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難問?日本が滅びなかった訳

こんにちは。
日本が滅びなかった訳はかなり難問かと。
ww2の後のことは大体調べました。
戦国時代はスペインとから宣教師が来て布教活動していたのでぎりぎりのところで秀吉が防いだっぽいのですが。
明治維新は清がすぐにかぎつけて江戸湾まで軍艦が来たという情報も。坂本竜馬に欧米列強が資金供与したらしく。あれもぎりぎりだったような。
元寇は神風が吹いた奇跡?
聖徳太子の時代も政治的に高度な判断で防いだと習ったのですが、中身は忘れましたw
日本がピンチになった歴史の各場面で、外国がどう介入して日本がどうやって切り抜けたのか知りたいです。^^;

投稿日時 - 2013-05-17 15:55:19

QNo.8092171

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

政治的な理由より、地勢的な理由の方が大きいかと。

日本は、東側がメチャ広い太平洋で、黒潮という超速い海流が
流れているだけでなく、天気が安定せず渡ってくるのに難しい
玄界灘&東シナ海が横たわっています。

要は、「世界の端にある上に、安定的に支配するには交通の便
が不便過ぎた」んですね。あの「元」でさえ失敗したんですから、
面倒な場所にあったことは確かです。

特段海上防衛をせずにも「鎖国」が成功したというのは、地勢的
な理由以外に原因を求めづらいです。

蒸気船の時代に至ると、今度は「文明の中心から右回り・左回り
ともにほぼ同じ距離だった」という面が大きくなります。アメリカと
欧州の勢力のバランス点になっちゃったんですね。おまけにその
時点では、中国が弱体化してそっちに目が行っちゃったという
問題があります。

民族的な問題(比較的文明の進度が高かった)、政治学的な問題
(中国の影に隠れてしまった)もありますが、一義的にはやはり
地勢的な問題を考えるのが妥当だと思いますよ。

投稿日時 - 2013-05-17 16:52:11

ANo.1

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回答(6)

いや~案外、何も頑張らなくても滅びなかったかもしれない。
日本人の過敏反応だったのかも。

元寇を追い払った「神風」と言われている風はね。
現在でも時々吹く風だそうです。
結構きつくて、その日は漁船は出せない。
日本に国交を求めてやってきたモンゴルの船は、何隻もの船がお互いをつないでいて、その風でいっきに沈んだらしい。
つまり自滅。
つないでいなかったら、たぶん沈まなかっただろうと、最近の調査でわかってきてるそうです。
鎌倉幕府がなぜ国交を拒絶したかのか、その真意は不明。
モンゴルがドジらなかったら、歴史は違っていたかもね。

秀吉は朝鮮を占領しようとしたんじゃないの?

黒船が来たころのアメリカって、ヨーロッパと対抗するのに一生懸命だったらしいよ。
そのために、大西洋を渡って移動したかった。
その広い海を渡って、船の必要な物資の補給のために、日本は便利だった。
だから、日本との交流を求めた。
それが、ペリーの来た理由らしいよ。

日本は、抵抗しなければ滅びたんだろうか?
本当にピンチだったんだろうか?
そんな誤解が、つい最近の敗戦までつながっていないか?
私には疑問。

投稿日時 - 2013-05-17 22:48:38

ANo.5

> 日本が滅びなかった訳はかなり難問かと。

色々ありますが、一言で言えば「冗談みたいに強かった」から。いや、冗談抜きで。
それから、技術力が凄すぎたから。


日本が軍事的に攻撃された(されかけた)ケースは何度もあります。
最初は白村江の戦いの後です。日本は支配地域(現代とは意味合いが少し違うけれどもね)であった朝鮮半島をこの時に放棄しました。その後攻められないように、対馬・九州北部の防備を固めます(防人)。

その後も新羅の入寇や刀伊の入寇といった軍事的侵攻は結構多くありましたが、すべて博多辺りまでで撃退しています。

その後、例えば元寇は普通に九州武士団がタコ殴りにして壊滅・撤退に追い込んでいます。台風という俗説はありますが、それが原因ではありません。

更に信長の生まれる直前くらいの時代には、朝鮮が対馬の隙を窺って主だった人物の留守を狙って対馬に侵攻しましたが、対馬でフルボッコされています。

こちらから攻める側も、江戸幕府が成立した直後には、例えば日本人の浪人たちが傭兵として台湾に渡り、鄭成功と共にオランダ人の要塞を攻略したりしています。

その後も、明治維新から50年もたたないうちにロシアと戦争して勝つわ、明治維新から100年しない間に全世界を相手取って戦争するわ、もう滅茶苦茶です。

技術力も、鉄砲が伝来した直後には世界最大の鉄砲産出国になるわ、鎖国を経て幕末には佐賀藩が30年かからずにイスタンブール以東最大の軍需工場を擁するまでになるわ、普通の町人の指物師がちょっと見ただけで蒸気機関付きの船を設計するわ(宇和島藩での出来事)、こっちも無茶苦茶です。

投稿日時 - 2013-05-17 22:08:53

ANo.4

難問でもなんでもない。簡単です。天皇がいたから日本は滅びなかった。それだけの話です。

日本人がどうして日本人という意識を持ち続け、日本人として一つにまとまることができたか。それは天皇が日本を統一したからです。

アメリカを見れば分かる。アメリカ先住民は部族に分かれていて、ばらばらだったから各個撃破されてイギリス移民に土地を奪われてしまった。数多くの部族はイギリス移民に対して統一した政策を取れなかった。それぞれの酋長はそれぞれの部族を指揮することはできたが、アメリカ先住民全体をまとめることはできなかった。

ポーランドを見れば分かる。ポーランドは18世紀後半民主主義に反対し貴族の既得権益を死守しようという貴族勢力がロシアのエカチェリーナ2世と結託してロシア軍の介入を招いてポーランド分割に至って国を失った。ポーランド分割は、民主的改革に反対する貴族がロシア皇帝に臣従して国を売り飛ばしてしまったから起きたことなのです。

日本全国津々浦々に神社があり寺がある。神道と仏教です。幾多の神々が日本を守り、僧侶が日本人を教化してきた。仏教伝来と共に漢字が伝わり、漢字からひらがな、カタカナを創案して、階層に関わらず日本人は文字を持った。中国、朝鮮、台湾、ベトナムも漢字文化圏と言われているけど、ひらがな、カタカナという平易な文字を生み出したのは日本だけです。どうして仏教が伝わったか。百済の聖明王が、誼を通じようとして欽明天皇に仏典を献上してくれたからです。仏教を受け入れるべきか。それとも拒否すべきか。結局、仏教を受け入れたからこそ、日本は律令制度など唐から最新の制度を導入することができた訳です。

仏教と共に漢字が学僧、貴族、武士、商人、百姓に至るまで時代と共に広がって、日本人は高い識字率を誇った。ひらがな、カタカナが漢字の勉強を助けた。「犬も歩けば棒に当たる」「論より証拠」「花より団子」
いろはがるたである。子供が遊びながら文字を覚え、諺を覚えた。中国、朝鮮、台湾、ベトナムにはいろはがるたがない。

今、私達は当たり前のように誰でも漢字かな交じり文を読み書きできる。それは何故なのか。それをよくよく考えれば良い。

投稿日時 - 2013-05-17 20:25:08

ANo.3

偶然です


千年以上の歴史において数回の外寇の機会しか無かったのですから、その数回から一般則を演繹するのは不可能です。

強いて言えば、数回しか外寇が来なかった地理的な「距離」ということになります。

同様な島国でイギリスがありますが、ここも国家ができて(統一的な防御体制ができて)から数回の外寇を受けて侵略されたのは一回。
1066年のノルマンコンクエストとなります。
この時は、直前に内乱がありました
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

ハロルド2世のスタンスで言えば、踏んだり蹴ったり、弱り目にたたり目という感じ。

投稿日時 - 2013-05-17 20:09:47

ANo.2

日本は天然の要害


地理的な要因です

投稿日時 - 2013-05-17 19:19:09

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