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解決済みの質問

競争の喜びとは

変なことを聞いてしまいますが、いたってまじめです。

競争は現代においてはゲームでしかないのかもしれません。
競争の本能が退化していないということは、スポーツを趣味
としてやるからなのでしょうか。
それとも、もっと重要な意味があるのでしょうか。

私は実生活において口げんかはしますが、その時は、
怒ってて、ゲームのように楽しくやったことはありません。
考えてみると、そのときは説き伏せたいのかもしれませんが、
だいたいが不毛で、あまり生産的だったことはありません。

怒ることと競争の本能は関係しているのでしょうか。
楽しく怒ることはないのに、競争は楽しいのはなぜでしょうか。

投稿日時 - 2012-04-02 00:41:35

QNo.7397299

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

くそわかりにくいね。笑
賢い人はストレートに小学生でもわかる表現で伝えるものよん。

口げんかもゲームもともとは、否定的です。
しかし、ゲームはとても日常的に入り込んでいます。
これを単純にあっさり否定するというのは、あまりにも恣意的すぎる。
そこで、口げんかとの違いで肯定要素が導き出されるかと思ったのです。
現実にディベートという論議の中身よりも、知的な戦術をきそうゲームが存在します。
ただ、私自身実際に車の運転が超がつくほどへたくそだったり、球技全般がてんでだめなので、苦手だから生産的でないと結論づけるよりできれば、健全で生産的な意義がみいだしたかったわけなのです。

だから先に伝えたやんけ。
人によるって。あなたにとって、ゲームやスポーツは「快の充足」の対象ではないってだけですよ。
ディベートだってあなたにとって「快の充足」の対象になるかも知れないが、他人にとっては異なる。
それを知的だから価値あると絶対的価値のように思い込みたいだけ。私もそれ好きタイプだから共感はするけど。


さらに、マネーゲームと化してしまった新自由主義のゆがみの正体がわかるとなおいいとそういうことでした。

自分で何言ってるか意味わかってる?
もう少し具体的に表現してみたら。

投稿日時 - 2012-04-05 10:05:34

お礼

ありがとうございます。

ちょっと乱暴な人なんですね。
ティベートは知的だから好きなんですか。

実は私は嫌いなのです。理由は口げんかと同じだからです。
相手に勝つために知を使うのにどうしても意義を見いだせないのです。

勿論、言葉はいつも本心を語るとはかぎりません。
しかし、一番重要なのは目的が健全であるとか建設的かということです。

ですが、知的好奇心を否定しているわけではありません。
ベースが大事だと言っているだけで、だからどう感じたのかという
自由な心は、例えそれがどんなに受け入れがたくても大切にしなくては
ならないと言うことです。
例えそれがどんなに卑しい心でも、無いことにしてしまっては、なにも
解決しません。犯罪心理学なんていうのはだから価値があると思うのです。

マネーゲームは、漁業や、狩りのような、動物的な本能と関係している気が
します。つまり、生産と消費の区別がつけづらい。

しかし、近代的な生産は、創造と近くなくてはならない気がします。
かといって、前近代的なベースとなる漁業や狩りのイノセンティブは否定
しづらいものがある。そこには、生命を頂く時の説明しづらい、何らかの
大切なことがある気がするからです。
日本には、独自のエコロジカルな対話型の自然感が残っています。
旋盤職人や鍛冶職人は、対話しながら創造しています。
人間の求めるサービスをユニット化するなんていうのはごく最近の文明です。

現代の日本はたぶん、認証への欲求の競争の方が問題があるかもしれません。
既婚者なので、独占欲からくる嫉妬ぐらいしか思い浮かばなかったのだけど。

それをどうやって、創造に向けるかということなのかもしれません。

ありがとうございます。
乱暴なこと言われたので、かえってすっきりした気がします。

投稿日時 - 2012-04-05 22:20:40

ANo.10

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回答(10)

ANo.9

あ~ゲーム理論的な視点で同一に見てるわけね。
あと、さらっと過去回答とお礼読んでもみました。
皆さんの回答失礼ながら的外れかな。このサイト全般に言えるがまあわかってもいないのにそう尤もらしくしかもそんな難しそうに答えられる勇気ある人多いなと感心する。笑


じゃ、簡単に解説しとこか。
人間の行動を起こす要因てのは、基本的に「快(プラス)の充足」か「不快(マイナス)の解消」なんだよ。
快不快とはなにかって解説いる?省くよ。

スポーツ等のそれは、「快(プラス)の充足」なんだよ。(ケースバイケースだが多くの状況はという意味で。)
快を感じながらは楽しさが生まれやすいでしょ。

口げんかのそれは「不快(マイナス)の解消」なんだよ。
怒ってる状態ってのは、「不快な状態」なんだよ。それを解消したく相手を説き伏せようとしてるんだよ。
そりゃ楽しいわきゃないでしょ。

それから説き伏せたが不毛で非生産的に感じるというのはね、こっちの方は、あえて抽象的に伝えておいてあげよか。
基本的に理屈で相手を打ち負かすこと(理屈で納得させること)=相手の行動を引き出すこと、ではない。
更にいうと、人間は正しいと理解したことを行動しているわけではない。そうなら皆ダイエットも勉強も仕事も成功するね。
更にいうと、説得された相手は、むしろあなたへの嫌悪感を増しただけに過ぎない場合もある。
(それが男女間であればそもそも噛み合ってない場合も。)
では人間とは如何なる生き物か?
よく考えてみん。例えば、逆にあなたが口げんかで打ち負かされた状況を想像してみん。

以上

投稿日時 - 2012-04-04 09:53:27

お礼

ありがとうございます。

誤解させてしまったのか、はじめにスタンスをはっきりさせておかなかった
のが悪いのかもしれません。

口げんかもゲームもともとは、否定的です。

しかし、ゲームはとても日常的に入り込んでいます。
これを単純にあっさり否定するというのは、あまりにも恣意的すぎる。
そこで、口げんかとの違いで肯定要素が導き出されるかと思ったのです。

現実にディベートという論議の中身よりも、知的な戦術をきそうゲームが
存在します。

ただ、私自身実際に車の運転が超がつくほどへたくそだったり、
球技全般がてんでだめなので、苦手だから生産的でないと結論づけるより
できれば、健全で生産的な意義がみいだしたかったわけなのです。
さらに、マネーゲームと化してしまった新自由主義のゆがみの正体がわかると
なおいいとそういうことでした。

投稿日時 - 2012-04-05 00:47:41

ANo.8

競争と口げんか(怒り)で打ち負かそうとするのは全然違うよ。

競争は、勝利することで自分の価値を高く感じたい欲求。
怒りは、欲求ではなく、自分の思い通りにならないことへの戸惑い(不満)を表現した状態。
説き伏せるというのは思い通りにしたいってこと。勝負ではない。

なんでそれを比べるのかが不思議

投稿日時 - 2012-04-03 16:53:15

お礼

ありがとうございます。

なるほど、相対価値に達成感を求めているということですか。

他人を自分の思い通りさせる為の戦略をたてることは、
相対的関係をどうするかと考えるゲームかもしれません。

やっぱり、あまり健全じゃないですね。

投稿日時 - 2012-04-03 23:40:34

ANo.7

#4の者です。

>楽しく怒ることはないのに

不快を避ける、あるいはストレスを溜め込まないのも、
“マイナスから0へ”という意味での充足量の最大化の
一環です。

投稿日時 - 2012-04-03 13:09:34

補足

補足をさせてください。

勉強不足なのは承知していますが、
不快を避けるというのは、私的には建設的で健全なことなんだろうと
なんとなく考えています。
ただ、いきすぎた逃避行動はきっと健全でないんだろうとも思うのです。

それは、もしかしたら、リアリストを擁護しているかもしれません。
人間はそれぞれ、個別にやっかいなことをかかえているのは、何となく想像
でき、なんとかそれを咀嚼したいというのが全ての原動力であろうと
考えるからです。
だから高い志の足をひっぱっている正体がリアリズムとは考えずらいのです。
昔からそして今もわからないことをペンディングして、それまでの経験の血肉
を断絶せずに、地面との接点をもつことが創造の原点と先人は教えてくれてい
る気がしてならないのです。
現実感を排除できないのは、理想のイデオロギー化や功利主義化に、ちょっと
まったっていって慎重にさせる為ではないかと思うのです。

蒲田行進曲のやすがみじめな情念に耐えきれずに卑屈になったり、自暴自棄に
なっても、勇気をふりしぼって階段を落ちをするという途中経過の揺れ動きが、
人魚姫には功利主義的に削除されているようにみえるのは、わたしだけなの
でしょうか。

投稿日時 - 2012-04-05 00:19:13

お礼

ありがとうございます。

やっぱり、そういう生産性があるんですね。
どっかで、発散させる必要があるということですね。

投稿日時 - 2012-04-03 23:29:15

ANo.6

楽しく怒ることはないのに、競争は楽しいのはなぜでしょうか。

○あなたの気持ちをあなた自身が管理できているかどうかなのですね。
気持ちが十分管理できていれば、怒っても競争しても楽しいものです。そうでない場合はどうしょうもないですね。怒って楽しい、怒られて悲しくないという状況は、学校の先生が、正しく生徒を注意した時などはその状態ですね。先生は生徒のために怒って、生徒は悪いことしたと気づいて怒られるので悲しくないのですね。
これが管理されてないと、ちょっとしたことでむかついて生徒に当たると、どちらも気分悪いですね。
楽しく怒るためには怒る前に、ちょっと待てよ、どうして怒るんだと自分に問うてみるのですね。ああ、嫁さんのここが気にさわって怒りたくなったんだ。直してもらうために怒ろう。と考えて怒れば、かみさんが何をのたまわろうと楽しく怒れますね。このプロセスがないと怒るだけ気分がわるくなります。
こういう思考過程を小さいうちに勉強しておくといいのですが、教育課程ではそんな教育がないのですね。
大人になって気づく人もいればそうでない人もいますね。
心の管理は自分でしないといけないということだけですが、それですべてが変わるということなのです。
参考に

投稿日時 - 2012-04-02 12:02:51

お礼

ありがとうございます。

奥さんに怒るとき、楽しく怒れるのですか。
そうなんですね、やっぱり理解が及んでいないのだと
思い知らされました。

昔、文化祭で男子を残して、女子がみんな帰らされて
火のまわりで、裸になってらんちき騒ぎをさせる
という伝統があったのですが。
先生に言わせると、性欲を発散させてより勉学に励ませる
為だったそうですが。

男の子は、理解できないところが多いので、あんまり自信が
ないんだけど。
基本的に、怒ると無駄なエネルギー使って疲れるというのが
生産的かどうかの疑問になっているかもしれません。

投稿日時 - 2012-04-03 23:26:49

人間は欲望達成のためにこの世に生まれてくるのです。

欲望とは『性欲・物欲・金銭欲・自己顕示欲』などです。
そして、欲望が達成できないときに『怒り・恨み・嫉妬』などが起きます。

だから『怒り・恨み・嫉妬』は楽しくないのです。

投稿日時 - 2012-04-02 11:06:19

お礼

ありがとうございます。

確かに、怒り、恨み、嫉妬は楽しくないですね。

恨みと嫉妬で思い出しました。
「人魚姫」という童話がありました。
あれは、自己犠牲的に無償の愛の為に泡になってしまう。
と解釈されていますが、そういうキリスト教的解釈がどうも
腑に落ちなかったのです。

自分なんかどうでもいいと思える程に愛した人に、もっと
好きな人ができて、どうでもいい人になってしまった時に
海に身を投げたくなる気持ちは、なんかわかるなあと。
嫉妬に体が耐えられなくなるっていう、きれいごとじゃない
感覚。

そう考えると、人間の尊厳を認めることは、軽んじられるの
もよくないですが、いつでも高く見積もられればいいってこと
でもないとなります。

悪いことしちゃったな、恨んでるだろうな、化けてでられるかも
という感覚は、粘着質的なものと排除しないで真摯にむきあって
いるとも考えられます。

生産的かどうかはわからないところですが。

投稿日時 - 2012-04-03 23:06:06

ANo.4

たとえば人を愛した時に、「相手がどうなろうと自分のものに
したくて“頑張る(他人と戦う)”」か、相手の幸せを第一に考え
「他の誰より相手を幸せにできるよう“頑張る(自分を高める)”」
かの違いがある。
自己中心的な考えであれば他人を攻撃する事で自分を優位に
置けるが、それは社会全体としては損失である。
自己の生存が社会全体に依存している事を自覚し、他我的に
社会への貢献度において「競争」するならば、社会は最大限の
生産性を発揮し、長期的には最大限の成果を得うる。

投稿日時 - 2012-04-02 09:33:05

お礼

ありがとうございます。

他我の競争は生産性に寄与し、利己的な競争は寄与しない
ということでしょうか。

認められたいとか、誉められたいとか、愛されたいとか
の競争は、どっちなんだろう。
それを競争するというのは、やっぱり生産的じゃないの
でしょうか。

投稿日時 - 2012-04-03 22:42:09

ANo.3

”競争にはもっと重要な意味があるのでしょうか”
   ↑
あると思います。

競争することにより、人は知性を磨き
力を養い、鍛え、一方では道徳律を
築き上げたのです。
その結果、文明が栄え文化が創られました。

競争が無かったら、現在の人類の繁栄は
無かったと思います。

Hが楽しいから、人口が増えるのです。
同じ事です。

競争を喜ぶという感情がなかったら、人は
競争をしなくなるでしょう。
人は競争を喜ぶように出来ているんだと
思います。

投稿日時 - 2012-04-02 07:29:50

お礼

ありがとうございます。

競争で創造的な知性が磨かれたというのは、
例えば、将棋のような戦術を鍛えるゲームみたいな
ものでしょうか。やったことないけど、男の人は、
好きですよね。

戦術を組み立てるというのは、マネーゲームや覇権争い
に似てる気がするけど、きっともっと生産的に使う方法
があるのかもしれません。でも、全然おもいつかないので
もしよかったら、ご教示いただけるとありがたいです。

性交については、性欲はあまりないのですが詳しいです。
何でも、スローセックスというものがじわじわきている
とか。気持ち悪い人も多いのそうですが、征服欲を満たす
だけの従来のものに一石を投じるような提案みたいです。

生活の質という今まで注目されなかった面での生産性をあげると
いう、エコロジカルで和風な対話型の自然感の提案ですね。
これは西洋的なリビドー経済にイノベーションの風じゃないかと。

投稿日時 - 2012-04-03 22:33:54

共通の規則のもとに戦うのがゲームだろうと思います。参謀本部では一般の外交と同じ手続きで戦争を行います。楽しくはなくてもゲームと同じだと思います。しかし個々の戦闘は楽しいはずはありません。一方怒るというのは個々の戦闘と同じく、やはり楽しいはずがありません。逆にゲームも負けて口惜しがればあまり楽しくはないと思います。ある戦争で某国の戦闘機パイロットが地上を逃げ回る住民を射的のように標的にして楽しんだという話があったと思います。自分の経験からも、怒るのもゲームの一種なのかもしれないと思いました。

投稿日時 - 2012-04-02 04:18:06

お礼

ありがとうございます。

ゲームって、きっとよっぽど注意しないと人間の心理に
悪い影響を与えるのかもしれませんね。

自分が怒った経験があるから、怒る人の気持ちはわかるのですが
ゲームの勝利に導くために利用しているとしたら、健全ではない
ですね。

投稿日時 - 2012-04-03 22:15:17

ANo.1

怒ることに何もプラスに繋がることが無いからです。
競争はモチベーションを上げたり、なにくそという気持ちで互いを刺激し合えます。ライバル心と同じですね。
この「なにくそ」というのは怒っているときにも思うことがありますが、競争のときとは質が違います。

怒り→相手の心も体も全て暴力や暴言でもってねじ伏せたい。度が過ぎれば殺人に至ることも。
競争→相手の全てではなく、競争していることの範疇でねじ伏せたい。ぎゃふんと言わせたい。

投稿日時 - 2012-04-02 01:10:28

お礼

ありがとうございます。
ライバル心のモチベーションというのは、自分よりきっと
沢山努力したんだろうなとか感じることなんでしょうね。

ぎゃふんと言わせて優越感をえる為というのは、否定は
できないけど生産的なのかどうか、ぎゃふんって気持ち
を経験することがいたわりの心を覚えるということならば
いいのかもしれません。

怒りは、やっぱり征服欲に近いんでしょうか。

投稿日時 - 2012-04-03 22:09:55

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