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解決済みの質問

シントウの世界観

 ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論
 
 第八章 シントウの神学と世界観

 1. 次のように図解できると思う。

 ○ (モノとコト e = mc^2 ) ~~~~~~~~

 モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主)
 コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主)
  ↓        ↓            ↓
 自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ☆ このたたき台にてご批判をどうぞ。期待します。

投稿日時 - 2013-12-31 07:00:25

QNo.8407616

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質問者が選んだベストアンサー

ジンドウ
神道 から 
しんとう
神道 へ
――ある概念の形成――
マーク・テーウェン(Mark TEEUWEN)
オスロ大学
(訳:星野靖二)

http://21coe.kokugakuin.ac.jp/articlesintranslation/pdf/Teeuwen-ver11.pdf

検索したらこのようなpdfがありました。
全部、読んでいませんけど、

昔の神道は、ジンドウと言っていたのでしょうか?

投稿日時 - 2013-12-31 10:47:13

補足

 ○ マーク・テーウェン:神道(ジンドウ)と神道(しんとう)の成立についての比較考察
  http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/49317/1/teeuwen-2010-Tour01-120.pdf

 ☆ この論文についての批評です。

 1. このジンドウもシントウも けっきょくそこで扱っているのは いわゆる律令体制が出来たあとの国家という社会形態に対応したものにほとんど限られるようです。
 
 2. 律令制がつくられるときに 一方で 国家の成立以前に人びとのあいだに持たれていた神々はすでに 神祇(このばあい ジンギ つまり 神をジンと読んでいますね。見落としました)として非仏教(あるいは非儒教・非道教)の側からは あらたな形で捉えられるようになった。これは 言うなればヤマトイズムという見方であるかも知れません。

 3. 他方その同じ土着の神々は ブディズム派の見方からは 神道(ジンドウ)としてブッダやタターガタ(如来)の中におさめられたかたちで捉えられた。

 4. つまり 神々の祀りは ヤマトイストの神祇祭祀と ブディストの神道(ジンドウ)祭祀との両方の見方があった。

 5. 初期のアマテラス天皇は 摂政アマテラスに取って代わられ その抽象的な存在としてアマテラシテ象徴となって行く過程が あった。そのとき 神祇祭祀のほうは チカラを失って行った。

 6. ということは ヤホヨロヅの神々は ブディズムの支配下におさめられ ジンドウ祭祀としてかろうじて命脈を保った。神宮には 神宮寺さえもが建てられた。いわゆる本地垂迹説である。

 7. ただし伊勢内宮では アマテラス天皇の宮であるゆえ その神宮寺が廃絶させられるといった反動のウゴキもあった。

 8. けっきょくのところ ヤマトイズムの側からは ジンドウ祭祀の制度的形態の中から かろうじて神道(しんとう)という名目の祭祀を《発明》して命脈を保とうとした。

 9. この神道(しんとう)は すでにその推進派のヤマトイズムは けっきょく市民の観点からではなくアマテラス公民の目線で打ち建てたものであるからには シントウイズムである。すでにタメにする主義主張であり観念体系である。

 10. どういうことか? 崇神ミマキイリヒコ市長や市民オホタタネコにとって神(神々のなかの・またはそれらの全体としてひとつの神)は オホモノヌシ=ヒトコトヌシの神である。単純に言って このオホモノヌシに アマテラスなる神が取って代わったということである。

 11. 伊勢の地でも元からのトヨウケ(=穀物神)は 外宮に追いやられ内宮には アマテラスオホミカミが鎮座ましますようになった。(三輪山の大神神社には 祀られなかった。拒まれた。のち 摂社の檜原神社には祀られた)。
 
 12. かんたんな歴史を言えば かむながらのみちとしての古きシントウは 人びとの生活の中に息づいていた。これを やがて社会が国家という二階建ての家にかたちを変えたとき いきさつを別とすれば そのお二階さんたちの目線から ヤマトイズムの流れに沿ってのごとくシントウイズムが ブディズムに抵抗しつつのように つくられた。

 13. このシントウイズムは のちのちさらにアマテラス王政復古のときには 国家神道としてつくり直された。スーパー・シントウイズムである。

 14. ブディズムは その受容の初めは おおむねアマテラス公民の中から始まった。この二階仕立ての――鎮護国家のための――ブディズム―が やがて一階の市民たちの生活日常の思想として・また信仰として作り直されることもあった。

 15. 生活シントウは ブディズムなどは目ではない。ただ ブッダターという心のきよらかさなる霊のことは受け容れた。(これは アートマンと同じ霊我であるが アートマンの伝統は日本にはなかった)。それと 鎌倉仏教のように 市民次元のブディズムのあり方を模索した。そこから得たものは 親鸞の《信の構造》論だけでじゅうぶんであったろう。

 16. シントウは もともと二階などがない時代に人びとの生活の中から生まれた。これを 二階の人びとが自分たちの目線で作り直した。そこからさらに国家神道なる宗教は お二階さんの統治に都合の良いように作られたのだし そのように利用されている。(帝国主義の時代に世界の中で列強諸国に伍して行くためには 必要だったかどうか)。
 
 17. シントウイズムと言うべき・このような二階の住民としての目線を発明したのは 三輪のイリ政権におおいかぶさるように現われそのウゴキを見せた河内ワケ政権である。崇神ミマキイリヒコの系譜が 応神ホムダワケや雄略ワカタケルの系譜に取って代わられたそのウゴキであると見る。(ただし 政略結婚は成った)。

 18. 崇神イリヒコの時代には 社会は平屋建てだったのであり その後次のような二階建て構造になった。

  《スサノヲ市民‐アマテラス公民/ アマラシテ象徴》 なる連関制

 19. ブディズムにあって 密教が顕教の内なる本質であると見なされたとしたら 伊勢の地に先に祀られていたトヨウケの神に対して その内なる本質が アマテラスなる神だと見なされて行ったのである。

 20. それは アマテラス公民が アマテラス人格語においてもアマテラス科学語においても抜きん出てすぐれていると見なされただけではなく その内の真髄とも言える象徴アマテラシテは・つまり天皇は ブディズムの理論から《法身》であると見なされるまでに到った。(度会神道)。

 21. ブディズムは 始覚として修行を始めるのによいとし アマテラスティック・シントウイズムは すでに本覚を示すと見なされた。秘されたさとりの本体であると。

 22. これは アマテラス普遍語が持つおほやけ=つまり公共性が その一編の妥当性とそして普及とにチカラあったと思われる。アマテラス普遍語をさらに抽象化したアマテラシテなるあたかも《もの自体》は よけいに公共性や普遍性を帯びる。感じがするかも知れない。

 23. テーヱンの論じるところ ミャンマーのナッ祭祀が シントウイズムの成立を類型的に例証していると言う。この議論は よく分からなかった。

 24. 公共性や普遍性の問題であるとすれば わざわざほかの国の・土着の信仰でありつつしかも――ブディズムの理論補助によっての――普遍性の付与をも得た半信仰かつ半宗教となったもの(つまり ナッ祭祀)の事例を持ち出さなくてもよいように思われる。

 

投稿日時 - 2013-12-31 18:40:59

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 昔の神道は、ジンドウと言っていたのでしょうか?
 ☆ 初耳です。もしそうだとしたら わたしはよほど不注意だったのだと思います。

 次のような情報がありました。
 ▲ (宗教情報センター研究員 藤山 みどり:井上寛司(著)『「神道」の虚像と実像』の書評)~~~~~
  http://www.circam.jp/book/detail/id=2045

 ちなみに今日、「神道」は「シントウ」と読むのが普通だが、室町時代までは「ジンドウ」だったということが近年の研究成果で明らかになっている。
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 ☆ いやぁ おどろきです。しきりに古代の日本にかんする本を読んだのは もう二十年も前までですから――つまり それからは ぼちぼち・ときどき読んだに過ぎないので―― そのあいだの読み落としなのか知れませんが 初めは 《人道(ひとのみち)》のことかと思ったくらいです。

 神は 漢語でも シェンと読むと思いますし。シンドウと読むことはあっても ジンドウとはならないのではないかと まだいまも 半信半疑です。






 ○ マーク・テーウェン:神道(ジンドウ)から 神道(しんとう)へ――ある概念の形成――
 ☆ この PDF の《訳者緒言および要旨》を読んだ段階で言うのですが たしかにこの説は マーク・テーヱンという名前からして初耳であり 特にミャンマーの祭祀と対照させるというのも――どういう中身なのか まだ分かりませんが―― かなりおどろきです。

 アニミズムないしそれの親分肌化としてのシャーマニズムとして捉え論じるのなら どこの原始心性ないし原始的な信仰形態を例に取り上げても その対照は成り立つとも考えられます。ただし なぜミャンマーなのかは 分かりません。これから読みます。

 読む前になおいくらかホザクのですが  つまり 井上寛司『「神道」の虚像と実像』との関連があるそうで その中からたとえばシントウの歴史的変遷という主題にかんして 次のように考えます。

 つまり ブディズムの影響を受けて ジンドウからシントウへと独立(分立?)したというとき オシエにかんしては おそらくそういう経過をたどっていると思われます。

 そもそもシントウに 理論もへったくれもなかったのですから。

 ただし シントウが初めにブディズムのオシエのもとに息づいてそこから独自の道を模索するかのように分かれて来たというのなら それは 大きなマチガイです。

 高取正男の『神道の成立』という本は シントウのシントウ以前をめぐる人びとの生活のありさまを扱い描いています。ただしこの本ももうあまり覚えていないので我れながら情けないのですが とうぜんブディズムより前から 日本人の生活のなかに神々の信仰は――アニミズムとしてでも―― 始まっていました。このことにマチガイはないはずです。





 アニミズムとしてのヨリ(憑り)なる原始心性から 死を死として知りこれを自覚しひとは時間的な存在であるという境位に立って世界へのイリ(入り)を果たした歴史知性へとも発展して来ています。シントウの時代においてすでにです。

 西暦300年頃のことです。崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトなる市長と市民の代表としてはオホタタネコのいとなんだ社会 それはヤマトの三輪山のあたり でのことです。

 つまり 人が死ぬと ただ眠っているのではなく そうではなくすでにもう そのムクロ(骸)には蛆虫がたかってしまっており起き上がって来ることはないのだと知った。これは 採集・狩猟・漁労の生活様式であった縄文時代の社会が 稲と鉄がもたらされて農耕が始まった弥生時代の生活様式へと変わって行ったその過程で人びとは自覚したことと考えられます。

 イリヒコとオホタタネコの時代は すでにぼちぼちいわゆる古墳時代に入って来ています。農耕というナリワイをとおして生活にとって剰余価値を生んだ。それを巨大な古墳に投下するようになった時代です。

 つまり ミネルワのふくろうは黄昏になって飛び始めるというごとく 農耕生活の弥生時代が暮れかけ終わりつつあったときに 《世界‐内‐存在としての世界へのイリ》を自覚的に果たした。そういうイリ歴史知性の成立です。

 あらためて言ってシントウ以前のシントウは ひと言で 山が神です。つまり オホモノヌシないしヒトコトヌシの神です。つまりしかしそれは 決して即物的な思想ではなく 神の霊の降りて来る依り代として山が信仰のシルシとしていだかれていた。こういう生活様式だったと考えられます。

 オホモノヌシなどは じっさいには蛇です。ですが そのようなモノに依り憑くのではなく もはやそうではなく人としての自立――つまり わたしがわたしである自然本性なる状態の確立――を得るとともに 蛇そのものに依り憑くことはなくなって行く。そういう過程のことです。





 あらかじめですが もしテーヱンの論文が シントウについてそれは ブディズムの翼の下に〔のみ〕生まれ〔得〕たというような阿呆な議論だとしたら 何をか言わんやだとすでに息巻いていますが 果たしてどうなりましょうか。
 読後感は 補足欄にて書き込みます。

投稿日時 - 2013-12-31 15:39:03

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