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締切り済みの質問

「ので」と「ため」の違いについて

 日本語を勉強中の中国人です。「ので」と「ため」はどのように違うのでしょうか。「から」と「ので」の違いは、前者は主観的で、後者は客観的だと理解しております。でも、「ので」と「ため」の違いはいまひとつまだよくわかりません。両方客観的のような気がします。どのように使い分けるのでしょうか。

 前回の質問でまだ一箇所すっきりしていないところがあります。
http://okwave.jp/qa/q8622922.html 

 「ビデオのサイズが大きい【ため】、三回にわけて送信いたします」という文の【 】のなかの言葉の取捨選択で悩んでいます。ネイティブの皆さんは、その文中で「ので」と「ため」をどのように使い分けておられますか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2014-06-06 01:24:42

QNo.8625598

困ってます

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回答(14)

ANo.14

「ので」は「接続助詞」で「原因・理由」を表します。「ため」は「こと」などと同じ「形式名詞」の一つで、やはり「原因・理由」を表します。
 風が吹いたため、看板が倒れました。
 風が吹いたので、看板が倒れました。
のようにほぼ同様の意味を表します。過去の回答にもあるように、新聞記事なら「ため」の方を使うのが普通でしょう。それに、「ので」が使いにくいケースがあります。それは
 ~のでです・~のでだ・~のでである
 のような場合であり、原因・理由を述べて文を終える場合、

 「看板が倒れたのは、風が吹いた<ので>です(だ・である)。」

と言うのは不都合なのです。「吹いたのです・吹いたのだ・吹いたのである」という別の表現法があるからです。これが「接続助詞」「から」と「ので」の相違点の一つです。「ため」にもそういう制限はありません。それ以外に「ので」と「ため」の相違点は、研究不足で分かりません。
【また、「から」と「ので」の相違点に接続の違いがあります。「から」は終止形に、「ので」は連体形に接続します。現代、活用語のほとんどは、終止と連体が同一になりましたが、例外的に「形容動詞」・「断定」の助動詞「だ」・「様態」の助動詞「そうだ」・「比況」の助動詞「ようだ」だけが違っています。いずれも「だ」と「な」です。したがって例えば「そうだ」に「から」がつき、「そうな」に「ので」がつきます。
その「そうだから」から「だから」、「そうなので」から「なので」という接続詞が派生しました】

 このサイトでお二人の回答者が「ので」・「から」の相違について議論されていますが、質問者には多分難しすぎるでしょうね。(「信州大学」のサイトにある山本もと子氏の考え方にはわたしは同調出来ません。)

投稿日時 - 2014-06-10 17:05:12

お礼

ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-06-15 22:01:04

ANo.13

#11です。
間接的な補足質問が発せられましたので、ふたたびお邪魔させていただきます。

>「感覚的な問題」で「ニュアンス」が違うだけなのに、なぜ「意味の違いは大いにあります」になるのか当方にはさっぱりわかりません。

おそらく、この辺りがすれ違いの根本的な原因なのでしょう。
「ニュアンス」というのは、辞書によれば「言外に表された話し手の意図」です。
「言外に表された話し手の意図」というものが違えば、その人の発した文の意味は大いに違ってくる、とわたしは考えますが、1311tobiさんは、そうは考えない、ということのようですね。
それこそ、感覚の違い、見解の違いということになりそうです。

1311tobi(#12)さんがお示しの URL はなかなか面白いですね。興味深く拝見しました。
しかし、この研究論文の筆者である山本もと子氏は、「から=親密形」「ので=丁寧形」と分類しているようですが、ざっと目を通したところでは、従来の主観・客観説を覆すほどの根拠は示されていないように思います。
「から=親密形」「ので=丁寧形」となるのは、「から=主観」「ので=客観」なのだから当然でしょう。
たしかに、わかりやすく書かれてはいますが、両者の本質的な違いに関して的確に論じているとは思われません。
つまり、大体の場合には当てはまるかもしれないが、根本的な違いについての勘違いがあるため、日本語理解という点では、むしろ妨げになる、ということです。
この論文の脆弱性に関して、ひとつだけ、その根拠を挙げておきましょう。
<4-4「永野説」と「丁寧さ説」の関係>という項目に、次のような記述があります。
------------------------------------------------------------------
2)・丁寧形:校長→先生『職員室』
   校長:津田先生に担任をお任せしたんだが、先生の教育方針があまりにも本校とかけ離れているので、私どもも困っているんだよ。

 永野の議論によると、原因・理由である前文「津田先生の教育方針があまりにも本校と
かけ離れている」と結果である後文「私どもも困っているんだよ」を、その事態における
因果関係を客観的に描写しているということだが、校長自身が困っているという事実を客
観的に描写しているとは考えられない。そこで、「丁寧さ」の視点から考えると、校長は
「津田先生の教育方針があまりにも本校とかけ離れている」という理由で「退職してくれ」
と言いたいところだが、相手の領域を侵害しないように「消極的な丁寧さ」のストラテジー
を用いて、「私どもも困っているんだ」と表現を和らげていると言える。
------------------------------------------------------------------
この記述箇所においては、「校長自身が困っているという事実を客観的に描写しているとは考えられない」という見解が誤っています。
そうではなく、
『「教育方針があまりにも本校とかけ離れている。だから、私ども(校長たち)が困る」というのは、世間一般的に、つまり客観的に見ても妥当な因果関係にある』という意図で校長が発言している、ということでしょう。
要するに、「津田先生を非難しているが、それは、わたしの個人的な主観じゃないんだよ。客観的に、誰が考えても非難して当然でしょ?」という意図を示すことによって、津田先生を非難することによって生じる後ろめたさとか自らの責任とかを回避しようとしているわけです。
別に聞き手である先生方に対して丁寧に話そうとしているわけではないのです。(←ここが非常に重要!)
ですから、たとえば、逆に、津田先生を排除するのはあくまで自分自身の意志だ、と校長が表明したい場合には、
   校長:津田先生に担任をお任せしたんだが、先生の教育方針があまりにも本校とかけ離れているから、私どもも困っているんだよ。
と言うのは明らかです。
この本質が理解できていないという点で、この論文はほとんど論拠を失っていると言って良いでしょう。
あまり長くなっても良くないので、このぐらいにしておきますが、単にわかりやすければ良いというものではないと思いますね。
とりあえず、今回は、こんなところで。
必要があれば河岸を変えてまた。
  
  
  

投稿日時 - 2014-06-08 21:17:13

ANo.12

 No.11のhakobuluさんのコメントに関して。

「意味はほとんどかわらないが、微妙なニュアンスが違う」ということではありませんかね。繰り返しますが、その微妙な違いを感じることを否定する気はありません。

「感覚的な問題」で「ニュアンス」が違うだけなのに、なぜ「意味の違いは大いにあります」になるのか当方にはさっぱりわかりません。
 9)と10)、11)と12……どちらも大きな意味の違いがあるとはとうてい思えません。同じ論法を何回繰り返されても同じことだと思います。
 
 それが理解できるかたは、日本人でも日本語学習者でも、専門的な論文を読むことをおすすめします。
 当方は難解な理屈はわかりませんが、すでにリンクを張った下記は参考になると思います。「要旨」と「5 結論」をご一読ください。
〈主観的か客観的かによって分けられるのではなく〉、〈丁寧さのストラテジーによって生じると言える〉そうです。
https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/1843/1/InternationalStudent02-02.pdf

投稿日時 - 2014-06-08 17:33:30

ANo.11

#9です。

1311tobi さん(#10)のご投稿に対してです。
ネイティブは無意識に自国語を使っているわけですが、無意識ゆえに、なぜその言葉を使うのか、という点に関して説明しようとすると、なかなか難しいものです。
自転車の漕ぎ方を、関節や筋肉の連動なども含めて詳細に説明するのが難しいのと似ているかもしれません。
さて、今回は一点に絞ります。

> 下記のようなきわめて私的な話の場合も「世間一般的な理解」が関係しますかね。こんな例はいくらでもあると思いますが。
9)好きなので勇気を出して告白します
10)好きだから勇気を出して告白します

これらの違いがわからないということは、感覚的な問題ですので、あまり理屈を言っても通じないかもしれません。
ただ、一縷の望みを託して、もう一回だけ述べてみましょう。
今までの繰り返しになりますが、ご容赦願います。
それぞれのニュアンスは次のようになります。
(9)「好きなら告白する」という因果関係は、世間一般的に認められている。今回のわたしの場合も「好きだ」という状況にあるので、世間一般的に認められている因果関係に則って、わたしも告白する。
(10)わたしは好きだ。誰に言われたわけでもないが、こういう場合には勇気を出して告白したい、とわたしは(主観的に)考える。だから告白する。
「好きだ」という自分の気持ちが強いのは、明らかに(10)のほうでしょう。
たとえば、沈着冷静で、感情を表に出さないような女性が、とつとつと愛を語る場面では(9)が適しています。
一方、純情で情熱的、若干、猪突猛進的なの女性の場合は(10)が適しています。
この違いがわからないと、少なくとも脚本家や監督には不向きですね。^^
日常の場面でも、このように微妙ではあるが重要な違い、というものをわたしたちは使い分けているはずです。
ただ、先述しましたように、無意識的に行なわれている脳内峻別作業であるため、そのメカニズムになかなか気づきにくい、ということはあると思います。

11)絶対幸せにするので結婚してください。
→絶対に幸せにするという条件を提示しますが、これは、結婚を受け入れてもらうに十分な条件だという認識が世間一般にもあると思います。
というニュアンスが込められている。
12)絶対幸せにするから結婚してください。
→絶対に幸せにするという強い意志を表明しますが、「絶対」という強い表現を使っているのですから、結婚を受け入れてもらうに十分な熱意があると理解してもらえるはずだ、と主観的に思います。
というニュアンス。
相手に対して冷静な印象を与えたい場合には(11)、
情熱的で押しの強い印象を与えたい場合には(12)がお勧めです。
機会があるようなら、また別の場所でお会いしましょう。
sobatya_cnさんには、横レス気味の投稿を許容していただき感謝いたしております。
    

投稿日時 - 2014-06-08 15:52:42

ANo.10

 No.9のhakobuluさんのコメントに関して。

 こんなことを書いていても日本語学習者を混乱させるだけ……という気がするので、できればこれを最後にしたいと思います。
 
 No.9にあった例文で考えます。
1)家が近いので一緒に帰りましょう
2)家が近いから一緒に帰りましょう
3)家が近いので一緒に帰りました
4)家が近いから一緒に帰りました

 hakobuluさんは1)は「不自然な文」で「おそらく、このように言う人はいない」とお考えなのですね。
 そして、3)と4)は大きく違い、【本人が、「誰もが認める世間一般的な理解を得ている論理だ」と認識していれば、「ので」を使うだろう】ということですね。その厳密なお考えを否定する気はありません。

 しかし、当方はそんな考え方はできませんし、する気もありません。日本語学習者にそんなことを強要する気もありません。あまり厳密に考えると、日本語が使えなくなります。
 当方は1)と2)はほぼ同じと考えます。1)はほんの少し不自然かもしれませんが、このように言う人はいると思います。ほんの少し不自然なのは、おそらく〈カラは原因理由全般で使えるがノデは制限がある〉からでしょう。
 3)と4)もほぼ同じです。どうしても違いが知りたいということなら、すでに書いたような傾向があるかもしれない……くらいですかね。「ので」と「から」を入れかえただけで、意味が大きく変わるなんてことはないと考えます。

 厳密なルールをつくっても、いろいろ例外が出てくると思いますが……。
 下記の5)6)と7)8)はどちらもOKだと思います。意味もほぼ同じとしか思えません。
5)もう遅いので一緒に帰りましょう
6)もう遅いから一緒に帰りましょう
7)誰もが認める世間一般的な理解を得ている論理なので、そう考えるべきでしょう
8)誰もが認める世間一般的な理解を得ている論理だから、そう考えるべきでしょう

 下記のようなきわめて私的な話の場合も「世間一般的な理解」が関係しますかね。こんな例はいくらでもあると思いますが。
9)好きなので勇気を出して告白します
10)好きだから勇気を出して告白します
11)絶対幸せにするので結婚してください
12)絶対幸せにするから結婚してください

投稿日時 - 2014-06-08 13:53:25

ANo.9

#7です。
もういちどお邪魔します。
なんども申し訳ありません。
まず、#8で 1311tobi さんが真摯に応じてくださったことに感謝申し上げます。
今回は、3点について述べさせていただきます。

1.
互換性があるのだから主観・客観という分類は意味がない、とおっしゃっているわけですが、これは論理的なご見解とは思われません。
#5の例文を借用して説明させていただきます。
「事故が多いので運転を休止した」→事故が多いという理由によって運転を休止したのは、客観的に見て誰もがそうするだろう、と思ったから。
「事故が多いから運転を休止した」→事故が多いという理由によって運転を休止したのは、主観的にそのように判断したから。
この2つの文は、それぞれ話し手の意図が異なっています。
意図が異なるからこそ異なる言葉を使用するわけです。
1311tobi さんのご見解としては、「前者はフォーマルな表現をしたいという意図で、後者はラフな表現である」という違いにすぎない、ということなのでしょう。
この論理でいくと、「フォーマルな感じで表現したら、結果的にどちらかというと客観的な印象を与えた」ということになると思います。
しかし、それよりは、「客観的な視点で表現したら、結果的にフォーマルな印象を与えた」と解釈するほうが自然でしょう。
その正否は別にして今回申し上げたいのは、少なくとも、互換した結果として主観・客観の違いが生じても、なんら矛盾はしない、ということです。
客観的に話そうとして、「から」ではなく「ので」を使うわけですから、互換した結果が客観的になるのは当然でしょう。
互換の結果フォーマルになったりラフになったりする違いが生じることは認めておられるのですから、互換性を理由にして、主観・客観という違いが生じることに関してだけ、つまり、2つの異なる意図の文が出来ることを否定するのは論理的ではないと思います。

2.
>  
・私はむずかしいと思う【  】、そういう考え方はすすめません。
「私は」と「思う」のですから、「主観的」ですよね。だったら「から」しか入らないのかと言うと、そんなことはありません。「ので」でもOKでしょう。

#7の3でも述べたことですが、
【本人が、「誰もが認める世間一般的な理解を得ている論理だ」と認識していれば、「ので」を使うだろう】ということです。
「自分が難しいと思うことに関して、そうした考え方はすすめない」という論理が世間一般でも通用する、つまり、客観的な判断である、と考える人は「ので」を使うでしょう。
「自分が難しいと思うことに関して、そうした考え方はすすめない」という論理は、あくまで自分の主観的な判断である、と考える人は「から」を使うわけです。

3.
>(両者の意味の違いに関して)当方はほとんどないと思います。

わたしは大いにあると思いますね。
思う思わないと言い合ってもキリがありませんが、もういちどだけ説明させてください。
#5で、ちょうど良い例を挙げておられますので、それを借用して説明させていただきます。
「家が近いから一緒に帰りましょう」→これは自然ですよね。「家が近いという理由で、一緒に帰りましょう、と誘っても不自然じゃない」と、この人は主観的に判断したわけです。
「家が近いので一緒に帰りましょう」→これは不自然な文になると思います。おそらく、このように言う人はいないでしょう。なぜなら、「家が近いという理由で、一緒に帰りましょう、と誘うのは、世間一般的に考えても当然で客観的な判断である」という意図になってしまうからです。
「世間一般的に当然なのだから、一緒に帰りましょう、とわたしは誘っているんです」というニュアンスは違和感を与えるはずです。
勧誘は自らの意志で行なうものですが、そこに世間一般の判断を理由として持ち出すので不自然になるのだと思います。
・家が近いので一緒に帰りました。
なら正しいですが。
     

投稿日時 - 2014-06-07 15:03:32

ANo.8

 No.7のhakobuluさんのコメントに関して。

「質問者さんのご理解促進の一助になる」ならいいのですが……。
 むずかしい考え方を持ち出しても混乱の元になる気もします。

  私はむずかしいと思う【  】、そういう考え方はすすめません。
「私は」と「思う」のですから、「主観的」ですよね。だったら「から」しか入らないのかと言うと、そんなことはありません。「ので」でもOKでしょう。
「ため」でもOKだと思います。
  オレはむずかしいと思う【  】、そういう考え方はすすめない。
「から」でも「ので」でもOKですよね。デス・マス体でなくなったので、「ため」はやや不自然でしょう。理由はすでに書いたとおりです。
 本題に関する当方の考えもすでに書きました。


 一応ご質問に答えます。
1.どのような理由によるのか
 そんなむずかしいことは当方にはわかりません。すでに例をあげたように、ほとんどの場合「ので」と「から」は互換性があります。ただし、なかには「ので」が使えないものがあるので、「ノデは制限がある」のだな、と思います。
2.「ので」を使うには[客観性]という正当な理由がある
 当方はすでに書いたように〈「ので」のほうが書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる〉と考えています。
3.意味の違いは大いにあります
 当方はほとんどないと思います。こんなむずかしい考え方をしなければいけませんか?

4.正確ではなかったかもしれませんね
「やや堅苦しいものの」は私的な見解……当方も「やや堅苦しい」と思います。しかし、NHKのサイトにはそんなことは書いてありません。 
 【荘重】に表現するというのは、最上級の尊敬語と言ってよいのではないか……hakobuluさんの主観ですよね。そんな話は初めて聞きました。当方はそうは思いません。NHKのサイトにもそんなことは書いてありません。 
「日本において、この表現は人口に膾炙している」……だと思います。ただ、当方は使いません。「誤用」「方言」「老人語」と取られる可能性もあります。もっと一般的な「(~して)いらっしゃる」なら、そんな心配はありません。
 なんらかの理由があって(「こっちのほうが好き」といった理由でも構いません)「(~して)おられる」を使うという人がいたら、とめる気はありません。間違いではありませんから。

投稿日時 - 2014-06-07 09:56:50

ANo.7

#4です。
#5さんのご見解は、なかなか有意義だと思います。
こうした反論が出るのは、質問者さんにとっても理解を深める上で、非常に幸運なことでしょう。
主観・客観説否定のお立場だと思いますが、わたしとしても次の点について、若干、私的な見解を述べることにより、質問者さんの疑問解決の一助になればと考える次第です。
あれこれ述べても煩雑になるだけですので、要点を次の4点に絞ります。
やや横レス気味になりますが、質問者さんのご理解促進の一助になると確信しておりますので、ご容赦のほどお願い申し上げます。

1.
>================引用開始
主観客観説は、主に、カラノデの主文の文末制約を説明するために、永野賢1952「「から」と「ので」とはどう違うのか」『国語と国文学』29-2によって提出されたものです。
しかし、多分実際は、カラは原因理由全般で使えるがノデは制限がある、という程度でしょう。
================引用終了

では、「カラは原因理由全般で使えるがノデは制限がある」のは、どのような理由によるのか?
この点を明らかにしないと、反論としては成立しないように思われます。
その理由こそが、まさに主観・客観の違いではないか、という考えも当然出てくるでしょうから。

2.
>「……迷子のお子様をお預かりしております{から/ので}、お心当たりのお客様は……」の場合は「ので」のほうが自然な気がします(「から」でも間違いではないのでしょうが……)。

「わたしたちは迷子を預かっています。このような状況に置かれた場合、お心当たりのお客様は名乗り出るのが、客観的な世間一般の常識からして当然だと考え、こうしてアナウンスしております」という意図なので自然になるわけです。
これを「から」で代用した場合は、
「わたしたしは迷子を預かっています。このような状況に置かれた場合、世間一般的にどうかは知りませんが、少なくとも、わたしたちが主観的に判断する場合、お心当たりのお客様は名乗り出るのが当然だと考え、こうしてアナウンスしております」という意図になってしまいます。
これは、いかにも不自然です。
それほど、特殊な解釈を迫られるような状況かよ、といった突込みが聞こえてくる可能性が高いでしょう。
このように、「ので」を使うには[客観性]という正当な理由がある、という点にお気づきいただければ、と思います。
店内放送で「ので」が自然に聞こえるのは、自己主張の要素を極力消す形になっているからです。
しかし、それは、あくまで客観的表現の結果としてもたらされた第2義的な要素にすぎません。
  
3.
>逆に、(4)を下記の形にすれば問題はない。「意味の違い」ではないし、「主観」と「客観」なんて関係ない。
(4)電車が遅れたから遅刻した
→電車が遅れたので遅刻した

意味の違いは大いにありますし、その違いこそがまさに主観と客観の違いなのです。
上記2の例で言及したのとほとんど同じです。
・電車が遅れたから遅刻した。
→「電車が遅れた。だから遅刻する」これは、あくまで個人的な論理だと認識している場合の発言。
・電車が遅れたので遅刻した。
→「電車が遅れた。だから遅刻する」これは、誰もが認める世間一般的な理解を得ている論理だと認識している場合の発言。
ただし、後者の場合、「遅れを見越して、余裕を持って家を出るのが世間一般的な常識だ」という認識もあるわけで、必ずしも、「世間一般的な理解を得ている論理」だとは限らない。
要するに、【本人が、「誰もが認める世間一般的な理解を得ている論理だ」と認識していれば、「ので」を使うだろう】ということです。
主観にせよ客観にせよ、【本人が・・・と認識していれば】←ここが要点です。

4.
>●「~しておられる」に関して
 NHKのサイトに「やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語」などと書いてありますか? 当方には〈従来の謙譲語が変化し、それらがていねい語化しつつあることですが、「おられる」はその代表例です〉としか読めません。消極的に許容している印象です。当方もそのとおりだと思います。

まあ、正確ではなかったかもしれませんね。
その点は認めましょう。
その上で申し上げると、「やや堅苦しいものの」は私的な見解です。
また、「最上級の尊敬語」というのは、『ちなみに、「おられる」は「いる」の荘重な言い方、という注釈を付けている国語辞書もあります』という記述から、「いらっしゃる」よりは上位の尊敬語として捉えているのではないか、と考えて、そのように表現しました。
相手の行為を【荘重】に表現するというのは、最上級の尊敬語と言ってよいのではないか、と考えたわけです。
むろん、個人的な見解に合致していたからでもありますが。
いずれにせよ、最も肝心なことは、日本の公共放送の立場で、「おられる」を尊敬語として否定はしていない、という点でしょうね。
「ていねい語化しつつある」というといかにも歴史が浅いように聞こえますが、『「おられる」はその代表例です』とも言っているわけで、必ずしも消極的に許容している、ということにはならないように思います。
少なくとも、「日本において、この表現は人口に膾炙している」という判断を下している、捉えるのが自然でしょう。
    
    

投稿日時 - 2014-06-06 22:29:46

ANo.6

「ので」は十分条件(必要十分条件?)を満たしている場合。
「から」は十分条件を満たしていないときに使用、行動その他に必要な条件のひとつである説明。
感覚的な説明ですが
近いので・・・当然のことながら一緒に・・・、ついで・・という感覚。
近いから・・・だから、あえて一緒に・・・・、行動その他の理由を説明。
>ビデオのサイズが大きい【ため】、三回にわけて送信いたします
ビデオのサイズが大きいので、三回にわけて送信いたします(三回に分ける必要十分条件)
ビデオのサイズが大きい【ため】、一回で送信できません、送信不可の理由・言い訳=(必要条件、不可の理由はほかにもあり得る)。

投稿日時 - 2014-06-06 19:14:01

お礼

ありがとうございます、難しいですね。

投稿日時 - 2014-06-15 21:55:44

ANo.5

 No.4のhakobuluさんのコメントが気になったもので少し書きます。

「から」は主観的で、「ので」は客観的……と説明している文献が多数あることは知っています。しかし、それは下記の永野説を拡大解釈したものでしょう。下記から転載します。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1294599677

 以前の質問のときも「~から」は主観的、「~ので」は客観的という意見が出ました。よく見聞する説ですが、個人的には強い疑問が感じます。
 SNSのmixiで文法に詳しい人に教えてもらいました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1635961440&owner_id=5019671
================引用開始
主観客観説は、主に、カラノデの主文の文末制約を説明するために、永野賢1952「「から」と「ので」とはどう違うのか」『国語と国文学』29-2によって提出されたものです。
しかし、多分実際は、カラは原因理由全般で使えるがノデは制限がある、という程度でしょう。
================引用終了

 要は、その論文を曲解した〈「~から」は主観的、「~ので」は客観的〉という意見が独り歩きしているようです。
 何よりの証拠に、大半の例文で、「~から」と「~ので」をかえることができます。〈「~から」は主観的、「~ので」は客観的〉なら、こんなことにはならないでしょう。かえられない例はごく一部で、理由は主観/客観以外にあると思います。詳しくは↓参照。

 とはいえ、ご質問の「……迷子のお子様をお預かりしております{から/ので}、お心当たりのお客様は……」の場合は「ので」のほうが自然な気がします(「から」でも間違いではないのでしょうが……)。貴重な例文かもしれません。【goo辞書】(類語辞典)の例文の「下記に転居いたしましたので一度お越しください」に近い印象です。
 これはおそらく、↑の【だから と なので の違い】で書いたとおり、〈「ので」のほうが書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる〉からだと思います。店内放送なら、「ので」のほうが自然でしょう。
ただし、個人的には先行コメントにもあるように「……おります。お心当たりの……」のほうが自然に感じます。印象が近い「下記に転居いたしましたので一度お越しください」も、「下記に転居いたしました。一度お越しください」のほうが自然に感じます。

「~から」と「~ので」の互換性を、【goo辞書】(類語辞典)の例文で見てみました。
詳しくは下記をご参照ください。
「だから」と「なので」の違い 【2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1680.html

================引用開始
それぞれの例文を書きかえてみる。書きかえることによって客観的になったり、主観的になったりする例があるのだろうか。

〔から〕
(1)もう遅いから早く帰りなさい
→もう遅いので早く帰りなさい
(2)家が近いから一緒に帰りましょう
→家が近いので一緒に帰りましょう
(3)明日は晴れるだろうから洗濯をした
→明日は晴れそうなので洗濯をした
(4)遅刻したのは、電車が遅れたからです
→??
(5)子供だからといって、甘えてはいけない
→子供なのでといって、甘えてはいけない

〔ので〕
(1)事故が多いので運転を休止した
→事故が多いから運転を休止した
(2)下記に転居いたしましたので一度お越しください
→下記に転居いたしましたから一度お越しください

「から」を「ので」にできないのは(4)だけ。まあ、(3)と(5)がちょっと不自然とは言えそう。でもこれが×なんて言えるの?
「ので」のほうは、問題なく「から」にできる。ってことは例文の大半は何を示したいかわからない。
「から」の例文をもう少し細かく見る。
(3)の書きかえの「明日は晴れそうなので洗濯をした」を「から」に戻すと「明日は晴れそうだから洗濯をした」になる。つまり、ちょっとズルだな(笑)。「だろうから」が「ので」にしにくいってことだろう。ただそれは接続の問題で「意味の違い」ではないし、「主観」と「客観」なんて関係ない。
(5)も少し苦しいかな。少し書きかえる。

(6)バカだからわかりません
→バカなのでわかりません
(7)バカだからってのは言い訳にならない
→バカなのでってのは言い訳にならない
(6)は問題がない。(7)は(5)よりほんの少し不自然。でもこんなのイチイチ×にしていいのだろうか。
最大のナゾは(4)。この形だとたしかに「ので」は使いにくい。
これも「意味の違い」ではなく、接続の具合だろう。
たとえば(2)を書きかえると、「ので」は使えなくなる。
(8)一緒に帰ったには家が近いからだ
→??
逆に、(4)を下記の形にすれば問題はない。「意味の違い」ではないし、「主観」と「客観」なんて関係ない。
(4)電車が遅れたから遅刻した
→電車が遅れたので遅刻した
================引用終了

 ↑の(1)~(8)を「客観」「主観」で説明できますか? 当方はお手上げです。
 今回の質問の
「ビデオのサイズが大きい【  】、三回にわけて送信いたします。」
 は「ので」か「から」のどちらがいいのか、「客観」「主観」で説明できますか?
 当方はどちらかと言うと「ので」のほうがいいかなと思います。後半が「いたします」と丁寧な言葉づかいだからです。目上相手ならさらに丁寧な「ため」のほうがよいでしょう。
 これが
「ビデオのサイズが大きい【  】、三回にわけて送信したよ。」
 なら「ので」でも「から」でもいいと思います。今度は後半がラフな感じなので「ため」はちょっとヘンな感じです。
 ほかにも同様の例を下記にあげました。いずれも「客観」「主観」では説明できそうにありません。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2599.html


●「~しておられる」に関して
 NHKのサイトに「やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語」などと書いてありますか? 当方には〈従来の謙譲語が変化し、それらがていねい語化しつつあることですが、「おられる」はその代表例です〉としか読めません。消極的に許容している印象です。当方もそのとおりだと思います。
 ただ、「(~して)おられる」を「誤用」「方言」「老人語」(「やや堅苦しい」からでしょう)などという人が多数います。
 質問者が「不自然な表現」を指摘してほしいとのことなので、誤解されない「~していらっしゃる」を使うほうが無難と書いただけです。

投稿日時 - 2014-06-06 18:41:11

ANo.4

1.
「から」は主観的で、「ので」は客観的。
その解釈で正しいでしょう。
下記辞書では、次のように違いが説明されています。
「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いられる。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%AE%E3%81%A7&match=exact&itemid=DJR_node_-010
「お金がほしいから銀行強盗をしました」
「お金がほしいので銀行強盗をしました」
前者は、「お金がほしいのは、銀行強盗の理由として成立する」というのは自分の主観である、という前提での発言です。「お金がほしくて銀行強盗をしました」のように言い換えが可能な文です。
後者は、「お金がほしいのは、銀行強盗の理由として成立する」というのは誰が考えても当然の因果関係だろう、という前提での発言です。
「ので」の場合、主観性を押さえていることになるので、控えめの表現という印象を与えることもできます。
しかし、この例文のように、明らかに不合理な論理に基づいている場合、控えめという以前に、その認識能力を疑われるでしょう。
つまり、
刑事:「なんで銀行強盗なんかやったんだ!」
に対して、犯人が、
「お金がほしいので」と答えるのは間違い。
「お金がほしいから」が正解。

2.
さて、「ので」と「ため」の違いについてです。
どちらも前件と後件の因果関係を表わしますが、「ので」は後件に、「ため」は前件に重点を置いた表現と言って良いでしょう。
a.
・「忙しかったので、昼食をまだ食べていません」→「昼食をまだ食べていないこと」に重点を置いた表現。その理由として「忙しかった」という理由を挙げています。
・「忙しかったため、昼食をまだ食べていません」→「忙しかった」という理由に重点を置いた表現。その結果として「昼食をまだ食べていない」と言っています。

b.
社長と一緒にいるときに、○○さんのお腹が「ぐ~」と鳴ったとしましょう。
社長がニコニコしながら「○○さん、お腹が空いてるの?」と尋ねます。
○○さんの応答として、次の2つが想定できるでしょう。
・「忙しかったので、昼食をまだ食べていません」→「昼食をまだ食べていないこと」に重点を置いた内容です。「昼食をまだ食べていないので、お腹が空いています」という意図があることになります。「忙しかったので」は、あくまで補足的な説明にすぎません。
・「忙しかったため、昼食をまだ食べていません」→「忙しかった」という理由に重点を置いた内容です。「忙しかったんですよ。その結果として昼食をまだ食べていないので、お腹が空いています」という意図の発言。
つまり、元もとの原因は「忙しかったからだ」と言っているわけです。

c.
・この果物は、とても栄養があるので毎日食べています。→栄養があるなら毎日食べるのは当然でしょう、という意図。
・この果物は、とても栄養があるため毎日食べています。→なぜ毎日食べているかといえば、その理由は栄養があるから、という意図。

d.
・「ビデオのサイズが大きい【ので】、三回にわけて送信いたします」→「三回にわけて送信すること」に重点を置いた内容です。ビデオのサイズが大きい場合、分けて送信するのは誰が考えても当然だ、という意図があるので、その理由に対してあまり重点を置いていないのです。
・「ビデオのサイズが大きい【ため】、三回にわけて送信いたします」→「ビデオのサイズが大きい」という理由に重点を置いた内容です。「ビデオのサイズが大きいんですよ。その結果として三回にわけて送信するしかありません」という意図の文です。

3.
a.
>でも、「ので」と「ため」の違いはいまひとつまだよくわかりません
→でも、「ので」と「ため」の違いはいまひとつよくわかりません
or
→でも、「ので」と「ため」の違いはまだよくわかりません

「いまひとつ」は、
期待に対して,わずかに不足しているさまを表す語。もうちょっと。あと少し。 「 -迫力に欠ける」」
という意味です。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4&match=exact&itemid=DJR_imahitotu_-010
「まだ」と似たような意味なので、併用するとくどい表現になります。

b.
>ネイティブの皆さんは、その文中で「ので」と「ため」をどのように使い分けておられますか。
→(ア)ネイティブの皆さんは、「ので」と「ため」をどのように使い分けておられますか。
or
→(イ)ネイティブの皆さんは、その文中で「ので」と「ため」をどのように使い分けられますか。(「使い分けますか」でも可)

「ので」と「ため」の一般的な使い分けも含めて尋ねる場合は(ア)。
例文の場合に限っての使い分けについて尋ねる場合は(イ)。
「おられる」については、やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語としてNHKでも認定されています。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/012.html

投稿日時 - 2014-06-06 16:44:19

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-06-15 21:47:05

ANo.3

 No.2で回答した者です。
 質問文に関して。
 かなり微妙な話ですが、「使い分けておられますか」は避けたほうが無難です。
 辞書も認めているので「間違い」ではありませんが、違和感を覚える人も多いようです。
「使い分けていますか」で十分でしょう。敬度を上げたいなら「使い分けていらっしゃいますか」が一般的です。「使い分けておいでですか」という言い方もあります。

 詳しくは下記をご参照ください。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。
『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。〉と明記されている。この点に関しては『大辞泉』も同様。これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。
 これが一応の結論。

 以降はマニアックな部類に入る話。
 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。

【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? 
(略)

【2】「おります」で丁寧な言い方?
(略)

【3】「おる」はそもそも方言由来ではないのか? 
 いままでにもちょこちょこ出てきているが、「おる」は元々(主として関西方面の)方言だったのでは……という説がある。辞書ではそのことにほとんど触れていないのはなぜなんだろう。
『大辞泉』に〈「いる」に比べて方言的な響きを帯びる〉とあるだけ。これはずいぶん持って回った言い方をしている気がする。

(中略)

 敬語の問題は、菊地本に従うのがイチバンと考えているが、困ったことにこの「鬼っ子」に関しては、『敬語再入門』の記述も煮え切らない。P.158~159に〈「おられる」──適否の断じにくい敬語(2)〉という項目がある。下記のような文章で始まる。
================引用開始
「申される」とはまた違った意味で、正誤の断じにくい敬語です。
 これも規範的には、「おる」は謙譲語IIなので、それに尊敬語「れる」を付けた「おられる」は誤り、ということになるはずです。しかも歴史的にも(前項の「申される」の場合と違って)、「おられる」を擁護する余地はありません。
================引用終了

 このあと、「おられる」が使われる理由がいろいろ書かれている。詳しいことは原本を読んでほしい。正確には全文を引用するしかないのだが、要点だけを箇条書きにする。
・地域差/個人差がある
「おる」が謙譲語だと思わない人は、尊敬語として「おられる」を使うことに抵抗がない。
・「おられる」全体でひとつの尊敬語と考える人もいる
 背景には「いる」をレル敬語の「いられる」にしにくいことがある。
・使う人が多くなれば、「本来」がどうであっても新しい言い方になる
 そうなりきらないのは、抵抗を感じる人も多いため。
 いろいろ書いて、結びは下記のとおり。
================引用開始
 以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。
================引用終了

 『敬語再入門』の巻末には「敬語ミニ辞典」がついている。ここでは、「おる・……ておる」は「いる」・「……ている」の謙譲語II、としている。最後に「個人差・方言差」があるとはしているが。
「敬語ミニ辞典」の「おられる」の記述を引用する。
================引用開始
おられる・……ておられる 「いる」・「……ている」意の尊敬語として使うことがあるが、「おる」は本来謙譲語なので、規範的には問題がある。「いらっしゃる・おいでになる」を使えば問題ない。ただし、場面・文体によっては「いらっしゃる」はなじまない場合があり、「おられる」はそのかわりに使われる面もあるようである。
================引用終了

 やはり煮え切らない観がある。明言はしていないが、著者自身は使わないだろうな。
 当方も、自分では使わない。使う理由がないから。「おる」が謙譲語なんだから、「おられる」には強い異和感がある。辞書があれほどはっきりと認めている以上、「誤用」などと言う気はないが。

投稿日時 - 2014-06-06 12:22:11

ANo.2

>「から」と「ので」の違いは、前者は主観的で、後者は客観的

 まずここに疑問があります。よく聞く説ですが、本当にそうなのでしょうか。

●「から」のほうが話し言葉的だから、ラフな感じで、どちらかと言うと「主観的」になる。
●「ので」のほうが書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる。
●でもその差はほんのわずかで、ほとんどの場合は互換性がある。

 という程度のことでは。
 昔(1952年)、ある学者が主張したことが拡大解釈されて広まったそうです。文法に詳しい人に〈多分実際は、カラは原因理由全般で使えるがノデは制限がある、という程度〉と教えてもらいました。
 客観的な用法{だから/なので}「ので」でなければならず「から」にはできない、という実例があったら是非教えてください。
「から」「ので」はほとんどかわりませんが、「ため」はずっと書き言葉的でフォーマルな感じです。

「ビデオのサイズが大きい【  】、三回にわけて送信いたします」
「から」「ので」「ため」のどれも使えます。意味もほとんど同じです。ただ、丁寧さの度合いがかわります。
 目上の人に対してなら「ため」がよいでしょう。親しい相手なら「から」でもよいでしょう。「ので」はその中間で、「から」に近い印象です。



 読めないリンクが多いようなので、下記の全文を転載します。できれば、どれが読めないリンクなのか具体的に教えていただけませんか。
【48定番の質問──「~から」と「~ので」と「~ため」のニュアンスの違い】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n150531



 〈「~から」は主観的、「~ので」は客観的〉という説をよく見聞しますが、実際にはほとんど差はないようです。

 下記の3)の論文に下記の記述があります。
================引用開始
その他では、『男性に比して、女性に好んで「ので」を多用する傾向がみられる』と『日本文法大辞典』は指摘している。これも、女性の方が自己の正当性を主張するような表現よりも、因果関係を前面に押し出さない控えめな表現を好むためであろう。
================引用終了

 これにしても、「傾向がみられる」程度のことのようです。ホントにそんな性差があるのか、という疑問も残ります。
 詳しくは下記をご参照ください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1294599677
================引用開始
 「主観」と「客観」に関してもかなり異和感がある。
 仮に「から」が主観だとしたら、「ので」だって十分主観なのでは。「のため」あたりなら客観なのかもしれない。
 たとえば、事故で電車が遅れたことを表現する。

  事故があったから電車が遅れた
  事故があったので電車が遅れた
  事故があったため電車が遅れた

 テレビのニュースはどれを使うか。たぶん「ため」だろう。もちろん、「事故のため」「事故があり」でもいい。
 これは「主観」「客観」と言うより、「から」「ので」が話し言葉的で、「ため」が書き言葉的ってことだと思う。
 話し言葉的だから、ラフな感じで、どちらかと言うと「主観的」になる。
 書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる。
 「から」と「ので」についても同じことが言えるのでは。

 「から」のほうが話し言葉的だから、ラフな感じで、どちらかと言うと「主観的」になる。
 「ので」のほうが書き言葉的だから、フォーマルな感じでどちらかと言うと「客観的」になる。
 でもその差はほんのわずかで、ほとんどの場合は互換性がある。

 「から」と「ので」にどの程度のニュアンスの違いがあるのかは、当方には判断できない。
 ついでに書いておくと、このニュアンスの違いは、接続詞?の「だから」「なので」「そのため」にもあてはまると思う。
================引用終了

 ほかにYahoo!知恵袋では下記のBAの回答をよく目にします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476608574
 下記の3つの論文やサイトの要点をうまく切り貼りしていると思います。著作権的には問題も感じますが……。細かく見ると、1)~3)はいずれも少し問題がある気がします。
1)【接続助詞「から」と「ので」の違い】
http://hdl.handle.net/10091/1843
2)【日本語講師のひとりごと】
http://blog.goo.ne.jp/kaoriam/e/c846817c27b0d3526dc92242b13727ff
3)【「から」と「ので」の使い分け】
http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi008/kenkyu/miki.html

 詳しくは下記をご参照ください。
「で」と「から」の区別〈2〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2599.html

投稿日時 - 2014-06-06 12:06:10

お礼

ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-06-15 21:42:17

ANo.1

ほぼ同じなのですが、もともとの語源をたどると、

ので: 「、なので、」(= so, then, therefore) という次の文の理由であることを明示する「接続詞」から文字が抜けた
ため: 「為に」「(それが)理由で」(= because of, the reason why) という次の文の「理由」という「名詞」から文字が抜けた

という品詞の違いがあるので、ときどき前の言葉とのつながりや文末の活用に違和感が出るのでしょう。

ご質問の場合はどちらでもいいのですが、前の質問(http://okwave.jp/qa/q8622922.html)のもう一方では、

『10日間で消えますので』は、『10日間で消えますため』 となると違和感があります。おそらく、形容詞の後ではなく、動詞+ます、と文章が終わってもいい場所に「名詞」の「ため」が付いているからでしょう。

投稿日時 - 2014-06-06 10:30:00

お礼

早速のご回答ありがとうございます。難しいですね。参考にさせていただきます。

投稿日時 - 2014-06-15 21:26:23

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