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解決済みの質問

有名大学に進学するほど勉強できる理由は?

 偏差値の高い大学へ進める人の「勤勉性」についてお聞きしたいです。私の兄はたかが県立での話ですが、県内で一番の進学校へ入学しました。しかし、高校2年の時に登校拒否になり、4年かけてなんとか卒業しました。その後は進学もせず、何年か引きこもりとバイトを繰り返し、高卒学歴で就職活動をしています。
 
 そこで、お聞きしたいのですが、高校・大学とちゃんと勉強をしている方がいますが、途中で勉強をする事に迷ったり、ゆっくりと何も考えないような生活を送りたいとは思わないのでしょうか?。やはり、将来も見据えた目標を持ち情熱を絶やさない人が、受験競争に残っていくのでしょうか?。

 私は残ってます・これまで来ましたという人のご意見が頂きたいです。

投稿日時 - 2004-01-07 06:15:35

QNo.744391

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

なんか自分のこと言われているような感じがしましたので何かかかせていただきます。私は競争意識だけで勉強してきて、受験時代には頂点に上り詰めたことがあります。高校生として現役時代、県内トップの進学校に在籍し、成績はトップ10くらいでした。でも、結局、最高学府に敗れ都落ち、浪人してからは、本当に向かうところ全国にも敵なしってな感じで、石橋を叩いてもなかなか渡らない性格、が、不合格。その当時、自分の力は東大なんかじゃ面倒見きれないくらい上なんだって割りきりました。

そもそも私の競争意識は、小学校1年生のときに始まったのではないでしょうか。算数の問題を解かされて、できた人から順に先生に提出。一番先に出きると目立ちますよね。たまたま3歳くらいの頃に父親が計算を教えてくれていたので、毎回算数の時間は特に目立っていました。ほめられるし、尊敬の眼差しは気持ちいいし。それを味わうために勉強してた気がします。あー、恥かしい。で、普通の中学校に入学して(お受験経験はありません)、テストの結果によって順番がつくことを知りました。目指すはトップ。目標通り実行していました。気分いいものです。がり勉と思われるのも嫌で、3年間死に物狂いで運動部で活躍していました。勉強の純粋な楽しみを知らず、とりあえず県内トップの進学校へ。そこで、全国区で考えても物凄い「頭のいい」人々と知り合いになりました。それはそれでいい経験です。テストの順位は10位くらいに下がりました。運動部での活動は相変わらず激しく、3年の夏まで続けました。高校時代、成績はよかったのですが、虚栄心。闘争心の塊である私は、こんな受験時代は嫌だ、と思い、希望通り?受験失敗。再び、私の時代が、浪人時代に訪れました。結果が全てとも言われる浪人生。まさにはなばなしい結果の音パレード。この1年間は運動などせずに純粋に勉強しました。実はそのときに、「迷い」を何度も経験していました。もっと簡単に入れる大学に入ればよかったのではないのか。俺はなんで勉強しているんだ?幸いにも私には将来なりたいものと言うのがありましたので、それをかなえるためだ!と言い聞かせていました。もちろんそれも本当です。ただ、競争というものが勉強の動機になっていたむなしさ(むなしくはないなあ。なんだろ。表現力不足で言えません。。。)を否定したかったのかもしれません。そして、大学入試。またもや不合格。そこからの4年間、徐々に私は変わったと思います。1年生のときに、あの発狂ぶり、混乱ぶり。人間らしかいといえばその通りでした。徐々に徐々に、勉強意外の価値観、競争意外の価値観を、心の中から理解できるようになってきました。まあ競争心は潜在的に今でもあります。ただ、それを押さえることが容易にできるようになりました。人生の引出しもそれなりに詰まってきました。19歳の春に私は一度死んでしまった気がします。ものすごいショック療法でした。後遺症はいまだにありますね。まあそれに気がつくことができたのも、もとはといえば、競争心から勉強していたからなのでしょうから、そういった自分を否定するつもりはありません。

ってな感じが私の経験です。

上野千鶴子さんの「さようなら、学校化社会」という本と、漫画の「東京大学物語」はかなり参考になるかもしれません、この質問に関して。

投稿日時 - 2004-01-08 06:17:46

お礼

 うーん、私からすると高校生の時に、勉強・部活とストイックな生活が出来ていた(誘惑に振り回されやすい時期)事自体に驚きます。「もの凄い競争心の塊」という言葉がぴったりだと思います。

 「19歳の春に一度死んだ」この表現は、すごく解るような気がします。守っていたものが崩壊する、自我に対する嫌悪感みたいな・・・(うまく表現できませんが)。
 
 東京大学物語は大体読んでいるので、「さようなら、学校化社会」という本を早速読んで見たいと思います。 

投稿日時 - 2004-01-12 10:29:54

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回答(6)

ANo.5

性格的/意識的なこと。

有名大学にいる人全てが頭が良いわけではありません。
ですが、一般的によく勉強しています。
(正確には勉強するよう努力しているというべきでしょうか)

とんとん拍子に、深く考えずに大学まで行けてしまう人もいますが、
その一方で挫折して、苦労して大学に受かる人もいますよね。

ようは気持ちの持ちようだと思います。
勉強なんて基本的に楽しくありません(全くそうで無いとは言いませんが)
でも、それを先延ばしにせず、やるんだという意識を持っているかどうか、
そしてそれを長期間積み重ねられるかということが大事なのだと思います。

自然とそう思えるようになる環境があるかどうかも左右するとは思いますが、
どこかの時点で自分自信でその意識を持たねばならない瞬間があると思いますよ。
結局最後は積み重ねたものがあるかどうかが分かれ目になるのかと。

投稿日時 - 2004-01-07 20:22:07

お礼

 積み重ねが大切。その積み重ねを日々するには、意識革命するきっかけが必要。

 気持ち次第と人間言いますが、その通りだと私も思います。でもその為には、きっかけが(自発的or環境的)必要なんですよね~。
 
 ありがとうございました。

投稿日時 - 2004-01-12 10:20:42

ANo.4

>途中で勉強をする事に迷ったり、ゆっくりと何も考えないような生活を送りたいとは思わないのでしょうか?。

 
 そう考える瞬間は誰にでもあるんじゃないかと
想像します。それでも勉強を続けられる人に
2つのタイプがあると思います。

1)ずば抜けて頭が良くて、勉強が苦だと
 いう感覚がない人

2)将来どう生きようかという人生のビジョンが
 少しでもある人


 人生のビジョンなんて書きましたが、内容は
客観的に見てすごい事でなくてもいいのです。


>将来も見据えた目標を持ち情熱を絶やさない人が、受験競争に残っていくのでしょうか?。

 情熱というとは少し違うと思います。
また競争を意識する人は遅かれ早かれ
挫折します。
 あなたのお兄さんは高校で少し挫折された
ようですが、大学や大学院を出た後で挫折
する人も沢山います。
 競争というのは勝つこともあれば負ける
こともありますから、勉強を他人との競争との
道具としか認識していないと、負けたときに
勉強の苦しみの部分だけが残ります。
 勝てば、苦労した甲斐があったという
ことになりますが、負けると今までの苦労は
何だったんだろうということになります。


 受験のときにはたまたま勉強が競争の
道具になるだけです。

 例えば、外国語の知識は受験の時は
いい点数をとって他人に勝つための
道具ですが、外国に遊びに行くときは
遊びの道具です。


 フジテレビの番組で、トレビアの泉って
ご存知ですか? 日常生活に役立たない
知識を紹介して、へぇー!っていうだけの
ものですが、視聴率もけっこういいようです。
 知ることが面白い。そして知るための行動が
勉強です。哲学を意味するフィロソフィアですが、
これは「知を愛する」という意味です。
古代の人は知ることが面白いということに
気づいたのでしょう。


>有名大学に進学するほど勉強できる理由は?

 受験までは勉強による競争にはまっていた人も、
大学に入ると上には上がいることを思い知ることに
なります。
 競争の無意味さや、いかに自分がちっぽけなな
存在か気づく機会が有名大学ほど多くなるものと
思います。
 ここで挫折する人もいますが、勉強に対する
考えを新たにする人たちが多く、勉強を
続けて行くので、有名大学に進学するほど勉強できる
というような傾向があるのでしょう。

 バカな大学に入ると、俺は結構できるほうと
自惚れることができる機会が多いので、
人間としての進歩が止まるんです。

投稿日時 - 2004-01-07 20:06:32

お礼

 視点の違いで、価値が違ってくるもんですね。

 勉強の面では、本質的に向上心が強い・頭が良い・目標があるというポイントが必要なようです。

 ありがとうございました。
 

投稿日時 - 2004-01-12 10:18:15

かろうじて受験競争を生き残った経験で言えば、必ずしも
成功した皆が強固な目的を持っているとはいえません。
誰だって迷います。

むしろ、日々の学習の消化不良が雪達だるま式にふえる
ことを防げたかどうかにかかっているように思えます。
たとえば、数学や英語は基本をもれなく(ここが重要)マスターしないと応用が利きません。案外、足元の些細
な差が結果を左右するのかなと思います。

投稿日時 - 2004-01-07 08:52:23

お礼

 kusokuzeshikiさんのメッセージを読むと、日々の姿勢が重要なのかな~って思います。
 迷ってもとりあえず進むという、前向きな姿勢が重要で、やるべきであろう事は腐らずにこなす。その勤勉が基盤を作り、基盤の上に応用が乗る。
 
 「日々精進!」というほど、大げさなものではないのかもしれませんが・・・。

投稿日時 - 2004-01-12 09:19:12

ANo.2

私は高校時代、男子校の進学校で、まわりはやはり高レベルでしたが、テストの後とかに「おまえ、やるじゃん!」と言われたことがきっかけで、言われ続けるよう努力をした記憶があります。
高校2年生のとき、理系トップを40人集めた1組に入れず、普通の理系クラスに入りましたが、なんとなく悔しくて、常に40番以内に入って見返してやる、という気持ちで努力を続けました。
その結果、高校3年生の秋に将来を見据えて大学を選ぶ時、ある程度自由のきく成績を確保することができていました。
目標は何であれ、無いと努力はできないと思います。それが将来の目標でも目先のテストでも・・・。
ある会社の人事担当がおっしゃっていました。
高卒と大卒の違い、それは目標を持って何かを成し遂げる力があるかどうかのひとつの判断材料である。

投稿日時 - 2004-01-07 07:48:26

お礼

 人事担当の言葉が胸に刺さりますね。高卒と大卒の違いは(個々の事情はあるにしろ)その通りだと思います。
 しかし、tamyumさんの高校時代は良い意味で単純だったようですね(^^)(誤弊を生むかもしれませんが・・・)。しかし、その目先の「誉められたい」という欲求からの努力の積み重ねが、大学進学の際に役立った訳ですから、目先の目標でも将来的な目標でも、努力できる要素を見つけられるかがポイントですね。
 
 ありがとうございました。

投稿日時 - 2004-01-12 09:11:59

ANo.1

 勉強は、楽しくなければならないと思うのですが、勉強が楽しいと思うためには、
1)やっている勉強が本当に好き、
であるか、
2)そんなに好きでなくとも、勉強が出来たことが認められたり、他の者より出来ているという実感が得られる、
1)か2)のどちらかがないと、やり続けるのは困難だと思います。
 県内で一番の進学高校だと、そこに進学してくる生徒は小・中学校では、おそらくクラスで1番か2番であったはずなんですが、当然、みんなが高校でもそうでいることはありません。
 ですから、2)だけのモチベーションで勉強をしていた人は、1番か2番でなくなると、それまでと同じように勉強していく気がしなくなることがあるのではないかと思います。楽しくなくなるのです。
 ですから、自分自身、勉強をすることが好きだという人は、情熱を絶やすというようなことはないでしょうし、そうでない2)もタイプの場合は、認めてくれる人(時として先生の役割でしょう)や、一緒に頑張れる友人の支えなどが必要なのではないかと思います。自分一人だけの力で「残ってます・これまで来ました」という人は少ないのではないでしょうか?
 これは、勉強のことだけではないと思います。

投稿日時 - 2004-01-07 06:40:59

お礼

 勉強だけでは無く「生きること」そのものにも共通しているのかもしれませんね。意識の差がある・なしにしろ動機があって行動があるわけですから、その「動機」の部分が大切ですよね。
 私の兄もおそらく、中学校で自分が置かれていた立場が、高校生になり変わったことが登校拒否の問題の一部にもなっていたかもしれません。
 
 ありがとうございました。

投稿日時 - 2004-01-12 09:05:41

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