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解決済みの質問

認識が存在に先行するか?

 1. 知解行為においてものごとを知り世界を認識し存在をも思う――このことによって《存在》が成る のか?

 2. モノの存在はいざ知らず ヒトなる存在は認識作業の以前にすでに成っている のではないか?

 3. 人間は モノに還元されるのか?

 4. ひとの意志は 知解行為と――そして記憶行為と――時間差をともなって一体であると思われるが 認識(知解)するというならすでにそれをしようとする意志もはたらいているはずだ。記憶・知解・意志なる三つの行為能力を持つひとの自然本性は 身とともに すでに存在している。という原点から出発するほかないのではないか?

 5. この世に生み落とされたというところから出発するよりほかにないのではないか? 言わばモノがそのようにひととしての生命を持ったところからという意味である。

 6. モノは認識によって存在するようになると言った場合 その認識をおこなう存在は では どのように存在することになるのか?

 7. 認識等の知解行為をおこなう主体は すでにあくまで自然本性として存在を受け取り その動態としての存在を生き始めている。あとは そのことの認識作業は 言わば事後の知解行為に過ぎないのではないか?

 8. 存在とは ものごころが着いたあとの 意志行為を中軸として生きられている。

 9. このひとの存在は モノの自己運動についてはけっきょくのところ手に負えないのであるが その弱さ(つまりひとは受け身であるということ)においてながら モノの存在とは一線を画している。か?

 10.  モノは認識しない。とりわけ意志しない。ただの自己運動のみである。しかもひとによって加工・操作される。よわいほうのヒトが えらいと見なずばなるまい。

 11. 有るゆえに知るのであって 知るゆえに有るとは言えない。のではないか?

 12. この《有る》が うつろいゆかざるを得ないものであることは また別の問題である。

投稿日時 - 2013-09-08 07:30:59

QNo.8254466

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

素人のトンチンカンな答えです。参考になるようでしたらどうぞ。 『<<神>>は補助線か』
にも関係しているかもしれませんが。 


人にとっての存在とは 存在そのものが有意味なモノと思います。無意味なモノも一つの有意味として捉えます。未知な存在も将来には知られる存在と考えます。森羅万象全て有意味の存在です。

他方、認識とは対象としているモノがハードであってもソフトであっても それが記憶の中の存在のであると認めること だと思います。記憶とは記憶媒体に刻まれたものであって 人間の場合 脳です。脳のハード存在が先行しなければ記憶もなく認識もない となります。

しかし、この有意味な脳は いかにして理解されたかが問題です。一個人が誕生(受精細胞活動開始)して以来、一度は母親をはじめとする別人間あるいは自分自身あるいは環境の中の何かの存在が認識され、その認識が脳に刺激を与え脳に記憶を刻みます。そして人間としての機能を持つ脳になると思います。つまり個人の誕生以前に 人の共有認識があって それを利用して脳が出来上がるということです。勿論、認識のみが脳機能形成に役立っているわけではありませんが 欠かせない要素になっていると思います。共有認識は 人類誕生以来 何世代にも渡って この脳に刺激を与え続けているとおもわれます。認識とは人類共有の膨大な有意味な存在なのです。そして 人類誕生時点 突然共有認識が生まれたわけではなく 人類以前の類猿人などとは連続した認識の共有があったとおもわれます。

その延長の 猿あるいは犬の存在とか認識はどうでしょうか。程度の問題であり 人間の場合と同様だとおもいます。ただ未知なる存在領域が相当に大きいということです。将来 人類と共有の存在を得たなら 認識も共有されるでしょう。

さらに推し進めていけば DNAをもつ最も単純な機能生物にまで 程度の問題と理解されると思います。この場合何が記憶媒体かといえば DNAを構成する分子であり 記憶されるものはDNAであり その意味する存在とは生物の命ではないか と思います。圧倒的に未知の存在の記憶は膨大ですが 命DNAは延々と子孫に受け継がれるということです。このDNA構成分子とDNA認識の時間差はなく同時発生のように思われます。この生物は 過去の同タイプの生物のコピーを拡大させるという生物の最低限の定義をもつ生物のように思われます。

それ以前のウイルスは DNAはもっているが 単独ではコピー拡大は出来ず 生物の細胞に進入にして初めて コピー拡大ができます。PC用のメモリーのようなものです。メモリー+CPUなどの機能素子と合体してPC機能が生まれることに似ています。このウイルス取り込み細胞は生物と見做されます、が ウイルスは複雑な分子構造をもつ生物―無生物境界線の無生物ということだと思います。ただウイルスのDNAは記憶された命の意味を意味付け仕損じたように思われます。勿論、無生物であればエントロピー増大仮説に従っています。

存在と認識の問題の一つの始点は 無生物から生物が どのようにして生まれたのか を科学的に説明できるかどうかではないでしょうか。それができれば存在と認識 問題が解決するように思います。
複数のウイルスがある環境化で絡み合えば必ず生物が誕生するのか 僥倖の一瞬が生物を誕生させたのか、私は前者の未知の存在(経験域)にくみしたいと思っていますが 科学的説明は完成しておらず 後者の意見(非経験域のできごと あるは 神の意思)も根強くあると思います。

生物の世界では存在は有意味と思います が無生物の世界では 存在の意味は問えないと思います。例えば 量子力学で解明された電子の動きというコトを認識することは 人間にとって意味があることですが ウイルスにとってはその意味は問えないと思います。意味が問えないコトは私には理解できないということです。

投稿日時 - 2013-09-11 22:08:48

お礼

 ok9608 さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうなんでしょうか。つまり
 ★ 存在と認識の問題の一つの始点は 無生物から生物が どのようにして生まれたのか を科学的に説明できるかどうかではないでしょうか。
 ☆ こういう問い求めの視点ないし仕方なのでしょうか?
 つまりわたしは 知りませんでした。

 おそらくそのとき
 ★ この場合何が記憶媒体かといえば DNAを構成する分子であり 記憶されるものはDNAであり その意味する存在とは生物の命ではないか と思います。
 ☆ ということになれば
 ★ ・・・このDNA構成分子とDNA認識の時間差はなく同時発生のように思われます。
 ☆ というひとつの結論がみちびかれるかと確かにわたしも考えます。
 
 ただひとつ 《DNA 記憶》はよいとして
 ★ DNA 認識
 ☆ というならそれは 誰が・何がその認識をするのか? と問われましょうから 答えは DNA 自身だということになるでしょうか。

 となるなら その《 DNA 自身》というのは 認識機能を持った或る種の存在 ということではないでしょうか?

 微妙ですが もしそうなら DNA は 《みづからを認識したから存在が成り立った》のではなく 《存在が成っているからそのみづからの存在の内容についての認識をおこなった》ということではないのでしょうか?

 すなわち 萌芽としてでもヒトとしての存在が成った ゆえに 認識も始まる。のではないでしょうか?
 それとも 人は・あるいは DNA は みづからを認識しつつ少しづつ存在を成り立たせて行く のでしょうか?
 ★ 命 DNA
 ☆ はすでに 認識機能をそなえた存在なのではないでしょうか?


 あるいはそれとも
 ★ ただウイルスのDNAは記憶された命の意味を意味付け仕損じたように思われます。・・・複数のウイルスがある環境化で絡み合えば必ず生物が誕生するのか 
 ☆ というように 初めに《認識というハタラキ》が存在して そのあとに《認識行為をおこなうヒトならヒトという存在の全体》が成るということなのでしょうか?

 ★ 認識とは人類共有の膨大な有意味な存在なのです。
 ☆ これは ヒトという存在が知解能力をはたらかせておこなって得た認識ないし知識・情報のことを言っているのではないでしょうか? つまり 認識とは 人間という存在がおこなうことでありその結果得たものであるのではないのでしょうか?
 それが代々受け継がれて来ているわけなのでしょうが ということは 《認識なる存在》がその受け継ぎを人間にさせているということなのでしょうか? あるいはつまり遺伝子が ヒトなる存在をつくっており 生きるようにさせているということでしょうか?
 遺伝子は ヒトないし生物なる存在に属すのではないのでしょうか?


 遺伝子にたとえば――《認識》の問題というよりは――《意志》があって ほかの人にゆづるという意志行為をその遺伝子じたいの意志として ヒトにその《ゆづる》行為を行なわせているものであるか? こういう問いに収斂してくるかと考えます。

投稿日時 - 2013-09-11 23:28:51

ANo.10

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回答(11)

ANo.11

No.10です。読んで頂きありがとうございました。以下蛇足です。

次世代へのDNAの伝わり方は 親DNAの大分子構造を構成する各分子のならびかたに従って 順次子DNAの各分子を親と同じく構成していきます。PCのメモリーチップは 予め用意され分子を例えば電気極性をコード規則によって加工していきます。用意されたハードにソフトが記録されるということです。DNAはそうではなくハードからハードに分子ごとに親DNAの最後の分子まで記録されるのです。一分子が記録されないと 次世代に命を繋ぐことにならないのです。この事実を存在と認識という観点からどう評価するかです。DNAが親から子に伝わる様子を 『命を繋ぐという意味を認識しつつあることとその記憶媒体の存在が誕生しつつあること』と見做し 同時発生ではないかと表現したということです。

命DNAは人がそのように意味するということであって DNA自身がどのように認識しているか 今のところ分かりようがありません。現在は その様子をみて人間の言葉で理解しておけばいいのではないかと思います。将来はもっと理解は進むと思います。

勿論、存在と認識については多様な見方があると思います。私が開示したのはその一つであると考えています。続いて 私の考えるところですが 哲学の意味する一つは思考の限界を示すことではないか と思うのです。だから少なくとも先端科学の知識は重要ではないかと思っています。

投稿日時 - 2013-09-13 01:06:03

お礼

 ok9608 さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 ★ 続いて 私の考えるところですが 哲学の意味する一つは思考の限界を示すことではないか と思うのです。だから少なくとも先端科学の知識は重要ではないかと思っています。
 ☆ これは もしそのとき・その時代における現在にとっての《思考の限界》というふうに相対的で変わり得る内容だけではないとしたら・つまりはそもそも人間一般にとっての思考の限界とは これこれであると示すものであるとしたら おおきな意義を持つと考えます。

 言いかえると 一般的な限界としては 次のような区分をしていますという意味です。

 ○ (思考の限界とは) ~~~~~
   
   経験事象
     可知
       既知
       未知
     不可知(分からないと分かっている)
   非経験の場
     非知(分かるか分からないかが分からない)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ むろん《非経験の場》はこれも 補助線です。


      *


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 命DNAは人がそのように意味するということであって DNA自身がどのように認識しているか 今のところ分かりようがありません。現在は その様子をみて人間の言葉で理解しておけばいいのではないかと思います。将来はもっと理解は進むと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《命 DNA 》とは 前回あいまいに捉えてしまいましたが 今回もけっきょくあいまいではあるのですが

    遺伝子・プラス・アルファ = 生命存在

 というふうに捉えます。プラスアルファとは わけが分からないが何かあると見られる というくらいの意味であり やはりあいまいです。

 素人から見て 生命存在ないし生命体であるなら すでに《存在》であって 他方 《認識》ということがあるならそのハタラキは じつは 存在に付属している。といった捉え方でした。


       *


 ★ DNAが親から子に伝わる様子を 『命を繋ぐという意味を認識しつつあることとその記憶媒体の存在が誕生しつつあること』と見做し 同時発生ではないかと表現したということです。
 ☆ ここには ふたつの主題があると見ます。


 (1) それでは 《親 DNA 》の誕生とは なぜは措いておいても どういうふうに成ったのか?

 (2) 《親 DNA 》は 《子 DNA 》へと受け継がれるその前にすでに それとして《存在》であるのではないか?


 ☆ (2)の課題にあっては 《認識》は 副次的な問題であるように思われます。存在に付属するという見方です。

 (1)の主題が けっきょく《命をつなぐ》ことにかかわっていて そのまさにつなぐときに《命の受け継ぎなる意味を認識しつつある》ことと《その記憶媒体の存在》との異同・区別はどうなっているのか? が問われると思います。

 けれども 《記憶媒体の存在》――あるいはつまり 遺伝子の存在か または 遺伝子・プラス・アルファとしての生命なる存在――にあってはすでにみづからの中に《自己認識》のハタラキはそなわっている。のではないでしょうか?

 遺伝子の受け継ぎなるその過程において 片や 生命体が受け継がれるという《存在の継続》と 片や まさにそのことの意味を認識するというハタラキないし自己認識の行為とは 互いに同等に捉えられるふたつの事柄であるということでしょうか?




 まづ分かっていることは 遺伝子が自己認識するゆえに 遺伝子プラスアルファとしての生命体が存在するというのではないと思います。認識作用は 生命存在にそなわったハタラキだと考えられるからです。

 さもなければ 世界は あたかも《認識なるお化け(霊)》が初めにあってこれが自己運動を起こし そこから生命が作り出され やがてその生命存在としてヒトも生まれ出て来た。――といった物語りになるかと思われます。



 では 生命存在の誕生 いえつまり――その主題は大きすぎるので――ここでは 生命体の受け継ぎを取り上げるのですが その受け継ぎにあたって 生命体の自己認識や受け継ぎについての自己認識は その受け継ぎのおこなわれる過程と同時進行しているものか?


 存在が みづからの存在の中で・あるいは存在として 自己運動のごとく 具体物としては遺伝子を自己形成している。のではないでしょうか?
 この自己形成の中で 遺伝子の自己解読のような作業も 《認識》なるハタラキとして おこなわれている。のではないのでしょうか。




 言いかえると 怖れ知らずの発言としては 存在と認識とは 次元が違うと思われて来ます。
 さもなければ 世界は 認識大魔神の支配するところとなるのではないかと思います。
 そのことと コギト エルゴ スムとの関係は どうなのでしょうか。

投稿日時 - 2013-09-13 10:10:39

ANo.9

>《時間 空間》は 《存在》ではない。

 いやはや、臍で茶が沸くな。残念ながら出臍ではないので、沸くのに時間がかかる。
 わざと ふざけているのか?あたまが 止まってしまっているのか?
 
 しゅれりんがの波動方程式でも勉強してくれよ。時空間の存在なくして、電磁波も光も伝搬せん。

 それもこれも認識なのだ。光の挙動も人間の認識が量子的だから光子になる。
 森光子ではないぞ。おそらく、出臍じゃないから、根拠なく公に晒すなよ。

 

投稿日時 - 2013-09-10 04:37:13

お礼

 時間が認識するかよ。

 空間が意志するものか。


 ★ 光の挙動も人間の認識が量子的だから光子になる。
 ☆ その認識をおこなう人間は では誰が・何が認識することによって存在するというのか?

 人間を認識することによってその人間を存在せしめるものは 何か?

 何もない。なら 人間の存在は 認識に先行する。

投稿日時 - 2013-09-10 06:58:08

ANo.8

>その意識・その認識をおこなえるような機能をそなえた生物としての存在があるってこと。

 目や耳や脳が存在してちゃんと機能して、はじめて出臍を認識ができると言うならそれでいいんじゃないか。天動説と地道説みたいなもんだ。

 宇宙は誕生もしていなければ終焉もしていない。
 今、ここで在ることを認識しているから、今、ここに存在している。
 なんにも存在などしていない無を存在たらしめているのは、認識。
 時間、空間を作り出しているのは認識なのだ。

 時間、空間は認識される以前(時間的以前ではなく前提としての以前)に存在しているというなら天動説から抜け出せないってこと。

投稿日時 - 2013-09-09 23:39:52

お礼

 (U) ★ 時間、空間は認識される以前(時間的以前ではなく前提としての以前)に存在しているというなら天動説から抜け出せないってこと。
 (B) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆☆ 〔認識によって〕作られる前に 存在は存在しているってこと。
  ☆☆ その意識・その認識をおこなえるような機能をそなえた生物としての存在があるってこと。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 《時間 空間》は 《存在》ではない。

投稿日時 - 2013-09-10 03:27:32

bragelonneさんこんにちは。

私の投稿に対して回答ありがとうございました。

私のにわか知識で回答ではなくむしろ質問になってしまうかも知れませんが。

この問いを回答する場合、デカルトのコギト・エルゴ・スムという言葉からは、認識が存在に先立つと私は思いますが、この時代の頃の哲学は自分を中心に世界を見ていたそうです。

構造主義はもう流行遅れなのかも知れませんが、現代に近づくにあたり、自分というものを中心にすえて考えず、自分というものは、インターネットのサーバーのような存在と考えるようになっているようです。

このような時代による考え方の変化をbragelonneさんはどう考えて、質問していらしゃるのか、お礼にて一筆いただければ幸いです。

投稿日時 - 2013-09-09 16:46:59

お礼

 なぜか古代エジプト関係のあめんほてぷ2000さん こんにちは。そちらへの回答は おそるおそる投稿しました。さっと去って行かれたので 怒っておられるかなと おそるおそるでした。
 日本晴れでした。
 こちらへのご回答をありがとうございます。


 ★★(あちらでのお礼欄) 私はまたネットから離れ、読書して修行致します。
 ☆ そうですか。ぶっつけ本番というのもよいと思うのですが 深くしづかに潜航する期間をもうけるというのもありなのでしょうね。


 デカルトと構造主義とは どちらも《存在》論として〔も〕あって しかも《主体》という事柄をめぐっては 言わば百八十度違うというようにまで見ることが出来るかも知れません。もっとも モダンとしての出発と ポスト・モダンとしての再出発となのですから どんでん返しのような関係にあるのは 不思議ではないと考えられます。


 《われ考える》は けっきょく理性なのでしょうね。もしくはその理性をとおして捉えるその奥の《〔この場合は 神のごとき〕主体》を見ようとしているのでしょうね。

 構造主義は この神のごとき絶対的な《主体》は したがって 真っ向から反対し否定しました。言いかえると 世界は 《関係》のみから成るのだと。

 真理はしばしば中間にあるようで どちらにも共通の《ふつうの生活者とでも言うべきひと ないし わたし》という人間存在をもって橋渡しするとよいと思われます。

 網の目を成すネットワークのつながり つまりそれとしての《関係》だけではなく そのつながりが交差して結節点をつくる。その結び目としての《ふつうの主体》なら モダニズムの思想にあったとしても 人びと一般にとって邪魔には成らず また 構造主義には この《結び目としてのそれぞれのわたし》は存在するということをつけ加えるべきだと言ってやってもよいと考えます。

 相対的な存在としての《主体》ですし それなら《社会関係》そのものであると見てもよいくらいだと考えます。だって 世界を関係のみから成ると見ているワタシはいるはずですから。



     *

 以上のような《認識》に対して すでにこの認識をおこなう主体としてのワタシは 存在している。――こう考えるのですが まだ 批判点は残っていましょうか。

 うきよとんぼ氏は 唯識論によってのように《認識をおこなう主体》は 《意識》だと言いたいようです。
 わたしは その意識も ワタシの記憶・知解・意志なる能力行為のそれぞれの段階や場面で持たれるその意識のことにほかならない。と言って行きます。
 まるで 《意識》が 世界の元締めであるかのごとくどこかに君臨していて わたしたちの存在をその意識のチカラによって派生させている――かのような世界観のようです 唯識論ないしうきよとんぼ氏の見解は。





 ★ 構造主義はもう流行遅れなのかも知れませんが、現代に近づくにあたり、自分というものを中心にすえて考えず、自分というものは、インターネットのサーバーのような存在と考えるようになっているようです。
 ☆ 《サーバー》がどういう役割りをになうものか。わたしはコンピュータについて無知ですのでよく分からないのですが 《関係》ないし関係組織をあらしめているといったことでしょうか?

 わたしは 《関係の絶対性》(そういう質問あり)というほどの見方をもしていますので その点でのポストモダンの見解は よしとするのですが ワタシもしくは自分というものは いるでしょうね。また いなきゃ 世界観を持てないし 世界に生きて行くこともむつかしくなります。


      *


 ★★ ところで bragelonne さんのアマテラスの哲学体系は完成したのでしょうか?うまくいくことを祈念いたしております。
 ☆ ありがとうございます。

 《 A (アマテラス)- S (スサノヲ)》連関は 社会のいろんな現象を測る物差しのようなものです。
 それについては 次の質問にいくつか回答するかたちで述べています。

 【Q:現代日本に必要な哲学は?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4151421.html
 (ここでも noname#80116 がわたしです)。


 まだ書いていないこととしては たとえば:

 ・アマテラス語:普遍性を問い求める言葉 またその得た成果
    したがって アマテラス科学語 
      および アマテラス人格語  として捉えられる。

 ・スサノヲ語:いま生きて使っているそのままの言葉 またそのあり方
    したがって スサノヲ人間語 と見る。

 ただし アマテラス人格語と言っても それは スサノヲ人間語という土壌すなわち或る意味で泥沼に根を張ってその花を咲かせ実を成らせるのでなければ 根無し草となる。

 また アマテラス科学語と言っても それは スサノヲ人間語を日常しゃべっているスサノヲ市民によってスサノヲ市民のために活用されるのでなければ あまり値打ちがない。普遍科学語と言っていながら しばしば統治のために都合のよいように用いられるに過ぎなくなる。片寄った普遍科学語となる。


 結論:
 したがって アマテラス科学語およびアマテラス人格語を あくまでもスサノヲ人間語にもとづき――未完成であってもよいので――使いこなせるスサノヲ市民が輩出することをめざしましょう。

 その意味では これからは スサノヲ市民の時代である。こう宣言します。

投稿日時 - 2013-09-09 18:35:05

ANo.6

>モノの存在はいざ知らず ヒトなる存在は認識作業の以前にすでに成っている のではないか?

 存在自体を認識が作っているってこと。

 認識作業以前のヒトも認識があってはじめて存在する。

 単なる見る聞く触る認識ではなく、認識の根底である時空間を意識が作っているということで、それも含めて全体として認識。

投稿日時 - 2013-09-09 09:02:59

お礼

 ★ 存在自体を認識が作っているってこと。
 ☆ 作られる前に 存在は存在しているってこと。


 ★ 認識作業以前のヒトも認識があってはじめて存在する。
 ☆ 自己矛盾。


 ★ 認識の根底である時空間を意識が作っているということで
 ☆ ぢゃあ その意識・その認識をおこなえるような機能をそなえた生物としての存在があるってこと。

 

投稿日時 - 2013-09-09 09:48:12

ANo.5

出臍を引っ張ってパッと放したとき、ぶよよ~んと腹にもどるだろう。

出臍はそれ以前に存在してるわけだが、いわゆる認識である、出臍を見たり、出臍を記憶したり、出臍を触ったり、出臍をつまんだりすることだけが出臍を存在たらしめたりするわけじゃない。

認識の前提になる出臍のある空間、出臍を引っ張って腹にもどるまでの時間という存在の前提を作っているのが人間の意識だから、出臍の認識が出臍の存在に先行することになるという話。

出臍は在る故に知るのだか、出臍があるという土台そのものから認識だということで、知る故に在るわけじゃない。

投稿日時 - 2013-09-09 02:24:21

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 そうですかね。
 つまり
 ☆☆(趣旨説明欄)  6. モノは認識によって存在するようになると言った場合 その認識をおこなう存在は では どのように存在することになるのか?

 つまり
 ★ 認識の前提になる出臍のある空間、出臍を引っ張って腹にもどるまでの時間という存在の前提を作っているのが人間の意識だから、出臍の認識が出臍の存在に先行することになるという話。
 ☆ というとき その《意識をもった人間》の存在は どのようにして成ったものか?

 つまり
 ☆☆ 2. モノの存在はいざ知らず ヒトなる存在は認識作業の以前にすでに成っている のではないか?

 ということなのですが どうでしょうか。

投稿日時 - 2013-09-09 03:59:50

kaitara1です。お返事御無用です。どうしても書いておきたかったことですので書きますが、お礼のお返事要りません。私は、あなたのご質問に接して、思いがけず永年のもやもやがすっきりして驚いております。われわれ人間は自分を認識して初めて存在できるようになるというのは貴方のご質問の表題の通りでした。普通のものは存在が先で認識されるのは後だと思います。このような逆転が、時間の逆転と関係があるように思えたので、私なりにもう少し考えたいと思います。お礼はこちらから申し上げたいと思います。

投稿日時 - 2013-09-08 14:56:05

お礼

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ われわれ人間は自分を認識して初めて存在できるようになるというのは貴方のご質問の表題の通りでした。普通のものは存在が先で認識されるのは後だと思います。このような逆転が、時間の逆転と関係があるように思えたので、
 ☆ 例のコギトは 考えるゆえに存在すると言っています。量子論とやらでは 認識によってモノの存在が派生するのだとか。

 ★ 私なりにもう少し考えたいと思います。
 ☆ 分かりました。どうぞかまいませんから さらにでも 考える材料なり途中経過なりを投稿して スレッドを利用し整理しておいてください。

投稿日時 - 2013-09-08 15:08:53

kaitara1ですが、蛇足ながら。
精神病理学者、木村敏さんの「時間と自己」中公新書の中に、自分がなぜ同じ自分に立ち返ることができるのかは僥倖にすぎないというような意味のことが書かれていたと思います。今にして思えば、自分に立ち返っていると思えることが僥倖なので、実は部分的にしか元の自分には戻っていないと思います。部分的にでも戻れれば大丈夫なのだろうと思います。ここにもあなたがおっしゃっている、認識と存在の関係があるように思えます。

投稿日時 - 2013-09-08 11:20:14

お礼

 かいたら1さん あらためましてこんにちは。。ご回答をありがとうございます。


 なるほど そうですね。
 ★ 自分がなぜ同じ自分に立ち返ることができるのかは僥倖にすぎないというような意味のこと
 ★ ・・・僥倖なので、実は部分的にしか元の自分には戻っていないと思います。部分的にでも戻れれば大丈夫なのだろうと思います。
 ☆ このあたり微妙ですが 大事なところではないかとわたしも考えます。

 精神分析論を知らずに言うのですが わたしの自己流の人間学ないし存在論によれば これは 《記憶》という能力行為が 基礎としてはたらいているのではないか。と考えます。

 記憶は おぼえるチカラですが それは 秩序作用をはたらかせて覚えるのであろうと見るわけです。

 《知解》行為つまり認識も 合理的に整理するハタラキを言うものと思いますが 認識の以前にも記憶は・つまりはむしろ感性を伴なったカラダが 秩序作用をはたらかせて その知覚内容を整理している。
 
 あるいはつまり 概念認識より前に起こる感覚=知覚の内容整理のそのさらに以前に 身と心との言わば自己秩序作用といったハタラキをそなえている。つまり記憶という行為能力がなのですが このとき あとは問題として残るのは この《自己秩序作用》においてのみ 《われはわれに立ち帰る》ことを得るのか? それとも 自己秩序のチカラとしての記憶能力をも超えて ナゾの何ものかのチカラがはたらくと見なければならないのか? ――ではないかと思っております。

 もう深入りはしませんし その余力もあまりありませんが おっしゃるように この《自己到来ないし自己還帰》が 人間の《意志》能力のみによって果たされるとは ほとんど思えない。必ずしも証明しうるかどうか分からないと言わねばならないことですが 大方の見方の帰するところは このあたりではないかとも思っております。


 《意志》が 動態としての存在にとっては 中軸だともうしましたが 存在そのものにとっては 意志よりも記憶がその基礎をになっている。かとも考えられます。生命のチカラ・ハタラキといった領域にもつながるのは 記憶という行為能力だと推し測られます。ナゾにつながってもいると考えられます。
 認識ないし知解能力では とてもとてもではないかと考えるわけです。







 木村敏の本について忘れていましたので 探しました。《結び》のところを読み返していて 次のくだりを――引き合いに出していただいた箇所に代えて――掲げておきたいと思いました。


 ▼ (木村敏:『時間と自己』) ~~~~~~~~~~~~~~
 自己が自己自身でありうる可能性の条件を 自己が将来的に自己自身へと到来することとしての自己触発に見たハイデガーと 自己を過去把持的に痕跡として保持することとしての自己触発に見たデリダとの この興味深い対比について論じることは 本書の範囲を超える作業であろう。

 しかし われわれがここでどうしても問うておかなくてはならないのは 将来からの到来でもなく 過去の痕跡でもないような 時間以前の自己とでもいうべきものは果たして存在しないのか という問題である。

 自己ということがを個々の有限な私自身のためにのみ用いることにするならば ハイデガーやデリダが考えたように 自己の誕生と時間の誕生とは厳密に同時的であろう。そのような自己は それが生まれ出たその瞬間において いままで と いまから 以前と以後 過去と未来に引き裂かれている。しかし それ以前の自己 生まれてくるよりも前の自己 禅でいう《父母未生以前》の自己といったものは どうなっているのか。

 そのような自己以前の自己を 自己と言うことはできないだろう。ことばで言えば すでに自己は自己として限定され 自己への到来としてであれ 自己の痕跡としてであれ 時間を流れはじめさせてしまうだろう。禅は《不立文字》ということを言う。 しかし 不立文字とは無意識ということではない。文字を立てない意識 自己とは言わない意識において 自己や時間はどのようなありかたを示すのであろうか。


 このような原自己や原時間が見えるようになるためには 日常の自己意識や時間意識が破られて 現在が未来や過去とのつながりを失い 純粋な現在それ自身として出てこなくてはならない。もちろん われわれは有限な生の相にとどまるかぎり この永遠の現在に安住することは出来ない。それはわれわれにとって死を意味することになるだろう。

 しかしそれでも われわれは元来はこの死から生まれ出てきた存在なのである。生への限定は 本来不自由で不如意な拘束にほかならないのであって 生としての日常性は それ自身の制縛からの解放感を味わうために 自らの中にときどき自分自身の故郷である死への通路を開こうとする。日常性の厳しい監視の眼をかすめて 生はひそかに解放の祝祭に酔いしれようとする。

 仔細に見れば われわれの日常性は大小のこのような祝祭によって いわば穴だらけになっているのではないのだろうか。仕事のあとの一服の煙草が 音楽に心を奪われているひとときが 見知らぬ土地への旅情が すでに日常性の中にまぎれこんだ祝祭的な非日常の性格をおびている。そこにはすくなくとも暗示的な形で永遠の現在が姿を現わしているのではなかろうか。
 ( 1982 pp.180-182 )
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 質問者の持論は 《ナゾの何ものか》と言っていて 《ひらめき》が鍵語となっていますが 同じことを言っているように 臆面もなく言えば 思います。・・・

投稿日時 - 2013-09-08 14:21:49

熱力学第2法則(エントロピー増大則)は認識や意思がなくても現象の存在を保証していると思います。現象の中にはエントロピーが減少するものもあります。この場合時間が逆行しているかのようです。生物は、このような時間逆行現象の特別なものだろうと思います。自分の状態を認識しながら、時間を逆行させて過去に自分に戻っています。人間は体が時間を逆行させていることを認識しています。

投稿日時 - 2013-09-08 09:23:44

お礼

 かいたら1さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 わたしには 残念ながらちょっとむつかしいところもあるのですが 

  ○ 認識は 存在に先行するものではない。

 というご見解であると受け取ってよろしいでしょうか。


 ★ 生物は、このような時間逆行現象の特別なものだろうと思います。
 ★ 人間は 体が時間を逆行させていることを認識しています。
 ☆ モノとは違う存在として 生物なかんづく人間について 例証されたと受け取ってよいでしょうか。

 ★ 自分の状態を認識しながら、時間を逆行させて過去の自分に戻っています。
 ☆ これは 重要なご指摘であり その内容も 重要な要素だと思います。

 モノと違って 《言葉を持ち 思惟および行動の軌跡としての歴史をも持つ》存在である人間にとって われに立ち帰るという要素が 《時間を逆行させて過去の自分に戻》るという以上の重みを持つものと考えます。
 
 つまりは 《自分の状態を認識しながら》と指摘されたところ ここが肝心だと思います。

 たぶん・おそらく 童心や赤ん坊の心といった《自然本性のままの我れに立ち帰る》というのは おのれの意志とその努力だけでは無理なのではないかと考えるのですが――つまり 或る種のヒラメキがあたえられるのでなければ なかなかむつかしいと考えるのですが―― それでもそのヒラメキを得たならば あらたなワタシとして思惟し行動するというのも 意志による こうも考えます。

 この意志が 《自分の状態を認識しながら》を引っ張って行くものと思います。



 このような意志行為の歴史が いかんせん・かなしいかな うつろいゆかざるを得ない性質をまぬかれない。このことも 考慮に入れる必要があるのでしょうが だからと言って この意志の実存行為がすべてモノに帰すると 悲観し絶望するのも早計である。こう考えます。

 この考えは 無根拠にもとづくものなのですが。つまり 無根拠を根拠とすることほど うつろい行かないことはない。とも考えられます。

 ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-09-08 10:06:01

ANo.1

弱さか。いいじゃん弱くって。よくそこまで考えたね。6番か、自分自信だろ。あとは、すべてはいです。

投稿日時 - 2013-09-08 08:12:15

お礼

 あってぃ1228さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 おおむね賛同いただけたでしょうか。

 ★ 弱さか。いいじゃん弱くって。
 ☆ この《よわい》というのは 語弊があるかと思い カッコ内に言い直しをしました。おおむね よさそうでしょうか。


 ★ 6番か、自分自身だろ。
 ☆ そうですね。
 
  ☆☆(趣旨説明欄)  6. モノは認識によって存在するようになると
    言った場合 その認識をおこなう存在は では どのように存在する
    ことになるのか?

 こういう問題を 意外とひとは言って来ていないようにも感じました。だとすれば この問い求めにおけるミソになるかも知れないと思います。


 ★ あとは、すべてはいです。
 ☆ ありがとうございます。さらに回答を見守ってまいります。
 

投稿日時 - 2013-09-08 09:47:07

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