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解決済みの質問

タゴールの詩の和訳

 日本語を勉強中の中国人です。タゴールの「I leave no trace of wings in the air,but I am glad I have had my flight」という詩を日本語に訳してみたいのですが、アドバイスをいただけないでしょうか。

 「空に跡が残っていないけれど、私がすでに飛びきっていた」はいかがでしょうか。訳文にするときに、英語と違ってストレートに「glad」と表現したくなくて、雰囲気を醸し出すだけに留めたいと思います。私の訳文を下記のように変えると、ニュアンスはどのように変化するのか教えていただけないでしょうか。

1.「飛び去っていった」ならむなしい感じがしますね。そのむなしさを消すために、「飛び去っていく」を「飛び切る」に変えました。「飛び切る」の部分にほかの言葉もあるでしょうか。「飛び通す」、「飛び尽くす」などありますか。でも、この二つは力を入れすぎた感じもします。

2.「飛びきっていた」を「飛びきった」と「飛びきっている」に変えたあとのニュアンス。

3.「空に」を「空には」に変えたあとのニュアンス。

4.「空に跡が残っていないけれど」を「空に跡が残っていなかったけれど」に変えたあとのニュアンス。

5.「空に跡が残っていないけれど」を「空に跡が残っていないが」に変えたあとのニュアンス。

6.「すでに」を「もう」に変えたあとのニュアンス。

7.「私が」を「私は」に変えたあとのニュアンス。。

 質問が多すぎて申し訳ありません。また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2013-03-07 12:18:44

QNo.7980819

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

1.「飛び去っていった」ならむなしい感じがしますね。そのむなしさを消すために、「飛び去っていく」を「飛び切る」に変えました。「飛び切る」の部分にほかの言葉もあるでしょうか。「飛び通す」、「飛び尽くす」などありますか。でも、この二つは力を入れすぎた感じもします。

英語は詳しくありませんが、I have had my flight は「飛ぶという状態が(終了ではなく)完了している」という意味に解釈して、「わたしはたしかに(すでに)飛んでいる」のように捉えたいと思います。
全体的には、
「航跡こそ残していないが、わたしはたしかに大空を飛んでいる!」と訳してみました。

2.「飛びきっていた」を「飛びきった」と「飛びきっている」に変えたあとのニュアンス。

「飛びきっていた」は「飛ぶという行為を終わった状態であった」という意味。
「飛びきった」は「飛ぶという行為を終えた」という意味。
「飛びきっている」は「飛ぶという行為を終える、という体験をした」という意味。

3.「空に」を「空には」に変えたあとのニュアンス。

特にとりたてる気持ちを表す係助詞「は」が加わっています。
「空に」という場所を強調しているニュアンスです。
しかし、この文脈で強調したいのは「空に」ではなく、むしろ「跡が残っていない」という内容のほうです。
つまり、「空には」よりも「空に」のほうが適しているでしょう。

4.「空に跡が残っていないけれど」を「空に跡が残っていなかったけれど」に変えたあとのニュアンス。

まず、この構文では、「跡が」は不自然な表現になってしまいます。
3の記述もご参照の上、「空に跡は残っていなかったけれど」とすると自然になります。

5.「空に跡が残っていないけれど」を「空に跡が残っていないが」に変えたあとのニュアンス。

4の理由により、
「空に跡は残っていないけれど」と「空に跡は残っていないが」を比較してお答えします。
どちらも逆接関係を表わしますが、後者は端的な表現、前者は良く言えば丁寧、悪く言えば緩慢な表現、ということになります。
因みに「けれど」は砕けた表現で、正式には「けれども」となります。

6.「すでに」を「もう」に変えたあとのニュアンス。

前者は「飛びきるという行為が早くも終わっていた」というニュアンスですが、後者は「飛びきるという行為に移行していた」といったニュアンスになると思います。
後者の場合、「それまでの状態から変化していること」に着目した表現であるように感じます。

7.「私が」を「私は」に変えたあとのニュアンス。

今回の場合、「私がすでに飛びきっていた」は不自然な表現で、「私はすでに飛びきっていた」とするのが自然です。
前者は「飛びきっていたのは私である」というニュアンス。
後者は「私の状態について話してみれば、飛びきっていた」というニュアンスです。
  

投稿日時 - 2013-03-07 16:34:00

補足

>英語は詳しくありませんが、I have had my flight は「飛ぶという状態が(終了ではなく)完了している」という意味に解釈して、「わたしはたしかに(すでに)飛んでいる」のように捉えたいと思います。
全体的には、
「航跡こそ残していないが、わたしはたしかに大空を飛んでいる!」と訳してみました。

最近、身内の者が亡くなりました。
それがきっかけに、タゴールのこの句のことを思い出しました。
いまはとても悲しいです。

死んだ人はもうこの世にはいません。
I leave no trace of wings in the airという部分にあたると思います。

でも、この句のことを思い出すと、一生懸命最後まで生きてきたんだ、それなりの人生も生きていたんだって思うようになり、心の悲しみが緩和されます。
元の英語文より、中国語訳のほうが好きです。
中国語訳は「空に跡が残っていないけれど、私がすでに飛びきっていた」のような感じです。
日本語が下手で、まだそのニュアンスを出すことができません。

「飛び切る」と「飛び通す」と「飛び尽くす」のそれぞれの意味を教えていただけないでしょうか。
「飛び切る」で「風を切って颯爽に最後まで飛んだ」という意味を表したいです。
最後までがんばって生きたという意味を表したいと思います。
「飛び去っていた」なら、むなしく世から消えたという意味でしょうか。
もともとは「飛び去っていた」にしていますが、むなしい感じがするので、変えました。

死んだ人とは同じ世でもう二度と会うことができなくなりました。
でも、確かに死んだ人はがんばってこの世を生きていたのようなニュアンス。
「飛過」の適切な日本語表現を探したいと思います。
「飛び過ごした」、「飛び過ぎた」とかあるでしょうか。

>3の記述もご参照の上、「空に跡は残っていなかったけれど」とすると自然になります。

「が」が不自然で「は」が自然の理由はよく理解できません。
「は」にした私なりの解釈は航跡は残っていないが、ほかの何かのものは残っているというニュアンスです。
あっているでしょうか
>前者は「飛びきるという行為が早くも終わっていた」というニュアンスですが、後者は「飛びきるという行為に移行していた」といったニュアンスになると思います。
後者の場合、「それまでの状態から変化していること」に着目した表現であるように感じます。

すみません、これは良く理解できません。
わたしはただ「すでに」を書き言葉と、「もう」を「話し言葉」だと捉えています。
もっと深い両者の意味の違いが知りたいと思います。

いつも文章を整理しながら補足を書いていますが、今回整理はしていません。
たぶん混乱です。
このままの状態で補足させていただきました。
申し訳ありません。
わかりにくいところがありましたら、聞いてくださるようにお願いいたします。

投稿日時 - 2013-03-07 22:20:15

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。乱筆ながら大変失礼いたしました。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願い申し上げます。

投稿日時 - 2013-03-07 22:31:51

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回答(13)

ANo.13

#12です。

> 余談ですが、神様に怒られるかもしれませんが、私は天国というものは存在しないと思いますよ^^。人が死んだら、もうこの世から姿をすっかり消してなくなりました。星になるのはたんに生きている人間を慰めるためのものだけです。人が死んだら、ストーブに投入され、灰に焼却されます。もういないです。

とても論理的な認識です。^^
でも天国が存在しないと、天使が羽を休める場所が無くなってしまいかわいそうですね。ー_ー

>「飛び○○」という形の新しい案です。ご検討をお願いいたします。

1.「空に跡は残っていないけれど、私はすでにさっと飛び超えた。」
2.「空に跡は残っていないけれど、私はすでにさっと飛びぬけていった。」

「さっと」は、「素早く・手早く」という意味なので「飛ぶ」という行為に対する価値が減少してしまいます。
今回の構文の場合、「飛び越える」「飛び抜ける」対象は「空」になります。
「空」に対してこれらの表現はそぐわないように思います。
どうしても「飛び○○」という形にしたければ、「飛び切った」が一番良いでしょう。
また、「すでに」と結果的に同じ意味になりますが、「たしかに」のほうが「飛び切った」という感触を噛みしめつつ振り返っているニュアンスが強くなるため、適していると思います。
「すでに」の場合、「飛ぶ」という行為が早くも終わった、というニュアンスになります。
つまり、終了点に着目しているため、飛んでいた期間の内容については軽んじられている印象を与えるでしょう。
「空に跡は残っていないけれど、私はたしかに飛び切った。」
「航跡こそ残しはしなかったが、私はたしかにこの空を飛び切った。」
などであれば、まあまあ良いのではないか、という気がします。
  

投稿日時 - 2013-03-10 13:55:14

お礼

>でも天国が存在しないと、天使が羽を休める場所が無くなってしまいかわいそうですね。ー_ー

はい(ー_ー)。

 何度もご親切に教えていただき誠にありがとうございました。「空に跡は残っていないけれど、私はたしかに飛び切った」にさせていただきます。
 もう一度ご回答くださったたくさんの方々にも心から厚くお礼申し上げます。皆様のおかげで、この件はようやく無事に決着いたしました。

投稿日時 - 2013-03-10 14:39:12

ANo.12

#11です。

>「空」をこの世にたとえて理解しているので、「飛ぶ」ことを生きることにたとえて言ったほうがセットになっていて、しっくりくるような気がします。

「空」は天(天国)に通じます。
そして、この世に生きているわたしたちが見上げる対象でしょう。
亡くなった方は、天に向かって飛び立ち、遥か永遠の彼方である「あの世」に向かう、というイメージです。
そして、空の星になったり天使になったりします。^^
空の果ては、あくまで不明であり、永遠の遥か彼方にある、という認識が強いように思うわけです。
それに対して「飛び切る」「最後まで飛ぶ」という概念を適用すると不自然になるような気がします。

「歌い切る」は歌い始めたときが出発点で歌い終えたときが終着点です。
「使い切る」は使い始めたときが出発点で使い終わったときが終着点です。
「生き切る」は誕生が出発点で死が終着点です。
しかし、「(空を)飛び切る」の場合、終着点が不明なので、違和感の残る表現になるでしょう。
つまり、「空を飛び切った(飛び終わった)」のであれば、「飛び終わった地点」が明確になっている必要があると思います。
しかし、現実問題として、「空の果て」は未解明です。
よって、「空を飛び切る」を「人生を生き切る」の比喩として使うには、若干無理があるように感じるわけです。

ただ、「空を飛ぶように、自由に、そして十分にこの世を生き切った」という意図であれば違和感はありません。
「空を飛ぶように自由に、思う存分に生きる」という比喩は適切だと思います。
しかし、これはあくまで「生きざま(生き方)」の比喩です。
必ずしも「空という場所」まで「生きる場所としての人生」の比喩だと決め付ける必要はありません。
タゴールの詩の内容と、今回のご経験を無理に関連付けようとしないほうが自然な文ができるように思うわけです。

>「すでに」で「(飛び切るという動作が)早くも終わった」というニュアンスを作りたいです。亡くなった人は「早くも亡くなったよ」と自分に言い聞かせ、もう過去にひたすら浸らないでくださいと自分に一喝したいと思います。

「早くも亡くなった」という意図であれば、「何の制約もない、広々とした天空の永遠の彼方にすでに飛び立った」といった表現が思い浮かびます。
「去った」ではなく、「立った」であれば、虚しさは薄まるでしょう。
ただ、この場合は、「それまでの人生を十分に生き切った」という意図にはなりません。
「すでに飛び立った」は新たな出立を意味します。
「すでに飛び切った」はそれまでの経験を意味します。
これらの意図を同時に表現するのは無理だと思われます。
最終形の、
「空に跡は残っていないけれど、私はすでに飛びきっている」や、「空に跡は残っていないけれど、私はすでに飛びきっていた」
などが、間違った表現というわけではありません。
淡雪さんのお好きな表現をなさるのが一番良いと思います。
  

投稿日時 - 2013-03-09 23:25:12

補足

「飛び○○」という形の新しい案です。ご検討をお願いいたします。

1.「空に跡は残っていないけれど、私はすでにさっと飛び超えた。」
2.「空に跡は残っていないけれど、私はすでにさっと飛びぬけていった。」

投稿日時 - 2013-03-09 23:44:36

お礼

 何度もご親切に教えていただきありがとうございます。よくわかりました。
 余談ですが、神様に怒られるかもしれませんが、私は天国というものは存在しないと思いますよ^^。人が死んだら、もうこの世から姿をすっかり消してなくなりました。星になるのはたんに生きている人間を慰めるためのものだけです。人が死んだら、ストーブに投入され、灰に焼却されます。もういないです。

投稿日時 - 2013-03-09 23:53:18

ANo.11

#10です。

>「私はすでに飛びきっている」と「私はすでに飛びきっていた」の違いは何でしょうか。

「私はすでに飛び切っっていた」は過去形なわけですが、「飛び切ったという状態に私はあった」といった意味。
「飛び切った」という過去の事実に関して客観的に述べている、というニュアンスになります。
「私はすでに飛び切っっている」は、過去形と内容は同じですが、飛び切ったこと自体について言及している、というニュアンスになります。
過去の事実に関して述べるというよりは、そうした(=飛び切るという)事実自体について言及している、というニュアンスになります。

以下は蛇足です。

「空に跡は残っていないけれど、私はすでに飛びきっている」
「空に跡は残っていないけれど、私はすでに飛びきっていた」

いずれの表現も、あまりお勧めできません。
「飛び切る」という言葉、あるいは、「飛び終える」という意図自体が、このシチュエーションには相応しくないと思うからです。
淡雪さんとしては、どうしても「飛び切る」「飛び終わる」のような意図を使いたいようなので、(相応しくない)理由を説明することはやめておきますが。(理由をお聞きになりたければ、その旨、補足なさってください)
いずれにせよ、「すでに」は適切とは言えません。
良い意味にせよ悪い意味にせよ、「(飛び切るという動作が)早くも終わった」というニュアンスが伴うからです。
せめて、
「空に跡は残っていないけれど、私は十分に飛びきった」
などのようにするほうが良いとわたしは思います。
  

投稿日時 - 2013-03-09 21:02:57

補足

>淡雪さんとしては、どうしても「飛び切る」「飛び終わる」のような意図を使いたいようなので、(相応しくない)理由を説明することはやめておきますが。(理由をお聞きになりたければ、その旨、補足なさってください)

どうしても知りたいと思います。
ご遠慮なくご意見を発表なさってください。
よろしくお願い申し上げます。

投稿日時 - 2013-03-09 22:28:17

お礼

 度々ありがとうございます。「すでに」で「(飛び切るという動作が)早くも終わった」というニュアンスを作りたいです。亡くなった人は「早くも亡くなったよ」と自分に言い聞かせ、もう過去にひたすら浸らないでくださいと自分に一喝したいと思います。

投稿日時 - 2013-03-09 22:36:23

ANo.10

#7です。

(「空に跡は残っていないけれど、私はもう飛びきった」)

1.「空に跡は残っていないけれど」と「空に跡は残っていなかったけれど」のニュアンスの違い。

前者は、飛び切った後の述懐、というニュアンス。
後者は、飛んでいる間に振り返って確認したら、跡は残っていなかった、というニュアンスになります。
今回のシチュエーションであれば前者のほうが適していそうですね。

2.「私はもう飛びきった」と「私はもう飛びきっていた」のニュアンスの違い。

前者は、完了なので、飛び切ったすぐ後の述懐、というニュアンスです。
後者の「ていた(ている)」は、「~という状態であること」を表わす用法になると思います。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=0&dname=0ss&index=101304500000
の、[3]ー(ウ)です。
・母親によく似ている。
・日本は海に囲まれている。
などの例文が挙がっています。
「飛び切ったという状態にわたしはあった」といった意味。
「飛び切った自分」を客観的に振り返っているニュアンスになるでしょう。
  

投稿日時 - 2013-03-09 17:36:20

補足

最終的に「空に跡は残っていないけれど、私はすでに飛びきっている」にしたいと思いますが、もう少しニュアンスをお聞かせください。

「私はすでに飛びきっている」と「私はすでに飛びきっていた」の違いは何でしょうか。

投稿日時 - 2013-03-09 19:00:44

お礼

度々ありがとうございます。最後のニュアンスの確認をお願いいたします。

投稿日時 - 2013-03-09 19:03:12

ANo.9

「タゴール氏の意図を深く追求するつもりはありません」とのことですが、
それは承知しています。
それ故に2回目(No.6)の回答をしました。
タゴール氏の意図を論ぜよとは言っていません。
質問が解釈問題ではなく訳の問題にも関わらず、解釈を論じる必要があるならば、
作者の意図を示す根拠を提示すべきと言っています。

詩の解釈は読み手の自由ですから、他人が“解釈”を提示することを苦々しく思ったのです。
加えて、今回の質問は明らかに解釈を求めているのではなく、原詩を提示したうえで日本語表現の感性の質問です。
既存の作品を踏み台にしての日本語訳が質問の主旨ですから、原詩の語句を日本語でどう訳すかが出発点です。その上で自らの解釈で自分の語句で綴ることになります。
その観点で回答しました。
他人が詩としての解釈に立ち入ることに不快を感じた次第です。
===================================
貴補足質問のこと:
  -------------------------------
「~、あのとき飛んだことが嬉しい」は、
英語版の翻訳という点では I am glad は無視できないと言う主旨で挙げたものです。
お薦めしているのではありません。
何れにしても、故人を主語にすれば成り立ちますが、
残された人が故人を想う詩句として詠む場合は使いにくいですね。
  -------------------------------
私は飛びきった。・・・明快な表現、爽やかな印象。
    達成感:あり。
私は飛びきれた。・・・飛ぶ過程での努力や苦労が感じられる。
    達成感:やっとできた という印象。故人を偲ぶには熟慮を要す表現。
  -------------------------------
貴案に準じると、
ご逝去の当時を想う場合、
 「空に跡が残っていないけれど、私はすでに飛びきっていた」
      ⇒ 飛びきって、かつその状態にあった(その当時)。
日月経過後、
 「空に跡が残っていないけれど、私はすでに飛びきっている」
      ⇒ 飛びきった、かつその状態が続いている(現在に至るまで)。

・私が 私は :他の方の説明参照下さい。

投稿日時 - 2013-03-09 17:31:28

お礼

 度々ありがとうございます。日本語が下手で、No.6の意味を間違えて大変申し訳ありませんでした。理解できるようになりました。何度もご親切に教えていただき本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2013-03-09 18:53:30

ANo.8

私の翼は空に軌跡を残さなかったが
私は飛翔した事自体に満足している。

 だめかしら?直訳すぎますか?国文苦手だったモノで、英文ならと思ったのですが。

大意はNo.3さんに同じ。

投稿日時 - 2013-03-08 21:01:10

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2013-03-09 14:51:00

ANo.7

#1です。

>でも、この句のことを思い出すと、一生懸命最後まで生きてきたんだ、それなりの人生も生きていたんだって思うようになり、心の悲しみが緩和されます。

身内の方が亡くなられたとのこと、お悔やみを申し上げます。
タゴールの詩の解釈は別にして、「一生懸命最後まで生きてきたんだ、それなりの人生も生きていたんだ」という点に留意して述べていきます。

>「飛び切る」と「飛び通す」と「飛び尽くす」のそれぞれの意味を教えていただけないでしょうか。
「飛び切る」で「風を切って颯爽に最後まで飛んだ」という意味を表したいです。
最後までがんばって生きたという意味を表したいと思います。

「飛び通す」は、最後まで飛び続ける、といった意味になるでしょう。
「飛び切る」と「飛び尽くす」は、最後まで完璧に飛んだ、という意味になると思います。
「飛び切る」で「風を切って颯爽と最後まで飛んだ」という意味にはなるでしょう。
ただ、「最後まで」という意味を含める場合、「人生(生から死までの時間)を風を切って颯爽と最後まで飛んだ」というニュアンスにならざるを得ません。
このニュアンスであれば、「飛び切った」よりも「生き切った」のほうが適しているように思います。
人生を「空」に喩えて「飛び切った」と表現するのは若干無理があるような気がするわけです。

>「飛び去っていた」なら、むなしく世から消えたという意味でしょうか。

おっしゃるような意味になると思います。

>死んだ人とは同じ世でもう二度と会うことができなくなりました。
でも、確かに死んだ人はがんばってこの世を生きていたのようなニュアンス。
「飛過」の適切な日本語表現を探したいと思います。

正確な訳からは離れるかもしれませんが、
「目にこそ見えないが、わたしはこの空にくっきりと航跡を残した」という表現を考えてみました。

>「飛び過ごした」、「飛び過ぎた」とかあるでしょうか。

これらの表現は、予定していた(あるいは、決められていた)基準を逸脱して飛んで行った、という失敗のニュアンスになります。

>≪「空に跡は残っていなかったけれど」≫
「が」が不自然で「は」が自然の理由はよく理解できません。
「は」にした私なりの解釈は航跡は残っていないが、ほかの何かのものは残っているというニュアンスです。
あっているでしょうか。

「空に跡は残っていないけれど、私はすでに飛びきっていた」の場合、
「跡は(残っていない)」と「私は(すでに飛びきっていた)」という2つの事柄を対照的に(この例の場合、前者が否定で、後者が肯定)表わす構文です。
「魚は好きだが肉は好きじゃない」
「魚は好きだが母はあまり作ってくれない」
などと同じです。必ずしも「好き」の対象について対照させているとは限りません。

「空に跡が残っていなかったけれど」という表現が文法的に間違っているわけではなく、今回のシチュエーションでは不自然になる、ということです。
「あの店のお弁当」を評価する際に、
「あの店のお弁当はおいしいけれど、とても高い」は自然ですが、
「あの店のお弁当がおいしいけれど、とても高い」が不自然なのと同じです。
前者は「あの店のお弁当」を主題にして述べている文ですが、
後者は「おいしいのは、あの店のお弁当だが~」という意味になってしまい、主題が転換してしまうからです。
つまり、「あの店のお弁当」は「おいしい」という要素を特定するために用いられているわけです。
これは、『「あの店のお弁当」を評価する』という当初の意図に反するため、不自然な表現になってしまうわけです。
「空に跡が残っていなかったけれど」は、「跡」は「残っていなかった」という要素を特定するために用いられていることになります。
しかし、本来の意図は「残っていなかったのは何か?」について述べることではなく、「跡について述べること」です。
つまり、「跡」を主題にして述べる必要があるため「跡は」とする必要があります。
「は」と「が」に関しては、非常に説明が難しい、という点で国語界では伝統的な課題となっているようです。
あまり、深くお考えにならずに、良い文章をたくさんお読みになって慣れていくのが近道かもしれません。

>≪前者(すでに)は「飛びきるという行為が早くも終わっていた」というニュアンスですが、後者(もう)は「飛びきるという行為に移行していた」といったニュアンスになると思います。
後者の場合、「それまでの状態から変化していること」に着目した表現であるように感じます。≫
すみません、これは良く理解できません。
わたしはただ「すでに」を書き言葉と、「もう」を「話し言葉」だと捉えています。
もっと深い両者の意味の違いが知りたいと思います。

これも説明が難しい問題ですね。
「もう」には、「ある基準を超える(あるいは近づく)」というニュアンスがあります。
「すでに」は、「早くもそういう状態になっている」というニュアンス。
「もう春です」は、「春という基準(季節的な区切り)を超えた(あるいは近づいた)」というニュアンス。
「すでに春です」は、「早くも春という季節になっている」というニュアンス。
書き言葉と話言葉で区分できることもありますが、そうでない場合もあります。
一概に、それだけでは区分できません。
言い換えが可能な場合もありますが、不可能な場合もある、という意味です。
言い換えが可能な場合に関しては、「もう」のほうが「すでに」よりもくだけた表現になる、ということは言えそうです。
しかし、上記の春の例のように微妙にニュアンスが異なりますから、純粋な意味で言い換えたことにはならない場合もしばしばあります。 
  

投稿日時 - 2013-03-08 17:37:53

補足

>ただ、「最後まで」という意味を含める場合、「人生(生から死までの時間)を風を切って颯爽と最後まで飛んだ」というニュアンスにならざるを得ません。
このニュアンスであれば、「飛び切った」よりも「生き切った」のほうが適しているように思います。
人生を「空」に喩えて「飛び切った」と表現するのは若干無理があるような気がするわけです。

「空」をこの世にたとえて理解しているので、「飛ぶ」ことを生きることにたとえて言ったほうがセットになっていて、しっくりくるような気がします。

どんな人(偉い人でも、凡人でも)であっても、死んだらもうこの世に姿が残りません。
むなしいことですね。
「I leave no trace of wings in the air」というところだと思います。
でも、生きたこと自体は誇らしいことです。
生きているうちに、人間がいろいろな問題にぶつかったり、それなりの対処法を自分で考えて対応しました。
「but I am glad I have had my flight」という部分の私なりの解釈です。

いま、デスクトップの画面をひこうき雲に変えています。
飛行機が過ぎたら、ひこうき雲はまだ少し姿を残していますね。
もう少し残してほしいです。
でも、いずれにしても、飛行機雲ものちほど姿が消えます。
しかたがありません。
「死んだ」事実を素直に受け止めざるをえません。

いろいろ考えて、現時点で「空に跡は残っていないけれど、私はもう飛びきった」という訳文にしたいと思います。
下記のニュアンスはまだ知りたいのですが、もう少し教えていただけないでしょうか。

1.「空に跡は残っていないけれど」と「空に跡は残っていなかったけれど」のニュアンスの違い。
2.「私はもう飛びきった」と「私はもう飛びきっていた」のニュアンスの違い。

投稿日時 - 2013-03-09 14:36:49

お礼

 お気遣いありがとうございます。もう少し教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2013-03-09 14:47:48

ANo.6

ちょっと気になるので一言。

質問者は自分の思いを踏まえて訳を工夫しようとしているのですから、
この質問に関しては、日本語や英語としてのヒントを与えるのが筋です。

解釈は人それぞれです。
原作者の意図を明らかにできる出典を示しての解釈の提示ならば有効ですが。

なお、飛びきる と言う語は辞書になくても、表現として成立します。

投稿日時 - 2013-03-08 15:45:18

お礼

 再びありがとうございます。タゴール氏の意図を深く追求するつもりはありません。今回はただ自己流で訳してみたいと思います。タゴール氏には申し訳ないことをしたと思います。

投稿日時 - 2013-03-09 13:18:05

ANo.5

飛びきるという言葉は日本語の辞書にはありません。
飛び切り=最も優れている 最上 格別の意味に使われます。
思い切って飛びっきり上等の靴を買った。
なぜ飛び立つという言葉を使わないのですか。

空へ飛び立つ=舞い上がる。飛んでそこを去る。
3・4・~空には跡が残っていないけど、の方が良いと思います。
空は絶えず変化するもの、残っていなかったという言葉には時間の経過が感じられる。
6、もうより既にの方が早くにとっくにというニュアンスが強いと思います。
7、私が~がは前につく言葉を強調します。私はの方が日本語としては自然です。

投稿日時 - 2013-03-07 21:43:06

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。空をこの世にたとえて解釈してみたいと思います。

>なぜ飛び立つという言葉を使わないのですか。

 「飛び立つ」は起点をイメージする言葉ですね。達成感があった「終点」をイメージする「飛び○○」のような形の言葉がほしいです。

 「飛び切る」で「風を切って颯爽に最後まで飛んだ」という意味を表したいです。最後までがんばって生きたという意味を表したいと思います。もともとは「飛び去っていった」にしていますが、むなしい感じがするので、変えました。

 いろいろ本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2013-03-09 13:12:03

ANo.4

#1です。

悔しいのであまり言いたくないのですが、#3さんの解釈に脱帽です。
深いですね。

投稿日時 - 2013-03-07 21:13:52

お礼

 再びありがとうございます。いろいろな解釈ができるようですね。本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2013-03-09 12:00:12

ANo.3

いかなる賞賛も浴びなかったが、確かに生きたという自負こそが我が人生の誇り。

投稿日時 - 2013-03-07 20:51:29

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。いろいろな解釈ができておもしろいですね。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

投稿日時 - 2013-03-09 11:59:06

ANo.2

他の方の丁寧な解説が付いているので理解なさったと思いますが、
tenseの部分に補足させていただきます。

「I leave no trace of wings in the air,but I am glad I have had my flight」

英語の完了相を再確認。
「助動詞 have + 過去分詞形動詞」
その意味すること:
  [経験(過去の事実)] or [過去の経験で現在もその状態が続いている]
    手近のSPACE ALKから文例です.
      Spring has come.春が訪れた。…今も続いている.
      I have had relationships with five woman in my life.
         今まで、5人の女性と付き合いました。…今は?
      I have had my lunch. 昼食はすませた。…既に完了した.
      他に多数あり.
参考。
中国語版《流萤集》散文诗《萤火虫》(英文漢訳の妥当性は不明)、
 “天空不留痕迹,而我已飞过”.
 “天空不留痕迹,但我已飞过”.
⇒  何れも過去の経験を示すのみ。現在までの継続を明示する訳ではない。

さて、
⇒ I have had my flight. 飛行を終わった。…既に完了した.
    と解釈するのが妥当と考えます。
⇒ 空に跡を残さずに、飛び終わった。
  空に跡を残さずに、飛びきった。
  空に跡を残さずに、飛びきれた。  などが訳の候補。

文案材料です:
  空に跡が残っていないけれど、…振り返って見た情景描写、残っていてもかまわなかった。
  空に跡を残さずに、…残さないように意思を持ってやり遂げた情景描写。
       ・跡が→何の跡も残さずに…残したくなかったことを強調。
  私は飛びきっていた。…いた は状態の継続なので悪くはないが、切れ味がない。
  私は飛びきったのだ。…とすれば、完遂した情感が出る。
  私は飛びきった。…やり遂げた情感も出て、かつ簡潔です。無駄な語句がない。
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ところで、このような解釈はありませんか?
過去形と完了形は、過ぎ去った一定の時間(帯)=日本語で あの時 とも表現。
 「空になんの痕跡も残していないが、あのとき飛んだことが嬉しい」
 英文用例:
  「~,if the people had been cool-headed, ~」…もしあの時国民が冷静であれば、
  「If I had won the lottery, ~」…もしあの時、宝くじが当たっていたら、
 *gladは主たる動詞ですから積極的解釈と表現をしたいのですが。
                      いかがでしょうか。
  日本語文なので 私 を省きました。

投稿日時 - 2013-03-07 19:03:05

補足

ご親切に教えていただきありがとうございます。タゴール氏はインド人でもしかして、英語もただの訳文に過ぎないかもしれませんね。私はこの詩を初めて知ったのは中国語文です。印象深かったです。はっきり何を言いたいのか言わないのはかえって人々を自由にいろいろ解釈ができるようにさせます。そういうことが好きです。

タゴール氏の詩の訳文として適切かどうか知りませんが、「天空不留痕迹,但我已飞过」という中国語が気に入った言葉です。その言葉を英語のニュアンスを参考しながら、日本語に訳してみたいと思います。

>空に跡を残さずに、飛びきった。
空に跡を残さずに、飛びきれた。

「飛びきった」と「飛びきれた」の違いを教えていただけないでしょうか。「飛びきれた」のほうがもっと達成感が強いのでしょうか。

>私は飛びきっていた。…いた は状態の継続なので悪くはないが、切れ味がない。

亡くなった人は心にずっと残してほしいという気持ちの現れだと思います。
「ている」にしたいです。
「た」にしたくありません。
でも、事実はもう「た」です。
ということで、「していた」にしました。
でも、やはり「た」にしたほうがすっきりします。

>「空になんの痕跡も残していないが、あのとき飛んだことが嬉しい」

個人の好みのことで申し訳ありませんが、今回は「嬉しい」という言葉をストレートに出したくありません。

投稿日時 - 2013-03-09 11:49:37

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。補足させていただきました。もう一度ご指導いただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2013-03-09 11:57:34