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解決済みの質問

不可能ではない⇆可能である…??

<不可能ではない>という事は、<可能である>という事でいいですか?

投稿日時 - 2013-08-22 01:13:15

QNo.8230264

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

No3&8です。
哲学ド素人ですが、興味はあるものです。

>今後の運命を左右するような重大な判断をするとして人によって違ったら、ある人からは批判くらいますよね
>今回はそういう問題が発生したので質問させてもらいました。
具体的にどのような事が発生したのかわかりませんが、それは仕方ないこととして処理するしかないのでは?

たとえば、あなたが好きな異性に告白するとき、
「あなたが嫌いじゃないです。つきあってください。」とは言わないでしょ?
やっぱり、数学のように、否定×否定=肯定、にはならない。

皆、その経験と凡例から、言葉を使い分けている。

可能である。と不可能ではない。は、似ていて否、使い分けられていると思います。

その度合いは、数学のように取り決めとして決められていないのです。
私は、数字の%で気持ちを表現しましたが、質問者様のご指摘通り、
気持ちを数字で規定できません(他者の決める数字の%とは常にずれが生じるはず)。
誰にも決められないのです。
ただ、私基準(人生経験など)で、(あくまで主観に沿って)天秤にかけたら、
可能よりであれば、「可能である。」という、不可能よりであれば、「不可能ではない。」という、
それだけです。

あえて言うなら、それを聞いた、あなたや他人は、私がどういう基準でその言葉を発したのか、
想像の範囲で判断するしかないと言うことです。

投稿日時 - 2013-08-26 17:10:45

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回答(12)

ANo.11

僅かながら、回答の追記です。

生物学的には、元々細胞分裂のみで増殖していたが、
遺伝子の組み合わせが飛躍的に増やせることから
減数分裂という仕組みで半分づつ遺伝子を持ち寄って
増殖できるように、半分の遺伝子を運ぶキャリアとして
生まれてきたのが男性性と言われています。

やや詩的な表現ですが、女性しか存在しなかった
生物の世界に、女性を言わば改造した形で男性が
産み出された、とも言えます。

問題はここからで、胎児の極めて初期段階で異常が
起きると、雌雄同体も、いずれの生殖機能も持たない
子供が生まれることもある、ということです。

昔で言う「ふたなりさん」、アンドロギュノスのことですが、
両性具有は広く世界中で一定数存在する、男でもあり
女でもある性の形です。

いや、そうは言っても染色体のXとYは厳然としてある訳で、と
仰る方もおられますが、これは光学顕微鏡で観察した形状を
指している訳で、ゲノム抽出に際してこれをほどいてみると
性差を産み出す様々なコードが、実際には機能しなかったり
壊れていたり(コドンが欠けていたり)することは珍しくない
のだそうです。

おちんちんが無い、というだけでなく、おちんちんを産み出す
遺伝コードが破損していたら、機能しなかったら・・・

先ほど述べたように、男性は女性から派生した、という意味合いが
かなり強い生物属性の一つです。

根本的に別な材料で別な構造で出来ている訳ではありません。

それが証拠に、何故男性にも乳腺や乳首が存在するのでしょう?

AとBしか存在しないならば、という限定を加えて表記の論理式を
組み立てるならばお問い合わせの式は成立するでしょうけれど、
世界にAとB以外は存在しない、ということの方が極めて稀です。

男でもあり、女でもある。

男でもなく、女でもない。

いずれも存在するのが現実です。

これを何としてもAとBの二元論に導こうとするのは、事象があって
論理があるのではなくて、論理を成立させるために事象に限定条件を
科している、というパラドックスが生まれます。

平たく言えば、現実に援用できない思考実験以上に論理が発展
出来ない、という欠陥が生じてしまうということです。

難しい世の中を簡単に判ろうとするのは人間の知性に最初から
プログラムされた機能ですが、そこには簡略化することで失われる
様々な本質があることを忘れてはなりません。

24bitのBMP画像ファイルの色を落していけば、形状は残りますが
最終的にはモノクロになってしまい、「色」という要素は重要なものでは
無いとして削られてしまいますし、更に輝度情報を落とし、解像度を
落していけば、データの情報質量は軽くなって扱いやすくはなるけれど
漠然とした形の情報だけが残ったモノクロファイルは、既に壊れたガラクタに
成り下がってしまい、現実を写し取ったものとは似ても似つかないものに
なってしまいがち、ということです。

設問のようにonかoffしか無い二進法で物事を捉えるならば、常にそれと
セットで成立する限定条件を考えなければ、根源的な理解に至るどころか
意味消失へと思考レベルが低下しかねません。

随分散らかった文章をザワザワ書いてしまいましたが、世の中を大きく二つに
区切って考えるのは、大雑把な一般論になるべく留めて置く方が、考え方を
誤らずに済むと思いますよ、ということが申し上げたかったのです。

不可能ではない≒可能である

ということだと思います。

多分、この二つをとっても、一つの真実の裏表のように一見見えますが、
実は互いに全く別々の立脚点に立った、別々のテーマなのだろうと
思います。

私はかつて全ての事は対立する、或いは補完関係にある二つの事象の元素で
構成されているのではないか、古いかも知れないが世界はやはり二元論で
語ることが正しいのではないかと夢想した時期がありました。

でも、現在はそう考えません。

何故なら、その二つの対称的な事象の元素は、その都度人間がある視点で
提供している暫定的な記号でしかないことが大半だと言うことに気づいたからです。

男と女、大人と子供、自分と他人、日本と外国。

例えば、このどれをとってもよくよく考えてみれば随分と大雑把で適当な
分類だと言うことはすぐに判ることです。

簡略化した自己流の世界の絶対座標系の中で、今目前に考えている
事象がどの位置に存在しているのか、というマッピングで世界を評価しようと
すると、その座標系が思い込みで組み立てられた歪んだものなら必ず
映る世界も歪んで見える、ということです。

目前にある事象を、常にそこを原点座標とし、関連する範囲を領域とし、
限定的に「何故こういうことになっているのか」とありのままにまずは
見るようにしよう、と私は常々自分に言い聞かせています。

その上で、他人から見たその事象はどのように評価され、どんな仮説を
組み立てられるのか、という他者の視点が知りたいと思います。

人間の目は二つきりで物事を立体視出来ますが、GPSは理屈の上でも
最低3つ、現実には5~6個の衛星電波をキャッチしなければ実用制度の
グローバル・ポジショニングが出来ないそうです。

私たちも、この複雑極まりない世界で自分の見方・考え方を決めて、どう
行動するかを考えるために、自分の目だけで判断するモノアイではなくて、
GPSのように別々の位置から見た情報から、物事を立体的に捉える習慣を
付けたいものですね。

考え方を絶対系から相対系に移してから、私は少なくとも「究極」とか「真理」を
崇高なものではなく、個人の価値観の一形態のようにしか見なくなってしまいました。

何か、あなたの思考のご参考になれば幸いです。

投稿日時 - 2013-08-26 10:10:55

ANo.10

不可能とは論理的には「成り立たない」ということですね。
それは必ず文脈の中でしか意味を成しませんから、

誰が、何を、どう、するのは、不可能だ。

という文脈の中で語られる限り、

誰、だから不可能。

その対象では不可能。

実行不可能。

状況が不可能。

などなど、文の全ての要素に対して不可能の理由が
示せる訳ですから、逆に言えば、或る条件下での
設問が成立しない、というのがより正確な意味になると
思われます。

それに対して、可能である、というのもまた同様の
条件下で文章が現実に成立する、ということですが、
文中にとりあえず決定的な無理な条件が無かった、と
いうに留まります。

可能/不可能を単純な対語として考えるよりも、各々の
含まれる文章の成立/不成立という文脈の中で、
可能にしたい、とか不可能と決定づけなければならない、とか
思考する主体、要するにそれを考えている人と登場人物の
意思表示や思考範囲、思考の前提条件を含むと考えた方が
より、これらの「一見対語だが、実は似て非なるもの」を
捉えるのに役立つように思います。

不可能ではない、ということと可能である、ということは
オトコとオンナというように、同じものの裏表ではないと
結論付けられます。

この例で言っても

オトコではない=オンナである

は生物学的にも完全に成立しませんし、
文学的な意味でも、社会学的な意味でも
単純に完全な対称対としては成り立ちません。

恐らく、顔の右半分と左半分というような非対称の
意味合いすら含んでいるものと推測できます。

不可能ではないが、可能でもない。

それも成り立つ、ということです。

投稿日時 - 2013-08-24 16:02:31

お礼

本当ですか?
男と女の定義はできますよね
だったらその2通りしかなくて、男でない=女である は完全に成立していると思うんですが、違うんですか?
まさか間があるなんて言いませんよね…w

投稿日時 - 2013-08-26 01:33:17

ANo.9

客観的物理的に解釈したいということであれば、

不可能=可能ではない
不可能ではない=可能ではない、ではない=可能である

で良いです。

投稿日時 - 2013-08-23 17:08:35

お礼

シンプルで分かりやすいです
解決しました
ありがとうございました

投稿日時 - 2013-08-26 01:26:46

ANo.8

No3です。哲学ど素人なのに、
お返事ありがとうございました。
ご質問者様のお返事の通りの考えです。
程度の問題だと思っています。
体調が悪くないと、体調が良い、は意味が違うと思います。
不可能ではない。は、その人の主観で、不可能に近いと思っているけど、100%不可能でないので、不可能ではないと言う。
可能である。は、その人の主観で、できると思っているけど、100%ではないので、可能であると言う。
こう考えると、50%の時、どう言うんでしょうね?
私なら、「可能か、不可能か、んー、フィフティーフィフティーってところでしょうか。」かな。

私、哲学のパラドクサル的考え、嫌いじゃないです。
↑嫌いじゃない=好き?

投稿日時 - 2013-08-23 11:16:47

お礼

程度の問題だとしたら、希望はまだある!と言う人もいれば、うーむ 不可能ではないのだから…という人もいるわけですよね
しかしもし、今後の運命を左右するような重大な判断をするとして人によって違ったら、ある人からは批判くらいますよね
今回はそういう問題が発生したので質問させてもらいました。
それとコインを投げて裏か表かなら50%だなと分かりますが、確率を判定できない物はどうやって○%だと認定するのでしょうか

投稿日時 - 2013-08-26 01:25:11

不可能ではない⇆可能である…!!


ただし、行間を読めば、行間は違います。

投稿日時 - 2013-08-22 20:21:49

お礼

いや 意味が分からないです

投稿日時 - 2013-08-22 21:52:35

ANo.6

これは『二重否定』というテクニックです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E5%90%A6%E5%AE%9A_(%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6)

英語で多用されているようですが、wikipediaにもあるように、強調したい場合などに用いられたりしています。
ただ、可能だ、というよりも、不可能ではない、というほうが劇的?な感じなんでしょうね。
『ない袖は振れぬ』とか慣用句でもありますが、日本人的な解釈としては、婉曲的に伝えたいときに使われる語法かとも思います。
「イヤというわけではない」「やれなくはない」などもそうですね。

投稿日時 - 2013-08-22 19:04:25

お礼

それだと、その人の気分によって変わったりして主観的ですよね
もう少し客観的というか物理的な観念から教えてほしかったです

投稿日時 - 2013-08-22 21:54:11

ANo.5

<不可能ではない>という事は、<可能である>を、含み得る。
おわり。

投稿日時 - 2013-08-22 13:46:11

お礼

含み得るとは?

投稿日時 - 2013-08-22 21:57:50

ANo.4

二匹の蛙が河の此岸にいた。
一匹が彼岸に渡ろう立志した。
もう一匹が途中で流れ溺れて渡れないであろうといった。
最初の渡ろうとしている蛙がいや不可能とは言い切れない判断が可能だという。

そこでこの、不可能とは言い切れない判断が可能とは、可能だという論理証明と実際証明を必要としていない。
溺れることが必然ではないなどと、不可能の判断を否定する事で成り立つ。
しかし可能であるという論理証明と実証はしていない。

投稿日時 - 2013-08-22 09:44:45

お礼

難しくて理解できませんでした

では、可能であるという論理証明と実証 はしていない場合でも可能であると言ってもよいのですか?

投稿日時 - 2013-08-22 22:01:15

ANo.3

哲学のこと、なーんも解かりませんが。

不可能ではない。=不可能に近いけど、100%不可能ではない。1~50%くらい可能性はある。
可能である。=50~99%できる。

だから、不可能ではないと、可能であるは、近いけど、違う。

投稿日時 - 2013-08-22 09:30:42

お礼

では、ある物事が起こる確率をどうやって調べるのですか?
例えば、「その手術の成功率は45パーセントだ」と医者が言ったとします
しかしそれは医者の主観であってそのぐらいだろうということですよね
実際に手術してみたら意外と簡単で、80%はいけると思ったとしたてあなたの言う通りに書き直すと、最初は不可能ではない…!だったのに、実際にやってみたら可能である!になります
本当にそうでしょうか…?

投稿日時 - 2013-08-22 22:05:35

ANo.2

我々が日常使っている概念における公理系においては、
「非AでないものはA」と言えます。
しかし異なる公理系も可能ではあります。
1つの例がパラドックスを含むものです。
「私の言う事は全て嘘です。さて、これは嘘でしょうか、
本当でしょうか?」といったアレです。
もし本当ならば、言っている内容は嘘になり、嘘ならば、
言っている内容は本当になるので、嘘でも本当でもなく、
また嘘でないとも、本当でないとも言えない、という。

「不可能ではない」と聞いて思い出すのは、「この矛は
何でも貫く」、「この盾は何でも防ぐ」、客「じゃ、その矛で
盾を突いたら?」という「矛盾」=パラドックスですから。
ちなみに、こうした問題の極限には、最初に述べた
「日常の概念の公理系」を突き詰めた論理学の極限に
至ったゲーデルの不完全性定理において、「証明でき
ない言明を公理系の内に含まない」という完全性と
「Aと非Aを同時に導かない」という無矛盾性は両立し
ない、という証明をされてしまっています。
人類が構築した知のハイライトですから、ぜひ学んで
みて下さい。

投稿日時 - 2013-08-22 09:00:43

お礼

なるほど…初めて知りました
不完全性定理は一度じっくり読んでみないと分かりそうにないですね…

投稿日時 - 2013-08-22 22:12:32

ANo.1

もちろんそうです。
ただし「可能だけど実現させるのは容易ではない」と言う意味で使いますね。

「人類が月に行くのは不可能ではない。火星に行くのも不可能ではない」
とかね。

投稿日時 - 2013-08-22 01:22:16

お礼

回答ありがとうございました

投稿日時 - 2013-08-22 22:13:07

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