こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

締切り済みの質問

仏教 真理について

該当のカテゴリがわからなかったのでココに
載せさせていただきますm(_ _)m

僕自身は無宗教ですが
たまたま仏教の教えを知ることがありました。

1.
『伝統や教師の教えで物事を判断してはいけない。自分自身の経験や考察から答えを導き出さなければいけない』
となっていますが、まずこれは正しく解釈できてますか?

2.
上記の解釈が正しいなら僕には『固定概念や先入観を取り払うことが必要であり、そもそも仏教ですら信じるな』という風に聞こえます。

頭悪いので上手く説明できないんですが
仏教の本質は『宗教や他力からの卒業』が目的なのではないかと思いました。

僕は本当の理解や悟りというのは最初から自分の中にあって、自分自身でそれに気づく事が重要だと思ってます。
仏教は間接的にそう教えているのではないでしょうか?
(例:上司が部下に全てを教えるより、自分で考えさせたほうが部下の為になり、自立する力が養われる。)

皆さんはどう思いますか?

投稿日時 - 2012-06-04 08:41:32

QNo.7513622

暇なときに回答ください

このQ&Aは役に立ちましたか?

0人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(8)

>伝統や教師の教えで物事を判断してはいけない。自分自身の経験や考察から答えを導き出さなければいけない

言えるのはここまで、あとは自分で考えろ
と言う事ではないですか。

物事の判断を最後は自分で下さなければならないように
教えの解釈も、最後は自分で下さなければならないのだと思います。

また
「あとは自分で考えろ」というような言葉の前に何かあったはずです。
冷たく突き放したような言葉の前に何かあったはずです。
その何かとは・・・

あなたにとって私はもう必要ではない、これから先は自分を信じて行きなさい
今までは必要だったかもしれないが、これから先は頼りにしてはいけない
という励ましの意味での
巣立ちを迎えた子供への親心だったのでしょう。

投稿日時 - 2012-06-04 21:37:07

ANo.7

『伝統や教師の教えで物事を判断してはいけない。
 自分自身の経験や考察から答えを導き出さなければいけない』
    ↑
これはどうでしょう。
伝統は歴史の上で、取捨選択されて来たものです。
いわば、実証されてきたものです。
頭の中で考えただけのものではありません。
頭の良い人が、時代を超えて色々考えた結晶です。

教師は専門家です。
昨日今日勉強を始めた人よりは、間違いなく
上の人です。
そういう伝統や教師の教えを無視して、自分で
判断するというのは、もの凄く傲慢だと思います。


”本当の理解や悟りというのは最初から自分の中にあって、自分自身でそれに気づく事”
    ↑
これは事実に反すると思います。
人間の脳は、基本ソフトが入っているだけで
後は白紙です。
それが他人や社会自然などと接することにより
アプリが入って来るのです。
最初から自分の中にある、というのは納得が行きません。
それだったら、勉強など不要でしょう。

自分自身で気づいた、とならないと中々納得しない
というだけです。
私も、色々考えて、これこそ私のオリジナルだ、と
思ったことは何度もありました。
しかし、それはタダ無知なだけでした。
どこかで、誰かが、必ず同じ事を言っていました。
残念です。


”上司が部下に全てを教えるより、自分で考えさせたほうが部下の為になり、自立する力が養われる。”
     ↑
それは確かですね。教えない教育、と言われるものです。
その場合でも、部下は上司を見て、背中を見て勉強して
行くのでしょう。ゼロから自力で構築する訳では
ありません。
先人を足がかりにして、更なる高見に昇るのです。


『固定概念や先入観を取り払うことが必要であり』
     ↑
それは、ユニークな考えに至る為には、パラダイムを
打ち破る為には、必要だ、という事でしょう。

投稿日時 - 2012-06-04 20:50:21

ANo.6

学問として宗教を学びたいのなら別ですが、悟りを知りたいのなら悟った人に教わるべきです。
http://shogongja.seesaa.net/archives/200610-1.html
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=tobaccoabkfr
例えばこんな人です。(例えばですよ。)

程度の差はあれ悟った人は沢山います。悟った人は仏教に拘りません。今はそういう人をネット上で何人も見ることが可能です。ありがたい時代です。

投稿日時 - 2012-06-04 14:10:45

>>1
>>『伝統や教師の教えで物事を判断してはいけない。自分自身の経験や
>>考察から答えを導き出さなければいけない』

まさにこの通りだと思います。仏教が広まる場合、それは間違っているといっていいほどです。なぜなら、仏教は一般的な考え方を根底からひっくり返すような真理だからです。根底からひっくり返るような真理が伝統や教師によって理解できるわけはありません。


>>2
>>上記の解釈が正しいなら僕には『固定概念や先入観を取り払うことが
>>必要であり、そもそも仏教ですら信じるな』という風に聞こえます。

まったくその通りで、固定観念や先入観、一般論を取り払わなければ本当に仏教を理解することは不可能だと思います。
『仏教を信じるな』ということではなく、仏陀から直接教わるべきだと言うことです。それには仏教の解説書を読むのではなく、固定観念を捨て、経典を読んで直接ご自身の頭で考えることだと思います。

投稿日時 - 2012-06-04 10:56:45

ANo.4

>僕は本当の理解や悟りというのは最初から自分の中にあって、自分自身でそれに気づく事が重要だと思ってます。仏教は間接的にそう教えているのではないでしょうか?

○仏の教えは、自助努力の勧めですから、悟りは自身の内にあるというのは正しい解釈です。
ただそれだけではないのですね。自力の果てに他力が及ぶという教えなのですね。自力と他力を小乗と大乗仏教として分けている場合がありますが、これは本当は一つの内にあるものですね。これを一乗の教えといいます。
例えば、あなたが何かに気づきそれを実践することで幸福になったとします。それを多くの人に知らせたい、同じように幸福になって欲しいと考え実践しようとすると多くの協力者が現れあなたの気づきを学び実践する人が増えていく。これが大乗となるわけですね。
つまり、あなたが努力していますと誰かが見ていて援助するものがあらわれる、これは目に見える他力ですね。目に見えない他力もあるわけですね。
仏の教え、一乗ですよ。という意味は自力と他力は相矛盾するようにみえ同時に存在するというという意味なんですよ。
それから、考える時に、まず一回白紙に戻して論理的、理性的に考えて見なさいというのが教えの基本ですね。そういう見方をすると、常識とか、通説に必ずひっかかりがでるのですね。
何やらわからない理由でそうなっている。つまるところ誰それがいったから正しいのだろうとか。極めてあいまいなものが非常に多いということですね。
例えば、葬式の塩ですね。塩でお祓いはほんとうか?なんかは??の例ですね。このようにすべての事象をチェックしていくと気づくことがあるということですね。これが仏の教えですね。
既存の仏教さえ信じるなという視点は間違いではありませんが、何故存在しているのかを考察すると見えてくるものもあるということですね。まあ、既存の仏教に仏陀が居なくなっているということだけのことでしょうね。

投稿日時 - 2012-06-04 10:35:12

ANo.3

「自分自身の考えで答えを導かねばならない」ものが、
念仏やお題目を唱えることで救われると教えるだろうか?
宗教において「考えろ」と言う場合、たいがい「自分が普段、
どれほど無意識に流されて生きているか自覚し、死(あの世)
や世界の第一原因についての不安を意識して、イワシの頭
にすがれよ」という程度の話だ。
つまり、『どうせ科学ではそこまで明らかにできていない
だろう』という無知に基づく自信に過ぎない。

投稿日時 - 2012-06-04 10:20:23

ANo.2

そうそう。回答者さんの理解そのままですよ。
  <僕は本当の理解や悟りというのは最初から自分の中にあって、
  自分自身でそれに気づく事が重要だと思ってます。>

 そのとおりですね。
 釈迦最後のことばに
 「自らをよりどころとせよ=自灯明」
 「普遍的真理をよりどころとせよ=法灯明(ほうとうみょう)」
 というようなものもありますね。

 

投稿日時 - 2012-06-04 10:19:00

ANo.1

私は、仏教に限らず、宗教に真理は無いと思います。
宗教は、人間の都合で人間が作ったもので有り、神や仏ではない。
宗教は、八卦や占いのようなものが大きく成ったにすぎない。
宗教は、神や仏の祟りなどで恐怖心を煽り、民衆をを治め人を支配する事に利用している。

投稿日時 - 2012-06-04 09:56:08

あなたにオススメの質問