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解決済みの質問

冠婚葬祭なんでも¥で片付ける日本人

葬儀と言えば「お香典」結婚式と言えば「ご祝儀」
日本人はすべてお金で事を解決しようとする風潮が強いように思います。
葬儀にも参列せずに知人や同僚に「お香典」を託してすませたり、「金さえ出しておけば体裁が保てる」という考えが強すぎるように思うのですが・・・・・。
この欄でも「○○の葬儀にはいくら包んだら良い」などという質問が多いのですが、お金を包む、いくら包む、ということがそんなに大事なことなのでしょうか?
なにか全然心が入っていないような気がします。
皆さんはどうお考えですか?そして、外国ではこの点どうしているのでしょうか?日本と同じなんでしょうか?

投稿日時 - 2004-03-16 12:00:27

QNo.807089

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

No.9です。お返事どうもです。m(__)m

えっと、まず「お返し」の件。
これは、私も無くても良いかなと思います。
できれば、品物じゃなくて、自分が逆の立場になったときにお返ししていただけたら嬉しいです。
でも、それじゃいつになるか解らないから、とりあえずお返ししとくって事なんですかね。
(おっと、これ書いてて今気付ききました。(;^_^A )

で、私もかたくなですけど、「お金で解決してもOK」って言うのから抜け出せません。
No.10の方が仰るように、自分の経験なんですよね。
私は、過去に何度、「冠婚葬祭」ものからバックレてしまったことか...
色々なお誘い・お知らせを受けておきながら、なーんにもしなかったんです。
なんで行かなかったかって言うと、行きたくなかった...イヤだったんです。(ひどいやつです。(x_x))
ちょっと言い訳させて貰うと、お祝い事の場合、人のことを祝ってあげられるような心境じゃなかったんです。
しばらく会ってない友人に対しては、良い別れ方をしていなかったので、わだかまりがあったり、
別の時には、お祝いに行きましょうって事になって待ち合わせしてた友達に数時間待たされてキレまくっていたり..
お葬式の場合は、直接は1・2回しか会ったこと無かったんですが、友人の大事な人で突然のことでした。
ビックリしちゃって、どう対処して良いかわかんなくて、怖くなって、結局「あんまり知らないから行かない」です。
ひどすぎますよね。ほんと、はずかしいです。
お知らせを頂いたって事は「来てください」・「来てくれたら嬉しいかも」って事すら気づいてなかったんです。
その後、何とか反省し、今は出来るだけ足を運ぶようにしようと努力中です。
ひどい対応をしてきた私ですから、何にもしないよりはマシ、逃げずに何とかしようとするだけでもすごいなと思ってしまうんです。


ここからは、おまけ。(*^^*ゞ
(前の方のお礼にある叔父さんの話が気になって...)
死は、遅い早いはあるけど必ずやってくるもの、仕方ない。
ていうのは、そこそこの年齢の人なら何となく覚悟してるものだと思います。
突然のお知らせに、なるべく冷静に対処しようと、みんな心の片隅においてないでしょうか?
で、いざ訃報が届いたとき、自分で納得できる理由をさがさないですか?
年齢とか、病気とか...
何とか納得できる理由が見つかれば、冷静に対処できると思うんです。
理由が見つからなかった場合、パニックになっちゃうんじゃないでしょうか。
で、あんまりショックがひどいと、人って拒絶しちゃうらしいのです。
叔父さんの場合、年下の人の訃報は、どうにも納得しにくかったんじゃと思いまして....

以上、だらだらと失礼しました。m(__)m

投稿日時 - 2004-03-26 22:11:48

お礼

もう回答は来ないだろうと思っていたら、忘れずに見ていただいてありがとうございます。

>お知らせを頂いたって事は・・・・・・って事すら気づいてなかったんです。その後、何とか反省し、今は出来るだけ足を運ぶようにしようと努力中です。

それって一番スゴイ事だと思うんです。人って変われるってことが一番スゴイと思うんです。私も変われない事イッパイあるんですが、気付いたことは「変えよう!」って努力しようと思ってます。(まだまだですが・・・)


>ひどい対応をしてきた私ですから、何にもしないよりはマシ、逃げずに何とかしようとするだけでもすごいなと思ってしまうんです。

この文章読んで、今やっと目が覚めました。
dokkoishoさんは「お金だけの人でも過去の自分よりはマシだからスゴイ」と思ったのですね。
もしかしたら、私の「お金だけじゃ心がない」って言うのも「過去の自分が心がこもらずお金だけで片付けてきたから、その自分を見てるようでイヤ」なのかも知れませんね。

余談ですが、自分が贈り物をして、相手からの対応で一番嫉妬する人が一人いるんです。
それは、お返しをくれる人じゃないんです。お返しの品を送るなら自分でもできますから、感謝はしますが感動はしません。
その方からはお返しの品は来ません。その代わりハガキだったり、時には手紙だったりですが、達筆な筆字でサラサラッと礼状を下さるんです。もちろんワープロじゃないですよ、自筆です。時にはチョットした近況や近隣の風情などを書き添えてあってとても名文なんです。その礼状を戴くたびに感動してしまうんです。「なにからなにまで絶対自分は真似できないなぁ」って。口惜しくて嫉妬するくらい素晴らしいんです。今じゃその“手紙のお返し”がもらいたくて贈り物してるみたいです。


>叔父さんの場合、年下の人の訃報は、どうにも納得しにくかったんじゃと思いまして....

そうですね。そう思ってやることも相手への感謝と労りですね。私はすぐネガティブに考え過ぎますね。そう思ってしまう私のほうがdokkoisho様と比べてまだまだ半人前だってこと痛感します。

投稿日時 - 2004-03-27 12:27:12

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回答(11)

ANo.10

No1です。

「冠婚葬祭」というものは、人が一生のうち
そう、何回も体験するコトもなく
その一つ、一つが違う人のモノです。

よって、「常に初経験」という状態のコトが
多く、質問される方も本当にわからず困って
質問されているのだと思います。

そこには別に体裁を気にするウンヌンは
ないように思われるのですが・・・

そして、人というのは
自分の体験からなどからしか
相手の心情を想像でき難いものです。

「本当に別れがたい人との死別」を
経験した人にしか、その痛みは解かりません・・・

それを「死別したコトない人」に求めるのは酷ですし
「死別したコトない人」が「あっさりした態度」でいるのも
悪気があるわけではなく、本当に未体験で
「解からないだけ」なのです。

逆に、「死別の苦しみ」を理解してない人が
さも、理解してる風にされるのも
癇に障るのものではないでしょうか?

よって、「解からない人」たちは
あたりさわりない行動で「お悔やみ」するのは
妥当な気がします。


「葬式資金の相互援助」は
確かに全額賄えるはずはなく、
今時は保険など、入っておく方がいいとは
思いますが、やはり

「チリも積もれば山となる」ではないですが
「一人から差額5000円」だけでも
大勢の人から頂く香典の集計は「お布施代」「食事代」
など賄う一部には確実になりえました、うちの場合は。

そして、近所のご不幸時には
「山の一部のチリ」程度しかですが
香典を出し合います・・・
その時の支出は少しで済みます。

・・が葬儀側は一度に沢山の出費,請求がある
現実もあり、やはり「現金をいただく」は
心強いはずです。
保険など入ってない家では、なお更。

少ししかない経験から
思ったコトを書いてみました。

投稿日時 - 2004-03-19 15:45:28

お礼

出かけていてお礼が遅くなりました。ありがとうございました。

>人というのは自分の体験からなどからしか相手の心情を想像でき難いものです。

この一文はグサリと来ました。私の一番痛むところを突かれた思いです。
私がこの質問を載せるきっかけも、自分自身のある体験に基づいているのです。そしてそれに気付いたとき、「どうして自分は今までそのことを思いやる事ができなかったんだろう」という自責の念でした。気付くまでの今までの人生がとんでもないことをしてきてしまったように思えたのです。
確かに自身が体験のないことには、人は無知であったり、無神経であったり、配慮が足りないことは、ある面仕方のないことなのかもしれません。
だからこうして「おしえてgoo」という自分の知らないことを経験者から学ぼうとするサイトができるのかもしれません。
今回の私の質問は「おしえて」と言うよりは、私がおしえられたことを、どれだけの方がすでに知っているのか?それを知りたかったのかもしれません。
残念ながら道遠い感じはしましたが、様々なご意見から新たに見えて来たものもありますので、もう少し考えてみたいと思います。ありがとうございました。

投稿日時 - 2004-03-23 16:47:30

ANo.9

私は、お金で解決しても良いと思うのです。
一瞬でもその人のことを思い出して何かしなきゃって行動してくれたって事だと思ってるからです。
体裁でも、偽善でも何でも良いんです。
関わろうとしてくれた事がありがたいと思います。

思っただけでなく、郵送でも何でも多少の手間をかけて動いてくれたのがありがたい。
その時は、亡くなった人のことを思いだしてくれてるわけですから。
亡くなった方にしてあげられる事なんて無いですよね。
(ってことは、葬式自体も無意味になっちゃいますけど...葬式は残された者が心の整理をするための物だと思うので必要だとは思ってます。)

唯一出来ること、供養になることって、思い出すって事だと思うんですよ。
良い思い出でも、悪い思い出でも、そんな人居たよな~って。(生きてた証拠っていうか...)

で、思い出してくれるだけでもありがたいことなのに、
さらに、何らかの行動を起こしてくれたわけですよ。
行動に移すのって簡単なようで、けっこう大変なことだと思うんですよね。
(思ってても出来ないていう事、日常良くありませんか?)

だから、「全然心が入ってない」とは思わないんです。
「心」があるから、行動してると思うんです。
その「心」の表し方は人それぞれで、質問者さんの考え方・表し方とは違うかもしれません。
それは、仕方のないことだと思います。

お金だけ、参列のみ、どれも大事、関わろうとしたその気持ちが大事だと思います。

投稿日時 - 2004-03-19 15:18:06

お礼

出かけていてお礼が遅くなりました。ありがとうございました。
確かにそうですね。お金を出していただけるだけでも“全然”ではありませんね。少しでも心感じるものがなかったらお金すら出さないでしょうから・・・・。
ただ、かたくなのようですが、「心」の表し方に「お金」が適当であるかどうかということがひっかかるのです。
と思っていたら、土曜日の毎日新聞の投書欄に「贈り物へのお返しは辞めよう」という一文が載っていました。
投書した方は「お祝いや香典に対して安易にお返しをすることは贈り物をしてくれた方への感謝の念を薄めるものではないか」という主旨でした。感謝の念を「物」という対価で表現していることにほかならず、私の主張と相通じるものを感じました。
「心」を「金」や「物」で表現するのはそろそろ辞めるときではないでしょうか?

投稿日時 - 2004-03-23 16:25:11

ANo.8

>なら、なぜそれを他人に託す人がいるのでしょう? 私には判りません。

その人はそう考えているからとしか言えませんよね。

例えて言うなら、イラク戦争賛成派と反対派の争いみたいに、絶対に理解できない他人の考えというのは世の中に存在します。

例えば、香典に二万円を差し上げるとします。

これは、社会人一年生の私の給料からいえば、だいたい二日半~三日に相当します。

これだけの犠牲を払って得た金銭を、そんな風に言われるのはとても悲しいことですね。

他人に託すのは知らない人間とか親しくないからとかいろいろ理由はあるでしょうが、多少なりとも感情がこもってなければ万単位の金を包んだりはしません。

>日本人はすべてお金で事を解決しようとする風潮が強いように思います。

と言いますが、ただ来て飲み食いだけして祝辞を述べるだけしかしない人間を友人と言えるでしょうか。通常ならばそれでもOKですが、良くも悪くも人生の岐路に立つ人間に言葉だけというのもかなり薄っぺらな気がします。

だいたい、食事や場所代は向こう持ちなのに金を一千も払わないのは礼儀以前に人間としてどうかと思います。

どうでいいですが、外国ではやたらとチップを請求されるみたいだし、日本人より外国人の方がよほど物事を金で解決している印象がありますね。悪いこととは思いませんが。


金というのはあるにこしたことはありませんし、大金が手にはいるのは素直にうれしいことです。結婚にしても葬式にしても金がかかりますからね。

結婚なら、言ってみれば家族が単純に一人増えるわけですし、葬式なら家族が一人減りますがこれが稼ぎ手だった場合、かなりの金銭的負担が遺族にのしかかります(保険とかもありますけど、億単位でなければずっとそのまま暮らしていくというわけにもいきませんし)。

式自体に金がかからなくても、新婚旅行にいけば金はかかりますし。

また、葬式などで「贈り物」をあげるのは死者を侮辱してはいませんか? 年賀状すら忌避するのに、ものを葬式当日にやる奴はいないでしょう。

その点、お金ならば遺族も何のわだかまり無く受け取れます(というか、そう認識されます)。

>お金を包む、いくら包む、ということがそんなに大事なことなのでしょうか?

自分はきっぱりと、大事なことと断言させていただきます。

他人に幾ら入れると聞くのは、他人の価値観を物差しにして自分の気持ちを相手にも分かってもらおうとする気持ちの表れだと思います。決して醜くもなければおかしいことでもありません。


>外国ではこの点どうしているのでしょうか?

欧米では、香典というのはありません。ただ、韓国か台湾かは忘れましたが、「霊界のお金」というものを買ってそれを燃やすという風習というのを聞いたことがあります。何でも、死者があの世でひもじい思いをしないためだとか何とか。


>今の世の中「香典」や「ご祝儀」は相互扶助になり得ているでしょうか?却って“相互負担”になっていませんでしょうか?

自分は負担するのが嫌だから、結婚式をするな、葬式をするなとは言えないでしょう。やっぱり、相互扶助だと思います。


ただ、ここまで答えてなんですが、自分は結婚式も葬式もやりたいとは欠片も思っちゃいません。

結婚式など、どうせ紙一枚で成立するものを仰々しくやる必要など無いと思っています。葬式に至っては、誰も彼も生前の意志など考慮せずに、医療機関に臓器提供・献体させ、社会の役に立てるべきだという、かなりとんでもない考えの持ち主です。いや、せっかくそれで助かる人間がいるのに燃やしてしまうのはかなり勿体なくはないですか?


長々と、失礼しましたが結論から言うと、「祝儀」や「香典」に特におかしいことは何もないと考えています。

投稿日時 - 2004-03-18 00:56:01

補足

【さきほどの続きです】
1つは、香典が相手への援助のように考えていらっしゃる方が多いようですが、失礼ながら今どき1万や2万が援助になるとは私には思えません。お返しだってあることですし、匿名のカンパならまだしも、実名の「香典」や「祝儀」はいずれ自分の時には帰ってくることですし、長い目で見れば“相互扶助”にはならないのではないでしょうか?
「心」などと言っている私が言うのも矛盾しますが、皆さんがあまりにも“相互扶助”を強調するので、そこだけを捕らえて考えて見ますね。
「お香典」でも「ご祝儀」でもいいんですが、1万円出したとしますね。
相手からはお返しとして(仮に半返しとして)5000円の商品が来ますね。
今度、自分のときになったら、送った相手から同じように1万円の「お香典」か「ご祝儀」を下さいますよね。
そして自分も同じようにお返しとして5000円分の商品をお返しとして送りますね。
差し引きすると、自分は5000円現金が持ち出しになって、手元にはいらない5000円分の商品が残るだけです。(失礼な言い方ですが、どこにでもモノがあふれている日本では、戴きモノは、口に入るモノ以外は正直あまり欲しい物は少ないですよね)
相手も同じように5000円の現金を持ち出して、私が送った役に立たない5000円の品が残ってます。
これって“相互扶助”ですか?
もちろん、私も今まで「お香典」や「ご祝儀」は何回も出したことあります。でも、“相互扶助”って考えたことは一度もなかったので、とても違和感を感じてます。スミマセン。

そしてもう一つは、私が一番感じていることなのですが(というか今回の質問のきっかけにもなることなのですが)、上の例にもある通り、お金と足を運ぶことのどちらが大事かと言うことです。
「お金はいらない」って言っているんじゃないんです。「お金だけで済まして欲しくないな」って言いたいんです。
だって、お金だけ出すって一番楽なことに思えるんです。簡単に自分の対面も保てるしすごく便利です。だからこそ、足を運ぶことが如何に大変なことで、大変だからこそお互いにそこを尊重すべきだし、大切にすべきことだと思うのですが。。。。。。。
長々とごめんなさい。

投稿日時 - 2004-03-18 14:07:34

お礼

回答ありがとうございました。
若い方らしくとても合理的な考えで、それはそれでよろしいと思います。

少し長くなりますが、私の友人から聴いた話しです。
私の友人の息子さんが20歳そこそこで交通事故で亡くなりました。
お友達が大勢掛けつけて下さったそうです。
あとで参列者名簿の整理をしていて気付いたらしいのですが、来てくれていたお友達の名前が名簿になかったそうです。
後日その息子さんのお友達に「なぜ名簿に名前を書かなかったの?」と尋ねたそうです。
すると「僕は今お金がなくて香典を出すことができなかったので書かなかった」と言ったそうです。
そのお友達は、今、フリーターで10000円の日雇いの仕事をしているそうです。
結局亡くなった日から通夜、告別式と3日間仕事を休んで、お手伝いをしてくれて行ったそうです。
一方、親戚の叔父様のお一人は、10万円もの香典を下さったそうです。
でも香典は郵便で送られてきて焼香にはお出でいただけなかったそうです。
その後1年になりますがその方は一度もお見えにならないそうです。
「ウチの息子はその叔父さんとはあまり面識が多くないので仕方ないのだけれどね」とお母様は仰っていました。
その方のお家は、決して裕福ではありませんが、貧乏しているわけでもありません。
息子さんは一家の大黒柱ではありません。
お葬式は月々僅かな掛け金を掛けていた“お葬式代が降りる保険”(そういうのがあるらしいです)から300万円が降りたので費用を払っても余ったそうです。

と、いうお話しなのですが、ここで私が言いたいことは2つあります。

投稿日時 - 2004-03-18 14:07:14

ANo.7

#2の者ですが再度・・・

金品を送ると言うことではもっとも心のこもらないはずの会費制に賛成されていらっしゃるので、一瞬、あれ?と思ったのですが・・・
結局のところ、質問者さんは金品で済ますのではなく、ちゃんと足を運んで、自分で慶弔の意を伝えるのが礼儀、と思ってらっしゃるということですね。

もしそうであるとすれば、それは結婚式・葬儀の当事者との関係と、その人の性格が大きな要素になりますので、別にお金で解決しようと思っている訳ではないでしょう。

仮に質問者さんと私の共通の知人であるAさんが亡くなったとします。質問者さんとAさんは大の仲良しでした。私とAさんはいがみ合っていました。でも質問者さんは私とAさんの仲が悪かったことを知らないとします。
質問者さんはわずかばかりの香典を知人に託して、葬儀に行かない私を礼儀を知らない人と思うかもしれませんが、私にとっては当たり前です。

自分の肉親、親友が亡くなって、よっぽどのっぴきならない用事がある訳ではないのに、葬儀に行かない人はいないでしょう。
また質問者さんだって、たまたま見かけたお葬式にずけずけ行って「お悔やみ申し上げます」とはやらないでしょう。

直接行く、お金・品物で済ます、何もしない、どういう対応をするかは、あくまで当人とどういう関係を築いてきたであり、良い関係を築けなかった理由がどこにあるのかは誰にもわかりません。

投稿日時 - 2004-03-17 23:56:29

お礼

たびたびの回答ありがとうございます。

>金品を送ると言うことではもっとも心のこもらないはずの会費制に賛成されていらっしゃるので、一瞬、あれ?と思ったのですが・・・

これは、私の中では全然矛盾しません。というのは、会費は「ご祝儀」とは考えません。会費は“自分の飲み食い代”です。ですから、会費制とは、「ご祝儀は出さず出かけていって祝福してあげる事」と理解しています。

私とAさんとyama_xさんの間の例え話。大変興味深く読ませていただきました。
読んだ直後の感想は「Aさんとyama_xさんはいがみ合っているのに、なんでyama_xさんは香典出すのかな?」でした。
でもあとで「これが村八分の二分なんだ」と納得しました。
でもその後でまた考えが変わりました。「ホントに村八分の二分だと思うなら、わだかまりは捨ててやはり焼香したほうがモット良いのに」って。(エラソ~に言ってますが、私だったらわだかまりは捨てきれないので行けませんけどね)
失礼な言い方かもしれませんが、焼香せずに香典だけ出す行為の中にyama_xさんの「自分の体裁を保つ」気持ちが強く入っていませんか?(村八分の二分に入れられない私のほうがモット悪いのかもしれませんが・・・)

>質問者さんだって、たまたま見かけたお葬式にずけずけ行って「お悔やみ申し上げます」とはやらないでしょう。

私は、ご本人にもご遺族にも面識ないたまたま見つけた新聞記事の葬儀に出かけたことはあります。(有名人ではありません一般人です)
それから、招待を受けていない知り合いの結婚式に、どうしても祝福したくて、出かけていって、式の後ロビーでお祝いを言ったこともあります。
それはどちらも私の一方的な考えからしたことです。ただどうしても「弔意」や「祝福」を現しかっただけです。

投稿日時 - 2004-03-18 11:48:38

ANo.6

 葬式の費用は香典で,結婚式の費用は祝儀で賄われるのです。無論,香典や祝儀で全てが賄えることはないのですが,香典や祝儀は,相互扶助に根ざした日本の風習です。
 心が入っていなければ,香典や祝儀は包みませんよ。慶弔の心があるからこそ,香典や祝儀を包むのです。

投稿日時 - 2004-03-16 22:44:05

お礼

回答ありがとうございました。
何人かの方の回答の中に“相互扶助”という言葉が何回か出てきますが、「心」の問題は別にして、もし、経済的な観点からだけ見たとして、今の世の中「香典」や「ご祝儀」は相互扶助になり得ているでしょうか?却って“相互負担”になっていませんでしょうか?

>心が入っていなければ,香典や祝儀は包みませんよ。

なら、なぜそれを他人に託す人がいるのでしょう? 私には判りません。
誤解しないで戴きたいのですが、私はすべての「香典」「ご祝儀」を指しているのではありません。心から喜んでの「ご祝儀」も、心から悼んでの「お香典」も、私自身戴いたこともあります。でもお金って凄く便利ですから、自分自身もそれに頼りすぎてしまう傾向があってそうしている自分がイヤなんです。
タイトルは「日本人」としましたが、案外「自分自身」かもしれませんね。

投稿日時 - 2004-03-17 20:39:38

ANo.5

「村八分」ご存知でしょうか、村での付き合いを全て度外視されることです、ご近所の方からも挨拶もされません、現代では考えられないような差別を村全体から受けます。
しかし、火災にあった時とお葬式の時には普段通りのお付き合いをします、これが残りの二分です。
相互扶助ということがあります、これが昔からのしきたりです。
お葬式には費用がかかりますし、大黒柱(主人)ですと生活費にも事欠けます、皆さんが香典を出し合って助け合っている風習が、現代まで続いているのです。
外国ではどの様なことかは存じませんが、お付き合いとはつまらないものだと思わずに、なさって下さい。

投稿日時 - 2004-03-16 16:09:05

お礼

回答ありがとうございます。
「村八分」良く知ってますよ。
二分の中に火災が入っていたのは知りませんでしたが、葬儀はそのくらい別格だと言うことは良く知っています。

>皆さんが香典を出し合って助け合っている風習が、現代まで続いているのです。

最初はそういうことだったのかもしれませんが、私は今もそうなのかと疑問に感じているのです。
もちろんすべての香典やご祝儀を疑っているのではありません。本心から真心込めて送る方がいらっしゃることも良く判ります。ただ、どなたかの回答にもありましたとおりお金って取り敢えず便利なものなので、安易にそれで済ましている方が多いんじゃないかと考え始めているのです。
例えばお葬式でよく会社の代表で大勢の人の香典をまとめて持参してる方がいらっしゃいますが、香典を人に託すのって心篭もってますかね。というと「事情があって参列できないのだろう」って言うかもしれませんが、私なら人に頼まず後から自分で行きますけどね。弔意を表すのは通夜と告別式の当日だけではないのですから。

投稿日時 - 2004-03-17 16:12:53

ANo.4

ああ、そうそう。
北海道の結婚式は、会費制なのですよ。
ご存知でしたか?

100件が100件会費制ではない(やはり、北海道以外の人同士や、片方がそうだと、会費制にはならないこともある)し、会費制の結婚式でも、ご祝儀をつつむひとはいますよ(やはり、上司とか、親戚筋で本家とかは払うようです)。
でも、基本は会費制。

そうすると、主催者側は、結婚式の費用に見合った「会費」を設定するわけです。
だいたい、一人頭1万円~1万5千円くらいなので、会費もそんなもんです。

さてさて、このきわめて合理的な方法、どうして北海道以外ではなじんでいかないのでしょうねぇ・・・。

この点もお考えになると、よりご理解が深まるのではなぁ、と思います。

投稿日時 - 2004-03-16 12:43:28

お礼

回答ありがとうございます。
イエイエ北海道だけではありませんよ。こちらでも会費制ははやってきました。結婚式はまだ少ないみたいですが、2次会は圧倒的に会費制です。これって素晴らしい事だと思うんですが、おっしゃる通り、そこでもさらにご祝儀出す人確かに居ますね。
私これ嫌いです。自分だけエエカッコシ~です。(当地の方言?)周囲を思いやらない自分勝手な行動です。
ご祝儀出すなら別の場所で上げれば良いのに・・・。
と思います。

投稿日時 - 2004-03-17 12:22:58

ANo.3

あなた自身が、何をもらったらいいか、どうしてもらったらいいか、ということをお考えになるとお分かりではないのでしょうか?

たとえば、だれか身内をなくして、そのなかで、何をして欲しいですか?
何もしてほしくはありませんか?
何かして欲しいとしたら何をして欲しいですか?

私なら、お金をもらうのは、大変助かります。
お葬式や埋葬のためには、お金が必要です。今後の生活のために、お金が必要なケースだってあるでしょう。
1円だって無駄にしたくないし、1円もらってもうれしいものです。

これは、結婚式でも、なんでも、そうですよね?

もらう側がありがたいから、だから、もらった経験のある人は、お金はとりあえずありがたいのだと、あげるほうも考えるわけです。

もちろん、本当に心のこもったプレゼントだったら、うれしいものですが、しかし、それでも「うれしくないプレゼント」というものも、ありませんか?
私にはあるんですけどね・・・、すごく心のこもっているだろうなぁ、でも迷惑だなぁ、でも、もらったんだから大切にしなくちゃなぁ・・・って思うもの。

ということで、もういちど、もらう立場で考えてください。
「すべての(お金以外の)プレゼントを、本当にありがたく受け取れますか?」

投稿日時 - 2004-03-16 12:38:47

お礼

回答をありがとうございます。

>あなた自身が、何をもらったらいいか、どうしてもらったらいいか、ということをお考えになるとお分かりではないのでしょうか?

よく聞いて下さいました。
私自身お金を貰って嬉しいか?と考えたんです。
結論は、お金よりもっと嬉しいものがあったんです。
「できるだけ大勢の方に来て欲しい。」そう思ったんです。
もちろんお金も嬉しいけど、もっと嬉しいのは沢山の友人・知人に来て欲しいことなんです。
大勢の方に来てもらうのに一番の足かせになるのが「香典」「ご祝儀」いわゆるお金じゃないかなあと思ったんです。
裏話で「まいったよ!今年は葬式が多くて、持ち出しが大変だ!」とか「今月友人の結婚式が3回もあるんです。私“寿貧乏【ことぶきびんぼう】”です。」なんてホンネも耳に入ります。
この欄での質問で「私の○○が亡くなりました。葬儀に行ったほうがいいでしょうか?」という質問を目にします。
これってホンネの一部に「私でも香典ださなきゃいけないんでしょうか?」っていう部分があるんじゃないかと思うんですね。
だから、香典が必要なければ迷うことなく参列する人が増えるんじゃないでしょうか?だったら、もし自分が死ぬときによそ様にそんな心配や迷いや負担は掛けたくない、って言うのが本心です。だから、私はお金はもちろん品物もいりません。
これってカッコよすぎますか?

投稿日時 - 2004-03-17 12:15:21

ANo.2

質問者さんが仰るとおり、心のこもらないものになる可能性がある反面、気軽に慶弔の意を示す方法であることも事実です。
冠婚葬祭の折り、直接お会いして祝ったり弔意を示したりする程の間柄ではないけども・・・とか、何かお祝いしたいけど、何をすれば・・・とか考えたり、迷ったりしていれば、それこそ、その行為が目的となって、心がこもらないことにならないとも限りませんし。

本来、冠婚葬祭の習慣は、それさえ踏まえておけば、いざお祝い等をしようとしたときに、つまらないことに迷わないですむ、便利なものです。
そこに心が込もっているかどうかは、本人次第あるいは本人と相手の関係次第であって、習慣そのものの功罪を問うこととは無関係だと思います。

投稿日時 - 2004-03-16 12:37:02

お礼

ありがとうございます。

>気軽に慶弔の意を示す方法である
>つまらないことに迷わないですむ、便利なものです。

たしかに、お金は、迷うことなく簡単にでき、そして誰にでも喜んでもらえる便利なものであることは確かですね。

投稿日時 - 2004-03-17 11:58:12

ANo.1

現実を言えは・・・
「死者の葬儀費用」は「香典で賄われる」があります。

いくら、「死者を悼んでの花束」を
たくさんいただいても葬儀費用の足しには
なりません(-_-)

「日本の冠婚葬祭」自体が「お金のかからないもの」
にならないと、いつまでもこの風習は続くかと・・・

誰がどうやって変えていける事なのか・・・
難しい所ですよね・・・

投稿日時 - 2004-03-16 12:27:32

お礼

早速の回答ありがとうございます。

>誰がどうやって変えていける事なのか・・・
難しい所ですよね・・・

そうなんです。そこなんです。私もそこんところは自信ありません。

投稿日時 - 2004-03-17 11:53:36

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