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小学校からの英語教育は必要?

FAQに属する質問だと思いますが、小学校でも英語教育が実施されましたよね。
でも、私は中学からでも遅くないと思うんです。
よく、海外の事例を挙げる人がおりますが、小学校から英語教育を実施している国は、中学や高校で英語以外の外国語も勉強します。だから、中学で英語を始めたら英語しか勉強できなくなるだけの話に思えます。結局、日本の中等教育では英語しか勉強しないんだから 中学から英語を始めても十分遅くないと思うんですが、どうでしょう? それで、日本では結局 小学校から英語を始めてもそんなに大きなアドバンテージはないように思います。 みなさんはどう思いますか?

投稿日時 - 2012-06-25 11:27:38

QNo.7553913

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回答(13)

ANo.14

no.5にてついて

>>中学は思春期にかかっているため文法は学べても会話は恥ずかしがってしまって身に付きません。

>なるほど、興味深い指摘ですね。でも、私は英語しか勉強しないから 英語を話すのも恥ずかしくなるのもあると思います。
>外国語って、一つに限定しないで色々触れる機会を増やした方が外国語に対する抵抗も小さくなりますので。


ちょっと指摘したこととは違いますね。
思春期に入ると、多くの子が結果的に音読しなくなります。
一部、良いムードにつつまれていく学級もあることにはありますが例外。

音読しても流暢な発音はイキってるみたいで逆にかっこ悪いとしてカタカナ読みを意図的にしたり、英語に関わらず国語の本読みもいやがることも多いです。読みなさいと言われて読むことをかっこ悪いと思う反抗期的側面もあります。合唱コンでも歌わなくなります。しかしそんな歌は歌ってはいけないとされている歌はこれみよがしに大声で歌ったりします。

小学校高学年~中学3年生くらいまでの時期に新しく取り入れることのできないことは美術/音楽/言語などでたくさんあります。よほど好きな子だけは流れに関係なくやってくれますが、素質を持ちながらも濁流にのまれ能力を殺すことがあるのでもったいない時期です。その時期を超えてしまってからではもはや入らないこともたくさんあります。小学校低学年までに下地を作っておくしかないことは少なからずあります。無邪気に九九を大声だして覚えられる時期がポイントです。

余談ではありますが、帰国子女だとか、あるいは大人に従順な子などが学校でイジメられたりするケースは、音読=イコールかっこわるいと思ってるようなタイプの子がリーダー権(その子が右といえばクラス全体が自然と右に傾く)を持っている場合に(あくまで一例です)よく起こります。
逆に自然と不良との親交がありつつも異性からも同性からも憧れ慕われるような子がイジメられっ子に目を配って(自然に守って)いる場合は壮絶なイジメであってもあっというまに消えます。
思春期の子のコントロールは大人らしい大人(良い親や良い先生)には不可能です。
どのような子が主導権(自然派生的リーダー)を持っているかによってクラスや学校のタイプが大きく変わりますので一概には言えませんが、九九を大声出して覚えられる時期に文字ではなく音で「外国語」を話しはじめることは多方面で非常に有益だと思います。



英語ができないから外国に行かない人、英語が公用語の会合に参加しない人、は多くいます。
それは空が飛べないから高いところに登らない人と同じです。
実際、高いところに登るために空を飛べるようになる努力をする人は空へのあこがれがある人だけです。
高いところに登るなら、それはそのとき命綱をつければ良いじゃないかと考えるのです。
人は(日本人は)空を飛ぶ生き物ではないからというのです。

けれど空を飛べることは飛べないことより能力的に絶対的に優位です。

グローバル化の加速で諸外国の人との交信は著しく増えました。
主戦場はどんどん高いところへ、まもなく空中戦です。
地上戦には強かった日本でも、空を飛べる人間をできるだけ多く増やしておかないと日本は廃れるばかり。

より多くの人が空を飛べるよう、その人それぞれの必要性の前に、国策として必要にせまられます。
空が飛べるなら、空に興味があろうとなかろうと、落ちて死ぬ心配が無いので命綱なしで平気で気軽に高いところに多くの人が登ることができます。

日本語圏の土地に強い興味がなくてもちょっと旅行に行ってみる人と、英語圏の土地に強い興味が無くてもちょっと旅行に行ってみる人を比べると、今は後者は著しく少ない。強い興味が無いから英語を学ばないけれどもともと英語がある程度できるならば弱い興味しかなくても行ってしまったります。仕事の選び方だってそうです。英語が使える仕事を探す人は前者で昔から一定数いますが通訳程度の仕事しかしない人も多く、言語に関係の無い専門職だけども英語が使えるから自然と幅が広がる後者のタイプの人が不足してます。英語を特殊能力ではなく、あのひと自動車の運転が上手くらいの事にしないと。

ナマリの強い東北や沖縄の言葉しか話せない標準語の話せない日本人が日本の重要会議の司会者なんてできませんが、買い物くらいはできます。

投稿日時 - 2012-06-27 04:11:25

補足

ありがとうございます。

話が飛躍している部分もありますが、興味深い話 ありがとうございます。


>グローバル化の加速で諸外国の人との交信は著しく増えました。
日本人って、とにかく「グローバル化」って言葉に踊らされますが、「グローバル化」って負の側面もあるし、日本の国際化はグローバル化だけでは片づけられない複雑な要素も含んでいますよ。先ず、10年前に比べ、日本人の海外渡航者も減っていますし、英語圏からの日本への観光客も僅かに減っています。おそらく、欧米のアジアへの関心が日本から中国や東南アジアにシフトているんでしょうね。それに反して、英語の話せない外国人の来日が増えています。そして、そういう人たちが犯罪を犯すこともあります。日本の警察官でも英語が流暢に話せる人は少ないですが、英語が話せても相手に通じなければ職務質問もできません。
つまり、日本の国際化を語る時、グローバル化とかきれいでかっこいい表舞台の仕事をする時に必要な外国語は英語です。でも、汚くて危険な裏方の仕事をする人も必要です。もちろん、これは言語だけの問題でもありませんが。日本人はグローバル化にしても良い面しか見ない傾向にありますが、ヨーロッパや中南米の人はいつも両方の側面を見ています。

投稿日時 - 2012-06-27 08:14:36

ANo.13

 こんばんは夜分遅く失礼致します。
>あの頃の勉強法は素読です。意味なんか与えない。ただ声に出して読ませるだけ。文法ガンガンではありませんのでご留意を。

 少なくともこれは注意が必要です。漢文を読むには一定のリズムが必要でそれは「読みくせ」つまり「返り点の打ち方」や「特定の文字(被や所さらには然など)があったらそれに応じた読み方」をしなければならない、などの約束事を「その当時は」強制的に憶えさせられたスパルタ方式ことによります。そうでなければ四書五経などは読めません。近代的な意味での教育ではありませんので、お間違いのないように。
 また福沢が幕末に遺した文書に“Sometime”をサモタイムと発音していた事例がみられますので、彼の語学習得法として「耳で聴く」ことに重点を置いていた形跡がみられます。この点は大槻玄沢などが学んだオランダ語の習得法とは距離感のある感じがします。

投稿日時 - 2012-06-27 03:01:05

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2012-06-27 08:16:24

ANo.12

ないと思います。目的意識があれば極論を言ってしまえば高校生からでも間に合うはずです。
使う場面がないのに文法机上で勉強しても虚しいだけだと思います。
北欧やヨーロッパの一部では机上で勉強するというよりは英語圏のドラマなどを吹き替えなどせずに
子供の頃より耳をならせているようですね。そのためびっくりするくらい早期より第一の外国語として
非常に流暢に英語を話します。早期教育というよりはそのような環境づくりが必要なのかもと思う今日この頃です!

投稿日時 - 2012-06-27 01:30:47

補足

ありがとうございます。

>ないと思います。目的意識があれば極論を言ってしまえば高校生からでも間に合うはずです。
小学校からの英語教育に難色を示す人も多いですが、高校生からでも間に合うという人は少数ですね。
一部、頷けます。確かに、現行の英語の教え方だと 高校から始めた方が合理的だし、その分、どうせ役に立たない(?)第2外国語をつぶして英語に当てれば、現状の英語のレベルは十分に維持できますからね。

>北欧やヨーロッパの一部では机上で勉強するというよりは英語圏のドラマなどを吹き替えなどせずに
子供の頃より耳をならせているようですね。
日本だとあまりに気構えすぎちゃって、大して興味もないのにCNNを聴こうとスカパーと契約するのものの、モチベーションを維持できずに続かない人が多いですね。

投稿日時 - 2012-06-27 08:29:38

ANo.10

米在住者より、

  日本の状況から考慮すれば、「必要ない」というよりも「無理」でしょうね。
なぜなら、日本で英語を使う必要性がないからです。日本にいると、語学に2~3年かければ話せるようになると考える人が大多数だと思います。しかし米にいるとどこの国の人でも3ヶ月で日常会話は話せると考えている人が殆どです。一年だと米人と変わらないと考えます。(特別な用語を省いて) 結局、状況と認識の違いから大きな違いが生まれるのです。 日本人の方でも米に来て3ヶ月で日常会話が話せる人は結構います。

  もう一つ、親が子供の英語上達をチェックできないでしょ。
英語の話せる親であればいつでも子供の上達をチェックできますが、そうでないと先生まかせになり、ただ「頑張ったね」で終わりでしょ。 
(例: 子供を5年間英会話スクールに通わせ、何も上達してなかったと、5年後に気づく親)
  この5年間の月謝と子供の時間は途轍もなくもったいないですよね。そればかりか、子供は5年もかけて得られなかったという無力感を認識し、物事はこんなものなんだと思ってしまうでしょうね。= 6年間の英語教育による、日本人全体の英語そして語学に対する認識の始まりですね。

  もう一つ、他の科目と違って、「子供も親も一年後はこんなに上達している」といったゴールを思い描くことは難しいですよね。

「米の教育は子供に3ヶ月後 半年後、一年後のゴールを考えさせることを心がけています。そして確りとチェックしてます。」 
+ゴールのないサッカーゲームって意味ないですよね。

  最後に、 子供が望んでいなかったら全くの無意味ですよね。  
無理やりやらせて、いい点数を取ったとしてもやっぱり無意味ですよね、特に語学ではね。


  受験の為の小学校英語教育であっても、無意味でしょうね。
なぜなら、中学からの英語教育でも受験の為には十分だからです。

投稿日時 - 2012-06-26 05:18:08

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2012-06-26 09:41:37

ANo.9

寺子屋の漢文、のお話が出てましたので、
本来の質問ご主意からそれてしまいますが。

福澤諭吉は春秋左氏伝を暗誦してしまったといいます。

「殊に私は左傳が得意で大概の書生は左傳十五卷の内三四卷で仕舞ふのを私は全部通讀凡そ十一度び讀返して面白い處は暗記して居た」
『福翁自伝』

あの頃の勉強法は素読です。意味なんか与えない。ただ声に出して読ませるだけ。

文法ガンガンではありませんのでご留意を。

投稿日時 - 2012-06-26 03:53:46

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2012-06-26 09:39:34

ANo.8

 補足ありがとうございました。
>確かに、小学校で英語を始めるからにはもう少しみっちり勉強すべきだとは思いますが、文法をガンガンというのはどうでしょう? 江戸時代の寺小屋の漢文みたいになりませんか?
フランスだと、小学校からフランス語の文法をガンガン覚えます。ですから、中学からの英語も自国語に当てはめて考えやすいので呑み込みが早いです。でも、日本では中学で日本語の文法もろくにやらないのに、英語と日本語ではあまりに違いすぎるし、中学からの英文法だって空回りしているじゃありませんか。 ですから、皮肉なことに 日本語の文法に苦労して覚えた英文法の用語を持ち出す人も少なくありません。「仮定法」に限っては英語教師でさえ、論理的に説明できる人は少数です。

 確かに漢文には基本ルールが幾つかあります。英語を含めての外国語たとえばドイツ語では「定動詞二位の原則」があります。定動詞は人称に応じて変化する動詞の形ですが、英語ならば動詞は主語のあとに記述されます。
 これに対しドイツ語では必ずしもなければならないとの約束事はありません。
Ich lerne heute Deutsch.との文章があった場合に
Heute lerne ich Deutsch.でもDeutsch lerne ich heute.でも許容されます。がしかし定動詞の位置そのものは厳然として語順の二番目に置かれます。これが通用しないケースは「定動詞の倒置」と「助動詞構文」が代表的な事例です。
 Deutsch lerne ich heute.に対しLernen Sie Deutsch Heute?とした場合、はいそしていいえで答えることのできる「決定疑問文」ですので、英語ではDo you study German today?となりますがドイツ語では動詞と主語を入れ替えるだけで疑問文を構成することができます。疑問詞を伴う疑問文ならば
Was lernen Sie heute?(What do you study language today?)
Wo lernen Sie heute Detusch?(Where do you study Germany today?)
となり、動詞の位置は二番目にあることは変わりません。
 
 もう一つの事例ですがこれは助動詞のある構文の場合です。
Ich kann Deutsch sprechen.として「私はドイツ語を話すことができます」となります。この場合の動詞の位置は先程の事例と異なり、文末に置かれています。つまり助動詞が主語に続く二番目の位置にあり目的語をサンドウィッチのように間に挟み込む形になります。従って疑問文にする場合では
Können Sie Deutsch sprechen?となります。

 文法が必要なのは、知らない言葉を学ぶときです。ドイツ語を知らない人はドイツ語の文法を習う。古文を学ぶとき現代日本人は古文の文法を習う。これが自然です。ところが学校文法では、現代語の文法から教えようとする。しかも文章を読み書きする上で大事な点に絞って教えるのではなく、子供達に対し「文法学」を体系的に教えようとする。文節から始まり、品詞がどうのこうの活用形がどうのこうのといった具合です。ですからよほどそうした分野に興味や関心のある子供達を除いた殆どは退屈するかアレルギー反応を示してしまう。現代語は文法など習わなくとも読み書きはできる。芭蕉も西行も日本文法の教育など受けなかったのに立派な日本語を書き遺しています。
 これが中学校段階で初めて英語と出逢ったなら、どの様な反応を見せるか。英語は文型に従って、また動詞の区分(be動詞とHave動詞)て文章構造がはっきりしていることに気付かされ、主語と動詞の距離の近さにある意味カルチュアショックを受けます。文章を最後まで読まずともそれが平叙文か否定文か疑問文かが判る。これに対し日本語の構文構造は最後まで読まなければ判らないとの明確な違いを示します。こうした点で学校文法は「日本語と日本語の文章をどう理解するか」との根本的な問題に対してのヒントを提示することができていない。肝腎なところを教えなくて重箱の隅をつつくような部分をマニアックに教える事にさほどの意味があるでしょうか。
 前回お話しした「文法をガンガン教えるべき」との意味は、こうした旧来からの悪癖を打破するとの意味です。文章理解の手助けとしての文法の性質を教えることがとても大切であることはフランスでの事例からも理解できます。
 レストランに行った時に「ご注文は何になさいますか」と聴かれ、「私はカレーにします」「私はハンバーグです」といった場合、この「します」「です」の中身が大切であり、それが活用形としての何形であるかなどは些末な問題になります。要は「私はカレーを注文します」「私はハンバーグを注文します」であって、形式的に「私は~である」として理解するだけならば私とカレーやハンバーグが同質の内容を指すとなり、精神科の治療を求めたほうがよろしいとの事になってしまいます。言語理解としての文法は一つの材料でありそれともう一つ常識との要素が連携して初めて言葉を恃む形になります。
 僕が関与している大学のゼミにも外国籍の方が何人かいらっしゃいますが、彼らの方が日本の学生達よりも豊かな日本語を話していることも実感しています。一つのセンテンスを明確な文意で綴り話す。これが現代の日本人には困難な作業のようです。一つの文章で100文字を越える時にはその特性が明確になります。途中で何を言っているのか判らなくなる。助詞としての「は・が」の使い方がメチャクチャで文章が壊れているのが現実です。本当に「それでも大学生なの?」と疑ってしまうことも珍しくありません。
 コミュニケーションがどうのこうの、ビジネス戦略としてどうのこうのという以前に「何を相手に伝えたいかをはっきりさせる」ことの方が大切であると考えます。
 ご質問の趣旨から離れてしまい申し訳ありません。

投稿日時 - 2012-06-25 22:18:49

お礼

Vielen Dank für Ihre Antwort.

>しかも文章を読み書きする上で大事な点に絞って教えるのではなく、子供達に対し「文法学」を体系的に教えようとする。

そうですね。日本の英語教育は体系に教えることに固執しすぎている気がします。
でも、そんな日本式英文法にも若干の欠陥があります。
例えば 次の文です。

I'm looking after my mother.

この文のafterはadverbial particleと呼ばれるものなんですが、日本式英文法では前置詞扱いだったり、副詞扱いだったりはっきりしない部分があります。

それでは、次の文です。

I'd like something to drink.

この文ではlikeがconditional moodに置かれていますが、日本式英文法では「仮定法」と呼ぶこともありますが、この「仮定法」と言うのは subjunctive moodを指すこともあるし、
動詞の叙法よりも、非現実の仮定の構文そのものを指すことも多いです。

次はto不定詞です。

I don't know how to play the piano.

この場合、howを名詞と見做し、to playはhowを修飾する形容詞的用法と解釈する人も多いですが、これも少し無理があります。

投稿日時 - 2012-06-25 22:57:01

英語を小学校でやるなら是非やってほしいと思います。
というのは、日本人は、英語に関しては考えが二極化してると感じるからです。

英語、フランス語、中国語などをガンガン自分で勉強していく人と、英語すらまったく興味を示さず敬遠して国際化に否定的な人です。そういう人達は洋楽も嫌いで、ジャパレゲを好む傾向があります(本当に)。この人たちには、語学に対する“苦手意識”がこびりついてしまっているのです。

中学で英語の授業が始まると、英語と数学でつまずく生徒が多くなかったですか?それで勉強についていけなくなったら苦手意識を持ったままになってしまい、その後の受験、就職でも差がついてしまいます。

しかし、小学校で軽くでもいいので楽しく英語に触れる機会があれば、「自分でもっと勉強してみよう」とか「語学って楽しいな」とか多くの子どもが感じて、その後の学習や意識の向上にもつながると思うのです。

英語をきちんと教えられる教師は日本には少ないと思います。それはこれからちゃんと改善しないといけませんが、まず語学への「取っ掛かり」として小学校のうちに授業があれば、ずいぶん違うと思いますよ。意識さへ変われば、語学の1つや2つ、自分で学習することはできますからね。
仕事の可能性も大いにひろがるわけです。

投稿日時 - 2012-06-25 17:18:06

補足

ありがとうございます。

>そういう人達は洋楽も嫌いで、ジャパレゲを好む傾向があります(本当に)。
ちょっと結びつけが安直に感じますが、日本では少なくともアメリカやイギリスが嫌いという人は少ないですね。

>中学で英語の授業が始まると、英語と数学でつまずく生徒が多くなかったですか?
数学に関して言えば、数学は中学から新しく始まる教科ではなく、小学校の算数の延長ですよね。ですから、英語を小学校から始めても似たようなことは予測されると思うんですが。あと、数学が英語と違うのは、英語の場合は先取りして子供に覚えさせようとする親御さんが多いのに、数学は少ないことです。

>しかし、小学校で軽くでもいいので楽しく英語に触れる機会があれば、「自分でもっと勉強してみよう」とか「語学って楽しいな」とか多くの子どもが感じて、その後の学習や意識の向上にもつながると思うのです。
日本の場合、気軽に英語のテレビ番組が見られないんですよね。それで、英語の学習の為に、大して興味もないCNNニュースを見ようと わざわざ高い費用をかけて スカパーと契約したりするので、挫折する人が多いですね。台湾や韓国の若者が日本のアニメを見るために
日本語を勉強するのに比べてモチベーションが上がりにくいと思います。

投稿日時 - 2012-06-25 17:39:03

ANo.6

 仮に小学校から英語教育を始めるとして、そこにどの様なメリットが具体的にあるかは現在のところでは不明です。実際にまだ動物とも人間とも定まっていない精神年齢の存在に対しできることといえば、せいぜい単語を押し詰めるしかないでしょう。それでも「日常会話やコミュニケーションが云々」と話す方がいるなら、それでは「何を話すの?」「判りやすい英語って何?」との疑問をぶつけたらどうでしょう。
 英語を含めた外国語が日本語よりも分かりやすいのはその構造にあります。日本語では文末まで読まねば肯定文か否定文か疑問文か判然としない性質の言語であることに対し、外国語はシンプルです。主語と述語(動詞)の距離が近い。もし述部の記述が長いならそれは節で述部を修飾しているにすぎない文法構造の産物です。
 もちろんある程度の精神年齢に達している相手ならば、外国語を通しての母国語、母国語から観た外国語などの点で意味もあります。原稿用紙の使い方一つにする覚束ない二十代や三十代また時として四十代にもそうした傾向は見られます。けれども彼らは英語が使えれば問題はないなどと意味不明な回答をしてもその稚拙さには気付いてもいない様子です。
 こうした点で、私見ではありますが「言語教育はどの様にあるべきか(功利主義的な意味ではなく本質的に問うとの意味です)」を大人達が真剣に議論する姿勢がひつようだと思います。
 もし小学校で語学教育を始めるならば、文法をガンガンやるべきでしょう、会話なんぞは後回しでも十分です。

投稿日時 - 2012-06-25 17:00:47

補足

ありがとうございます。

>もし小学校で語学教育を始めるならば、文法をガンガンやるべきでしょう、会話なんぞは後回しでも十分です。
確かに、小学校で英語を始めるからにはもう少しみっちり勉強すべきだとは思いますが、文法をガンガンというのはどうでしょう? 江戸時代の寺小屋の漢文みたいになりませんか?
フランスだと、小学校からフランス語の文法をガンガン覚えます。ですから、中学からの英語も自国語に当てはめて考えやすいので呑み込みが早いです。でも、日本では中学で日本語の文法もろくにやらないのに、英語と日本語ではあまりに違いすぎるし、中学からの英文法だって空回りしているじゃありませんか。 ですから、皮肉なことに 日本語の文法に苦労して覚えた英文法の用語を持ち出す人も少なくありません。「仮定法」に限っては英語教師でさえ、論理的に説明できる人は少数です。

投稿日時 - 2012-06-25 17:13:30

絶対に必要だと思います。

これまでの日本の強さから日本語はアジアではよく学ばれてきましたが、日本の国力の弱体化とともにその波は数年前に止まっています。そしてグローバル化は加速していますので英語ができないと日本国内以外では何の仕事もできない時代が来ています。
同じサービス/商品を受け取る際に、英語ができる人が支払う対価と、日本語しかできない人が支払い対価が大きく違ってきます。
18歳になったときにマトモに英語ができないことは日本国にとって損害であるといっても過言でないのです。

日本語ができなくても日本でもある程度の仕事ができる時代も都心部では始まっていますから日本語しかできない人間がだんだん余りだします。

さて今回の問題のその時期的なものについてですが、中学は思春期にかかっているため文法は学べても会話は恥ずかしがってしまって身に付きません。小学校の無邪気な年から慣用句での英会話を始めるべきです。読み書きに困らないけど会話が困難な人が多すぎるのが日本の課題です。細かい文法はこれまで通り中学からでも充分です。

投稿日時 - 2012-06-25 15:52:01

補足

ありがとうございます。

>中学は思春期にかかっているため文法は学べても会話は恥ずかしがってしまって身に付きません。
なるほど、興味深い指摘ですね。でも、私は英語しか勉強しないから 英語を話すのも恥ずかしくなるのもあると思います。外国語って、一つに限定しないで色々触れる機会を増やした方が外国語に対する抵抗も小さくなりますので。

投稿日時 - 2012-06-25 16:20:08

ANo.4

wy1

正規の小学校英語教員がいない限り、小学校での英語教育を実施することが規則上可能なのでしょうか?
日本もろくに正確に教える機能も持たないので、英語なんて、何のために必要なのでしょうか。

投稿日時 - 2012-06-25 15:51:05

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2012-06-25 16:11:57

ANo.3

小学校における英語教育は10数年前の1999年以前から実践計画がなされ、遅れに遅れて、ようやく昨年から始まったようですね。

それより遡る事、20-30年も前から、日本の英語教育には大きな疑問が投掛けられていた訳で、中高6年間と受験勉強及び大学における授業である程度のリテラシーは上達するものの、「英語を話す」コンピテンシーは、全くと言っていいほど身に付かないという現実があります。

フィリピン、シンガポール、インドなどを除いて、アジア諸国においての英語の普及率は一様に低いものであったのですが、近年においては、韓国、中国をはじめ他新興国での英語教育の急速な向上が顕著となり、今や日本は最低レベルと評価されているのです。

昨年から始まった小学校での英語授業は、英語の発音から入ることに重きを置いてネイティヴのALTと日本人の先生による週一のものですが、これでは生徒の興味を引く程度に留まっております。
また、ネイティブのALTと小学校の先生自身がコミュニケーションが取れない現実や市町村の教育委員会が「腰が引けた」状態であるなど、現場は混乱しているのが現状です。

「小学校から英語を始める」への是非を言っている場合ではなく、この国は「徹底した英語教育」を目指すべきだと考えます。
フィリピン方式がベストか否かはこれからの課題として、とりあえず、従来の「英語が話せない」中・高の英語教師は排除すべきでしょう。日本語が話せない先生から漢字を教わっているようなものですから・・・・

投稿日時 - 2012-06-25 14:55:41

補足

ありがとうございます。

>近年においては、韓国、中国をはじめ他新興国での英語教育の急速な向上が顕著となり、今や日本は最低レベルと評価されているのです。
韓国の場合は英語教育が日本より格段に勝っているというより、学ぶ側の姿勢が大きく違うようです。例えば、日本人の多くはブログにしても日本語で書いて満足しているのに、
韓国人は辞書を引き引き一生懸命 英語で書いてどんどん海外に発信している人が少なくありません。中国の場合は全体的な英語の浸透度が日本より低いようです。例えば、アメリカ映画のDVDとか洋楽のCDは日本より入手しにくいし、CSやBSなどの英語のTV放送を受信する環境も日本より条件が悪いです。しかしながら、人口の約1割(それだけで日本の総人口を僅かに上回る)を占める富裕層に限れば、平均的な日本人よりもずっと英語力が高いと言えます。

>日本語が話せない先生から漢字を教わっているようなものですから・・・・
揚げ足を取るつもりではありませんが、漢字はもともと中国の文字なのに、中国語を話せない先生から漢字を習ったことが、そもそもの日本人の外国語に対する誤ったアプローチの
第一歩だったのかもしれませんね。

投稿日時 - 2012-06-25 15:15:55

ANo.2

個人的には必要ないと思います。

他国と比較するからおかしいのです。日本の一般社会では、まだまだ日本語しか
使われていません。しかも受験のための英語は実用的ではなく、話せるようになる者は
殆どいません。まず、英語教育とは何なのかという点を見直す必要がある。

次に、母国語がしっかりしないと会話能力が育たない。習ったところで使わなければ
5年ぐらいで劣化します。ペーパードライバーみたいなものです。

周囲でネイティブな英会話を行える環境があれば悪くはないと思います。
但し、受験のための英語は、英語教育とは言えないと考えます。

昨今のゆとり世代ですと、日本人なのに日本語すら危ういんですから、
英語にまで目を向ける余裕はない。

投稿日時 - 2012-06-25 12:23:14

お礼

ありがとうございます。

ちょっと極論ですね。

投稿日時 - 2012-06-25 13:11:48

外国語の学習は早期に開始したほうが効率的といわれますが、英語だけを義務教育にするべきではないですね。

北海道と新潟ではロシア語、福岡県の五島列島では朝鮮語、沖縄県では台湾語などを選択可能にしたうえでの早期外国語教育は賛成です。

投稿日時 - 2012-06-25 11:35:37

補足

ありがとうございます。

なるほど、英語以外の外国語も勉強する前提なら やはり英語は小学校から始めるべきですね。

投稿日時 - 2012-06-25 12:03:32

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