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It should be borne in mind,' says Dr. Buckland, that the object of the account was, not to state in what manner, but by whom the world was made.' Every one must see that this is an unfounded assertion, inasmuch as the greater part of the narrative consists in a minute and orderly description of the manner in which things were made. We can know nothing as to the object of the account, except from the account itself. What the writer meant to state is just that which he has stated, for all that we can know to the contrary. Or can we seriously beleive that if appealed to by one of his Hebrew hearers or readers as to his intention, he would have replied, My only object in what I have written is to inform you that God made the world; as to the manner of His doing it, of which I have given so exact an account, I have no intention that my words should be taken in their literal meaning?
We come then to this, that if we sift the Mosaic narrative of all definite meaning, and only allow it to be the expression of the most vague generalities, if we avow that it admits of no certain interpretation, of none that may not be shifted and altered as often as we see fit, and as the exigencies of geology may require, then may we reconcile it with what science teaches. This mode of dealing with the subject has been broadly advocated by a recent writer of mathematical eminence, who adopts the Bucklandian hypothesis, a passage from whose work we shall quote.

投稿日時 - 2014-04-08 17:15:33

QNo.8546717

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質問者が選んだベストアンサー

以下のとおりお答えします。(beleiveは、believeの誤植と見て訳しました。)
正直、時空両面で遠い世界のことなので、文意を把握するのに時間がかかってしまいました。しかもその割には納得できる訳になっているかどうか自信ありません。

「説明の目的は」、バックランド博士は言います。「世界がどんな方法で造られたかでなく、誰によって造られたかを述べることだ、ということを心の中に抱いておくべきです」。話の大部分が、事物が造られた方法についての事細かな記述で成っている限りは、根拠のない主張であるということが誰にも分かるはずです。私たちは説明それ自体を除いたら、説明の目的に関して何も知ることができません。

作家の陳述で重要なものは、ちょうど逆様から見て、まさに私たちが知り得るすべてに向けて彼が述べたことです。でなければ、もし、ヘブライ人の聞き手もしくは読み手から(著作の)意図を尋ねられた作家が、「私の書いたものの唯一の目的は、神が世界を造ったとあなたに知らせることです。それをしたときの神の仕方については、私は極めて正確に説明しましたが、私の言葉を文字どおりの意味に取ってもらおうというような意図はありません」と答えているだろう、などとまともに信じられるでしょうか?

そうすると、私たちはこういう事態に立ち至るのです。もし私たちが、まったく明確な意味を持つモーゼの話を置き換えて、最も曖昧な概論の表現としてのみそれを認めるなら、もし確かな解釈の余地などはないと認めるなら、しばしば私たちが適切であると見るように、そして地質学の緊急事情が要請していると見るように、置き換えや変更のないものは何もないと認めるなら、私たちはそれを科学が教えるものと調停調和させることになります。この主題を扱うときの仕方が、数理に卓越する最近の作家によって広く主張されました。彼はバックランドの仮説を採用するので、私たちは一節をその著作から引用することになるでしょう。

以上、ご回答まで。

投稿日時 - 2014-04-11 09:08:22

お礼

本当にありがとうございます。

投稿日時 - 2014-04-11 11:33:58

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