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「です・ます体」と「である体」の説明に誤りが…

「いますぐ本を書こう!」(ハイブロー武蔵・著) に「おやっ?」と思う記述がありました。
私はおかしいと思うのですが、皆さんはどう思われますか。

私は、

(誤) 「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。
(正) 「である体」では増幅されないからだ。

ではないかと思います。皆さんのお考えをお聞かせください。

問題の部分(93~94ページ)は以下の通りです。

「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。

他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。

なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

投稿日時 - 2014-02-19 14:45:27

QNo.8481725

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質問者が選んだベストアンサー

#31です。

>正 解 (←「エッセイを書きたいあなたに」)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

ありがとうございます。
なるほどですね。
興味深く拝見いたしました。
結局、木村氏は、
エッセイを書く際の手法として、「である体」が無難であることの直接的な理由を述べたかったのではなく、「です・ます体」を使うことによる危険性のほうを強調したかったのでしょうね。

>「ただでさえ」という文章においては、その後に続く言い回しは限定されます。

「ただでさえ・・・である(肯定)」とくれば、その後は「・・・である(肯定)」と続きます。
「ただでさえ・・・でない(否定)」とくれば、その後は「・・・でない(否定)」と続きます。

この点に関しては異論があります。
たとえば、
『他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されることがないからだ』
であれば、特に違和感は生じないでしょう。
または、前回も述べましたが、(「です・ます体」によって)のように()を付けるだけで十分自然な文になると思います。
仮に木村氏が、「である体」が無難であることの理由を直接的に述べたかったとすれば、このような文になったことでしょう。
いずれにせよ、一段落を迎えたようで喜ばしいことです。
muimusakuさんの粘りが功を奏したのでしょう。
こちらは却って勉強させていただきました。
ありがとうございます。
  
    

投稿日時 - 2014-03-19 21:55:09

補足

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されることがないからだ

違和感を感じるのですが、どうしてでしょうか。

A. 「ただでさえ…になりがち」である ⇒「です・ます体」を用いればさらにそれが強調される(増幅される)

と言いたいのであれば、

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」により増幅される(されかねない)からだ。(例文A)

となるかと思います。また、

B. 「ただでさえ…になりがち」である ⇒「である体」を用いればそれは抑制される(増幅されない)

と言いたいのであれば、

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「である体」により増幅されないからだ。

となるかと思います。(例文B)

しかし、「ただでさえ」を用いた文章としては例文Aの方が私にはしっくりきます。

かつて、「まったく」とか「全然」とかの言葉は、その後に否定形を伴うと言われていました。しかし、現在はそういう約束事はないようです。これと同じように、「ただでさえ」についても決まった用法はないということなのかもしれません。

>いずれにせよ、一段落を迎えたようで喜ばしいことです。

確かに、大きな関門は突破できたかと思います。皆さんのご協力のおかげです。

投稿日時 - 2014-03-20 00:41:47

お礼

hakobulu さんには全回答数36のうち、15件の回答を頂きました。

お手数をおかけして申し訳ありませんでした。

おかげさまで何とか解決しました。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-22 02:01:38

ANo.32

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回答(36)

ANo.36

#33です。

>ハイブロー武蔵氏も推敲の大切さを本の中で書いています。しかし、表記のミスに気付かなかったというのは推敲が十分でなかったということです。これでは作家としての資質が疑われます。その言っていることに説得力はありません。

私がこの問題にことさらこだわるのはそういう事情があるからです。

なるほど、そうすると、『表記のミスに気づかなかった』『推敲が不十分である』ということで文句を言いたいわけですね。
ただですね、これが逆の場合だったらどうですか?
つまり、「増幅されないから」という原文ではわかりづらい、と考えて「増幅されかねないから」と書いた場合です。
やはり、表記ミスで苦情を言われるでしょうか。
他者の見解を紹介する場合、必ずしも正確な引用ということが必須になるわけではないでしょう。
かいつまんで説明する、という手法も当然あるわけです。
筆者の理解に基づいて紹介することは、正当な手法だろう、ということ。
特に厳密な判断を求められる箇所であれば、正確に引用する必要はあるでしょうけど。

むろん、今回の場合は、引用しようとして「かね」を見落とした可能性が高そうですね。
見落とした!と言って責めるのは(誰にでもあることですから)どうかと思いますが、まあ、それは個人の自由なのかもしれません。
この構文は誤りである、つまり、逆の意味にとられてしまう危険性がある、という解釈をしてはいけない、ということです。
文章は各人各様ですから、わかりづらい文章というものはたくさん存在しています。
それでも、構文上、文法的な間違いさえなければ、それを正確に読み解かなければならない場面というのは数多くあるわけです。
わたしとしては、『「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。』という文は、わかりづらい悪文ではあるが、決して間違いではない、ということさえご理解いただければ、それで十分です。
後は、muimusakuさんの気の済むようになされば良いでしょう。
ただ、見落とすといったことは、わたしなどしょっちゅうなので、いくら相手がブロとはいえ、それを責める気にはなれませんけどね。
いずれにせよ、「わかりづらかった→それはお前が引用ミスをしたからだ」こういう論理で責めることだけはなさらないほうがよろしいでしょう、と老婆心ながら申し上げておきます。
    

投稿日時 - 2014-03-20 13:01:52

補足

ビジネス書の9割は怪しいと指摘する人がいます。私もそれはかなりの部分で真実ではないかと思います。読んでいて「何、これっ?」と思うことは少なくありません。

ですので、そういう本が氾濫していることに怒りを覚えます。私が今回の件のように深くこだわるのは、そういう背景があるからです。

ビジネス本の9割は怪しい!もう読むな
http://media.yucasee.jp/posts/index/4448/1

投稿日時 - 2014-03-20 13:52:06

お礼

一読して理解できない文章は「悪文」と言っていいと、私は思います。

ハイブロー武蔵氏は、引用を間違っただけでなく、「から」という表現を重複して使っています。まさにそれは「悪文」としか言いようがありません。「悪文」の見本と言ってもいいぐらいです。

「いますぐ本を書こう!」 ⇒ 「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

「新・いますぐ本を書こう!」 ⇒ 「です・ます体」によって増幅されないからという理由からというのです。

ハイブロー武蔵氏は、「本についての感想や著者に伝えたいことなど、お手紙をお待ちしています。どんどんお寄せください」と、自著の奥付に書いています。そこで私は、読んで疑問に思った点を著者に問い合わせました。しかし、ハイブロー武蔵氏からは何の回答もありません。

いったいどういうことかと思います。出版社によると、ハイブロー武蔵氏は現在活動を休止しているということです。様々な事情があるかと思いますが、何とかしてその見解を表明して貰いたいと私は思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-20 14:24:44

ANo.35

#17のお礼欄にもご返信いただきましたので、応答いたします。

>ここはやはり、『「です・ます体」によって増幅されるから』と表現すべきでした。

『「です・ます体」によって増幅されかねないから』が有効なのは、『「です・ます体」によって増幅される危険性があるから』という意味になるからです。
「増幅されかねない」を使わないで肯定するとすれば、
『他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかという。
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」では増幅されてしまうからという理由からだ。』
といったところでしょうか。
  

投稿日時 - 2014-03-19 22:59:05

補足

「増幅されないから」の表記については、hanzo2000 さん(No.1)が、

>増幅に対する肯定の言葉が入るはずだったのではないでしょうか。

と指摘していました。まさにその通りでした。

OKAT さん(No.16)も、

>否定形でなくすればいいのかと思います。

と指摘していました。

私も、この「増幅されないから」というのは「増幅されるから」の間違いではないかと途中(No.3)から思うようになりました。

しかし、私はとんでもない勘違いをしていました。それは、

>エッセイに「である体」を推奨するのは、「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が、増幅された方がいいからではないか。

と思っていました。「です・ます体」では増幅されないということは、「である体」では増幅されることになります。ですのでそういうふうに解釈してしまいました。

しかし、「ただでさえ」という言い方に注目すれば、その解釈にはスッキリしないものがありました。

こういうふうに解釈を巡って混乱したのは、まさにハイブロー武蔵氏の引用ミスに原因があります。その責任は大きいと思います。

投稿日時 - 2014-03-22 00:09:54

お礼

度重なる回答ありがとうございました。

この辺りでこの質問を閉め切ろうと思います。

本当に多くの皆様から回答を頂きました。

重ねて御礼申し上げます。

投稿日時 - 2014-03-20 11:32:48

ANo.34

質問者がこれだけの数の回答にお礼を書かれるのは、大変だったと思います。終わってみれば、やはり武蔵氏の責任だったわけですね。引用文を誤るなどとは、ものを書く人が絶対してはならないことです。自己の責任だけで無く引用した、文章の書き手まで迷惑をかけることになりますから。(とはいうけれど、わたしもやりかねません。自戒!)
 わたしがNo.16で書いた次の部分が偶然当たっていました。御慰労の言葉なので、お礼は不要です。

>「です・ます体」によって増幅されないから
 の部分を、

>「です・ます体」によって増幅され<兼ね>ないから

 とするか、あるいはもっと単純に

>「です・ます体」によって増幅されるおそれが<ある>から

投稿日時 - 2014-03-19 22:40:45

補足

>引用文を誤るなどとは、ものを書く人が絶対してはならないことです。

その通りですね!!

投稿日時 - 2014-03-20 09:57:51

お礼

No.16の回答に気付くのが遅れました。
もう少しよく読んでおけばよかったと悔やまれます。
お礼を申し上げるのが遅れまして申し訳ありません。
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 23:56:42

ANo.33

#32です。
#13のお礼欄にご返信をいただきましたので、その内容に関する返信です。

>なにはともあれ、解釈を巡って混乱したのは著者(ハイブロー武蔵氏)の記述にミス
があったためでした。著者の釈明を求めたいと思います。

たしかに、「増幅されかねない」を「増幅されない」と書いたのは、わかりづらくしてしまった、という意味では好ましくないと思います。
しかし、木村氏の言っていることと逆のことを言っているわけではありません。
というか、結果的には全く同じことを言っているわけです。
この点を良くご理解のうえ、「釈明を求める」と大上段に振りかぶるのではなく、「かね」の省略についての感想を述べるに留めるのが妥当かと思います。
仮に、木村氏の主張と逆の意味を記述したのであれば釈明を求めても良いでしょうが、
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが(「です・ます体」によって)増幅されないからという理由からだ。』
のように解釈すれば済むことですから、あくまで誤りではないので。
文句を付けるとすれば、「故意なのか不作為なのかはわからないが、[かね]を省略したために、理解に手間取ってしまった。木村氏の表現を、もっと尊重して、そのまま引用してくれれば理解に苦労することもなかった」といったところでしょう。
つまり、何が言いたいのかというと、木村氏の文をそのまま引用しなかったために論理的不整合が生じている、という形での抗議はなさらないほうが無難です、ということです。
老婆心ながら申し添えさせていただきました。
  

投稿日時 - 2014-03-19 22:23:10

補足

>しかし、木村氏の言っていることと逆のことを言っているわけではありません。

確かに、ハイブロー武蔵氏は木村氏の言っていることを理解してそのことを書いたのだと思います。ハイブロー武蔵氏がそのことを書いたために、私は木村氏について知ることができました。その点ではハイブロー武蔵氏に感謝したいと思っています。

しかし、ちょっとした記述のミスでそれを理解するのに余計な時間が掛かったということが私は残念でなりません。

ハイブロー武蔵氏も推敲の大切さを本の中で書いています。しかし、表記のミスに気付かなかったというのは推敲が十分でなかったということです。これでは作家としての資質が疑われます。その言っていることに説得力はありません。

私がこの問題にことさらこだわるのはそういう事情があるからです。

投稿日時 - 2014-03-20 00:57:13

お礼

樋口裕一氏は、「わかりやすい文章を書く技術」の中で次のように言っています(105ページ)。

>思わず首をひねってしまう文章は、読み直しを強制しているに等しい。読者としては、ひどく迷惑な話である。

まったくその通りです。しかし、樋口氏の文章にも「あれっ?」と首を傾げざるを得ないところがところどころにあります。

これは、時間との闘いという制約があるために推敲に十分な時間が掛けられないという事情によるものだと、私は思います。また、自分が書きたいものを必ずしも書ける訳ではないために、いい加減な記述になる場合もあるのではないかとさえ思います。

ですので、「書く」ことを職業とする人にとって、いつも満足する作品を書ける訳ではないと思います。もっと時間を掛ければいい作品ができるのにというケースはかなりあると思います。

しかし、時間がないということを満足できる作品に仕上げることができなかった理由にすることは恥ずべきことです。プロである限りはどんな場合でも最善を尽くすべきです。

本から得られるものは大きなものがあります。ですので、多くの人の共感を得られるような本が一冊でも多く出版されることを私は願っています。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-20 18:04:56

ANo.31

#30です。

>ここは、

(寒色系によって)増幅されかねないから、という理由からだ。

ではないでしょうか。

「増幅されかねない」というのは、「増幅される」の控えめな表現です。必ずしも「増幅される」訳ではないが、「増幅される」場合もあるという意味になります。

いや、全くおっしゃるとおりです。
「~するかもしれない」「~しそうだ」という意味ですね。
全面的に同意いたします。
原文のほうも、
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないから、という理由からだ。』
のようにすると、ほぼ完璧な表現になるじゃないですか。
パチパチパチ・・・(拍手音)。
すばらしいご指摘だと思います。
  

投稿日時 - 2014-03-19 01:16:37

補足

>パチパチパチ・・・(拍手音)。
>すばらしいご指摘だと思います。

ありがとうございます。
素直に喜びたいところですが、これは、私の思索の結果ではありません。
実は、木村治美氏の「エッセイを書きたいあなたに」)を読んでそのことが判明しました。

木村氏が実際にどういうふうに書いているのかを図書館で調べてみたところ、ハイブロー武蔵氏は木村氏の文章を間違って引用していました。

間違い (←「いますぐ本を書こう!」)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

正 解 (←「エッセイを書きたいあなたに」)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

読んでいて「おやっ?」と思うのは、そこにそれまでの文章の流れからして不自然なものがあるからです。

ハイブロー武蔵氏の文章の問題点は、「ただでさえ・・・増幅されない」にありました。

「ただでさえ」という文章においては、その後に続く言い回しは限定されます。

「ただでさえ・・・である(肯定)」とくれば、その後は「・・・である(肯定)」と続きます。
「ただでさえ・・・でない(否定)」とくれば、その後は「・・・でない(否定)」と続きます。

しかるに、ハイブロー武蔵氏の文章は、

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されない

とあります。つまり、

前段が「肯定」であるのに対して、後段では「否定」になっています。

このことをもっと早く気付くべきでした。

そうすれば、ハイブロー武蔵氏が言いたかったこと(つまり、木村治美氏の主張)も難なく理解できたはずです。

投稿日時 - 2014-03-19 19:01:47

お礼

>原文のほうも、
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないから、という理由からだ。』
のようにすると、ほぼ完璧な表現になるじゃないですか。

その通りです。

(間違い)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

(正 解)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないから、という理由からだ。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-21 09:16:18

ANo.30

#29です。

>(正)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」ではさらに増幅されるからだ。 
とすべきではないでしょうかね。つまり「です・ます体」によって「増幅されない」のではなく「増幅される」のです。

木村氏の言っていることを順を追って確認しながら、つまり、文脈を読み取りながら解釈していくことが大事だと思います。要点は3つあります。
まず最初に、
『「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できる。』
と言っています。
この見解を木村氏と(賛成する必要は無いが)共有しながら、次を読み進めていかなかれば文意の把握が曖昧になりますので、ご注意ください。
「です・ます体=やわらかい表現ができる」←これが第1の要点です。

次に、
『他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難』と続きます。

そして、
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからだ』と言っています。
「なぜなら」は、『なぜ「である体」が無難であるかと言えば』に置き換えが可能であることにご留意ください。これが第2の要点です。
この場合、
『3.なぜ「である体」が無難であるかと言えば、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからだ』という文になります。
『なぜ「である体」が無難であるかと言えば』というのは、「である体」が無難である理由について述べようとする出だしです。
ですので、「である体」が無難である直接的な理由である「増幅されないからだ」という結語にするほうが自然なわけです。
これを、
『3.なぜ「である体」が無難であるかと言えば、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されるからだ』と書き換えてみましょう。
違和感を覚えられることと思います。
文頭では、「である体」が無難である理由を述べようとしていたのに、文末では、「です・ます体」について述べているからです。
むろん、『「です・ます体」によって増幅されるから』というのは、「である体」が無難である理由にはなるので、意味が通らないわけではありません。
しかし、「である体」自体が持っている「増幅されないから」という直接的な理由をわざわざ外しているため不自然に感じるのです。
添削例に挙げておられるように、
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」ではさらに増幅されるからだ。』のようにすれば、「では」によって主題の転換がなされているので、たしかに違和感は解消されています。全く自然な文です。
ただ、この場合も、『「である体」自体が持っている「増幅されないから」という理由を直接的に述べたい』という木村氏の意図には合致することができません。
つまり、木村氏が言いたいのは、
『3.なぜなら(なぜ「である体」が無難であるかと言えば)、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されないからだ』ということなのです。
『「です・ます体」によって』というフレーズは、あくまで補足的に挿入されているにすぎません。
これが3つ目の要点です。
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが(「です・ます体」によって)増幅されないからという理由からだ。』
のように()を付けると原文のままでも意味が通じやすくなりそうですね。
「から」の重複を避けるために「というのが理由だ」のようにすることもできるでしょう。


ここで、また、他のシチュエーションで考えてみたいと思います。
ご面倒でしょうが、以下の文をご覧になってみてください。

瞑想ルームなどが壁紙を選ぶ場合、主に暖色系よりも静かなイメージを感じられる寒色系が好まれる。
一方、病院などでは、寒色系よりも暖色系を選ぶほうが無難だ、と言われている。
なぜなら、だだでさえ沈みがちな来院者の心のトーンが寒色系によって増幅されないから、という理由からだ。(←あくまで仮定の話であり、事実かどうかは別です)

この場合、(寒色系によって)というフレーズは、あくまで補足的に挿入されたものだ、ということがすぐに感じられると思います。
『なぜなら(なぜ暖色系が無難であるかと言えば)、だだでさえ沈みがちな来院者の心のトーンが(寒色系によって)増幅されないから、という理由からだ。』という意味に自然に解釈できるように思うのですが、いかがでしょうか。
これは、
「暖色系=気分が明るくなる(悪い意味では落ち着かない)」
「寒色系=気分が暗くなる(良い意味では落ち着く)」
というイメージがわたしたちに十分に浸透しているからではないか、と思います。
その点、先に述べた第1の要点である、
「です・ます体=やわらかい表現ができる」や、
「である体=硬い表現に適している」というイメージは、それほど浸透しているとは言えない。
こうしたことも理解を妨げる要因のひとつになっているような気がします。
この点について、もう少し前振りが記述されていれば、文意も通じやすくなっていたかもしれません。
いずれにせよ、筆者の記述がわかりづらい構文であるという点ではたしかにそうですが、誤りでないことだけは確かです。
  

投稿日時 - 2014-03-18 15:08:57

補足

>『なぜなら(なぜ暖色系が無難であるかと言えば)、だだでさえ沈みがちな来院者の心のトーンが(寒色系によって)増幅されないから、という理由からだ。』という意味に自然に解釈できるように思うのですが、いかがでしょうか。

仮定ながらもシチュエーションを設定した説明は非常にわかりやすいと思います。

しかし、ひとつおかしいところがあるように思います。それは、

(寒色系によって)増幅されないから、という理由からだ。

です。ここは、

(寒色系によって)増幅されかねないから、という理由からだ。

ではないでしょうか。

「増幅されかねない」というのは、「増幅される」の控えめな表現です。必ずしも「増幅される」訳ではないが、「増幅される」場合もあるという意味になります。

投稿日時 - 2014-03-18 22:25:11

お礼

>つまり、木村氏が言いたいのは、
『3.なぜなら(なぜ「である体」が無難であるかと言えば)、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されないからだ』ということなのです。

確かにその通りです。しかし、ハイブロー武蔵氏は木村氏の言いたいことを間違った言い方で伝えてしまいました。「増幅されないから」というのと「増幅されかねないから」というのとでは、まったく反対の意味になってしまいます。

hakobulu さんは、表記がどうであったとしても木村氏の言いたいことをその文脈から理解されていました。それは素晴らしいことだと、私は思います。しかし、私はどうにも理解できませんでした。ですので私は、細かい表現にこだわってしまいます。

要するに、ハイブロー武蔵氏に物書きとしての配慮が足りなかったことが読者を混乱させることになってしまいました。その責任は決して小さくありません。

ハイブロー武蔵氏の弁明を聞きたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-22 01:03:07

ANo.29

#27にお礼をいただきました。

>「です・ます体」を使えば増幅されない。増幅するためには「である体」を使うべき。

ということですね。
結論から申し上げると、これは違います。
ただし、
「なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。」という文だけであれば、たしかに、muimusakuさんのような解釈も成立するのです。
ですから、muimusakuさんが、文そのものに対して誤った解釈をしているわけではありません。
ただ、こうしたことは、前後の文脈を良く把握した上で解釈する必要があります。
以下、「木村氏は何を言いたいのか」ということに絞って、要約しながら順に見ていきます。
何かのご参考になれば幸いです。

1.
「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。
<要約>
評論や論説に「です・ます体」を使えば、やわらかく自己表現できる。
<意味>
「です・ます体」は、やわらかい表現方法である。ゆえに、評論や論説のような硬い内容の文を書くときに使えば、読者がカチンとこないという効果が期待できるという点で有効な手法である。

2.
他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。

<要約>
逆に、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難。
<意味>
逆に、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」のような硬い文体を使うほうが無難。

3.
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

<要約>
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから。
<意味>
なぜなら、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときは、つい甘く感傷的になりがちなものだ。
そのやわらかいトーンが、「です・ます体」というやわらかい表現方法を使うことによって、さらに増幅されることがないから、つまり、必要以上にやわらかくなりすぎることがないからだ。(増幅される=やわらかさの要素が増やされる)

◆<おまけ>
1.「です・ます体」は、やわらかい表現方法なので、評論や論説のような硬い内容の文に使えばちょうどバランスが取れて良い印象を与えることができる。
2.逆に、女性がエッセイを書くときには、「である体」のような硬い文体を使うほうが無難だ。
3.なぜなら、女性のエッセイが元々持っているやわらかい内容が、「です・ます体」のようなやわらかい文体を使うことによってさらに増幅されてしまうという危険を防ぐことができるからだ。
   

投稿日時 - 2014-03-17 21:40:02

補足

>女性のエッセイが元々持っているやわらかい内容が、「です・ます体」のようなやわらかい文体を使うことによってさらに増幅されてしまうという危険を防ぐことができるからだ。

そういうふうに言いたいのであるならば、

(誤)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。
 
(正)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」ではさらに増幅されるからだ。 

とすべきではないでしょうかね。つまり「です・ます体」によって「増幅されない」のではなく「増幅される」のです。著者はとんでもない誤記をしているということになります。

例文 (誤)ただでさえ収入が少なくて生活が苦しいのに、税率が上がれば生活は苦しくならない。
例文 (正)ただでさえ収入が少なくて生活が苦しいのに、税率が上がれば生活は余計に苦しくなる。

投稿日時 - 2014-03-17 23:26:58

お礼

度重なる回答ありがとうございました。

ようやく理解できたような気がします。つまり、hakobulu さんは、著者の間違いをご自身の明晰な頭脳で自動的に修正されていたわけです。

しかし、頭脳明晰でない私は著者の言葉どおりにしか理解できませんでした。ですので、著者の単なるうっかりミスであってもそれに気付くことができなかったわけです。

様々な知的レベルの読者がいるわけです。著者はそのことを考えて、わかりやすく説明する努力を心掛けて貰いたいと思います。

投稿日時 - 2014-03-17 23:51:54

ANo.28

#27です。

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからということを理由として述べているのですが、
この「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」というのが、まったくつかみどころのない抽象的なものであるということです。

ありがとうございます。よくわかりました。
「です・ます体」というのは丁寧体(敬体)とも呼ばれています。
「です・ます」が敬語のひとつに区分される丁寧語であることはご存知だろうと思います。
「である体」は普通体(常体)と呼ばれます。
ここで、お手数ですが、下記の2つの駄文を比較しつつお読みになってみてください。
わたしは北海道在住です。

(A)ー丁寧体(敬体)
もう3月も半ばですが、北海道ではまだ雪が頻繁に降ります。
量こそ少なくなったものの、ちょっと油断していますと、すぐにドカ雪が降りますし、一時間以上かけて雪かきをしなければならない日もまだあるのです。
しかし、ウォーキングの途中で、葉の落ちた梢の間を軽快に飛び交う鳥たちの様子が、日ごとに活気づいてきていることに気づいたり、待ち遠しく春を呼ぶかのような騒がしいほどの囀りを耳にするとき、やはり春は間近いのだと実感することができます。
気温も若干、上昇傾向にあるのですが、水分を含んで雪が重くなるので、雪かき必須のこの時期にとっては、ありがたさ半分といったところでしょう。
 
(B)ー普通体(常体)
もう3月も半ばだが、北海道ではまだ雪が頻繁に降る。
量こそ少なくなったものの、ちょっと油断していると、すぐにドカ雪が降るし、一時間以上かけて雪かきをしなければならない日もまだあるのだ。
しかし、ウォーキングの途中で、葉の落ちた梢の間を軽快に飛び交う鳥たちの様子が、日ごとに活気づいてきていることに気づいたり、待ち遠しく春を呼ぶかのような騒がしいほどの囀りを耳にするとき、やはり春は間近いのだと実感することができる。
気温も若干、上昇傾向にあるのだが、水分を含んで雪が重くなるので、雪かき必須のこの時期にとっては、ありがたさ半分といったところだろう。

この二つをご覧になって、『甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン』を必ず選ばなければならないとした場合、(A)と(B)のどちらを選びますか?
わたしとしては(A)だと思います。
丁寧語というのは、話す相手に対して丁寧に表現するためのものなので、必然的に【柔らかい表現】にならざるを得ません。
その柔らかさが、甘さであったり、感傷的な雰囲気を表現するのには適しているわけです。
言ってみれば自己陶酔型の表現に適している、ということです。
「おお!なんと美しい花だ」と言うより、「おお!なんと美しい花でしょう」のほうが自己陶酔を感じられることと思います。
丁寧体は、(普通体に比較した場合)感情や感覚を表わすのに適している、と言うこともできるでしょう。
「むかしむかし、大変美しいお姫様が森に住んでいた」よりも、
「むかしむかし、大変美しいお姫様が森に住んでいました」のほうが、『甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン』を出すことができますよね。
「自分本位」というより「自己陶酔」と表現するほうが適切かな、という気はしますが。
いずれにせよ、『甘く感傷的なトーン』を出すには適した文体である、と言ってよいのではないでしょうか。
たしかに抽象的ですし、漠然としていますが、ご自分の感覚の奥を探っていただくと、納得いただけるような気がします。

エッセイというのは自分の身辺のことや、自分の感想・考えなどを自分の感覚を基調としながら書くものだと思います。
学術論文は論理性が重要ですが、それとは趣が異なります。
つまり、一般的なエッセイというのは、本質的に感情的・感覚的、そして自己主張的な文にならざるを得ません。
「【ただでさえ】甘く感傷的に自分本位になりがち」と筆者が言うのは、このことを指しています。
元々そういう性質の文なのだから、それに加えて、文体までも丁寧体という柔らかい表現を使うと、ますます「甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」が増幅されてしまい、鼻持ちなら無い文になってしまう。
「増幅されるのは好ましくない」ということ。
だから、「である体」をエッセイに使うことでバランスの取れた、つまり、必要以上に感情に押し流されることのない、冷静な文にすることができる。
と筆者は言っているわけです。
「もうすぐ春です」よりも、「もうすぐ春だ」のほうが、若干、固いですが、すっきりしてますよね。
エッセイというものの本質は、元々やわらかいので、文体としては、このように多少、固いもののほうが必要以上に柔らかくなりすぎなくて好ましい。
という主張なんです。
それが正しいかどうかは、むろん、別の話です。
  

投稿日時 - 2014-03-11 21:16:40

お礼

非常に懇切丁寧な回答を頂き恐縮しています。
回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-17 23:32:15

ANo.27

#25です。

>この文章は極めて理解しづらいと、私は読者として思います。読者によって正反対の解釈が生まれるということはあってはならないはずです。そういう解釈が生まれるのは、著者の表現力のまずさに起因すると思います。読者の責任ではないと思います。

まあ、おっしゃりたいことわかりますし、たしかに一理あるでしょう。
ただ、「表現力が下手」だからといって、「論理的な文章ではない」と言うことはできない、ということを私は申し上げています。
「表現力が下手」ということは私も同感ですし、そのように述べたはずです。
たしかに、それは、解釈を間違いやすくする要因になるでしょう。
しかし、作者に対してクレームを付けるのであれば、「もっと上手に表現しろ!」と言うしかありません。
「あなたの文章は、論理的におかしい」と言うのは論点が違う、と言っているわけです。
論理的には合っているわけですから、それを読み解けないとすれば、それは読者の責任です。
ということを、#25では述べたまでです。

この文章が理解しづらいのを解消するためには、
「増幅されない→増幅されることがない」
「という理由からだ→という理由によってだ」
のように部分修正すれば良いだけなのです。
『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。
他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが、「です・ます体」によって増幅されることがないから、という理由によってだ。』
という文であれば、正確に解釈できると思いますが、いかがですか。
つまり、「論理的な文章ではあるが、表現が下手なために真意が伝わりづらいから、もっと表現に気を配ってほしい」というご意見であれば、誰からも反論は出ないと思います。

ある文章の理解が難しい場合、それは、書いた人の表現力が不足しているか、または、読んだ人の読解力が不足しているかのどちらかです。
その判定基準は様々でしょう。
誰にとってもわかりやすい文を書くのは文筆家の義務だという点では、まったくおっしゃるとおりだと思います。
しかし、その「誰」というのがどういった基準の人を指すのか、それは人によって異なります。
一律な線引きは難しいでしょうし、誰かが「わかりづらい」といったことに対して、「いや、わかりやすい」と論争するつもりは全くありません。
ただ、『視点を変えて、このように解釈すれば、わかりづらくなくなるのではないか?』という気持ちで回答させていただいたわけです。
理解していただけるように何回か回答してきたつもりですが、前までのわたしの回答の中で理解しづらい点がございましたら、ご指摘くだされば、説明させていただきます。
  

投稿日時 - 2014-02-25 23:41:36

補足

>作者に対してクレームを付けるのであれば、「もっと上手に表現しろ!」と言うしかありません。
>ある文章の理解が難しい場合、それは、書いた人の表現力が不足しているか、または、読んだ人の読解力が不足しているかのどちらかです。

まったく仰せのとおりです。

私はかつて、ある作家の文章がとても理解しがたいものでしたので問い合わせました。そうしたところ、「文章がヘタですみません。こんなわけがわからんことを書いていてはいけませんね」という回答を貰いました。そういう回答を貰うとは思ってもいませんでしたので驚きました。同時に、その作家の潔さには敬意を表したくなりました。

この文章が理解しづらいのは、

エッセイを書くときに「である体」を使った方がいいという理由の説明に最大の問題があります。すなわち著者は、

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからということを理由として述べているのですが、

この「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」というのが、まったくつかみどころのない抽象的なものであるということです。

hakobuluさんは、この「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」というのが理解できますか。私はさっぱり理解できません。理解できないというよりも、最初は何の疑問も抱かずに誤った解釈をしていました。

著者が理由として挙げたそれは、「である体」をエッセイに使った方がいいということの説明にはなっていません。すなわち、著者の説明は論理的でないということです。

著者が言いたいのは、エッセイを書くには感情表現を増幅できる「である体」が適しているということではないでしょうか。つまり、エッセイは感情を増幅して表現した方がいいので、「である体」を用いるべきだということです。違うでしょうか。

投稿日時 - 2014-03-08 01:46:26

お礼

回答ありがとうございました。

以下、補足です。

>「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

この「…によって増幅されない」という表現が実にわかりづらいと思います。

私はこれを次のように解釈します(これ以外の解釈は考えられません)。

「です・ます体」を使えば増幅されない。増幅するためには「である体」を使うべき。

しかし、hakobulu さんは正反対の解釈をされています。
私はそれがどうにも理解できません。もう少し考えてみようと思います。

また、木村治美氏の本にどう書いてあるかを読んで確かめたいと思います。

投稿日時 - 2014-03-17 18:12:51

ANo.26

 回答というのではなく、質問者と回答者の皆さんへの報告です。(すでにご存じかも知れませんが)木村治美氏は共立女子大教授などを勤められた女性でした。詳しくは「Wikipedia」でどうぞ。
 発言の中で、女性に対するこだわりが見られたのは、そのためだったのですね。

投稿日時 - 2014-02-25 16:55:58

お礼

確認させて貰いました。写真も初めて見ました。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-08 02:25:02

ANo.25

#12の欄にお礼をいただきました。

木村氏は、
>増幅されたほうがいいので、「である体」が無難

と言っているわけではありません。
逆です。
詳しい理由は、すでに述べていますので、ここでは別の視点で展開してみましょう。
「です・ます体→柔らかい文体」、「である体→硬い文体」のように言い換えてみてください。
以下のようになります。

「柔らかい文体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「柔らかい文体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。
他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「硬い文体」が無難ではないかという。
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「柔らかい文体」によって増幅されないからという理由からだ。

いかがでしょうか。
「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」が「柔らかい文体」と同質の意味であることは、即座におわかりになると思います。
即ち、木村氏は、
『「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」が増幅されないから、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「硬い文体」が無難ではないか』と言っているわけです。
増幅という行為の主体は何か、と言えば「柔らかい文体」つまり、「です・ます体」です。
そうした注釈を加えているだけなのです。

「増幅されないからという理由からだ。」という箇所はたしかに下手な表現です。
「増幅されることがないから、というのが理由だ。」
あるいは、
「増幅されることがないから、という理由によってだ。」
のようにするほうが適切でしょう。

むろん、文筆家は、読者がより理解しやすい表現を目指すべきです。
ただ、表現が下手だということと、論理的に不整合である、ということは分けて考える必要があります。
少なくとも、今回のケースの場合、原文を読んで意味を取り違えたとすれば、公平な目で見て、それは読者の読解力の問題に帰されるべきだ、とわたしは考えます。
理由は、何度かのご回答欄で、すでに十分に言い尽くしていますので、あえて、この欄では申し上げません。
反論がおありの場合は、その箇所を抜粋した上でおっしゃっていただければ、納得いくまで可能な範囲でご説明申しあげる所存です。
    

投稿日時 - 2014-02-24 21:28:11

補足

>読者の読解力の問題に帰されるべきだ、とわたしは考えます。

現時点で、9名の方から回答を頂いています(回答総数25件)。これほどまでに回答を頂けるとは思っていませんでした。

これは、まさにこの文章の解釈が一通りではないということかと思います。すんなり理解できないために様々な解釈が生まれるのだと思います。

この文章は極めて理解しづらいと、私は読者として思います。読者によって正反対の解釈が生まれるということはあってはならないはずです。そういう解釈が生まれるのは、著者の表現力のまずさに起因すると思います。読者の責任ではないと思います。

様々な知的レベルの読者がいる訳ですので、著者はそのすべての人(標準レベル以上の人)によくわかるように説明する義務があるのではないでしょうか。

投稿日時 - 2014-02-25 16:02:37

お礼

>木村氏は、
>増幅されたほうがいいので、「である体」が無難

と言っているわけではありません。
逆です。

まったく私の理解が不足していました。hakobulu さんの言われる通りでした。

hakobulu さんには本当に懇切丁寧に説明して頂きました。しかし、私にとってそれを理解するのは容易ではありませんでした。理解するのに時間が掛かったことをお詫びします。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-22 01:18:48

ANo.24

 昔書いた原稿を思い出しました。古いデータを引っ張りだします。長々と済みません。
================引用開始
〈体言止め〉
 体言止めについては第2章(★ページ)を参照していただくとして、ここでは、デス・マス体と体言止めの関係について書いておきます。
 個人的な感覚にすぎませんが、体言止めは、デス・マス体の文章にはなじみにくいのではないでしょうか。デス・マス体で書かれた文章の中に、体言止めが使われている例はよく目にします。うまく使われていれば、違和感もありません。しかし、自分では使いこなす自信がないので、極力使わないようにしています。
 なぜそう感じるのか、あまり説得力をもたないことは承知のうえで、説明を試みてみましょう。
 一般に、デス・マス体とデアル体には次のような違いがあるといわれます。
  デス・マス体  デアル体
  ていねい    やや乱暴
  説明調     論説調
  冗漫      簡潔
 一方、体言止めはリズミカルに文章を切るような効果をもっていて、文章が軽快な感じになります。ほかにもいろいろな形容のしかたがありますが、おおむねこのような感じでしょう。
 このデス・マス体の「ていねい」「冗漫」という特徴と、体言止めのリズミカルで軽快な調子が、どうにも合わない気がします。「だから使わないほうがいい」と主張するつもりはありません。あくまでも、自分では極力使わないように心がけているだけのことです。次にあげる変則形のなかにも、同様の理由でデス・マス体の場合は使いにくいものがある気がします。
================引用終了

 まず一般的な傾向を書きます。
 ↑の原稿を書いたときにどれだけの文章読本を読みあさったのかもはや忘れました。(←オイ!)
 ただ、元々は、
  評論や論説→デアル体
  情緒的なエッセイ(とくに女性)→デス・マス体
 というのが一般的な意見です。

 木村治美氏は逆だと書いていますね(この引用のしかたではどこまでが木村氏の意見なのかハッキリしませんが)。
  評論や論説→デス・マス体がいい(やわらかく自己表現できる)
  エッセイ(女性限定)→デアル体が無難

 この流れから考えると、「デアル体なら甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンを抑えることができる」と解釈するべきでは。
 肝心なのは問題の箇所(これはホントに曖昧に文章です)よりも「デアル体が無難」の無難だと思います。
 むずかしくなりがちな評論や論説はデス・マス体で、情緒に流れがちなエッセイ(女性限定)はデアル体で抑え気味に、という主張でしょう。
「増幅されたほうがいい」と考えているなら「甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」という書き方はありえないでしょう。

 個人的には、デス・マス体の欠点が身にしみているので、デス・マス体がふさわしい内容はないと思っていますが……。ヘタなデス・マス体ほど見苦しい文章はない、という気さえします。

投稿日時 - 2014-02-24 20:57:41

補足

>この流れから考えると、「デアル体なら甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンを抑えることができる」と解釈するべきでは。

私も最初はそのように考えていました。しかし、じっくり考えてみたところ、その考えはまちがっていることに気付きました。それは、エッセイでは喜怒哀楽の感情を抑制すべきではなく、逆に増幅すべきだからです。

「である体」では感情表現を増幅できるのです。だからこそ、「である体」を用いるべきだと著者は言いたいのです。

>「増幅されたほうがいい」と考えているなら「甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」という書き方はありえないでしょう。

まさにその通りです。問題の核心がそこにあります。つまり、「甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」という表現があまりにも抽象的でわかりづらいということです。

著者自身がその意味をわかっていて書いているのかという疑問も生じます。まさにこの「甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」は、典型的な悪文と言っていいと、私は思います。

私はその点を著者に問い合わせました。しかし、半月経っても何ら回答はありません。もしかしたら著者は、どう回答したらいいか、迷っているのかもしれません。

投稿日時 - 2014-03-08 00:59:04

お礼

>この流れから考えると、「デアル体なら甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンを抑えることができる」と解釈するべきでは。

その通りだと思います。私はとんでもない勘違いをしていました。

しかし、その勘違いは、ハイブロー武蔵氏の文章の拙さに原因があります。ハイブロー武蔵氏が木村治美氏の言っていることを正しく伝えていなかったからでした。

機会があれば、ハイブロー武蔵氏にこの件について問いただしたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-22 01:27:23

ANo.23

(補足2)から先に、
 おっしゃる通りでした。はっきりそう書かれていましたね。わたしは女性の、しかもある特定の場合(日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき)という限定を付けるのを忘れていました。ただ、その限定付きでも男性ではなく、女性には「です・ます体」が向いていないと言うことに異論があると断りたかったのでした。その日常生活や花鳥風月をテーマにしたエッセイということで、思い付くのは「枕草子」ですが、確かにこの「枕」を「です・ます体」で口語訳した変なものを思い浮かべたのですが、明治の言文一致運動以後では、そのようなものを目にしたことがありません。あるいは、茶道や華道、着物の専門家などにはあるのかも知りませんが、文芸評論家などでは見かけないので、その区別は不要と思いました。
 
 (補足2)
>女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難

(その理由)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから
 ↓
「です・ます体」では増幅されない
 ↓
「である体」では増幅される
 ↓
増幅されたほうがいいので、「である体」が無難

 これは、しかし、質問者が最初考えられたこととは逆の展開でしょうね。
「です・ます体」では増幅されない →「である体」では増幅される→増幅されたほうがいいので、「である体」が無難
これは無いんじゃないですか。論議に加わっている 人たちの多くは、『「です・ます体」によって増幅される』と考えていらっしゃった思いますよ。もしそうではなく『「です・ます体」では増幅されない』と読み取られたいたのなら、わたしひとりが読み間違いをしていて、恥ずかしい限りということですね。<増幅されたほうがいい>のかなあ。

投稿日時 - 2014-02-24 20:09:31

補足

>これは、しかし、質問者が最初考えられたこととは逆の展開でしょうね。

確かに正反対の解釈をしていました。なぜ、そういう真逆の解釈をしたかというと、それは著者の文章がどうにでも解釈できるものだったからです。すなわち、「悪文」だったからです。

もっとも意味不明なのは、「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが」の部分です。

「ただでさえ」というのは、「何もしなくても、普通に」という意味です。しかし、「甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」というのが極めて抽象的で意味がよくつかめません。

解釈が食い違うことになる一番の原因はここにあるのではないかと、私は思います。どうでしょうか。

投稿日時 - 2014-03-07 23:48:38

お礼

>これは、しかし、質問者が最初考えられたこととは逆の展開でしょうね。
「です・ます体」では増幅されない →「である体」では増幅される→増幅されたほうがいいので、「である体」が無難
これは無いんじゃないですか。論議に加わっている 人たちの多くは、『「です・ます体」によって増幅される』と考えていらっしゃった思いますよ。

私の解釈も二転三転しました。しかし、ハイブロー武蔵氏の文章をそのまま理解しようとした私にとっては、そうなるのも無理はありませんでした。しかし、そういうふうに解釈してもまだ釈然としないところがありました。そのため、皆さんからこうして度重なる回答を頂くことになってしまいました。

度重なる回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-22 01:36:24

ANo.22

 まだ続いていたのですね。女性を特別扱いすることや、本当に「です・ます体」が「評論・論説」に向かないのかという点には、わたしにも異論がありますが、この際はそれはさておき、

『ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由』

の部分に問題があるのですから、そこに問題をしぼって質問者を納得させるべきではないでしょうか。(すでに、皆さんには筆者が何を言いたかったのか、お分かりのはずです。言い方はともかく)

 その点から言えば、No.13の方のおっしゃる

>着目している視点が異なっています。

ということに気を付ければ、上記の部分は、

『【ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅され】(ることが)ないからという理由』

のように、「ない」がかなり多くの内容を否定していることになり、一応理屈はとおるものの、ほめられた文章とは言えません。むしろ、文章になっていないとすら思われます。
 この部分が、木村氏の文章にそのままあったとすると、(わたしは、その可能性は高いと予想します)分かりにくくした責任は木村氏にあることになります。何故木村氏なのかというと、「増幅」などという語をカッコよく使おうなどと考えるのは、文芸評論家の特徴だからです。本来「電波の増幅作用」から出たこの語は相当以前から評論に使われていました。
 この言葉を使ったのが武蔵氏なら、すべて氏の責任でしょう。

投稿日時 - 2014-02-24 14:51:22

補足

>まだ続いていたのですね。

申し訳ありません。そろろそ閉め切ろうと思っていたのですが、皆様から貴重なご意見を次から次へとお寄せ頂き、なかなか締め切る決断がつきません。

>ほめられた文章とは言えません。むしろ、文章になっていないとすら思われます。

同感です。皆様の意見をまとめて著者に提示してみたいと思います。果たして、著者はどう回答するでしょうかね。無視するか、それとも素直にそのミスを認めるか……。

投稿日時 - 2014-02-24 15:52:00

お礼

回答ありがとうございました。

(補足1) よくよく考えてみたのですが、木村治美氏の言いたいことは次の通りではないでしょうか。

女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難

(その理由)

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから
 ↓
「です・ます体」では増幅されない
 ↓
「である体」では増幅される
 ↓
増幅されたほうがいいので、「である体」が無難

こういうふうに解釈しても疑問は残ります。それは「ただでさえ…」という箇所です。言っていることが不明確です。「ただでさえ」というのは、「何もしなくても」「通常でも」という意味です。

私は、この「ただでさえ…」は不適切この上ないと思います。不適切であるために読者の誤解を招くことになっていると思います。

(補足2)

>本当に「です・ます体」が「評論・論説」に向かないのかという点には、わたしにも異論がありますが、

木村治美氏は、「です・ます体」は「評論・論説」に向いていると言っています。ここは、「です・ます体」ではなく「である体」ではないでしょうか。

投稿日時 - 2014-02-24 18:21:28

ANo.21

NO.20さんへ
私の読み方ですが.....
「である体」では増幅されないからだ。  とは、読むつもりが無いのです。
そう読んでしまうと、文章全体(引用範囲全体の意味です。)で、新たな矛盾が発生。
元の文は、評論は「ですます」、 花鳥風月は「である」。
そうすると、 評論と花鳥風月で、文章の性格が反対でないと変。
ゆえに、
評論は感情を抑える  花鳥風月は感情ダダ漏れ なら、全体の意味が通ります。
「である体」では増幅されない と読むと、
「ですます」は感情がやわらかい、 「である」は、感情が増幅されない(=抑えられる)。こうなっているので、
反対の意味かどうかは微妙。「ですます」と「である」の使い分けをどうしたらよいのか不明という、文章のチョンボとなります。
感情がやわらかい、というのが、感情が増幅される、と同じ意味として読むなら、この疑問は解決ですが、そうであるなら、
評論は感情を増幅して書く  花鳥風月は感情を抑える。
こういう意味になりますが、ホントか?逆じゃあ? ど、どうしても思ってしまいます。
 ※評論と花鳥風月では、評論のほうが感情を抑える、という記述しか見たこと無いです。

ですから、局部的なら、
「である体」では増幅されない  でも良いのだけれど、
 (「ですます」、 「である」、どちらが感情的に書けるかは、両方の意見があると思う。)
全体を通して読むためには、 「である」のほうが感情的、と読むしかないと思います。

で、
>ただでさえ自分本位になりがち....の1文だけ取り出すと、
の、「ただでさえ」を重視すると
花鳥風月は、感情を殺して書く(感情の出しすぎはいけない) と読むしかなくなります。
ただし、全体論理を通すような解釈が思いつきません。
ですから、「ただでさえ 」が変、と考えています。

したがってmuimusakuさんに確認します。
「である体」では増幅されないからだ。 が正しいとした場合、
評論は感情を増幅して書く、花鳥風月は感情を抑える  という意味にとらえるしかないと思いますが、そういう意味で書いた文章だと思っているのかどうか。
それって、「スパイク靴を履くべき。何故なら滑るから」を「スパイク靴は滑る」と解釈するのと同等の無茶解釈(文法上そう解釈できても、やってはいけない解釈)だと私は思うが。

投稿日時 - 2014-02-23 21:04:47

補足

>花鳥風月は、感情を殺して書く(感情の出しすぎはいけない) と読むしかなくなります。

確かに、そういう解釈もできると思います。私も最初は、そういうふうに解釈していました。

しかし、よく考えてみると、その解釈は間違っていました。花鳥風月は、感情をもろに出していいのです。むしろ、もろに出すべきなのです。悲しいときには悲しいなりに、嬉しいときには嬉しいなりに、その感情をさらに増幅して表現すべきなのです。

そういうふうに解釈すれば、感情を増幅できる「である体」がエッセイには適していると、著者は言いたいのだと、私は思います。

このように、正反対の解釈をすることになったのは、著者の文章がどうにでも解釈できるあやふやなものだったからです。はっきり言って「悪文」だったからです。

投稿日時 - 2014-03-07 23:04:48

お礼

>「ただでさえ」を重視すると 花鳥風月は、感情を殺して書く(感情の出しすぎはいけない) と読むしかなくなります。

そういうことだと思います。ただでさえ感情的なのだから「です・ます体」ではそれがさらに増幅されて感情的になってしまう。そういうことにならないためには、「である体」を用いるべきと著者は言いたいのだと思います。

木村治美氏の本でそのことを確認できました。しかし、それを引用したハイブロー武蔵氏の文章に間違いがありました。それは極めて重大なミスと言わざるを得ません。

ハイブロー武蔵氏は、引用を間違っただけでなく、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。

元の文(←「エッセイを書きたいあなたに」)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。 

ハイブロー武蔵氏の釈明を求めたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 23:24:29

ANo.20

 No.18で回答した者です。

 No.18のコメントに補足いたします。

〈最低限の修正案(2)〉と〈もう少し手を加えた修正案(3)〉が矛盾しているような感じになっていますね。申し訳ない。

 どちらでも誤解は生じない気がしますが、下記のようにするほうが明確な気がします。
・〈最低限の修正案(2)〉は新たに( )部を付け加えるとよいでしょう。
 なぜなら、(「である体」を使えば)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されることがないからだ。

・〈もう少し手を加えた修正案(3)〉は下記のように。
なぜなら「です・ます体」にだと、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されることがあるからだ。

 いずれにしても、元の文が相当妙な気がします。言いたいことはわかるのですが……。

 と考えたら、No.19のような考え方もあるのですね。
 ウーン。
 やはり相当問題のある文のようです。

投稿日時 - 2014-02-21 21:50:42

補足

>やはり相当問題のある文のようです。

本当にそうです。それは間違いありません。

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから

この文章を理解するのもっとも問題があるのは、

「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちな」

ではないでしょうか。

「ただせさえ」ということは「なにもしなくても、普通に」ということです。

普通に感傷的な人が(女性が)、「です・ます体」では普通にしかその思いを表現できないので、感情を増幅することができる「である体」を用いた方がいいと、著者は言いたいのではないでしょうか。

投稿日時 - 2014-03-02 22:41:38

お礼

>いずれにしても、元の文が相当妙な気がします。言いたいことはわかるのですが……。

元の文(木村治美氏の「エッセイを書きたいあなたに」)には何らの問題もありませんでした。

ハイブロー武蔵氏がそれを間違って引用していました。極めて重大なミスと言わざるを得ません。

引用を間違っただけでなく、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。

元の文(←「エッセイを書きたいあなたに」)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。 

ハイブロー武蔵氏の釈明を求めたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 23:09:34

ANo.19

「女性が」の部分にものすごく引っかかります(男性も同様でないとオカシイ、の意味です。)が、それ以外は別に.....ですね。

私個人の感覚になりますが...
感情を押し殺して文書を書く場合、「ですます」で書くから。木村さんの書いたとおり、
「ですます」で文書を書いた場合、やわらかい表現であることを前提に相手は文を読むわけだから、必然、感情を押し殺した文章に。一方、「である」(「だ」も含むものとします。)の場合、やわらかい表現であることを前提、が関係ないから、書きたい放題。
<結論>
私は、「ですます」では、まともな文章を書けない(爆)。 こうなる。

ゆえに、
・ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されない
たしかに、そのとおり。「ですます」で私が書いた場合、「甘い、感傷的、自分本位」は、きれいに押しつぶされます。(あまりに苦労するのでめったに行わないけど。)
ええと、私は男性です。女性(というか、私以外の場合全て)の場合、逆に「である」のほうが感情が押しつぶされる、ということも考えられます。でも、」自分の場合しか回答のしようがないから、自分の場合を回答とします。

>(正) 「である体」では増幅されないからだ。
そういう感覚を、私は持っていません、と返答します。「である」のほうが、増幅し放題という感覚です。
同時に言いたいこと。
私の回答文ですが、「ですます」「である」の混合です。一般に言われていることとして、混合はダメ、ということ勿論知っています。報告書記述などのときは、当然「である」。そうでない場合(たとえば、この回答)は、「である」は、感情を完全に押し殺したときと、感情が爆発したときの両極端のとき。「ですます」は、その中間状態、そう使い分け。半分意識が無い状態で文章を書くと、そうなるということ。

投稿日時 - 2014-02-21 01:31:20

補足

>「である」のほうが、増幅し放題という感覚です。

著者が言いたいのはそういうことだと思います。表現の仕方がマズイ(下手!!)なために様々な解釈を生むのだと思います。

私も勘違いしていたのですが、著者が言いたいことは下記の通りではないでしょうか。

女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難

(その理由)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから
 ↓
「です・ます体」では増幅されない ?
 ↓
「である体」では増幅される ?
 ↓
増幅されたほうがいいので、「である体」が無難 ?

投稿日時 - 2014-03-02 22:10:35

お礼

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されない
たしかに、そのとおり。

「そのとおり」ではないと思います。

「です・ます体」では増幅されない、増幅されたほうがいいので「である体」が無難、というふうに私も考えていたのですが、それは間違いでした。

著者が言いたいのは、ただでさえ感情表現がオーバーになる女性はエッセイを書くときには、感情を抑制する(増幅しない)「である体」を使った方がいいということだと思います。すなわち、木村治美氏がそう言っているというわけです。

しかし、著者は木村氏の文章を間違って引用しました。実に大きなミスです。引用を間違っただけでなく、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。

正しい表記 (←「エッセイを書きたいあなたに」)
ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。 

ハイブロー武蔵氏の釈明を求めたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 22:58:41

ANo.18

 単にわかりにくい文章なのでは。

・最低限の修正案(1)(質問者の案)
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「である体」では増幅されないからだ。
 これで十分だと思います。
 ただ、もう少し著者のニュアンスを尊重するのなら……(言ってることは同じですが)。
・最低限の修正案(2)
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されることがないから(という理由から)だ。

「から」の連発はわかりにくさの原因になるので、( )部は削除したいところです。

・もう少し手を加えた修正案(3)
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが、「です・ます体」によって増幅されることがあるからだ。

 いずれにしても、この文章はちょっと気になります。
 主張の内容に関しては異論もありますがパスします。
 どこまでが木村治美氏の言葉で、どこからがハイブロー武蔵氏の言葉かハッキリしません。引用の基本としてマズい気がします。
 そのため「感傷的に自分本位に」という助詞の重複が誰の責任か不明です。

 ちなみに、校正者の立場から言わせていただくと、こういう例は誤植とは言いません(誤記と言えるか否かは微妙です)。
 活版の時代と違って厳密には「誤植」はなくなったとも言われます。
 誤字、脱字、衍字、誤変換などの総称を「誤植」と言ってもいいかもしれません。
 これらは校正者の責任なります。
 しかし、質問のような場合は校正者の責任ではありません。著者がホニャララなだけです。
 詳しくは下記をご参照ください。
【突然ですが問題です【日本語編166】── 誤字 脱字 ホニャララ【解答?編】】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2844.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

【解答?例】
1)「あいうえお」が「あいうえね」になっている→誤字
2)「あいうえお」が「あうえお」になっている→脱字
3)「あいうえお」が「あかいうえお」になっている →衍字

【よくわからない解説】
 1)2)は説明不能。まあ、2)を誤字と呼んでも間違いではないだろう。
 問題は3)で、こんな言葉は一般人は知る必要はない。当方も校正の仕事は長年やっているが、こんな言葉を知ったのは比較的最近。
http://dictionary.nifty.com/word/%E8%A1%8D%E5%AD%97?dic=daijisen
================引用開始
デジタル大辞泉の解説
@nifty辞書 デジタル大辞泉 衍字とは
えん‐じ【×衍字】

《「衍」は余りの意》語句の中にまちがって入った不必要な文字。
================引用終了

投稿日時 - 2014-02-20 21:23:40

補足

>なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「である体」では増幅されないからだ。

私は勘違いしていました。この解釈は間違っていると思います。正しくは、

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから
 ↓
「です・ます体」では増幅されない ?
 ↓
「である体」では増幅される ?
 ↓
増幅されたほうがいいので、「である体」が無難 ?

ではないでしょうか。

>どこまでが木村治美氏の言葉で、どこからがハイブロー武蔵氏の言葉かハッキリしません。引用の基本としてマズい気がします。

確かにその通りかと思います。ですので私は、木村氏の本を読んでみようと思っています。古書店で探しましたが見つかりませんでした。今度、図書館で探してみようと思います。

>「から」の連発はわかりにくさの原因になるので、( )部は削除したいところです。

出版社に問いただしたところ、「から」の重複はおかしいと、出版社は認めました。
「増幅されない」の件は、著者に伝えるという回答がありました。
しかし、半月経ちましたが、著者からは何の回答もありません。

投稿日時 - 2014-03-02 22:01:14

お礼

>そのため「感傷的に自分本位に」という助詞の重複が誰の責任か不明です。

「感傷的に自分本位に」は、木村治美氏の著書にありました。

木村治美氏は次のように言って(書いて)います。

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

ハイブロー武蔵氏は、引用を間違っただけでなく、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 

ハイブロー武蔵氏の釈明を求めたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 22:38:40

ANo.17

#14です。

1.
>>「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【スパイク付きの靴は】すべらないから」
>「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【冬道は】すべるから」

この例の場合、【スパイク付きの靴は】とか【冬道は】という表記があるために理解するのに何らの支障もありません。理解できないのは、必要な説明がないからです。言葉足らずだからです。

このご見解には、若干、異論があります。
たとえば、真冬の靴屋に買い物に来た客に向かって、靴屋の主人が、スパイク付きの靴を手にしながら次のように言います。
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべらないから」
客も「このスパイク付きの靴がすべらないから」という意味に解釈するはずです。
これは、無意識的な感覚だろうと思います。
両者には、スパイク付きの靴について(重点を置いて)話しているのだ、という暗黙の了解があることになるわけです。
この客は彼女を連れていました。
彼女は、別の棚のところで女性用の靴を探していたのですが、この二人に背を向けた状態で、その会話を聞いていたのです。
そして、次のように言います。
「え?【すべるから】スパイク付きの靴のほうが安全なんじゃないの?」
棚の向こうにはガラスを通してツルツルに凍った道が見えていて、人々は転ばないように恐る恐る歩いており、彼女はそれを見ながら発言しました。
無意識的に「冬道」に重点を置いて解釈したために、そのような発言となったわけです。

つまり、【スパイク付きの靴は】とか【冬道は】とかいう注釈を加えようという必要性を普通は感じないものだ、ということです。
わたしは、そのような無意識的な意図がある、ということを説明するために注釈したまでです。
ここは誤解のないようにお願いします。
『理解できないのは、必要な説明がないからです。言葉足らずだからです。』というご見解ですが、これはおそらく違うと思います。
正確には、
『理解できないのは、説明が必要な場面にも拘わらず、必要な説明がないからです。言葉足らずだからです。』とすべきでしょう。
要するに、『説明が必要な場面』かどうか、ということが重要な要素になってくる、ということです。
上の例で言えば、説明が必要な場面とは言えないと思います。
スパイク付きの靴を手に説明している靴屋の主人は、
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、[スパイク付きの靴は]すべらないから」とまで注釈する必要はないのでないだろうか、ということ。
もっとフレンドリーな表現にしてみると、そのことがよくわかるかもしれません。
「冬道はこの靴がいいよ~。なぜかって、ほとんどすべらないから」は軽快なリズムを刻むことができます。これを、
「冬道はこの靴がいいよ~。なぜかって、この靴はほとんどすべらないから」
と言ってしまえば、リズムが崩れるでしょう。
また、そのリズムを崩してまで「この靴は」という注釈が必要なシチュエーションとも言えません。

2.
そこで、ご質問の例は『説明が必要な場面』かどうか、ということになります。
これは読解の問題でもあるので、もう少し前の文があるほうがわかりやすいのですが、わたしとしては、「です・ます体」と「である体」の違いについて述べている文であるのは、ほぼ間違いないように見えます。
少なくとも、「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」について述べようというのが本意ではないはず。
『他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかという。』という直前の文だけに着目せずに、その前の文も考慮に入れて読み進める必要があります。
逆に、『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき』について述べるのが筆者の意図であるなら、『「です・ます体」によって増幅されるから』と表現する必要がありますが、今回は違います。
以上によって、『説明が必要な場面』とは言えないから、注釈がないことをもって筆者を責めることはできない、とわたしは思います。
つまり、読み手としては、『「です・ます体」と「である体」の違いについて述べている文である』という意図を書き手と共有するのに不都合はない記述ではないだろうか、と思うわけです。

ただ、文法として間違ってはいませんが、下手な表現であることはたしかだと思います。
#16さんが「否定形でなくすればいい」と適切な指摘をされていますが、同感です。
これを強力なヒントとして、わたしとしては、最後の文を次のようにするのが自然だろうと考えます。このような微妙な表現の場合、読点も重要な要素となります。助詞も一部変えてます。
ニュアンスを掴むため全文を記します。
『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。
他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかという。
ただでさえ甘く感傷的で自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によってさらに増幅されることがないから、というのが理由だ。』
「増幅されないから」も「増幅されることがないから」も同じ否定ですが、「される」という単語を直接的に否定しているわけではない点が味噌です。
    

投稿日時 - 2014-02-20 15:16:59

お礼

>『理解できないのは、説明が必要な場面にも拘わらず、必要な説明がないからです。言葉足らずだからです。』とすべきでしょう。

まさにその通りです。

>逆に、『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき』について述べるのが筆者の意図であるなら、『「です・ます体」によって増幅されるから』と表現する必要がありますが、今回は違います。

ここはやはり、『「です・ます体」によって増幅されるから』と表現すべきでした。木村氏は「増幅される」というところを「増幅されかねない」とその著書では言って(書いて)います。ハイブロー武蔵氏がそれを間違って引用したわけです。ハイブロー武蔵氏の釈明を求めたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 22:24:45

ANo.16

 わたしも回答者の一人として、話の中に割り込ませてもらいます。
これは日本語の「否定文型」の特色がもたらす問題の一つなのでしょう。二重否定なのかどうか、という質問が時々このサイトにも寄せられています。要するに何が否定されているのかが、最後まで行かないと分からないことが問題なのですね。

 『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。』

 この文を読んだとき、わたしは単純に筆者の書き方に引き込まれました。しかし、質問者が間違いだと言われので「なるほど」と思いました。しかし、hakobuluさんが理を尽くして説明されているのを読むとこれもうなづけるところがあります。「なぜなら~から」が木村氏の意見で、「という理由からだ。」が武蔵氏によって加えられた言葉だと仮定して、分かりにくくした原因は木村氏の言葉にあります。(もっとも、こんな話題になるとは木村氏は分からなかったはずです)

>「です・ます体」によって増幅されないから

 の部分を、

>「です・ます体」によって増幅され<兼ね>ないから

 とするか、あるいはもっと単純に

>「です・ます体」によって増幅されるおそれが<ある>から

と否定形でなくすればいいのかと思います。繰り返しますが、木村氏の言い方は許される範囲内だと思いますけれど、それを紹介した武蔵氏に多くの原因があると思います。こうした「解説文」には、それなりに分かりやすくする責任があるからです。そのためには、「という理由からだ。」で済まさず、もっと別の方法があったと思います。
 (わたし自身に対する自戒の念を込めての発言です)

投稿日時 - 2014-02-20 11:43:08

お礼

>「です・ます体」によって増幅され<兼ね>ないから

 とするか、あるいはもっと単純に

>「です・ます体」によって増幅されるおそれが<ある>から

と否定形でなくすればいいのかと思います。

まったくその通りでした。木村氏の著書を読んでみてそのことが判明しました。

木村氏の著書には何の問題もありませんでした。問題は、それを引用したハイブロー武蔵氏にありました。

ハイブロー武蔵氏は、間違った引用をしただけでなく、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。「から」の重複は、出版社もミスであることを認めています。

回答ありがとうございました。
御礼が遅れまして申し訳ありません。

投稿日時 - 2014-03-19 22:10:33

ANo.15

単に誤植しているだけな気がしますが・・・。
出版社からの回答はどうだったのでしょうか?

投稿日時 - 2014-02-20 09:49:46

補足

>単に誤植しているだけな気がしますが・・・。

確かにそうだと思います。しかし、誤植はプロの編集者として恥ずべきことです。そういう認識が薄れているのではないかと、私は危惧します。注意して読むとおかしな記述の本は少なくありません。

訳のわからない本は、読者の貴重な時間を奪います。「これでわかるだろう」という安易な気持ちで書いているからこそ訳のわからない本が溢れることになってしまいます。

>出版社からの回答はどうだったのでしょうか?

今日、メールで回答がありました。「から」の重複は確かに好ましくないと言っていました。「増幅されない」の件は、著者に指摘があったことを申し伝えると言っていました。著者から直接の回答があれば著者を再評価できるのですが、さて……。

投稿日時 - 2014-02-20 10:23:01

お礼

回答ありがとうございました。

著者のハイブロー武蔵氏には、別の著書についてもその誤記を指摘しました。指摘して10日経つのですが、まだ回答はありません。私は、時間が経っても回答はあると思うのですが、さて…。

別の著者についても私はその著書の表記の間違いを指摘しました。そうしたところ、その著者からはすぐに(その日に!!)回答がありました。それは、「文章がヘタですみません。こんなわけがわからんことを書いていてはいけませんね」という回答でした。

投稿日時 - 2014-02-20 10:34:21

ANo.14

#12です。

>最大の問題点は、「である体」が無難であることを説明するうえで、その根拠を、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が【「です・ます体」によって増幅されない】としている点です。

なるほど、ここが一番の疑問点でしたか。


>【「です・ます体」によって増幅されない】とは、「です・ます体」を使えば、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が強調されないという解釈になります。

全くおっしゃるとおりです。


>強調されないのならば、「です・ます体」を使って何ら支障はないはずです。

ある面では、これもおっしゃるとおりでしょう。
先ごろ回答したことのある質問から連想して例文を作ってみますと、
『警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。
【なぜなら、ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、】という理由によってだ。』となります。(読みやすくするため、後半の「から」は「よって」に置き換えています)
この文は、
『ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、という理由によって、警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。』と同じ意味であることがおわかりいただけると思います。

同様に、
『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。
【なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】という理由によってだ。』は、
『【ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】、という理由によって、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。』と同じ意味になるでしょう。

【「です・ます体」を使った場合のように増幅されることはない】⇒だから【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか】と木村氏は言っているわけです。
『「です・ます体」を使う場合のように強調されないから、「である体」を使うのが無難』という意味です。


>「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべきと、木村治美氏は言いたいのではないのでしょうか。
そうであるのなら、

(誤) 「です・ます体」によって増幅されないから
(正) 「です・ます体」によって増幅されるから

もしくは、

(誤) 「です・ます体」によって増幅されないから
(正) 「である体」によって増幅されないから

ではないでしょうか。

なるほど。
これ一理ありますね。
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべらないから」
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべるから」
がどちらも正しいのと似ていると思います。
ただ、前者は、
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【スパイク付きの靴は】すべらないから」
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【冬道は】すべるから」
という意味になるでしょう。
着目している視点が異なっています。

原文の場合は、
『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。
なぜなら、【「である体」は、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから、という理由からだ』
という意図になります。
質問者さんの説の場合、
『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。
なぜなら、【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されるから、という理由からだ』
という意図になるでしょう。
理屈としては、どちらも間違ってはいないと思います。
ただ、冬道の例のように、着目している視点が異なっています。
前者は「である体」に着目していることになりますし、後者は「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」に着目しています。
「である体」が無難である理由について述べている文である点では同じですが、どちらに着目するほうが自然か、という問題になりそうです。
ここで、前の文を確認してみると、
『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。』という内容ですから、この筆者は、「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」についてではなく、「である体」と「です・ます体」を比較する意図があったことがわかります。
ということで、
『「です・ます体」によって増幅されるから』
ではなく、
『「です・ます体」によって増幅されないから』という原文のほうが適切、ということになると思います。
つまり、質問者さんが、『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、その意図を表現するためには、「です・ます体」によって増幅されるから』という表現は使わないほうが適切だろう、ということになります。

『「である体」によって増幅されないから』という説の場合については、
『「である体」が無難である理由として、「である体」によって増幅されないから』という構文になるため、不自然な印象になってしまうでしょう。
案外、奥の深い問題でした。
   

投稿日時 - 2014-02-20 01:06:35

補足

>「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【スパイク付きの靴は】すべらないから」
>「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【冬道は】すべるから」

この例の場合、【スパイク付きの靴は】とか【冬道は】という表記があるために理解するのに何らの支障もありません。理解できないのは、必要な説明がないからです。言葉足らずだからです。

書き手はわかっていても、読み手はわからないことは山ほどあります。「わかるだろう」という思い込みがあるために必要な説明を省略してしまいます。書き手と読み手の情報が一致しなければ理解するのは無理というものです。専門家にとっては常識であるからといって、専門用語を駆使した説明で素人が理解できるはずはありません。

私たちは、相手が知らないというケースがあることを考えて説明する必要があります。どこまで詳しく説明すればいいかという問題はありますが。

投稿日時 - 2014-02-20 08:24:09

お礼

回答ありがとうございました。

以下、補足します。

>つまり、質問者さんが、『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、その意図を表現するためには、「です・ます体」によって増幅されるから』という表現は使わないほうが適切だろう、ということになります。

よくわかりません。私の解釈を認めているのに、別の解釈をしていることに違和感を抱きます。そこに論理的な整合性を見出すことができません。

投稿日時 - 2014-03-17 20:33:05

ANo.13

#12です。

>最大の問題点は、「である体」が無難であることを説明するうえで、その根拠を、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が【「です・ます体」によって増幅されない】としている点です。

なるほど、ここが一番の疑問点でしたか。


>【「です・ます体」によって増幅されない】とは、「です・ます体」を使えば、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が強調されないという解釈になります。

全くおっしゃるとおりです。


>強調されないのならば、「です・ます体」を使って何ら支障はないはずです。

ある面では、これもおっしゃるとおりでしょう。
先ごろ回答したことのある質問から連想して例文を作ってみますと、
『警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。
【なぜなら、ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、】という理由によってだ。』となります。(読みやすくするため、後半の「から」は「よって」に置き換えています)
この文は、
『ただでさえ威圧感を持たれがちな警官のイメージが「である体」によって増幅されないから、という理由によって、警官が職務質問するときには、「です・ます体」が無難ではないかと彼は主張する。』と同じ意味であることがおわかりいただけると思います。

同様に、
『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。
【なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】という理由によってだ。』は、
『【ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】、という理由によって、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)言う。』と同じ意味になるでしょう。

【「です・ます体」を使った場合のように増幅されることはない】⇒だから【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか】と木村氏は言っているわけです。
『「です・ます体」を使う場合のように強調されないから、「である体」を使うのが無難』という意味です。


>「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべきと、木村治美氏は言いたいのではないのでしょうか。
そうであるのなら、
(誤) 「です・ます体」によって増幅されないから
(正) 「です・ます体」によって増幅されるから
もしくは、
(誤) 「です・ます体」によって増幅されないから
(正) 「である体」によって増幅されないから
ではないでしょうか。

なるほど。
これ一理ありますね。
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべらないから」
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、すべるから」
がどちらも正しいのと似ていると思います。
ただ、前者は、
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【スパイク付きの靴は】すべらないから」
「冬道はスパイク付きの靴をはくほうが安全だ。なぜなら、【冬道は】すべるから」
という意味になるでしょう。
着目している視点が異なっています。

原文の場合は、
『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。
なぜなら、【「である体」は、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから、という理由からだ』
という意図になります。
質問者さんの説の場合、
『女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないか。
なぜなら、【女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、】ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されるから、という理由からだ』
という意図になるでしょう。
理屈としては、どちらも間違ってはいないと思います。
ただ、冬道の例のように、着目している視点が異なっています。
前者は「である体」に着目していることになりますし、後者は「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」に着目しています。
「である体」が無難である理由について述べている文である点では同じですが、どちらに着目するほうが自然か、という問題になりそうです。
ここで、前の文を確認してみると、
『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。』という内容ですから、この筆者は、「女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くとき」についてではなく、「である体」と「です・ます体」を比較する意図があったことがわかります。
ということで、
『「です・ます体」によって増幅されるから』
ではなく、
『「です・ます体」によって増幅されないから』という原文のほうが適切、ということになると思います。
つまり、質問者さんが、『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、その意図を表現するためには、「です・ます体」によって増幅されるから』という表現は使わないほうが適切だろう、ということになります。

『「である体」によって増幅されないから』という説の場合については、
『「である体」が無難である理由として、「である体」によって増幅されないから』という構文になるため、不自然な印象になってしまうでしょう。
案外、奥の深い問題でした。
   

投稿日時 - 2014-02-20 01:04:17

補足

>『「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべき』とおっしゃるのは、全くそのとおりなのですが、

とんでもない勘違いをしていました。

(誤) 「です・ます体」では支障がある(増幅される)
(正) 「です・ます体」では増幅されない。

すなわち、エッセイを書くのには喜怒哀楽の感情を増幅できる「である体」が適していると、著者は言いたいのだと思います。

なぜ、こういう勘違いをしてしまったかというと、著者の文章がどうにでも解釈できるものだったからです。

投稿日時 - 2014-03-07 22:51:05

お礼

補足に間違いがありました。

>(誤) 「です・ます体」では支障がある(増幅される)
>(正) 「です・ます体」では増幅されない。
>すなわち、エッセイを書くのには喜怒哀楽の感情を増幅できる「である体」が適していると、著者は言いたいのだと思います。

「です・ます体」では増幅される、と言うべきでした。増幅されないのは「である体」でした。だからこそ、「ただでさえ」云々という言い方が成立する訳です。私はその解釈が不十分でした。

なにはともあれ、解釈を巡って混乱したのは著者(ハイブロー武蔵氏)の記述にミスがあったためでした。著者の釈明を求めたいと思います。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 21:46:57

ANo.12

#6です。

補足を拝見しましたので、再度おじゃまいたします。

前にある、
『「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は~~と述べておられる』
『他方、~~という』
という二つの文と合わせてお考えになるとわかりやすいと思います。
「~と述べておられる」
「~という」
という表現は全て、木村治美氏の言ったことを引用、または要約していることを示しています。この部分が木村氏の言葉でないのと同じで、
「~という理由からだ」も木村氏本人の言葉ではありません。
もし、そうなら、「~という理由からだ、と述べておられる(という)」のように表現する必要があるでしょう。
ですから、調べるまでもなく、
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから』の部分だけが木村氏の言葉なのです。

木村氏は、
【評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないか。
他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないか。なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】
と言っているわけです。(むろん、本当にそう言っているのかどうかを調べても良いでしょうが、それは今回のご質問とは別の問題になるでしょう)
その内容を紹介する文としては、ご質問文にあるような表現になる、ということです。

繰り返しで恐縮ですが、「理由からだ」は「理由によって」と読み替えるほうが解釈しやすくなるでしょう。
「~という理由からだ」は、
『~という理由から(~という理由によって)、【評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないか。】また、【他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないか】と木村氏は述べておられるの だ』
という文を略したものなのです。
「から」の重複が好ましくないのは言えてますが、間違いではありません。
  

投稿日時 - 2014-02-19 19:17:26

補足

「から」の重複はたいした問題ではありません。重複しても意味は通じます。

最大の問題点は、「である体」が無難であることを説明するうえで、その根拠を、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が【「です・ます体」によって増幅されない】としている点です。

【「です・ます体」によって増幅されない】とは、「です・ます体」を使えば、女性特有の「感傷的に自分本位になりがちなトーン」が強調されないという解釈になります。

強調されないのならば、「です・ます体」を使って何ら支障はないはずです。「です・ます体」では支障がある(増幅される)から(増幅されない)「である体」を使うべきと、木村治美氏は言いたいのではないのでしょうか。

そうであるのなら、

(誤) 「です・ます体」によって増幅されないから
(正) 「です・ます体」によって増幅されるから

もしくは、

(誤) 「です・ます体」によって増幅されないから
(正) 「である体」によって増幅されないから

ではないでしょうか。

投稿日時 - 2014-02-19 20:03:02

お礼

再度の回答ありがとうございました。

(補足)  よくよく考えてみたところ、私はとんでもない勘違いをしていました。著者が言おうとしていることは、以下のとおりではないでしょうか。

女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難

(その理由)

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから
 ↓
「です・ます体」では増幅されない
 ↓
「である体」では増幅される
 ↓
増幅されたほうがいいので、「である体」が無難

しかし、このように解釈しても、疑問は残ります。それは、「ただでさえ・・・」の箇所です。私は「おかしい(表現が不適切、もしくは言葉足らず)」と思います。

投稿日時 - 2014-02-24 17:43:59

ANo.11

 最近よくやる「見落とし」がありました。

>なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

 なぜなら「である体」ではそれ以上強められることはないという理由です。
とするか、
 なぜなら「です・ます体」による増幅作用のごときものがないという理由です。

 「から」の問題より、こちらの方が、誤解を招きそうな問題でした。
 

投稿日時 - 2014-02-19 17:51:15

お礼

>なぜなら「である体」ではそれ以上強められることはないという理由です。

著者(ハイブロー武蔵氏)が言いたいことはそういうことだと思います。

しかし、著者は、木村治美氏の文章を引用するのに間違った引用をしています。さらには、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。

(誤)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

(正)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

投稿日時 - 2014-03-19 21:29:16

ANo.10

全く、質問者のおっしゃるとおりです。
 「です・ます」体で文芸批評を書いた、中村光夫氏を思い出しました。
この
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。』
は木村治美氏ではなく、その人を紹介した ハイブロー武蔵氏の言葉でしょう。
 最初の「から」は理由を表す用法でしょうが、続いて「という理由からだ」というのは完全に余分ですね。前の「から」は小林氏の「から」、後ろの「から」は武蔵氏の「から」という使い分けでもなさそうです。自分の判断の理由は「ここ<から>来ている」とでも言いたかったのでしょうか。
 それから、女性には「です・ます」体がふさわしく無いと言うことにも賛成ではありません。

投稿日時 - 2014-02-19 17:09:14

お礼

ご理解ある回答ありがとうございます。

>木村治美氏ではなく、その人を紹介した ハイブロー武蔵氏の言葉でしょう。

まさしくそうだと思います。木村治美氏の本にどう書いてあるか検証したいと思います。

投稿日時 - 2014-02-19 17:39:45

ANo.9

no.2です。

『ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから』という理由から(、「である体」が無難)だ。

という文章です。
目くじら立てるほどのこっちゃない。

投稿日時 - 2014-02-19 17:08:46

補足

>目くじら立てるほどのこっちゃない。

いや、問題のある文章だと思います。

>「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

確かにこれは、「である体」が無難であることを説明しています。

この文章に問題があるのは、「です・ます体」によって増幅されないということが、「である体」を用いる理由になっていないからです。論理展開に無理があるからです。

「である体」が無難であると言いたいのなら、ここは次のように言うべきです。

>「です・ます体」によって増幅されるからという理由からだ。

すなわち、「増幅される」と書くべきところを、「増幅されない」と書いているために訳のわからない文章になっています。極めておろかなミスと言わざるを得ません。

投稿日時 - 2014-02-19 17:59:44

お礼

回答ありがとうございました。

著者(ハイブロー武蔵氏)は、木村治美氏の文章を引用するのに間違った引用をしていました。さらには、「から」という言葉を重複して使っています。これも極めて不適切です。

(誤)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

(正)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

投稿日時 - 2014-03-19 21:19:17

ANo.8

5、訂正ですね。

このエッセイストは、評論や論説には「です・ます体」が良いが、エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。

↑増幅しちゃったほうが良いから、「です・ます体」ではダメ、「である体」のほうが無難ということでした。

ややこしくなってきてしまいました。すみません。訂正いたします。

投稿日時 - 2014-02-19 16:54:16

補足

訂正ありがとうございました。
本当にわかりにくい文章だと思います。

投稿日時 - 2014-02-19 17:06:48

お礼

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 21:10:46

ANo.7

5です。追記です。話し言葉に換えてみました。一部、不適切な言い回し(じゃんね、等)は、ご理解ご了承ください。

>「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。

木村さんは、評論や論説は「である体」だからカチンとくるのよ、「です・ます体」にすれば良いのにね、と言っていた。

>他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。

その一方で、エッセイは、「である体」のほうが良いよね、と言っている。

>なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

なぜなら、ただでさえ甘いトーンが、「です・ます体」では増幅されないもんね。だから、「である体」で増幅しちゃったほうが良いじゃんね。

評論や論説は「である体」だから、トーンが増幅されていてカチンときちゃう。だから「です・ます体」にすれば良いのにね。
エッセイは、「である体」にして、増幅しちゃえば良いのよ。そのほうが、無難でしょ。

投稿日時 - 2014-02-19 16:50:08

補足

>なぜなら、ただでさえ甘いトーンが、「です・ます体」では増幅されないもんね。だから、「である体」で増幅しちゃったほうが良いじゃんね。。

これは正しくありません。女性の高揚した感情は、「です・ます体」では余計に増幅されます。ですので、それを抑制するために、「である体」にした方がいいと、著者は言いたいのです。

著者(ハイブロー武蔵氏)は、木村治美氏の文章を引用するのに間違いを犯しました。「から」という言葉の重複も不適切です。

(誤)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

(正)ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。

投稿日時 - 2014-03-19 21:04:17

お礼

回答ありがとうございました。

木村治美氏の本を読んでみた結果、ハイブロー武蔵氏が間違って引用していることが判明しました。

投稿日時 - 2014-03-19 21:07:04

ANo.6

たしかに、一見すると間違いやすいですね。
わたしも若干迷いました。

要点は二つあります。
まず、「から」の二つの用法が使われていることに留意されるとよろしいかと思います。
「増幅されないから」の「から」は理由・原因を表わす接続助詞ですが、「理由からだ」の「から」は、「~によって」という意味の格助詞です。
『なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由によってだ』
という意味なので誤りではありません。

次に、この文は、木村治美氏の主張を紹介している文であって、著者本人の主張ではない、という点にも留意すると、さらにわかりやすくなります。
『【なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから】という理由からだ』という構文です。
【】内は木村治美氏の見解で、「という理由からだ」が著者の言葉になります。

投稿日時 - 2014-02-19 16:42:59

補足

木村治美氏の本を読んでみたいと思います。
もしかしたら、引用に間違いがあるかもしれません。

投稿日時 - 2014-02-19 16:47:47

お礼

回答ありがとうございました。
hakobulu さんから11件の回答を頂きました。

「引用に間違いがあるかもしれません」と補足に書きましたが、その通りの結果になってしまいました。

おかげさまで問題は解決しました。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-03-19 20:03:24

ANo.5

>(補足です) 下記の部分の表現が言葉足らず(不適切)ではないかと、私は思います。「から」が重複している上に、肯定表現と否定表現が混乱しています。

なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

↑ここまで補足、お礼いただきました。ありがとうございました。

>「である体」が無難ではないかという。

「である体」が無難が前提ですね。

>なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

ただでさえ~~から、←ただでさえ~だからの言い回しは正しいですね。

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが、
>「です・ます体」によって増幅されないから(「である体」のほうが良い)。

言葉を換えて考えてみます。

>他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

「です・ます体」をチョコレートクッキーに、「である体」をノーマルなタイプのクッキーに置き換えてみます。

クッキー(エッセイ)は、ノーマルなタイプ(「である体」)のほうが無難ではないかという。
ただでさえ甘いチョコレートクッキー(ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン)が、「中に入れるチョコレート」によって、増幅されないからという理由だ。

かっこは、元の文の置き換えです。かっこをはずして読んでみても、文章としておかしくはありません。
「から」の重複はおかしいとは思いますが、文章の意味合いとしては正しく感じます。

>エッセイと書くときには、「である体」が無難

1文目に、「である体」が無難だと述べ、

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから

2文目に、ただでさえ甘く~~トーンが、「です・ます体」によって増幅されないからと、理由を述べています。

このエッセイストは、評論や論説には「です・ます体」が良いが、エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。

アイスクリームはチョコレート入りのほうが良いが、クッキーはチョコレートの入っていないノーマルなほうが無難だ。
なぜなら、ただでさえ甘いクッキーが、チョコレートで甘さを増幅されない(で済む)からだ。

投稿日時 - 2014-02-19 16:28:23

補足

>エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。

このエッセイスト(木村治美氏)がエッセイには「である体」を推奨するのは、「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」が、増幅された方がいいと思うからではないでしょうか。

しかし、こういうふうに解釈しても、疑問は解消しません。それは「ただでさえ・・・」という箇所です。

「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」とは何を言っているのでしょうか。表現がおかしい(言葉が不適切、あるいは言葉足らず)ような気がしますが、どうでしょうかね。

投稿日時 - 2014-02-24 17:29:00

お礼

回答ありがとうございました。問題は解決しました。理解するのに戸惑ったのは、著者の引用に間違いがあったためでした。

>このエッセイストは、評論や論説には「です・ます体」が良いが、エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。

このエッセイスト(木村治美氏)の言いたいことはそういうことだと思います。

しかし、ハイブロー武蔵氏はそのことを自分の著書で紹介するのに間違った言い方をしていました。

つまり、「増幅されない」は間違いで、「増幅される」というのが 正解です。「です・ます体」では「増幅される」恐れがあるために、その恐れのない「である体」を使うことを提唱している訳です。

(誤)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

(正)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されるからという理由からだ。

投稿日時 - 2014-03-19 20:24:16

ANo.4

です・ます そうですね。男性が使われると
若干気合いが感じられる気がしますが
丁寧で 好感が持てると思います☆

投稿日時 - 2014-02-19 15:47:18

お礼

「です・ます体」は主張が弱く感じられるという意見もあります。すなわち、はっきり主張したい場合には「である体」の方がいいということです。

ただし、強く主張すると、「尊大だ、生意気だ」と思われるかもしれません。

回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-02-24 17:02:36

ANo.3

>「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。

「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村氏は、あくまで名文エッセイストであり、この「いますぐ本を書こう」に載っている文章のイロハを読む必要のある初心者とは違う。

その木村氏は、評論や論説では「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこないのではないかと述べている。

>他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。

他方(その一方で、という意味)、女性がエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)いう。

>なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

評論や論説では「です・ます体」を使えば良いのではないか。
一方で、女性がエッセイを書くときは、「である体」が無難ではないか。

なぜなら、「です・ます体」によって増幅されないから(という理由から)だ。

どこが誤植なのでしょう?僕はどこも誤植とは思えず、内容が正しく続いて書かれているように感じました。

投稿日時 - 2014-02-19 15:22:37

補足

>「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

この「増幅されないから」というのは「増幅されるから」の間違いではないでしょうか。

「です・ます体」では増幅されるから、「である体」を使った方がいいということではないでしょうか。

投稿日時 - 2014-02-19 15:52:53

お礼

回答ありがとうございました。

(補足です) 下記の部分の表現が言葉足らず(不適切)ではないかと、私は思います。「から」が重複している上に、肯定表現と否定表現が混乱しています。

なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

投稿日時 - 2014-02-19 15:57:43

ANo.2

良い文章ではないですが、誤植ではないでしょう。
・「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。
・「である体」では増幅されないからだ
どちらも同じ意図を指しています。

女性が書くエッセイは甘く感傷的で自分本位なものになりがちなので、そのトーンが「です・ます体」によって増幅されてしまわないよう、そういう文章では文体として「である体」を使う方が無難である、という意見ですね。

同文章は
「なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが、「である体」を使う事によって弱められるからだ。」
などと書き換えられるでしょう。

投稿日時 - 2014-02-19 15:12:55

補足

>「である体」を使う事によって弱められるからだ。

著者が言いたいことはそういうことだと思います。しかし、

>「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

この「増幅されないから」というのは「増幅されるから」の間違いではないでしょうか。
「です・ます体」では増幅されるから、「である体」と使った方がいいということではないでしょうか。

投稿日時 - 2014-02-19 15:51:41

お礼

回答ありがとうございました。

(補足) 正しく理解していないところがありましたので書き直します。

著者が言いたいのは、

女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難

(その理由)

ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから
 ↓
「です・ます体」では増幅されない
 ↓
「である体」では増幅される
 ↓
増幅されたほうがいいので、「である体」が無難

以上です。

投稿日時 - 2014-02-24 16:39:08

ANo.1

引用していただいた箇所を読んだ限り、
私も誤植ではないかと感じました。

-----
なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。
-----

この箇所の「増幅されないから」に誤植がありそうに思えます。

本来は、たとえば
「増幅されてしまうから」
「増幅されるから」
「増幅されやすいから」
「増幅されやしないか」
など、増幅に対する肯定の言葉が入るはずだったのではないでしょうか。

「増幅されないから」「理由から」と、
「から」が重なっているのも気になりますね。
何かのミスがあったのかもしれません。

正解は著者のみぞ知る、ですけれど。

投稿日時 - 2014-02-19 14:56:48

補足

>「から」が重なっているのも気になりますね。

確かに、「から」の重複はおかしいと言えます。ここは

(誤) 「増幅されないからという理由からだ」
(正) 「増幅されないからだ」

であるべきです。

投稿日時 - 2014-02-19 15:04:31

お礼

回答ありがとうございました。

著者にこの質問をぶつけてみたいと思います。

投稿日時 - 2014-02-24 17:03:54

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