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イエスの生前にはかれがキリストであるとは誰も・・・

 イエスの生前にはかれがキリストであるとは誰も分からなかった。

 この見方について問います。そうなのか? です。


 1. イエスの生前には かれが自分は神の子でありみづからも神であると語っていたにもかかわらず 弟子たちを初めとして誰も そのことに気づかなかった。言葉では聞いていたとしても 理解できなかった。

 2. 弟子たちは やっと・つまりイエスが十字架上に去ったそのあと そのイエスの語った言葉は腑に落ちたのだ。そこで すべてを知りました。

 3. つまりそれまでは ただ立派な人間が迫害に遭って一命を落としてしまったくらいに思っていただけです。(いわんや 反対派においてをや)。

 4. イエスの言行録がほどなく集められて行った。またすでに並行して パウロの書簡が書かれるようになっている。

 5. すなわち そのようにイエスという人間が キリストと呼ばれる神であったということを伝えるために 言行録が編まれて行った。むろん すべてが聖書記者の信じ思うところにしたがって書かれたものだ。

 6. ただしつまりは 神のことばは 人間の言葉では表わし得ない。そもそも 神語を人間語にそのまま写すのは無理。翻訳や解釈が とうぜん伴なわれている。

 7. しかもそんなことは――つまりどういう編集方針であって その結果実際の語録がどこまで忠実に反映されているかなどなどのことは―― ほとんど問題にならない。全体として――パウロの書簡をも含めて 聖書全体として―― イエスが どうしてキリストであるかを捉えるために読めばよい。

 8. 《法律(律法)》がモーセによってもたらされたのに対して キリスト・イエスは 《まこと と めぐみ》をもたらしたと言われます(ヨハネ福音のはじめ)。

 9. 人間にとっては 人間語であらわされたイエスの言葉に 大うそがある。人間のことを神だといった。しかもそのような大嘘をとおしてでも 神とは 全体としてひとつであること また名が違っても――アッラーフ(’aLLaaH )と言い エローヒーム( 'eLoHim )と言い 名が同じ(イラーフ=エローハ ’LH )であっても ヤハヱーと言い違っていても――神はおなじひとつであるというマコトを告げた。

 10. また 《わたしは 道であり まことであり いのちである》と言って その生命のチカラが 泉の水のごとく内から湧き出るように元気づけた。めぐみである。

 11. さらには 《めぐみの上にめぐみ》をも与えた。よみがえり・復活。たぶん 現代人にとっては 平均寿命が 二百歳にでもなれば もう《永遠のいのち》であるはずだ。

 12. というように オシエが――ローマ教会等々によって――どのように説かれようが それらにはお構いなく 神が示され 尽きせぬ元気があたえられ続けるなら それでよいわけである。

 13. なおこの《生前には誰もキリストのことが分からなかった》については 次の聖句を参照するよう言われることがあります。

 ▲ (出エジプト記 33:21-23) ~~~~  
 21: 更に、主は言われた。

   「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。
   あなたはその岩のそばに立ちなさい。
 22: わが栄光が通り過ぎるとき、
   わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、
   わたしが通り過ぎるまで、
   わたしの手であなたを覆う。
 23: わたしが手を離すとき、
   あなたはわたしの後ろを見るが、
   わたしの顔は見えない。」
 ~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 去って行ったあとの《背面は見える》というわけのようである。去って行くまでは みな誰もに覆いがかけられていたのだと。



 くわしいかたちで・あるいはヒラメキのようなかたちで 何かありましたらご教授ください。

投稿日時 - 2014-01-27 15:41:52

QNo.8449162

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

聖書の高等批評による見方です

当時のユダヤ教のメシア的称号はいろいろあり、
「メシア」「キリスト」「神の子」「ダビテの子」「人の子」
言語的な問題も絡んでいて複雑です

当時のユダヤ人の言語の状況(初期教会にも二派がいる)
ヘブライスト=ヘブライ語を話すユダヤ人(ユダヤ教の分派的)
ヘレ二スト=ギリシャ語を話すユダヤ人(世界宗教への発展)

メシア=キリスト=救世主の意味ですが
メシアはヘブライ語→油そそがれた者で二つの救世主像(政治的と宗教的)
キリストはギリシャ語→キリスト教的救世主の意味に変化(人類の罪の購いなど)

メシアはユダヤ教的にはユダヤ民族を救う現世的な救世主の意味合いが強いです
メシアはイエスの時代では世界の終末論的な救世主も待望されるようになっていた

イエス自身がどのような「メシア」意識を持っていたかは不明です
「キリスト」や「神の子」などの称号は共観福音書において
他者がイエスを呼ぶ時に用いたり、
記者がイエスを説明する時に用いるのが普通です
しかし「人の子」はイエスの発言の中においてしか使われてません

「人の子」はもともとは人間の1人という意味しかない
では「人の子」のメシア的な意味が何処から来るかといえば
旧約聖書のダニエル書に由来すると言われてます
「見よ、人の子のようなものが天の雲に乗ってきて・・・」
つまり、終末論的なメシアなのです

要するにイエスの生前には彼が何者であるのかは誰もわからず
メシア的ないろいろな解釈があった(キリスト教的救世主の概念はまだない)
しかし、メシアとの期待もあったが十字架で死んだ(ユダヤ教的な救世主でない)
彼の死後にイエスの弟子たちを中心に(イエスの復活の伝承をもとに)
彼こそがキリストという信仰が生まれた(キリスト教的は救世主の概念になる)
イエスの死後にいかに「キリスト」になったかにはいろいろな説があいます

言語的に言うと「キリスト」の概念が変化してるのです
イエスの生前=キリストはメシアのギリシャ語に過ぎない
イエスの死後=キリストにキリスト教的な救世主の意味がついてきた

投稿日時 - 2014-01-29 20:33:09

補足

 おぎないます。

 復唱をひかえようと思ったことはほんとうですが その結果のお応えはあまりにも大雑把な受け留め方になってしまったようです。

 じゅうぶんにくわしい基礎的な研究成果をしめしていただきました。

 その点 猛スピードで通り過ぎてしまっています。〔わたしにとっての〕結論を重視しました。

 あしからずご了承いただけるならさいわいです。

投稿日時 - 2014-01-30 08:55:22

お礼

 ひしゃさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 なるほど。コトバの語義や用法の異種や変遷はありますね。


 ですから 否定しようとして反論するわけではありませんが 基本的な意義というものもあるのではないか。

 たとえばちょうど回答No.2で ゑらでぃこさんが示してくれた聖句:


 ▼ (マタイ福音 16:15-17) ~~~~~~~~
 16:15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
 16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
 16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは おそらく聖書ないし福音書として編集されたときには 後世におけるそれこそ三位一体の説にまですでにつらなる意義において用いられている。もしくは そう受け取ってよいかたちを呈している。――と考えるのですが どうでしょう?


 あるいは たとえば次の(あ)は いろんな意義を持ち得ますね。ただし(い)は おおむねヨハネ福音の冒頭の《神の子でありみづからも神であることば》としてのキリストを表わすと思います。

 (あ)▼ (ヨハネによる福音4:25-26) ~~~~~~
 〔* サマリアの〕女が言った。
  「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。
  その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」

 イエスは言われた。
  「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

 (い)▼ (ヨハネによる福音書 14:6-14) ~~~~
 イエスは言われた。
   「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、
   だれも父のもとに行くことができない。
    あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることに
   なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

 フィリポが
   「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」

 と言うと、イエスは言われた。
   「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていない
   のか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父を
   お示しください』と言うのか。

   わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じない
   のか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではな
   い。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
    わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言う
   のを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じな
   さい。

    はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、
   また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くから
   である。

    わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、
   父は子によって栄光をお受けになる。

    わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあ
   げよう。」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 イエスの生前=キリストはメシアのギリシャ語に過ぎない
 イエスの死後=キリストにキリスト教的な救世主の意味がついてきた
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということで――つまりおおむねこのような語じたいの意義の変遷があったということで――しかも イエスに即してみてかれが用いていた語義は 当然のごとく《イエスが人間であると同時に キリストとよばれる神である》という内容であったはずです。

 エレミヤ書31:31以降の《あたらしい契約》の主題をもイエスは踏まえていた。つまり仮りに何ら具体的にそのことに触れたことはなかったとしても 実質的に同じ内容をしめしていた。と言ってよいと考えます。

 ですから 弟子たちがイエスの去ったあと 気づいたことの内容は やはり《イエスは父なる神にひとしい神の子キリストである》であったと言ってよいと考えるのですが どうでしょうかねぇ。


 たとえば カリオテ人のユダにしてみれば ひとつの推測ですが イエスは キリストとしてあってしかもそれは 民族の政治的解放者としてであると思っていたかも知れません。そういうメシア像であったかも。

 つまりそういった〔まちがった〕別の解釈があり得たということは 《父なる神とそして聖霊なる神とそれぞれひとしい神の子》だという意義が 言わば底流としてすでに生前にも流れていた。と思われるのです。

投稿日時 - 2014-01-29 22:36:54

ANo.3

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回答(4)

ANo.4

高等批評による史的イエスの問題(リベラル)

福音書はイエスの言行に関する歴史的に忠実で正確な記録ではないです
むしろ、イエスに対する信仰の表白と見なすべきものです

口伝えの伝承はイエスの死後30年後からまとめられた
最古の福音書であるマルコが60年代以後とされてます
そのマルコでさえ実際にイエスを言動を目撃したわけではない

共観福音書は同じ資料を使っている部分が多いので
その違いを比較することによって福音書の著書の
加筆、修正など編集作業がある程度推測できるのです

ですから、マタイの福音書でこう書かれてるからと
そのまま歴史的な事実とみなすわけにはいかないのです

共観福音書の特徴を参考にあげておきます
マルコの福音書は傍流のキリスト教 →史的イエスに近いと思われてる
マタイの福音書はユダヤ的なキリスト教 →マルコと独自の資料
ルカの福音書はは異邦人的なキリスト教 →マルコと独自の資料

あと、ヨハネの福音書はヨハネ独自の神学思想書の趣がつよく
史的なイエスを探求するときは避けられいてます

要するにキリスト教の信仰が成立した後に福音書は書かれたのです
だから、そこには著者や所属した集団の信仰が入っている
つまり、イエスを自分らのキリスト教的救世主として描くわけです
ただ、実際のイエスはカリスマ性が強い人間だったので
キリストあるいは神の子と呼ばれるようになったのだとは思います
当時においてはメシアあるいは特別な人間であると思われていたが
キリスト教の教義的な意味で(三位一体の教義は宗教会議で決まる)
キリストや神の子とはっきり認識されていたかは疑問だと思います

イエスが何者なのかは初期の神学者の間でも大問題だったのです
イエスは神か人か?そこで論争が生まれる=救世主では意見が一致
イエスが神と人のどちらかに言い切ると異端とされたのです=矛盾がある
イエスが人だと主張→人は死んだらおしまい→復活の否定につながる×=アリウス派
イエスが神だと主張→キリスト教は一神教→ヤハウェとイエスで神が二つになる×=単独派
イエスは神であり人である→三位一体説へ=神とイエスと聖霊の三つは「同質」である○=正統
首尾一貫した理論は作りましが、これは難解で聖職者でも簡単に説明できないものなのです

なお、ここで自分が述べたのは歴史的にどうかという立場であり
聖書を神の言葉と文字通りに信じる信仰のあり方もあります(ファンダメンタル)

投稿日時 - 2014-01-30 20:37:00

お礼

 そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。


 問題は おのれの信仰もしくは そこまでのことを突き詰めないとすれば キリスト観としてのおのれの見解 これだと見ます。


 あるいは言いかえると 弟子たちを代表してペテロ そしてもう一人 パウロ このふたりは イエスをどう捉えたか? イエスはキリストであるという見方はしているはずですが それぞれその《キリスト》の内容は どう捉えていたか? こういう問いに行き着きます。

 ひしゃさんは これについていかがでしょう。


 こういう問い求めをすすめてみたいと考えるのですが どうでしょう?


 わたしは 三位一体説にくみしています。

 たとえば 参考にですが そして三位一体論によりは 《ひとは 神の似像である》という方面に重きを置いた見解ですが かかげます。


 ◆ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

 ☆ 次の図式が この文章の意を取って表わしたその内容です。

 ○ (ひとは カミの似像である。) ~~~~~~~~~
   ――ひとと社会の成り立ちについての図式―― 

 光のたとえ・・・・・・・・・光(光源・・・・・・発耀・・・・・明るさ・暖かさ)
 三位一体なる神・・・・・神(父なる神・・・子なる神・・・聖霊なる神)
 ____________________________
  スサノヲ市民( S )・・・アマテラス公民( A )
 ____________________________
 身体〔の運動〕・・・・・精神・概念(記憶・・・・・知解・・・・・意志)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・↓・・・・・・・ (↓・・・・・・・↓・・・・・・・↓)
 [S者/S圏]
 個体・・・・・・・・・・・・家  族 ( 秩序・・・・・労働・・・・・・愛)
 社会主体・・・・・・・・自治態勢(自治組織・・〔生産〕・・共同自治)
 経済主体・・・・・・・・生産態勢(組織・・・・・・生産・・・・・・・経営 )
 政治主体・・・・・・・・・↓ ・・・・・・・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓ 
 [A者/A圏] ・・・・・・・↓・・・・・・ ・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓
 社会科学主体・・・・・社会形態(社会組織・・経済活動・・・政治 )
  〃・・・・・・・・・・・・・(国 家 : 司法・・・・・立法・・・・・・・行政 )
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

投稿日時 - 2014-01-30 23:23:28

ANo.2

キリストであるとは「分からなかった」ということですが,一応,「当人の主観によりイエスがキリストだと認識できなかった」という意味であるという前提にて書きます。

聖書では,様々な立場の人が,少なくとも形式的には,ヨセフとマリアの子イエスがキリストであると考えていたと記録しています。

例えば,「マタイ」(以下,日本聖書協会1954口語訳)では,

2:4 そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
2:5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています(以下省略)


同じく,ペテロの事例では,

16:15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。

と書かれていますよね。そうすると,一応,「当人の主観によりイエスがキリストだと認識していた」といえると思うのですけれども,いかがでしょうか。

投稿日時 - 2014-01-29 14:40:37

お礼

 ゑらでぃこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 そうですね。ふたつの事例を出されました。


 まづヘロデ王が メシアないし救世主(または ヘロデ王に代わる王)が生まれるのを嫌って そのキリストがどこで生まれるかを尋ねているところ。

 基本的には これは――わたしの見るところでは―― あとづけなのだと思います。すでにイエスがキリストであったと分かってから では 生まれはどこで・どのようにかと記すことになったのだと見るわけです。

 たとえば それとは別に ベツレヘムの宿屋〔で 臨月の女を嫌って 馬小屋をあてがわれたその部屋〕に近くの羊飼いたちが みちびかれて 飼い葉桶に生まれた赤児を見に行きました。これなどは すでに事前に――つまり イエスがキリストであると 去って行ったあとやっと分かったのではなく 事前に――分かったことの事例として見たいのですが それでも 羊飼いたちにしても キリスト=メシアのことが はっきりと分かっていたわけではない。たとえば エレミヤ書31:31以降の《あたらしい契約》の成就としてのキリストであると分かっていたわけではない。(このエレミヤ書のくだりは ヘブル書の8章にも取り上げられていますので キリスト論に採用してもよいと考えます)。




 

 それにもうひとつには けっきょくペテロを初めとする弟子たちも 高等法院によってイエスが逮捕されたときには イエスを裏切って われは知らんという態度を取りました。つまり キリストだとは――口頭では言っていても―― きちんとは知らなかった。分からなかった。のだと推し測られるのです。


 この鶏が三度鳴く前に三度イエスを否認するとあらかじめ言われていたとおりにペテロがそうしたという事例は 趣旨説明欄の(13)に書いたように 《ひとは神の貌を見て生きていることは出来ない。神の後ろ姿を見るのみ》という主題にかかわっていてそれの証しとしてあるのだと思いますが それでも 《キリストの貌を見て 分かっていた》わけではない。このことをも証しするのではないか。こう思うのですが いかがでしょう?




 すなわち 引用されたところの:
 ▼ (マタイ福音 16:15以下) ~~~~~~~~~~
 16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
 16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ という事実内容についても その《生ける神の子キリストである》ことが 腑に落ちるように分かったのは 十字架上にイエスが去ったあとやっとだったと思われるのです。

 やはり 弟子たちの目にも覆いがかけられていたのだと思われるのです。



 質問の趣旨は 取り敢えず このようです。あらためて述べました。

 あとは おのおのの自由な判断にまかせられると言うべきでしょうか どうでしょうか。

投稿日時 - 2014-01-29 15:13:35

なんとなく書きたくなったので個人的な雑感を。

okwaveに参加して長いこと経過しましたが
その日々は無駄だったと思う。

そもそも私の人生が充実していればこんなところに来ませんでしたし、

きぐるいとかいうユーザーには驚きましたが、
そもそも私が、現実において、学生時代の女性とのつらい思い出がなければ

きぐるいをわざわざ母なるメタファーで呼ぶ必要も無かったでしょう。
ぎぐるいに惚れた第三者が出たのは驚きましたが。

その第三者もどうなったのやら。

実生活の私は、母よりも、学生時代の女性のほうの問題で頭がいっぱいです。

ネットの書き込みばかりで人を判断する人は
私についてどういう理解になっているのか知りませんが。

結局、私は宗教問題よりも
学生時代の現実の女性との関係を考えたほうがよいのでしょう。
それはインターネットでやることではありません。

この何年か時間の無駄でした。

私は自殺願望もよくあるので、そのうち死ぬかもしれません。
なんともいえませんが。

ここで争った人たちの中にはそれを喜ぶ人もいるかもしれませんね。
まあ、私が死ぬ理由の一つくらいにはなるのかな。

熱心だった上座部の信者もいなくなって
なんだかいつの間にか、私が仏教の話ばかりしていますね。

もともとは私がテーラワーダを論駁したくてパーリ仏典を探していたのに、
いつのまにか、禅僧にまで批判されるようになって、意味不明。
禅僧は坐禅でもしていろ。素人を批判してそれでよく僧侶が出来るな、と批判しておく。

なんだか単純に面白くなくなってきた。
時間の無駄だった。

今まで、いろいろあることないことメタファーも交えて書いてきたけど、
ネット上の書き込みだけの人物に過度にむきになる人は、

その人自身が不幸なのだと思う。

投稿日時 - 2014-01-28 01:00:19

お礼

 ご回答をありがとうございます。


 《過度にむきになる》必要はないでしょうね。

 ただ 関心をいだくのは ふつうのことですし むしろとうといと考えます。

 言いかえると カカワリであり 対話をすれば マジワリとなって現実化します。

 それが 生きるということではないかとも考えます。

 共生という事態になっているから。




 あと わたしの片寄ったクセかも知れませんが(そうは考えていませんが) 批判は徹底的にやるものだと思います。それが 互いの自由であり 共生の中核を成すゆえ。(ときと場合と相手の状態によりますが)。

 
 

投稿日時 - 2014-01-28 06:14:17

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