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日本と中国の戦争の歴史について

昨今、日中関係がひどい状態ですが、お互い主張があると思います。

さて、人類史上、日本と中国は最初に戦いをふっかけたのはどっちでしょうか?

歴史の授業で習った元寇というものがあったと思いますが、それより先に日本が仕掛けたとか
ありますか?

さっこん柳条湖事件から日本の侵略がはじまったようなとらわれ方をマスコミが報道していますが
調べていたらこれより先、長崎事件で中国が先に仕掛けたというのを見つけました。

長崎事件について日本史で覚えた記憶がない・・・。(もともと近現代史は苦手ですが・・)

実際どうなんでしょうか?

投稿日時 - 2012-09-29 18:37:58

QNo.7723409

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

最初の戦いは白村江の戦いですが、後に天智天皇となる中大兄皇子が百済救済にのめりこんじゃったのでその敗戦の影響により後に壬申の乱も招いてしまうわけです。
で、問題はなんで中大兄皇子がそこまで百済にのめりこんじゃったんだろう、その、なんというか、ああ、おっさんなのでもう止められません、百済だけにくだらない・・・
閑話休題。まあなぜそこまでの出兵をしたのかが古代史の謎のひとつでもあるわけですよ。なにしろ「攻めた」のか「助けに行った」のかも判然としないところがありますから。
ですがね、もし百済が「本家」で、倭国が「分家」なら、「すわ本家の危急存亡の秋」となればのめりこむのもつじつまが合います。ついでに、こういった騒動のときは「だからいくら本家筋とはいったってウチだって分家とはいえもう独立してやっているんだから、そこまで助けることはない」って意見も出てくるのは当然で、それで大敗北となれば政争がおきたこともつじつまが合います。
ただし、この説はうっかり口にすると右回りの人たちが大激怒するので、千代田区界隈では口にはできません。

ああいう出来事があると日本人は「中国が攻めてくる!」って言い出すのですが、中華四千年(自称だけど実際はもっと古いかもしれない)の歴史上、大陸国家が日本に攻めてきたのは元寇のときだけです。元はモンゴル民族国家なわけですから、そういう意味で中国人が日本に攻めてきたことはありません。
だいたい中国から見たら日本は国土は1/25しかない上に欲しくなるような資源はなにもないところです(黄金の国なんていったところで戦国末期にはほとんど枯渇していました)。中国人からすると朝鮮・倭民族は「東夷」すなわちエビスつまり野蛮人の住む土地です。攻めてくるなんて騒ぐのは、すげーブスのくせに「いやーん、モテちゃったらどーしよー」っていっているようなもので、「自意識過剰」といわれるのがオチです。
日清戦争から先は、どっちが先に仕掛けたかは別にして、とりあえず戦場となっているのは中国大陸ですね。日清戦争の清朝軍から人民解放軍に至るまで、およそ近代(現代)軍とはいえないような組織ですからね。第二次大戦のときはアメリカは蒋介石の国民党軍を支援していた(実はナチスドイツも三国同盟成立までは蒋介石を支援していました)のですが、武器弾薬を供与すると、それを横流し(いったいどこに横流ししたんでしょうね。どう考えても毛沢東軍としか思えないのですが)してしまうので、米軍のスティルウェル将軍は「アイツらに任せると全部横流しする!」と大激怒していたほどです。戦争しているのに、戦いに勝つことより自分の金儲け優先なんですから恐れ入るしかありませんね。

投稿日時 - 2012-09-30 01:27:29

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回答(6)

 長崎事件は、いろいろな大変不幸な事件でした。

 戦争中でないときでも、兵士は命令には絶対服従で死ぬことが当たり前とされます。事件当時は、いつそうなるか分からない時代であり、情勢でした。

 当然、命のあるうちに生きていることを享受する傾向が強くなります。戦争中ともなると、いかに美化されても、実際には戦争では仕方ないとされる徴発以外に、兵士の個人的な略奪も暴行もあります。

 まとまった数の兵士集団では、当時としては平時でも、完全な統御はできません。

 とは言え、無辜の市民側も、いわれなき狼藉を受ける謂れはありません。

 当然、警戒心は相互にあり、事件があれば相互に憎悪も発生します。

 長崎事件が不幸な事件であるのは、日清両国が官民挙げてヒートアップしてしまったことです。その背景には、戦争をして勝てば、巨大な利益があるということがあります(このため賠償金が取れなかった日露戦争では、国民の戦勝気分が一転して、激怒となった)。

 戦後の日本は軍事でない方法での繁栄を経験して学びましたが、当時はそんなことは分からないし、工業技術などを考えても、軍事抜きでは難しかったという事情はあります。

 それでも、長崎事件の処理を含め、どこかで流れを断てば、紛争はあったかもしれませんが、日清戦争という大戦争はなかったかもしれません。そうなれば、大勢の犠牲を出した日露戦争も。と、「もしも」を言っても仕方ないのですが。

 それでも、そういう経緯に学ぶなら、無暗に憎悪に酔うのは、どうしても最悪の選択をしがちで、やがては破滅に至るということを、充分に念頭に置いておかなければなりません。

投稿日時 - 2012-09-29 21:40:02

ANo.4

「新羅の入寇」「刀伊の入寇」「応永の外寇」「尼港事件」「万宝山事件」「中村大尉殺害事件」「南京事件 (1913年) 」「南京事件 (1927年) 」「通州事件」「漢口事件」「済南事件」「通化事件」

この中で知っている事件がひとつでもありますか?

投稿日時 - 2012-09-29 20:43:44

補足

上記の事件をとってみても、教科書で習った記憶はないですね・・・

私が知らないだけでならっているのかな?

投稿日時 - 2012-09-29 21:05:52

お礼

南京事件 (1927年) と済南事件は知っているというか、聞いたことはあります。

投稿日時 - 2012-09-29 20:53:43

ANo.3

記述では白村江の戦いですかね…
あれは日本からしかけたという話ですが 向こうから攻めてきたみたいです
防人はそのために作られましたね

投稿日時 - 2012-09-29 19:46:53

お礼

そうなんですね。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2012-09-29 20:54:24

 663年の白村江の戦いがありますね。旧百済の要請に応じた日本が朝鮮半島へ進攻、日本と百済遺民連合軍が、唐と新羅の連合軍と戦っています。日本の敗戦となりました。

 これ以前に、任那日本府と呼ばれる勢力圏に日本が深く関与していたようですが、その実態には諸説あり、大規模な戦闘行為があったかどうかもはっきりしません。

 やはり、はっきりしているのは白村江の戦いではないかと思います。この頃には、既に戦争を行える程度の海外派兵能力があったということですね。

 白村江の戦いは、一応は日本側の進攻ですから、日本が仕掛けたと言えなくもないですが、朝鮮半島の複雑な事情と、背後の中国の唐王朝の意図もあり、単純な判定は難しそうです。

 近代としての明治維新以降ですと、昭和以降の日本の軍事を含む対外政策は、個人的にはあまり評価していません。明治期の諸外国に追いつくことに必死だったころのシビアな情勢判断が、軍事大国化した昭和期の日本には感じられないということが、理由の一つになるでしょうか。慢心があったのだと思います。

 それでも、どちらがということになると、非常に迷いがあり、どちらかということは未だに私は分かりません。帝国主義が廃れつつも、なお常識であった時代ですから。帝国主義が廃れつつあったように見えるのは、先んじた先進大国が取れるだけの植民地を取ってしまったからかもしれませんし。遅れて発展してきた国に対する、先行した国の態度としては、そうなってもおかしくはないわけです。

 これで敗戦し、おごり高ぶるのを懲りたはずの日本は、バブル経済では過去の反省を忘れてしまったようでした。それで今度は経済で痛い目に遭い、今も影響が色濃く残っています。

投稿日時 - 2012-09-29 19:17:16

お礼

ありがとうございます。

百済の救援ということになっているようですが、進攻ともとるれんですかね・・・

ちなみに長崎事件の直近で日本から仕掛けたというのはありますか?

いわゆるこちらが何かしたから清が長崎事件を起こしたとか?

投稿日時 - 2012-09-29 20:49:48

ANo.1

そもそも日本と中華人民共和国が戦争をした歴史はありません。

元寇も日清戦争も柳条湖事件も、当時大陸にあったのは、それぞれ別の国でしたよね。

中国の閣僚が日本に「敗戦国のくせにガタガタ言うんじゃねぇ」みたいな発言をしましたが、どうやったら建国前の国と戦って負けられるんでしょうねw
日本が戦ったのは蒋介石の中華民國政府ですから。

投稿日時 - 2012-09-29 19:04:36

お礼

まあまあ、厳密にいえばそうですが、
清なども含め、過去の中国大陸のことのことと考えてください。

投稿日時 - 2012-09-29 19:23:23

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