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解決済みの質問

無関係な人間と比較され「幸せ」と言われ傷ついた方

お世話になります。

誰も相談する人がおらず、こちらのサイトで相談させていただいたのですが...。

こういうサイトで、自分の不運や不幸を嘆き、相談する相手に対して、「世の中にはこれこれこういう人もいるんですよ、そういう人に比べたら幸せでしょ?」と言う人って、あまりに無神経だと思うのですが、どういう心境なのでしょう?

両足がない人だっている、目が見えない人がいる、ネットをつなげない人もいるとか、発展途上国の難民の話を持ち出したり・・・。

それって、何の意味もないのです。

じゃあ、片足ある人は、両足ある人より幸せなんですか?

サッカー選手が、片足なくしても、両足なくしても、結果は同じです。

1人しか子供がいない人と、3人の子供がいる人がいて、お互い1人子供を亡くしたら、2人子供が残っている親は、子供がまったくいなくなった親より幸せなんでしょうか?

難民がどうのとか、両足のない人がどうとか、自分とは縁のない世界の人と比べられて、あなたは幸せですよ!って言われて、どんな気持ちがすると思っているのでしょうか。

そんなことで、そうだよね、両足のない人より幸せだよね!とか、難民よりも幸せだよね!なんて思えるなら、誰も自殺なんてしなくて済むんじゃないですか?

自分が生きているところで比べるのが、普通の考え方じゃないのでしょうか?

大富豪しかいないところに、1軒だけ中流の家庭があったら、やっぱりそれは貧乏なんでしょうし、スラム街のようなところで中流の家庭が1軒だけあったら、それはお金持になるでしょう。

昔、何かの本で、オウムの麻原は、全盲の生徒ばかりの盲学校で、唯一、弱視だった。まったく見えない人たちの中で、弱視といえども視力があるというのは絶対的な力を持つ事ができる状態だった・・・と読んだことがあります。

比較というのは、そうやって自分の置かれている環境で左右されるものではないですか?

ご主人の勤務先とか収入とか、主婦が気にするとしたら、やっぱり友人やご近所の方と比べませんか?

周りがみんな年収5000万超えの中、自分のところだけ年収300万だったら、周りとお付き合いもできないですよね。

そうやって仲間外れになって、「でもうちはご飯も食べられるし、難民より幸せよね」とか、「お金はないけど両足あるから幸せよね」とか考えるんでしょうか?

そういうお子さんが、周りはたくさんお小遣いをもらって、習い事をしたりしている中、自分だけバイトに明け暮れて仲間外れになっていった時に、「私は目も見えるし幸せだわ」とか思うんですか?

普通は、「〇〇ちゃんたちは、これこれできていいなぁ」とか、「あのお宅は年収1億なんて羨ましいわ」とか、そうなりませんか?

難民の話とか、両足がない人や、目の見えない人の話を持ち出され、「そういう人より幸せなんだから生きていける」と言われるなら、逆に、ユダヤの大富豪や華僑のお金持ちと比べられて、「そういう人もいるのに不幸だよね、よく生きてられるね」と言うこともアリですが、後者は誰も言わないですね...おかしな話です。

そうやって、相談者とはまったく無関係な世界の人間と比べて、無責任に「幸せだ」と決め付けることを何の疑いもなく、『励まし』だと思える無神経さが理解できません。

本人は励ましだと自信を持っておられましたが、私はとてつもなく落ち込んでいます。

心無い回答に傷ついたり、的外れな回答に同じような思いをされた方、どのようにその気持ちを振り払われましたか?

どうか教えて下さい。

念の為、こういった相談に回答なさった側の方からは、一切、回答不要です。

宜しくお願いします。

投稿日時 - 2011-08-24 11:44:11

QNo.6964057

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

はじめまして。
20代男性です。



「そうやって、相談者とはまったく無関係な世界の人間と比べて、無責任に「幸せだ」と決め付けることを何の疑いもなく、『励まし』だと思える無神経さが理解できません。」

この、コメントに対して強く共感したので、コメントしたいと思いました。
そういう、私は、比較による幸せ論は、現物対処理に、無力で、有ると考えます。
つまり、前述のような「幸せ論」や、「精神論」で、各人の、問題や要求に、答えることは、できない。と、いう意味です。

人は、何か問題に直面した時に、自分でそれを分析し、計画を立て、実行してくことでしか、解決できません。
たとえば、受験で失敗したら、それを分析し、スケジュールをたて、日々の、行動に移すことで解決されていきます。
無論、神様にお願いしたり、祈ったり、人に相談しただけだったり、幸せ論を、聞いただけででは、何も解決しませんし、自分自身、満足しないはすです。
そのために、私は、計画をたて、実行していくことを、推奨するべきだと、考えます。
例えば、手帳や、カレンダー、自作のスケジュール表を、作って、実行する具合です。
そうすることで、現実に向き合い、対処していく際に非常に有効だと考えます。
「幸せ論」や、「精神論」は、その自作した計画の、実行に移す際の、「モチベーション」を、あげることを、目的に、自分に言い聞かせる分には、十分有効だと、思います。

投稿日時 - 2011-08-24 12:24:38

お礼

ありがとうございます。
私も若い頃は計画を立てたりいろいろやってきましたが、それがいつも他人が原因でぶち壊れるということが繰り返されて、本当に「呪われてる」とか、そんなレベルの話になるくらいなのです。
でも、無関係な誰かと比べられ、「あの人よりは幸せ」と言われる事の無意味さをご理解いただけて感謝します。

投稿日時 - 2011-08-24 12:48:54

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回答(2)

ANo.1

 そういう言い方はしなかったつもりなので回答してみる。
 まず、身体不自由な暮らしをしているヒトは、身内の看護経験から2種類ある。昇華できたヒトとそうでないヒト。昇華できていないヒトは、不自由を武器にする。自分がかわいそうだから、他人が何とかしてくれて当たり前という。そういうヒトはいつまで経っても、真の優しさに触れられない。
 不自由なヒトにも自立がいる。アカの他人に介護を頼むにはお願いがいる。このご時世、ほとんどのヒトが「手伝ってあげなくてはいけないのでは」と思う。それを介護し続けて待っていては、ほとんどのヒトが、待ちでは何もしないことがわかったが、それが終わってみて、する方も悩むことも知る。
 「世の中にはこれこれこういう人もいるんですよ、そういう人に比べたら幸せでしょ?」は、頑張って自分から動いているヒト「だけ」を指している。全員ではない。
 誰でも何かを背負ってる。自分だけではないことを知れば、素直に受け入れられると信じて発言していると思う。

投稿日時 - 2011-08-24 12:09:53

補足

投稿日時 - 2011-08-24 12:38:18

お礼

傷つけられた側の方のみ希望。

投稿日時 - 2011-08-24 12:12:29

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