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解決済みの質問

聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?

 1. 神は人間の精神だと言う人にかぎって このけがれなき身ごもりをあたかも信じているのではないでしょうか?

 2. 母マリアは 遠くダヰデの血筋に連なる男であるヨセフとの性交によって子イエスをもうけた( a )のであるが それは同時に神なる聖霊によって身ごもったというかたち( b )です 物語のうえでは。後者のキリストにかんする側面が いわゆる処女懐胎です。人格( a )と神格( b )の両方の側面が 同時に一体として あります。

 3. ▲ (パウロ:ローマ書1:3-4)  ~~~
  御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ( a )、

  聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた( b )のです。
  この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
 ~~~~~~~~~~~~~

  ( a )は 事実であり ( b )は こういう想定であり 物語です。であるのですから そのコトじたいを《信仰の対象とする》謂われはないし またぎゃくに頭ごなしに突っぱねる必要も何もない。のではないでしょうか?

 4. ここのところが どうしても・いつまで経っても 広くは知られるようにはならない。どうしてなのか?――という質問です。





 5. たしかに 《情欲のない生殖》という命題はかかげられています(アウグスティヌス)。あるいは

 ▲ (旧約聖書・雅歌3:5)~~~~~
 エルサレムの娘たちよ、

 わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、
 あなたがたに誓い、お願いする、

 愛のおのずから起こるときまでは、
 ことさらに呼び起こすことも、
 さますこともしないように。
 ~~~~~~~~~~~

 というような思想をも聞きます。けれども《処女懐胎》ということを殊さら推し出すという考えは どこか病的ではありませんか? 《けがれ無き》なることをかかげるということは あまりにも現状がひどいということを意味していませんか? ひどくなくても 自分たちのあたまの中が ぐちゃぐちゃなのでは?
 
 6. つまり 神は 人間の精神であるという精神錯乱に落ち入っているのではありませんか? 観念の中でだけ 神や 無垢やを後生大事にあがめている。これは 不健全でしょう。

 7. 日本人はもともと万葉のむかしから そんなあたまで立って逆立ちしたまま往来を歩くなどということから 無理なく自由だったのではないでしょうか? どこでどうくるったのでしょう?
 
 

投稿日時 - 2012-03-31 15:11:42

QNo.7394398

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば、マリアとは、ユダヤ民族によって強姦された娘です。
そういう娘たちは数知れず存在し、差別によって生涯を迫害されて終わっていました。
いわゆる一神教の歴史とは差別の歴史であり、理想として「博愛」「平等」を謳います。

後の世界ではカトリックとプロテスタントが殺戮し合い、自由を求めた新世界(アメリカ)は、
奴隷による綿花農耕で栄えます。

マリアとは、差別され続けたユダヤ以外の民族の叫びであり、歴史の必然でした。

質問者さんは宗派の細かい設定に疑問を持っているようですが、
大局的な視野でキリスト教とはなんなのかを眺めなおしてみたほうがいいように感じます。
聖書も「例え話の講話」ですから。

投稿日時 - 2012-04-01 12:35:20

お礼

 お‐さいさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば、マリアとは、ユダヤ民族によって強姦された娘です。
 ★ マリアとは、差別され続けたユダヤ以外の民族の叫びであり、歴史の必然でした。
 ☆ 《差別》という《大局的な視野で》ユダヤ民族およびイエス以後の世界を見直せというご指摘でしょうか?

 M.ヱーバーでしたか わたしはこの人物が嫌いですからあまり出したくないのですが そういった視点からユダヤ民族=《パリア民》説を打ち出しましたね。外部からは エジプトによる奴隷化を初めとしてそのようにいろんな意味で虐げられて来た民族であると見得るとして そのユダヤ民族の内部では こんどはさらに別に
 ★  民族によって強姦された・・・娘たちは数知れず存在し、差別によって生涯を迫害されて終わっていました。
 ☆ という歴史もあるのだと。のちから見てでしょうが マリアはその典型となったのだと。
 そしてイエス以降の世界史においても ユダヤ民族もまだまださらに迫害を受けるわけですが そのほかの民族にしても 同じような社会的立ち場に追いやられているとしたら 言わば疑似体験のようなものを共有し その象徴としてまたはその心の拠り所として聖母マリアを 抱きつづけるようになったのだと。

 ただですね。まづ この《除け者》論については 別の質問でやっているのです。

 ○ 【Q:イエスは 排除された《第三項》か?】
   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7322517.html

 そうして この本質問は あくまで《けがれなき身ごもり》をどう解釈しておけばよいかを問うています。
 
 ○ 物語としてはですが 聖霊によるけがれ無き身ごもりという《神格》の貌(かお)とそして同時に DNA によるふつうの人間としての受胎という《人格》の貌 これらふたつの貌があるのだ。こう認識するなら 無理なく――たとえおとぎ話としてであっても―― 一般に共有することが出来るのではないか?

 こういう問いです。





 ひとつの民族が他のそれらから虐げられたということは どういうわけか 歴史的事実のようです。そしてその内部でも 除け者にされいわゆる犠牲に供される人びとがいるということも 歴史の示すところだと思います。
 ただ
 ★ 現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば
 ☆ という切り口からの発議だとすれば それは違うと考えます。

 1. もとは――遠くさかのぼれば―― 個人の《非経験のナゾ》との邂逅にあります。アブラム(のちのアブラハム)という個人に 神が《この父祖の土地を去って どこかへ行け》とささやいたという《非思考ないしヒラメキ》にそもそもの初めがあります。

 2. その子孫にもこの神が受け継がれ それぞれにおいて《信仰》が生きた動態となって現われたが たとえばアブラハムはその子イサクをいけにえとして捧げることを止めて 《人は人を殺さない》という命題を得た。これは 人間という存在にとっての《自由》という公理ですね。

 3. ところが この公理は モーセのときに《なんぢ ころすなかれ》という倫理規範としての命題となって持たれるようになった。つまり それまでは 個人個人の信仰において持たれていた公理が 人間の言葉に翻訳されてその言語表現が規範(戒め)として持たれるようになった。

 4. 信仰における神が 人びと共同の倫理規範を共有することにおいて あらたに・別様に 持たれるようになった。律法とも言いますが。

 5. このような人びと共同の規範が 人間の言葉に翻訳した信仰の内容であるとして持たれるということ これが 宗教の初めである。

 と考えるからです。《除け者の排除》問題とは 議論を起こす切り口もその発生の情況も違うと考えるからです。

 どうでしょう? と言っても問うている問題が違うのではありますが。

投稿日時 - 2012-04-01 13:59:58

ANo.15

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回答(24)

ANo.24

先ほどは二重投稿のようになってしまい失礼しました。

大体のクリスチャンは聖書を誤解しています。
それは、パウロなどイエスキリスト以外の人の言葉に飛びついているからです。イエスキリスト以外の人は悟っていないと考えた方がいいのです。

『一番大事なのはイエスキリストの言葉なのです。』

また、聖書だけで悟ることは非常に難しいです。仏典や他の真理の書を読んで真理全体を解き明かすことが最もだいじなことだと思います。
真理は仏教でもキリスト教でも同じなのです。

投稿日時 - 2012-04-03 08:16:19

お礼

 能書きは要りません。お茶を濁すだけの回答も ここまで来れば 意味がありません。

 まづはご回答をありがとうございます。
 ですが

 ★ 信じて
 ☆ これをつけ加えただけではないですか。

 《人間の意志によって》か それとも《神によって》か きちんと心に納得の行くように思い直してみてください。





 イエスの言葉を記しているのは 地の文をも書いている同じ聖書記者である。そんな子どもじみた話を出すもんぢゃありません。





 今後 同じようにお茶を濁すだけの投稿ならば テキトーにあしらうことにします。

投稿日時 - 2012-04-03 09:33:02

ANo.23

>>《人間の意志によってではなく 神によって生まれた人びとは そ
>>の神の聖霊ないし愛のチカラによって 律法の中身をも実質的に満た
>>すようになる》とイエス・キリストは説いたのです。まちがってはい
>>けません。


それはとんでもない勘違いというものです。
普通の人間がこの世に生まれる理由は『血と肉の欲と血筋』によって生まれます。

神の戒め・神のことばを守ることによって『神によって生まれる』ことになるのです。『律法の中身を満たすようになる』とは神の真理を知り、それを信じることです。それを信じることができれば自然と律法を満たすことができるようになるという意味です。真理を知ることが第一だといっているのです。
これを知らないと神の戒めを守ることが難しいからです。

しかし、律法は守らなくてはいけません。もし、そうでなければイエスキリストが何度も律法を守れとはいわないでしょう。

真理とは何か。これが理解できたとき、律法は後から自然とついてくるという意味です。真理とは何かは前に何度もいったのでやめときます。

【まず、神の真理を理解し、それを信じ、神の戒めを守り、神のことばを守る。】

【これができたとき、『神によって生まれる』ことができるのです。】

>>《人間の意志によってではなく 神によって生まれた人びとは そ
>>の神の聖霊ないし愛のチカラによって 律法の中身をも実質的に満た
>>すようになる》とイエス・キリストは説いたのです。まちがってはい
>>けません。


それはとんでもない勘違いというものです。
普通の人間がこの世に生まれる理由は『血と肉の欲と血筋』によって生まれます。

神の戒め・神のことばを守ることによって『神によって生まれる』ことになるのです。『律法の中身を満たすようになる』とは神の真理を知り、それを信じることです。それを信じることができれば自然と律法を満たすことができるようになるという意味です。真理を知ることが第一だといっているのです。
これを知らないと神の戒めを守ることが難しいからです。

しかし、律法は守らなくてはいけません。もし、そうでなければイエスキリストが何度も律法を守れとはいわないでしょう。

真理とは何か。これが理解できたとき、律法は後から自然とついてくるという意味です。真理とは何かは前に何度もいったのでやめときます。

【まず、神の真理を理解し、それを信じ、神の戒めを守り、神のことばを守る。】

【これができたとき、『神によって生まれる』ことができるのです。】


確かに聖書記者ヨハネの言葉も大事です。
しかし、一番大事なのはイエスキリストの言葉だと思わなければなりません。

投稿日時 - 2012-04-03 07:49:21

お礼

 No.24お礼欄を見られたし。

投稿日時 - 2012-04-03 09:33:36

ANo.22

>>今回もうかがったかぎりでは
 
>> ○ 《人間の意志によって〔そのおしえを理解して〕》ということに
>>なると思います。〔《人間の意志によってでもなく 神によってうまれ
>>た》(ヨハネ福音1:13)に対して〕矛盾ではないですか?
>>が問題であるようです。

イエスキリストは神によって生まれたといっていますよ。
イエスキリストは人間界に人間の意志で生まれたのではありません。
なぜなら、人間が人間として生まれる場合は『性欲』が必要だからです。
イエスキリストは天使(神の子)ですから、そのまま人間として生まれることはできません。性欲という汚れを持っていないからです。
だから、『処女懐妊』という形でしか生まれることができないのです。


>> ★ 矛盾はありませんよ。文字や言葉によって人間の理解で分かる
>>ように説いているのです。決して霊感のある人のみ分かるわけではあ
>>りません。
>> ☆ つまり
>> ★ 文字や言葉によって人間の理解で分かるように説いているのです。
>> ☆ は そのとおりであるかどうかを別として ただそのように文
>>章が書かれているということを言うのみです。問題は別です。

>> つまりもしそこで・そのようにしてのみ《分かった》から《神の子
>>として生まれた》というのであれば それは 矛盾です。《人間の〔理
>>解するという能力とその〕意志によって生まれた》ことになるからです。


《神の子として生まれた》とは誰のことですかイエスキリストのことですか?

どうも何がおっしゃりたいのかよく分かりません。
私がいうのは、イエスキリストがどのようにして生まれたのかという話ではないですよ。
イエスキリストが人々に分かりやすく真理を説いているという意味ですよ。霊感がなくても分かるようにね。

もし神の子として神の国に生まれたいのであれば、『神の戒めと神のことば』を守らなければなりません。もし、それが守れたら、誰でも神の国に生まれることができる。とイエスキリストは誰にでも分かりやすく話しているのではないですか?



>>   * すなわちここで言う《肉》は 《身と心 身体と精神》の全
>>体を言うはずです。
>>神格は 特に分かりやすいこととしては《真理》ゆえです。なぜなら
>>経験世界における事実と人間の真実といった全体としての現実を超え
>>ているからです。その意味での《真理》は 人間には分からない。


それは違います。肉の欲望と真理と混同してはいけません。
肉体はこの世に出現するためだけの乗り物に過ぎないのです。
その真理をイエスキリストが分かりやすく説明したものが新約聖書です。
もし、現実を超えているものが人間に分からないなら、イエスキリストは新約聖書を説かなかったでしょう。
前にも言いましたが『人間には分からない。』というように、真理を分からない世界に持っていくのはやめた方がいいです。

あなたは新約聖書をお読みになっても『真理』が分からなかったのですか?


>>★ イエスキリストの『道・真理・命』を受け入れた者は永遠の命を
>>獲得できる
>> ☆ というコトの内実です。《獲得する》ときの根拠がどうなってい
>>るかですもし
>> ★ 《受け容れた》
>> ☆ ことによってのみ神の子として生まれるというのであれば そ
>>れは《人間の意志〔による努力〕によって生まれた》ということにな
>>ります。
>> 《受け容れる》という人間の意志とそれによる行為そのものによっ
>>てではないと聖書記者ヨハネは言っています。たとえいくら
>> ▲ 『心を尽くして』『思いを尽くして』『知力を尽くして』
>> ☆ キリストイエスを受け容れたとしても その《人間の意志によ
>>るところ》のみでは 神の子として生まれることはありません。
>> したがって何ら説明にはなっていない。冒頭に触れた矛盾は 成り>>立っています。こう見ます。


どうも意味不明ですね。
イエスキリストがこの世に生まれたことをいっているのですか?
私はイエスキリストの真理によって人間が神の国に生まれることをいっているのですが。

イエスキリストを受け入れるとはどういう意味ですか?
**********************************************
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。』
(新約聖書)
**********************************************
イエスキリストを受け入れるとはこの二つの戒めを守ることです。
律法全体とはすべての戒めがこの二つの戒めにかかっているとは、もし、この二つの戒めを完全に守ることができれば、例外なく神の国に生まれることができるでしょう。

投稿日時 - 2012-04-02 17:32:40

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ☆☆(No.20お礼欄) ~~~~
  ▲(ヨハネ福音 1章) ~~~~~
 12節: しかし、ことば〔* すなわち キリスト〕は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

 13: この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

 [13の別訳]:この人びとは 血筋〔* つまり 生まれ〕によってではなく 肉の意志〔* つまり 感情〕によってではなく 人間の意志によってではなく 神によって生まれたのである。
 ~~~~~~~~~~~

  ☆ と書いてあります。もし
  ★ イエスキリストは人々に何を伝えたいのかが分かっていただけたと思います。イエスキリストは人間に分かるように説いているのです。
  ☆ というふうに《おしえ》によって神の子として〔かれを受け容れる人びとが〕生まれたというのであれば それは おそらく《人間の意志によって〔そのおしえを理解して〕》ということになると思います。矛盾ではないですか?
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《おしえを理解することによって》が《人間の意志によって》という範囲に含まれるのと同じように 次のような《律法を守ることによって》というのもそうであり それは神の子として生まれるその仕方とはやはり違うという意味です。

 《人間の意志によってではなく 神によって生まれた人びとは その神の聖霊ないし愛のチカラによって 律法の中身をも実質的に満たすようになる》とイエス・キリストは説いたのです。まちがってはいけません。

 ★ もし、この二つの戒めを完全に守ることができれば、例外なく神の国に生まれることができるでしょう。
 ☆ 実際問題として《戒め》ないし律法を守りきる人は いません。
 がそれは別としても 《戒めを守ることによって神の国に生まれる》いうことは これをそのまま受け取れば 《人間の意志によって 〔キリストの名を受け容れた人びとがそうなるというところの〕神の子として生まれた》という意味になります。

 けれども聖書記者ヨハネは そうではなく《人間の意志によってではなく 神によって生まれた》と言っているのです。

 聖霊のたすけがなければ 出来ないと言っているのです。《真理》についても同じくです。それを人間のことばで説明することは ただの仮りの説明です。その人間の言葉じたいが 真理ではありません。もしそうなら 街の到るところに真理がうぢゃうぢゃしていましょう。聖書のくだりを声を出して読んだら そこら中に真理が分かったというだけではなく 真理が街を歩いていることになりましょう。

 キリスト・イエスが神の子であるという問題ではありません。別です。人びとが神の子として生まれたというその問題です。はぐらかしは 無しにしましょう。




 ★ あなたは新約聖書をお読みになっても『真理』が分からなかったのですか?
 ☆ 読めば分かるというのは 《読むという・また理解しようとする人間の意志によって 神の子として生まれた》ことを意味します。そうではないと書かれているのです。
 ようく目を開けて 何度も読み返してみてください。いまはこの一点の問題にしぼっていいでしょう。



 ヒントは バプテスマの問題です。つまり聖霊によるバプテスマ。これがなければ 信仰は得られないでしょうし 神の子として生まれることもかなわない。こういう意味です。
 聖霊は 神です。神が 肉の目にも心の目に科学の目にも ほんとうには見えません。仮りの説明をとおして予感することにおいてやっと 主観においては 分かったとなるのです。

 モーセは律法を示しましたが キリスト・イエスは 真理と恩恵をも示しました。恩恵のうえに恩恵をも。
 それは 聖霊のほかにはありません。

 あなたのように唯物志向の人にはなかなか分かりづらいでしょう。
 ★ イエスキリストは天使(神の子)ですから、
 ☆ くだらない解釈は ただちに捨てなさい。

投稿日時 - 2012-04-02 18:32:53

ANo.21

>> ★ ~~~
>> しかし、この世界は空(夢)であり、一切は神のことばで造られた
>>映像であるという唯心論が真実であれば、死とは夢が覚めることであ
>>り、死後の世界は夢の覚めた世界(霊界)であり、善なる者の次の夢
>>は天国の夢になり、極悪非道の者の次の夢は地獄の夢であり、一切は
>>神の夢であるから、神は存在することになるのです。
>> ~~~~~
>> ☆ だから どうだというのでしょう? 聖書のどこを読むとそん
>>なことが書いてありますか? イエス・キリストとは何の関係もない
>>ことではないですか。


前にも書いたけどもう一度書きます。
**********************************************
『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって、造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』
(ヨハネの福音書)
**********************************************
神はことばなのです。
この世の一切は催眠術のように神のことばで造られた映像なのです。

死ぬということは、夢が覚めるということです。夢が覚めれば神の国にいなくてはなりません。しかし、肉の欲望によって再び人間の世界に、または、地獄の世界の夢に変わるのです。

**********************************************
人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない。とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。》
(新約聖書)
**********************************************
『水と御霊によって生まれる』とは『水は悔い改め』『御霊は神のことば、神の戒めを守ること』このようにして神の国に生まれることができるという意味です。
『風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。』
人間は今世のことは分かるが、前世は何処にいたのか、来世は何処に行くのかを知らない。という意味です。


>> ★ ~~~~
>> だから、イエスキリストは次の夢は苦しみの多いこの人間世界に再
>>び生まれないように、今の中に『神の戒め、神のことば』を守って、
>>永遠の寿命である苦しみのない天界の夢を見なさい。といっているの
>>です。
>> その方法が新約聖書に述べられているのです。
>> ~~~~~~
>> ☆ 一文だけでいいですから 聖句を示してください。
>> いちばん大事なところをです。


これも前に書きました。
**********************************************
「尊い先生、永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいのでしょうか。」イエスは彼らに言われた。
《なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』》
(新約聖書)
**********************************************
ここに書かれてあるとおり、神の戒めを守らなければ、神の国に生まれることはできないのです。


>> そうですね。これだけでは つまらない思いをなさいましょうから
>> 質問をしておきましょう。
>> ▲(ヨハネ福音 1章) ~~~
>> 12節: しかし、ことば〔* すなわち キリスト〕は、自分を受
>>け入れた人、そ
>> 13: この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、
>>人の欲によっ
>> [13の別訳]:この人びとは 血筋〔* つまり 生まれ〕によってで
>>はなく 肉の
>> ~~~~~~~~~~~

>> ☆ と書いてあります。もし
>> ★ イエスキリストは人々に何を伝えたいのかが分かっていただけ
>>たと思います。
>>イエスキリストは人間に分かるように説いているのです。
>> ☆ というふうに《おしえ》によって神の子として〔かれを受け容
>>れる人びとが〕生まれたというのであれば それは おそらく《人間
>>の意志によって〔そのおしえを理解して〕》ということになると思いま
>>す。矛盾ではないですか?


その通りですよ。矛盾はありませんよ。文字や言葉によって人間の理解で分かるように説いているのです。決して霊感のある人のみ分かるわけではありません。

イエスキリストを受け入れるとは。
イエスキリストは『私は道であり、真理であり、命である』といいましたよね。これはイエスキリストの肉体のことではないのです。

前にも言いましたように『肉体の欲望(性欲・食欲・金銭欲)によって、生まれるなら人間の世界に生まれてしまう』『肉によって生まれた者は肉です。』
だからイエスキリストの『道・真理・命』を受け入れた者は永遠の命を獲得できる。ということです。永遠の命とは神の国の寿命のことです。

**********************************************
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。』
(新約聖書)
**********************************************
ここに書かれているように、微細なところも見逃さず、
『心を尽くして』『思いを尽くして』『知力を尽くして』
聖書を読まなければいけないのです。

投稿日時 - 2012-04-02 08:08:39

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 今回もうかがったかぎりでは
 
 ○ 《人間の意志によって〔そのおしえを理解して〕》ということになると思います。〔《人間の意志によってでもなく 神によってうまれた》(ヨハネ福音1:13)に対して〕矛盾ではないですか?

 が問題であるようです。

 ★ 矛盾はありませんよ。文字や言葉によって人間の理解で分かるように説いているのです。決して霊感のある人のみ分かるわけではありません。
 ☆ つまり
 ★ 文字や言葉によって人間の理解で分かるように説いているのです。
 ☆ は そのとおりであるかどうかを別として ただそのように文章が書かれているということを言うのみです。問題は別です。
 つまりもしそこで・そのようにしてのみ《分かった》から《神の子として生まれた》というのであれば それは 矛盾です。《人間の〔理解するという能力とその〕意志によって生まれた》ことになるからです。

 ★ ~~~~
 イエスキリストを受け入れるとは。
 イエスキリストは『私は道であり、真理であり、命である』といいましたよね。これはイエスキリストの肉体のことではないのです。
 ~~~~~ 
 ☆ 人格と神格 両方を一体のこととして言っていると見ますが それは措いておきます。

   * すなわちここで言う《肉》は 《身と心 身体と精神》の全体を
    言うはずです。
     神格は 特に分かりやすいこととしては《真理》ゆえです。なぜ
    なら 経験世界における事実と人間の真実といった全体としての現
    実を超えているからです。その意味での《真理》は 人間には分か
    らない。

 ★ 前にも言いましたように『肉体の欲望(性欲・食欲・金銭欲)によって、生まれるなら人間の世界に生まれてしまう』『肉によって生まれた者は肉です。』
 ☆ これは 聖霊なる神をこの肉(つまり身体および精神)がやどさないとは言っていないはずです。それは措くとして。

 ★ だからイエスキリストの『道・真理・命』を受け入れた者は永遠の命を獲得できる。ということです。永遠の命とは神の国の寿命のことです。
 ☆ 《永遠の命》とは何か? これもいまは措きます。ただしヨハネ第一章の《神の子として生まれた》とは重なると捉えます。
 そこで問題は
 ★ イエスキリストの『道・真理・命』を受け入れた者は永遠の命を獲得できる
 ☆ というコトの内実です。《獲得する》ときの根拠がどうなっているかです。
 もし
 ★ 《受け容れた》
 ☆ ことによってのみ神の子として生まれるというのであれば それは《人間の意志〔による努力〕によって生まれた》ということになります。

 《受け容れる》という人間の意志とそれによる行為そのものによってではないと 聖書記者ヨハネは言っています。たとえいくら
 ▲ 『心を尽くして』『思いを尽くして』『知力を尽くして』
 ☆ キリストイエスを受け容れたとしても その《人間の意志によるところ》のみでは 神の子として生まれることはありません。

 したがって何ら説明にはなっていない。冒頭に触れた矛盾は 成り立っています。こう見ます。

投稿日時 - 2012-04-02 10:32:05

ANo.20

>> ★ この世界が実在であるという唯物論では聖書を理解することは
>>できませんよ。といっているのです。
>> ☆ では 理解しえたその像を 仮りのかたちででも構いませんか
>>ら 示してください。それを理解して 対応します。


一般にビッグバンによって、宇宙ができ、地球ができ、単細胞生物が進化して、人間になった。自分は自然に出来た肉体であり、心は脳にあり、脳の電気信号が思考である。という唯物論に立って考えた場合。

この唯物論的な考えが真実であれば、死後の世界も天国も地獄もありません。また、神もいないし、イエスキリストの神のことばもまったく意味をなさないたわごとになります。

しかし、この世界は空(夢)であり、一切は神のことばで造られた映像であるという唯心論が真実であれば、死とは夢が覚めることであり、死後の世界は夢の覚めた世界(霊界)であり、善なる者の次の夢は天国の夢になり、極悪非道の者の次の夢は地獄の夢であり、一切は神の夢であるから、神は存在することになるのです。


>> ★ この世界は実在の世界ではなく、神のことばで造られた映像の
>>世界であるという大真理の立場から考えるとき初めて聖書の意味が分
>>かるという意味です。
>> ☆ では いまこのように述べている つきほしさんの日本語とし
>>ての言葉とたとえばわたしが使っている言葉と いったいどのように
>>互いに違っているのでしょう? どう《実在の世界ではない》のでし
>>ょう?


この世界は実在の世界ではなく、夢の世界だということが大きな違いです。たとえば『あなたが裁くようにあなたも裁かれます。』というのは因果応報の法則も、この世界が実在の世界なら、絶対に起きなく、それはただの偶然だということになります。
このように、イエスキリストの言葉を一切理解できないことになるということです。


>> ★ 神のことばで造られた
>> ☆ というところからして すでにその中身は雲をつかむような話
>>です。《理解しえた》のなら その内容をしっかりと示してください。
>> 示せないのなら ただ《言うだけ》――湯うだけ――で味噌汁には
>>なりません。


雲をつかむような話ではありません。あなたは夢を見たことがありませんか?目が覚めたとき、夢の世界ができるのに人間の進化など必要なく、ただ一瞬にして夢の世界にいたことに気付いたのではないですか?
たとえ夢の中で死んでも、この世で目覚めるだけでしょう。

だから、イエスキリストは次の夢は苦しみの多いこの人間世界に再び生まれないように、今の中に『神の戒め、神のことば』を守って、永遠の寿命である苦しみのない天界の夢を見なさい。といっているのです。
その方法が新約聖書に述べられているのです。


>> ★ 聖書は人間の理解を超えたものである。といった説明で煙に巻
>>くのは止めた方がいいです。イエスキリストは人間に分かるように説
>>いているということです。
>> ☆ というその結果 どういう理解が得られていましょうか? 早
>>くうかがいたいものです。


今まで、書いたことを読んでいただければ、聖書に何が書いてあるのか。
イエスキリストは人々に何を伝えたいのかが分かっていただけたと思います。イエスキリストは人間に分かるように説いているのです。
ただ、唯物論という原罪の目で読むときはまったく意味不明になるのです。

投稿日時 - 2012-04-01 19:33:39

お礼

 ご回答をありがとうございます。
 
 ★ ~~~
 しかし、この世界は空(夢)であり、一切は神のことばで造られた映像であるという唯心論が真実であれば、死とは夢が覚めることであり、死後の世界は夢の覚めた世界(霊界)であり、善なる者の次の夢は天国の夢になり、極悪非道の者の次の夢は地獄の夢であり、一切は神の夢であるから、神は存在することになるのです。
 ~~~~~
 ☆ だから どうだというのでしょう? 聖書のどこを読むとそんなことが書いてありますか? イエス・キリストとは何の関係もないことではないですか。


 ★ ~~~~
 だから、イエスキリストは次の夢は苦しみの多いこの人間世界に再び生まれないように、今の中に『神の戒め、神のことば』を守って、永遠の寿命である苦しみのない天界の夢を見なさい。といっているのです。
 その方法が新約聖書に述べられているのです。
 ~~~~~~
 ☆ 一文だけでいいですから 聖句を示してください。

 いちばん大事なところをです。



 そうですね。これだけでは つまらない思いをなさいましょうから 質問をしておきましょう。
 ▲(ヨハネ福音 1章) ~~~
 12節: しかし、ことば〔* すなわち キリスト〕は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

 13: この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

 [13の別訳]:この人びとは 血筋〔* つまり 生まれ〕によってではなく 肉の意志〔* つまり 感情〕によってではなく 人間の意志によってではなく 神によって生まれたのである。
 ~~~~~~~~~~~

 ☆ と書いてあります。もし
 ★ イエスキリストは人々に何を伝えたいのかが分かっていただけたと思います。イエスキリストは人間に分かるように説いているのです。
 ☆ というふうに《おしえ》によって神の子として〔かれを受け容れる人びとが〕生まれたというのであれば それは おそらく《人間の意志によって〔そのおしえを理解して〕》ということになると思います。矛盾ではないですか?

投稿日時 - 2012-04-01 20:49:37

ANo.19

>> ( a )
>> ★ 物事を唯物論に立って考える以上、聖書の意味の理解は不可能
>>と言っているのです。
>> ★ この意味が分からないと、唯物論に立って聖書を理解しなけれ
>>ばなりません。それは不可能です。
>> ( b )
>> ★ 今までのあなたの意見を総合的に判断すると、聖書を人間の理
>>解できない煙の中に導いて、真理をうやむやにし、煙に巻こうとして
>>いるように見えます。


>> これら( a )( b )二つの命題(つまり わたしの文章についての
>> つきほしさ

>>すべて《文字》に気を取られ その範囲でだがよいと思った聖書のく
>>だりをうまく用いて作文をする。こんな話はありません。


この世界が実在であるという唯物論では聖書を理解することはできませんよ。といっているのです。
この世界は実在の世界ではなく、神のことばで造られた映像の世界であるという大真理の立場から考えるとき初めて聖書の意味が分かるという意味です。

聖書は人間の理解を超えたものである。といった説明で煙に巻くのは止めた方がいいです。イエスキリストは人間に分かるように説いているということです。

投稿日時 - 2012-04-01 16:58:11

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ この世界が実在であるという唯物論では聖書を理解することはできませんよ。といっているのです。
 ☆ では 理解しえたその像を 仮りのかたちででも構いませんから 示してください。それを理解して 対応します。

 ★ この世界は実在の世界ではなく、神のことばで造られた映像の世界であるという大真理の立場から考えるとき初めて聖書の意味が分かるという意味です。
 ☆ では いまこのように述べている つきほしさんの日本語としての言葉とたとえばわたしが使っている言葉と いったいどのように互いに違っているのでしょう? どう《実在の世界ではない》のでしょう?

 ★ 神のことばで造られた
 ☆ というところからして すでにその中身は雲をつかむような話です。《理解しえた》のなら その内容をしっかりと示してください。
 示せないのなら ただ《言うだけ》――湯うだけ――で味噌汁にはなりません。

 ★ 聖書は人間の理解を超えたものである。といった説明で煙に巻くのは止めた方がいいです。イエスキリストは人間に分かるように説いているということです。
 ☆ というその結果 どういう理解が得られていましょうか? 早くうかがいたいものです。

投稿日時 - 2012-04-01 17:09:51

ANo.18

> ただの《文字》ぢゃないですか?
 あるいはまた ( a )の《人間イエスの妊娠と出産》という経験事象の側面とそして( b )の《神なる聖霊による身ごもり》つまりはそれとして《処女懐胎》とを まぜこぜにしてその文字は述べている。ということでしょう。
 それくらいは読み取ってください。

聖書には、確かに「右の目が罪を犯させるならえぐりだせ」などの実行が難しい箇所はありますが、聖書は救いのためのものであり文学作品ではありません。日本人の悪い癖だと思うのですが、聖書を読むときは行間を読むことをしてはなりません。直接書いてある言葉と解説だけを信じてください。
ルカによる福音書の当該箇所は、信じるのがそれほど困難とも思えません。日本国憲法で思想、良心の自由が認められているので信じないのは勝手ですが。

私は、回答のつもりで書いているのですが、回答ではないと判断した場合通報するボタンがありますので
それを利用してください。

投稿日時 - 2012-04-01 14:46:02

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 今回は ご回答であるようです。説明がなく不親切なものですが 質問にまともに向き合っていると思います。

 ★ ~~~
 直接書いてある言葉と解説だけを信じてください。
 ルカによる福音書の当該箇所は、信じるのがそれほど困難とも思えません。
 ~~~~~

 ☆ まづその箇所を再掲しておきます。
 ☆☆(No.3お礼欄) ~~~~~
  つまり こういうことでしょうか?

 ▲ (1:36) ~~~~~
    「どうして、そのようなことがありえましょうか。
     わたしは男の人を知りませんのに。」
 ▲ (1:37) ~~~~
     神にできないことは何一つない。」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ゆえに 《処女懐胎》が 事実だというご主張でしょうか?

 ▲ 文字はころし 霊は生かす。

 ただの《文字》ぢゃないですか?
 あるいはまた ( a )の《人間イエスの妊娠と出産》という経験事象の側面とそして( b )の《神なる聖霊による身ごもり》つまりはそれとして《処女懐胎》とを まぜこぜにしてその文字は述べている。ということでしょう。
 それくらいは読み取ってください。
 ~~~~~~~~~~~~~~~



 別の角度から考えてみましょう。
 このくだりにしろどこにしろ 聖書は 物語としてイエスの生涯が終わってから書かれています。つまりあとで知ったこと・分かるようになったことを すでにイエスの生前のそのつどの時点においても 織り込んで書いています。
 たとえばペテロは――という意味は 弟子たちすべての人は という意味で言うのですが―― イエスが十字架上に去って行ったあと やっとと言いましょうか 物語上《復活した》イエスに出会ってそこで初めて 人間イエスは 神の子キリストであったと〔それは生前イエスが言っていたこととしても〕さとった。のです。
 ペテロは分からないから 祭司長のところへイエスが連れて行かれたとき その先生であるイエスを否定したのです。
 あるいは イエスが去って行かなければ パラクレートなる聖霊は弟子たちや人びとに送られて来ないのです。

 ぎゃくに言えば 十字架上に去り墓の中からも消えたあと 弟子たちの心によみがえって来たとき ようやく神の子キリストであるイエスが分かったのです。それをもとに・その知識をすでに使ってイエスの生涯を思い起こし認識し直したうえで 聖書というイエス物語が書かれています。

 ですから もしこのイエスの死後に聖霊が降って来ていない時点での出来事は すべて 人びとは《イエスが神の子キリストである》とは分からなかった。
 つまり イエスは はっきりと言っていたかも知れません。それでも 誰も分かる人はいなかった。おそらく《言葉では》そのように言っていたかも知れませんが それでも分からなかった。


 
 といった全体としての事情のもとに たとえばマリアに対する天使による受胎告知の話がある。こう考えるべきでしょう。
 仮りにまったくその書かれたとおりの事態が起きたとしましょう。それでも おそらくその言葉の意味は マリアにしてもその周りの人びとにしても 誰もキリストのことは分からなかった。そもそも キリストないしメシアは イスラエルの王のことを言うのですから その程度にしかイエスについてその正体は 分からなかったでしょう。

 そういう意味で
 ★ 直接書いてある言葉と解説だけを信じてください。
 ☆ という指導には従い得ません。どうでしょう?
 

投稿日時 - 2012-04-01 16:12:08

ANo.17

補足について。

>> 次の二つの命題は 互いに矛盾しています。
>> ★( a ) ~~~~~~~
>> エホバの聖人が世界に何万人いますか?
>> 彼らが『まれな存在』と言えますか?
>> ★( b ) ~~~~~~~~
>> 『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関す
>>ることは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向か
>>っているのです。
>> ~~~~~~~~~~~~~~~~~

どこが矛盾していますか?
**********************************************
『狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』
(新約聖書)
**********************************************
『まれ』という意味は、10000人に一人とか10000000人に一人とか世界で数人という意味です。
だから、エホバの聖人の信者は世界で数人というほど『まれ』な存在ですか?
大樹であるキリスト教団体のクリスチャンは世界に数人というほど『まれ』な存在ですか?という意味です。
彼らはすべて滅びに至る大きな門に向かっていませんか?


>> ★ これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神
>>から来ており、神のみ生きている方なのです。
>> ☆ ぢゃあその《生きていない》あなたが 何を言っても ただの
>>錯乱でしかないとなりませんか?
>> ~~~~~~~~~~~~~

あなたは夢の中にいるとき、夢の中の自分は生きていたと思いますか?
生きているのはフトンの中で眠っている実在の自分ではないですか?
これと同じで、神は幻を造っている方で、幻の中に入ることはできません。したがって、イエスキリストは唯一の神ではありません。

投稿日時 - 2012-04-01 13:17:37

お礼

 もうしわけないが ご愁傷さまです。



 わたしの文章を読んで もとのふつうのあなたご自身を取り戻してください。

投稿日時 - 2012-04-01 14:11:58

ANo.16

>> ★ その理由は「この世界は神のことばの世界」つまり「幻の世界」
>>であるという
>>大真理に立っていないから、理解不能に陥っているのです。
>> ☆ あなたご自身が 《理解》しえてから 回答を寄せるようにし
>>てください。

物事を唯物論に立って考える以上、聖書の意味の理解は不可能と言っているのです。


>> ☆ 《文字は殺し 霊は生かす》を省みてください。
>> 神が人間によってまた人間の言葉によって認識され得たなら それ
>>は神ではありません。ただ人間が想像し思考して編み出した観念とし
>>ての神です。つまり 思考と想像の産物であり 神ではありません。

何を言いたいのかよく分かりません。
もし、文字が殺すのであれば、聖書は皆死んでいることになります。
また、霊についても文字で表さない限り、霊とは何かについては誰も分からないでしょう。


>>神の独り子のキリストを聖書記者ヨハネが《ことば》として 人間の
>>言葉で表現したのは あくまで仮りの代理としての表現です。それを
>>とおして――つまり《文字そのままではなく 文字をとおして》――
>>人はおおよそのイメージや概念を 神にかんして 得るというための
>>ものです。
>>ただし そのような説明によって 《神が何でないか》についてはわ
>>れわれ人間はよく分かるのです。

そのように神は人間には分からないと言うような勝手な表現こそ空想、想像にすぎないと思いませんか?
**********************************************
『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって、造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』
(ヨハネの福音書)
**********************************************
この聖句を曲げて捉えてはいけません。
この文章のまま、そのままの意味です。
神はことばなのです。
この世の一切は催眠術のように神のことばで造られた映像なのです。
この意味が分からないと、唯物論に立って聖書を理解しなければなりません。それは不可能です。


>> 3.
>> ★ 戒め
>> ☆ などはひとつもありません。強いて言えば――イエスも言った
>>ように―― 神を愛せ そして隣人を愛せ》という二つにして一つの
>>コトです。 しかもこの《愛》も 人間の感情や理性でそう努力する
>>場合もあるのは然ることながら もし要請されているとするなら そ
>>れは 神からの愛によって――つまりそれ
>>は 予感のようなかたちで そうだとすれば実現します――与えられ
>>るのであり そのあたえられた愛のもとに出来ることです。
>> つまり 人間にはちょっとやそっとでは出来ません。《戒め》はない
>>のです。自由です。

そのようにイエスキリストの言葉を簡単に否定することは止めた方がいいですよ。
**********************************************
「尊い先生、永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいのでしょうか。」イエスは彼らに言われた。
《なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』》
(新約聖書)
**********************************************
これはイエスキリストの言葉ですが、この戒めを守らずに永遠の命を得、神の国に生まれることは不可能です。


>> * 《わたしは真理である》――なぜなら 《真理はきみたちを自由>>にする》。

>>なぜなら 文字は人を殺すからです。観念の城の中に閉じこもって行
>>くからです。
>>自分自身のチカラで その倫理規範をおこなおうとするからです。そ
>>れは 意味がな
>>く 意味がないどころか 人をただの人間主義あるいは科学万能主義>>に落ち入らせ ころしてしまうからです。


『真理はあなた方を自由にする』という意味は神の戒めを守ることによって、病気事故災害などの苦しみから解放されることをいうのです。

イエスキリストの戒めを守るのに、自分の力で戒めを守らなくてどうするのですか?イエスキリストの言葉は信じられないのですか?


>> ★ 神のことば
>> ☆ が 人間の言葉であるに過ぎないからです。人間は 何によっ
>>てもそれを示せ
>>ないどころか それが何であるかさえ分かっていません。ただし そ
>>れが――つまり
>>神のことばや 神が――何でないかは はっきりと示すことが出来ます。
>> 人間の言葉によって書いた作文は 神のことばでも神でもありません。

ということは、聖書を読んだが分からなかったという意味でしょうね。
**********************************************
《このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。岩の上の落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。いばらの中に落ちるとき、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。》
(新約聖書)
**********************************************
このたとえ話で言うと、あなたは
『みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。』この言葉に属すると思いますよ。


今までのあなたの意見を総合的に判断すると、聖書を人間の理解できない煙の中に導いて、真理をうやむやにし、煙に巻こうとしているように見えます。

投稿日時 - 2012-04-01 12:55:03

お礼

 もういいでしょう。
 訪問者のみなさんも 分かっていただけたかと考えます。これ以上は 無駄というものです。




 ( a )
 ★ 物事を唯物論に立って考える以上、聖書の意味の理解は不可能と言っているのです。
 ★ この意味が分からないと、唯物論に立って聖書を理解しなければなりません。それは不可能です。
 ( b )
 ★ 今までのあなたの意見を総合的に判断すると、聖書を人間の理解できない煙の中に導いて、真理をうやむやにし、煙に巻こうとしているように見えます。


 これら( a )( b )二つの命題(つまり わたしの文章についての つきほしさんの判断)は 矛盾していましょう。いったい何を読んでいるのか。





 すべて《文字》に気を取られ その範囲でだがよいと思った聖書のくだりをうまく用いて作文をする。こんな話はありません。

投稿日時 - 2012-04-01 14:09:54

ANo.14

>> ☆ そのご説明はまったくコメントのしようがないほどのしろもの
>>ですが 確かにこの(2)の命題のことを とおくはるかに説明しよ
>>うとしている。とは思いました。ですが 哲学ではありません。どこ
>>が? 指摘するなら こちらが哲学ではなくなります。


確かにそのように見えると思います。
その理由は「この世界は神のことばの世界」つまり「幻の世界」であるという大真理に立っていないから、理解不能に陥っているのです。


>>★ 概念があいまいなまま信じてはいけません。
>> ☆ それは多少は想像を交えた《考える》という行為です。《概念》
>>が経験思考であることを物語っています。
>> 《信じる》は《考える》とは何の関係もありません。《非思考》なの
>>です。
>> なぜなら 神が《非経験の場ないしそのチカラ》だからです。これ
>>を心に受け容れるのが 《信じる》ことです。
>> 信じる対象は じつは非経験の場なのですから 非対象ですが 信
>>じるというその行為じたいは 経験行為である人間の心的現象です。


そんなに難しく考える必要はありません。

たとえば、『山田さんを信じる 』という場合、山田さんを信じることはできません。
○山田さんの考えを信じる
○山田さんの言葉を信じる
○山田さんの行いを信じる
このどれかになり、山田さんそのものを信じることではありません。

これと同様で、『神を信じる』という場合も同じです。
○神の考えを信じる
○神のことばを信じる
○神の行為を信じる
このどれかになり、神そのものを信じることはできません。

○神のことばを信じるのであれば、イエスキリストのいう『神の戒めを守り、神のことばを行わなければなりません。』
○神の行いを信じるのであれば、『この世は神のことばで造られており、自然に出来た世界ではない。』という真理を信じなければなりません。

【これを信じることを『信仰』というのです。】


>> ☆ イエスとキリストのことをご存じではない。趣旨説明欄にも説
>>明しています。
>> あるいはつまり 《イエスキリスト》とすでに言っているのなら 
>>人間(イエス)と神(キリスト)とが 同時にひとりの存在の中にあ
>>ると言っているぢゃありませんか。


確かに『人間(イエス)と神(キリスト)とが 同時にひとりの存在の中にあると言っています。』

それは、『イエスキリストという肉体人間の中に神のことばという智慧がある。』という意味です。

**********************************************
まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。
(新約聖書)
**********************************************
イエスキリストが磔になった時、誰かイエスキリストの血を飲んだ者がいますか?イエスキリストの肉を食べた者がいますか?

イエスキリストの血とは『イエスキリストの神のことばのことです。』
イエスキリストの肉とは『イエスキリストの神のことばのことです。』

このように聖書は間違って解釈するととんでもない誤解を生みます。

投稿日時 - 2012-04-01 09:35:11

補足

 ☆☆(No.13お礼欄) ~~~~
 3.
 次の二つの命題は 互いに矛盾しています。
 ★( a ) ~~~~~~~
 エホバの聖人が世界に何万人いますか?
 彼らが『まれな存在』と言えますか?
 ★( b ) ~~~~~~~~
 『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関することは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向かっているのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~


 
 5. 
 ★ これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神から来ており、神のみ生きている方なのです。
 ☆ ぢゃあその《生きていない》あなたが 何を言っても ただの錯乱でしかないとなりませんか?
 ~~~~~~~~~~~~~

投稿日時 - 2012-04-01 10:36:44

お礼

 ご回答をありがとうございます。


 1.
 ★ その理由は「この世界は神のことばの世界」つまり「幻の世界」であるという大真理に立っていないから、理解不能に陥っているのです。
 ☆ あなたご自身が 《理解》しえてから 回答を寄せるようにしてください。

 

 2.
 ★ ~~~
 ○ 神のことばを信じるのであれば、イエスキリストのいう『神の戒めを守り、神のことばを行わなければなりません。』
 ○ 神の行いを信じるのであれば、『この世は神のことばで造られており、自然に出来た世界ではない。』という真理を信じなければなりません。

 【これを信じることを『信仰』というのです。】
 ~~~~~
 ☆ 《文字は殺し 霊は生かす》を省みてください。
 神が人間によってまた人間の言葉によって認識され得たなら それは神ではありません。ただ人間が想像し思考して編み出した観念としての神です。つまり 思考と想像の産物であり 神ではありません。

 神の独り子のキリストを聖書記者ヨハネが《ことば》として 人間の言葉で表現したのは あくまで仮りの代理としての表現です。それをとおして――つまり《文字そのままではなく 文字をとおして》――人はおおよそのイメージや概念を 神にかんして 得るというためのものです。
 ただし そのような説明によって 《神が何でないか》についてはわれわれ人間はよく分かるのです。


 3.
 ★ 戒め
 ☆ などはひとつもありません。強いて言えば――イエスも言ったように―― 《神を愛せ そして隣人を愛せ》という二つにして一つのコトです。
 しかもこの《愛》も 人間の感情や理性でそう努力する場合もあるのは然ることながら もし要請されているとするなら それは 神からの愛によって――つまりそれは 予感のようなかたちで そうだとすれば実現します――与えられるのであり そのあたえられた愛のもとに出来ることです。
 つまり 人間にはちょっとやそっとでは出来ません。《戒め》はないのです。自由です。

  * 《わたしは真理である》――なぜなら 《真理はきみたちを自由にする》。

 なぜなら 文字は人を殺すからです。観念の城の中に閉じこもって行くからです。自分自身のチカラで その倫理規範をおこなおうとするからです。それは 意味がなく 意味がないどころか 人をただの人間主義あるいは科学万能主義に落ち入らせ ころしてしまうからです。


 4.
 ○ 信じる
 ☆ ということについて もっとしっかり考えてみてください。ただ作文を書けばよいというものではありません。
 ★ ~~~
 イエスキリストの血とは『イエスキリストの神のことばのことです。』
 イエスキリストの肉とは『イエスキリストの神のことばのことです。』
 ~~~~~ 
 ☆ これもただの作文です。
 なぜなら 
 ★ 神のことば
 ☆ が 人間の言葉であるに過ぎないからです。人間は 何によってもそれを示せないどころか それが何であるかさえ分かっていません。ただし それが――つまり神のことばや 神が――何でないかは はっきりと示すことが出来ます。
 人間の言葉によって書いた作文は 神のことばでも神でもありません。

投稿日時 - 2012-04-01 10:28:58

ANo.13

>>エホバの証人さんですね。
>> イエスをキリスト(メシア)つまり神の子であり神である存在だと
>>は認めないという。

エホバの聖人が世界に何万人いますか?
彼らが『まれな存在』と言えますか?


>> もちろん 良心・信教の自由に立ちますが 問題はここで 《けが
>>れなき身ごもり》のことをどう解釈するか? です。

それはすでに述べましたよね。もう一度いいますか?
**********************************************
この世界は神の世界から追放された幻であるため、この人間世界に生まれるには、『汚れ』という条件が必要なのです。それは、『性欲』です。性欲のない天使(神の子)はこの人間界に生まれることはできません。

もう少し具体的にいいますと、父親と母親が性交します。そのとき、父親に嫉妬をしてその中に入ってくる霊は男。また、母親に嫉妬をして入って来る霊は女としてその母親が妊娠するのです。

天使の世界(神の国)には性欲はありません。性欲があったら天使にはなれないからです。このように『性欲と嫉妬』がない天使は、性欲によって生まれることはできません。だからマリアは処女懐妊という形をとる方法しかないのです。
**********************************************


>> イエスの人格とキリストの神格 これら言わばふたつの貌(かお)
>>が 同時に一体であるという――むろん三位一体の説としての――理
>>論から解釈しておけば 無理なく受け留められるのではないか? こ
>>う問うています。
>> 人であるイエスの母としての貌 および 神であるキリストをみご
>>もったというそのけがれなき身ごもりを体験した貌 これらが同時に
>>一体であると見れば 何の問題もないというものです。

聖書の何処に三位一体と書いてありますか?
イエスキリストは神の子(天使)ではあるが、神ではありません。
人間が神を身ごもることは不可能です。
神は人を造られたが、神自身が自分の造った人間に生まれることは不可能なのです。

『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関することは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向かっているのです。


>> ▲ 私は道であり、真理であり、命である。
>> ☆ 《道》や《命》は 概念があいまいですが 《真理》ははっき
>>りとしています。《絶対》あるいは《無限》のことです。つまり 《神》
>>のことです。人間の捉えることのできない非経験の場ないしそのチカ
>>ラのことです。

概念があいまいなまま信じてはいけません。
『道』とは神の国に生まれるための道です。
『命』とは、この世界は幻の世界であるため、誰一人命を持っていないのです。夢の中に命がないのと同じです。眠っている自分の本体だけが生きているのです。
これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神から来ており、神のみ生きている方なのです。


>> つまり キリストである《ことば》が イエスという肉になった。
>>一体となった。ことは はっきりとしています。

確かに聖書にありますが、これは解釈の間違いです。
イエスキリストは人間に神のことばを伝えるためのみによって生まれました。だから、肉体が神ではないのです。イエスキリストが神から預かっている『神のことば』が神なのです。
『神のことばを伝えるためのみによって生まれた』という意味です。

たとえば『あいつは人間の皮をかぶったオオカミだ』といいますが、これとまったく同じ表現です。
『イエスキリストは人間の皮をかぶった神だ』という表現はできます。
しかし、イエスキリストは人間である限り神そのものではありません。

投稿日時 - 2012-04-01 07:47:13

お礼

 ご回答をありがとうございます。


 1.
 ☆☆(趣旨説明欄) ~~~
 2. 母マリアは 遠くダヰデの血筋に連なる男であるヨセフとの性交によって子イエスをもうけた( a )のであるが それは同時に神なる聖霊によって身ごもったというかたち( b )です 物語のうえでは。後者のキリストにかんする側面が いわゆる処女懐胎です。人格( a )と神格( b )の両方の側面が 同時に一体として あります。
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ そのご説明はまったくコメントのしようがないほどのしろものですが 確かにこの(2)の命題のことを とおくはるかに説明しようとしている。とは思いました。ですが 哲学ではありません。どこが? 指摘するなら こちらが哲学ではなくなります。




 2.
 イエスキリスト=天使の議論は 済みました。




 3.
 次の二つの命題は 互いに矛盾しています。
 ★( a ) ~~~~
 エホバの聖人が世界に何万人いますか?
 彼らが『まれな存在』と言えますか?
 ★( b ) ~~~~
 『寄らば大樹(団体)の陰』という言葉がありますが、真理に関することは、その真逆が正しいのです。大樹は『滅びに至る門』に向かっているのです。
 ~~~~~~~~


 4.
 ★ 概念があいまいなまま信じてはいけません。
 ☆ それは多少は想像を交えた《考える》という行為です。《概念》が経験思考であることを物語っています。
 《信じる》は《考える》とは何の関係もありません。《非思考》なのです。
 なぜなら 神が《非経験の場ないしそのチカラ》だからです。これを心に受け容れるのが 《信じる》ことです。
 信じる対象は じつは非経験の場なのですから 非対象ですが 信じるというその行為じたいは 経験行為である人間の心的現象です。


 5. 
 ★ これと同様にこの世で生きている者は一人もいません。命は神から来ており、神のみ生きている方なのです。
 ☆ ぢゃあその《生きていない》あなたが 何を言っても ただの錯乱でしかないとなりませんか?


 6.
 ★ ~~~
 『イエスキリストは人間の皮をかぶった神だ』という表現はできます。
 しかし、イエスキリストは人間である限り神そのものではありません。
 ~~~~~
 ☆ イエスとキリストのことをご存じではない。趣旨説明欄にも説明しています。
 あるいはつまり 《イエスキリスト》とすでに言っているのなら 人間(イエス)と神(キリスト)とが 同時にひとりの存在の中にあると言っているぢゃありませんか。

投稿日時 - 2012-04-01 08:29:47

ANo.12

> 質問者にとっては この解釈は まづ動かないものです。ですから 問い方としては なぜそれでも広く受け容れられていないのか? というかたちです。

それは、貴方の解釈が一般的ではないからです。
詳しくは知りませんが、アリウス派やネストリウス派を
信じているのですか。

>他の人が見たらどう思うか

これについては、貴方がしつこく「処女懐胎はありえない」と主張しているので
私は、非常識な回答を書いていることは承知していますが、この言葉は
貴方に対してそのままお返しします。

ここは、質問するところであり貴方の哲学的思想を広めるところでは
ありません。そういったことがご希望であればブログかホームページを
作成してやってください。

投稿日時 - 2012-04-01 04:09:10

お礼

 ご投稿をありがとうございます。

 ★ それは、貴方の解釈が一般的ではないからです。
 ☆ その説明は いかがなりましょう?





 あとは 回答ではない回答をただちにやめなさい。

投稿日時 - 2012-04-01 08:12:22

ANo.11

>>☆ イエスは キリストと呼ばれる神の子であり みづからも神であ
>>るという聖書のくだりを示します。

確かにイエスキリストはメシアであり神の使いであり預言者です。しかし、唯一の神ではありません。


>>「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、
>>  だれも父のもとに行くことができない。
>>   あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知るこ
>>とに  なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見て
>>いる。」


確かにイエスキリストはこのようにいいましたが、私は道であり、真理であり、命である。私を通さなければ父のもとに行くことはできない。

という言葉は、イエスが預かった神のことばが直接喋っているのです。
だから、イエスキリストを通さなければ神のもとへ行けないということではなく、『神から預かった道、真理、命を通らなければ父のもと(神の国)に生まれることはできない』という意味です。

昔、プロ野球の審判官で試合中に『オレがルールブックだ』といった人がいました。これと同じ意味なのです。


キリスト教徒は世界に何人いるでしょうか。
100万人?いやいやもっといますよね。彼らは自分の頭で考えず牧師や神父の言葉を鵜呑みにしています。
次の聖句を読んでください。

**********************************************
『狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』
(新約聖書)
**********************************************
何百万人も何千万人もいるクリスチャンは『まれな者』ですか?
滅びに至る門からゾロゾロと入っていませんか?

誰でも聖書が理解されるものではありません。本当に聖書を理解できる者は『まれ』なのです。

投稿日時 - 2012-03-31 21:47:40

お礼

 ご回答をありがとうございます。


 エホバの証人さんですね。

 イエスをキリスト(メシア)つまり神の子であり神である存在だとは認めないという。

 もちろん 良心・信教の自由に立ちますが 問題はここで 《けがれなき身ごもり》のことをどう解釈するか? です。
 イエスの人格とキリストの神格 これら言わばふたつの貌(かお)が 同時に一体であるという――むろん三位一体の説としての――理論から解釈しておけば 無理なく受け留められるのではないか? こう問うています。
 人であるイエスの母としての貌 および 神であるキリストをみごもったというそのけがれなき身ごもりを体験した貌 これらが同時に一体であると見れば 何の問題もないというものです。

 質問者にとっては この解釈は まづ動かないものです。ですから 問い方としては なぜそれでも広く受け容れられていないのか? というかたちです。


 これまででは その《なぜ 普及しないのか?》ではなく まづその解釈をめぐって反論があったわけです。
 でも すでにお分かりのように批判にも何にもなっていない。と言ってよいでしょう。




 
 信仰する者が何人いるかということは いまの問い求めにとって どうでもよいことです。

 おのれがキリスト者であると確信しているなら その立ち場に立って 質問に沿って回答を寄せてください。つまり これまでのように趣旨説明の見解を批判するものでもかまいません。 
 ただし 聖書にもとづいたしっかりとした見解をのべてください。



 ▲ 私は道であり、真理であり、命である。
 ☆ 《道》や《命》は 概念があいまいですが 《真理》ははっきりとしています。《絶対》あるいは《無限》のことです。つまり 《神》のことです。人間の捉えることのできない非経験の場ないしそのチカラのことです。
 つまり キリストである《ことば》が イエスという肉になった。一体となった。ことは はっきりとしています。

投稿日時 - 2012-03-31 22:13:23

ANo.10

> ○ 処女懐胎
 
 を文字どおりに盲目的に信じている。こういうことぢゃないでしょうね?

回答が前後しますが、文字通りの「処女懐胎」は医学上ありえることです。
医師で小説家の志賀貢氏が研修医時代
女子高生が「彼氏がパンツの上から射精したら妊娠してしまった」
という相談を受けたことがあるそうです。

投稿日時 - 2012-03-31 19:15:05

お礼

 ご投稿をありがとうございます。





 これって訪問者のみなさんが見たら いったいどう反応されましょうか。


 ここから出発しなくちゃならない。わけだ。




 懐胎は 経験事象です。ゆえに 非経験の場を受け容れるという意味での《非思考の庭がわが心に成る》という信仰とは まったく関係がありません。

投稿日時 - 2012-03-31 20:52:30

ANo.9

>イエスキリストと唯一の神と混同してはいけません。唯一の神はこの世に現れることはできません。

これはまずいです。三位一体論の否定になってしまいます。

ここからは質問者さんへです。

経験世界といいますが、貴方は量子力学に出てくる波動関数を
複素数のまま知ることが出来る(少なくとも観測できる)のですか。

出来るのでしたら、論文を書いてください。
ノーベル物理学賞が取れると思います。

投稿日時 - 2012-03-31 19:03:50

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 聖母マリアの処女懐胎の問題とどういう関係がありましょうや。

投稿日時 - 2012-03-31 20:49:50

>> ○ その《ことば》が キリストのことです。
 

イエスキリストと唯一の神と混同してはいけません。唯一の神はこの世に現れることはできません。
夢を見ている実在の自分が夢の中に入れないのと同じ理屈です。
イエスキリストは神の国に住む天使の一人です。


>>○ 父なる神とともにあった。しかもすでに初めにです。父なる神の
>>存在と時間的な隔たりがなくという意味です。


イエスキリストは神の国に住む天使であり、神のことばによって造られているので神の子というわけです。
人間も神のことばを守って神の国に生まれるときは、神の子とよばれるのです。


>> ○ 神は 霊です。聖霊です。この聖霊が 世界を覆っている。も
>>しくは 聖霊で出来ている。といった見方を提出していると思われます。


神は霊であり、神のことばは聖霊です。神が世界を覆っているのではなく、世界は神のことばで造られた映像の世界です。


>> ○ つまりは これが 《信仰》という非思考の場でのあり方を 
>>わざわざ言葉にして表わそうとすれば そうなるというものです。つ
>>まりは 仮りに表現して示したものです。


『信仰』とはそういう意味ではありません。誰でもこの世界は自然によって出来ていると思っています。得られるものも自分の努力によって得られたと思っています。しかし、それは間違いです。
一切は神から与えられており、一切の現象は人間の祈り(願い)によって起きているのです。
これを理解し信じることを『信仰』というのです。


>> ○ 世界は そのままものごとの事象であり現象です。言わばそれ
>>らを聖霊が覆うというのは すべてに生命のチカラがやどるといった
>>意味でしょう。仏性がやどるというふうに――もしそれが分かりやす
>>いのなら―― 言って説明してもよいでしょう。


先ほども述べたようにこの世の一切は神のことばによって造られた催眠術の世界です。また、人間の願いはどんな願いでも聞かれます。
人間は悪を行います。この悪が祈りとなって、病気事故災害が成就しているのです。


>> ★ まぼろし
>> ☆ は どうでもよろしい。経験世界とそしてそれを超えた場 こ
>>れらから世界は――信仰の庭をも含めて捉えるなら――成り立ってい>>る。こういうことです。まぼろしは どうでもよろしい。


この世が幻で造られているという大真理が理解できなければ、宗教を理解することは不可能です。この世は苦しみの多い世界です。その理由は、知らず知らずに悪を祈っているからです。


普通の人と同じ考えでは宗教の真髄を掴むことは不可能なのです。

投稿日時 - 2012-03-31 18:49:03

お礼

 ご回答をありがとうございます。


 支離滅裂です。
 ★ イエスキリストと唯一の神と混同してはいけません。唯一の神はこの世に現れることはできません。夢を見ている実在の自分が夢の中に入れないのと同じ理屈です。
 ☆ イエスは キリストと呼ばれる神の子であり みづからも神であるという聖書のくだりを示します。

 ▲ (マタイによる福音 16:20) ~~~
 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
 
   * 16:16に ペトロの言葉として《生ける神の子》があり 
    イエスは それを《わたしの天の父が表わした》と答えてい
    る。
     《メシア(マッシーアハ)》は ギリシャ語で《クリスト
    ス(キリスト)》と訳されて使われています。次の引用文を
    参照。

 ▲ (ヨハネによる福音4:25-26) ~~~
 〔* サマリアの〕女が言った。

  「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知って
  います。
   その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてく
  ださいます。」

 イエスは言われた。
 
  「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

 ▲ (ヨハネによる福音書 14:6-14) ~~~~
 イエスは言われた。

  「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、
  だれも父のもとに行くことができない。
   あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることに
  なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

 ピリポが

  「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」

 と言うと、イエスは言われた。

  「ピリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていない
  のか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父を
  お示しください』と言うのか。
   わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じない
  のか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではな
  い。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
   わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言う
  のを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じな
  さい。
   はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、
  また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くから
  である。
   わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、
  父は子によって栄光をお受けになる。
   わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあ
  げよう。」
 ~~~~~~~~~~~~~~~



 ★ イエスキリストは神の国に住む天使の一人です。
 ☆ 《キリストは天使にまさる》と要約されるくだりを引いておきます。

 ▲ (ヘブル書1:3-6) ~~~
 3: 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
 4: 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。

  ◆ 御子は天使にまさる

 5: いったい神は、かつて天使のだれに、

   「あなたはわたしの子、
    わたしは今日、あなたを産んだ」

 と言われ、更にまた、

   「わたしは彼の父となり、
    彼はわたしの子となる」

 と言われたでしょうか。
 6: 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、

   「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」

 と言われました。
 ~~~~~~~~~~

投稿日時 - 2012-03-31 20:48:42

ANo.7

> ○ 処女懐胎
 
 を文字どおりに盲目的に信じている。こういうことぢゃないでしょうね?

どうも貴方は宗教が信じられないようですね。

放射能の除染さえまともに出来ない科学が絶対だと信じているなら
(可能であれば)神相手に核攻撃でもしたらいかがでしょうか。

私の勝手な想像ですが、神は核攻撃などに全く傷つくことなく
貴方は地獄に落されるでしょう。まさに、天に唾するといhが
このことです。

回答ではない回答が返ってくるのは
貴方がお礼ではないお礼、補足ではない補足を
書いているからです。

投稿日時 - 2012-03-31 18:06:30

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~
 放射能の除染さえまともに出来ない科学が絶対だと信じているなら
(可能であれば)神相手に核攻撃でもしたらいかがでしょうか。
 ~~~~~
 ☆ そこらのお笑いよりも出来がよいようですね。


 ★ ~~~
 私の勝手な想像ですが、神は核攻撃などに全く傷つくことなく
 貴方は地獄に落されるでしょう。まさに、天に唾するといhが
 このことです。
 ~~~~~~
 ☆ だいたいわたしに対して言ったことは ご自分のことを言っているというのが ここでの相場です。



 ★ ~~~~
 回答ではない回答が返ってくるのは
 貴方がお礼ではないお礼、補足ではない補足を
 書いているからです。
 ~~~~~
 ☆ 狂気ここに極まれり。

 また考えがまとまったら 訪ねてみてください。まとまらなくても よろしいとも言っておきます。

投稿日時 - 2012-03-31 18:16:27

>> ★ 科学とは根本的に違った考えに立っているのです。
>> ☆ でたらめです。めちゃくちゃの出鱈目です。信仰の世界は こ
>>の経験世界を超えているのです。空観を超えています。しかも この
>>経験世界を見る目は まったく科学と同じ経験合理性にもとづき認識
>>をおよぼすのです。ええ加減にしてちょ。

>> ★ つまり、この世は夢と同じ原理で造られた世界だというのです。
>> ☆ いったいどこまで寝ぼけていれば済むのです?


空の意味についてですが、

仏典には
**************************************
『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真実有ること無ければなり。』(阿含経)
**************************************
この世は空であり、寂静であり、生まれる者、死んで行く者、これらは幻化であり、実在するものではない。という意味です。

このように書かれています。
この世界が幻の世界なら、幻を造った方がいなければなりません。

次に新約聖書の記述です。
**********************************************
『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって、造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』
(ヨハネの福音書)
**********************************************

このことばは、仏教の空(幻)を意味しています。

仏教ではこの世は幻で造られているといいます。
つまり幻は催眠術のように、ことばで造られます。
したがって、『この世界は神のことばで造られている。』という意味です。

このように仏典も聖書もこの世界は幻の世界だと説いているのです。
仏教もキリスト教も真理は一つであり同じなのです。
阿含経を読み、新約聖書を読まれると、宗教の真髄がお分かりいただけると思います。

投稿日時 - 2012-03-31 17:52:20

お礼

 ご回答をありがとうございます。


 魑魅魍魎の跋扈!!!!


 仏教は どうでもよろしい。
 ★ 空
 ☆ というのは たしかに世の中のものごとは ぜんぶ無常であり無我(――実体というものはなく ただ現象しているのみ――)だと言えますが そのうつろいゆく相対性の世界においても われわれ人間の心の真実というものもあるのです。

 つまり 一応のこととして言いますが あなたがこのように――その当否は別として――熱心に空観のことを説こうとしている。その姿その心には それとしての真実があるのです。しかも 朽ちるべき存在ではあってもその朽ちるまでの生涯には 真実を超えておそらく空観をも超えるとうとい現実性ということも ときとして 起こるのです。
 
 だから 世の中のことはみな空だと見られますが その空が 世の中のものごとでもあるという見方の転換が起きるのです。世界は とうとい存在だと言っています。まぼろしなどは どうでもよろしい。



 ヨハネ福音の冒頭にかんしては
 
 ○ その《ことば》が キリストのことです。
 ○ 父なる神とともにあった。しかもすでに初めにです。父なる神の存在と時間的な隔たりがなくという意味です。
 ○ 神は 霊です。聖霊です。この聖霊が 世界を覆っている。もしくは 聖霊で出来ている。といった見方を提出していると思われます。
 ○ つまりは これが 《信仰》という非思考の場でのあり方を わざわざ言葉にして表わそうとすれば そうなるというものです。つまりは 仮りに表現して示したものです。
 ○ 世界は そのままものごとの事象であり現象です。言わばそれらを聖霊が覆うというのは すべてに生命のチカラがやどるといった意味でしょう。仏性がやどるというふうに――もしそれが分かりやすいのなら―― 言って説明してもよいでしょう。

 ★ まぼろし
 ☆ は どうでもよろしい。経験世界とそしてそれを超えた場 これらから世界は――信仰の庭をも含めて捉えるなら――成り立っている。こういうことです。まぼろしは どうでもよろしい。

 以上が 《真髄》です。勉強してください。

 回答をお寄せください。

投稿日時 - 2012-03-31 18:12:33

ANo.5

> 7. 日本人はもともと万葉のむかしから そんなあたまで立って逆立ちしたまま往来を歩くなどということから 無理なく自由だったのではないでしょうか? どこでどうくるったのでしょう?

万葉の昔よりはるか以前に、ギリシア語やラテン語やヘブライ語は
存在していました。その頃の記録が日本に無い(当時文字が無かった)
というのは、日本の後進性を良く表していると思います。

それどころか、新約聖書には、銀行が出てくるくらいです。
当時、日本は縄文時代かそれ以前だったと思います。

投稿日時 - 2012-03-31 17:45:56

お礼

 ご回答ではないご回答をありがとうございます。

 ★ 万葉の昔よりはるか以前に、ギリシア語やラテン語やヘブライ語は存在していました。その頃の記録が日本に無い(当時文字が無かった)というのは、日本の後進性を良く表していると思います。
 ☆ 文字がなかっただけ。縄文人は 考えるよりはるかにゆたかな暮らしを送っていました。どんぐりでも 穴を掘って蓄えることを始めていました。ゆえに やがて戦争も始まります。収奪のために。
 もし
 ★ 後進性
 ☆ を表わしていたとしても ギリシャ人やローマ人やユダヤ人と対等以上に現代の日本人は ゆたかに平和に共生しているぢゃないですか。何をかいわんや。

 ★ ~~~~
 それどころか、新約聖書には、銀行が出てくるくらいです。
 当時、日本は縄文時代かそれ以前だったと思います。
 ~~~~~~
 ☆ 銀行くらい 私出挙・公出挙くらいそのあとやがて持つようになりますよ。いったい何が言いたいのか。

 まさか

 ○ 処女懐胎
 
 を文字どおりに盲目的に信じている。こういうことぢゃないでしょうね?



 回答をお寄せください。

投稿日時 - 2012-03-31 17:56:00

ANo.4

>それくらいは読み取ってください。

それ以上のことが読み取れるなら、何故ここで質問するのですか。
答えの分かっている質問をしても意味はありません。

単にキリスト教信者と喧嘩したいだけなら他所でやってください。

投稿日時 - 2012-03-31 17:36:36

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 何故ここで質問するのですか。
 ☆ つぎの箇所をしっかりと読んでください。

 ☆☆(趣旨説明欄) ~~~
 3.・・・(省略)・・・
  ( a )は 事実であり ( b )は こういう想定であり 物語です。であるのですから そのコトじたいを《信仰の対象とする》謂われはないし またぎゃくに頭ごなしに突っぱねる必要も何もない。のではないでしょうか?

 4. ここのところが どうしても・いつまで経っても 広くは知られるようにはならない。どうしてなのか?――という質問です。

 ・・・(省略)・・・

 7. 日本人はもともと万葉のむかしから そんなあたまで立って逆立ちしたまま往来を歩くなどということから 無理なく自由だったのではないでしょうか? どこでどうくるったのでしょう?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 ★ 単にキリスト教信者と喧嘩したいだけなら他所でやってください。
 ☆ どこまで寝ぼけていましょうか。回答でない回答は 遠慮してください。

投稿日時 - 2012-03-31 17:41:06

ANo.3

>(現行聖書にもとづくかぎりでです)。

現行聖書に書いてあれば納得するというのであれば
ルカによる福音書1-26から1-38を読んでください。

明確に書かれています。

投稿日時 - 2012-03-31 17:12:01

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ ルカによる福音書1-26から1-38を読んでください。

 ▲ (ルカ福音:イエスの誕生が予告される 1:26-38) ~~~
 26: 〔* 洗礼者ヨハネを生むことになるエリザベトが身ごもって〕六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
 27: ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
 28: 天使は、彼女のところに来て言った。

    「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

 29: マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
 30: すると、天使は言った。

    「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
 31:  あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
 32:  その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
     神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
 33:  彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

 34: マリアは天使に言った。

    「どうして、そのようなことがありえましょうか。
     わたしは男の人を知りませんのに。」

 35: 天使は答えた。

    「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
     だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
 36:  あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を
    身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月に
    なっている。
 37:  神にできないことは何一つない。」

 38: マリアは言った。

    「わたしは主のはしためです。
     お言葉どおり、この身に成りますように。」

    そこで、天使は去って行った。
 ~~~~~~~~~~~

 つまり こういうことでしょうか?

 ▲ (1:36) ~~~
    「どうして、そのようなことがありえましょうか。
     わたしは男の人を知りませんのに。」
 ▲ (1:37) ~~~
     神にできないことは何一つない。」
 ~~~~~~~~~~~

 ゆえに 《処女懐胎》が 事実だというご主張でしょうか?

 ▲ 文字はころし 霊は生かす。

 ただの《文字》ぢゃないですか?
 あるいはまた ( a )の《人間イエスの妊娠と出産》という経験事象の側面とそして( b )の《神なる聖霊による身ごもり》つまりはそれとして《処女懐胎》とを まぜこぜにしてその文字は述べている。ということでしょう。
 それくらいは読み取ってください。

投稿日時 - 2012-03-31 17:31:30

科学者や一般の人は誰でも、この世界にはビッグバンから進化論に至る歴史があると考えています。つまり、この世界は実在の世界であると。

しかし、仏教やキリスト教など宗教の基本的な考え方は、この世界は『空(幻)』の世界であるという、科学とは根本的に違った考えに立っているのです。つまり、この世は夢と同じ原理で造られた世界だというのです。

この世界が幻であり、この人間世界に生まれるには、条件があるのです。それは、性欲です。性欲のない天使はこの人間界に生まれることはできません。

もう少し具体的にいいますと、父親と母親が性交します。そのとき、父親に嫉妬をしてその中に入ってくる霊は男。また、母親に嫉妬をして入って来る霊は女としてその母親が妊娠するのです。

天使の世界には性欲はありません。性欲があったら天使にはなれないのです。このように性欲と嫉妬がない天使は、性欲によって生まれることはできません。だからマリアは処女懐妊だといわれているのです。

投稿日時 - 2012-03-31 16:25:17

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 天使
 ☆ は関係ありません。単に知らせを持ってくるだけです。いったいどういう勉強をしたら そういう知識が得られましょう? あまりにもばかげています。

 質問を挙げた甲斐があったというものです。いったいどうなっていましょうか。日本人の哲学は。

 ○ 聖母マリア
 
 の話をしています。仏教は関係ありません。しかも《宗教》の問題ではありません。聖書にもとづく個人の信仰を問うています。その中身をです。いったいどこのどのボタンをクリックしたら
 ★ 宗教の基本的な考え方は、この世界は『空(幻)』の世界であるという
 ☆ ことになりましょうか。世界は世界です。事実と人の心の真実とあるいは同じ心に観念の表象を馳せる虚構としての想像と これらのまとまりとしての現実が この世界です。と見るのが 空観です。めちゃくちゃの世界観ですね。

 ★ 科学とは根本的に違った考えに立っているのです。
 ☆ でたらめです。めちゃくちゃの出鱈目です。信仰の世界は この経験世界を超えているのです。空観を超えています。しかも この経験世界を見る目は まったく科学と同じ経験合理性にもとづき認識をおよぼすのです。ええ加減にしてちょ。

 ★ つまり、この世は夢と同じ原理で造られた世界だというのです。
 ☆ いったいどこまで寝ぼけていれば済むのです?


 いったい日本は どうなるのでしょう?

投稿日時 - 2012-03-31 16:58:51

ANo.1

通常のキリスト教の考え方では
aは誤りです。
aのようなことを言うとイエスは、単なるマリアとヨセフの子であり完全に
人間でしかないということになりイエスは、神の子でもキリストでもない
ということになりキリスト教そのものが否定されることになります。

3はヨセフだけではなくマリアもダビデの子孫であれば矛盾しません。

ところで、仏教では、お釈迦様は、産道を通らずに生まれたそうですが
私には、処女懐胎よりこっちのほうが信じられません。

また、あまり関係ありませんが、人工授精などを使えば
性交なしに妊娠することも可能です。

投稿日時 - 2012-03-31 16:16:43

お礼

 あるゑんさん ご回答をありがとうございます。
 
 まづ もうしわけないですが 次の命題は この主題にかんして論外とします。
 ★ ~~~
 また、あまり関係ありませんが、人工授精などを使えば
 性交なしに妊娠することも可能です。
 ~~~~~

 ★ ~~~ 
 ところで、仏教では、お釈迦様は、産道を通らずに生まれたそうですが
 私には、処女懐胎よりこっちのほうが信じられません。
 ~~~~~
 ☆ これは これもいまの主題について関係なしとします。《信じられるかどうか》で関連していると思われたのかも知れませんが 《経験事象》について《信じる》は かかわりません。やはり論外です。(帝王切開は どうなのか)。

 ★ 3はヨセフだけではなくマリアもダビデの子孫であれば矛盾しません。
 ☆ 意味が取れないのですが?
 
 ▲ 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ( a )
 ☆ ここで ヨセフはこの《ダビデの子孫》です。このとき
 ★ ヨセフだけではなくマリアもダビデの子孫であれば矛盾しません。
 ☆ とは どういうことを言うのでしょう? 何が矛盾しないのでしょう? この( a )は 経験事象であり 事実認識だけの問題ですよ。


 さて
 ★ 通常のキリスト教の考え方では a は誤りです。
 ☆ だそうで さらに詳しくは 次のようだそうです。

 ★ ~~~
 a のようなことを言うとイエスは、単なるマリアとヨセフの子であり完全に
 人間でしかないということになりイエスは、神の子でもキリストでもない
 ということになりキリスト教そのものが否定されることになります。
 ~~~~~~
 ☆ まづ

 イエスという存在は ヨセフとマリアのあいだに生まれた《ふつうの人間》です。

 どうしてこの( a )を言っただけで 
 ★ 単なる・・・・でしかない
 ☆ となりましょう? 完全にふつうの人間なのですから イエスなる存在は その身と心において――十字架に就く前に大声で泣いたとおりに・あるいは脇腹を槍で突くと 血と水が流れ出したとおりに・さらにあるいは ローマ兵士が水をあたえに行ったときすでに息を引き取っていたというとおりに――朽ちて死ぬべき人間という存在です。そのかぎりで
 ★ イエスは、神の子でもキリストでもないということになり
 ☆ はあたりまえではないですか? いったいどういう寝ぼけたことをおっしゃっていましょうか。

 いったい どこのどういう
 ★ キリスト教そのものが否定されることになります。
 ☆ というそのキリスト教のことを言っておられますか?

 めちゃくちゃではないですか。あいまいであることは仕方ないでしょうが めちゃくちゃなことを知ったふうに言うというのは どうしたものでしょう?


 神の子でありみづからが神である《ことば》つまりキリストが 肉になったというのは むろんこのイエスにその存在が一体となったことですが 肉つまりこのばあい身と心から成るこのイエスなる存在そのままにおいて そこに同時に神としてつまりは霊なる存在として この世に現われた。
 こうでないほかの解釈があるとは考えられません。(現行聖書にもとづくかぎりでです)。

 いったいどこの教義をおっしゃっていますか?

投稿日時 - 2012-03-31 16:46:03

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