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実質的な日本建国の日

こんにちは。

当「教えて」の歴史を見ていると色々勉強になります。
自分も日本人として日本の歴史を改めて勉強したくなりました。
そこで、そもそも「日本」という国はいつできたのか。を勉強したのですが。

日本は「建国記念の日」として2月11日(旧暦1月1日)と制定されていますが、これは紀元前
660年1月1日(旧暦)に神武天皇即位の日とされています。
ただ、神武天皇も実在の人物か否かの議論もあり、また、当時はまだ国号として「日本」とは
名乗っていなかった。

日本列島に人が住み始めたのが約3万年前。当時アジア大陸と陸続きで当時住んでいたのが
縄文人であったこと。
約1万2千万年前に氷河期が終わり、大陸から分離したがその後も大陸と交流があり、紀元前
8世紀頃、中国南部を中心とした稲作文化を持つ弥生人が入って来て、やがて「ヤマト」王朝に
発展しました。

7世紀後半から8世紀にかけて「ヤマト」王権は「日本」国号と「天皇」称号を設定したとあります。
当時「唐」で制定された「唐暦」に702年「日本国」からの遣使があったとの記録もあったと。

ただ、まだ日本は統一されてなく、九州南部や東北の北部、北海道は領域外だったとのこと。

こう調べていきますと、歴史学は不勉強ですが、実質的なといいますか、実行上といいますか、
近代日本(明治維新前)に近い領土、政治、文化を持つようになった「日本」とはどの時期だった
のかが、よく解りません。
「建国記念の日」は神話の要素も入っていますので、それはそれとしまして、実質的な「日本」
建国はこの時期だ、と思われる方がいらっしゃいましたら教えてください。
それでどうなるものでもありませんが、色んな角度で構いません、よろしくお願いします。

投稿日時 - 2013-09-30 17:24:30

QNo.8285999

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

どうなんでしょうね…

ご指摘のようにヤマト王権は7~8世紀にかけ急速に発展。国家としての体裁を整えることに異論はないのかな?とは思います。

そうした中で初期ヤマト王権とよばれる政治集団があるとも考えられていますよね。
それは具体的に暦年で何年か?まで細かく指摘されるモノではありませんが、畿内を出発し全国にその墓制が広がる前方後円墳こそが、地方における初期ヤマト王権への服属を示すメルマークとは言われますよね。

その部分で考えれば、初期ヤマト王権は前方後円墳の築造でも早い時期(箸墓古墳、3世紀後半~4世紀前半ころか?)から、ある程度の国家を思わす体裁が整っていたのかもしれませんね。

そして、その頃はというと…
そうなんです3世紀中葉、邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなったとされる年代と近いんですね。
そうした関係からも、初期ヤマト王権と邪馬台国の関連性の追求がある。
それこそが、いわゆる”邪馬台国論争”とよばれるモノだと思いますが。

投稿日時 - 2013-09-30 22:04:43

お礼

子供の頃は「ヤマト朝廷」と習いましたが、現在は「ヤマト王権」というのが一般的のようですね。

ヤマト王権、邪馬台国、前方後円墳等と調べていきますと、初期の古墳は3世紀から前方後円墳のような
巨大な王墓まで、九州南部や東北北部を除く全国で発掘されているのが解りました。

ヤマト王権の各首長(今でいう県知事みたいな)というのでしょうか、中央との交流があったようで、
大小はあるものの、皆ほとんど同じ形をしているのは、初めて知りました。
ということは、初期ヤマトは3世紀から力を持っていたということになります。

それと、邪馬台国の卑弥呼との関係です。
九州説、近畿説が有名ですね。

邪馬台国の時代は倭国(後の日本)の中の有力な連合国でその都が九州か、近畿かでの論争だと理解
しました。

「邪馬台国」と「ヤマト王権」はどのような関係にあったのでしょうか。
関係があったとすると、女王卑弥呼はヤマトとどのような関係を持っていたのか非常に興味が湧きます。

「邪馬台国」では租税や賦役の徴収が行われ、国々にはこれらを収める倉がつくられていた。或いは
「邪馬台国」の北方の諸国には一大率という官が置かれ、諸国を監視していた。等 ある程度国らしい
体裁はあったような気もしますから。
邪馬台国が日本の原型の原型かも知れません。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-01 16:56:34

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回答(12)

ANo.12

建国の日自体に意味がある、とは思いません。
独立戦争をした、とか内戦の帰結として新権力が成立した、等のことを言うのなら、
サンフランシスコ条約にて日本が独立した日が建国の日でしょう。
ただ、天皇制を残したままですので、改めて独立と言われると、違いそうです。

ヤマト王権が西日本を制圧した頃が日本建国の時代であって、日を論議することにあまり意味があるとは思えません。

投稿日時 - 2013-10-02 07:59:36

お礼

古代日本に関する資料がほとんど残されていませんよね。
特に5、6世紀までの資料ってなくて、中国の史書(魏志倭人伝等)や古墳からの出土品等から学者さん
達が研究しているようです。

したがって、アメリカのように独立宣言書みたいものがないため、日本書紀等から現在の建国記念の日を
定めたのも意味はあると思います。

人によっては、「今の日本はいつできたのか?」との問いに「明治維新から」と答えるのもあながち間違い
ではないし、「ヤマト王権から」と答えるのも正解かどうか別にして間違いではないと思います。
学者さんですら解らないのですから。(今日ではほぼ回答が出てるのか解りませんが)


uen_sapさんが言われるように、私もヤマト王権が西日本を含め東北南部あたりまでを治めたあたり、
時代としては飛鳥時代ではないかと思います。8世紀初頭の大宝律令制定の時期と考えると飛鳥時代ですね。
ただ、大宝律令も原文が残っていなく、その後の養老律令を参考に復元したのだそうです。

コメント有難うございました。

投稿日時 - 2013-10-02 14:37:21

ANo.11

他の回答やそのお礼を見てなんとなく思ったのですが、
おそらく国家が独立するときの基準となる、主権・領土・国民を領土・政治・文化になぞらえたのでしょうかね?

さて、私が日本の成立時期をいつと考えるかとなると、あまり論理的に導き出したものではありませんが今の日本人が民族として形成された時期、すなわち弥生時代をあげますね。
もともと日本列島に居た民族と、大陸から稲作文化を伝えた民族が融合して日本民族ができたと思っていますので、その時期を日本の成立時期と考えます。

投稿日時 - 2013-10-02 01:01:12

お礼

国として、民族意識・国家意識を持ち始めた3~4世紀、すなわち弥生時代なのかも知れません。

天皇の持続を核とする長い歴史を考えると、日本の歴史は世界最古に匹敵するものではないでしょうか。

こう考えると、ちょっとゾクっとします。

日本人の祖先は古モンゴロイド、新モンゴロイド、および非モンゴロイドもいたかも知れませんが、これらが
混ざり合い、独自の人種になりました。(違ってたらごめんなさい)

また、この時期から中国や、朝鮮を通して、さらに東の文化・政治等を取り入れ、日本独自にアレンジして
日本固有の社会・文明を育てきたと勉強しました。 現在の日本にもそのDNAが生きています。

最初の国家形成の兆し、弥生時代。と私なりに考えます。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-02 14:05:19

ANo.10

 先を越されてしまいましたが、「律令」の問題があります。けれどもこの「律令」も「一つの権力で全国を一律に」統治できたかといえば、事実とも異なります。
 システムとしての「律令」での「最高権力機関」は制度としての「太政官制度」であり、天皇何ぞではありません。文書形式上は「奏上」と「勅」はありますが、実務権力は官僚組織の頂点にある部分であり、法の及ぶ範囲も蝦夷がある様に「全国統治」とは言い難い側面もあります。
 とはいえ「体系としての法」ですから「それなりの効力」があったことも事実で、「そこからはみ出した部分」が実効支配とその権力を掌握していたことを考えてみますと、日本人の「法規範意識」には比較対照する中国や西洋とは異質な要素を考えねばならないことにもなります。
 「アジール(聖域)」の問題を考えてみるなら、「そこに匿われた者」は例え卑賤の身分でも寺社との関係によって庇護されていますから、世俗での法規範からははみ出した存在とすることもできます。律令ならば差し詰め「私奴婢」にあたる彼等が「神人」として一定程度の特権を有しているのですから、律令から観たら「社会秩序の捻れ」とてオカシナ話になってしまいます。
 中世の武家法や寺院法そして公家法や地下法が全て「律令のおよぶ範囲外」で派生したことが何を意味するのかを考えるなら、近代法の視点とは別の分析視角で考察する必要があると考えられます。
 そしてもう一方には「離合と集散」の問題もあります。一度「確立した」とされるものが、崩壊するとの現実を考えますと、律令システムが確立されたのが8世紀でありながら、その後ほどなくして崩壊過程に向かい、9世紀には実質機能し得なくなり、その後「律令」が人の口の端に上るのは御成敗式目との対比を記した鎌倉時代を待たねばなりません。それほどに実効性のない法が「基本法」としての意味をなすものでしょうか。
 戦国時代の分国法も律令の範囲外にある存在です。そして例外として「武家・公家・寺社」を一つの実行支配下に置き「全国そして全階層を支配統治」した徳川体制がありますが、それが270年足らずで終焉を迎えてしまい、実効支配の崩壊はそれ以前から始まっていたともされています。信長・秀吉には「全国レベル・一律同一基準での法」との意識はありませんから除外されます。
 こう考えてきますと、「日本を規定する法とそれに基づく全国的実効統治」はやはり「徳川の時代」に始まるとの見解が即していると考えられます。

投稿日時 - 2013-10-01 23:42:28

お礼

律令制度は古代中国からの理想制度で、「土地と人民は王の支配に服属する」という理念を具現化しようとする体制であった」との後の解釈からも、そう長続きはしなかったそうですね。

TANUHACHIさんが言われるように、天皇から委任された政治とはいえ、徳川幕府はある程度安定した国を
運営したと言えると思います。

回答者様へのコメントに書かさせていただいたものですが、日本国建国の断面として、大雑把ですが以下の
私見を申し上げました。(各回答者様のご意見を反映)

邪馬台国・・・烏合の衆からそれなりの連合国を構築
ヤマト王権・・・大宝律令による法治国家の基本をなす(領地はほぼ現在の日本の8割を治める)
江戸時代・・・安定的日本統一(私見)
明治維新・・・近代国家へと脱皮
終戦(日本国憲法施行)・・・国民主権、基本的人権、平和国家 先進国となる

このように、その時代・時代により、より良い国つくり(そうでもない時代もあったと思いますが)
をしてきたのだと思います。

従いまして、人により「日本という国がいつ、どうできたのか」との問いにはさまざまなご意見がある
のは当然ですし、それは違うというのもナンセンスです。

まだまだ勉強しますが、日本という国を竹に例えるなら、上記5つの大きな節から生っているのだと
思いました。

律令に関する詳しい解説、ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-02 00:43:52

ANo.9

律令が出来た時が国の始まりだと思うんですよ
この国はこの基本法で運営すると内外に宣言した訳ですから
そう考えると大宝律令制定が建国の年でしょうね

投稿日時 - 2013-10-01 21:54:46

お礼

私はまだ薄っぺらな勉強ですが、古代日本から通して「大宝律令」制定が我が国初の法制定であること
を勉強し、なんとか国家らしくなったのではないかと思いました。
やはり「日本」という国号にこだわってしまいます。この「大宝律令」でこの国は「日本」という国なのだ
と宣言したといのはインパクトがあります。

この前にも令はあったそうですが、律がなかったそうですね。

概ね、日本国の基礎(原型)は飛鳥時代にできた、と言っても過言ではなさそうですか。
こう書くとまたご意見が来そうですが、あくまで私見です。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-02 00:02:40

NO4です

質問者様のコメントを拝見いたしまして。
本当は年月日まで確実な意見を提示できれば良かったんですが<m(__)m>

いずれにせよ、質問者様のコメントにあるような部分で、いわゆる邪馬台国論争ですね。
畿内にあった邪馬台国が存在したのであれば、それは少なからず後に奈良盆地、あるいは河内地方に威を張る初期王権と少なからずかかわりがあるのでしょう。
それはつまり邪馬台国は順調に発展し初期ヤマト王権を経て、いわゆる大和朝廷とよばれる政治勢力を形成した。あるいは邪馬台国は初期ヤマト王権に滅ぼされ、その初期ヤマト王権が、大和朝廷に発展する。
そのいずれかのアクションがあり、それをもとに画一的な墓制である前方後円墳を考えてゆくという事ですよね。

そして九州に邪馬台国が存在したと考える場合、そこに後の大和朝廷との連続性を想定しない方が多いですよね。ただし、中には九州に発生した邪馬台国は順調に発展、次第に東へ針路をとり、ヤマト王権を樹立した。などの東遷説なども、最近は元気がいいですよね。
この東遷説の特徴として、当初から質問者様が問題とされた神武天皇との兼ね合いの中で、記紀にえがかれる神武天皇の東遷は、その歴史を象徴化して描かれるのでは?などは言われますよね。

ちなみに、その東遷説といった主張の中心には、現在、安本美典という方がおられますよね。
この方の話によれば、数理統計学的に考えた場合、神武天皇の活躍年代が3世紀後半(280~290年代)などと予想する事などから、系譜の上で神武天皇の5代前となる天照大御神の活躍年代は230~240年代。つまり、卑弥呼の活躍年代と合致する。などと主張しますよね。

もちろん、実証レベルで越えなければならないハードルは決して低くはありませんが、古代のロマンを感じさせ、かつ、あながち荒唐無稽とも思えない諸論ではありますよね。

投稿日時 - 2013-10-01 18:38:05

お礼

仮に畿内にあった邪馬台国が順調に発展し初期ヤマト王権を経て、いわゆる大和朝廷に発展。

あるいは邪馬台国は初期ヤマト王権に滅ぼされ、その初期ヤマト王権が、大和朝廷に発展する。

また、九州に発生した邪馬台国は順調に発展、次第に東へ針路をとり、ヤマト王権を樹立した。

いずれの説も今日の日本に絶大な影響を与えてきたことは言うまでもありません。

いずれにしましても当時から「くに」として、今で言えば地方自治体みたいな連合体があったと推定
されていますから驚きです。 今でも生まれ故郷に帰る場合、くにへ帰ると聞きます。あんたのくには
どこだい?みたいに。

願わくば、この時代の文献とか遺跡から手がかりが見つかるといいですね。

詳細なご説明有難うございました。

投稿日時 - 2013-10-01 23:49:13

ANo.7

>近代日本(明治維新前)に近い領土、政治、文化を持つようになった「日本」とはどの時期だった
のかが、よく解りません。

こう定義されたら明治元年としか言いようが無いでしょう。明治維新でがらっと政治体制が変わっていますので。

建国について領土・政治を含めるのはいかがなものでしょうかね?
これはどこの国でも時代時代で変遷するものです。
建国の概念を置くなら、その国の理念・精神(多くの国では憲法・あるいは王朝をよりしろとします。)、あるいは民族というのが多いような気がします。
前者を採用し天皇制で見るなら、3世紀の大和王権の成立時期となるでしょう。
後者の場合も日本だと大和民族(大和王権傘下の民族)という考え方になるので結局同じですね。

投稿日時 - 2013-10-01 15:56:39

お礼

すみません。
今、自分が回答しようと思えば、同じような質問をします。
>近代日本(明治維新前)に近い領土、政治、文化を持つようになった「日本」とはどの時期だった。
これは要らない文章でした。

jkpawapuroさんが「日本ていつからあったの? 日本ていつできたの?」と聞かれた場合、どうお答え
になりますか、という趣旨の質問でした。これはむつかしい質問だと思います。

勉強するにつれ、歴史家のみなさんも意見が分かれている、というか結局解らない。
なので、「建国記念の日」に至ったと素人ながらに理解したつもりです。

日本の建国(国の基礎を含む)とは。※回答者さんからのご意見を含みます。

邪馬台国・・・それなりの連合国を構築
ヤマト王権・・・大宝律令による法治国家の基礎(ほぼ現在の日本の8割を治める)
江戸時代・・・日本統一
明治維新・・・近代国家へと脱皮
日本国憲法施行・・・国民主権、基本的人権、平和国家 先進国となる

えらく大雑把ですが、それぞれがその時代の大きな歴史を刻み、その時その時での建国なのかなあ、
と思うようなってきました。

こんな感じで、娘がアメリカの友達から聞かれた「日本ていつできたの?」に対する答えを返して
あげようかと思います。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-01 23:24:30

ANo.6

現在の皇室と系譜的につながる王朝が創始された日、ということで良いのではないかと思います。国家としての連続性を判断するうえで、国号が今と同じ「日本」かどうかというのは本質的な問題ではありませんし、変遷があって当たり前の領土を基準するのも無意味です。もちろん、現在の「建国記念の日」には神話的要素も含んでおり、実質的な建国の時期は不明とせざるを得ませんが、現在の日本が天皇を頂点にいただく国家であり、天皇の地位が歴史的に神話と不可分の関係にある以上、神話にもとづいて一応の建国の日を定めることには、それなりに合理性があると思います。

投稿日時 - 2013-10-01 15:03:35

お礼

当時、倭国として唐の皇帝と同等の天皇を創設したことも勉強しました。
百済との連合軍が負け、危機感を持ち中央政権を創設しながら東アジアから一線を画していったとの
戦略といいますか、倭国(日本)が唐の文化・政治・法を模倣しながら日本独自の律令・文化を育て
ていったことが窺がえます。

「国家」の定義を勉強しましたが、現在においては「領土」、「国民」、「政府」が3要素のようですが、
古代日本においての「領土」は国際的に決められたものでは無いことですし、現在でも揉めています。

「建国記念の日」を否定するものではありません。
史実は、はっきりしないが、日本にも建国の日が必要なことから日本国の象徴である天皇(初代)即位の
日を建国記念の日としたことは頷けます。

色々勉強になります、
ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-01 22:39:42

>近代日本(明治維新前)に近い領土、政治、文化を持つようになった「日本」とはどの時期だった
のかが、よく解りません。
「国」というのをどのようにお考えでしょうか。
(1)どこか中央に政府があって地方にその下部機関があるようなものを国とお考えでしょうか。
(2)ご質問の文章の最初を「江戸時代に近い・・・」と読み替えれても宜しいでしょうか?

(1)の場合ですと、領土をどう考えるのか。ということになります。
ユーラシア大陸と中国の関係を見て下さい。歴史上、中国の「国」がユーラシア大陸全部を中央政府の管理下においたことはありません。ここからここまでがおれの所としただけです。
同じように、日本列島の中の一定の区域をおれの所だといえば領土は確定します。
だとすれば、中国の歴史史料に残っている卑弥呼なる人物が何時からいたのか?ということになります。
その後の大和朝廷にしても、東北地方へ軍勢を送って領土を広げていますが、北海道や沖縄は眼中になかったでしょう。
この中央に政府があって、という前提も室町時代のころからだんだんあやしくなってきました。
歴史学者によっては、室町時代には国家は存在しなかったと言っている人もいます。

(2)ですと、幕府という一見中央政府のような役割を果たした組織はありましたが、実際上は各藩の内政には一切口出しが出来ませんでした。藩も譜代、外様とに区分されていて、外様は幕府の行政には一切参加できませんでした。
言い換えれば、戦国時代以降は独立国家の集合体であっただけということになり、中央政府によって統治された日本というまとまった「国」はなかったということになります。(天皇は居るだけで実質的な統治能力は持っていませんでした)
対外的な外交権を、幕府がもっているのか天皇が持っているのかということを明治維新の際に大激論が繰り広げられました。
今でも、お年寄りは出身県を聞くときに「お国はどちらですか?」と聞きます。

と、いう事で、建国記念日や紀元節は明治になってから、適当に決めたものですので、歴史上の建国記念日というのは存在しないというか考え方次第ということになります。

文化の共通性については万葉集にみられますように、相当に早い時期から普遍化は進んでいたようです。
突き詰めると、縄文人と弥生人がどの程度共通部分を持っていたのか?ということになります。

但し、意識としては、海の向こうに違う「国」があるということは早い時期から持っていたようです。
おそらく、中国大陸や朝鮮半島からやって来た人たちが教えたのでしょう。

投稿日時 - 2013-10-01 10:11:34

お礼

>近代日本(明治維新前)に近い領土、政治、文化を持つようになった「日本」とはどの時期だった
のかが、よく解りません。

済みません。誤って書いてしまいました、近代日本とは明治以降、太平洋戦争終結までですが。
それ以降を現代日本ということですね。
済みません、質問の趣旨につきまして、上記文言はあまり意味はありませんでした。

各回答者様からのご意見をいただきすごく勉強になります。

「日本の国はいつできたのか」というのは、勉強すればするほど、答えがないということが何となく
解ってきました。
特に、7世紀あたりまでの証拠が日本にはあまり残っていないということ。
それ以前の歴史は中国の史書から想像するレベルだということが解ってきました。

ここで、再度質問を変えたいと思いました。

外国人の方から、「日本という国はいつできたんですか」と聞かれた場合、皆さんどうお答えになりますか?

長女がアメリカに住んでいまして、7月4日、アメリカの独立記念日ですが、ひょんなことから友達から
「ところで日本はいつから日本てなったの」と聞かれたそうで、答えられなかったとのこと。
私に聞いてきました。
私にも解りません。学校で教えてもらっていないからです。
単純なのは日本はいつから日本ていうようになったのか、です。

そこで、勉強するようになりました。
「建国記念の日」を否定することは全くなく、日本独自の天皇(皇室)が古代日本からの柱であることは
十分理解しています。

今、娘に対して日本という国はこうして生まれ、こうやって発展してきたんだよ、ということを概まかに
説明してあげたいと思い勉強してます。

すみません。お礼になっていまいかも知れませんが 有難うございました。

投稿日時 - 2013-10-01 22:07:44

ANo.3

明治元年1月1日です

投稿日時 - 2013-09-30 21:11:46

お礼

日本が近代国家とへ歩みだした時期ですよね。

この時期も1945年の敗戦とその後の現日本国憲法により、国民の価値観が大きく変わった時期ですね。

この時期もある意味新たな日本国の誕生と言えるでしょう。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-01 14:59:27

ANo.2

 こんばんは。この問題ですが多分に「その人の価値観」により、様々な見解が出されて当然の問題であると存じます。
 社会科学としての歴史学の立場からすれば、僕は「1947年5月3日」が相応しいと考えます。何よりもこの国にあって、それ以前とは全く異なるシステムである「国民主権」そして「基本的人権の尊重」が現行憲法の登場により保証されたエポックメイキングともいえる。
 こうした意見に対し異論が寄せられることも承知しておりますが、その方々の意見も「多様な価値観を認める」との前提に基づいて保証されている事実があり、全てを「国権」「国のため」と抽象的な文言に逃げ込むことは、そうした前提すら認めていないとの偏頗な考え方に基づいたものであることにすら気付いていないとの点で、片手落ちと言わざるを得ませんから。

投稿日時 - 2013-09-30 19:27:13

お礼

国家をどうとらえるかによって、その時代の在り様を国家(国)の始まりと捉えられるのでしょうね。

質問の文面からはその辺のニュアンスが伝わらなかったことをお詫びします。
TANUHACHIさんの言われることも不正解ではないと思います。

現代日本における憲法は世界に類を見ない素晴らしい憲法だと思います。
「国民主権」、「基本的人権」、「平和主義」の3本柱は世界に誇れると思いますし、ここから国民
の価値観が180度変わったのも確かなことだと思います。


私がお尋ねしたかったのは、古代日本において、「倭国」→「日本」となった時代、国というものが
存在しない時代から、統治する者が現れ、そこから国(領土)ができ、法律ができ、現代日本の基盤
となったのはいつ頃なんでしょうか、という意味合いでした。

まだまだ勉強不足ですが、「建国記念の日」とされる紀元前660年1月1日(旧暦)の神武天皇即位
の日から、2676年の月日が流れている訳で、一朝一夕にはとても勉強できません。

今、自分がいるのは、こうした途方もない長い年月を経て自分が存在している訳で、どこかの歴史で
違った歴史になっていれば、今の自分は存在しないです。きっと。

ということも考えてみますと、日本という国ははどうやって生まれたのか、どのような歴史を辿って
きたのかを知りたかったのです。

長文になってしまいすみませんでした。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-01 13:59:32

ANo.1

7世紀後半だと思います。

理由。

1,天皇という号が成立したのが7世紀後半、大宝律令で
「天皇」号が法制化される直前の天武天皇ないしは
 持統天皇の時代とするのが通説である。(wik)
 天皇という号は、中国に対する独自性の徴表として
 の意味でそう称した。
 中国は、これでは中国皇帝よりも偉そうだ、という
 ことで激怒し、日本討伐の話まで出たが、当時朝鮮と
 揉めていたので、この話は実現しなかった。

2,白村江の戦いに敗れて、それで中央集権化の必要を
 悟り、国作りを積極的に始めたのが、この頃であった。
 古事記もこの頃に、中央集権化の一環として編纂された。

投稿日時 - 2013-09-30 18:22:15

お礼

701年に完成した大宝律令を翌702年に諸国に指示した。
日本史上初めての律令だったとのことですね。
唐の律令を基に、日本の国情に適合させるよう修正を加え完成させたと。

やはり、この時期が日本の基礎とまでは言わずも、少なくとも領土を持ち、中央政府が存在し、国民がいて、
法律がある、法治国家の原型ではないでしょうか。

また、大宝律令で初めて国号である「日本」が定められたとあります。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2013-10-01 13:05:55

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