷かと思われるかもしれませんが)。ただ、神の意志も存在していたかもしれない、という懸念もございます。


> ウリヤは ちょうど高等法院の祭司長たちに魔が差したことの犠牲になったイエスを・・・想わせる・・・でしょうか?
 
 いま思い浮かんだ考えです。イエスは ダヰ゛デやソロモンの血筋からのヨセフの子ですし。



 これは、全く思いつきませんでした。ただ、ダビデは神の恩恵を実際に得られた者でした。実際その恵に預かることもできました。この点におきまして、イエスを裁いた”高等法院の祭司長たち”とは異なるものと考えております。少なくとも、神のご意志は双方では異なっていたものと考えております。ですが、将来のイスラエルの民を心配した神の願いというものは同じであったかもしれません。



> あぁ いえ もう分かりません。
 この辺で 保留しておいたほうがよいかも知れません。

 問題を複雑にしておりますのは、

・ダビデの不倫当時の夢遊状態(これは、概ね皆様方に受け入れられているかと思われます)、そして、
・ウリヤが犠牲となった際のバテシバの思い(目論み)、さらには、
・イスラエルの民を思った(もしくはサウルを許容易く許さなかった)神のご意志、

 の様々な問題を考慮しなくてはいけない、という点かと存じます。

> お礼欄の次の発言は またもや思わせぶりなかたちになってしまい申し訳ありません。

 ☆☆ ~~~

 あぁ いえ もう分かりません。

 この辺で 保留しておいたほうがよいかも知れません。

 ~~~~~~


 この点につきましては、愚生の説明不足の問題もございますため、また愚生自身も自信をもっての回答できたという訳ではございませんため、当方にも非があるかと思われます。つきましては、こちらこそ、深くお詫び申し上げます。


> ☆ 何か具体的に先が見えて その中身によってここらへんで中断しようといったのではありません。 いちど ともかく中断し時間をおいてみたほうがよいと 自分自身のこととして勝手に思い そう言ってしまいました。その点 すみません。

> それにまた わたくしが飛躍をしてしまいそうな予感がしたそのゆえに 中断したほうがよいのではと思ったのでした。

 
 また何か、興味深い点等ございましたら、ご提示いただければ、とそう思ってございます。実を申しますと、こんなに難しい問題とは思わず、そのままざっくりと回答してしまった愚生もうかつでございました。誠に申し訳ございませんでした。



> 要するに 時間をください。考えてみます。という意味でした。よろしくどうぞ。

 了解致しました。
 愚生と致しましては、ご質問者様が、「もうそろそろ」とお思いになるまで、お付き合い致したく思っております。
 また何か、ございましたら、ご提示下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。



 誠に申し訳ございません。以下の欄をお借りすることをお許しくださいませ。


 今まで、女性ご回答者様の方々にも多くのご意見が示され、また愚生も多くのことを考えさせられました。
 また何か気づいた点等ございましたら、(ご質問者様の問題に関する)何かしらのアドヴァイス、ヒントとなりうるものをご提示いただければと願っております。もちろん、「ひどっち君それは違うんじゃない?」といったものでもご遠慮は全く要りません。

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-31 00:35:17

補足

 お礼欄で 律法がいけないだのと またもやワケの分かりづらいことを言いましたので おぎないます。

 自然史過程とは どういうことか?
 人びとはそれなりにおのおの自由意志において生きています。ふつうに(善く)生きていれば それとして神のめぐみを享けて生活していましょうし ときに悪をおこなっているとすれば 暗く苦しくてもそれなりに自然史としてのごとく生活している。
 そのとき 中でも 大きな悪行を犯したりした場合 その場合においても これが大目に見られるということが起きます。それとして めぐみを享けるということかと考えられます。

 ですが 一般に信仰のもとにある人間の生活においては この自然史過程は 《成るように成る》という史観とは微妙に異なります。
 善とそれにさからう悪とは 一般にわきまえられていましょうし 悪行が赦されるというのも 何らかの神学あるいは哲学において説明が成されるものだと考えられます。これが 自然史過程であり そうではなく ケセラセラの史観によれば 善と悪とについては一応は区別するけれども けっきょくはどうでもよいと見なすのだと考えられます。違いがあります。

 でしたら もしダヰ゛デの悪行が大目に見られその罪が取り除かれるのだとすれば それは どういうわけであるのか? この説明が成されるのが ふつうではないかと思われるのです。
 その悪行の期間にあって 魔が憑いたように自分が自分でなくなっていたとしても そのあとで では何故そのような悪魔憑きに落ち入ったのかを説明するのが ふつうではないでしょうか? あるいは何故 かれは赦されたのでしょうか?


 かれは我れに還って反省しましたし 罪を赦すのは神のわざとして捉えますから人びとは その神の赦しのもとに赦すというかたちを取る。(もしくは 人が人とその悪行を赦したり赦さなかったりする能力も資格もないと見て その裁きは神にゆだねる)。
 のですが――まったくにおいてこうなのですが―― もしこうであれば すでにそのとき 例のモーセの十戒なりそもそも律法という生活規範なりの効果を神は なくしてしまうべきであった。はっきりそう宣言しているべきであった。
 そのような律法の無効についての宣言とともに たとえばダヰ゛デのこの罪についても問われないのだと宣言する。
 つまりは 旧約の時代のいづれかのときにおいてすでに神は 律法は方便であり 時限立法でしかないのだよと明らかにしていてもよかった。
 
 それが ウリヤの死をあがなって〔たぶん〕余りある世界史の転換であったろうし 子の死をもってつぐなうかたちを取ったことの意義であろうし ダヰ゛デもバテシバも赦されてあることになったという・そのような全体としての自然史過程であるのではないか。

 つまりあるいは イエスの登場が遅かった。遅れた。
 とすると その遅れは どういうわけか? にもなるかとも思います。

 あるいはこれらすべての考えは 無効でしょうか?

投稿日時 - 2011-07-31 13:43:43

お礼

 ひどっちさん ご回答・ご説明をありがとうございます。

 いまわたしにとって問題になっていることは ダヰ゛デにとってひとつの時期として魔が差しあたかも夢の中で行動していたという期間があったということが そのあとになってどう処理されたかです。
 処理としては けっきょくちょうど自然史過程としてのように ウリヤという人間およびダヰ゛デとバテシバとの間に生まれた子というふたりが死ぬというかたちで推移しましたので それを受け容れるしかないようなのですが だとすればあとは この《魔の期間》をどうとらえておくかになると思います。

 1. 魔が差した期間は 魔が差した期間として捉えるしかない。とする捉え方。
 ちなみに自然史過程というのは この場合――神がその責任を負うということともつながっていると思うのですが―― 早い話としては ものごとは言ったモン勝ちであり そう行動を起こしたモン勝ちだという意味になると考えます。
 
 1-1. たぶんこの解釈は 旧約の時代において しかもアブラハムの信仰のもとによりは モーセの律法のもとに生きるというかたち(現象)が起きていたこととかかわるように思います。そういう制約があったというようにです。

 2. もしウリヤも生まれた子も いまの自然史過程にゆだねたとすれば あとは バテシバあるいはかのじょとのあいだの第二子ソロモンの存在が どう捉えられるかにあると考えられます。

 2-1. その《魔の期間》についてみれば ダヰ゛デにとって このソロモンのことなどは むろん考えてもいなかった。けれども 例のナタンに臨んだ神の言葉には ダヰ゛デ家の将来ということが イスラエルのそれとつながって 大きな主題となっていたはずです。

 ▼(サムエル記下7:4-16) ~~~~~
 8: わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。
 ・・・
 11:わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。
 12:あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
 13:この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
 ~~~~~~~~~~~~

 2-2. このお告げは むろんバテシバ事件より前に起きています。このお告げをナタンから聞いたダヰ゛デは 次のように祈ったと言います。

 ▼(サムエル記下7:18-29) ~~~
 18:「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
 19:主なる神よ、御目には、それもまた小さな事にすぎません。また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。
 ・・・
 25:主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。
 ・・・
 ~~~~~~~~~

 3. けれども たしかにおっしゃるようにダヰ゛デは つねに神の声にしたがうかたちで行動しているとも思われます。
 つまりは たとえばこのバテシバとの第二子が ダヰ゛デ家の将来を継ぐ者であるかどうかについての思わくを たとえ持ったとしても 自分の思わくなどとしては どうでもよいと十分に考えていたろうと思われます。

 4. 言いかえると そうしますと こう考えられても来ますが どうでしょう?
 すなわち モーセの十戒をもものともせず 神の声に就いたのだと。
 いまは 夢の中の無思慮の行動として捉えていますが そのダヰ゛デの行動も たとえば《むさぼるなかれ。隣人の妻・・・を欲してはならない》といった戒律もものかは 夢見る人という状態で神の声に〔のみ〕従った。とも解されて来ましょうか?

 5. アブラハムの信仰が優先した。信仰が律法に先行する。
 でも ダヰ゛デの行動はまちがっていた。

 ▼(サムエル記下11:27) ~~~
 〔* バテシバとの第一子の〕喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。

 ▼(サムエル記下 12:13-14) ~~~
 ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」

 ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」
 ~~~~~~~~
 ☆ 記事と事実経過とは前後しているかも知れません。

 6. そうしますと――この推理の流れに従いますと―― けっきょくのところは 神がモーセらにこの律法を与えたことがわるい。こうなりませんか?
 アブラハムの信仰にのっとって律法を受けとめれば 上からの・あるいは必ずしも明確に心に受けとめられていなければ外からの命令としてなどとは 思わなかったということでしょうが いまもユダヤ人にとっては生活のことごとくを律するかたちの規則となってしまっています。その責任は 人間にもありましょうが 神のほうにもあると見られませんか?
 でも エジプトにおける奴隷としての生活状態からは抜け出させなくてはならなかったでしょうか? そのためには 戒律も必要となったのでしょうか。

   *

 ☆ 以上は
 ★ ~~~~
 問題を複雑にしておりますのは、

 ・ダビデの不倫当時の夢遊状態(これは、概ね皆様方に受け入れられているかと思われます)、そして、
 ・ウリヤが犠牲となった際のバテシバの思い(目論み)、さらには、
 ・イスラエルの民を思った(もしくはサウルを許容易く許さなかった)神のご意志、

 の様々な問題を考慮しなくてはいけない、という点かと存じます。
 ~~~~~~~~
 ☆ の三つ目の問題について 少し別の角度から問い求めようとしたものです。ひとつの結論も 思わぬ方向に行ってしまいました。直さずこのままをご報告します。

投稿日時 - 2011-07-31 09:24:42

 こんばんは、ご返答賜りまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。

> ○ ダヰ゛デはその長い生涯において 王に就いてからの或る日の午後 昼寝から覚めたと思ったら あとは 水浴びする女を見た覚えはあるが それからというもの 或る日 預言者ナタンによる叱責を耳にしてようやくほんとうに目を覚ますまで その一定の期間は 夢の中にあった。何が起きたか 分からないほど 偶発的なことであった。
☆ このひどっちさんのご見解は ひじょうに魅力的です。まづは そう考えます。


 誠に、光栄に存じます。


> まづやはり いちばんひっかかることは たとえ夢の中においてであったとしても ダヰ゛デはきちんと情況を受けとめ事を進めていると思われることです。確認しますが
(1) バテシバが子を宿したと分かったとき 夫のウリヤを戦線から呼び戻し 夫婦で床をともにさせようとしています。生まれて来る子は 自分たち夫婦の子であると思わせるよう その偽装のために。


 仰られますように、用意周到な策略を用いております。ダビデは自己の失態を隠そうとすべく、ウリヤに対して、妻バテシバと関係を持たせ、子供がウリヤ自身のものだと考えることを期待し、ウリヤを家に返そうともしています。
 ですが、夢の中とは、バテシバに夢中であったこと、さらに申しますと、自分はイスラエルの王である。(我を裁くものなどいない)絶対的存在である、とも思っていたのではないでしょうか?
 しかしその後、ナタンに諭され、反省し我に返るのですが・・・


> 片や すべて偶発的な事件に始まってあとはその――長い日にちを費やしたとしても―― まったくのこととして一睡の夢であったと見たとします。ところが片や その夢の中で 自分の子が生まれるという事実と人ひとりを死なせるという事実とが起きている。
 つまりは このように夢の中で振る舞ったことの中身について どう受けとめるのか? という課題が残っているのではないか?


 おそらく、絶対的存在に近い存在であるとの傲慢心があったものかと想像しております。



> メシア=キリストあるいはつまり神の独り子であり神である そういう存在では自分はないのだぞとダヰ゛デが 明らかにするためにという意図が〔夢の中における行動として〕はたらいたとしたなら そのために《一人の女を孕ませ その夫を戦死させなければならなかった》という・自分の心つもりにはまったくない事態が 伴なわれています。

 傲慢にも破廉恥にも そういう副作用がともなわれなければならなかった。

 その傲慢と破廉恥は もしダヰ゛デの罪が取り除かれたとしたら けっきょく神が負うことになり
 とどのつまりは 神が・神こそが バテシバを孕ませウリヤを戦場に死なせた。ということになりましょうか? どうでしょうか?

 

 つまり、神が予めそれを知りながら、いや、むしろそれを望んで、” バテシバを孕ませウリヤを戦場に死なせた”、としますならば、神が負うことになろうかと考えられます。
 また、その可能性は完全には否定できないのも事実でございます(後述しております)。
 ですが、この事件はダビデに魔が差したものかと思われるのですが・・・

> ちなみに りとるきすさんのご見解は――質問者が勝手に推し測るのですが―― ひとつに《一目ぼれ》という見方を ひどっち説と共有し もうひとつにこれを むしろ女の側から見ている。
 
「いまの《一目ぼれ》を 女が・つまり ダヰ゛デがどうかはいま別として 人妻であるバテシバのほうが体験してしまったのだという見方です。」
 
「そうして 長明の見解によれば 愛にしても決して仏道のさまたげになるのではなく ひとえに心をそそぎその愛という《ひとすぢにたのむ》ならば 往生すると言うのだそうです。」
 
バテシバは 夫ウリヤを裏切ることになるが その裏切りよりもさらにとうとい・言わば務めとしてのように 王ダヰ゛デに一目ぼれをして あとはその愛ひとすぢにたのみ ひとすぢに生きようとしたのだと。
 夫ウリヤの戦死よりもとうとい務めがあるなどと どの面の皮を下げて 堂々と言えるのでしょうか?
  

 まず、鴨長明のご説明を賜りまして、厚くお礼申し上げます。
 今度はバテシバが、ダビデに対してどのような情を抱いていたかと考えますと、愚生にはわかりません。ただ、ダビデは美青年であったといわれていますので、まんざらでもなかったのかもしれません。残念ながら愚生にはわかりませんが、女性には”上書保存”が可能のようでございます(前の男は、自然と”delete"されてしまいます)。このため、その後の”愛ひとすじ”に生きられるのかもしれません。

 また、”夫ウリヤの戦死よりもとうとい務め”というものがあるとしますと、以下のことが考えられます。

1. 神はひとに対しては主[あるじ]であり、無条件なる絶対者である。

2. ダビデ家が不安定になっていたこと。(当時の)王家の動乱は国民にも不足の事態をもたらすため、神はこれを回避したかった。
3. サウルとの娘との子供には王位を継がせたくはないという神のご意志。

 1につきましては、省略させていただきます。2につきましては、以下に記載しておりますように、ダビデ家の内情は不安定そのものでございました。その動乱の中、罪のない人も殺害されたものと推察されます。神にとりましても、これを防ぐのが目的であったのかもしれません(ダビデがもっとしっかりしていれば問題はなかったのかもしれませんが)。
 また、3につきましては、以下の”6. 神はサウルを許していない”をご参照くださいませ。

1. ダビデの子供達による強姦(近親相姦)
13:11-13:14
彼に食べさせようと近づくと、アムノン[ダビデの息子]はタマル[アムノンとは異母兄弟]を捕らえて言った。「妹よ、おいで。わたしと寝てくれ。」タマルは言った。「いけません、兄上。わたしを辱めないでください。イスラエルでは許されないことです。愚かなことをなさらないでください。わたしは、このような恥をどこへもって行けましょう。あなたも、イスラエルでは愚か者の一人になってしまいます。どうぞまず王にお話しください。王はあなたにわたしを与えるのを拒まれないでしょう。」アムノンは彼女の言うことを聞こうとせず、力ずくで辱め、彼女と床を共にした。

2. 強姦された妹[タマル]の兄[アブサロム]による復讐
13:28
アブサロム[タマルの実兄]は自分の従者たちに命じて言った。「いいか。アムノンが酒に酔って上機嫌になったとき、わたしがアムノンを討てと命じたら、アムノンを殺せ。恐れるな。これはわたしが命令するのだ。勇気を持て。勇敢な者となれ。」

3. 復讐をした息子[アブサロム]をダビデが許す
14:33
ヨアブは王のもとに行って報告した。王はアブサロムを呼び寄せ、アブサロムは王の前に出て、ひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした。

4. しかし、その許された息子[アブサロム]が勝手に王位に就こうとする
15:06-15:14
アブサロムは、王に裁定を求めてやって来るイスラエル人すべてにこのようにふるまい、イスラエルの人々の心を盗み取った。<中略>イスラエル人の心はアブサロムに移っているという知らせが、ダビデに届いた。ダビデは、自分と共にエルサレムにいる家臣全員に言った。「直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない。我々が急がなければ、アブサロムがすぐに我々に追いつき、危害を与え、この都を剣にかけるだろう。」

謀反を企てた息子[アブサロム]がダビデの部下に殺害される
18:14「それなら、お前に期待はしない」とヨアブは言った。アブサロムは樫の木にひっかかったまま、まだ生きていた。ヨアブは棒を三本手に取り、アブサロムの心臓に突き刺した。 18:15ヨアブの武器を持つ従卒十人が取り囲んでアブサロムを打ち、とどめを刺した。

6. 神はサウルを許していない
21:01ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデは主に託宣を求めた。主は言われた。「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある。」

7. 息子[アドニヤ]が勝手に王位に就こうとする
列王記 01:05-01:07
ハギトの子アドニヤ[ダビデの最年長の息子]は思い上がって、「わたしが王になる」と言い、戦車と馬と五十人の護衛兵をそろえた。彼は父から、「なぜこのようなことをしたのか」ととがめられたことが、一度もなかった。彼の体格もまた堂々としており、アブサロムの次に生まれた子であった。アドニヤはツェルヤの子ヨアブと祭司アビアタルに話をもちかけ、この二人の支持を得た。

8. 神に愛されたソロモンが、バテシバの願いもあり、王位継承者となる
列王記 01:28-01:31


> けれども 王ダヰ゛デの罪を”神が取り除いたとするのなら” いったいことの全体をわたしたちは どう見ればよいでしょう? 


 上述しておりますが、全体を見渡すことが可能な神におかれましては、最悪の事態は避けたかった、と考えられます。



> 一日経って 質問者にも いくらか光が差してくれたかも知れません。まだ分かりませんが 赤裸々に―― frisk に blue にて――途中経過の考えを明らかにいたします。

 愚生にはとても難しい問題に察せられます。つきましては、新たな解釈等のご教示の程、よろしくお願い致します。

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました

投稿日時 - 2011-07-30 22:03:01

補足

 お礼欄の次の発言は またもや思わせぶりなかたちになってしまい申し訳ありません。
 ☆☆ ~~~
 あぁ いえ もう分かりません。
 この辺で 保留しておいたほうがよいかも知れません。
 ~~~~~~

 ☆ 何か具体的に先が見えて その中身によってここらへんで中断しようといったのではありません。 いちど ともかく中断し時間をおいてみたほうがよいと 自分自身のこととして勝手に思い そう言ってしまいました。その点 すみません。

 それにまた わたくしが飛躍をしてしまいそうな予感がしたそのゆえに 中断したほうがよいのではと思ったのでした。
 衝動的に行動してしまい この点も すみません。

 要するに 時間をください。考えてみます。という意味でした。よろしくどうぞ。

投稿日時 - 2011-07-30 23:24:10

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 愚生にはとても難しい問題に察せられます。つきましては、新たな解釈等のご教示の程、よろしくお願い致します。
 ☆ いえいえ そういう意味ではありませんでした。《質問者にも いくらか光が差してくれたかも知れません》と言ったのは ちょっとした――ただし中身の破廉恥な――ヒラメキがまるっきり反故になるのでもないかなと思ったというそのこと〔のみ〕です。

 あとは バテシバについて
 ☆☆  夫ウリヤの戦死よりもとうとい務めがあるなどと どの面の皮を下げて 堂々と言えるのでしょうか?
  
 ☆ と書いているそのことが――批判しなければならないことであるゆえに 批判する口調で述べているにもかかわらず―― いわば自然史過程としては 現実となった。わけでした。
 つまりはそのように人間とその社会にとっての現実というものは 推移することがあるのかなぁという思いです。
 この思いまでです。《いくらか光が差してくれたかも知れない》という表現をした事由はです。

 このバテシバのほうが ダヰ゛デに一目ぼれしたという場合の想定は ひどっち説におけるダヰ゛デによる一目ぼれの場合とを重ねたかたちにおいても成り立つと思われますので 話として捉えておく余地があると思います。
 ★ 女性には”上書保存”が可能のようでございます(前の男は、自然と”delete"されてしまいます)。このため、その後の”愛ひとすじ”に生きられるのかもしれません。
 ☆ うっすらと そのように感じていましたが そうでしたか。ならば 双方における同時なる一目ぼれの仮説が とおるかも分かりません。


 そしていまは 正直に申して 次の事態の捉え方においてわたし自身は足踏みしています。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 つまり、神が予めそれを知りながら、いや、むしろそれを望んで、” バテシバを孕ませウリヤを戦場に死なせた”、としますならば、神が負うことになろうかと考えられます。
 また、その可能性は完全には否定できないのも事実でございます(後述しております *)。
 ですが、この事件はダビデに魔が差したものかと思われるのですが・・・

   * 6. 神はサウルを許していない
    21:01ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデは主に
     託宣を求めた。主は言われた。「ギブオン人を殺害し、血を
     流したサウルとその家に責任がある。」

 ~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ダヰ゛デの側から見れば 《魔が差した》で済むかとも思いますが ウリヤから見れば では《魔が差した》ことの犠牲になっただけという解釈でしょうか?








 ウリヤは ちょうど高等法院の祭司長たちに魔が差したことの犠牲になったイエスを・・・想わせる・・・でしょうか?
 いま思い浮かんだ考えです。イエスは ダヰ゛デやソロモンの血筋からのヨセフの子ですし。





 あぁ いえ もう分かりません。
 この辺で 保留しておいたほうがよいかも知れません。


 どうなんでしょう。

投稿日時 - 2011-07-30 23:01:27

 こんばんは、ご返答いただきましてどうもありがとうございました。ひどっち でございます。

> ☆ ということは 次のように罪に気づき そのあとナタンの言葉をとおして罪に問われなくなることが分かって このアヤマチとそれに気づかなかったマチガイの一件は 基本的に落着したということでしょうか?

 はい。そのように考えております。その後のダビデの辞世の言葉を鑑みましても、そう思われます。

IIサムエル23:1-23:5
以下はダビデの最後の言葉である。エッサイの子ダビデの語ったこと。高く上げられた者ヤコブの神に油注がれた者の語ったこと。イスラエルの麗しい歌。主の霊はわたしのうちに語り主の言葉はわたしの舌の上にある。イスラエルの神は語りイスラエルの岩はわたしに告げられる。神に従って人を治める者 神を畏れて治める者は太陽の輝き出る朝の光雲もない朝の光雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光。神と共にあってわたしの家は確かに立つ。神は永遠の契約をわたしに賜るすべてに整い、守られるべき契約を。わたしの救い、わたしの喜びをすべて神は芽生えさせてくださる。

> ★ 〔* もし神の一撃であったなら〕これは、難しい問題かと思われます。周りからも英雄として認められ、国王になりました。ですが、”第二のアダムではない“、ということを示したかったのか・・・
 ☆ ここでは にゅうとらるさんが賛同された《神のようにならないため》という意図が どこかでははたらいたかも知れないといったところでしょうか。

 はい、仰るとおりでございます。“メシアではない”、さらには“メシアにはなら(れ)ない”と推察しております。

> 1.ダヰ゛デが人妻バテシバと出会ったのは ただの偶然である。と言うには そのバテシバとのあいだの次子ソロモンが 王位を継ぐことになるといった事後的な見方をつけ加えるならば まだ早いかも知れない。

 ダビデには、自分の後継者がソロモンになろうことは、バテシバと出会ったときにはまだ、分からなかったものと思われます。
 もしかしますと、サウルの娘との子どもには後を継がせたくはなかったという神の意志があったかもしれませんが・・・

> 2.バテシバの夫ウリヤが 犠牲になるそのことの意味が分からない。――それとも (1)をも含めてすべては 基本的に偶然のなせるわざだったのでしょうか?

 はい、おそらく、ウリヤの死は偶発的なものであったと考えております。神には別のご意志があったのかもしれませんが・・・

> すなわち――これも にゅうとらるさんによる指摘ですが―― 次のようにまとめられるように このバテシバの一件は 一定の期間つづき人を巻き込み犠牲にまでならせたが すべては偶然であり気まぐれのなせるわざであったという見方に傾いたほうが よいでしょうか。
 ▼ (列王記上15:5) ダビデが主の目にかなう正しいことを行い、ヘト人ウリヤの一件のほかは、生涯を通じて主のお命じになったすべてのことに背くことがなかったからである。

 神のご意志はわからない、という前提で話をすすめさせていただきますと、これらの一件は、偶然の産物であったと考えるのが妥当かと思われます。

 最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-29 21:03:37

お礼

 ○ ダヰ゛デはその長い生涯において 王に就いてからの或る日の午後 昼寝から覚めたと思ったら あとは 水浴びする女を見た覚えはあるが それからというもの 或る日 預言者ナタンによる叱責を耳にしてようやくほんとうに目を覚ますまで その一定の期間は 夢の中にあった。何が起きたか 分からないほど 偶発的なことであった。

 ☆ このひどっちさんのご見解は ひじょうに魅力的です。まづは そう考えます。

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 冒頭のような言い方で話しを始めるということは あとでどんでん返しを用意しているという含みがあるのがつねですが この場合も違いありません。

 どういうことか?

 まづやはり いちばんひっかかることは たとえ夢の中においてであったとしても ダヰ゛デはきちんと情況を受けとめ事を進めていると思われることです。確認しますが
 (1) バテシバが子を宿したと分かったとき 夫のウリヤを戦線から呼び戻し 夫婦で床をともにさせようとしています。生まれて来る子は 自分たち夫婦の子であると思わせるよう その偽装のために。

 ▼ (サムエル記下11:4-8) ~~~~
 4: ・・・女(バテシバ)は家に帰ったが、
 5: 子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。
 6: ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。
 ・・・
 8: それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」
 ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。
 ~~~~~~~

 ☆ あとは
 (2) ウリヤが王宮の入口で家臣とともに眠りに就いたため バテシバに会う機会がなかったのを知って ダヰ゛デは ウリヤをいちばん困難な戦線に就かせるよう指揮官のヨアブに命令している。案の定 ウリヤは戦死した。

 すなわち こうです。つまり これらすべてが 美女を見て一目ぼれしたという偶発的な事件から始まって あとはすべて夢遊病者のごとくに振る舞ったのであって ナタンの叱責を聞いたところでやっと我れに還ったのであると見たとしても そう見たとしても (あ)女が子を宿したことと (い)その夫を自分の命令によって戦死させてしまったこととは 事実として残ります。とうぜんのごとく ダヰ゛デは 引き受けます。我れに還ったかれなら 引き受けます。

 ということは どういうことになるのか?
 片や すべて偶発的な事件に始まってあとはその――長い日にちを費やしたとしても―― まったくのこととして一睡の夢であったと見たとします。ところが片や その夢の中で 自分の子が生まれるという事実と人ひとりを死なせるという事実とが起きている。
 つまりは このように夢の中で振る舞ったことの中身について どう受けとめるのか? という課題が残っているのではないか?

 ナタンの口にした言葉によれば その罪は取り除かれるとのこと。つまりそうだとしても 罪に問われないことと その罪にかかわる事態が その後も事実としてなお現在していることとは 別のことだと思われるからです。夢から覚めたダヰ゛デは どうこれを引き受けるか?





 じつは ダヰ゛デがどう考えどうするかとは微妙に違って 現代のわれわれがどう捉えるかという主題から行くと たとえば次のような見方が出されると思われます。 
 ★ ~~~~~
  ☆ ここでは にゅうとらるさんが賛同された《神のようにならないため》という意図が どこかでははたらいたかも知れないといったところでしょうか。

 はい、仰るとおりでございます。“メシアではない”、さらには“メシアにはなら(れ)ない”と推察しております。
 ~~~~~~~
 ☆ 《メシア》は もともと王であれば油をそそがれるわけですから メシアの一人になるのですが ここでは キリストと翻訳されて復活を得たイエス――つまり《第二のアダム》――ではないということ。

 だとしたら――だとしたら です―― つまりこの《はじめにことばがあった》というときの《ことば》とも呼ばれたメシア=キリストあるいはつまり神の独り子であり神である そういう存在では自分はないのだぞとダヰ゛デが 明らかにするためにという意図が〔夢の中における行動として〕はたらいたとしたなら そのために《一人の女を孕ませ その夫を戦死させなければならなかった》という・自分の心つもりにはまったくない事態が 伴なわれています。
 傲慢にも破廉恥にも そういう副作用がともなわれなければならなかった。

 その傲慢と破廉恥は もしダヰ゛デの罪が取り除かれたとしたら けっきょく神が負うことになり とどのつまりは 神が・神こそが バテシバを孕ませウリヤを戦場に死なせた。ということになりましょうか? どうでしょうか?



 ちなみに りとるきすさんのご見解は――質問者が勝手に推し測るのですが―― ひとつに《一目ぼれ》という見方を ひどっち説と共有し もうひとつにこれを むしろ女の側から見ている。
 『発心集』というのは鴨長明の手になるものだそうですが その当時の通念として《女は成仏するか》という問いがあって これに然り 女も往生するのだと答えていると言われます。この女人成仏いかんについては もう現代では問わなくてよいと考えますが そうすると問題は いまの《一目ぼれ》を 女が・つまり ダヰ゛デがどうかはいま別として 人妻であるバテシバのほうが体験してしまったのだという見方です。(質問者の勝手な推測です。りとるきすさん自身は どうであるか 分かりません)。

 そうして 長明の見解によれば 愛――この場合 男女両性のあいだの愛――にしても決して仏道のさまたげになるのではなく ひとえに心をそそぎその愛という《ひとすぢにたのむ》ならば 往生すると言うのだそうです。それは 衆生一般の思いを ブディズムの教義が実際にはどうであれ ブディズムのおしえとして織り込んでいるのであろうと。

 という見方に立つとするなら どういうことが言えるか?
 バテシバは 夫ウリヤを裏切ることになるが その裏切りよりもさらにとうとい・言わば務めとしてのように 王ダヰ゛デに一目ぼれをして あとはその愛ひとすぢにたのみ ひとすぢに生きようとしたのだと。
 夫ウリヤの戦死よりもとうとい務めがあるなどと どの面の皮を下げて 堂々と言えるのでしょうか?
 ここでも 傲慢そして破廉恥が横行しています。
 
 けれども 王ダヰ゛デの罪を神が取り除いたとするのなら いったいことの全体をわたしたちは どう見ればよいでしょう? 



 一日経って 質問者にも いくらか光が差してくれたかも知れません。まだ分かりませんが 赤裸々に―― frisk に blue にて――途中経過の考えを明らかにいたします。

投稿日時 - 2011-07-29 22:41:18

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち、でございます。

> ○ ウリヤの妻バテシバに一目ぼれ――クー・ドゥ・フードル〔 coup de foudre :語義は 神鳴りの一撃・稲妻の閃き → 不意打ち・青天の霹靂・一目ぼれ // ちなみに クーデタ( coup d'Etat :国家の一撃)〕―― そのとき我れを忘れた。
 ☆ こういうご回答でしょうか?

 はい、そうでございます。

> 難を言えば その一撃に打たれたあと ウリヤを戦争の最前線に送りやるといった謀りごとをしていますね。つまり 時間をかけているのですよね。

 はい、そのように考えられます。ですが、自分の過ちには気付いていなかったように見受けられます。 

サムエル記II 12:01-12:06
主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて彼の皿から食べ、彼の椀から飲み彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った。」
“ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」”

> では なぜこの《我れを忘れる》というマ(間)の違いが 人ひとりを死なせる結果をも伴なって起こったのか? こういう問いをともなっているかと思えます。
 仮りに神の一撃が このようにふとダヰ゛デに落とされたとするなら なぜこういう中身の出来事であったか? こういう副次的な問いです。

 これは、難しい問題かと思われます。周りからも英雄として認められ、国王になりました。ですが、”第二のアダムではない“、ということを示したかったのか・・・

> ○ 人びとは わたしダヰ゛デが これほど神のおぼえがめでたくてあって 人びとはわたしをうやまい あがめたてまつるほどである。そうではないということを 知らせねばならない。おお そうだ。ちょうど いい。ウリヤの妻バテシバに懸想しよう。マチガイを犯す人間であることを実地に示そう。・・・
 ☆ という筋書きです。
 ○ もし それでも 人びとによるうやまい過ぎがおさまらないとすれば なおその懸想の筋書きは 夫ウリヤの排除にまで及んだ。

 その後、ダビデが深く反省しているのを鑑みますと、ダビデ自身には別段思惑のようなものはなかったと思われます。

サムエル記II 12:15-12:17
ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。

> ☆☆ 仮りに神の一撃が このようにふとダヰ゛デに落とされたとするなら なぜこういう中身の出来事であったか? こういう副次的な問いです。
これすらすんなりと解けたらといった蜀を望むすけべごころがあります。

 この頃のダビデは、戦争の最中にも関わらず、午睡から起きて王宮の屋上を散歩している有様でした。
11:02
ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。

 一方、ウリヤは信仰心を保ち、また主人想いでもありました。
11:10-11
ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか。」ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。わたしには、そのようなことはできません。」

 おそらく、この対比(信仰心を忘れかけていた者と、常に持合わせていた者)を示したかったのも知れません。

> いづれにしても その後もダヰ゛デは 神によって使われるというつとめがあったようです。めぐまれていたと思います。

 はい、非常に恵みを与えられていたかと思われます。モーゼが目的のカナン地に行くことが許されなかったのを考えますと(民数記20:12)、確かに、仰る通りかと存じます。


 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2011-07-28 22:47:10

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ですが、〔* ダヰ゛デは〕自分の過ちには気付いていなかったように見受けられます。 
 ★ その後、ダビデが深く反省しているのを鑑みますと、ダビデ自身には別段思惑のようなものはなかったと思われます。
 ☆ ということは 次のように罪に気づき そのあとナタンの言葉をとおして罪に問われなくなることが分かって このアヤマチとそれに気づかなかったマチガイの一件は 基本的に落着したということでしょうか?

 ▼(サムエル記下12:13-15) ~~~~
 13: ダビデはナタンに言った。
  「わたしは主に罪を犯した。」
 ナタンはダビデに言った。
  「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。
 14:しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、
   生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」

 15:ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。
 ~~~~~~~~~~~~~


 ☆ あとは 次のようなことがらが添えられ得るというところでしょうか。
 ★ おそらく、この〔* ダヰ゛デとウリヤというふたりの〕対比(信仰心を忘れかけていた者と、常に持合わせていた者)を示したかったのも知れません。
 ☆ この場合は では どうしてそのウリヤなる人物が犠牲にならなければならなかったかという問いが 出て来るかと思われます。

 ★ 〔* もし神の一撃であったなら〕これは、難しい問題かと思われます。周りからも英雄として認められ、国王になりました。ですが、”第二のアダムではない“、ということを示したかったのか・・・
 ☆ ここでは にゅうとらるさんが賛同された《神のようにならないため》という意図が どこかでははたらいたかも知れないといったところでしょうか。



 いやぁ 分からなくなりました。お考えのそれぞれの要素としては すでにそのまま――つまり《一目ぼれ》などとしてということですが―― 受け容れていると思うのですが それをさらに腑に落ちさせるというところまでは行きません。正直なところです。
 というよりも この問いじたいが あまり何かの人間真実などの問い求めにふさわしいものではなかったかも知れません。No.1の方に言われたことが おそらくそのご見解とは別様にだと思うのですが 当たっていたかも分かりません。問い自体も 問いの立て方も その目指すことが全体の中にどう位置づけるものなのかが分かっていなかったというようにです。


 もし未練のような ただし考えるべき要素があると思われるかたちでの懸案があるとすれば それは 次のふたつあたりでしょうか。
 1. ダヰ゛デが人妻バテシバと出会ったのは ただの偶然である。と言うには そのバテシバとのあいだの次子ソロモンが 王位を継ぐことになるといった事後的な見方をつけ加えるならば まだ早いかも知れない。

 2. バテシバの夫ウリヤが 犠牲になるそのことの意味が分からない。――それとも (1)をも含めてすべては 基本的に偶然のなせるわざだったのでしょうか?

 すなわち――これも にゅうとらるさんによる指摘ですが―― 次のようにまとめられるように このバテシバの一件は 一定の期間つづき人を巻き込み犠牲にまでならせたが すべては偶然であり気まぐれのなせるわざであったという見方に傾いたほうが よいでしょうか。
 ▼ (列王記上15:5) ダビデが主の目にかなう正しいことを行い、ヘト人ウリヤの一件のほかは、生涯を通じて主のお命じになったすべてのことに背くことがなかったからである。

 

投稿日時 - 2011-07-29 00:23:11

ANo.5

あ、宙ぶらりんです、追記です。

ひどっちさんへのお礼欄に書かれているように、
「神のようにならないため」かもしれません。

ウリヤは
「神は生きておられ・・・」ではなく、
「あなたは生きておられ、あなたの魂は生きています。」
と言っています。(サムエル第二 11:11)

投稿日時 - 2011-07-28 17:02:57

補足

 にゅうとらるさん こんにちは。

 ひどっちさんの回答No.9への補足欄を書いたあと この欄にしたためます。
 つまり例の《立ち帰り》なる主題をめぐってです。
 ★★ ~~~~~
 今日はダビデがどうのとあれこれ考えつつ、
 何となく思い浮かんだのは結局この辺でした。
 ◇ エゼキエル書 18:23
 ◇ エゼキエル書 33:11
 ◇ イザヤ書 55:7
 ◇ 哀歌 3:33
 ◇ ルカ書 15:7

 立ち返り・悔い改め・悪は存在・・・・・の辺り。

 ダビデはナタンの声を聞いてすぐに立ち返り、
 バテシバを慰め、死にそうな子どものために断食をし、
 悔い改めた様子が伝わりますから。
 ~~~~~


 どうもおっしゃるように この主題――つまりふつうは《反省する》とかブディズム風には《懺悔する》とか言いますが ここでは《我れに還る》という意味を含む《立ち帰り》です――に帰着するかと思われて来ました。

 ◇ エゼキエル書 18:23 ~~~~~

 21:悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。

 22:彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。

 23:わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。

 ◇ エゼキエル書 33:11 ~~~~~

 8:わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。

 9:しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。

 10:人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』と。

 11:彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

 ◇ イザヤ書 55:7 ~~~~~

 6:主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。

 7:神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。

 ◇ 哀歌 3:33 ~~~~~

 30:打つ者に頬を向けよ/十分に懲らしめを味わえ。

 31:主は、決して/あなたをいつまでも捨て置かれはしない。

 32:主の慈しみは深く/懲らしめても、また憐れんでくださる。

 33:人の子らを苦しめ悩ますことがあっても/それが御心なのではない。

 ◇ ルカ書 15:7 ~~~~~

 3:そこで、イエスは次のたとえを話された。

 4:「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。

 5:そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、

 6:家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。

 7:言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
 ~~~~~~~~~~~

 ☆ No.9の補足欄では ひどっちさんの説に噛みついていますが どうも中身の問題は この《立ち帰り》にあったかと そのあと ふと思ったのでした。
 《神はなんで律法などをモーセに与えたのか? / 早くに律法はその規範性への依存というかたちに落ち入れば無効であると宣言して欲しかった。 / あるいは要するにもっと早くイエスに来て欲しかった》と噛みついていますが どうも問題は《立ち帰り》のほうにあるのかも知れないと。
 エゼキエル18:21-22では まだ規範の履行としての律法が引き合いに出されていますが 18:23では その規範性を超えているかにも採れます。そんな感じで ダヰ゛デについても見てみるとよいかも知れないのかぁと。



 どうもいろいろとお騒がせしました。とお蔭で言えるようになったと思うのですが どうでしょう。

投稿日時 - 2011-07-31 14:01:16

お礼

 こちらから先にお応えしてまいります。

 にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 わたしの得た答えには いまのところみづからが反応をしかねています。

 ダヰ゛デが女に目をとめてから ほどなく子を宿したという事態がたしかにあるのですね。
 そのあと ダヰ゛デは 夫のウリヤを戦線から一たん引き上げさせ 家に帰らせようとしています。(サムエル記下11:1-8)。
 ウリヤは 妻のバテシバのいる家には帰らず王宮の入り口で眠りを取ったと言います。
 ▼ (サムエル記下11:6-13) ~~~~
 ダビデは〔指揮官の〕ヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。
 ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。
 それからダビデはウリヤに言った。
 「家に帰って足を洗うがよい。」
 ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。
 しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。

 ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。
 「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか。」

 11 ウリヤはダビデに答えた。
 「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。
 あなたは確かに生きておられます。わたしには、そのようなことはできません。」

 ダビデはウリヤに言った。
 「今日もここにとどまるがよい。明日、お前を送り出すとしよう。」
 ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。
 ダビデはウリヤを招き、食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかった。
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ この11:11の《あなたは確かに生きておられます》というところですね。そしてこれも なぞですね。戦線にいる上官や仲間の兵士たちのことを思うと 家に帰ってゆっくりすることは出来ないというところで ダヰ゛デに対して 
 ▼ あなたは確かに生きておられます。
 ☆ と言っているのですね。これも 分からないですね。
 ★ ~~~~~~
 「神は生きておられ・・・」ではなく、
 「あなたは生きておられ、あなたの魂は生きています。」
 と言っています。(サムエル第二 11:11)
 ~~~~~~~~~
 ☆ ですか。反論も賛同もなかなか踏み切れないでいます。

 さらに考えてみます。

投稿日時 - 2011-07-28 22:39:18

ANo.4

ぶらじゅろーぬさん。こんにちわ。
言われてみれば不思議だなあいろいろ、
と思い、回答ではないのですが、少ししゃべります。


◇なぜ最初の間違いだけで終わらなかったのか。
マちがい1.人妻と性交し妊娠させた。
マちがい2.それを隠すためにウリヤとバテ・シバと性交させようとし、
      バテ・シバの子はウリヤの子、ということにしようとした。
マちがい3.うまく行かなかったので他人の手によってウリヤを殺した。

マちがい1.から、マちがい3.までの間に、
「マ」がなさすぎるような気がするんですが、なぜ?

◇ダビデのこの悪行が、なぜわざわざ聖書に書かれているのか。
◇「ヒッタイト人ウリヤの事の他は、一生の間、
 神が彼に命じられたどんなことからもそれなかったからである。」
 (列王記第一15章)と、わざわざ書かれているのも気になる。
◇それから、なぜ次の王は、バト・シバの子ソロモン?

ひとことも回答を書かずにすみません(←削除対象?)。
他の方のさらなる回答を楽しみにして書きっぱなしで消えます。

投稿日時 - 2011-07-28 15:34:32

お礼

 にゅうとらるさん No.7のひどっちさんのご回答へのわたくしの応答をごらんください。

 現段階でのわたくしの考えをしるしました。

 横着な返答になりますが よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2011-07-29 22:44:06

ANo.3

こんばんは、bragelonneさん。


【自発 (文法)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/intro/jodousi04.html

【《古文》発心集の現代語訳】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113975336

【愛することと往生をとげること : 発心集第四九話成立の論理と背景】
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/10548/1/2009203530.pdf


二律背反


【概念としての文学─ 起源における東西詩学の伝統の相違をめぐって─】テレングト・アイトル
http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/469/1/NENPOU-6-3.pdf
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007554269

投稿日時 - 2011-07-28 03:14:24

補足

 さすが われらがりとうきすねえさん。

 義を見てせざるは勇無きなり。

 男が いや 女が 泣くもんね。

 ゆっきんさんは デリケートさではあなたに負けていないほどと思いますので やり取りをたのしみにしています。

投稿日時 - 2011-08-09 19:13:18

お礼

 お早うございます。りとるきすねえさん。ご回答をありがとうございます。

 このたびは いつになくまじめなりけり。
 ▼ (《古文》発心集) ~~~~
 ・・・
  「いとあはれなる者どもかな。
  さほどに楽にめでて、
  何事も忘るばかり思ふばかり思ふこそ、
  いとやむごとなけれ。

  王位は口惜しきものなりけり。
  行きてもえ聞かぬ事」

 とて涙ぐみ給へりければ、思ひの外になむありける。
 これらを思へば、この世の事思ひすてむ事も、数寄はことにたよりとなりぬべし。
 ~~~~~~~~~

 ☆ ということは 王位にあるダヰ゛デの場合は 
 ▼ 王位は口惜しきものなりけり。行きてもえ聞かぬ事」
 ☆ などともはや言っていないで そのわが置かれた情況を省みず 美女バテシバにのめり込んだ。――こういうご見解でしょうか?

 
 ★ 〔* 王の地位とその仕事に対するに おのれの一目ぼれなる恋心の湧き出る思いとの〕二律背反
 ☆ を一たんは自覚したが それもものかは 王位を打っ棄って突き進んだ。――とのご見解でしょうか?

 ▼ 数寄は〔* むしろ頼りになってはいけない場合にも つまり頼りにしてはならない場合にも 思わず または思いのほか〕ことにたよりとなりぬべし
 ☆ 《自発・自己生成・自己組織化・自己内面における内的展開》にさからえる人間は そうざらにはいない。――こうお考えでしょうか?

 と取り敢えずここまでをお応えして あとは――出された資料が地球を何周もまわるほどなので―― たんま。



 ★ テレングト・アイトル
 ☆ モンゴルの人ですか。


 ★ 【愛することと往生をとげること : 発心集第四九話成立の論理と背景】
 ☆ おとこまさりのねえさんにも 忘れられぬ世紀の初恋がお有りだ〔った〕ということでしょうか。

投稿日時 - 2011-07-28 08:53:48

 こんばんは、ひどっち、でございます。

 申し訳ございません。こちらの方が気になりまして、投稿させていただきました。

 数々の勝利および名誉を得たためか(下記”参考”ご参照くださいませ)、もしくは、 その妻を見たときの、そのひと時、“我を忘れていた”、“自分自身を見失っていた”と考えております。
 以下のサムエル記にもございますように、完全に見失っていたなら、おそらく預言者ナタンをも裁いていたかと思われます。ですが、ナタンの声を素直に聞き入れました。おそらく、この一時、“自分自身を見失っていた”と推察されます。


サムエル記下12:5-12:13 新共同訳
ダビデはその男に激怒し、[預言者]ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」[預言者]ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』
<中略>
ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。


参考 サムエル記下8:15-8:18 新共同訳
ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。ツェルヤの子ヨアブは軍の司令官(エドム人撃退に貢献)<中略>ダビデの息子たちは祭司となった。


 何かご参考になるところがございましたならば、幸甚に存じます。

投稿日時 - 2011-07-27 20:48:25

お礼

 ○ ウリヤの妻バテシバに一目ぼれ――クー・ドゥ・フードル〔 coup de foudre :語義は 神鳴りの一撃・稲妻の閃き → 不意打ち・青天の霹靂・一目ぼれ // ちなみに クーデタ( coup d'Etat :国家の一撃)〕―― そのとき我れを忘れた。
 ☆ こういうご回答でしょうか?

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 難を言えば その一撃に打たれたあと ウリヤを戦争の最前線に送りやるといった謀りごとをしていますね。つまり 時間をかけているのですよね。
 
 目的を遂げるまでは 盲目であった。・・・かも知れません。
 つまり 一定の期間において
 ★ 以下のサムエル記にもございますように、完全に見失っていたなら、おそらく預言者ナタンをも裁いていたかと思われます。ですが、ナタンの声を素直に聞き入れました。おそらく、この一時、“自分自身を見失っていた”と推察されます。
 ☆ 《神のことば》とも言うべき――というのは 旧約の時代であるという条件においてだと考えますが――預言者ナータンの叱りの声を聞くゆとりは持ち続けていた。

 
 じつは 質問者には この質問を挙げたその明くる日に ちょっとした答えを得ました。解決としての答えではなく いくつかありうるというその可能性のひとつとしてですが それによると では なぜこの《我れを忘れる》というマ(間)の違いが 人ひとりを死なせる結果をも伴なって起こったのか? こういう問いをともなっているかと思えます。
 仮りに神の一撃が このようにふとダヰ゛デに落とされたとするなら なぜこういう中身の出来事であったか? こういう副次的な問いです。

 
 わたくしの得たひとつの答えは きわめて破廉恥な内容をおびたものです。
 ○ 人びとは わたしダヰ゛デが これほど神のおぼえがめでたくてあって 人びとはわたしをうやまい あがめたてまつるほどである。そうではないということを 知らせねばならない。おお そうだ。ちょうど いい。ウリヤの妻バテシバに懸想しよう。マチガイを犯す人間であることを実地に示そう。・・・
 ☆ という筋書きです。
 ○ もし それでも 人びとによるうやまい過ぎがおさまらないとすれば なおその懸想の筋書きは 夫ウリヤの排除にまで及んだ。
 

 ☆ 傲慢きわまる しかも きわめて――書いているそばから 顔の火がおさまらず どうしてよいか分からなくなるほど――ハレンチ極まりない発想の答えが 思い浮かびました。
 だから どうなんでしょう? とも言えません。思い浮かんだものは いちどオモテに出しておくこととします。うっちゃってくださいませ。


 ☆☆ 仮りに神の一撃が このようにふとダヰ゛デに落とされたとするなら なぜこういう中身の出来事であったか? こういう副次的な問いです。
 ☆ これすらすんなりと解けたらといった蜀を望むすけべごころがあります。

 ありがとうございました。
 いづれにしても その後もダヰ゛デは 神によって使われるというつとめがあったようです。めぐまれていたと思います。

投稿日時 - 2011-07-27 21:38:03

注)質問文にある「ダヰ゛デ」とは誰を指すか分りませんが、古代イスラエルの英雄ダビデの事と推測して、以下書いております。

まずは、口語訳または文語訳の聖書で同じ箇所をお読みになることをお勧めいたします。
(ネットで検索可能です)
口語訳「主よ、わたしをためし、わたしを試み、わたしの心と思いとを練りきよめてください。」
文語訳「ヱホバよわれを糺しまた試みたまへ わが腎とこころとを錬きよめたまへ」

アナタが引用している「火のなかに ためしてください」というのが、何訳かは存じませんが、いずれにせよ「火の中に試す」とは「精錬する」の意です。精錬するのですから、不純物を取り除きます。
故に口語訳では「練りきよめ」、文語訳では「錬きよめ」と訳しているのです。
こちらの訳であれば、不純物である罪を取り除いてください、と祈っていることが分ります。
神に対して後ろ暗いところが無い人に、何かが起きて悪事をした、という流れではなく、罪を自覚した人が神に罪を取り除いて欲しい、と祈っているのであれば違和感は無いと思われます。

ちなみに、英訳の聖書の幾つかは「火のなかに~」の箇所を「test me」と訳しております。
この場合のtestは、学生が四苦八苦するアレではなく、「精製する」の意味で用いています。
こちらも不純物を取り除く行為です。


イスラエルの王に即位して、得意になって権力を行使した。
その結果、悪事をしでかしてしまった。
それを預言者に指摘されて、ダビデは反省しています。(サムエル記下12章)
※くどいようですが、「ダヰ゛デ」がダビデであると推測して回答しておりますので、違う人物についてのご質問であれば、ご容赦ください。

故に、詩篇のこの箇所は聖人君子の歌としてではなく、罪を自覚した者の歌として読めば、疑問も生じないと思われます。

私はイエスを神の子であると信じているので、「この質疑応答が誰かの役に立つように」と
祈りつつ、回答を終えさせていただきます、イエス=キリストの御名によって、アーメン。




以下余談
とは言え、この答えを知ることで、アナタは幸せになるのですか?
異国の王が人妻を奪ったことで、困っているのですか、本当に?
ここでの質疑応答は、アナタの魂に悪影響を与えている気がしてなりません。

かつて洗礼について質問をしていたアナタとよく似た名を持った方は、救いを見出したのだろうか。
かの人は「文字は殺し、霊は生かす」という聖書の箇所を引用していたが、ネットには救いも
真の命への道も無いことを、早く悟って欲しいと祈るばかりです。

投稿日時 - 2011-07-27 00:47:18

お礼

 なまなましいあをい愛さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ▼ 「文字は殺し、霊は生かす」
 ☆ をご存じであれば 多少の勇み足をおかしてでも心配せずに こちらもなまなましくあざやかに表現してまいります。



 ★ ネットには救いも / 真の命への道も無いことを、早く悟って欲しいと祈るばかりです。
 ☆ ほんとうにこんなことを思っておいでなのですか?
 それなら (あ) ひとつにこんなふうに投稿や参加などせずに 放っておけばよろしいのでは?

 (い) もしわたしのように参加している人たちのことを思って参加するということでしたら OKWave の運営じたいについてきちんと批判してみては どうですか? しかも直接その担当部署に言うのがよいでしょう。

 (う) それにしても あなたはどのようにして《ネットには救いも / 真の命への道も無いことを》お知りになったのですか?

 (え) 事情も事由も説明せずに何かを助言するものではありません。そんな場合の《文字は殺します》。

 (お) 道ならぬ道にある者にも 雨を降らせ日の光を浴びせるナゾのちからを もっともっと明らかにしてください。

 (か) すでにあたらしい時代と世界にあるときに 《救い》などと軽々しく言ってはなりません。すでにおしえる必要がなくなったところから わたしたちは出発しています。



 ★ アナタが引用している「火のなかに ためしてください」というのが、何訳かは存じませんが、いずれにせよ「火の中に試す」とは「精錬する」の意です。精錬するのですから、不純物を取り除きます。
 ☆ 《精錬する》のであれば 《火のなかに》です。
 たしかめておきます。
 《火のなかに ためす》と訳したその語です。

 ● צָרַף tsaraph  ~~~~~~
  http://www.blueletterbible.org/lang/lexicon/Lexicon.cfm?strongs=H6884
  to smelt, refine, test

 ● πυρόω pyroō ~~~~~~
  http://www.blueletterbible.org/lang/lexicon/Lexicon.cfm?strongs=G4448
 to burn with fire, to set on fire, kindle
 b) make to glow(melted by fire and purged of dross)
 ~~~~~~~~~~~~~~~

 ★ 英訳の聖書の・・・場合の test は、学生が四苦八苦するアレではなく、「精製する」の意味で用いています。 / こちらも不純物を取り除く行為です。
 ☆ つまり《火》がつきものです。



 ★ 神に対して後ろ暗いところが無い人に、何かが起きて悪事をした、という流れではなく、罪を自覚した人が神に罪を取り除いて欲しい、と祈っているのであれば違和感は無いと思われます。
 ☆ こういう意味でしょうか?
 ○ この詩編のうたをうたったときのダヰ゛デが《完璧な人間ではなかった》のだから あとでよろしくない事をしでかしても 特別におどろくことはない。

 ☆ でも それはあまりにも《文字》にとらわれた見方ではないでしょうか。なぜなら 仮りにヨブのように
 ▼ (ヨブ記1:1) 無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。
 ☆ と言っても《完全な人間》だとは言えないからです。
 ★ 神に対して後ろ暗いところが無い人
 ☆ と言っても 同じことでしょう。

 つまり ダヰ゛デもヨブもみな この地上で初めから終わりまで《完全でない状態》にあると言わなければなりません。
 その上での問いになると考えます。



 ★ 故に、詩篇のこの箇所は聖人君子の歌としてではなく、罪を自覚した者の歌として読めば、疑問も生じないと思われます。
 ☆ 《聖人君子》などという規定は どこから来たのでしょう。意味がありません。

 ★ 罪を自覚した者
 ☆ であれば 王になったら悪事をはたらいても仕方がないという見方でしょうか? このうたをうたったときは 悪事をはたらくことは少なかった。王になってからは 大きな悪事をはたらいた。ただそれだけのことだ。こういう見方でありご回答でしょうか?



 ★ ~~~~~~~
 イスラエルの王に即位して、得意になって権力を行使した。
 その結果、悪事をしでかしてしまった。
 それを預言者に指摘されて、ダビデは反省しています。(サムエル記下12章)
 ~~~~~~~~~
 ☆ つまりあとで《反省してい》れば 問題なくことは済むのであり 疑問に思うことは何もない。こういうご回答でしょうか?

 このような見方をなさっているのであれば そのご見解は
 ★ アナタの魂に悪影響を与えている気がしてなりません。
 ☆ 老婆心ながら。つまり いわゆる世間の論理で お茶を濁しているのみだからです。




 このひとりのクリスチャンによるご回答内容によって キリスト・イエスのことで勘違いを起こす人のすくなからんことを祈りつつ。ぶらじゅろんぬ本人のこころにおいて。




 ふりすく_ぶるー_らう゛さんは なぜそんなにダヰ゛デをかばおうとされるのでしょう。神とてもわざわざわれわれ人間がかばったりする必要もないでしょう。あなたは 神の代理だとでもおっしゃるのでしょうか。
 この質問がダヰ゛デを持ち上げも貶めもしているとは思えませんが。
 われわれのそれぞれのたましいにたずねているだけですよ。

投稿日時 - 2011-07-27 10:58:56

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