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締切り済みの質問

Whoの使い方について

英語のテキストに2つの例文がありました。

(1)We cannot turn our backs on desperate people who are at risk.
(危機にさらされて、わらにもすがる思いでいる人々を、私たちは放っておけない。)

(2)He saw someone being buillied, but he turned a blind eye.
(誰かがいじまられているのを見たのに、彼は見ないふりをした。)

この2つの文ですが、whoとbeingの使い方の違いが分かりません。
例えば(1)の文をWe cannot turn our backs on desperate people being at risk.にしたり、(2)の文をHe saw someone who was buillied, but he turned a blind eye.のように変えても同じような意味になるのでしょうか?

もし文法的に間違いがありましたらご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いします。

投稿日時 - 2014-04-05 14:16:05

QNo.8542642

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回答(6)

ANo.11

Group A:
1. He saw a boy being buillied, but he turned a blind eye.
2. He saw a boy be buillied, but he turned a blind eye.

Group B:
1. He saw a boy who was buillied, but he turned a blind eye.
2. He saw a boy who is buillied, but he turned a blind eye.

それぞれのグループの1.と2.にニュアンスの違いがあれど、グループ AとBでは言っている意味が違う。

投稿日時 - 2014-04-05 21:00:05

 #3です。進行形について触れ損なっていた点があり、少し補足いたします。

>We cannot turn our backs on desperate people being at risk.

 この書き換えですね。元にした文は"people who are at risk"ですから、beingを言う必要がないことは先述した通りです。名詞句にするには、people at riskでよい。それは先に回答した通りです。

 しかし、あえてこの言い方"people being at risk"が出て来たとき、それがどういうニュアンスになるかです。

 それは先に進行形で説明したような、people are being at riskということになります。これは、people are at riskよりは一時的な状態を表します。形容詞でも、こういう言い方をすることがあります(She is being happyだと一時的に嬉しいだけで、その前後ではそうでない、ということを示している)。

 つまり、

We cannot turn our backs on desperate people who are being at risk.

に対応するニュアンスになるということです。

投稿日時 - 2014-04-05 17:38:32

ANo.4

書き換えについては、両方とも文法的には正しいです。しかしこのような短い文では関係代名詞を使わない方が自然なので、(1)は書き換えた方が良いと思います。(2)は元の文が良いでしょう。

(1)テキストの「わらにもすがる」という日本語がおかしいと思います。
諺の「溺れる者はわらをもつかむ」の後半だけを使うなら「わらをもつかもうとしている」とすべきだと思います。

(2)buillied はミスタイプです。bullied にします。

投稿日時 - 2014-04-05 15:52:45

>(1)We cannot turn our backs on desperate people who are at risk.
>(危機にさらされて、わらにもすがる思いでいる人々を、私たちは放っておけない。)

 お考えの通り、

>We cannot turn our backs on desperate people being at risk.

とできます。ただ、もっと変えられます。

We cannot turn our backs on desperate people at risk.

 beingは元の文のwho areから発想すると出て来てもおかしくないわけですが、people at risk(危機に瀕する人々)という言い方もあり、そちらからだとbeingを付け足す必要性は出て来ません。

 このことは受動態を分詞句にするときも、同じようにbeingを言わないことが多いことと、現象的には似ています。

 ちょっと一般的なことを申しておくと、

someone who is/was bullied.(関係節:頻出表現)
 ↓↑
someone being bullied(現在分詞句:この形ではあまり用いない)
 ↓↑
someone bullied(過去分詞句:頻出表現)
(もしsomeoneでなくpersonだったりすると、前から形容すべきといった問題がありますが、割愛)

というようなことです。こういう場合の現在分詞句はあまり用いないのですが、動詞の過去分詞が原形や過去形と同じ動詞で紛れが生じるときには、例外的にbeingを使う場合があります。

>(2)He saw someone being buillied, but he turned a blind eye.
>(誰かがいじまられているのを見たのに、彼は見ないふりをした。)

 これは、someone was builliedを分詞句としたと考えれば、

He saw someone being buillied, but he turned a blind eye.

となり、過去分詞句での形容だとすれば(someoneは必ず後ろから形容する)beingは必ずしも必要ではなく、

He saw someone buillied, but he turned a blind eye.

となります。これはもちろん、

>He saw someone who was buillied, but he turned a blind eye.

と言い換えられます。

 もしくは、see A [過去分詞](Aが[過去分詞]されるのを見る)と考えてもOKで、それだと関係節や分詞句への書き換えはありません。これは、seeという動詞の特殊性です。

 ただ、わざとbeingがあると考えると、ちょっと違ってきます。それは、someone was being buillied.という受動態の進行形だと考えるということです(能動態なら例えば、they were bullying)。


 そう考えた場合は、

He saw someone who was being buillied, but he turned a blind eye.

になります。こういう進行形だと、まさにいじめられている現場を目撃したことがはっきりします。

 分詞句として単なる過去分詞ではなく、beingが書いてある(言っている)理由が必ずしも進行形を意図しているかどうかは、断言はできませんが、省けるものを省いていないので、進行形を意図して、いじめられている現場を目撃したと言っている感じはします。

 see A [動詞のing]だと考えることもできて、「Aが[動詞]しているのを見る」になり、bulliedが動詞過去分詞を形容詞のように使う用法だとすることもできます。やはり、いじめられている現場を目撃したというニュアンスです。この場合も、やはり書き換えはありません。これも、see特有のことです。

 受動態の進行形だと、先ほどの関係は以下のようになります。

someone who is/was being bullied.(関係節:頻出表現)
 ↓↑
someone being being bullied(現在分詞句:この形ではほとんど用いない)
 ↓↑
someone being bullied(過去分詞句:頻出表現)

 being beingは、たとえ動詞の過去分詞が原形や過去形と同じであっても、さすがに使いません。もし使うとしたら、意地悪クイズレベルでしょうね。

投稿日時 - 2014-04-05 15:31:52

それでも(2)を後置修飾として関係代名詞を使うのであれば
people who were being bullied のように、
進行形の受身として関係代名詞を使うことになります。

people who were bullied で「いじめられた人」を見て

日本語には時制の一致がないので、「いじめられる人」を見て
という訳と説明する人もいるかもしれませんが、流れ的に
「いじめられた」→「見ないふりをした」ですので、
過去のままでもかまいません。(大過去なんて考える必要はないです)

言いたいことはほぼ伝わりますが、「いじめられている最中なのを見て」というのなら
saw people being bullied となります。

訳にもあるように、後置修飾にはなっていないですよね。

投稿日時 - 2014-04-05 14:48:17

基本、関係代名詞を使う、というのと分詞による名詞の後置修飾を比べた場合、

who/which/that + be 動詞をまとめて取れば、分詞の後置修飾になります。

the boy who is running over there
= the boy running over there

the window which was broken by him
= the window broken by him

だから、もし、people being sick なるものがあるとすれば
people who are being sick と同じような意味です。
すなわち、be 動詞の進行形。
He is being kind. のように、普段の性質はともかく、
今は親切にふるまっている、という進行形はあり得ますので、
それと同様に、「今だけ一時的に気分が悪い人」となり得なくもないですが、
people who are sick と同じではありません。

(2)He saw someone being bullied
の場合、これは後置修飾というより、知覚動詞として SVOC 的なものです。

see O 原形「O が~するのを見る」
see O ~ing「O が~しているのを見る」
see O 過去分詞「O が~されるのを見る」

この受身パターンの「~されるのを見る」で、過去分詞は自然と「されている」の意味になることが多いのですが、
「~されている最中」という進行形の意味がどうしても必要な場合、
see O being 過去分詞
という形をとります。

who are being → being ではあっても、
who are → being ではありません。

こういう進行形としての being は上で説明したような、
知覚動詞構造で、「~されるのを見る」という受身パターンで、
かつ「~されつつあるのを見る」という進行形が必要な場合に見られるもので、
後置修飾ではあまり見られません。

日本人はなんでも後置修飾にしすぎ。

投稿日時 - 2014-04-05 14:35:54