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解決済みの質問

障害者 という言葉が嫌いなんです。

障害者という言葉がありますが、私はどーも昔から、この言葉に対してとても納得いかない感じを持ちます。例えば足が不自由(と言われている)人や、周りの人より知能指数が低い人、盲目の人、ろうあの人等等。。が、一般に障害者と言われていると思います。彼らはマイノリティーであって、マジョリティーから見たら「日常生活に不自由をする、障害を持った人」という意味で、障害者 と呼ばれていると思います。が、マイノリティーだから障害者 という考え方が、納得できません。もし彼らのような人間がマジョリティーだったら、逆に今マジョリティーな人が「障害者」になる可能性があると思いますし、障害がある といわれている人々の身体の特徴のほうが、人間の本来のあるべき姿なのかもしれません。。と、思います。

人間が猿から進化して、手足が使え耳と目をフル活用し、そして現代人が生まれ、その中で「生活に不自由する人々」=「障害者」ということになっていますが、もしかしたら「障害者」と呼ばれている人々のほうがまっとうなあるべき姿の人間なのであって、「健常者」と呼ばれている人々のほうが、実は「障害者」と呼ばれる人々なのかもしれない、ただ世界はマジョリティーに合わせて作ってあるから、マイノリティーが「障害者」となるのかも、、、と、なんだかどんどん考えてしまいます。(私の言ってること、分かりづらいと思うのですが、、すみません。うまく表現できないです)
私は、例えば目が見えないことについて、それは障害ではなくって、その人の特徴であると考えています。個性と同じようなものではないか、と。
そういう考えって、間違っているんでしょうか?
皆さんは、どうお考えになりますか?

投稿日時 - 2003-11-30 00:48:31

QNo.718290

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

目の見えないことがその人の特徴であることはその通りだと思います。
とはいえ、「目が見えない」よりは、「目が見える」方が便利だ、ということは、
否定できない事実です。

その中で「目が見える」方が大多数であれば、
社会は「目の見える」方を基準にして施設を作ります。
これは善悪の問題ではありません。
便利の上での問題です。

そして、社会の中には、「便利でない」人々がいます。
その「便利でない」人々のことを、考える必要があります。
「便利でない」人々について、「障害者」という分類をすることは、
私は、悪いことだとは思いません。

問題は二つに分けられると思います。
(1)「便利でない」人々に名前を付けるべきか?
(2)それを「障害者」と言って良いのか?

第一の問題は、私は「名前を付けるべき」と考えます。
名前を付けなければ、その存在は意識から忘れ去られてしまいます。
それは、「意識しないことによって問題を無いことにしよう」という、
もっとも情けない解決法だと思います。

第二の問題は、これは第一の問題よりは自信がないのですが、
「障害者」と言ってよいと考えます。
「障害」が「便利でない」「不自由する」という意味に通じることは、
あまり不自然ではないと思うからです。
なにか別の言葉をひねくり回して、新しく名前を付けることは、
問題を見えにくくするだけだと考えます。

逆に言えば、なぜ「『障害者』と言って悪い?」という疑問がおきます。
障害という現象は、現実に存在します。
現実に存在する現象を呼ぶことは悪いとは思えません。
それは、現象の記述がいつのまにか倫理的な判断になってしまったのだと思います。
「障害者」と「健常者」が、倫理的な差ではなく、現象の違いだと思えば、
「『障害者』と呼ぶことは失礼だ」という発想は出てこないと思います。

投稿日時 - 2003-11-30 01:15:28

お礼

なるほど。。色々考えさせられました。

>「障害者」と「健常者」が、倫理的な差ではなく、現象の違いだと思えば、
「『障害者』と呼ぶことは失礼だ」という発想は出てこないと思います。

おそらく私が障害者という言葉(健常者も然り、ですが)に納得がいかないのは、世間の多くの人が、現象の違いだとは思っていないから発生する、差別や偏見が原因ではないか、とふと思いました。
差別偏見があるからこそ、障害者自身も障害者という言葉に関し、コンプレックスを持ち自分を卑下してしまう感情が生まれるのだと思います。

うーん、、、でもなんか、障害って言われると、悪いことしてるように感じてしまうんですよね。。
健常、って、問題ない!って印象を受けてしまいます。


お返事ありがとうございました。
皆さんの考えが聞けて、正直嬉しいです。

投稿日時 - 2003-11-30 01:23:27

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回答(8)

ANo.8

身の回りに「障害者」と呼ばれる人がいない状況での回答をお許し下さい。

皆さんの回答や、ご質問者さんのお礼を見ながら、「障害」を有しているのは「社会」の方
という考え方をしてはどうだろうと思いました。

#7さんの回答にあるように科学技術が進んだり、また、バリアフリーが浸透し、社会のシステムが変われば、(生身では)片手が無かろうが、(裸眼では)目が見えなかろうが、機械の手や目や足を付けたりして、生活や仕事に一切の障害(支障)の無い生活が送れるようになれば、今の「障害者」という概念は無くなるのではないかと思いました。

しかし、現実の社会や科学技術はそこまで進んでいません。
手や目や足の無い人をすんなり受け入れる能力が、今の社会には無いのです。
「全ての人が、なんの支障もない暮らしができること」という目標を考えたとき、障害を持っているのは「社会」の方ではないかという考え方です。

とはいえ、今の社会や科学技術がそこまで進んでいないという現実を受け止め、別な呼び名を考えてみました。

・介護を必要とする人・・・要介護者(ありきたり?)
・助けを必要とする人・・・求助者(救助者と間違えてしまう?)
・補助を要する人・・・要補者(意味が通じないか?)
・助けを受ける人・・・被助者(非常者、非情者に聞こえる?)
・介護を受ける人・・・受介者(受刑者に似てしまう?)

ごめんなさい、これ以上は出ません。

早くいい言葉が出て、世間に広まり、気にしないで使えるようになるといいですね。

投稿日時 - 2003-11-30 03:45:10

お礼

皆さん色々と貴重なご意見を頂き、ありがとうございました。

私の説明が下手なせいで色々嫌な思いをされてしまった方もいるかもしれません。ごめんなさい。

私が言いたかったのは、障害という言葉で差別されることであって、区別されるのがいやなわけではありません。区別がダメだったら、福祉介護はなくなってしまうのも十分分かっています。

しかし皆さんの色々な考え、自分の言葉の足りなさ を学ぶことができ、質問をして良かったと思います。
実はこれ以上は私が精神的に皆さんについていけなくなってしまいそうな状態なので、この辺でこの質問に対する回答は締め切りとさせていただきます。
皆さんありがとうございました。

投稿日時 - 2003-11-30 09:49:55

ANo.7

先ほどテレビで、『盲目の方が歩いていて壁の前でその存在を杖なしで察知できる、また、目の前にかざした物の形・材質を触らずに分かる』という内容のことをやっていまして驚きました。

音の流れる方向で判断するわけですが、目の見える人はそこまで耳の能力を使いこなしているでしょうか?
世界が彼等だけであったならそれを誰も障害とは呼ばないでしょう。

kaori_chinaさんの質問を読んでそのことを思い出しました。

しかしながら『マジョリティーに合わせて造られた世界』でマイノリティーが生きていくことはとても困難なことに思えます。
そのためにそれを「障害」と呼び手を差し伸べるのではないでしょうか?

投稿日時 - 2003-11-30 02:07:02

お礼

きっと私は、障害 という言葉の言外に含まれるであろう暗い社会の影が、いやなんだと思います。
おっしゃっているテレビは私も見ました。

投稿日時 - 2003-11-30 09:44:53

ANo.6

私も障害者手帳を持っていますが、何にも気にしていません。
実際に「障害」があるわけですから。
質問の内容とお礼を見ていると、

障害者に対する差別、偏見がある

「障害者」という名前をつけて分ける事がいけない

と考えているように思えます。

言葉を変えても、問題は変わりません。
それは、あらゆる差別の問題を見ても明らかです。

またマイノリティーだから「障害」というのも違うと思います。
少数と言うことと、現実に不自由な事があるのは違いますから。

投稿日時 - 2003-11-30 01:56:24

お礼

言葉を変えてもダメなんでしょうかね。。
障害という言葉で何かしら心に傷を持ってしまっている人、それと、障害という言葉で何かしら心に偏見の影ができてしまった人 に、変わって欲しいと思います。
でも私が言ってるのは所詮、「いじめが学校からなくなればいいのに」というような、夢物語なんでしょうか。。

>またマイノリティーだから「障害」というのも違うと思います。
少数と言うことと、現実に不自由な事があるのは違いますから。

うーんとうまく説明できなくて申し訳ないんですが、例えば全盲の人がマジョリティーな世界だったら、目が見える人はマイノリティーになりますよね。で、その世界では、全盲の人=マジョリティーが健常者 になったとして、マジョリティーに便の良い環境が作られると思います。そうなった場合マイノリティーは障害者と思われて(例えばそういう世界があったとしたら、というお話です)、目の見える人はいまあるこの世界とは逆に、障害者と呼ばれるのではないでしょうか。

投稿日時 - 2003-11-30 09:43:24

ANo.5

>私は、例えば目が見えないことについて、それは障害ではなくって、その人の特徴であると考えています。個性と同じようなものではないか、と。
そういう考えって、間違っているんでしょうか?

ある意味では間違ってはないと思いますが、ただ、そういった人たちを「障害者」として区別(差別ではない)して、普通の人達と同じように生活出来るようにしているのが現在の社会だと思います。
あなたの言うように「個性」ばかリを強調してしまえば「福祉」なんて言葉は飛んでしまい、「点字ブロック」や「エレベーター設置」はなくなってしまいます。人の個性に金を注ぐわけにはいきませんから…。
しかし、その個性のために命を落とした、ケガをしたとしたら大変なことです。好き嫌いに関係なく「言葉は大事」だと思います。

世の中には「手助けが必要」な方が沢山いらっしゃいます。ボランティアで頑張っておられる方のためにも、なく「障害者」の方達が、今度は「助けてもらった人達のために何がお返しできるか」を考えることが大切なのではないでしょうか?

追伸:私の義兄は働きすぎが原因で「障害者」になりましたが、今では障害者であることを少しも恥じていません。現在、車いすに乗りながら「地域の施設で車いすが利用できるマップを作るんだ」と言って、毎日汗をかきながら作成の活動に頑張っています。完成するのを毎日楽しみに生活しています。

投稿日時 - 2003-11-30 01:56:07

お礼

多分私の言葉が足りなかったんだと思いますが。。

えっと、別に個性を強調して福祉はなければいい、とは思ってません。私だって障害を持つ自分を、別に恥じてはいないです。障害を持つといわれている状態になってから初めて分かったこともたくさんあるし、逆に障害を持ってよかった、と思っています。

投稿日時 - 2003-11-30 09:38:06

ANo.4

kaori_chinaさんこんにちは
家族に障害者(障害者手当をもらっています)がいる立場から言わせて下さい。

そうですね、呼び方を変えるのは簡単かも知れません。
ですが、その人達のケアはどうしますか?
呼び方は「差別」ではなく「区別」です。
少なくとも私たち家族はそういう風に受け取っています。
「障害者」という呼び方はケアや補助と直結しています。
私の家族は現代の社会に適合するための器具を自治体から支給してもらっています。
それはかなりの高額なものです。
医療費、学校に通学や旅行をするための交通費、美術館、動物園、水族館、遊園地の入園料もかなりの部分免除してもらっています。
付きそう私たちにも免除はあるんですよ。
それを呼び方を変えて、一般の方で個性が強い方と一緒にされては、はっきり言って困るんです。
kaori_chinaさんが「障害者」という言葉とそれを区別する社会が差別的だとおっしゃるのはわかります。
でも、そう思う方が差別的だと思いませんか?
私たち家族は「障害者」ということで「保護」してもらっていると思っています。
「現代の社会生活を営むのに他者の助けがなければ障害が生じる」人はやはりどこかで区別をしなければ、その人たちが困るのです。
私のいうことは間違っているのかも知れません。
そういう区別がなくても、だれもが助け合って生きて行ける社会が理想なのもわかっています。
でも、現状ではそういう区別も「障害者」には必要なのをわかって下さい。

投稿日時 - 2003-11-30 01:20:11

お礼

私自身も障害者手当を受けているので、おっしゃる意味はよく理解できます。
公費からの支給がなければ、私は通院を続けるのも難しいです。

うーんなんて言えばいいんでしょうか。。
別にそういう福祉事業をなくせば良い、と言っているわけではなくって、根本的には、障害と聞いて差別する人が多くいる、今の世の中が嫌なんです。
皆さんのように「差別ではなく区別」ときちんと理解されている方々ばかりだと本当に嬉しいですけど、世の中には色々な人がいます。
世界の人全員に理解をしてもらうことは勿論無理だと分かってはいますが、障害と聞けばすぐ嫌な顔をする、近寄らなくなる、そういう人が多い世の中が、なんだか嫌なんです。

・・・・・ただの障害者の愚痴なんでしょうかね(泣)

投稿日時 - 2003-11-30 01:28:57

ANo.2

それはそれで間違いではないと思います。
ただ、障害を個性だと言われるのを嫌だと思っている人もいるのも事実です。
万人がいることですから正解などないのですが、障害のある方すべてに対して個性だと押し付けるのではなく、その人個人個人で対応などを変えていくべきではと思っています。
障害者とか健常者とか言う前に人間ですから。

投稿日時 - 2003-11-30 01:06:00

お礼

お返事ありがとうございました。

私は障害を持っていますが、別にそれも私の一つの姿である、と思い、個性だと考えていました。
しかし、それを嫌がる人もいるのですね。
勉強になりました。

これは個性だよ!と押し付ける気は毛頭ありませんが、なんというか・・・いわゆる健常者の人が、障害者と言われる人々に対し、卑下するような目で見ること、過保護になること が嫌だったんです。
そんな目で見なくても、同じヒトなんじゃないの?って思います。
あなたににきびがあるように、私は耳が聞こえません、だからそんなに変な目で見て欲しくない、って感じのことがいいたかったのです。

投稿日時 - 2003-11-30 01:09:37

ANo.1

同感です。
私は「精神薄弱者」と言う言葉が「知的障害者」に変わった時に違和感を覚えました。少なくとも「害」なんて文字を使うのは失礼じゃないかなって。
「障害は個性だ」って素敵な考えだと思います。でも、健常者(この言葉も好きじゃない)の側から言い出すべき考えではないと思います。
何か、「障害者」と「健常者」に変わる良い呼び名はありませんかねぇ・・・

投稿日時 - 2003-11-30 01:01:47

お礼

私と同じ考えの人がいて、よかったです。

>健常者(この言葉も好きじゃない)の側から言い出>すべき考えではないと思います。
>何か、「障害者」と「健常者」に変わる良い呼び名>はありませんかねぇ・・・

実は私も障害者枠に入っている人間です。
こういうことを言い出すのは、障害者サイドでも健常者サイドでも、良いと思います。誰が言ったっていいじゃん、って思ってます。
障害者、健常者に代わる良い名称はないかとずっと考えていたんですが、やっぱり難しいですね。。

投稿日時 - 2003-11-30 01:05:46

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