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解決済みの質問

表現について教えて下さい。

yahoo知恵袋で以下の内容のことを質問したのですが、回答が1件も来なかったのでokwaveで質問させていただきます。

★印の文中の【 】内の表現は受け身の言い方で合っていると思うのですが、客体的な言い方でもあるかどうかの疑問が湧いたのです。

★何らかのきっかけで『動くな』『目を開けるな』『食べるな』『飲むな』『書くな』『起きるな』『ペンをとじるな』『裏返すな』『黙れ』『頭が回らない』『わからないようにしました』『金縛り』『(体を)銅像のように固められた』『制限が入る』『止める』『ねる』『ん《故人の名》』『みんなで《中学の時のクラスメイト(女)の名》』などの言葉が【発見された】感じがし、静止状態に至ったり頭の働きが鈍くなったということなのです。

ここで質問です。
【発見された】という表現は客体的表現でもあるので合っているかどうかと、もし【発見された】という表現が客体的な言い方だとしたら、主体的な言い方に置き換えた表現も教えて下さい。
1つだけでなく、いくつか表現を教えてくれると嬉しいです。

投稿日時 - 2012-05-20 14:24:50

QNo.7486079

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

「自分の頭の中の言葉がまるで発見されたような感じがした」ことはありません。
自分の中で「治す/治されている」と【思う/考える】こともありません。

>僕の中では、病的な解釈で言う「まるで操られたような感じ」は「治されている」と思ったことがあった ということを言ったのです。

この文章は非常にわかりやすいと思います。
  

投稿日時 - 2012-07-04 16:17:22

お礼

回答ありがとうございます。
ハコブルさん、ここまで丁寧なわかりやすい回答をありがとうございました。
ハコブルさんの回答をベストアンサーにします。

投稿日時 - 2012-07-04 19:30:23

ANo.39

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回答(39)

ANo.38

>↑の文章について、自分の中で「まるで操られているような感じがした」「自分の頭の中の言葉がまるで発見されたような感じがした」場合、自分の中で「治す/治されている」と(  )するのは誰にでもあると思ったのです。
(  )に入る言葉は何だと思うかが知りたいです。
僕は捉えたという言葉が浮かびました。
(  )に入る言葉をいくつか知りたいという気持ちが強いのです。

「思う」「考える」ぐらいですかね。

  

投稿日時 - 2012-07-04 15:37:03

お礼

回答ありがとうございます。

 自分の頭の中の言葉がまるで発見されたような感じがした」場合、自分の中で「治す/治されている」と【思う/考える】のは誰にでもあると思った。

この文章についてもう1つ思ったことがあります。
ハコブルさんもこういうような経験があるとしたら、どういう経験があったかが詳しく知りたいです。
なので詳しく教えて下さい。

僕の中では、病的な解釈で言う「まるで操られたような感じ」は「治されている」と思ったことがあった ということを言ったのです。

投稿日時 - 2012-07-04 15:43:23

ANo.37

>“通信制の高校に入ってから、気温が再び平年より高くなった、これも病的な解釈で言う「何かが操った」せいだと思ったり感じたりした。” が『十分な客観的表現です』について。
→これは被害妄想だと自分は思いました。
同じようなことを医者に以前伝えたんですが、これについては「幻覚・妄想の一種」と医者はおっしゃいました。
統合失調症の症状だと自分も信じたのですが、ハコブルさんがどう思うかが詳しく知りたいです。

医者が言ったことを覆すだけの知識はわたしにはありません。
被害妄想だろうがなんだろうが、そう感じたのであれば、感じたとおりに先生に話すほうがいいでしょう。
ということを私は言っています。

>そういうことが自分の中で起きたことはありません。

わかりました。

>プレッシャーというのは精神的に苦痛だと言うことで合っているかどうかが知りたいです。

そのとおりです。
自分で処理できないことを無理やり処理するように強制されることによってプレッシャーは発生します。

>自分は中高生の時というか、小学高学年の時から病的な解釈で言う“まるで操られたような感じ”や“まるで自分の中にあった言葉が発見されたような感じ”がありました。
その出来事を自分は「治す/治されている」と認識?判断?したことがあったのです。

これはわたしにはよく理解できないのでコメントは控えます。

>自分の中で「ほっとく」という言葉が浮かぶと、テレビの音声を聞いていて「ほっとかん」という逆の言葉に変換されたのは、病的な解釈である操られ続ける意味である言葉だと思ったのです。
「治す」は、操られ続けるという言葉で逆の「治さん」は操られ続けるのを食い止める言葉だと自分が考えたことがあったのです。
ハコブルさんはこれについてどう思うか、どういう想像がつくか、詳しく知りたいので教えて下さい。

なるほど。
わたしとしては、そのような変換が頭の中であっても別にいいんじゃないか、という気がします。
自分の考え方、感じ方が変化するのは普通のことだからです。
自分自身に操られるのは誰もみんな一緒です。

>家族といっしょに先生に会う機会は最近は月に1回です。

わかりました。
家族の方が正しい対応をご存知のようなので安心しました。
前回挙げたようなURLは不要でしたね。
    

投稿日時 - 2012-07-03 21:10:32

お礼

回答ありがとうございます。

まだ1つ知りたいことがあります。
  ★~~~~
>自分は中高生の時というか、小学高学年の時から病的な解釈で言う“まるで操られたような感じ”や“まるで自分の中にあった言葉が発見されたような感じ”がありました。
その出来事を自分は「治す/治されている」と認識?判断?したことがあったのです。

これはわたしにはよく理解できないのでコメントは控えます。
 ~~~~~~~

↑の文章について、自分の中で「まるで操られているような感じがした」「自分の頭の中の言葉がまるで発見されたような感じがした」場合、自分の中で「治す/治されている」と(  )するのは誰にでもあると思ったのです。
(  )に入る言葉は何だと思うかが知りたいです。
僕は捉えたという言葉が浮かびました。
(  )に入る言葉をいくつか知りたいという気持ちが強いのです。

投稿日時 - 2012-07-04 06:35:23

ANo.36

>あと添削もお願いします。
>「操った」という文を客観的な文にしてほしいと自分は思いました。

国語的におかしな表現はありませんから、このままでも大丈夫でしょう。
意味的に不明な点はありますが、それも含めて先生が判断すると思います。
というわけで添削の必要はないでしょう。
多少長すぎるような気もしますが、最初の頃に比べて文法的な間違いは殆んど見当たりませんし。
たとえば、
>通信制の高校に入ってから、気温が再び平年より高くなった、これも病的な解釈で言う「何かが操った」せいだと思ったり感じたりした。

という文にしても、十分に客観的な表現です。

若干の感想を付記します。
「治す」という言葉自体が辛く感じるようですが、現在の疾患を「治す」「治さなければならない」という強いプレッシャーを感じてはいませんか?
「早く治しなさい」とか「なぜ治らないのか」などという理不尽な強制を(たとえばですが)他人から受けているようなことはありませんか。
あるいは、自分でそのように強く思い込んでしまっているようなことはありませんか。
たしかに治るに越したことはありませんが、治そうと思って治るものなら誰も苦労はしません。
焦らずに、じっくり取り組むことが必要ですし、治さなくてはならないなどと思い込んだり、言われたりするのは逆効果になるはずです。
現在の疾患をそのまま受け止めてくれるような環境が必要ですし、そのことを周囲は理解する必要があります。
家族の方と一緒に先生に会う機会は、どのぐらいありますか?
  

投稿日時 - 2012-07-02 21:04:40

お礼

いつも回答ありがとうございます。

“通信制の高校に入ってから、気温が再び平年より高くなった、これも病的な解釈で言う「何かが操った」せいだと思ったり感じたりした。” が『十分な客観的表現です』について。
→これは被害妄想だと自分は思いました。
同じようなことを医者に以前伝えたんですが、これについては「幻覚・妄想の一種」と医者はおっしゃいました。
統合失調症の症状だと自分も信じたのですが、ハコブルさんがどう思うかが詳しく知りたいです。

次に感想についてですけど、
>「治す」という言葉自体が辛く感じるようですが、現在の疾患を「治す」「治さなければならない」という強いプレッシャーを感じてはいませんか?
「早く治しなさい」とか「なぜ治らないのか」などという理不尽な強制を(たとえばですが)他人から受けているようなことはありませんか。
あるいは、自分でそのように強く思い込んでしまっているようなことはありませんか。

そういうことが自分の中で起きたことはありません。
プレッシャーというのは精神的に苦痛だと言うことで合っているかどうかが知りたいです。
「プレッシャー」という言葉の意味をネットで調べても良くわからなかったので。

自分は中高生の時というか、小学高学年の時から病的な解釈で言う“まるで操られたような感じ”や“まるで自分の中にあった言葉が発見されたような感じ”がありました。
その出来事を自分は「治す/治されている」と認識?判断?したことがあったのです。
それから、「治す」がついた言葉(=例えば「全部治す」「関係なく治す」)が何かきっかけがあるとしつこく浮かんだということが何回もあったのです。
自分の中で「ほっとく」という言葉が浮かぶと、テレビの音声を聞いていて「ほっとかん」という逆の言葉に変換されたのは、病的な解釈である操られ続ける意味である言葉だと思ったのです。
「治す」は、操られ続けるという言葉で逆の「治さん」は操られ続けるのを食い止める言葉だと自分が考えたことがあったのです。
ハコブルさんはこれについてどう思うか、どういう想像がつくか、詳しく知りたいので教えて下さい。

家族といっしょに先生に会う機会は最近は月に1回です。
調子が悪かった時、毎週先生に会ったことがありました。
障害発達センターに行っていた時は1ヶ月おきに会うことはありませんでした。

投稿日時 - 2012-07-03 19:26:07

ANo.35

>叱られたきっかけは、学校の勉強をちゃんとやらなかったからです。
そのために家族にきつく叱られたのです。

なるほど。
「きつく」の程度はわかりませんが、一応納得はしているということなんですね。

>僕が15~17歳の頃、男子高校に通っていたので、精神的にも肉体的にも辛かったです。
さらには視線が実体化していたと思い、何か落ちる感覚とかぶつかる感覚が今より強かったので、かなり辛かったです。
中学生の頃から人や犬の声がまるで怒った感じの声に聞こえたのです。

要するにいじめられていたということですね。
その頃のことを題材にして小説を書いてみる気はありませんか。
むろん主人公はfall1024ta さんですが、小説の中の主人公は、当時と違う行動をとります。
「こうしたかった」「こうできたらよかった」「こうしてやりたかった」などなど、好きなように行動させるわけです。
気が向いたら書いてみてください。
ネットで書き足していってもいいですし、自分が見るためだけでも、どちらでも良いと思います。

>それについて例をいくつかあげてください。

特に思い浮かびません。
  

投稿日時 - 2012-07-01 16:40:58

補足

実は7月4日(水)に精神科の診察に行くつもりです。
そこで主治医に見てもらうレポートについて添削してください。

~~~ここから~~~
(1)先月の診察で、耳鳴りと幻聴などが辛いことを医師に伝えたためにエビリファイが増えましたが、エビリファイを増やしても耳鳴りと幻聴などがひどいままでした。
 それでエビリファイを5月の時の処方に戻してもあまり変わりありませんでした。
 6月6日に床屋さんで髪を切っている時に、足を動かそうとしても唾を飲みこもうとしたが、その機能が停止ことがあり辛く感じました。
 6月10日に、体調が悪化しました。
 6月10日は未明にパソコンをしたのですが、『何らかのきっかけ』でそれ以外はパソコンの電源をつけることすらできなく、スムーズにごはんを食べることができなかったのです。
 足を動かす・唾を飲み込む・スムーズにごはんを食べるのは本能だとか、記憶を元に動作をするものだと思うのです。
 今月の診察までの1ヶ月間、過去に聞いた曲や言葉が頭に浮かんだりしていて、幻聴と耳鳴りなどがきっかけでその機能が中断したり、停止していたことに気付くとすぐさま音楽や言葉が頭に(だと思う)再び浮かぶという不快な出来事もありました。
 時には停止していたのが、すぐさま音楽や物事が頭に浮かぶと耳鳴りと幻聴が不快な音声になったこともありました。
 6月28日には、オープン時で客がホールにいて、自分は厨房で仕事を30分くらいしたのです。
 客はその時ホールでしゃべっていて、自分の中では仕事が止まったりして、他の利用者や職員さんみたいにスムーズに働くことができませんでした。
 ノートに自分の中で起きたことを書こうと意識しても、それが出来なく(主体性を保てなかった)、自分の記憶にあった(ものだと思う)「言葉にするな」が勝手に浮かび、勝手に浮かんだ言葉に従うかのような感じだったと思うのです。
 さらに6月29日には、家にいて幻聴と耳鳴りがあまりにも辛くてイライラしてヘッドホンを窓に向かって思いっきり当てたのです。
 窓は割れませんでしたが、ヘッドホンがバラバラになってしまったのです。
 ヘッドホンを家族に直してもらったら、また使えるようになりました。
 他にも、「自分の意志でもやらない」「言わない」「(曲・人の声を)聞かない」「聞き流さない」「書かない」「打たない」という否定的に指摘する言葉が幻聴がきっかけで浮かんだこともあり、すぐさま反対の言葉に切り替わり、辛く感じたこともありました。
【質問1:ここまでについて先生はどう思うか、詳しく教えて下さい。これらについて、‘操った者はいないと思う。自分自身を操る力を失っていただけだと思う'と聞いたのですが、こういうのは統合失調症の症状だと言えますか?】

(2)『治す?直す?』がついた言葉が勝手に浮かんだことも今月の診察までの約1ヶ月間りました。
 幻聴と耳鳴り・テレビなどの音声・人や犬の声など『何らかのきっかけ』で「今までやったのを治す」「さっきやったのを治す」「診察で聞いたことは関係なく治す」「関係なくやったのも治す」「ブログに書いたことは関係なく治す」の言葉群以外でも「普通に起きていることも治す」「全部治す」「見るのも治す」「目を閉じるのも治す」「目を開けさせたのも治す」「ついてるのも治す」「止めたのも治す」「頭の中で起きたことも治す」「全部関係なくやるわ」「制止も治す」「しゃべってやるのも治す」「日本も治す」「外国も治す」「発見したのを治す」などの言葉も勝手に浮かび、自分はこの言葉が勝手に浮かぶと、嫌な気分になったりして不快なことがありました。
 これらは思春期に病的な解釈で言う“まるで操られた感じがした”ことがあって、これを自分が「治す/治されている」と認識したことがあって、それ以来勝手に浮かんだというのが何回もあったと思うのです。
 自分の場合、病的な解釈で言う自分の頭の中の記憶(ご飯を食べた・物や文字などを見たのが自分の中でインプットされていたのも含む)なども世の中も全部治された(動かされた)と感じたり思ったりしたこともありました。
 また、「治す」がついた言葉が喫茶店などで浮かんだ時、職員の言動などがきっかけで「治さん」に切り替わり、それは「治す」というのを食い止めるための言葉だと考えられるのです。
【質問2:こういうような実例を先生はご存知ですか?また“まるで操られた感じがした”“全部治された(動かされた)”は受動的な感覚の主体的表現なのですが、これを客観的な認識の表現で言うとどういう表現になるかを教えて下さい。こういうようなことは統合失調症の症状と言えますか?】

~~~ここまで~~~

(2)について、付け足しがあります。
実は以下の出来事があったことを感じたり思ったりしたこともありました。
★人が寝ているのを自分が目にした時に、寝ている人の体が固まっていて、これは病的な解釈で言う「何かが操った」せいだと思ったり感じたりした。
★高校前半まで気温が平年より高かったのが、高校後半から気温が平年より低かったり平年並みだったりした。通信制の高校に入ってから、気温が再び平年より高くなった、これも病的な解釈で言う「何かが操った」せいだと思ったり感じたりした。

自分は2004年夏から2006年春までの気温が例年並みだとか低かったのは「何かがまるで操った(動かした)感じがした」せいだと言うふうに悪い方向に考えてしまったのです。

以上についてどう思うか、詳しく教えて下さい。
あと添削もお願いします。
先生にこのまま見せたほうが良いとハコブルさんから以前聞いたのですが、読みやすい文を教えて下さい。
「操った」という文を客観的な文にしてほしいと自分は思いました。

投稿日時 - 2012-07-02 18:51:21

お礼

回答ありがとうございます。

>要するにいじめられていたということですね。

小学4年のはじめに(転校した頃に)いじめられていたことがありました。
職員室で自分が「失礼します」と言ったことをクラスメイトが「バカ」と言ったり、自分を蹴ってきた人がいたのです。

>その頃のことを題材にして小説を書いてみる気はありませんか。

小説は書く気が今はしませんし、僕はいじめにあった頃の詳しい小説を書くことは忘れてできないと思うのです。
小学生の頃、いじめにあったことは良く覚えてないです。

補足に対する回答も下さい。

投稿日時 - 2012-07-02 18:38:00

ANo.34

少し補足しておきますね。

1.
たとえば、
http://cecil.sakura.ne.jp/mental/mental/schizophrenia.html
にも書いてますが、周囲の人がやってはいけない行為として以下のような例が挙げられています。

頭ごなしに叱る
それは違うと説得しつづけること
批判すること
圧迫感・威圧感・緊張感を与える行為
過保護、干渉すること

ご家族の方がこうしたことについて先生と話し合ったりしてご存知であれば、わたしは何も言いません。

2.
http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/ikiru/for-around.html
こちらも何かのご参考まで。
      

投稿日時 - 2012-06-30 19:17:32

お礼

回答ありがとうございます。

僕が家族に叱られた時間は、学校から帰ってきた日の夜です。
叱られたきっかけは、学校の勉強をちゃんとやらなかったからです。
そのために家族にきつく叱られたのです。
叱られている時は、頭の中で音楽や物事が浮かぶことが理由で実際に怒っていた声が聞こえるのが強くなるかもしれないという気持ちがあって、音楽や物事が浮かぶのを長く止めていたと思うのです。
そしたら、音楽や物事が浮かぶのが停止していたことに気付き、その日の夜はそのまま寝ました。
翌朝になって停止していたのはなくなり、再び音楽や物事は浮かんでいたと思うのです。
こういうことがあったのです。
その頃は、高機能自閉症のみの診断で、統合失調症の診断はありませんでした。
その頃僕は16歳でした。
統合失調症を診断されたのは19歳の頃です。
僕が15~17歳の頃、男子高校に通っていたので、精神的にも肉体的にも辛かったです。
さらには視線が実体化していたと思い、何か落ちる感覚とかぶつかる感覚が今より強かったので、かなり辛かったです。
中学生の頃から人や犬の声がまるで怒った感じの声に聞こえたのです。

>操り人形のように直接紐でつながれているわけではない、といったようなことになりますかね。

それについて例をいくつかあげてください。

投稿日時 - 2012-07-01 15:34:29

ANo.33

>「間接的」の意味で、「間に立つ」「目に見えない力のようなものが間に立った状態」という言葉の意味がわからないので、わかりやすい言葉で回答してください。

操り人形のように直接紐でつながれているわけではない、といったようなことになりますかね。

>それと余談について、家族の方のことをハコブルさんに言ってはならないことを家族から聞いたのです。
なのでこの話は無しにしましょう。

想像はつきます。
まあ、投稿前から想定内のことなので別に驚きません。
fall1024ta さんの疾患にどのように対応すべきか、ということについて、家族の方が先生と話し合っているのであれば、わたしがとやかく言う必要はありません。
ただ、どのようなことで叱られたのかわかりませんが、fall1024ta さんがわざとやっているわけではなくて、あくまで疾患のひとつの症状だと捉えてもらわないと困ります。
それから、以前も言いましたが、自分の家族に対して「家族の方」と敬語を使ってはいけません。

>自然発生的なものでは、強制されたという感覚にはならないはず。
ということはどういう感覚だと思いますか?
病的な言う強い制限や禁止がかかった感じだと思うのです。
他にも幻聴と耳鳴りがきっかけなことがありました。

自然発生的なものには意志がありません。
ですから、強制する意志はないことになります。
強制されたように感じる、あるいは操られたように感じるのは仕方ありません。
ただ、それは単なる思い込みにすぎない、ということも同時に覚えておくと何かの役に立つこともあるような気がします。
幻聴と耳鳴りについてはよくわかりません。
    

投稿日時 - 2012-06-30 19:01:03

お礼

回答ありがとうございます。

#34のお礼欄にお礼を書いておきました。

投稿日時 - 2012-07-01 15:34:53

ANo.32

>「間接的に」という言葉の意味がわからないのです。
簡単な言葉で教えて下さい。

何かが間に立った状態で物事が行われたり関係したりするさま。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E9%96%93%E6%8E%A5%E7%9A%84&stype=1&dtype=0
催眠術の場合は、目に見えない力のようなものが間に立った状態で~、といった意味。
しかし、操るということ自体が間接的である場合が多いので、なくても構いません、と申し上げたわけです。

>頭の中に浮かんでいた音楽が物事が停止していたことに気付いたのは、数年前仮眠して目覚めた時、家族にきつく叱られた時などです。
停止していたより、中断のほうが多かったです。

自分は「強制されていた」の受身の表現を客観的な認識の表現にハコブルさんに書き換えて教えてほしいと言う気持ちが強かったことがありました。
「強制されていた」の客観的な認識の表現を教えて下さい。

“何かきっかけがあって体が固まったり、記憶を元に自由に行動できなかったり、頭の中に浮かんでいた音楽や物事が停止していたことに気付いたり、中断したり、「治す」がついた言葉が意図しないのに勝手に浮かんだ”
という文自体に「強制されていた」という要素は全く入っていません。
「きっかけ」というのが自然発生的なもの、たとえば犬の声とか鳥の鳴き声とか花火の音とかなどであれば、強制されたという感覚にはならないはずです。
しかし、家族の方に叱られるというきっかけであれば、家族の方に音楽の中断を強制されたような感覚になるでしょう。
日本語の表現の問題ではないと思います。

また、余談ですが、「きつく叱る」のはよくありません。
却って病態が悪化するので、今後はきつく叱らないように頼んでおきましょう。
先生に言って家族の方宛の文書を書いてもらうと良いでしょう。
      

投稿日時 - 2012-06-29 13:00:06

お礼

回答ありがとうございます。

「間接的」の意味で、「間に立つ」「目に見えない力のようなものが間に立った状態」という言葉の意味がわからないので、わかりやすい言葉で回答してください。

それと余談について、家族の方のことをハコブルさんに言ってはならないことを家族から聞いたのです。
なのでこの話は無しにしましょう。

>“何かきっかけがあって体が固まったり、記憶を元に自由に行動できなかったり、頭の中に浮かんでいた音楽や物事が停止していたことに気付いたり、中断したり、「治す」がついた言葉が意図しないのに勝手に浮かんだ”
という文自体に「強制されていた」という要素は全く入っていません。
「きっかけ」というのが自然発生的なもの、たとえば犬の声とか鳥の鳴き声とか花火の音とかなどであれば、強制されたという感覚にはならないはずです。

自然発生的なものでは、強制されたという感覚にはならないはず。
ということはどういう感覚だと思いますか?
病的な言う強い制限や禁止がかかった感じだと思うのです。

他にも幻聴と耳鳴りがきっかけなことがありました。

投稿日時 - 2012-06-30 16:40:22

ANo.31

>‘催眠術のように間接的に操ることはできる’という意味がわからないので、簡単で単純な言葉で教えて下さい。

操り人形のように、実際に紐などで固定された動きを強制されるわけではないので「間接的に」と表現しましたが、この言葉はなくても構いません。

>僕の中で、何かきっかけがあると体が固まったり、記憶を元に行動することが停止したり、頭の中に音楽や物事が浮かぶのが止まったりすること、「治す」がついた言葉が勝手に浮かんだことについて
これは自分で自分を操る力を失ったことがあったり、主体性(自由)を失ったことがあった、および、操られているという感覚を喪失した感じだと思うのです。
受身で言う強制されていた感じが多かったのですが、これを客観的に言うとどうなるかが知りたいです。

何かきっかけがあると体が固まったり、思うように行動できなかったり、頭の中に浮かんでいた音楽や物事が中断したり、「治す」がついた言葉が意図しないのに勝手に浮かんだりする。

・~しようと思っても思うように[できなかった / 動けなかった ]。
・~したかったが思うように体が動かなかった。
なども使えるでしょう。

投稿日時 - 2012-06-27 17:16:00

お礼

回答ありがとうございます。

>>‘催眠術のように間接的に操ることはできる’という意味がわからないので、簡単で単純な言葉で教えて下さい。

>操り人形のように、実際に紐などで固定された動きを強制されるわけではないので「間接的に」と表現しましたが、この言葉はなくても構いません。

「間接的に」という言葉の意味がわからないのです。
簡単な言葉で教えて下さい。


それから、もう1つの内容ですけど、
“何かきっかけがあって体が固まったり、記憶を元に自由に行動できなかったり、頭の中に浮かんでいた音楽や物事が停止していたことに気付いたり、中断したり、「治す」がついた言葉が意図しないのに勝手に浮かんだ”
こういうことが自分の中であったのです。
頭の中に浮かんでいた音楽が物事が停止していたことに気付いたのは、数年前仮眠して目覚めた時、家族にきつく叱られた時などです。
停止していたより、中断のほうが多かったです。

自分は「強制されていた」の受身の表現を客観的な認識の表現にハコブルさんに書き換えて教えてほしいと言う気持ちが強かったことがありました。
「強制されていた」の客観的な認識の表現を教えて下さい。

投稿日時 - 2012-06-28 19:44:19

ANo.30

それと
>「操られている」と感じて体が動かなくなったような時、「操られるということはあり得ないのだ!」と論理的に考えることによって

ということですが、論理的思考という意味がわかりません。
単純で簡単な言葉で教えて下さい。

「論理的」というのは「思考が妥当性に則っている」といったような意味になるでしょう。
狭い頭の中に人間が入ることはできませんから、直接的に他人を操ることはできません。
催眠術のように間接的に操ることはできると思われていますね。
しかし、その場合でも、「人を操ることは可能だ=自分は操られている」と信じるから掛かってしまうわけです。
つまり、「信じなければ」催眠術にはかかりません。
それと同じで、実際に人がいないのに「操られている」と感じるのは、自分がそう思い込んでいるだけなのです。
これが妥当性に則った考えかた、つまり論理的な考え方です。

  

投稿日時 - 2012-06-26 22:43:52

お礼

回答ありがとうございます。

‘催眠術のように間接的に操ることはできる’という意味がわからないので、簡単で単純な言葉で教えて下さい。

僕の中で、何かきっかけがあると体が固まったり、記憶を元に行動することが停止したり、頭の中に音楽や物事が浮かぶのが止まったりすること、「治す」がついた言葉が勝手に浮かんだことについて
これは自分で自分を操る力を失ったことがあったり、主体性(自由)を失ったことがあった、および、操られているという感覚を喪失した感じだと思うのです。
受身で言う強制されていた感じが多かったのですが、これを客観的に言うとどうなるかが知りたいです。

投稿日時 - 2012-06-27 14:15:14

ANo.29

>幻聴と耳鳴りが、梅雨入りしてから梅雨入りする前より不快になったり我慢できなくなったということがあれば医師にそのまま言えばいいことかと僕は思いました。

それが一番よいと思います。
エビリファイは減らしたままですか。
それであれば、離脱症状という可能性もあると思いますが、いずれにしても医師に相談するのがよいでしょう。
個人的には、減らす方向で安定できれば理想的なのだと思いますが。
しかし、いずれにしても、ある程度の期間を経ないと検証はできないでしょうから、その意味でも医師との緊密な連絡が必要だと思います。

>例えばエビリファイを飲んで薬の効果がなかなか出ないがリスパダールに変えると薬の効果が発揮されたということが試行錯誤だということだと思いましたが、そうなのかどうか知りたいです。

試行錯誤と言ったのは、あくまで治療法が確定できていないので色々な方法があるはずだ、ということです。
個人個人に合った治療法があると思うので、最適な薬や分量を手探りしながら治療していくのでしょう。
リスバダールはかなり強い薬のようですね。
今まで使っていないとすれば良心的な先生ではないかという気がします。
ただ、PZCが若干上限値に近づいているようですね。
効果がないからといって増やしたり、強い薬を使うようにしたりするのは、素人考えでは好ましくないような気がします。
ネットで検索した範囲では、今お使いの3種の薬は基本的に副作用の弱いものでしょう。
これらの総量はあまり変えないで、量の配分を若干変えてみるなどの対応はしないものなのでしょうか。
推測であれこれ言うのは良くないのでしょうが、ちょっとそういうことも思いました。
専門家ではないので、確定的なことは言えませんし、わたしの回答は全て個人的な見解にすぎません。
その点はご了承願います。

>心理療法家がマインドフルネスを行うことを提示してくださりましたが、それが論理的思考かと思いました。
マインドフルネス瞑想などを意味してます。
薬では現れない効果も現れると聞いたのですが、マインドフルネス瞑想を行っている間に耳鳴りと幻聴が不快で我慢できないかもしれなくて、それが辛く感じるかもしれない気がしました。

瞑想というのは良さそうな気がしますが、それについて知らないのでなんとも言えません。

>薬では現れない効果も現れるという治療法はいくらでもあったら、それはどういうものかをいくつか教えて下さい。

論理的思考というのは、認知行動療法のようなものの一環として述べました。
たとえば、「操られている」と感じて体が動かなくなったような時、「操られるということはあり得ないのだ!」と論理的に考えることによって、気分が若干落ち着く、というような状態になることを期待してのことです。
  

投稿日時 - 2012-06-17 17:31:18

お礼

回答見ました。お礼が大変遅くなりました。

>エビリファイは減らしたままですか。
それであれば、離脱症状という可能性もあると思いますが、いずれにしても医師に相談するのがよいでしょう。

離脱症状ではないと思います。
エビリファイは飲み始めは1錠(6mg)でした。
平成21年11月にエビリファイを5錠で、上限値まで飲んでましたが、長くは続けませんでした。
先月(5月)エビリファイが2錠だったのが、幻聴や耳鳴りなどがかなり辛いために今月3錠に増えましたが、6月10日の日に3錠で飲んでいたら耳鳴りや幻聴などが治まらなくて、さらには動作が止まったり体が固まったり、元気がなくなったりしたので、5月の処方に戻したという訳です。
PZCとロナセンを服用する前は、スルピリド、その前はセロクエル、リスパダールという感じでした。

耳鳴りや幻聴がかなり辛いことは医師にも何度か言ったことがあります。
それで薬が増えたりする場合もあります。

>総量はあまり変えないで、量の配分を若干変えてみるなどの対応はしないものなのでしょうか。

エビリファイとPZCにロナセンを加え始めた頃総量を変えたことがあります。
どれかの薬をいきなりやめたりすると、かえって悪化するからだと思います。

それと
>「操られている」と感じて体が動かなくなったような時、「操られるということはあり得ないのだ!」と論理的に考えることによって

ということですが、論理的思考という意味がわかりません。
単純で簡単な言葉で教えて下さい。

それと僕はのどがかわいたり、食べたくなって昔から食べる飲む量が多いのですが、それは薬の副作用と思ってましたが、職場の人から借りた本には、統合失調症などでこういうことが起きると書いてありました。

投稿日時 - 2012-06-26 12:26:21

ANo.28

>これについて僕は1冊ノートなどを用意し、そこに詳しく記録するということだと思いました。

そういうことです。
ただ、そのまま見せると読む先生は大変でしょうから、先生に正確に伝えるために記録をとる、という意味です。
伝えるときには例をなるべく(ひとつかふたつに)絞って伝えるようにするのが良いでしょう。
幻聴がどの程度の頻度でいつ起きるのか、などという情報も必要でしょう。
たとえば、良く眠れたとき・眠れなかったとき、食べ過ぎたとき・ダイエットできたとき、などによって状況の変化があるようなら、そういうことも含めて記録しておくと役立つように思います。

>エビリファイが幻聴などを抑える薬だけど、幻聴などをひどくするということだと思いました。

エビリファイについて詳しいことはわかりませんが、あくまで薬の一般的な効能について述べました。
数パーセントという低い割合で、薬によっては逆に作用することもある、ということです。
エビリファイに関してそうであるかどうかはわかりません。
ただ、この薬は糖尿病の因子を持っている人には糖尿病性昏睡などが起こる可能性がある、とも言われています。
高血糖にならないように十分注意が必要ですし、「喉の渇き、多尿、多食、脱力感」などがあった場合は直ちに先生に伝えることが大事です。
このように、薬を飲んだあと、どのように影響しているか、という点については、なるべく正確に先生に伝える必要がある、ということです。

>あと全体的に思ったことは、人間の体は薬を飲んで必ず症状がおさまったりするわけではなく、薬を飲んでいると症状がひどくなる方向にいくことも有り得るようになっているということを思いました。

素人なのでなんとも言えませんが、たしかに絶対に効く薬というのは少ないのかもしれません。
また、この疾患に対して薬事療法が始まったのはわずか60年ほど前です。
医療者も試行錯誤の段階ではないかという気がします。
その意味でも、薬を飲んだ後の状態を正確に伝えることが大事だと思うわけです。

>例えばエビリファイを飲み始めて間もない頃に幻聴などが少し楽になったけど、最近は薬の耐性のせいで幻聴などが辛くなったことも有り得るかどうか疑問に思いました。

たしかに、耐性ということはあるかもしれませんね。
素人考えでは可能な限り少ないに越したことはないと思いますが、実際に辛いとそうも言っていられないこともあるのでしょう。
ただ、論理的な思考を心がけることによって、少しでもその辛さを減らすことができるようになれば、結果的に薬も少なくて済むでしょうから、そうなれば良いなあ、と思います。
  

投稿日時 - 2012-06-13 16:49:56

お礼

再度ご回答ありがとうございます。
お礼の返信が遅くなりました。
ここ最近幻聴と耳鳴りおよび様々なことが自分の中で起きてかなり辛いです。
精神的に辛いとも言えばいいと思うのですが、辛いです。
それが原因もあってお礼を書く気がしませんでした。

幻聴と耳鳴りが、梅雨入りしてから梅雨入りする前より不快になったり我慢できなくなったということがあれば医師にそのまま言えばいいことかと僕は思いました。

>この疾患に対して薬事療法が始まったのはわずか60年ほど前です。
医療者も試行錯誤の段階ではないかという気がします。

この疾患=統合失調症だということかと思いました。
試行錯誤というのは、試してみて成功することもあれば失敗することもあることだと思いましたが、そうなのかどうか知りたいです。
例えばエビリファイを飲んで薬の効果がなかなか出ないがリスパダールに変えると薬の効果が発揮されたということが試行錯誤だということだと思いましたが、そうなのかどうか知りたいです。

>論理的な思考を心がけることによって、少しでもその辛さを減らすことができるようになれば、結果的に薬も少なくて済むでしょうから

論理的な思考について、わかりやすい回答を下さい。
プラス思考(前向きな思考)ということですか?
心理療法家がマインドフルネスを行うことを提示してくださりましたが、それが論理的思考かと思いました。
マインドフルネス瞑想などを意味してます。
薬では現れない効果も現れると聞いたのですが、マインドフルネス瞑想を行っている間に耳鳴りと幻聴が不快で我慢できないかもしれなくて、それが辛く感じるかもしれない気がしました。
薬では現れない効果も現れるという治療法はいくらでもあったら、それはどういうものかをいくつか教えて下さい。

投稿日時 - 2012-06-17 05:14:33

ANo.27

#26です。

前回色々お伺いしたのは、つらいことのあった日の出来事をなるべく詳しく記録しておき、それを先生に見せるのがよいのではないか、と思ったからです。
比較的副作用の少ない薬を使っているようですが、あくまで個人差があるでしょう。
逆の作用をする場合もあるはずですから、今の薬を使っている結果については詳しく報告したほうがよいと思います。
そのためには、自分の意見を挟まないで事実だけをなるべく正確に記述するほうが良いでしょう。

エビリファイを半分にしたようですが、薬の効果は2週間ぐらいしないとわからないものも多いと思います。
先生に連絡して確認をとったほうが良いでしょう。
逆に、同じ処方でなかなか改善されないようなら、量だけでなく、薬そのものを変えることはできないかという点に関しても相談してみてよいと思います。
いずれにしても、辛さが少なくなった、逆に辛さがひどくなった、など症状の変化についてはきちんと記録して見せる必要があります。
たとえば、エビファイは不眠という副作用が出る場合もあるようですが、少なくしてから眠れるようになったのか、変わらなかったのか、など。
あるいは、眠れるようになったが、別の症状がひどくなった、などなど。
操られた感覚については、先生は何度も聞いているでしょうから、同じことばかり繰り返しても意味はおそらくないでしょう。
症状の変化、という事実についてのみ先生に報告し、その点について一緒に検討し合うようにするのが良いと思います。
    

投稿日時 - 2012-06-12 17:57:43

補足

例えばエビリファイを飲み始めて間もない頃に幻聴などが少し楽になったけど、最近は薬の耐性のせいで幻聴などが辛くなったことも有り得るかどうか疑問に思いました。

投稿日時 - 2012-06-13 15:05:13

お礼

回答ありがとうございます。

>つらいことのあった日の出来事をなるべく詳しく記録しておき、それを先生に見せるのがよい

これについて僕は1冊ノートなどを用意し、そこに詳しく記録するということだと思いました。

>逆の作用をする場合もあるはずだから

エビリファイが幻聴などを抑える薬だけど、幻聴などをひどくするということだと思いました。

あと全体的に思ったことは、人間の体は薬を飲んで必ず症状がおさまったりするわけではなく、薬を飲んでいると症状がひどくなる方向にいくことも有り得るようになっているということを思いました。

思ったことに対し、どう思うか、回答下さい。

投稿日時 - 2012-06-13 15:04:01

ANo.26

#25です。

1.
>話題を1つずつ話していったほうが、頭の整理にもなると聞きました。

全くおっしゃるとおりと思います。
例についてもひとつ(どうしても必要なら2つまで)に絞るのが好ましいでしょう。

2.
>「○○がきっかけで唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」
ことは合っていると思います。

安心しました。

>家族の方は一時的に動作が止まるのは誰でもあると聞きましたが、

「家族の方」という表現はまちがいです。
自分の身内に敬語を使ってはいけません。
単に「家族は」でいいです。

>僕は「何らかのきっかけで動作が止まる」のが長く続いたり、「頭の中で音楽が再生されるのや、頭の中で言葉が浮かんでいたが、何らかのきっかけでそれらが停止した」ことがあったのです。
こういうことが昨日(10日)あったのです。

どんな音楽でしたか。
どんな言葉でしたか。
また、それはどのような順番で浮かんだり、停止したりしたのでしょうか。
事実だけを教えてください。

>おそらく薬の量が多すぎたせいだと家族に言われました。
なので夜の薬をやめました。
「唾液が飲み込めなかったりした」のも結構長く続いていました。

薬をやめてから後は、どうなりましたか。
また、今日の薬はどうしましたか。
そして、今日の調子はどうでしょうか。
  
  

投稿日時 - 2012-06-11 13:17:04

お礼

回答見ました。

6月10日、どんな音楽で、どんな言葉で、どういう順序で思い浮かび停止したかどうかは全部はパッと浮かびません。
その日はノートにメモすることすらできなかったのです。

J-POPの邦楽などが流れていました。
「マルマルモリモリ」という薫と友樹、たまにムックの曲をカラオケサイトで停止が起きたりする以前に視聴していたので、それが自分の中で流れていたことでしょう。

薬をやめてから後は、動作が止まることが減りました。
エビリファイを先月処方された量に戻しました。
6mg減らしたというわけです。

「治す」という言葉がついた事柄が浮かび、その通りにまるで治されたような感じもあったかもしれません。
「全部治す」「日本も治す」「外国も治す」「目で見ろも治す」などの言葉です。
全部はパッと浮かびません。
エビリファイを減らしても耳鳴りや幻聴は治まりませんし、昨日(11日)は喫茶店から帰ってきてから耳鳴りや幻聴が我慢できない音声になって聞こえたことがありました。
今も辛いです。

どんな動作かということですけど、目がパチッと開いていて、下を向く動作をしようとしたけど、途中で固まった感じだったり、ハコブルさんとのやりとり内容を印刷して冊子にしたものを手に持った状態で寝ころんでいて姿勢を変えれなくてそれがしばらく続いた後に耳鳴りがきっかけで勝手に体が動いてしまったというわけなのです。
動作も固まり、体も固まり、辛い状況でした。

投稿日時 - 2012-06-12 14:56:03

ANo.25

#24です。

1.
Aについて話しているときにそれを放っておいて・・・、ではなく、Aについて質問されたとして、自分はAの質問に対して答えるのだが、Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまうということです。

「Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまう」というのが、
「Aについて話しているときにそれを放っておく」
ということです。
いずれにしても大事なことは、必然性(必要性)がないのに「Aについて話している時にBの話をし始める」と相手が感じてしまう、ということだと思います。
それが実際にどうなのかに関しては、対話している当人でないとわからないことが多いものです。
他人の会話のことについて、一方だけの言い分を聞いてあれこれ論評するのはフェアじゃありませんし、なにより興味がありません。

2.
自分は「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」という表現を#8でハコブルさんが述べたように、能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということなのです。

以上を踏まえて「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」を言い換え、その言い換えは何表現か(客観的表現か能動的表現かなど)教えて下さい。

要するに、受動的な表現をしないで表現したい、ということですね。
それであれば、
「操られた」という受動的な感覚はおかしいと思うので、そうではない表現で「唾液が飲み込めなかった」ということを表現してもらえませんか?
のように質問するとわかりやすいかもしれません。
つまり、「操られたのではない」を言い換えるとどうなるか?
ということでしょうから、
「○○がきっかけで唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」
のようになると思います。

>#24の回答が来てからお礼を書いたのに回答が来なくてどうして回答が来ないのか、疑問に思いました。

他にやることがあったからです。
    

投稿日時 - 2012-06-09 23:31:44

お礼

回答ありがとうございます。
昨日は調子が悪くてパソコンを起動して返事を返すことすらできませんでした。

1.
「Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまう」というのが、
「Aについて話しているときにそれを放っておく」
ということです。

A関連の時を話している時にBの話をし始め、Aについて放っておく
これについて思いましたが、A関連の時を話している時はB関連の内容の話を投げかけないことだと自分は思います。
話題を1つずつ話していったほうが、頭の整理にもなると聞きました。

2.
「○○がきっかけで唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」
ことは合っていると思います。
家族の方は一時的に動作が止まるのは誰でもあると聞きましたが、
僕は「何らかのきっかけで動作が止まる」のが長く続いたり、「頭の中で音楽が再生されるのや、頭の中で言葉が浮かんでいたが、何らかのきっかけでそれらが停止した」ことがあったのです。
こういうことが昨日(10日)あったのです。
おそらく薬の量が多すぎたせいだと家族に言われました。
なので夜の薬をやめました。
「唾液が飲み込めなかったりした」のも結構長く続いていました。

投稿日時 - 2012-06-11 05:15:45

ANo.24

#23です。

>今までのハコブルさんの回答で、複数の話をしていたとハコブルさんは考えるかどうかが知りたいです。

関連があれば複数の話をすることもあります。
心理療法家の人が言ったのは、Aについて話しているときに、それを放っておいてBの話を持ち出すのはよくない、という意味だと思います。
Aの話をするために必要であれば、それに関連することとしてBを持ち出すのは別に構わないでしょう。

>今後質問を立てた際は複数のことを話さないということは大切だと思ったのです。

そうですね。
わたしが以前から言っているのは、例をたくさん挙げない、ということです。
なるべくひとつに絞ることが大事でしょう。

>実は、「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということについて思いましたが、
(1)まるで操られたような感じがして=無意識にそうなった
(2)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった

(1)は前者は受身ですが、後者は客観的な認識の表現だと思うのです。

(1)まるで操られたような(受身)
(2)感じがして(主体的)
(3)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった(客観的)
という感じですかね。
  
  

投稿日時 - 2012-06-08 15:30:59

補足

#24の回答が来てからお礼を書いたのに回答が来なくてどうして回答が来ないのか、疑問に思いました。

投稿日時 - 2012-06-09 18:07:33

お礼

回答読みました。

1.
心理療法家とのやりとりの話についてですが、説明不足だった箇所があったように思いました。

正確に言うと以下のような内容のことを指摘されたのです。
★比喩的に言うと、ミカン関連の話をしていて、心理療法家がミカンの種について質問したとし、僕はミカンの種について答えるのだが、種関連で違う果物の種の話をし始め(スイカの種、ブドウの種など)、そして話がいつの間にかスイカやブドウになってしまう流れの出来事が起きたということ。

ハコブルさんのおっしゃることは違います。
Aについて話しているときにそれを放っておいて・・・、ではなく、Aについて質問されたとして、自分はAの質問に対して答えるのだが、Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまうということです。

2.
僕が言いたかったのは、
(1)まるで操られたような感じがして=無意識にそうなった
(2)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった

(1)は前者は受身ですが、後者は客観的な認識の表現だと思うのです。 について、(2)の内容もしくは(1)(2)の内容を説明したのではなく(1)の内容だけ説明したのです。

自分は「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」という表現を#8でハコブルさんが述べたように、能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということなのです。

以上を踏まえて「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」を言い換え、その言い換えは何表現か(客観的表現か能動的表現かなど)教えて下さい。

投稿日時 - 2012-06-08 18:54:19

ANo.23

#22です。
ちょっと修正。

《あ》頭の中で○○という言葉が無意識に浮かんだようだった。
《い》頭の中で○○という言葉を無意識に発したかもしれない。
《う》無意識に体が動いた・無意識に行動していた・無意識に言葉が出た。

などのほうが表現としては自然でわかりやすくなるでしょう。
  

投稿日時 - 2012-06-07 14:17:51

お礼

ご回答読みました。
実は、ヤフー掲示板で心理療法家とやりとりが続いているんですが、
僕がした話が脱線しているということを指摘されました。
要は、ミカン関連の話をしていて、心理療法家がミカンの種について質問したとし、僕はミカンの種について答えるのだが、種関連で違う果物の種の話をし始め、そして話がいつの間にかその話に変わってしまうという流れの出来事が起きたということです。
心理療法家さんに1つずつ話題を解決するまで話し、それから別の話題を話すことを言われました。
今までのハコブルさんの回答で、複数の話をしていたとハコブルさんは考えるかどうかが知りたいです。
今後質問を立てた際は複数のことを話さないということは大切だと思ったのです。

回答に対するお礼は1つだけにします。
実は、「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということについて思いましたが、
(1)まるで操られたような感じがして=無意識にそうなった
(2)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった

(1)は前者は受身ですが、後者は客観的な認識の表現だと思うのです。
ハコブルさん、これについて正しい解釈かどうかが知りたいです。

投稿日時 - 2012-06-08 05:05:11

ANo.22

#21です。

1.
>これがどういうメカニズムでこういうことが起きるかはわからないとおっしゃってました。
静止という名前はつけているが、メカニズムは知らないとのことでした。

静止にしろ、静止の解除にしろ、「自分の意志に反する言動」というものは存在します。
つまり、○○したい、と思っても、必ず○○をするわけではありません。
全く逆のことをわざわざ言ったりやったりすることもあるのが人間です。
これは、無意識という領域が人間の心(脳)にはあるからです。
無意識の領域に記憶されていることは意識できません。
ですから、その記憶に基づいて行なわれる言動の理由について理解したり説明したりすることは難しいのです。
これはあくまで心理学的な解釈です。
物理的には神経伝達物質の化学作用になると思いますが、脳科学はいま発展途上です。
遠い将来か近い将来かはわかりませんが、いずれそのメカニズムも解明されることでしょう。

>でも赤ちゃんは何を元に動作(ハイハイしたり、産声を上げたりなど)をするのかがわからないので詳しく教えて欲しいと思いました。

いわゆる「先天的」に備わっている能力でしょう。

>某サイトに以下のことが書かれてました。
★赤ちゃんは周囲の物や大人がする動作を目で見て、耳で言葉を聞くことを繰り返すうちに、記憶の力が発達することと合わせて、物と言葉をつなげて記憶したり、動作と言葉をつなげることができるようになってきます。
以上についてハコブルさんの考えを教えて欲しいと思いました。

わかりやすい説明だと思います。
難しいことは知りません。

2.
>>「○○された自分」という感覚は「○○した自分」とワンセットになっているという意味。
意識する、認識するというのは、こういう構造になっている、ということです。
○○の箇所に「変換」という文字が必ず入るわけではありません。

○○には例えば「発見」「操作」「命令」「制限」「禁止」などだということかと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

むろん、それも含まれます。

3.
《A》
「脳の中身すべてが動かされている感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ」:客観的な認識の主体的表現

《B》
「昼ご飯を食べることが禁止された感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし」:客観的な認識の主体的表現

>上記の《A》と《B》の表現は「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたものだと思うのです。

そうですね。
ただ、
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし」:客観的な認識の表現
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたしたと感じた」:客観的な認識の主体的表現
のようになると思います。

>例えば
《あ》頭の中で言わされた感じがした
《い》頭の中で発せられた感じがした
《う》まるで操られたような感じがした
 この3つは「受動的な感覚の主体的表現」だと思うのですが、これを「客観的な認識の主体的表現」に置き換えることができるなら、どういう表現になるかを回答下さい。

前にもお話ししたと思いますが、大前提として、
「頭の中で言わされた」は主体的表現ではない、ということがあります。
「頭の中で言わされた感じがした」は、「言わされた」のではなく、『「言わされた」と感じただけだ』という主体的な認識が伴っているので主体的表現と言ってもよい。
こういうことです。

《あ》頭の中で言った感じがした
《い》頭の中で発した感じがした
《う》まるで自分自身を操ったような感じがした
  

投稿日時 - 2012-06-07 14:05:20

お礼

回答ありがとうございます。
23件目の回答のお礼欄にお礼を書いておきます。

投稿日時 - 2012-06-08 04:57:22

ANo.21

#20です。

>『変換された(感じがした)自分』と『変換した自分』はワンセットになっている。

これについて、どこで知った情報かが知りたいです。
本を見て知ったのなら、何という名前の本で知ったか、書いてください。

本に載っているわけではありません。
単に、このように考えることができる、という意味です。
「○○された自分」という感覚は「○○した自分」とワンセットになっているという意味。
意識する、認識するというのは、こういう構造になっている、ということです。
○○の箇所に「変換」という文字が必ず入るわけではありません。
人それぞれの感覚ですから色々あるでしょう。

>★『ごはんを食べようと意識する自分』には『ごはんを食べようと思わされた自分』が必ずワンセットになって伴っている

これについて詳しく説明を下さい。

⇒上で述べたのと同じ意味です。
このように考えることができる、という論理の問題です。
能動的自分がいれば、必ず受動的な自分がいるはずでしょう。
「歩こう」と考える自分は、「歩こう」と考える自分によって、「歩こう」と考えさせられた自分でもあるわけです。
大事なことは、「どちらも同じ自分」という点です。
「違う」と考えるのは統合失調の最大の特徴です。

>★『歩いている自分』には『歩こうと思わされた自分』で、どちらも同じ自分

作為体験というのは、『歩こうと思わされた自分』のことである。
こういうことで合っているかどうかも知りたいです。

そうだと思います。
「作為体験」というのは「させられ体験」と呼ばれることもあります。
ネットで検索すれば、もっと詳しいことがわかるでしょう。

>(1)~(3)の出来事と静止および静止が解けたのは関連づいていたと言えるのです。
でも『思わされた』のではなく、自分の意志で起こしたことだと思うのですが、ハコブルさんも同じ意見だと考えるかが知りたいです。

同じ意見です。

>また(1)~(3)の実例をご存知かどうかも知りたいです。

知りません。

>ハコブルさんがご存知ではないのなら、医者が良く知っている分野かもしれませんね。

必ず知っているとは限りませんが可能性としてはあるでしょう。

>最後に、#19のお礼に対する回答を忘れていますよ。

作為体験を理解すれば納得いくはずなので、いちいち回答しませんでした。
ご所望なのでとりあえず以下でお答えしましょうか。

>「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」の言葉の意味が知りたいのです。
「受動的な感覚の主体的表現」は例えば何か。
「客観的な認識の主体的表現」は例えば何か。
例をいくつか挙げて欲しいと思ったのです。

についてですね。
これは、質問者さんが挙げた例を私がまとめた表現ですね。
その例以外にも知りたいということでしょうか。
前者は「何かに追いかけられているように感じた」
後者は「その花が美しいとわたしは感じた」
などですかね。
  

投稿日時 - 2012-06-05 14:35:43

お礼

回答ありがとうございます。

1.
昨日(6日)精神科の診察に行ってきました。
ハコブルさんに僕が「例えば文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっているのだと思ったのですが、そうなのか知りたい」と質問したら、「そうです」と答えましたよね。
それを医者に言ったんです。
そしたらこのような回答に賛成で、先生もそう思うと医者はおっしゃいました。
つまり「記憶したことで、それを使って動いている。」「記憶が元になって動いている。」ということです。

実は自分は記憶したことが元になって動作ができたりするのですが、その反面、何らかのきっかけ(=幻聴・耳鳴り・テレビ・他人の言動など)で日常の動作や運動をする機能が停止したことがあり、要するに病的な解釈で言う「制限が入った」「止められた」ということだと思うということを医者に伝えたのです。
これがどういうメカニズムでこういうことが起きるかはわからないとおっしゃってました。
静止という名前はつけているが、メカニズムは知らないとのことでした。

でも赤ちゃんは何を元に動作(ハイハイしたり、産声を上げたりなど)をするのかがわからないので詳しく教えて欲しいと思いました。
某サイトに以下のことが書かれてました。
★赤ちゃんは周囲の物や大人がする動作を目で見て、耳で言葉を聞くことを繰り返すうちに、記憶の力が発達することと合わせて、物と言葉をつなげて記憶したり、動作と言葉をつなげることができるようになってきます。
以上についてハコブルさんの考えを教えて欲しいと思いました。

2.
>「○○された自分」という感覚は「○○した自分」とワンセットになっているという意味。
意識する、認識するというのは、こういう構造になっている、ということです。
○○の箇所に「変換」という文字が必ず入るわけではありません。

○○には例えば「発見」「操作」「命令」「制限」「禁止」などだということかと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

3.
「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」の言葉の意味を教えてくださり、ありがとうございます。
受動的は「~られた」、客観的は「~があった」という表現ですよね?

で、疑問が湧いたことですけど、関係付いている「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」について
いくつか例をあげて書きます。

《A》
「脳の中身すべてが動かされている感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ」:客観的な認識の主体的表現

《B》
「昼ご飯を食べることが禁止された感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし」:客観的な認識の主体的表現

上記の《A》と《B》の表現は「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたものだと思うのです。
それ以外の受動的な感覚の主体的表現を、客観的な認識の主体的表現に置き換えるのは無理があるかどうかが知りたいです。

例えば
《あ》頭の中で言わされた感じがした
《い》頭の中で発せられた感じがした
《う》まるで操られたような感じがした
 この3つは「受動的な感覚の主体的表現」だと思うのですが、これを「客観的な認識の主体的表現」に置き換えることができるなら、どういう表現になるかを回答下さい。

投稿日時 - 2012-06-07 12:14:16

ANo.20

まず、先生に提出するレポートは自分の言葉で書くほうが良いでしょう。
文面や用語の使い方、その変化などを元にして先生は治療方針を決めるはずだからです。
他人が書き換えるのは治療の妨げになるだけで好ましくないと思います。
ただ、(1)に関してアドバイスすると、例が多すぎるので可能な限り少なくする、というぐらいでしょうか。
『幻聴と耳鳴りおよび自分の中で起きる出来事について辛さを感じたりしたことがありました。
エビリファイ・PZC・ロナセンを毎日飲んでいても症状などがおさまる気配がなく、毎日辛い生活を送っています。』という部分と、(2)に関してはそのままでも良いと思います。
文法的な間違いも特に無いようですし、内容がわからなければ先生はその場で確認するでしょう。
その作業も治療の一環になると思います。
その時間を増やすためにも、例をなるべく少なくすることをお勧めします。

--------------------------------------------------------

さて、今回はじめてお使いになった、≪作為体験≫という言葉についてですが、非常に重要なことなので、わたしとしてはこのことに関してのみ、重点的に感想を述べて回答に変えさせていただきます。

>しかし僕は作為体験だとは思いません。
何らかの理由は自分の中で生じたものだと思うのです。

作為体験というのは、このように自分の中で生じるものを言います。
他の例もほぼ同じ事を言っているので、以下の例に絞って述べてみましょう。

> 今まで自分の中で浮かんだ否定的な言葉が反対の言葉に変換された感じがあった(=例えば「言わない」が「言う」、「なくならん」が「なくなる」など) 要は「言ってはならなかった」のが「言っても良い」という感じに切り替わったということだと思う このことも自分の中で生じた何らかの理由によるものだと思ったのです。

「切り替わった」というのは非常にわかりやすい表現ですね。
他人に変換された(切り替えられた)のではなく「自分の中で生じたものだ」とfall1024taさんはおっしゃりたいのでしょう。
それはそのとおりだと思います。
ただ、ここからが大事です。
「変換された感じがあった」ということは、
(ア)変換された(感じがした)自分
と、
(イ)変換した自分
が想定されていることになります。
そして、人間の認識、あるいは意識の構造というのは、そういうものです。
たとえば、「ごはんを食べよう」と意識する自分には、「ごはんを食べようと思わされた自分」が必ずワンセットになって伴っているわけです。
ここまでは誰でも同じです。

しかし、
(ア)変換された(感じがした)自分
と、
(イ)変換した自分
は、『どちらも同じ自分』なのです。
たとえば、「歩いている自分」は、何らかの理由、または何らかのきっかけで「歩こうと思わされた自分」ですよね。
しかし、どちらも同じ自分でしょう。
自我が発達している人は、主体的に考えますから、「わたしは歩いている」と認識します。
しかし、何らかの原因で自我が脆弱な人は、精神的に自立できていないので主体的に考えることが難しいため、「わたしは(わたしのなかの自分によって)歩かされている」と受動的に認識しがちです。

つまり、正常な自我というのは、
『(ア)変換された(感じがした)自分=(イ)変換した自分』
のように無意識的に認識していますが、
脆弱な自我の人は、
『(ア)変換された(感じがした)自分≠(イ)変換した自分』
と感じてしまいます。
「認識する主体」というものが必ず「認識される自分」を伴うのは当然です。
つまり、一人の自分の中に「認識する主体」と「認識される自分」がいる(ある)のは論理的に正しい事実だと言えます。
「ご飯を食べる自分」は「ご飯を食べようと決心させられた自分」でもあるわけです。
この両者を別物だと考えることはできますが、しかし、これはあくまで構造的な視点にすぎません。
自分の中に能動性が生じる場合、結果として受動的な事柄も同時に生じる、というだけのことなのです。

「変換された自分」と「変換した自分」は「全く同じ自分」です。
どちらも同じ自分なのに、別のもう一人の違う自分を想定してしまうために、操られているように感じる。
自分の中で起こる、こういった感覚を作為体験と言うわけです。
これが辛さの原因なのでしょう。
散歩してますか。
ときどきは体を動かしてくださいね。
      

投稿日時 - 2012-06-04 14:37:44

お礼

ハコブルさん、#20の回答に目を通していて思いました。

『変換された(感じがした)自分』と『変換した自分』はワンセットになっている。

これについて、どこで知った情報かが知りたいです。
本を見て知ったのなら、何という名前の本で知ったか、書いてください。

★『ごはんを食べようと意識する自分』には『ごはんを食べようと思わされた自分』が必ずワンセットになって伴っている

これについて詳しく説明を下さい。

★『歩いている自分』には『歩こうと思わされた自分』で、どちらも同じ自分

作為体験というのは、『歩こうと思わされた自分』のことである。
こういうことで合っているかどうかも知りたいです。

医師に伝えるためのレポートは既に書きました。
でもレポートに書いてない内容で、医師に伝えたいことがまだありました。
実は自分の中で以下の流れの出来事があったのです。

(1)『動くな』『動くな動くな動くな動くな』という禁止用語が浮かび、気になり、頭から離れない状態だった

(2) (1) がきっかけで禁止用語『動くな』ではなく、『動くんだぱも』『動くんだなも』などの言葉を他人には聞こえない感覚で発した

(3)ところが喫茶店で働いていて職員の言動をきっかけに禁止用語をまるで言わせられたような感覚が起きた


(1)と(2)は6年前に起きた出来事です。2006年の時なので僕が18歳の頃です。
それで、(1)の出来事が起きたことが原因で、何らかのきっかけで禁止用語『動くな』などが勝手に浮かび上がり(=まるで「発見された」感覚)静止に至ったことがあったという訳です。
それは『動くんだぱも』などの用語を発しても、静止に至ったのです。
(1)~(3)の出来事と静止および静止が解けたのは関連づいていたと言えるのです。
でも『思わされた』のではなく、自分の意志で起こしたことだと思うのですが、ハコブルさんも同じ意見だと考えるかが知りたいです。
また(1)~(3)の実例をご存知かどうかも知りたいです。
ハコブルさんがご存知ではないのなら、医者が良く知っている分野かもしれませんね。
最後に、#19のお礼に対する回答を忘れていますよ。
そちらの回答も下さい。

投稿日時 - 2012-06-05 12:53:51

ANo.19

#18です。

必要なことだけに絞って書きます。

1.
>このような感じで書けばいいということかどうか、確認の回答お願いします。

前回も申し上げましたが、例をひとつだけに絞って、質問形式で文章にしてください。
「~した時」もひとつに絞ってください。
その後、わかりやすい文かどうか判断し、もしわかりづらければ、わたしがわかりやすいように書き換えてあげます。

2.
>「今までやったのを治す」は、今まで心身が辛いとかいろんな出来事があったけど、それを動かす(操る)という事柄が浮かんだということだと思うのです。

「治す」という言葉は「もとの良好な状態に戻す」という意味ですが、そういう意味で使っていますか。
それであれば、「今まで経験した嫌な出来事を無かったことにする」という表現にするとわかりやすいのですが、どうでしょうか。

3.
>「発見したのを治す」というのは多分何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それを最後まで操るようなことだと思うのです。

「最後まで操る」という意味が不明です。
「発見された感覚」ーー誰に(何に)発見されたのですか。

4.
>でもこういうことが起きている時に、「発見しない」「全部治すって何だ」という言葉が勝手に浮かび上がり、どういう意味かと言うと、“何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それが自分の中で解除されるような感じが起き、まるで発見された感じが意識に上らなくなるということだと思うのです。
「全部治すって何だ」という言葉が浮かんでしばらくすると自分の中で「全部ほっとく」という言葉に切り替わったことがあったと思うのです。

最初は「発見された」という感覚があって、後にその感覚が消えた、ということですね。
最初は「治す」ということを強制されたように感じたが、後に「治さなくてもいい、ほっとく」という感覚になった、ということですね。

5.
(A)ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

>耳鳴りによって起きたことだから、「動作が他の何者かに禁止された感じがあった」ということについて僕はおかしいと思ったのですが、ハコブルさんはどう思うか知りたいです。
これはつまり主体性を保てなかった=自由に動作ができなかったということだと思うのです。

では、「動作が耳鳴りによって禁止された感じがあった」ということですね。
自分の耳鳴りによって禁止された、ということは「他人に操られた」という感覚はないのですね。

6.
(B)これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

>たぶんこのことも自分の脳内で起きた自発的作用だと思いました。
誰か=人間ではなく、犬だと思うのです。

なるほど。それであれば、
『これがしばらく続いて家の犬が吠えた。それがきっかけとなり、自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かんだ。まるで犬に操られたような感じだった。』
のようにすれば、非常にわかりやすい文になります。
どう思いますか。
何を止めるな ということなのかについて具体的説明は必要になりますが。

7.
>知恵袋で回答が来ないことについて:暴かれたというのはまるで何らかに発見された感じだと思うのです。
勝手に浮かび上がった=まるで何らかによって発見された感じだと思います。
掘り出すというのはしっくり来ない気がします。

わかりました。
ただ、暴かれる、発見される、という感覚が脳内で起こっている、という感覚は、一般的には理解されづらいものです。
ですから、この言葉だけではなく、そのときの状況や印象を、ある程度詳しく説明する必要があるでしょうね。
  

投稿日時 - 2012-06-03 14:33:52

補足

実は6/6(水)に精神科の診察で主治医に見てもらいたいレポートの内容なのですが、添削して欲しいのです。
診察は15分の限られた時間内におさめるように、質問は最大2つと医師に言われているし、一太郎で作るレポートはせいぜい1ページくらいにおさめるように言われています。
添削お願いします。
 ~~~~~~ここから~~~~~~
幻聴と耳鳴りおよび自分の中で起きる出来事について辛さを感じたりしたことがありました。
エビリファイ・PZC・ロナセンを毎日飲んでいても症状などがおさまる気配がなく、毎日辛い生活を送っています。

(1)
今年2月の診察で『何らかの理由で自我障害が起きた』『何らかの理由で自分の内面にあったものが外面に引き出された感じがあった』などのことを医師に伝えたところ、作為体験であり、実例をご存知だということを医師から聞きました。
しかし僕は作為体験だとは思いません。
何らかの理由は自分の中で生じたものだと思うのです。
つまり、自分の中で日芽生えたことが原因で前回の診察で言った何らかのきっかけ(=幻聴・耳鳴り・テレビ・他人の言動など)で禁止用語(例:「動くな」)などの自分の中の記憶が勝手に浮かび、静止に至ったりしたということなのです。 
 今まで自分の中で浮かんだ否定的な言葉が反対の言葉に変換された感じがあった(=例えば「言わない」が「言う」、「なくならん」が「なくなる」など) 要は「言ってはならなかった」のが「言っても良い」という感じに切り替わったということだと思う このことも自分の中で生じた何らかの理由によるものだと思ったのです。
 静止は毎日高校(専門学校)に通っていたときも起きていましたが、自分の中で生じた何らかの理由で起きたかどうかはわかりません。
 僕は小学高学年の時、クラスメイトの子の言動がきっかけなのか、自分の中の記憶「電卓」が勝手に浮かび、それを「発見された」というふうに自分が思ったことがあったのです。
 喫茶店で働いているときも、去年の前半まで自分の中の記憶などが勝手に浮かび上がり、まるで発見されたような感覚を強く感じたが、その後は「発見しない」という言葉が浮かび上がり、発見されたような感覚がなくなったり、減ったりしました。
 浮かび上がった内容は小・中学の時のクラスメイトの子の名前や先生の名前などです。
 また怖い夢で叫んだ時に家族の人が部屋に来て僕の様子を見に来て去るまでの間に「○○って何だ」(○○=全部治す、数学科用など)という言葉が勝手に浮かび上がることがあり、それはまるで発見されたという感覚だと思うのです。
 去年の11月の診察で聞いた「頭のイヤな感じに伴い、脳内が操られる感じ(作為体験)」のようなことも自分の中で生じた何らかの理由で起きたと思うのです。

(2)
それと僕は、相談サイトで「文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっている」という回答を得たのです。
実を言うと自分は、以前も言ったように寝過ぎや頭を使う機会が少なくなったなどで昔よりも頭の働きが鈍くなったことを感じたことがあったのです。
僕は何らかのきっかけ(=幻聴・耳鳴り・テレビ・他人の言動など)で日常の動作でも何でも停止したことがあった、要するに病的な解釈で言う「制限が入った」「止められた」ということだと思うのです。
このような症状がどういうメカニズムで起きるか知りたくなりました。
【質問:相談サイトで得たことが妥当かどうかと、動作などが停止するのがどういうメカニズムで起きるかを詳しく教えて下さい。】
 ~~~~~~ここまで~~~~~~

投稿日時 - 2012-06-03 19:50:52

お礼

お礼に対する回答ありがとうございます。

1に関して.
#18の回答の
 ●~~~~~~
僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」


★印の表現はいくらかわかりやすいです。
次の3点に気をつけて書き換えると、もっとわかりやすくなるでしょう。
・どんなきっかけなのか具体的に例を挙げる。
・どんなときに起きたのか具体的に例を挙げる。
・誰によって[暴かれた/引き出された/操られた]のか、具体的に例を挙げる。
  ~~~~~~~~
以上のことに対する返答を書いたのです。

2に関して.
「今まで経験した嫌な出来事を無かったようにする」という訳ではないと思うのです。
「もとの良好な状態に戻す」という意味では使ってません。
たぶん自分の中にインプットされていた「治す」を含む言葉が何らかによって(=テレビとか幻聴・耳鳴り・喫茶店で働いている時職員の言動などで)勝手に浮かんだということです。

『今まで自分の中で浮かんだ否定的な言葉とは反対の主体性を保つ意志の言葉が勝手に浮かんだ(=例えば「言わない」が「言う」、「なくならん」が「なくなる」など) 要は「言ってはならなかった」のが「言っても良い」という感じに切り替わったということだと思う』
『統合失調症の症状で言う頭のイヤな感じに伴い、脳内がまるで操られる感じに陥ったこと』
『統合失調症の方が良く言うまるで何かが操られたような感じ』

これらを途中で放っておくのではなく、やり通すということだと思うのです。

3に関して.
最後まで操る=途中で放っておくのではなく、やり通すということだと思う。
誰に(何に)発見されたか=喫茶店の職員さんの言動などによって発見されたなど

4に関して.
「まるで発見されたような感覚」が強くて、後に「まるで発見されたような感覚や思い込み」が減ったということだと思います。

>「治す」ということを強制されたように感じたが、「後に治さなくてもいい、ほっとく」という感覚になった、ということですね

自分の中で「治す」という言葉が浮かんだきっかけなのか、「治す」ということを強制されたように感じたということだと僕は思います。
「全部治すって何だ」という言葉が浮かんでから、「全部ほっとく」という言葉に切り替わっただけだと思うのです。「ほっとく」という感覚になった訳ではないと思うのです。

5に関して.
たぶん他人に操られた感覚はなかったです。
「耳鳴りがきっかけで動作ができなかった」のは主体性を保てなかったことで、受身・病的な解釈に変えると、「禁止された」「制限が入った」ということです。
これを考えて「耳鳴りがきっかけで動作ができなかった」の別の表現をいくつか知ってたらハコブルさんに教えて欲しいと思ったのです。

6に関して.
「まるで犬に操られたような感じ」というか、僕は“「(体の動きを)止めるな」という言葉が勝手に浮かんだ”ということで、その言葉が浮かんだ直後からしばらくの間、ベッドに横になっていて、ベッドの中で体の動きを止めようとしたが、体の動きが止まらなく、その後に犬の様子を見に行ったのです。
そしたらひもが自転車にからまっていたという流れの出来事が起きたのです。
犬が吠えた後にベッドに横になっていたのは15分とか30分とか長い間ではなかったのです。たぶん1分くらいかと思います。


僕は「受動的な感覚の主体的表現」を「客観的な認識の主体的表現」に言い換えたいと思ったことがありました。
例えば「脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ」「頭の中で問いが浮かぶことに対して、まるで他の何者かが勝手に答えを返してくる感じがした」は受動的な感覚の主体的表現。
「脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ」「頭の中で問いが浮かぶことに対して、何らかのきっかけ(=職員の言動や耳鳴り・幻聴など)で勝手に答えがひらめく」は客観的な認識の主体的表現だと思うのです。
ハコブルさんに教えていただきたいことがあるのですが、「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」の言葉の意味が知りたいのです。
「受動的な感覚の主体的表現」は例えば何か。
「客観的な認識の主体的表現」は例えば何か。
例をいくつか挙げて欲しいと思ったのです。

補足に書きたいことがあるので、それもごらん下さい。
お礼・補足に対する回答を再度下さい。

投稿日時 - 2012-06-03 19:13:12

ANo.18

#17です。

>現在はエビリファイ夕2錠(1日12mg)、PZC朝2錠・夕3錠(1日20mg)、ロナセン朝1錠夕1錠(1日8mg)決められた量で服用しています。
主治医が処方した通りに飲んでいるということです。

わかりました。
ただ、気分が悪くなったり、なにか好ましくない変化があれば、細かく医師に伝える必要はあると思います。
時によっては処方の変更が必要な場合もあるでしょうから、その判断材料にしてもらうためです。

>幻聴と耳鳴りは統合失調症以外の疾患でも起きるのですが、すでに上に書いた症状があるので統合失調症や高機能自閉症の診断は否定できないと言うことです。
ハコブルさんは以上についてどう思うか、知りたいです。

この方面にかけても専門家ではありませんので、医師の言うことに素直に従うのが一番よいのではないでしょうか、ということぐらいしか言えません。
いずれにしても、症状名がなにかということははっきり言って関係ありません。
辛い症状を改善することが目的でしょう。
そのためには、言い換えたりしないで自分の感じたとおりのことを医師に話す必要があります。

>実は、「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」と言う表現と「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」という表現を総括すると、「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」と表現できると思ったのです。
「何らかのきっかけ」で、例えば幻聴・耳鳴りが不快な時にそう言うことが起きたとか、喫茶店で働いている時にそう言うことが起きたなどと表現しないとわからないということだと思いました。

表現する目的が、自己満足ではなく相手に伝えることなのであれば「総括」してはいけません。
起きたことを素直に時系列で書けばよいのです。
その内容を読みやすくするための添削であれば、いくらでも回答が得られると思います。

>僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」


★印の表現はいくらかわかりやすいです。
次の3点に気をつけて書き換えると、もっとわかりやすくなるでしょう。
・どんなきっかけなのか具体的に例を挙げる。
・どんなときに起きたのか具体的に例を挙げる。
・誰によって[暴かれた/引き出された/操られた]のか、具体的に例を挙げる。

>『何らかのきっかけで「治す」の主の言葉が頭の中で勝手に浮かび、それはまるで発せられた感じだった』ということなのだと思うのです。
何を治すか、それはつまり「治す」と言う主の言葉が勝手に頭に浮かぶ→自分の中でごく普通に起きることや世の中などを何らかが操ったりするということだと言うことだと思うのです。

これは意味が却ってわかりづらくなっています。
「治す」というのは、あくまで「○○を治す」という意味です。
「○○」が何なのか不明なのでわかりづらいです。
また、「主の言葉」という日本語はありませんから意味不明です。説明が必要です。

>ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

この文はわかりやすいですね。「まるで動作が他の何者かに禁止された感じがあった 」のように表現するともっとわかりやすくなります。

>↓
これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

「それも誰かが操っているような感じだった」のほうがわかりやすいでしょう。

>↓
「止めるな」が浮かんだ後、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが、それができなかった。これもまるで操られたような感じだった。

どんな「体の動き」ですか?
また、それまでの文で、動いていた状態が出てこないので、いきなり「止めようとしたが」と書いても整合性が取れません。

>このような出来事が起きたということなのです。
(A)の文章を(B)の文章に変えるということは#8でハコブルさんが述べたように受動態表現を動作の主体が自分である能動態表現あるいは客観的表現に言い換えたいということだと思うのです。

どの部分が受動態で、どの部分が能動的表現か、また、どの部分が客観的表現か、ということを理解していますか?
無理に総括して言い換えようとするのはよくありません。

>【質問】
回答が来なくてすごくイライラします。

『日本語』カテゴリに質問があります。

(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
↑↑
この質問に対する回答をどうしてくれないんだバカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>ハコブルさんはこれについてどう思うか知りたいです。
僕は#14のお礼で述べた『「受動的な感覚の主体的表現』から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思う』という回答が来たので、それで上記の質問をしたということなのです。
それでも回答が来なかったので、イライラしてイライラの質問(「バカ」という言葉を使った質問)をしたということです。

まず、具体的の意味がわかっていません。
たとえば、何度も申し上げたと思いますが、「記憶が暴かれた」という表現は普通しないので意味が通じません。
意味が通じないことを言い換えてくれと言われても言われたほうは困るでしょう。
ですから、「暴かれた」とはどういう意味かを説明する必要があります。
しかし、それよりも、類語辞書を使ってもう少し分かりやすい言葉がないか考えてみましょう。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%9A%B4%E3%81%8F&stype=1&dtype=5
わたしは「掘り出す」などがいいかな、という気がしますけどね。
いずれにしても状況をもう少し詳しく書く必要があるでしょう。
何か例を書いてくれれば、わかりやすい質問文に添削してあげます。
ただし、例はひとつだけです。  
また、先のほうで述べた留意事項にもとづいて詳しく書いてください。
ただ、読みづらくなるので同じことは何度も書かないようにしてください。
  

投稿日時 - 2012-06-02 13:57:14

お礼

回答ありがとうございます。

1.
>>僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」

>★印の表現はいくらかわかりやすいです。
次の3点に気をつけて書き換えると、もっとわかりやすくなるでしょう。
・どんなきっかけなのか具体的に例を挙げる。
・どんなときに起きたのか具体的に例を挙げる。
・誰によって[暴かれた/引き出された/操られた]のか、具体的に例を挙げる。

きっかけ、とき:幻聴・耳鳴りのせい、喫茶店の控え室で休憩をしていた時および喫茶店の厨房で働いていた時に起きた(厨房で働いていた時は職員なども一緒に厨房で働いていた)、テレビのせい、自分の部屋で寝ていてヘルパーさんがそばで電話していた時に起きた、家族の人に怒られたり文句を言われたりした時、犬が吠えた時(その時は犬が吠えたせいかと思う)など
誰によって:これは自分の脳の中での自発的な作用かと思う。きっかけ、ときを参考すればわかるかと思う。
何を暴かれた・引き出されたのか:中学校の時の校長先生の名前、「バッチンだよ」の幻聴の言葉、エクボたりゅうへい、さばえく、人の名前(=小学・中学の時のクラスメイトの子の名前など)、怒られる少し前に見た人の顔が目に焼き付いて長く見えたもの(残像ではないと思う)

このような感じで書けばいいということかどうか、確認の回答お願いします。

>>『何らかのきっかけで「治す」の主の言葉が頭の中で勝手に浮かび、それはまるで発せられた感じだった』ということなのだと思うのです。
何を治すか、それはつまり「治す」と言う主の言葉が勝手に頭に浮かぶ→自分の中でごく普通に起きることや世の中などを何らかが操ったりするということだと言うことだと思うのです。

>これは意味が却ってわかりづらくなっています。
「治す」というのは、あくまで「○○を治す」という意味です。
「○○」が何なのか不明なのでわかりづらいです。
また、「主の言葉」という日本語はありませんから意味不明です。説明が必要です。

「主の言葉」は以下の●印の言葉には「治す」という言葉が全部ついてますよね。そういうことです。
●「関係なく治す」「今までやったのを治す」「全部治す」「ブログに書いたこととは関係なく治す」「人に聞いてもらったけどそれとは関係なく治す」「○○さんがやったのを治す」「夜やったのを治す」「幻聴が不快で動作が止まったのも治す」「ついてるのも治す」「目を開けさせたのも治す」「発見したのも治す」など

また「○○を治す」の「○○」というのは、
健常者や病気の人にはごく普通に起きること、世の中などだとおもうのです。
これが「全部治す」ということだと思うのです。

「関係なく治す」や「ブログに書いたこととは関係なく治す」というのはブログに自分の(頭の)中で心身が辛いとかいろんな出来事があったり、医師にそのようなことを伝えたが、それとは関係なく動かすという事柄が浮かんだということだと思うのです。
「今までやったのを治す」は、今まで心身が辛いとかいろんな出来事があったけど、それを動かす(操る)という事柄が浮かんだということだと思うのです。
「発見したのを治す」というのは多分何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それを最後まで操るようなことだと思うのです。

でもこういうことが起きている時に、「発見しない」「全部治すって何だ」という言葉が勝手に浮かび上がり、どういう意味かと言うと、“何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それが自分の中で解除されるような感じが起き、まるで発見された感じが意識に上らなくなるということだと思うのです。
「全部治すって何だ」という言葉が浮かんでしばらくすると自分の中で「全部ほっとく」という言葉に切り替わったことがあったと思うのです。

(A)ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

>この文はわかりやすいですね。「まるで動作が他の何者かに禁止された感じがあった 」のように表現するともっとわかりやすくなります。

耳鳴りによって起きたことだから、「動作が他の何者かに禁止された感じがあった」ということについて僕はおかしいと思ったのですが、ハコブルさんはどう思うか知りたいです。
これはつまり主体性を保てなかった=自由に動作ができなかったということだと思うのです。

(B)これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

>「それも誰かが操っているような感じだった」のほうがわかりやすいでしょう。

たぶんこのことも自分の脳内で起きた自発的作用だと思いました。
誰か=人間ではなく、犬だと思うのです。

(C)
「止めるな」が浮かんだ後、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが、それができなかった。これもまるで操られたような感じだった。

>どんな「体の動き」ですか?
また、それまでの文で、動いていた状態が出てこないので、いきなり「止めようとしたが」と書いても整合性が取れません。

耳鳴りがきっかけである動作ができなかったり、止まったりして自らの主体を保てなかったが、家の犬が吠えたことがきっかけで「止めるな」という言葉が浮かび、それに従った感じだと思うのです。
「どんな体の動きか?」に関して、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが自らの主体を保てなく、体の動きを止められなかったことだと思うのです。
ベッドの中で自分の体の動きなどを止めるという動きだと思います。

知恵袋で回答が来ないことについて:暴かれたというのはまるで何らかに発見された感じだと思うのです。
勝手に浮かび上がった=まるで何らかによって発見された感じだと思います。
掘り出すというのはしっくり来ない気がします。
暴かれた=発見されたのは上のほうにきっかけ、とき、何が暴かれたか書いたので読んでみて下さい。

以上についてを回答下さい。

投稿日時 - 2012-06-03 07:23:32

ANo.17

#16です。

1.
実はyahoo知恵袋に、以下の質問をしたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで質問に対する回答が来なくて、イライラしたこととどうして来ないかを質問したら、「質問の意味がわからないからでしょう」と言う回答が来たのです。
僕が思うことですけど、
(1)「頭の中の記憶が暴かれた(受動的)感じがした(主体的)」
(2)「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった(客観的)感じがした(主体的)」
だと思ったのですが、ハコブルさんは(1)(2)について正しいと思うかどうか知りたいです。

fall1024ta さんの考え方自体は正しいと思います。
ただ、これは他の人にとって、fall1024ta さんの感じ方をある程度知っていないと理解は難しいと思います。
「○○的」という表現はわかりづらいので具体的に説明したほうが良い、と言ったのはそのためです。
なぜかというと、たとえば、「頭の中の記憶が暴かれる」という感覚を普通の人は持たないからです。
つまり、理解できません。
ですから、「暴かれた状況」について、少し注釈する必要があります。
記憶というものは、自分が 自分の頭の中に 自分で したものです。
ですから、他人に暴かれるということはあり得ません。

普通の人は、
・(自分の)記憶が蘇った。
・(そのことを)思い出した。
・(あることが)閃いた。
などのように考えます。
なので、「他人に暴かれたような気がして辛い」ということまで含めて、具体的な状況説明をしないと理解されづらいと思います。

2.
>実は#7のお礼でも述べたようなことを言いますけど、
(例)
※『「治す」の主の言葉が頭の中で≪発せられたりした≫感覚があった』
→『「治す」の主の言葉が頭の中に≪浮かんだ≫』について。
『「治す」の主の言葉が頭の中で発せられた(受動的)+感覚があった(主体的)』
『「治す」の主の言葉が頭の中に浮かんだ(主体的)』で合っているかどうか知りたいです。

たとえば、このような説明のしかたがわかりづらいのです。
「治す」って、何を?
という疑問を読んだ人は最初に感じますよ。
ですから、「感覚があった」とか言われても何のことを言っているのか、意味が通じないのだと思います。
もう少し丁寧に状況を説明する必要があるでしょう。
例をひとつに絞って、状況を少し長く説明するようにしてみてはどうでしょうか。

>この文章からわかることは「言われた(受動的)」を「呼び起こした」に書き換えたことが言えるのです。
(A)と(B)の文章を読み比べて思うことを詳しく教えて下さい。
(例えば受身の主体形の文を客観的な主体形の文に書き換えたなど)

非常にわかりづらい文章です。
わたしは何度かやりとりしていますから、かろうじてわかるような気もしますが、自信はありません。
(A)の場合、「(体の動きを)止めるな」と言う言葉」が頭に浮かんだあと、どうなったのか?
という点の説明がありません。
時系列で順番に起きたこと、感じたことを書くのが一番わかりやすいと思います。
(B)の場合は何を言っているのかさっぱりわかりません。

3.
>僕はこのような感じで文章を言い換えたい気持ちが強いのです。
身の回りの人にもこういうことはあるかどうか聞いて気持ちをスッキリさせたい感覚が強いですし、医師にも一太郎でレポートを書いて伝えたいという気持ちがあったのです。

それは前から言っていましたね。
ですから、わたしは基本的には言い換えに積極的にはなれないのです。
嘘を言っていると医師は治療できなくなります。
「それは統合失調の症状ではありませんからもう病院に来なくてもいいですし、薬も飲まなくていいです」
と言われてもいいのですか?
受動的か主体的かが問題なのではなく、「辛く感じること」が一番大変なことなのではないですか?
それを改善するためには嘘を医師に言ってはいけません。
「受動的ではなく主体的だ」と自分の感覚を偽るのは意味がありません。
「受動的だという感覚は論理的ではない。だから受動的だと感じることはおかしなことなのだ」のように、現状の自分に対して正しい認知をすることが大事です。

「受動的だと感じる自分がおかしい」と論理的に納得できれば辛さは無くなるはずです。
おかしいと納得できれば治せば良いのですから素直に治療に専念できるでしょう。
しかし、納得できないので抵抗が生じています。
それで、「受動的だと感じるが、それは自分がおかしいからではない」と言いたいために、主体的表現に固執するのだと思います。
医師の言うことに素直に従って適切な薬の服用を受けるのが現在では最善の方法ではないでしょうか、と言うしかありません。
決められた量の薬を服用していますか?
信頼できる医師を探すことも含めて検討してみるとよいでしょう。
信頼がないと何事もうまくいかないからです。
人間というのは誰しも、多かれ少なかれみんなおかしな存在なんです。
ですから、おかしいこと自体は悪いことじゃないんです。

3.
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」

このことについてですけど、自分の中では、以下のようなことが起きていたと思うのです。
※操られている感覚が脳内に湧いた
※主体性をうまく保てていないという感じがした
※主体性を保てていないような感覚に陥った
これらが唾液が飲み込めなくなったりしたきっかけだと思うのです。

自分の症状を客観的によく捉えていると思います。

4.
>#16のお礼の3について、
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」
要するに主体性を保てなかったということ。
頭の中で起きたことだと思うのですが、合っているかどうか知りたいです。

そうですね。
わたしとしては、「操られた」であれば「受動的=主体性を保てなかった」だと思うのです。
しかし「ような感じがした」という表現の場合、「感じがする」というのは主体性を持った行為だと捉えたい気持ちがあるわけです。
そして「~ことがあった」と客観的な認識に至っていますから、全体として主体的な感覚と考えることが可能だと思います。
「頭の中で起きたこと」であることは間違いありません。
「自分の脳の中での自発的な作用」と言い換えてもよいでしょう。
他の誰かが操っているわけでは全くありません。
  

投稿日時 - 2012-05-31 23:07:16

お礼

回答ありがとうございます。

>決められた量の薬を服用していますか?

現在はエビリファイ夕2錠(1日12mg)、PZC朝2錠・夕3錠(1日20mg)、ロナセン朝1錠夕1錠(1日8mg)決められた量で服用しています。
主治医が処方した通りに飲んでいるということです。

>「それは統合失調の症状ではありませんからもう病院に来なくてもいいですし、薬も飲まなくていいです」
と言われてもいいのですか?

僕は幻聴と耳鳴りが気になってイライラして暴れることが多くあったりしたし、普通の人とは変わっているので精神科や障害発達センターに通院するようになったのです。
また幻覚としてはっきり見える訳ではないのですが、「視線かどうか判断できないものがつばが飛ぶような感じで落ちたりする感覚がある」ことを医師に伝えたら「統合失調症の症状です」と医師はおっしゃいました。
それに「耳鳴りが始まったときからだと思うが、耳鳴りに属するものか判断できないものが他の感覚器(鼻や口・目など)で受けたかのような感覚がある」ことも医師に伝えたら、「病気の症状です」と医師はおっしゃいました。
僕は、誰にでも起きることに辛さや苦痛を感じたりしますし、病気の症状もあるので統合失調症や高機能自閉症の診断は否定できないと思いました。
薬を途中でやめると再発リスクが高まることも聞いたことがあるのです。
幻聴と耳鳴りは統合失調症以外の疾患でも起きるのですが、すでに上に書いた症状があるので統合失調症や高機能自閉症の診断は否定できないと言うことです。
ハコブルさんは以上についてどう思うか、知りたいです。

>受動的か主体的かが問題なのではなく、「辛く感じること」が一番大変なことなのではないですか?

僕はあまり本を読んだり言葉を知らないので、受動的な表現も主体的な表現もすべて他人に求めているのです。
他人に求めて他人から言い換えなどを得たことを参考に医師などに伝えたいという気持ちがあったのです。

実は、「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」と言う表現と「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」という表現を総括すると、「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」と表現できると思ったのです。
「何らかのきっかけ」で、例えば幻聴・耳鳴りが不快な時にそう言うことが起きたとか、喫茶店で働いている時にそう言うことが起きたなどと表現しないとわからないということだと思いました。

僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」

『何らかのきっかけで「治す」の主の言葉が頭の中で勝手に浮かび、それはまるで発せられた感じだった』ということなのだと思うのです。
何を治すか、それはつまり「治す」と言う主の言葉が勝手に頭に浮かぶ→自分の中でごく普通に起きることや世の中などを何らかが操ったりするということだと言うことだと思うのです。

心理学カテゴリで回答をくれた方から教わったことについてですけど、
(A)受動的な感覚の主体的文章を(B)客観的な認識の主体的文章に書き直したことが言えると思うのです。

ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

「止めるな」が浮かんだ後、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが、それができなかった。これもまるで操られたような感じだった。

このような出来事が起きたということなのです。
(A)の文章を(B)の文章に変えるということは#8でハコブルさんが述べたように受動態表現を動作の主体が自分である能動態表現あるいは客観的表現に言い換えたいということだと思うのです。

実は先日yahoo知恵袋で質問したことに対する回答が何件か来たのですが、質問・回答を書いておきます。

【質問】
回答が来なくてすごくイライラします。

『日本語』カテゴリに質問があります。

(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
↑↑
この質問に対する回答をどうしてくれないんだバカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

【回答】
(1件目)
回答がないのは、質問の意味がわからないからでしょう。

(2件目)
1、俺は他人に頭の中を覗かれている
2、他人は俺の頭の中を覗いている


一度、違うカテゴリーで質問をしたほうが良いと思いますよ。
回答がつくと思います。

(3件目)
↑の方、お優しい。。

どうして回答がないか。
わかる人がいなかった、質問が難しかった、回答するのがめんどうだった、回答するのがめんどうな質問だった、質問の仕方が悪かった・・・。

ネットの世界ですからね、あなたの思う通りにはいかないですよ。。。
最後の一行で知っていても答える気なくしますよね。。。
どうしても知りたいなら学校の先生に聞きなさいよ。

(4件目)
答えたことはなかったが、あんたの投稿は何回か ザッとではあるが見ていた。


然るべき場所へ行って診てもらいなさい。

(5件目)
「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」

こういう抽象的な単語を並べてわかったようなことを書いたつもりになっているくだらない言葉遊びに付き合うバカはいないということでしょうね。

ハコブルさんはこれについてどう思うか知りたいです。
僕は#14のお礼で述べた『「受動的な感覚の主体的表現』から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思う』という回答が来たので、それで上記の質問をしたということなのです。
それでも回答が来なかったので、イライラしてイライラの質問(「バカ」という言葉を使った質問)をしたということです。

投稿日時 - 2012-06-02 05:15:40

ANo.16

#15です。
1.
>日本語教師の方に確認の質問をするということなのかどうかで合っているかどうか知りたくなりました。

そういう意味です。

>でも日本語教師の方は忙しくて返事を返せないことがありました。
日本語教師が管理する掲示板に3月の終わりに質問した方がいて、回答を日本語教師が書いたのが5月の前半だったのです。

fall1024ta さんが質問したければする。
したくなければしない。
ということです。
自分で決めてください。

2.
>それと、『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』の「解釈」という表現をここで使うのはおかしいかどうか知りたくなりました。
自分は『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたということで合っているか』どうかを質問したのです。

大して違いはないと思いますが、後者のほうがわかりやすい表現です。

3.
>「唾液の飲み込む動きを止められた感じがした」は#14の回答で「受動的な感覚の主体的表現」とハコブルさんが言ったことについてでまた疑問に思ったことがあります。
これはつまり「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということだと思うのですが、こういう表現も「受動的な感覚の主体的表現」と言えるかどうか知りたくなりました。

「唾液の飲み込む動きを止められた(受動的)感じがした(主体的)」という意味ですね。
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」ということになると思います。
前回も言いましたが、こうした「○○的」というのはわかりづらい表現になる場合が多いと言えます。
特に、fall1024ta さんの言っている内容はややこしい事柄なので、具体的に説明しないと伝わりづらいでしょう。
無理に○○的と表現するのは好ましくありません。
ただ、今回の場合、○○的と表現するのが良い点は、fall1024ta さんにとって「受動的」なのはどの部分なのか、を明確にすることができることです。
頭の中で受動的なことが現実的に行われることはありませんから、「唾液の飲み込む動きを止められた」「操られた」ということは実際には起こっていないのだ、と認知する手助けになるでしょう。
しかし、他者に説明する場合には、状況を少し詳しく説明しないと理解されづらいかもしれません。
「○○的」のようにまとめてしまうのは得策ではないと思います。
  

投稿日時 - 2012-05-31 12:56:25

補足

まだ言いたいことがあります。

#16のお礼の3について、
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」
要するに主体性を保てなかったということ。
頭の中で起きたことだと思うのですが、合っているかどうか知りたいです。

投稿日時 - 2012-05-31 15:36:58

お礼

回答ありがとうございます。

1.
実はyahoo知恵袋に、以下の質問をしたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで質問に対する回答が来なくて、イライラしたこととどうして来ないかを質問したら、「質問の意味がわからないからでしょう」と言う回答が来たのです。
僕が思うことですけど、
(1)「頭の中の記憶が暴かれた(受動的)感じがした(主体的)」
(2)「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった(客観的)感じがした(主体的)」
だと思ったのですが、ハコブルさんは(1)(2)について正しいと思うかどうか知りたいです。

2.
実は#7のお礼でも述べたようなことを言いますけど、
(例)
※『「治す」の主の言葉が頭の中で≪発せられたりした≫感覚があった』
→『「治す」の主の言葉が頭の中に≪浮かんだ≫』について。
『「治す」の主の言葉が頭の中で発せられた(受動的)+感覚があった(主体的)』
『「治す」の主の言葉が頭の中に浮かんだ(主体的)』で合っているかどうか知りたいです。

「心理学」カテで回答をくれた方から教わったことですけど、
(A)
「(体の動きを)止めるな」と言う言葉が犬が吠えたことがきっかけで勝手に頭に浮かんだのは何がきっかけかというと、何か(=耳鳴りなど)がきっかけで体が静止状態に陥ったりしていたのが、作業所である喫茶店で働いていて、静止状態の逆のこと(=動作が継続して体の動きを自分で止めることが難しかった)が起きたのに、また静止状態に陥るのを否定したことを≪言われた≫感じがしたということ。

(B)
「犬が吠えたことで『(体の動きを)止めるな』という言葉が頭に浮かんだ。なぜ『止めるな』という言葉が浮かんだのかを振り返ってみると、以前から不快な刺激によってしばしば静止状態に陥っていたのだが、先日、働いている時に自分の体が勝手に動きすぎて止まらなくなった。それはまるで『止めるな』という指示に自分の体が従っているようなものだった。そしてまた、夜に犬が吠えたときにも自分は『止めるな』という言葉を心の中で≪呼び起こした≫のだが、この場合の『止めるな』は自分の体が勝手に止まらないよう、自分の動作を保つためのものだった。」

この文章からわかることは「言われた(受動的)」を「呼び起こした」に書き換えたことが言えるのです。
(A)と(B)の文章を読み比べて思うことを詳しく教えて下さい。
(例えば受身の主体形の文を客観的な主体形の文に書き換えたなど)

僕はこのような感じで文章を言い換えたい気持ちが強いのです。
身の回りの人にもこういうことはあるかどうか聞いて気持ちをスッキリさせたい感覚が強いですし、医師にも一太郎でレポートを書いて伝えたいという気持ちがあったのです。

3.
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」

このことについてですけど、自分の中では、以下のようなことが起きていたと思うのです。
※操られている感覚が脳内に湧いた
※主体性をうまく保てていないという感じがした
※主体性を保てていないような感覚に陥った
これらが唾液が飲み込めなくなったりしたきっかけだと思うのです。

投稿日時 - 2012-05-31 15:34:09

ANo.15

#14です。

1.
>ハコブルさんは「悪いことを書くわけではないので名前を載せても構わないでしょう」とおっしゃってますが、マリスカという名前は僕は別に載せても載せなくても良いと思いました。
それで良いかどうか確認が知りたいです。

「載せても構わないでしょう」というのは、「fall1024taさんが載せたいのであれば、載せても構わないでしょう」という意味です。
載せなければならないということはありません。

2.
>「ある」を「あ」と圧縮するのは興味深く思ったということを日本語教師はおっしゃっていたのです。

日本語教師がおっしゃった「一文字になる感覚をおかしいと言ったのはそれ以外に無いから」というのをわかりやすく教えて欲しいです。

『「ある」を「あ」と変換するのを興味深く思った』ということです。
日本語教師の人にとって「一文字に変換」も「一文字に短縮」も「一文字になる」も殆んど同じ意味です。
ですから、「一文字に短縮するのがおかしい」は「一文字になる感覚がおかしい」と同じ意味になるわけです。
確認してみるのが一番良いでしょう。

3.
>このことに対する回答が1件来たのですが、
質問の意味が少し分かりづらいですね。
『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思います。

という回答が来たのです。
このことについてハコブルさんはどう思いますか?
どういうことを言っているか、わかるなら詳しく教えて下さい。

回答が来ない理由は、#8の5、及び #14の4でも述べましたが、具体性に欠けるということです。
●「泣くな ○○先生」という言葉が職員の言動によって勝手に浮かび、まるで発見された感じ
●頭の中に問いが浮かぶことに対し、犬が吠えたことがきっかけで問いに対する答えを思わされた感じ
この回答者さんは、「発見された感じ」とか「問いが浮かぶ」ということに関して、もう少し具体的に説明しないとわかりづらいですよ、と言っているのでしょう。

投稿日時 - 2012-05-30 13:30:29

お礼

回答ありがとうございます。

1.
>「一文字に短縮するのがおかしい」は「一文字になる感覚がおかしい」と同じ意味になるわけです。
確認してみるのが一番良いでしょう

日本語教師の方に確認の質問をするということなのかどうかで合っているかどうか知りたくなりました。
でも日本語教師の方は忙しくて返事を返せないことがありました。
日本語教師が管理する掲示板に3月の終わりに質問した方がいて、回答を日本語教師が書いたのが5月の前半だったのです。

2.
それと、『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』の「解釈」という表現をここで使うのはおかしいかどうか知りたくなりました。
自分は『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたということで合っているか』どうかを質問したのです。

3.
「唾液の飲み込む動きを止められた感じがした」は#14の回答で「受動的な感覚の主体的表現」とハコブルさんが言ったことについてでまた疑問に思ったことがあります。
これはつまり「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということだと思うのですが、こういう表現も「受動的な感覚の主体的表現」と言えるかどうか知りたくなりました。
それと、(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」についてどういう意味なのか、わかりやすく知りたいです。

投稿日時 - 2012-05-31 09:04:13

ANo.14

#12です。

1.
>これについて別に載せないでも大丈夫か、教えて下さい。

前回も書きましたが、別に悪いことを書くわけではないので名前を載せても構わないでしょう。
ただ、これはわたしの考えですから、最終的にはfall1024ta さんの責任で載せてください。

2.
>日本語教師の人が「一文字になる」感覚をおかしいと言ったと思うのはなぜだとハコブルさんは思うのですか?
これについてもう少しわかりやすく教えて下さい。

それ以外に無いからです。
わたしの「短縮」というのは、fall1024ta さんの「一文字になる感覚」を言い換えただけです。

>自分では全ての言葉が一文字に変換されたと思ったりしたのです。
なぜハコブルさんは「ある」が「あ」、「鳴らすな」が「な」と変換されたのを短縮と言ったのか教えて下さい。

「短縮する」というのは短くするという意味だからです。

3.
>ネット上でやりとりしている人にハコブルさんからの回答について聞くのも大丈夫でかどうか知りたいです。

はい、全く問題ありませんよ。

4.
例えば(1)『(何らかのきっかけで)唾液を飲み込む動きを止められた感じがした』『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を(2)『(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった、主体を保てなかった』『脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』に関して(1)(2)はいずれも主体的表現になっていると思うのです。
(1)は何者かにやられた感じを表し、(2)はそうではない感じを表すと思うのですが、これってどういう表現をどんな表現に言い換えたものか教えて欲しいです。

「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」といったところですかね。
どちらも主体的ですが、後者のほうが主体性の強い表現でしょう。
ただ、前者はあくまで「感じがした」という点を十分に自覚している場合の話ですから、その点には留意してください。
いずれにしても、話の内容自体がややこしい事柄なので、「○○的表現」のような表現では相手に伝わらないと思います。
(1)(2)のように素直に例を挙げて述べるほうがずっとわかりやすい文が書けるでしょう。
  
    

投稿日時 - 2012-05-29 13:45:08

お礼

回答ありがとうございます。

1.
ハコブルさんは「悪いことを書くわけではないので名前を載せても構わないでしょう」とおっしゃってますが、マリスカという名前は僕は別に載せても載せなくても良いと思いました。
それで良いかどうか確認が知りたいです。

2.
「一文字に変換された」をハコブルさんは「短縮」と言ったのですね。
短縮というのはハコブルさんがおっしゃるように短くするという意味ですが、前にも述べたように一文字に変換された言葉(例えば「ねずみ」が「ね」、ラーメンが「ラ」など)は他人に通じないために短縮できないと日本語教師はおっしゃったのです。
例えば「おはようございます」を「おはよっす」および「こんにちは」を「ちわ」は圧縮(短縮)した言葉と言えるようです。これを日本語教師がおっしゃったということなのです。
(1)音韻数を少なくした語の例をあげますと、
「それでは」→「それじゃ」、「ところ」→「とこ」、「持っている」→「持ってる」、「それは」→「そりゃ」、「だけれど」→「だけど」、「~というのは」→「~って」
(2)省略して短くした語の例をあげますと、
「マクドナルド」→「マック」、「パトロールカー」→「パトカー」、「パーソナルコンピューター」→「パソコン」、「空のオーケストラ」→「カラオケ」、「原子力発電所」→「原発」
などがあると言うことを聞きました。

「ある」を「あ」と圧縮するのは興味深く思ったということを日本語教師はおっしゃっていたのです。

日本語教師がおっしゃった「一文字になる感覚をおかしいと言ったのはそれ以外に無いから」というのをわかりやすく教えて欲しいです。

3.
「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に書き換えたものなのですね。
これについてですけど、yahoo知恵袋に以下の質問をしたのです。
  ~~~~~~~~~~~~~
正直な回答を書く自信がある方に質問です。
以下の★印の文章は「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈で合っているかどうかを教えて下さい。

★脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ
⇒脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ

もし合っているのなら、●印の「受動的な感覚の主体的表現」を「客観的な認識の主体的表現」に書き直して下さい。
1つだけでなく、いくつかの表現を箇条書きで回答下さい。

●「泣くな ○○先生」という言葉が職員の言動によって勝手に浮かび、まるで発見された感じ
●頭の中に問いが浮かぶことに対し、犬が吠えたことがきっかけで問いに対する答えを思わされた感じ
  ~~~~~~~~~~~~~
質問して1時間経っても回答が来なかったので、僕は以下のような質問を投げかけました。
  ~~~~~~~~~~~~~
回答が質問して1時間経ったのになかなか来ない
なぜかわかりますか?
  ~~~~~~~~~~~~~

このことに対する回答が1件来たのですが、
質問の意味が少し分かりづらいですね。
『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思います。

という回答が来たのです。
このことについてハコブルさんはどう思いますか?
どういうことを言っているか、わかるなら詳しく教えて下さい。

投稿日時 - 2012-05-30 04:38:00

ANo.13

#12です。

ちょっと補足修正します。
わたしの回答について専門家の方に尋ねるのは全く問題ありませんが、言葉遣いには気をつけたほうがいいですね。
答えてもらうのが当たり前だと思っているのでなければ、
「どう思うか」ではなく「どう思われますか」
「妥当か」ではなく「妥当でしょうか」
のように敬語を使うのが常識です。
答えてもらうのが当たり前だと思っているのであれば、そのお考えは直すようになさったほうがよろしいでしょう。
わかっているとは思いますが、念のため。
   

投稿日時 - 2012-05-28 20:39:48

ANo.12

#11です。

1.
>最初に言いたいことがあります。
ハコブルさんが『国語』カテゴリで質問した内容とそれに対する回答はブログに書いても良いかどうか確認が知りたいです。
そのまま書いて大丈夫か、それとも要約して書いたほうが良いかどうか教えて欲しいです。

どちらでもお好きなようになさってください。
全く問題はありません。

>ハコブルさんに回答をくれた方のネームをブログに載せるのは中には嫌がる人がいるんですね。
では、下記の★印の載せ方は失礼なのか大丈夫なのか知りたいです。
  ★ハコブルさんに回答をくれた方
  ★マリスカさん(ローマ字ではなく、カタカナ)
もし失礼なら、どういうふうに書いたほうがいいか、いくつか箇条書きで教えて欲しいです。
自分で判断するのは難しく思ったりしました。

他の方に関することなのでわたしが答えるのもおかしな話ですが、「マリスカさん」がいいかもしれませんね。
もし嫌なら、ブログでコメントするでしょうから、そのときに謝って削除すれば良いでしょう。
基本的には、悪いことを書くのでなければ構わないような気はします。

2.
>僕は、日本語教師から回答をもらう前はハコブルさんの回答を本当だと信じていましたが、日本語教師から回答をもらってからハコブルさんの回答ではなく日本語教師の回答を本当だと信じるようになった訳です。

それは非常に賢明なご判断です。
わたしは素人なので間違うこともあります。

>「ある」が「あ」、「ねずみ」が「ね」、「きつね」が「き」のように一文字に短縮したのでは意味が通じなくなるので、短縮できない。
「こんにちは」が「ちわ」はそのグループだけで通じる言い方なので短縮できるということを日本語教師はおっしゃったのです。
以上のことがハコブルさんが「短縮」と言ったのが間違ったことだと思ったという訳です。

fall1024ta さんは自分で、
『「ある」「ねずみ」「きつね」という自分の頭の中などにインプットされていた言葉が「あ」「ね」「き」と一文字に頭の中で勝手に変換されるということが起きたのです』
と言っています。
これが「一文字に短縮された」ということです。
その日本語教師の人が言ったのは、「一文字になる」という感覚がおかしいと言ったのだと思います。
わたしが短縮という言葉を使ったからではないでしょう。
fall1024ta さんは、この点を勘違いしていると思います。

3.
>これに関して、例えば文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっているのだと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。

そうです。

>例えば自分は文字を書こうとすると、何らかのきっかけで、「書くな」という言葉が勝手に浮かび(=他人には聞こえない感じで発したという感じで、まるで発見された感じと言える。)、文字を書くという行為が制限された感じがした。→このことも自分自身の記憶したことが元になっているという解釈で合っているかどうか知りたいですし、もしその解釈が合っているのなら、どういうメカニズムでこういうことが起きるかも知りたくなりました。

そうですね。
先生にお聞きになってください。

4.
>これに関しては、例えば昔you tubeで聞いた音楽がここ最近頭の中で再生されるという感じだと思いましたが、そうなのか知りたいです。

そうです。

>うるさく感じたというのは、音がうるさく感じたのかということではなくて、うっとうしいということだということで合っているかどうか知りたいです。

そのとおりです。

5.
>動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということですけど、自分は単に「発見された感じ」と書くのではなく、「○○の言葉が勝手に頭に浮かび、それはまるで発見された感じであった」と書いたほうが望み通りの回答が得られるということだと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

そうでしょうね。
「○○の言葉が勝手に頭に浮かび、それはまるで何者かに発見された感じであった」
のように書くとなおわかりやすいでしょう。

>他にも、「頭の中で浮かぶ疑問に対し、何らかによって答えが勝手にひらめく感じがし、それはまるで何らかによって答えが戻ってくる感じがした」と書いてこれの別の言い換え表現を書いてくださいと書けば望み通りの回答が来るかどうかも知りたいです。

「頭の中で浮かぶ疑問に対し、まるで他の何者かが勝手に答えを返してくる感じがした」のように書くともっとわかりやすくなります。
ただ、望みどおりの回答が来るかどうかは保証できません。

>しかし《A》の表現はおかしいと思うのですが、それ以外の表現は合っているかと思うのです。
《A》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された』
《B》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された』
《C》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された感じがした』
《D》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された感じがした』

幻聴・耳鳴りによって発見された(感じがした)ということで、それは自分の脳内で起こっていることだと言うことを思いました。
正しい解釈はハコブルさんがご存知かどうか知りたいです。

個人の感覚なので、他人が「おかしい」と言ってもしかたありません。
おかしいことでも人は感じることができます。
「論理的であるか否か」で判断する必要があります。
たとえば、「幽霊を見た」というのは論理的な認識ではありません。
しかし、「幽霊を見たという感じがした」は個人の感覚なので、他人がおかしいとかおかしくないとか言っても仕方ないでしょう。
《A》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された』
《B》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された』
どちらも個人の感覚を表現しているのですから、その表現自体はおかしくありません。
しかし、表現されている内容、認識自体は論理的ではない(=おかしい)と言えます。
「>自分の脳内で起こっていること」という認識があるのであれば、「発見された」という断定ではなく「発見された感じがした」と表現するほうが妥当でしょう。

>それと、専門の人に質問する際、以下のような聞き方は失礼か大丈夫かどうか知りたいです。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)どう思うか。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)妥当か。

全く問題ありません。
ご随意にどうぞ。
  

投稿日時 - 2012-05-28 15:34:27

お礼

回答ありがとうございます。

1.
ハコブルさんとのやりとり内容を5月29日更新の記事に書きましたが、
以下の感じで書きました。

★「言い聞かせる」について、marisukaさんという方に教えてもらったことをお伝えします。
⇒「言い聞かせる」について、教えてもらったことをお伝えします。
★文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とmarusukaさんはおっしゃいます。
⇒文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とおっしゃいます。
上記の文章(10件目の回答内容)の後に、
『文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とおっしゃいます』に関しては、これはハコブルさんに回答をくれた方がそのようにおっしゃったということです。
と書きました。

今のところ、#9 に対するお礼の補足内容および#11の回答内容の一部は載せてません。
#11の回答内容の一部=「marisukaというネームをブログにそのまま載せるのは良いでしょうか」という質問内容に対する回答です。

これについて別に載せないでも大丈夫か、教えて下さい。

2.
>>「ある」が「あ」、「ねずみ」が「ね」、「きつね」が「き」のように一文字に短縮したのでは意味が通じなくなるので、短縮できない。
「こんにちは」が「ちわ」はそのグループだけで通じる言い方なので短縮できるということを日本語教師はおっしゃったのです。
以上のことがハコブルさんが「短縮」と言ったのが間違ったことだと思ったという訳です。

>fall1024ta さんは自分で、
『「ある」「ねずみ」「きつね」という自分の頭の中などにインプットされていた言葉が「あ」「ね」「き」と一文字に頭の中で勝手に変換されるということが起きたのです』
と言っています。
これが「一文字に短縮された」ということです。
その日本語教師の人が言ったのは、「一文字になる」という感覚がおかしいと言ったのだと思います。
わたしが短縮という言葉を使ったからではないでしょう。
fall1024ta さんは、この点を勘違いしていると思います

日本語教師の人が「一文字になる」感覚をおかしいと言ったと思うのはなぜだとハコブルさんは思うのですか?
これについてもう少しわかりやすく教えて下さい。
一文字言葉に変換されたというのは、自分の体の中(頭の中など)以外の新聞やパソコンの文章など外部に潜在していた読み方なども一文字言葉に変換されたと感じたと思ったのです。
我々はあらゆるもの(新聞や文章など)に名前をつけて考えたり覚えたりすると医師から聞いたのですが、外部に潜在していた読み方というのは、我々が外部につけた読み方などがあらゆるものに潜在していて(くっついていて)それも一文字に変換されたということなのです。
自分では全ての言葉が一文字に変換されたと思ったりしたのです。
なぜハコブルさんは「ある」が「あ」、「鳴らすな」が「な」と変換されたのを短縮と言ったのか教えて下さい。

3.
要するに「(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)どう思われますか」「(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)妥当でしょうか」と聞くということなんですね。
これに関してですけど、身近な人(主治医や職場の人など)に聞くだけでなく、ネット上でやりとりしている心理療法家などに聞きたいという訳なんです。
ネット上でやりとりしている人にハコブルさんからの回答について聞くのも大丈夫でかどうか知りたいです。

4.
例えば(1)『(何らかのきっかけで)唾液を飲み込む動きを止められた感じがした』『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を(2)『(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった、主体を保てなかった』『脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』に関して(1)(2)はいずれも主体的表現になっていると思うのです。
(1)は何者かにやられた感じを表し、(2)はそうではない感じを表すと思うのですが、これってどういう表現をどんな表現に言い換えたものか教えて欲しいです。

再度回答下さい。

投稿日時 - 2012-05-29 12:19:19

ANo.11


#8に関して。

1.
>それに関しては「受け止め方による」とのことでした。
誰にでもあることについて、操られる・変換される・暴かれる・言い聞かせられるように感じることがどれくらいの頻度で生じるかは人によって違うと思うのですが、そうなのかどうか知りたいです。
それについて詳しくわかりやすく知りたいと言うふうに思いました。

どれくらいの頻度=(1)しょっちゅうある、(2)たまにある、(3)あまりない、(4)全くない

操られる感じが(1)しょっちゅうあって辛く感じたりするのは統合失調症の人に良くある症状だと思いました。

わたしが言ったのは、
『自分の頭の中に浮かんだ言葉が、まるで他人が言っているような感覚で認識されることは、誰にでもある』という意味です。
頻度については、他人のことはわかりませんが、わたしの場合は、(2)たまにある でしょうかね。
特にテレビのコマーシャルなどの同じ言葉の繰り返しなどが、頭にこびりつくことがあります。
たとえば以前、「パイロット♪パイロット♪」というペンの宣伝がありましたが、この歌がふとした時に何度も頭に浮かんでうるさく感じたことはありました。
そのコマーシャルソングを歌っている人の声で、頭の中に再現されるわけです。
しかし、それは、その歌の記憶が自分の中で蘇るだけであって、そのコマーシャルソングを歌っている人に操られているという感じではありません。
ですから、
「操られる・変換される・暴かれる・言い聞かせられる」という感覚とは違うと思います。

>操られる感じが(1)しょっちゅうあって辛く感じたりするのは統合失調症の人に良くある症状だと思いました。

そうなのかもしれませんね。
しかし、全ては自分自身の記憶したことが元になっているだけです。
操られているわけではありませんから、そのことを良く認識なさることが大事です。

2.
>「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたのと似ていると感じた」「まるで(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」
などは主体的表現と思います。
「感じる」というのが主体性を持った行為だからです。
「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」
などは主体的表現とは言えないと思います。
自分の意志や感覚に基づいた行為が含まれていないからです。

>自分の意志や感覚に基づいた行為が含まれていないというのは、「~ように感じた」という表現が入ってないからだと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

一応、そういうことですが、それよりも受身の感覚だからです。
「変換された」は受身。
「(変換された)ように感じた」は主体的。
「ように感じた」だけであり、事実ではない、ということを認識することが大事です。

>「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」は客観的表現で、「他の誰かによって変換されたように感じた」「他の誰かによって暴かれたように感じた」は主体的表現だと思ったのですが、この解釈で合っているかどうか確認を教えてもらいたいです。

そのように書いたと思いますが。

3.
まとめてみると、
『静止が解除された』:受身表現、他動詞
『静止が解けた』:客観的表現、自動詞
このような解釈で合ってるか確認を教えて欲しいです。

そうです。

4.
「暴かれた」:客観的表現、受身表現
「暴かれた感じがする」:主体的表現
このような解釈で合ってるか、確認を教えて欲しいです。

このように短い言葉を抜き出して規定すると、たぶん間違いにつながるように思います。
「政治家がスキャンダルを暴かれた」も「わたしの頭の中の記憶が暴かれた」も国語的には客観的な受身表現と言えます。
ただ、後者は、暴かれたという内容が事実とは言えないので、内容としては客観的表現とは言えないと思います。
難しい問題も含んでいそうですが、客観的の意味を再確認なさってみてください。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%AE%A2%E8%A6%B3%E7%9A%84&stype=1&dtype=0

5.
>唾液の動きを操られたという話について、
『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止められた』というのは主体文にすると『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』ということだと思いました。
でも僕は『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』という別表現を知りたくなりました。

『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止めら
れた』
『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』
この2つを比べてみて、言い換え文を何個か箇条書きで教えて欲しいです。

特に思い浮かびません。
類語辞書を使い方を説明しますから、自分で考えてください。
まず、言い換えたい言葉をボックスに入力する→「類語」にチェックを入れる→「に一致する」を選択→「辞書検索ボタン」を押す。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%8B&stype=1&dtype=5
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E9%A3%B2%E3%82%80&stype=1&dtype=5

>僕の中で起きていたことは例えば幻聴・耳鳴りがきっかけでまるで操られた感じがして唾液を飲み込む行為がまるで制限されたことが時々あったけど、それが喫茶店で働いていてまるで操られた感じがしたと思うが、それがきっかけになって唾液が飲み込めるようになったと思うのです。 

なぜ幻聴や耳鳴りがするのか。
そのメカニズムを先生に聞いてみたことはありますか。
脳内神経物質の化学的作用によるものだと思われますが、その仕組みを聞いて納得できれば、操られているわけではないことが理解できるかもしれません。

6.
他者にやられた・動かされた・治された・操られた感じがした主体の文から自分の意志が行ったという主体の文に言い換えたい気持ちが強いことについて

★動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたい
☆このことについてわかりやすく知りたいです。

a.
「他者に治された」を
「自分が治した」のように能動的に言い換えたい。
という意味。

b.
「他者に動かされた」を
「自然に動いた」のように客観的に言い換えたい。
という意味。


#9に関して

>文法では使役とは言えないということなんですね。

そのようです。

>marisukaというネームをブログにそのまま載せるのは良いでしょうか?
それも教えて下さい。

ご本人ではないので何とも言えません。
たぶん、問題ないと思いますが、中には嫌がる人もいます。
他の人のことはわたしにはわかりませんから、ご自分で判断なさってください。


#10に関して。

>ハコブルさんと僕とのやりとりで間違ったことをハコブルさんから聞いたことは1度だけではなく、何回かあったかもしれません。

そうですね。
専門家ではないので間違えることは時々あります。

>文法に疎いというのは、文法についてあまり詳しくないと言うことだと思いました。

そのとおりです。
文法について専門的に勉強したことがありません。

>僕が以下の☆印の文章を言い換えてほしいので書いたことがありました。

☆例えば自分の中にあったかもしれないが「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が何らかの理由で、「あ」「な」というふうに耳鳴りによって変換された状態で発せられて出てしまったように感じることがありました。

で、☆印の文章をハコブルさんは以下の感じに言い換えてくれましたよね?
1月の時のやりとり内容ですけど・・・。

★自分の中にこびりついていた「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が、耳鳴りがきっかけで「あ」「な」のように短縮された形で(声に出さないで)発せられてしまったように感じることがありました。
「(関係)ある」「鳴らすな」のように全てを発することを制止されたような感じで、何かに操られているような気がしました。

このようなことを日本語教師の掲示板で伝えたところ、「ある」を「あ」と縮約するのは少し無理があると思う、なぜならば他の人にはそれが理解できないからであること つまり一文字に短縮したのでは、やはり意味が通じなくなるとのことでした。

これが間違った回答だと気づき始めたきっかけだと言えるのです。
このことについてどう思うかも教えて下さい。

なぜ「間違った回答」だと思ったのか教えてくれますか?
  

投稿日時 - 2012-05-27 17:27:35

補足

補足します。
前の投稿(#5あたり)を読んで思ったことですけど、
『「動くな」という言葉が[他の誰かによって]発見された』が客体的表現で、
『「動くな」という言葉が[他の誰かによって]発見された感じがした』は主体的表現だという考えが浮かんだのです。

しかし《A》の表現はおかしいと思うのですが、それ以外の表現は合っているかと思うのです。
《A》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された』
《B》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された』
《C》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された感じがした』
《D》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された感じがした』

幻聴・耳鳴りによって発見された(感じがした)ということで、それは自分の脳内で起こっていることだと言うことを思いました。
正しい解釈はハコブルさんがご存知かどうか知りたいです。

それと、専門の人に質問する際、以下のような聞き方は失礼か大丈夫かどうか知りたいです。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)どう思うか。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)妥当か。

補足に対する回答も下さい。

投稿日時 - 2012-05-28 06:11:14

お礼

お礼を書いたことに対する回答をありがとうございます。

1.
最初に言いたいことがあります。
ハコブルさんが『国語』カテゴリで質問した内容とそれに対する回答はブログに書いても良いかどうか確認が知りたいです。
そのまま書いて大丈夫か、それとも要約して書いたほうが良いかどうか教えて欲しいです。

ハコブルさんに回答をくれた方のネームをブログに載せるのは中には嫌がる人がいるんですね。
では、下記の★印の載せ方は失礼なのか大丈夫なのか知りたいです。
  ★ハコブルさんに回答をくれた方
  ★マリスカさん(ローマ字ではなく、カタカナ)
もし失礼なら、どういうふうに書いたほうがいいか、いくつか箇条書きで教えて欲しいです。
自分で判断するのは難しく思ったりしました。

2.
「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が何らかの理由で、「あ」「な」というふうに耳鳴りによって変換されたという表現を「短縮された形で・・・」と言い換えてくれたことに関して、どうして間違えた回答だと思ったのか。

日本語教師から聞いた話ですけど日本人に日本語を教える→中国人に日本語を教えるという勉強をしていると聞きました。
日本語教師は日本語を勉強している専門家でハコブルさんより日本語の知識が優れていると思ったのです。
僕は、日本語教師から回答をもらう前はハコブルさんの回答を本当だと信じていましたが、日本語教師から回答をもらってからハコブルさんの回答ではなく日本語教師の回答を本当だと信じるようになった訳です。
医師に「一文字に短縮された実例をご存知か」質問しても「一文字に変換が起きた実例をご存知か」質問したのですが、「知りません」と医師は答えました。

自分の中で、例えば「ある」「ねずみ」「きつね」という言葉を他人には聞こえない感じで発したとします。
その後、家の外で車の音がしてそれが聞こえました。
すると、「ある」「ねずみ」「きつね」という自分の頭の中などにインプットされていた言葉が「あ」「ね」「き」と一文字に頭の中で勝手に変換されるということが起きたのです。
それは自分の中で生じた何らかのことが関連づいて起きたと思うのです。
一文字に変換されただけでなく、モトに戻ったこともありました。
それは病的な感覚で言うとまるで他者によって動かされている感じだと思うのです。

話を戻しますと、「ある」を「あ」に縮約するのは非常に興味深く感じたと日本語教師はおっしゃったということです。
「ある」が「あ」、「ねずみ」が「ね」、「きつね」が「き」のように一文字に短縮したのでは意味が通じなくなるので、短縮できない。
「こんにちは」が「ちわ」はそのグループだけで通じる言い方なので短縮できるということを日本語教師はおっしゃったのです。
以上のことがハコブルさんが「短縮」と言ったのが間違ったことだと思ったという訳です。

3.
操られる感じがしょっちゅうあって辛く感じたりするのは統合失調症の人に良くある症状だと思ったことについて
>そうなのかもしれませんね。

統合失調症の症状は様々で、他者に操られる感じのする作為体験などがあると言うことを聞いたことがあります。

>しかし、全ては自分自身の記憶したことが元になっているだけです。
操られているわけではありませんから、そのことを良く認識なさることが大事です。

これに関して、例えば文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっているのだと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。

例えば自分は文字を書こうとすると、何らかのきっかけで、「書くな」という言葉が勝手に浮かび(=他人には聞こえない感じで発したという感じで、まるで発見された感じと言える。)、文字を書くという行為が制限された感じがした。→このことも自分自身の記憶したことが元になっているという解釈で合っているかどうか知りたいですし、もしその解釈が合っているのなら、どういうメカニズムでこういうことが起きるかも知りたくなりました。

4.
>テレビのコマーシャルなどの同じ言葉の繰り返しなどが、頭にこびりつく
>ペンの宣伝がありましたが、この歌がふとした時に何度も頭に浮かんでうるさく感じた

これに関しては、例えば昔you tubeで聞いた音楽がここ最近頭の中で再生されるという感じだと思いましたが、そうなのか知りたいです。
うるさく感じたというのは、音がうるさく感じたのかということではなくて、うっとうしいということだということで合っているかどうか知りたいです。

5.
実は自分は本を読む機会が少ないのです。
動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということですけど、自分は単に「発見された感じ」と書くのではなく、「○○の言葉が勝手に頭に浮かび、それはまるで発見された感じであった」と書いたほうが望み通りの回答が得られるということだと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

他にも、「頭の中で浮かぶ疑問に対し、何らかによって答えが勝手にひらめく感じがし、それはまるで何らかによって答えが戻ってくる感じがした」と書いてこれの別の言い換え表現を書いてくださいと書けば望み通りの回答が来るかどうかも知りたいです。

「脳内が操られた感じがした」と短く書くだけでは通じなく望み通りの回答が得られないということも浮かびました。

7.
主治医の先生になぜ幻聴や耳鳴りがするかどうかのメカニズムは質問したことがないです。
脳内神経物質の化学的作用によるものというのは、統合失調症だとドーパミンが多すぎたり少なすぎることによって、症状が変わってくると思ったのです。
統合失調症でドーパミンの分泌が過剰なことによって幻聴や耳鳴りが起きるということも思いました。

再度回答下さい。

投稿日時 - 2012-05-28 04:58:51

ANo.10

#9です。

「言い聞かせる」について、marisuka さんという方に教えてもらったことをお伝えします。
詳しいことをお知りになりたければ、こちらの#4及び#5のご回答を参照なさってください。
http://okwave.jp/qa/q7495543.html
結論から言うと、「言い聞かせる」は文法的には使役用法とは言えないようです。
わたしが間違っていましたのでお詫びして訂正いたします。申し訳ありません。
また、以下に若干補足させていただきます。

一般的な使役というのは、ウィキにあるように「○○させる」「○○せる」という形です。
たとえば、「停止させる」「歌わせる」など。
これは、「他者に[停止する]という行為をさせる」「他者に[歌う]という行為をさせる」という意味で、「【他者に】○○という行為をさせる」という構造になっています。

「言い聞かせる」の場合は、「他者に[言い聞く]という行為をさせる」という意味ではありません。
ですから、文法的には使役表現とは言えません。
ただ、文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とmarisuka さんはおっしゃいます。
つまり、「自分の言うことを相手に聞かせる」というのが「言い聞かせる」の意味。
「聞かせる」というのは「聞く」の使役表現ですが、この「聞く」に対応する「言い聞く」という言葉はありません。
使役の要素を含んだ「言い聞かせる」という言葉になって、はじめてひとつの動詞として成立しているわけです。
「言い聞かせる」は文法的には使役用法とは言えず、下一段活用をする通常の動詞である。
ただ、「聞かせる」という意味で、使役の要素を含んだ動詞である。
このように言って良いのかもしれません。
      

投稿日時 - 2012-05-26 16:37:21

お礼

ハコブルさんと僕とのやりとりで間違ったことをハコブルさんから聞いたことは1度だけではなく、何回かあったかもしれません。
文法に疎いというのは、文法についてあまり詳しくないと言うことだと思いました。

僕が以下の☆印の文章を言い換えてほしいので書いたことがありました。

☆例えば自分の中にあったかもしれないが「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が何らかの理由で、「あ」「な」というふうに耳鳴りによって変換された状態で発せられて出てしまったように感じることがありました。

で、☆印の文章をハコブルさんは以下の感じに言い換えてくれましたよね?
1月の時のやりとり内容ですけど・・・。

★自分の中にこびりついていた「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が、耳鳴りがきっかけで「あ」「な」のように短縮された形で(声に出さないで)発せられてしまったように感じることがありました。
「(関係)ある」「鳴らすな」のように全てを発することを制止されたような感じで、何かに操られているような気がしました。

このようなことを日本語教師の掲示板で伝えたところ、「ある」を「あ」と縮約するのは少し無理があると思う、なぜならば他の人にはそれが理解できないからであること つまり一文字に短縮したのでは、やはり意味が通じなくなるとのことでした。

これが間違った回答だと気づき始めたきっかけだと言えるのです。

このことについてどう思うかも教えて下さい。
#8、9、10のお礼・補足欄に対する回答を下さい。

投稿日時 - 2012-05-27 13:53:26

ANo.9

#8です。

「言い聞かせる」は使役だと言いましたが、ちょっと疑問が湧いたのでこのカテで質問してみます。
そちらのベストアンサーを参照なさってください。

投稿日時 - 2012-05-25 16:33:31

補足

補足です。
marisukaというネームをブログにそのまま載せるのは良いでしょうか?
それも教えて下さい。

投稿日時 - 2012-05-26 21:22:06

お礼

ハコブルさんがした「言い聞かせる」というタイトル名の質問先を見てみました。
文法では使役とは言えないということなんですね。
後ほど#10のお礼欄にお礼を書こうと思います。

投稿日時 - 2012-05-26 20:18:29

ANo.8

#7です。

1.
>誰もが経験することというのは、どこかで目にした・聞いたことがあるか、もしどこかで目にした・聞いたのなら、どこで目にしたのか・聞いたのかが知りたいです。
本に書いてあったのか、友人から聞いたのか、それともそれ以外の理由なのか、知りたいです。

「変換された」「暴かれた」「言い聞かせられた」というのは、fall1024ta さんの感覚ですから、他の人が全く同じ経験をしている、という意味ではありません。
自分の頭の中に浮かんだ言葉が、まるで他人が言っているような感覚で認識されることは、誰にでもある、という意味です。
本にも書いてありますし、友人が言っていたこともありますし、わたしが経験したこともあります。
他人の声を認識し、記憶する機能が脳にはありますし、それを思い出したり想像したりすることは誰にでもできるからです。
ただ、くどいようですが、【他人が言ったように感じる】ことは誰にでもある、ということです。
【他人が言った】のような断定ではありません。

1-1.
>また「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたのと似ていると感じた」「まるで(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」などは主体的表現だと思ったのですが、そうなのかどうかも知りたいのです。

「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたのと似ていると感じた」「まるで(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」
などは主体的表現と思います。
「感じる」というのが主体性を持った行為だからです。
「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」
などは主体的表現とは言えないと思います。
自分の意志や感覚に基づいた行為が含まれていないからです。

2.
>お約束どおり回答をくださり、ありがとうございます。
使役動作についてですけど、wikipediaには「~させる」という表現形態だということが書かれていました。
「言い聞かせる」というのも使役動作だと思いました。

そのとおりです。

>知恵袋では「静止が解除された」は解除した人はいるが、「静止が解けた」は解いた人はいないと言う回答を得ました。

「解除する」は「(誰かが)静止を解除した」のように目的語(静止)を必要とする他動詞です。
この受身形が「(誰かによって)静止が解除された」です。
目的語を必要とするので、その目的語に対する動作を行なったものとしての主語が必ず存在します。
「解けた」は自動詞で目的語を必要としません。
この場合、「静止」は主語扱いになり、静止が自然に(自動的に)解けた、という意味になります。
解いた人はいない、というのはそういうことです。

>同様に、「暴かれる」「操られる」「治される」「止められる」は使役動作だと思ったのですが、そうなのかどうかも知りたいです。

使役というのは「無理やり他人に何かの行為をさせること」です。
「暴かせる」「操らせる」「治させる」「止めさせる」のように言います。
「暴かれる」「操られる」などは受身動作、受動態です。
能動態にすると
「(誰かが)暴く」「(誰かが)操る」のようになります。

>それと、「静止」および「言い聞かせ」が主体的とは言えないのなら、どういう表現なのか教えて下さい。
客体的表現でも主体的表現でもないのかなぁ・・・??

客体的表現の意味をわたしは良く知りません。
ただ、『静止が(職員さんの言動をきっかけに)解除された』は受動表現。
『静止が解けた』という文体を何と言うのかは知りませんが、客観的表現とでも言っていいのかもしれません。
ただ、主体的表現とは言わないように思います。

3.
>『~感じ』という表現が入っていれば、全て主体的表現と言えるかと思ったが、そうなのかどうかも知りたいです。

専門家ではないので、学問的にそう言えるのかどうか、確信はありません。
ただ、「暴かれた」と「暴かれた感じがする」では後者のほうが主体性を持った表現と言えるのではないか、と思ったわけです。
前者は「暴く他人が居る」ことになります。
後者は「暴く他人が居るかもしれないが居ないかもしれない」ということになるでしょう。
要するに、「~感じ」という認識には主体的判断の余地がある、という意味で認知行動療法のきっかけになり得るように思われます。

4.
>「唾液の動きを操られた」「唾液の動きを止められた」を「(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった」と書き換えた場合は客体的表現から主体的表現に置き換えた表現だと言えるかどうかも教えて下さい。

何度も申し上げていますが、客体的表現の意味がわたしにはよくわからないので、客体的であるかどうかの判断はできません。
ただ、すでに書いたように、「(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった」というのは主体的表現です。

>◆◆◆2◆◆◆のは受身表現→客観的表現→主体的表現に置き換えたものなんですね。

そういうことです。

>つまり、受身表現→主体的表現が客体的表現から主体的表現に置き換えたかどうかの質問です。

(1)『唾液の動きを操られた』『唾液の動きを止められた』
は受身表現ですね。
(3)『(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった』
は主体的表現と言えるでしょう。
(2)『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止められたり、飲み込む動きをさせられたりしたような気がした』
は、fall1024ta さんは客体的表現とおっしゃっているわけですが、前述したように、客体的表現に関する知識がわたしには無いのでよくわかりません。
ただ、感覚としては、客観的表現と言えるように思います。

この文の要点は、「自分の意志ではない何かに」という箇所だと思います。
その上で、「気がした」という部分が何を受けているのか、という問題になります。
「気がした」というのは「事実ではないかもしれないが・・・」というニュアンスを持つ表現です。
このニュアンスを持つ「気がした」が単に「動きを止められたり、飲み込む動きをさせられたりしたような」だけを受けているのか。
あるいは、「自分の意志ではない何かに動きを止められたり、飲み込む動きをさせられたりしたような」を受けているのか。
後者の場合は、「自分の意志ではない何か」に対して「事実ではないかもしれないが・・・」という認知ができていることになります。
この意味では「主体的表現」と言うこともできるかもしれません。
前者の場合は、「自分の意志ではない何か」の存在に疑いを抱いていないので妄想となり認知に歪みが生じていることになるでしょう。

5.
実は、自分は他者にやられた・動かされた・治された・操られたという主体の文を自分の意志が行ったという主体の文に言い換えたい気持ちが強いのです。
これは以前も言ったと思います。
前者も後者も自分の脳内で起きていることですよね。
こういう場合、どういうふうに質問すれば望み通りの回答が来るかどうかも詳しく知りたいです。

『このような受動態表現を、動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたい』ということなのでしょうね。(しかし、あえてこのような熟語を使う必要はありません)
ですから、基本的には、「やった・動かした・治した・操った」などと表現すればよいことになります。
しかし、それだけでは満足できないということなんですね。
お力になれなくて申し訳ありませんが、表現上、いくつか留意なさると良い点を挙げてみます。

■たとえば、<言葉が【発見された】感じ>といった総括的な表現はなるべく避けて、実際の例を挙げて、具体的な表現で記述するようにしましょう。
個別の具体例の中で、発見された感じ などという説明が入るのは構いませんが。

■また、この点に関してですが、
・・・『止める』『ねる』『ん《故人の名》』『みんなで《中学の時のクラスメイト(女)の名》』
など、例が多すぎます。
ひとつかふたつに絞りましょう。
それが解決したら、他の表現に関して改めて質問するとよいでしょう。
ひとつだけでも考えるほうは大変です。

■逆に、『止める』『ねる』『ん《故人の名》』『みんなで《中学の時のクラスメイト(女)の名》』など、それぞれの項目の『』内表現が短すぎます。
「止める」?何を?誰が?いつ?どこで?疑問だらけなので回答する気になりません。
例の数をひとつかふたつに絞って、その内容・中身について若干の注釈を(短く)加えるようにします。
  

投稿日時 - 2012-05-25 16:29:30

お礼

回答ありがとうございます。

1.
>「変換された」「暴かれた」「言い聞かせられた」というのは、fall1024ta さんの感覚ですから、他の人が全く同じ経験をしている、という意味ではありません。
自分の頭の中に浮かんだ言葉が、まるで他人が言っているような感覚で認識されることは、誰にでもある、という意味です。
本にも書いてありますし、友人が言っていたこともありますし、わたしが経験したこともあります。
他人の声を認識し、記憶する機能が脳にはありますし、それを思い出したり想像したりすることは誰にでもできるからです。
ただ、くどいようですが、【他人が言ったように感じる】ことは誰にでもある、ということです。
【他人が言った】のような断定ではありません。

このことについて身近な人(職場の人)にどう思うか、質問したのです。
それに関しては「受け止め方による」とのことでした。
誰にでもあることについて、操られる・変換される・暴かれる・言い聞かせられるように感じることがどれくらいの頻度で生じるかは人によって違うと思うのですが、そうなのかどうか知りたいです。
それについて詳しくわかりやすく知りたいと言うふうに思いました。

どれくらいの頻度=(1)しょっちゅうある、(2)たまにある、(3)あまりない、(4)全くない

操られる感じが(1)しょっちゅうあって辛く感じたりするのは統合失調症の人に良くある症状だと思いました。

「言い聞かせる」というのが使役動作とは言えないことに関しては#10のお礼欄に書こうと思います。

2.
>「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたのと似ていると感じた」「まるで(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」
などは主体的表現と思います。
「感じる」というのが主体性を持った行為だからです。
「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」
などは主体的表現とは言えないと思います。
自分の意志や感覚に基づいた行為が含まれていないからです。

自分の意志や感覚に基づいた行為が含まれていないというのは、「~ように感じた」という表現が入ってないからだと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。
「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」は客観的表現で、「他の誰かによって変換されたように感じた」「他の誰かによって暴かれたように感じた」は主体的表現だと思ったのですが、この解釈で合っているかどうか確認を教えてもらいたいです。

3.
まとめてみると、
『静止が解除された』:受身表現、他動詞
『静止が解けた』:客観的表現、自動詞
このような解釈で合ってるか確認を教えて欲しいです。

4.
「暴かれた」:客観的表現、受身表現
「暴かれた感じがする」:主体的表現
このような解釈で合ってるか、確認を教えて欲しいです。

5.
唾液の動きを操られたという話について、
『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止められた』というのは主体文にすると『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』ということだと思いました。
でも僕は『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』という別表現を知りたくなりました。

『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止めら
れた』
『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』
この2つを比べてみて、言い換え文を何個か箇条書きで教えて欲しいです。

僕の中で起きていたことは例えば幻聴・耳鳴りがきっかけでまるで操られた感じがして唾液を飲み込む行為がまるで制限されたことが時々あったけど、それが喫茶店で働いていてまるで操られた感じがしたと思うが、それがきっかけになって唾液が飲み込めるようになったと思うのです。 

6.
他者にやられた・動かされた・治された・操られた感じがした主体の文から自分の意志が行ったという主体の文に言い換えたい気持ちが強いことについて

★動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたい
☆このことについてわかりやすく知りたいです。

再度回答下さい。

投稿日時 - 2012-05-26 20:16:53

ANo.7

>1.に関して
#2さんのおっしゃった「客体に自らを投影した受身表現で合っているかどうか」をいきなり尋ねるのではなく、お礼欄か補足欄に質問を書いてみて、それでもなかなか返事が返ってこなかったら、ハコブルさんなどの#2さん以外の人に訊けばいいということを言ったかと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

そのとおりです。
それが正しい手順です。
補足蘭に書いておくと、他の方が見て回答をくれる場合もあります。

>3.に関して
例えば「操られた」とか「変換された」「暴かれた」「言い聞かせられた」などが起きることを身近な人におかしい、有り得ないと指摘されたのです。
自分の意志で動いていると指摘され、それ以来「言い換え」を求めるようになったのです。
これがつまり客体的表現か主体的表現かという問題にこだわるということなのです。
それと、以前にも言ったことだと思うのですが、「~られた」「~された」などの言葉を使って医師に伝えたら統合失調症などの症状としてみなされ、「~があった」「~が起きた」などの言葉を使って医師に伝えたらごく普通のこととしてみなされたのです。

なるほど。
よくわかりました。
「変換された」「暴かれた」「言い聞かせられた」というのは正確に言うと、
「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」「他の誰かによって言い聞かせられた」ということです。
自分の頭の中に「他の誰か」が存在していることになりますから、「有り得ない」ことであることは間違いありません。
しかし、自分の頭の中で『「他の誰か」が言っているように感じる』ことは誰にでもあります。
つまり、
「(他の誰かによって)変換されたように感じた」「(他の誰かによって)暴かれたように感じた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」というのは、誰もが経験することです。

「ように・ようだ」というのは「性質・状態などが似ている」という意味です。
「手が冷たくて氷のようだ」「彼女は美しい花のようだ」などで、「手=氷」「彼女=美しい花」でないことはおわかりになると思います。
「手=氷に似ている」「彼女=美しい花に似ている」という意味。
それと同じで、
「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」というのは、
「(他の誰かによって)言い聞かせられたのと似ていると感じた」
あるいは、
「まるで(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」
という意味になります。

「似ている」だけなので、実際に「他の誰か」がいるわけではありません。
しかし、似ているだけなのに、つまり、現実ではないのに現実のように感じるので辛くなるのでしょう。
これは妄想ですから、統合失調症の症状と医師は判断したのだと思います。
「現実的には有り得ないことだ」という認識をお持ちになるようにがんばってみてください。
認知行動療法をご存知のようですから申し上げますが、自らの感覚よりも論理を優先するように努力してみることは有効な自己治療の一環と言えるでしょう。

>4.に関して
【A】昼ご飯を食べることが禁止され、
→昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし
【B】昼ご飯を食べることが禁止され、食べられなくなった
→昼食をとるための心身の働きが混乱し喪失し、食べられなくなった
【C】「静止が解除された」
→「静止が解けた」

yahoo知恵袋でこれらの表現(【A】~【C】の表現)は通常は、客体的な言い方を主体的な言い方に置き換えた、ということではないかと思いますという回答を得たのです。
それ以来、客体的・主体的というのをこういうことで使うようになったと思うのです。
#5のお礼で書いたA~Dの内容および「唾液の動きを止められた」の内容が客体的から主体的表現に置き換えたものかどうか質問したのはこういうためだと思うのです。

前回も申し上げましたが、客体的表現という言葉をわたしは殆んど使ったことがありませんので、その解釈に関して他の方と争うつもりはありません。
しかし、お聞きになりたいことはわかりましたので、それについてお約束どおり以下に回答してみます。


◆◆◆ 1 ◆◆◆ 

A:『静止が(職員さんの言動をきっかけに)解除された』を『静止が解けた』に置き換えた

B:『(職員さんの言動をきっかけに)昼ご飯を食べることが禁止された』を『昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたした』に置き換えた

C:『(車の音がしたことがきっかけで)言い聞かせられた』を『言い聞かせがあった』に置き換えた

D:『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を『脳機能のすべて――思考・感情・意欲・認知・体感・動作・記憶・想起などがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』に置き換えた

で、A~Dは客体的表現から主体的表現に置き換えたことが言えるかどうか知りたいです。

Aは、「静止」という言葉自体が「静止した第三者」を想定していますから、どちらも主体的表現とは言えないでしょう。
『(職員さんの言動をきっかけに)自由に動ける(言える)ようになった』などであれば主体的と思います。

Bの『昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたした』は主体的と言えると思います。
「昼ご飯を食べる気がしなかった」とすれば、いくらか自然な表現になるでしょう。

Cは、『言い聞かせ』という言葉自体が使役動作です。
つまり、「言い聞かせる第三者」が想定されていますから主体的とは言えません。
前後の脈絡が不明なので確信はありませんが、
『(車の音がしたことがきっかけで)自らに言い聞かせた』などでれば主体的です。
これは「自分が自分に」という意味ですから第三者は想定されていません。

Dの場合、『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を『脳機能のすべて――思考・感情・意欲・認知・体感・動作・記憶・想起などがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』
どちらにも『~感じ』という言葉が入っています。
感じるのは自分なので、どちらも主体的な表現と言えるでしょう。
『(人の不快な声によって)脳機能の全てが無力化したようで、結果としてまるで意図していない言動を強いられる』
のように表現することもできると思います。


◆◆◆ 2 ◆◆◆ 

(1)『唾液の動きを操られた』『唾液の動きを止められた』
 ↓
(2)『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止められたり、飲み込む動きをさせられたりしたような気がした』
 ↓
(3)『(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった』

で、
>(2)の表現を(3)の表現に置き換えたのは客体的表現から主体的表現に置き換えたことが言えるかどうか

少なくとも(3)は主体的表現です。

>(1)の表現を(2)の表現に置き換えたのは何の表現をどういう表現に置き換えたのかも知りたいです。

受動態の表現(1)を客観的表現(2)に置き換えた、と言えるように思います。
(2)は「気がした」という言葉があるので、『唾液の動きを止められた』という自分の状態を客観的に認識できていることになるでしょう。
  

投稿日時 - 2012-05-24 14:31:55

お礼

再度詳しい回答をありがとうございます。

1.
>自分の頭の中で『「他の誰か」が言っているように感じる』ことは誰にでもあります。
つまり、
「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」というのは、誰もが経験することです。

誰もが経験することというのは、どこかで目にした・聞いたことがあるか、もしどこかで目にした・聞いたのなら、どこで目にしたのか・聞いたのかが知りたいです。
本に書いてあったのか、友人から聞いたのか、それともそれ以外の理由なのか、知りたいです。

1-1.
また「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたのと似ていると感じた」「まるで(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」などは主体的表現だと思ったのですが、そうなのかどうかも知りたいのです。

2.
お約束どおり回答をくださり、ありがとうございます。
使役動作についてですけど、wikipediaには「~させる」という表現形態だということが書かれていました。
「言い聞かせる」というのも使役動作だと思いました。

知恵袋では「静止が解除された」は解除した人はいるが、「静止が解けた」は解いた人はいないと言う回答を得ました。
同様に、「暴かれる」「操られる」「治される」「止められる」は使役動作だと思ったのですが、そうなのかどうかも知りたいです。

それと、「静止」および「言い聞かせ」が主体的とは言えないのなら、どういう表現なのか教えて下さい。
客体的表現でも主体的表現でもないのかなぁ・・・??

3.
>『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を『脳機能のすべて――思考・感情・意欲・認知・体感・動作・記憶・想起などがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』
どちらにも『~感じ』という言葉が入っています。
感じるのは自分なので、どちらも主体的な表現と言えるでしょう。

『~感じ』という表現が入っていれば、全て主体的表現と言えるかと思ったが、そうなのかどうかも知りたいです。【ここまでC】

4.
「唾液の動きを操られた」「唾液の動きを止められた」を「(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった」と書き換えた場合は客体的表現から主体的表現に置き換えた表現だと言えるかどうかも教えて下さい。
◆◆◆2◆◆◆のは受身表現→客観的表現→主体的表現に置き換えたものなんですね。
つまり、受身表現→主体的表現が客体的表現から主体的表現に置き換えたかどうかの質問です。

5.
実は、自分は他者にやられた・動かされた・治された・操られたという主体の文を自分の意志が行ったという主体の文に言い換えたい気持ちが強いのです。
これは以前も言ったと思います。
前者も後者も自分の脳内で起きていることですよね。
こういう場合、どういうふうに質問すれば望み通りの回答が来るかどうかも詳しく知りたいです。

再度回答下さい。

投稿日時 - 2012-05-25 06:19:13

ANo.6

#5です。

1.
>他の回答者に尋ねるというのは、ハコブルさんに訊くのでも良いということかどうか知りたいです。

それぞれのお礼欄や補足蘭で尋ねるということです。
または、新たに質問を立てるのも良いでしょう。
少なくとも、最初から相手の方を無視して他の人に尋ねるのは良くありません。
わたしに聞いてもらっても良いですが、必ずお答えできるという確約はできませんから悪しからず。

2.
>『「動くな」という言葉が発見された』という表現をおかしいと指摘されました。

表現自体は別におかしくありませんよ。
fall1024ta さんがそのように感じたことを表現するのは自由です。
ただ、その表現の内容がおかしい、と他人が感じるのも自由です。
その場合には、「表現がおかしい」ではなく「内容がおかしい」と言います。
指摘した人は、おそらく、その違いを知らないのだと思います。

3.
>『「動くな」という言葉が幻聴・耳鳴りがきっかけで発見された』を『「動くな」という言葉が幻聴・耳鳴りがきっかけで勝手に頭に浮かび上がった』と置き換えたのは客体的表現から主体的表現に置き換えたものかどうか知りたいです。

これは#5で説明したのと同じです。
後者は、『「動くな」という言葉』を「浮かび上がる」という行為の主体として擬人化している、と言えるでしょう。
それよりも、なんのために、主体的表現か客体的表現かという問題に拘るのか。
その理由を書いたほうが、望みに近い回答が得られる可能性は高いと思います。

4.
>A~Dは客体的表現から主体的表現に置き換えたことが言えるかどうか知りたいです。

「主体的・客体的」とはどういう意味で使っていますか?
説明してください。
それを確認してから改めて回答します。
    

投稿日時 - 2012-05-23 22:00:35

補足

念のためにyahoo知恵袋の質問&回答のURLをあげておきます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1085925270

投稿日時 - 2012-05-24 05:11:07

お礼

再度回答ありがとうございます。

1.に関して
#2さんのおっしゃった「客体に自らを投影した受身表現で合っているかどうか」をいきなり尋ねるのではなく、お礼欄か補足欄に質問を書いてみて、それでもなかなか返事が返ってこなかったら、ハコブルさんなどの#2さん以外の人に訊けばいいということを言ったかと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

2.に関して
以下のようなやりとり内容をおかしいと言うふうに身近な人に言われたのです。

『「動くな」という言葉が発見された』 →『「動くな」という言葉が頭に浮かび上がった』は客体的表現から主体的表現に直したと言えないと思うのですが、この場合何をどんな表現に直したと言えるか知りたいです。

これはつまり、おそらく「言葉が発見された」自体が客体的表現だと言えなく、ハコブルさんが#5でおっしゃった「言葉が[他の誰かによって]発見された」自体は客体的表現だと言えるということだと思うのです。
こういうことを言ったかと思うのです。
違いは知っていたと思います。
自分が誤って「内容」を「表現」と書き表していたことがわかりました。

3.に関して
例えば「操られた」とか「変換された」「暴かれた」「言い聞かせられた」などが起きることを身近な人におかしい、有り得ないと指摘されたのです。
自分の意志で動いていると指摘され、それ以来「言い換え」を求めるようになったのです。
これがつまり客体的表現か主体的表現かという問題にこだわるということなのです。
それと、以前にも言ったことだと思うのですが、「~られた」「~された」などの言葉を使って医師に伝えたら統合失調症などの症状としてみなされ、「~があった」「~が起きた」などの言葉を使って医師に伝えたらごく普通のこととしてみなされたのです。

4.に関して
【A】昼ご飯を食べることが禁止され、
→昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし
【B】昼ご飯を食べることが禁止され、食べられなくなった
→昼食をとるための心身の働きが混乱し喪失し、食べられなくなった
【C】「静止が解除された」
→「静止が解けた」

yahoo知恵袋でこれらの表現(【A】~【C】の表現)は通常は、客体的な言い方を主体的な言い方に置き換えた、ということではないかと思いますという回答を得たのです。
それ以来、客体的・主体的というのをこういうことで使うようになったと思うのです。
#5のお礼で書いたA~Dの内容および「唾液の動きを止められた」の内容が客体的から主体的表現に置き換えたものかどうか質問したのはこういうためだと思うのです。

投稿日時 - 2012-05-24 05:08:03

ANo.5

#4です。

>確認ですが、『「動くな」という言葉が発見された』というのは#2さんがおっしゃるように、客体に自らを投影した受身表現で合ってるかどうか、知りたいです。

おそらくですが、「自らを投影した受身表現」とおっしゃっているので、
『「動くな」という言葉を発した自分が発見された』という意味ではないかと思います。
ただ、わたしは専門家ではありませんし確信はありません。
また、回答内容について、他の回答者に意見を求めるのは失礼ですから、今後慎まれるほうが良いでしょう。
疑問は直接、その回答者の方に尋ねるようになさってください。
なかなか返事が来ない場合には、他の回答者に尋ねても良いと思います。

>『「動くな」という言葉が発見された』 → 『「動くな」という言葉が頭に浮かび上がった』は、客体的表現を主体的表現に直したと言えないと思うのですが、この場合何をどんな表現に直したと言えるか知りたいです。

「主体」というのは、
「自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの」
です。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/08796300/
「客体」というのは、
「主体の認識・行為などの対象となるもの」
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/04408800/

『「動くな」という言葉が発見された』を正確に言うと、
『「動くな」という言葉が[他の誰かによって]発見された』ということでしょう。
『「動くな」という言葉』は他の誰かの行為の対象になっているので、『「動くな」という言葉』は客体として扱われていることになります。(客体的表現)

『「動くな」という言葉が頭に浮かび上がった』の場合は、
『「動くな」という言葉』が擬人化されています。
つまり、『「動くな」という言葉』が意志を持った主体として「浮かび上がった」という構図でしょう。
まず、この意味で主体的表現と言えるように思います。
この文の場合、「浮かび上がる」は自動詞なので目的語を持たず、そのため客体は存在していないと考えてよいのではないかと思います。
また、『「動くな」という言葉』に意志が無いのは明らかですから、「浮かび上がった=自分の頭の中で浮かび上がった=自分が浮かび上がらせた」と解釈でき、この意味でも主体的表現と言えるでしょう。
ただ、客体的表現という言葉は殆んど使ったことがないので、このような解釈で正しいのかどうか、自信はありません。
  

投稿日時 - 2012-05-23 15:07:36

お礼

再度回答ありがとうございます。
質問から#5までの回答までを印刷したものを身近な人に見てもらいました。

>疑問は直接、その回答者の方に尋ねるようになさってください。
なかなか返事が来ない場合には、他の回答者に尋ねても良いと思います。

他の回答者に尋ねるというのは、ハコブルさんに訊くのでも良いということかどうか知りたいです。

『「動くな」という言葉が発見された』という表現をおかしいと指摘されました。

疑問が湧いたということですけど、
『「動くな」という言葉が幻聴・耳鳴りがきっかけで発見された』を『「動くな」という言葉が幻聴・耳鳴りがきっかけで勝手に頭に浮かび上がった』と置き換えたのは客体的表現から主体的表現に置き換えたものかどうか知りたいです。

あと自分が疑問に思ったことで、
A:『静止が(職員さんの言動をきっかけに)解除された』を『静止が解けた』に置き換えた

B:『(職員さんの言動をきっかけに)昼ご飯を食べることが禁止された』を『昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたした』に置き換えた

C:『(車の音がしたことがきっかけで)言い聞かせられた』を『言い聞かせがあった』に置き換えた

D:『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を『脳機能のすべて――思考・感情・意欲・認知・体感・動作・記憶・想起などがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』に置き換えた

で、A~Dは客体的表現から主体的表現に置き換えたことが言えるかどうか知りたいです。

さらに自分が体験したことのある症状ですけど、
(1)『唾液の動きを操られた』『唾液の動きを止められた』
 ↓
(2)『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止められたり、飲み込む動きをさせられたりしたような気がした』
 ↓
(3)『(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった』

で、(2)の表現を(3)の表現に置き換えたのは客体的表現から主体的表現に置き換えたことが言えるかどうかと、(1)の表現を(2)の表現に置き換えたのは何の表現をどういう表現に置き換えたのかも知りたいです。

再度回答を下さい。

投稿日時 - 2012-05-23 20:27:01

ANo.4

#3です。

「>【発見された】という表現は客体的表現でもあるので合っているかどうか

違います。
単なる受動(受身)表現です。」
という部分を次のように訂正します。

>【発見された】という表現は客体的表現でもあるので合っているかどうか

「主体によって発見された対象」が客体なので、「○○という言葉が発見された」は客体に着目した表現(=客体的表現)と言っていいかもしれません。
これを主体的表現に変えると「誰かが○○という言葉を発見した」のようになります。
つまり、主体的表現にしても、発見した行為者としての「誰か」が存在することに変わりはありません。
しかし、ご質問の趣旨は、「誰かが」ではなく「わたしが」のように変えて表現したい、ということでしょう。
この場合、
「客体的表現を主体的表現に変える」のではなくて【主体を転換した表現に変える】と書くとわかりやすくなると思います。
  

投稿日時 - 2012-05-22 02:25:27

お礼

回答ありがとうございます。

確認ですが、『「動くな」という言葉が発見された』というのは#2さんがおっしゃるように、客体に自らを投影した受身表現で合ってるかどうか、知りたいです。

僕の中で起きていたのは、『「動くな」という言葉が発見された』というのは、『「動くな」という言葉が頭に浮かび上がった』『「動くな」という言葉がまるで発見された感じがした』ということだと思うのです。

『「動くな」という言葉が発見された』 → 『「動くな」という言葉が頭に浮かび上がった』は、客体的表現を主体的表現に直したと言えないと思うのですが、この場合何をどんな表現に直したと言えるか知りたいです。

投稿日時 - 2012-05-23 05:22:24

ANo.3

>【発見された】という表現は客体的表現でもあるので合っているかどうか

違います。
単なる受動(受身)表現です。

>もし【発見された】という表現が客体的な言い方だとしたら、主体的な言い方に置き換えた表現も教えて下さい。

主体というのは、
1 自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの。
です。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/08796300/
「発見された」という状況がある場合、主体はあくまで「他の人」です。
受動態で表現すると「他の人によって発見された」。
能動態で表現すると「他の人が発見した」。
のようになります。
どちらの場合も、「発見する」という行為は「他の人」が行なったことになるので、主体的表現でも客体的表現でもその事実は変わりません。

「主体によって発見された対象」が客体です。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/04408800/
たとえば『「動くな」という言葉』が客体に相当します。
ですから、
【『動くな』という言葉が発見された】
を主体的表現にすると、
【誰かが『動くな』という言葉を発見した】
のようになります。

>1つだけでなく、いくつか表現を教えてくれると嬉しいです。

こちらをご参照ください。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E7%99%BA%E8%A6%8B&stype=1&dtype=5
入力ボックスに探したい言葉を入力する。
→「に一致する」を選択する。
→「類語」にチェックを入れる。
→「辞書検索」ボタンを押す。
この手順で、同じような意味の言葉が検索できます。


念のため申し上げますが、
主観的
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/08728100/
客観的
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/04418300/
という表現もあります。
『「動くな」という言葉が発見された』と感じるのは主観です。
客観的に見ると、そういうことは通常考えられませんから、
『「動くな」という言葉が発見されたように(わたしが)感じた』
あるいは、#1さんがおっしゃるように(また、わたしも以前申し上げましたように)
『「動くな」という言葉が頭に浮かんだ』などとなります。
   

投稿日時 - 2012-05-21 22:31:37

お礼

回答ありがとうございます。
#4のお礼入力欄にお礼を書きました。

投稿日時 - 2012-05-23 05:22:54

ANo.2

客体に自らを投影した受身表現。
主体的に語るのなら、「我、~を発見せり。私は、~を発見した。私はついに、~を発見するに至った。」と言うのが適当か。

投稿日時 - 2012-05-21 16:57:59

お礼

回答ありがとうございます。
#3、4の回答者さんに質問が解決するまで質問したりしようと思います。

投稿日時 - 2012-05-23 05:00:29

ANo.1

この文章ですと、主体的ではなく勝手に出てきてしまってって感じます。
発見されてというよりは
いろいろな言葉が沸き上がりとか、浮かび上がり、とか自然と出てきて頭のなかが混乱しているというような文章に感じます。

無理に主体的になさらなくてもいいのではないでしょうか。
不思議なぶんしょうですね。
これだ!という表現が見つかるといいですね。

投稿日時 - 2012-05-20 16:18:54

お礼

回答ありがとうございます。

質問文にある【発見された】は受身表現でもあれば客体表現でもあるというのは、そうだと言えるのでしょうか?
再度回答下さい。

投稿日時 - 2012-05-20 17:36:45

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