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解決済みの質問

社会人の学生の違いとは…

「社会人」と広辞苑で引くと
(1)社会の一員としての個人。
(2)実社会で活動する人。

「実社会」と広辞苑で引くと
(美化されたり観念的に考えられたりしたのではない)現実の社会。実世間。

「学生」と広辞苑で引くと
学業を修めるもの。特に大学で学ぶもの。

と出ます。


現代では主に社会人というと正社員ということも指すらしいですが、
学生は「実社会で活動する人」ではないのでしょうか?
学生は勉強するのが本分だから?アルバイトして働いていた場合は?

就職試験の作文を考えており、このことについては触れないつもりですが
どうも引っかかってしまい気になります。

宜しくお願いいたします。

投稿日時 - 2012-08-26 22:20:25

QNo.7665128

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

昔から学問の世界には「自治」という概念がありました。

たとえば日韓が今のように政治的にもめていても、日韓の歴史をきちんと確認する歴史学者は反日とか嫌韓、さらには政治的な圧力や世俗的価値観を超えて、真実と真理を確認して記録する、というものが「学問」だということです。

ですから学問を行っている大学などは本来「政治的介入」や「世俗的価値観」に囚われてはいけないし、それらの価値観に屈しても行けない、これを「自治」という言葉で表現していたのでした。

ですからそこに通って学問を行う学生は、たとえば個人的に嫌韓であっても、同じ研究をしている韓国人を排除したりすること無く、事実と真理の探求のために協力しなければならないということでもあります。


しかし、実社会に出てみるとそれは通用しません。たとえ事実でも政治的意図で捻じ曲げられることはよくありますし、すぐれた商品などでも世俗的な価値を得られなければ売り上げを上げることはできないからです。

ですので実社会とは「いろいろな人がいて、真実や価値観が必ずしも常に通用するわけではない場所」であり学業・学問・学生とは「世俗社会から隔離されて、真実と真理を探究する場所」ということになります。

当然、実社会で生活(働いて賃金を得ている人々)している人からみれば、学生は現実を知らないアマッタレということで、学生は実社会で生活をしている社会人には該当しないのです。

投稿日時 - 2012-08-27 12:24:11

お礼

社会人の学生に対する考えも知ることができてとても視野が広がりました。
いい作文が書けそうです!
また社会人の心得のようなものにも見えます。感謝します。
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2012-08-27 15:26:49

ANo.3

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回答(6)

ANo.6

 コメントありがとうございました。
>私は若者独特の「若いからいいんだ!」っていう開き直った考え方が、すごく気持ち悪いと思います。。。
>むしろ学生のくせに「俺の話を聞け」と言う方が厚かましいと思います(まぁ年功序列ということで…)

この2つの部分が「悪い意味で」日本人的と呼ばれる部分です。言い換えれば「~らしく」との曖昧な言辞のことです。
 丸山眞男や南原繁などの著作、そして吉野三郎の『君たちはどう生きるか』などの書物をお読みになったことがおありかと存じますが、これらの中には「自分らしく」「一人の社会的存在として相応しい」などの言葉がしばしば記されていることにお気付きになっていらっしゃるでしょうか。これらの文章では「必ず筆者が定義する」との条件の下で「~らしく」が使われています。
 自らの目で物事を見て、自らの頭で考えて判断できない人間は極端な表現をするならば「思考停止」状態にあるともいえます。近代以前の社会が王と臣民の関係で説明され、王の命令は絶対的なモノでありそれに疑いを持ったり異義を唱える者が異端視される社会であったのに対し、近代以後は「疑う」ことから始まります。それが果たして本当に正しいのか(正しいとの言葉も観念的であり、僕は余り使いませんが)との問いかけです。
 「若者らしく」の中身には何でしょう。また「学生らしく」の中身は何でしょうか。その定義は人によって異なります。ですから「試験でどれを書けば良いのかわからない」などの学校秀才的な質問になってしまう。言葉としてはキツイかもしれませんが、質問者は恐らくこの学校秀才の典型だとも思われます。学生の意見だとしても、それが理路整然として筋がとおっていれば、むしろそれにイチャモンをつける老人の方が理不尽であることも明白でしょう。それならば恥じることなどありません。むしろ自分の意見をキチンと言える人物の方がどれほど立派でしょう。その作文を読む側としては「この受験者は課題をどの様に理解しているのか」が質問者のスタンスからは伝わってこない。だから「学校秀才的」で当たり障りのない答を欲しがる狡さが感じられる。試験官が面接の時に「作文」の話を持ち出して「君はどう考えるの?」と尋ねてきたら質問者は応えることができるでしょうか。
 「判断の基準」は年齢などではありません。そのことだけは忘れて欲しくないと思います。また、若者独特の「若いからいいんだ!」っていう開き直った考え方が、すごく気持ち悪い、これも質問者が自分で観た以外の若者を知らずに独断で決めつけているにすぎません。
 昨年の震災でいち早く被災地に入ったのは他ならぬ大学生達でした。どこにでもいる茶髪にピアスの若者達です。でも彼らには肩肘張った「俺たちはやっている」などの姿はどこにもない。自然な形で「自分達にできることがあれば手伝うよ」と集まっただけです。こうした光景はそれ以前からもありました。自然災害や大事故の現場に駆けつけるのは若者達だったことも少なくない。そのことをお忘れですか?。勤めを持っている社会人は仕事のスケジュールなどで現場に行くこともままならなかったから「自らが出来る方法で」支援活動に取り組んだだけです。「自分にできることで人の役に立てれば」との志さえあればそこに違いはありません。こうした人々の後ろ姿に「開き直った」などの言葉を使うことなど僕にはできません。「出来るところまでやる、だから後は任せる」と言葉が呼び起こす連鎖反応を感じます。そうした意味から言えば、共に公共の中に生きているのですから「社会的存在(Public)」と呼ぶ方が相応しいでしょう。むしろ「社会人」などというのはそれこそ「日本の中でしか通用しない」不思議な言葉であるともいえます。
 就職試験の作文で「試験官を喜ばせようとする」作文を書いたならば、間違いなく不合格になるとのことだけはアドバイスできます(僕は院試の試験監督経験もあり、また企業の採用担当部署の経験もあります)。心にもないことを書けばそれを試験官は瞬時に見抜きます。
 そして「主に社会人というと正社員ということも指す」この定義も何処から導き出したのでしょう。社会の中にはNGOやNPOといった「企業ではない組織」もあり、そこで事業活動に従事する人の数も増えつつあります。そして現在の雇用状況や統計からも正規雇用が全体に占める割合がどれくらいからがわかるはずです。
 その非正規雇用者に対してこれまでの政治は為す術もなかった。むしろ経産省や厚労省の不作為行為が招いた結果でもあり、「同一労働、同一賃金」を目指しての様々な努力と工夫を企業自らが知恵を絞って実行し、それに行政がのこのこと後追いした形で「この様に実現しました」などと厚顔無恥に自慢する。そうした狡い大人に質問者はなりたいのでしょうか。
 質問者には吉野三郎の『君たちはどう生きるか』とサミュエル・ウルマンの『青春という名の詩』を読むことをお勧めします。

投稿日時 - 2012-08-29 23:08:38

お礼

決めつけですか…。
私が考えてることをありのまま述べたまでであり、
あなたに決めつけと言われる筋合いはございません…。

被災地に行くから偉い、偉くないとでもおっしゃりたいのですか?
まるでボランティアに参加しなかった人を人間と認めないような口ぶりだったので。
私はボランティアに行く人を決して軽蔑などはしませんが尊敬もしていません。
そもそも尊敬されるべきことが彼らの仕事じゃないのだから私に関心を持たれる必要もありませんよね。

きっとTANUHACHIさんはそういった回答が理想で好みなのでしょう。私は書きませんが。

試験官を喜ばそうとする回答は落ちるとは全く新しいご意見ですね。
私は自分の思ったこと書いて小論文として提出すると、教師に怒られた経験しかないので、
大人に気に入られるために建前で固めた文章を書かなければならないことを中高で学んだんですけどね。
テーマに沿ってりゃあ何書いてもいいわけじゃないことくらい知ってますよ。
今まで大人から言われてきたことと全く逆のことを言われて非常に動揺しております。

丁寧にご教示いただきありがとうございました。

投稿日時 - 2012-09-04 17:04:13

ANo.5

 他の方からは「学生」に対してのいささか古風で嫌悪感にも近い一方的な意見が滲み出ている様に感じられましたので、少しばかり補足させていただきます。
 どちらかといえば日本人は情緒的に流される傾向が強くあるともいえます。それも多くは古い世代に属する方々からの「経験」に基づいた一方的な思い込みであるともいえます。けれどもその方々も若かりし頃にはそれこそ「青雲の志」を抱かれた記憶がおありでしょう。、一杯のコーヒーを注文し、一つの話題を巡り、それこそ煙草の灰が落ちるのも忘れて激論に花を咲かせた記憶も少なからずあるはずです。そうした自身の足跡を単に「若気の至り」と揶揄するのが、僕のいう「典型的な日本人」の姿です。「大人になる」ことがある意味での狡さや処世術を身に着けたり憶えたりすることと同義であるならば、それは海外の人達、殊にヨーロッパの若者達や社会の中心を担う世代からは間違いなく「相手にはされない」でしょう。「ではあなたはこの問題に対してどの様な意見をもっているの?」と問い掛けられるのが、日常生活の中でもごく普通のことであり、自らの意見を持つことが大人の条件だからです。
 こうしたことを口にしたり文章にしたりしますと、必ず次の様な意見が寄せられるのも日本的特質といえます。曰く「金も稼いでいないくせに文句を言うんじゃねえよ」などの頭ごなしな意見です。結果としての「金を稼ぐこと」と「仕事を通じて誰かに感謝される」ことでは何処が異なるのでしょうか。労働の代価としての報酬を得ることと、その「労働自体が意味するモノ」をそのまま比較することに無理はありますが、少なくとも何れが優位であるのかとの議論は成り立ちません。ということは「お金を稼ぐこと」が社会人であるとの証拠にもならないということになります。
 もし生産効率のみを判断の基準とするならば、製品のコンセプトや顧客相談室の仕事に従事する正社員は無能な社員となってしまいかねません。顧客相談室に寄せられる様々な意見や反響は製品の改良にもつながり、そうした黒衣役の働きがあって、初めて企業は社会からの信頼を受けることになるとはお考えになりませんか?。
 ですから社会人としても「青臭い書生論」があってもいい、むそろそうした部分を自らが見失ってはいないかと常に振り返るだけの度量のある人物だけが本質的な意味で「大人」と呼ぶに相応しいと僕は思います。
 僕自身も大学院に社会人枠で入学し修士・博士の両課程を終えた後に、勤務先からの承諾を得る形で学窓で学生達と接する時間を持っています。そうした中で感じることとして、物事を判断する基準として「全てを一度ゼロベースに戻して検証してみる」「早急に答を求めようとしない」の2つのポイントを挙げます。
 大学生活の中で学ばれているとは思いますが、「絶対」は近代以後にはありません。社会科学でも自然科学でもあるいは哲学でも「絶対」との設定を行った瞬間に、絶え間なき真理なき探求への旅はその歩みを止めることとなります。これに対し「常にアクティブである」のが「相対」のスタンスであるともいえます。
 広辞苑の説明から(1)の説明が中心であり、(2)は一般に使うならば、とのニュアンスが強く働いているともいえます。ここに示されている語としての「社会人」は「社会的責任を負う立場にある者」の意味であり、それは日本国憲法に規定されている「参政権を有する者」と同義でもある。逆に言えば「参政権を行使しない者」は社会人としての責任を果たしていないともいえます。こうした点でいえば、僕は18歳以上の日本国民に参政権(投票権)を与えるのが筋だと思う。そうなれば高校までに学んだ社会科の知識や大学で学ぶ「かくあるべし」との青臭い書生論も大手を振って歩くことができることとなりますから。長いものに巻かれろ、それが賢い(=狡賢い)生き方だ、などの固定的な諦観に僕は疑問を感じます。
 因みに最澄は『山家学生式(=さんけがくしょうしき)』の中で「リーダーの条件」として「比叡山で得度(出家)した者」「12年間山を下りずに籠山修行に専念させ、修行の終わった者」だけを挙げています。そこに社会的ステータスだの階級などの要件を求めている痕跡などは微塵もありません。

投稿日時 - 2012-08-28 00:54:13

お礼

また違った見解の回答をいただけてうれしいです。
確かに若者は新しい発想を求められるかもしれませんが
典型的な日本人になるかどうかは自分で決めます。
学生から社会人になったときに一人前の大人として意見を聞いてもらえる、それでいいと思っています
むしろ学生のくせに「俺の話を聞け」と言う方が厚かましいと思います(まぁ年功序列ということで…)

参政権のくだりはとても賛成します。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2012-08-29 13:34:24

ANo.4

 大学生の殆どがアルバイト経験のある現在、そうした形がビジネスとして成立していった事例もあります。例えば情報産業の「ぴあ」はその先駆的な形態であるともいえます。映画好きな若者が集まって、ここでオモシロイ映画やってるよ、などの口コミをベースにして出来上がったのが情報誌としての「ぴあ」の出発でした。
 それがやがてコンピュータを駆使した「チケット販売」へと進化し、遂には2002年の日韓共催ワールドカップのチケット販売を手掛けるまでに至ります。元々は国内の組織委員会がこうしたチケット販売のノウハウを持ち合わせない老人達ばかりでしたので、どうしてもフットワークの悪さが目立ち、実際に開幕してからもチケット販売の方法を確立できないなどの不手際が目立ち、彼らにしてみれば色物・際物に映っていたチケット販売のノウハウを持つ若い可能性に屈した瞬間でした。
 学生と社会人の違い、と一口にいっても、社会人でありながら大学に通ってスキルアップを目指す方々もいれば、学生でありながらビジネスを起業する方もいます。でも何れに共通する部分として「自らの夢に対しての挑戦」であることには変わりはないと僕は思います。
 言葉を枠の中に押し込めて殺してしまうことほど野蛮な行為も他にはないでしょう。一般的に辞書には囚われず、ご自身の言葉でご自身の辞書を創っていくことも若者の特権の一つです。

投稿日時 - 2012-08-27 19:30:50

お礼

辞書で引かずに社会人の意味も履き違えて作文書いたらダメだと思いますが、
企業が求めてるのは自由な発想だろうし迷うところですね。

私は若者独特の「若いからいいんだ!」っていう開き直った考え方が
すごく気持ち悪いと思います。。。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2012-08-29 13:40:13

ANo.2

 学生の間は「学割」といって、社会の保護の下にあります。そのような保護がなくなり一本立ちできるようになったら「社会人」になります。

投稿日時 - 2012-08-26 23:47:14

お礼

学生は実社会で活動していないのかかどうかが知りたかったので、質問の趣旨と違います。
この質問のタイトルを「社会人と学生の違い」にした私が悪いです。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2012-08-27 15:20:43

>学生は「実社会で活動する人」ではないのでしょうか?

ちがいます。
大学は実社会ではありません。象牙の塔といって学問の府です。
真理を追求する理想の世界です。学生はそこで人間としての社会的義務を猶予されます。

実社会は理想が通用しない弱肉強食の世界です。

投稿日時 - 2012-08-26 22:42:19

お礼

はっはぁなるほど~。かなり違いますね。
このことを理解して書くのと理解せずかくのじゃ小論文の出来に差ができそうですね。
良いこと聞きました。
教えていただいて良かったです。
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2012-08-27 15:15:25

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