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解決済みの質問

自分の美意識の形成の仕方

世の中にはいろんな美意識が存在します。

情報社会あるいは都会でいろんな美を見て、頭がごっちゃになります。

それぞれ美を表現したものって、その個人なり集団なりが善いと思ったものは良い作品とされるものって誰が見てもやはり善いのだと思います。

理性ではなく感性で、テイストで整理されることはあっても美醜はあっても正解不正解ってないですね。

でもそれはほかの人が持っている美であって、ただあれもいいこれもいいとかいっていると、自分の美意識ってなんなんだろうと思います。

いろんなものを見るのも大切だと思いますが、観賞しているとおそらくどれも善いものなので、だんだん何がなんだかわからなくなってくると思うのです。
自分の美意識を把握して、それを表現あるいは創作していくのには、受動的なものではなくて、自分発のものをしっかりとらえて流されずにすむのでしょうか?

それにはやはり自分の個をしっかり把握してわかるものなんでしょうか?

投稿日時 - 2014-02-08 03:10:20

QNo.8466013

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

自分の美意識の形成の仕方

○個人の感性に美意識を委ねると芸術の世界にも厳然と存在する「善・悪」の概念が失われて混沌が生まれてしまいます。これは芸術の堕落を加速するものですね。芸術の「善・悪」は「美・醜」として表現されるもので表現は違えど同じものです。芸術家が思いのまま表現した仕事が芸術品ですが、そこに込められた思いが大切なのです。思いいかんで作品は「美・醜」として現れるのです。ここでの「美・醜」は見た目で判断されるものではありません。ただ観ればわかるものでもあるのです。
あなたの心が不安と猜疑心に満たされ、その思いで作品が出来ていたとすると、そうでないものから観ればそれは「醜い作品」になるでしょう。逆に同じ気持ちを持つ者から観ればそれは「美しい作品」に見えるでしょう。これは宗教画であれ自然画であれ同じことです。
そこで、芸術家に問われることは、あなたはこの世界を心優しい善なる世界にしたいのか、猜疑心の充満する悪なる世界にしたいのかなのです。これは宗教家と同じことなのです。付け加えれば作家も宗教家と同じですね。多くの人に影響を与えるという意味で同じなのです。逆に言えばそれだけの責任を負うということなのです。
さて、本題に戻って「自分の美意識の形成の仕方」は教育的なものです。単に自由にして良いものではないですね。この世を善なる世界にしてゆく、美なる世界にしていこうという日々の思いの上で芸術的才能や技術を鍛えるのが芸術家としての本道ですね。善なる者から評価されることが良いといえますね。

投稿日時 - 2014-02-08 11:23:23

お礼

この世を優しく善いものにするという気持ちが必要なんですね。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:31:04

ANo.5

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回答(10)

ANo.10

種々の作品達を理解して、その良さを感じられたなら、あとは自分のテイストを出すだけだと思います。
例えば和洋中の様々な料理を食べ、どの料理にも良いところがあるのがわかったとして、その上で自分の料理を作ろうと思うなら、結局は料理の基本である季節や素材、包丁や火加減にこだわりを見せるところから始まるようなものです。
芸術でいうなら、時代やモチーフ、表現方法などが、その基本に当たると思います。無論、自分に料理の腕がなければ料理は作れないように、表現の腕前、技は必要です。
世間のニーズと言った外的な事象と共鳴して、オリジナルのものができて行くと思います。逆説的ですが。

投稿日時 - 2014-02-10 04:11:19

お礼

おっしゃるとおりです。

さまざまな作品を実際見て、オリジナリティって生まれるんでしょうね。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:38:46

ANo.9

pkuobe99様、こんばんは。


「そりゃー、ないよ?。」
私の、一つの基準です。


>「それにはやはり自分の個をしっかり把握してわかるものなんでしょうか? 」

だから、多分、違うと思います。


「そりゃー、ないよ」で充分・・・ですが!

ですが!!!!!!!!
(肝要)
(私の、一つの基準(自分の個?)です)
以上!(?)、てとこ、とか。




♪「また一つ、女の方が、偉く思えてきた」?

投稿日時 - 2014-02-09 00:40:49

お礼

シンプルにいえば、そうなのかもしれません。

「そりゃー ないよ」ですね。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:39:38

ANo.8

 焦らずに・・・

 模索の段階だから外部から学び続けて、自然に内から湧き出る“想い”を待ちましょう。

 『美』というものに自身の“想い(主張)”があるようですね。

投稿日時 - 2014-02-08 20:46:46

お礼

模索。確かにそうですね。

インスピレーションとか。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:40:45

いろいろ言っておられますが、ご質問は
>ただあれもいいこれもいいとかいっていると、自分の美意識ってなんなんだろうと思います。
>自分の美意識を把握して、それを表現あるいは創作していくのには、受動的なものではなくて、自分発のものをしっかりとらえて流されずにすむのでしょうか?

>それにはやはり自分の個をしっかり把握してわかるものなんでしょうか?

このあたりでしょうか。それとも

A>いろんなものを見るのも大切だと思いますが、観賞しているとおそらくどれも善いものなので、だんだん何がなんだかわからなくなってくると思うのです。

このあたりを整理してほしい、といわれるのでしょうか。

Aについてのわたしの意見は、そんなことはない、できるだけたくさんの美の経験をするべきだ、そうすることでいっぱい美の記憶が自分の中に蓄積される。それらがみーーんなよかったら(見分けがつかなかったら)、さらにもっと経験を重ねるべきでしょう。ふつうはそれまでにそういう体験で満足してしまうので、(満足できず)さらに努力する人にはわけがわからなくなることはないと思います。だんだん細かいところが見えてきて、つまり差がはっきり見えてくる。そうすると貴方の好みで、こっちがいいな、あ、あっちの方がもっといい、というような目利きになるはずです。そうならなければ貴方には個というものはないとあきらめねばなりませんね。もちろん創作しても平凡なものしか作れないでしょう。

>それにはやはり自分の個をしっかり把握して

これは正しいと思います。そういうことではないでしょうか。

あれこれ観念的に思い煩うより、まず実物にあたることだと私は思います。

投稿日時 - 2014-02-08 19:37:10

お礼

観念的よりも実際見て経験積んでこれが善いみたいなものが生まれますね。


こまかいところって「ファースト」や「インスタント」では無理なんでしょうね。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:42:27

ANo.6

人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次にその1つの感覚を同じパターンで刺激された時に、五感の総合したイメージを励起させるという働きがあります。
その最も分かりやすい例が、色でしょう。
物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に過ぎません。
「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。
その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。

赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。
この「総和機能」において、人生における快適な経験の総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。
それゆえに、成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の少ない)子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界各地によって、美的センスは異なってくるのです(砂漠地域では青や緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす)。

投稿日時 - 2014-02-08 14:06:10

お礼

なるほど。それはわかります。子供と大人はセンスが違います。

おっしゃるとおり、感覚って神経が個別なので統合された総和ですね。

「快適な経験」  分かります。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:37:35

ANo.4

この質問とこれまでの回答を読んで、異次元を感じました。

質問者が何を質問しているのか、回答者によって何が回答されているのか、把握できんのです。

誤解の連続で生まれる異次元の言語空間に美しさを覚えます。

この偶然発生する美しさ、意図しない創作からも生まれる美しさがありますね。

投稿日時 - 2014-02-08 09:46:21

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:31:37

ANo.3

"自分の美意識ってなんなんだろうと思います。"
  ↑
美意識は、産まれてから今日まで色々な美に接して
来た、その歴史によって築かれるものです。

その歴史は、人によって異なりますが、共通項も
ある訳です。

だから、美意識も、異なる部分もあれば
共通する部分もあることになります。

投稿日時 - 2014-02-08 09:26:10

お礼

おっしゃるとおり、美は経験が必要かと思います。

実際おっしゃる通り、共通するものと個人のものがあるなどそうなんだと思います。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:33:20

ANo.2

>それにはやはり自分の個をしっかり把握してわかるものなんでしょうか?
把握するだけじゃなく、論理的に解説できるということが大切だと思います。ポイントは説明じゃなく解説。
それが道。茶道とか華道とか剣道とかの道。
道という言葉は、人首蛇身の中国の神様の象形文字で、首が前を向けば尻尾がついてくることから、人の道を指し、己の正義という意味。
ロードマップを指し示すことで、一を知ることで十を知ることができる。

ポイントは説明じゃなく解説。と書いたのは、説明はいちいち明らかにすること、解説はどこを紐解いても同じ答えになります。
感性やテイストや美醜には必ず理由があり、正解不正解はなくとも理性的に解説することができる。
それが筋道だっていれば、ブレることはないし、無意識でも表現できる。
自分の美意識は、自分で解説できなきゃ、他人の美意識を解説することもできませんし、他人に自分を解説させることもできない。

投稿日時 - 2014-02-08 05:53:56

お礼

感性は言葉でとらえないと流れるともいいます。

感覚をおぼえているとは数秒とも聞いたことがあります。

やはり道って大事なんでしょうね。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:34:33

 二つの考え方があります。
 ・自分の好み、または自分が所属する集団の教えにあったものだけを受容する。
 ・何にもとらわれずに、様々なものを受容する。

 私は後者の方です。様々なものを受容した方が、客観的な視点を築くことができますので。
 例えばキリスト教徒が、宗教芸術だけ愛好していたら、さも近視眼的に思えるでしょう? 現代アートだとか、非キリスト教圏の芸術にも目配りしている方が、視野が広くてカッコいいというもんです。

 >だんだん何がなんだかわからなくなってくると思うのです。

 軸となる自分の好みを知っておく必要はありますね。

 >それにはやはり自分の個をしっかり把握してわかるものなんでしょうか?

 おっしゃる通り。

投稿日時 - 2014-02-08 03:29:00

お礼

囚われてみるか自由に見るか。

おっしゃるとおりです。

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-21 19:35:33

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