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解決済みの質問

長文の分析

 日本語を勉強中の中国人です。日本人著の本を読んでおります。意味がわからない文があります。下記の段落に【 】で囲まれた部分の長文の構造を分析していただけないでしょうか。

「カミロ・ジッテの考察は、ある意味では、十九世紀ヨーロッパに対する弾劾の書ともみられる。【それは中世からバロックにかけてつくられそして使われ、それゆえに広場の広場らしいはたらきを存分に発揮していた時代と、十九世紀のブルジョアの時代のもたらした形式的で功利的で創造力の枯渇した時代の、すべてにおいて折衷的であった広場および都市計画と比べたとき、その貧困さに眼をおおいたかったであろう。】それは、二十世紀末にいるわれわれにも十分理解できることである。」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2012-02-10 15:39:37

QNo.7297050

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質問者が選んだベストアンサー

適切ではない表現が1箇所あります。
誤った表現が一箇所あります。
重要な箇所なので、これらを修正(添削)しないと非常にわかりづらい文になってしまいます。

まず、文頭の「それは」の使い方が好ましくありません。
省略されている部分が多すぎるからです。
省略しないで表現すると、
『それは次のような理由からで、カミロ・ジッテは』
という意味になります。
直前に筆者は「弾劾の書ともみられる」と述べていますが、「なぜそう述べたのか」という理由を説明している文です。

次に、「それゆえに広場の広場らしいはたらきを」の「それゆえに」は文意にそぐわず、間違った使い方をされています。
「中世からバロックにかけてつくられそして使われ、それゆえに広場の広場らしいはたらきを存分に発揮していた時代と」という箇所は、日本語表現としては誤りで、
『中世からバロックにかけてつくられ、そして広場の広場らしいはたらきを存分に発揮して使われていた時代と』
のように添削する必要があります。

全体的には以下のような構文になります。
1.それは次のような理由からで、カミロ・ジッテは、
2中世からバロックにかけてつくられ、そして広場の広場らしいはたらきを存分に発揮して使われていた時代と
3.十九世紀のブルジョアの時代のもたらした形式的で功利的で創造力の枯渇した時代の、すべてにおいて折衷的であった広場および都市計画と比べたとき、
4.その貧困さに眼をおおいたかったであろう。

『カミロ・ジッテが「2の広場」と「3の広場および都市計画」を比べたとき、3のあまりの貧困さに目をおおいたかったであろう。』
という内容です。
  

投稿日時 - 2012-02-10 19:16:25

お礼

 お礼が大変遅くなりまして申し訳ありません。ご回答をどうもありがとうございました。大変助かりました。

投稿日時 - 2012-07-07 17:39:16

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回答(4)

ANo.4

日本人の「著」というよりも、あまりうまくない「翻訳」のように思われます。

それ(ジッテの考察)は、

(1)中世からバロックにかけてつくられそして使われ、それゆえに広場の広場らしいはたらきを存分に発揮していた時代(の都市計画)と、

(2)十九世紀のブルジョアの時代のもたらした、形式的で、功利的で、創造力の枯渇した時代の、すべてにおいて(どの面から見ても)折衷的であった(中途半端であった)広場および都市計画と

を比べたとき、

(ジッテは)その(つまり(2)の)貧困さに眼をおおいたかった(見ていられないほどの貧困さを感じた)
のであろう。

投稿日時 - 2012-02-11 16:32:10

お礼

 お礼が大変遅くなりまして申し訳ありません。ご回答ありがとうございました。文意はよくわかりました。大変助かりました。

投稿日時 - 2012-07-07 17:40:37

ANo.3

主語を示す格助詞「は」文末にかかる。という法則に従って考えてみました。

カミロ・ジッテの考察は、(中略)弾劾の書ともみられる。にかかります。

次に「それは」という代名詞が入るから文章がおかしくなっているのではないかと思います。
「彼は、」に訂正すると、文末の~~と比べた時、その貧困さに目を覆いたかったであろう。
にかかり、自然な文章になります。
「それゆえに」くどい感じがするのでいらないと思います。

投稿日時 - 2012-02-10 21:00:42

お礼

 お礼が大変遅くなりまして申し訳ありません。ご回答ありがとうございました。よく理解できました。

投稿日時 - 2012-07-07 17:39:52

ANo.1

日本のあるタイプの学者さんが書きそうな、あまり質がいいとは言えないような文章で^^

1. 中世からバロックにかけての時代には、
それ(広場)は、本来の広場らしく作られ、使われていた、
なので、広場は、本来の広場らしい機能を発揮していた、

2. 十九世紀は、ブルジョアの時代であり、
この時代(とブルジョア)は、形式的・功利的で、創造力に欠ける傾向があり、
広場や都市計画は、そういう傾向のために、なにもかもが折衷的
(あれこれ、いい所を集めてこようとして、結果として、創造力が見られず、
これが広場の機能だ、というハッキリしたものが見えなくなってしまった
というようなことを言ってるのだと思います)になってしまった。

3. 1の時代の広場に比べて、2の時代の広場は、
貧困=創造力も乏しく、本来の機能も欠けたものになってしまっている。
それを見て、カミロ・ラッティは、眼をおおいたかっただろう、
=とても、まともに、見ていられるものではない、ひどいものだ、と、感じたのだろう。
というような流れのことを言いたいのでしょう。

日本人にとって、どうにもこうにも理解不可能な文章という訳では
ありませんし、不必要に代名詞「それ」が多かったり、話の繋がり
が見えにくかったりしますが、文法的におかしいという訳でも
ありません。

ただ、慣れていない普通の人には、解りにくいことは間違いなく、
慣れていても、正直に言うと、
「二十世紀末にいるわれわれにも十分理解できる」
ように書いてくれないだろうか、と、感じてしまう文章です。

質問者さんが、学者をめざしているとしたら、
こんな文章をお手本にしないよう、お願いいたします。

投稿日時 - 2012-02-10 16:13:26

お礼

 お礼が大変遅くなりまして申し訳ありません。ご回答ありがとうございました。よくわかりました。がんばります。

投稿日時 - 2012-07-07 17:38:27

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