こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

締切り済みの質問

五十にして天命を知ることは出来るのか?

孔子の言葉に、五十にして天命を知るというものかあります。この言葉は誰にでも当てはまるものなのか、孔子の場合はそうだったということなのかどうなんでしょうか?私は三十代男性ですが、自分が何のために生かされているのかさっぱり分かりません。昔思い描いていた(興味のあった)仕事とは全然違う仕事をしているし、体力的にハンディキャップがあるし(転職は不可能)、得意分野は全く仕事に繋がらないし、自分の特性や状況が、何のためにどこを目指してそうなっているのかさっぱり分かりません。それでも死なずに生きているということは何らかの意味があって生かされているのかなと思ったりしますが、何なのか分からず、自分がどこへ向かっているのかさっぱり分かりません。「自分の天命はこれだ」と気付いた方はいらっしゃいますか?それはどんな天命で何歳ごろに気付かれましたか?天命というのは誰でも分かるものでしょうか?それとも分からず一生を終える人も多いのでしょうか?天命というのは革命を起こすとかそういう大袈裟な意味ではなく、自分が生まれてきた意味、役割、自分はこれをするために生まれてきたんだというようなものです。ご回答よろしくお願いします。

投稿日時 - 2014-07-02 07:42:27

QNo.8661629

暇なときに回答ください

このQ&Aは役に立ちましたか?

2人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(16)

ANo.16

わたしは今70歳ですが、あなたの言う天命に気づいた・こうでないかと思ったのはこの年になってからです。今は仕事をしていませんが、やっていた仕事とは違うことで天命を感じています。仕事上のことで言うと、自分は仕事の上で目指すべきことはこの方向だと悟ったのは58歳の出向中でした。しかし自分の目指している仕事上の姿がずれていたような気がするもっと若い頃のことも、別に悔いてはいません。それらがあってのあの気づき、今の自分があったと思いますし、あの頃はあの頃の状況下でがんばっていたと思います。

興味がある仕事、得意分野の仕事にはあわないと思うため悩んでいるあなた。体力上何とかなる今の仕事を懸命にやる中で、その仕事に対する面白みや興味が感じられる可能性はありませんか。トライしてみて頂きたいですが、仕事は時間的に人生の大きな時間を占めますが他にあなたの人生にとって大切なことがあるかもしれません。

生きている意味とは。人生は多くの困難にあい、それを乗り越え乗り越えて生き抜くことと思います。困難を乗り越えることはそれを自分のものとして受け止め、その中で何とかして乗り越えます。その中で人の好意も感じ学び取ることもあり、後で振り返るとあんなことだったのかと思います。そんな風に成長し、その間にはうれしいこともありの人生と思います。そんな風に人は出来ていると思います。もっと深い意味を探るには宗教的解釈がいると思いますが、ここでは控えます。

投稿日時 - 2014-07-13 18:22:56

お礼

ご回答ありがとうございます。やはり時が過ぎてからいろいろな事が分かるのですね。私も先の事をあまり考えずに、目の前の事をやれるだけ頑張ります。ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-07-15 18:06:01

ANo.15

 そんな悟りきったような言葉を口にした孔子が実際にはどうだったかを調べてご覧になったら如何ですか?
全国を遍歴し、自らを優遇してくれる相手を求めて彷徨っていたのですから推して知るべしですよ。
 偉そうなことを言っても、孔子とて所詮は俗物です。その俗物が踏ん反り返って偉そうに申し立てているから、僕はそんなヤツらの言葉など信用しようとも思わない。
 もっと単純に「汝自身を知れ」との理解でよろしいのではありませんか?。誰にだって夢もあれば欲もある。それをおし隠して表面を繕っても何の意味もありませんよ。もっと身近なものから「似たような考え方」を別の楽な言葉でいっているモノを探すことの方が、僕は面白いと思いますよ。
 AKBの『恋するフォーチュン・クッキー』もあれば、中島みゆきの『時代』だってあるじゃないですか。自らがどう生きるかとの問題に対し、黴臭い老人のたわ言に従う程、貴方は自らの人生を作り物の偶像に任せたままで我慢できるのでしょうか。もし僕だったなら、そんなものにはのし紙を付けて返しますよ。
 孔子だってとんでもない守銭奴や色情狂かもしれませんから、本当のところは。そんな俗物に貴方は人生訓とやらをお求めになるのでしょうか。

投稿日時 - 2014-07-11 00:16:38

ANo.14

50にて天命を知るとは

自分の使命を知るのではなく、
自分の希望や野望は50歳になったら、できないよという意味ではないですか?
50歳以上は隠居生活を送るべし。

50歳までは目的に向かって頑張って懸命に生きるべきだが、50を過ぎたら理想も希望も目的の目指すことに、意味が無くなる。

誰にでも有意義な人生を送れる時間は天が50年間だけですよ。ということを知ったのでは、ないでしょうか?

孔子を知らない私の想像です。

投稿日時 - 2014-07-10 22:26:23

ANo.13

 再び。
 時代が違うという意見もあるんだけどね、ホントにそうか?とも思うのね。50年生きてきた経験値ってのは、思ったよりもたいしたことがない、子どもを育てて、親の間違いに気づくこともある。みーんなけっこういい加減に仕事してるんと違う?ってのが俺の結論。孔子さんだって、横道にそれたことはあっただろうし、色に流れたこともあったろう。キリストさんだってマグダラのマリアがいた。哲学者になるなら、愚妻をもらうべしなんてヒトもいたっけな。
 たかが50年程度の生き様なんて、それほど時代で変わらないよ。有名になったから、いい部分だけ、大変な部分だけクローズアップされているだけだ。だから、それに気づく頃、楽になるんだと思うよ。

投稿日時 - 2014-07-05 12:17:51

ANo.12

nkamuraya様、こんばんは。


>「私は三十代男性ですが、自分が何のために生かされているのかさっぱり分かりません」

それで、の相談ですよね。
「そんなんで、続けていて、いいのか」
ということですか。


ジョブ・カウンセラーなどに、相談しましょう。

投稿日時 - 2014-07-03 17:33:54

ANo.11

自分を全てにおいて、”肯定する”という意味と思います。良い点も悪い点も一緒くたにして全てです。そうすることしか自分には出来なかった事を素直に認めるという意味です。

観念や、頭の中に描いていた事も、理想とする自分も、理想から掛け離れていた自分も全て自分だった事を認めて全て許してやって、全て認める事だと思います。


言い換えるなら『全てを諦めてしまう事』も意味します。理想の自分でさえも放棄するという意味です。ですがこの放棄は『消極的な放棄ではなくて、積極的な放棄』と思います。

何故なら全てを放棄した時、自分の手元には『全てが残っていた事が分かるからです。』この意味は、今出来る事を出来る順番にやってゆく勇気を与えてくれるからです。

若くて、スタミナがあって、気力も体力もあった時代には、その時時の時代に逆らっていた部分もあったかも知れないからです。そういった長所が失われた今、自分の出来る事はある意味で『限定されてしまいます』

こういった限定された自分が、全ての出発点になる事で、一点集中出来る部分があるからです。頭の中の理想の自分を追い求める事が無くなって、『今出来ることや、自分にしか出来ない事』を見極める事が出来るからです。』

今現在に自分自身の全てを集約して、集中して注ぎ込む事が可能になったという意味です。出来ない事は望まなくなって、出来ることしか考えないという意味です。

こういった心構えが出来る事によって、自分に出来る事に磨きが掛かってゆくという意味になります。誰よりも自分だけが出来る事に一点集中する心が完成するという意味ですので、若くてスタミナが有って体力や知力や気力がある人で気持ちが定まっていない人よりも『良い仕事が出来る』可能性を秘めている事に気がついたという事を意味します。

今現在自分に出来る事を『冷めた目で見つめる事が出来るようになった』という意味が込められていると思います。

脇目も振らずにという意味です。頭に湧き上がる妄想を相手にしなくなるという意味も込められています。今現在に自分に自分を全てを投入するという意味は『心を一つにしている』という意味ですので、いかに難しいかという事を言っています。』

人間の心が、(分からないかも知れませんが)二つの機能から成り立っている事を証明する動画です、参考になれば有難い事です。

動画です。URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

過去になりましたが、人間の脳内に、二つの人格(機能の違う人格)が存在している事が証明された記念すべき研究成果です。ウイキペデアからです。

『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

投稿日時 - 2014-07-03 06:41:14

ANo.10

文化的な背景を考察しなければならないので、全ての理解を完璧にするのは難しいですが、端的に言えば、「時と共に磨かれる」とか「成長は時間が掛かる」とかの意味合いになるかと思います。

儒教の根本思想に年功序列がありますので、その点も考慮しなければなりません。

また中国には仙人思想があり、長生が美徳の一つです。

それと、この文章の発想は「頓悟」ではなく「漸悟」の発想ですね。

別にどちらが正しいと言う基準は無いです。

どの道も立派な道です。

投稿日時 - 2014-07-02 19:57:32

ANo.9

 回答にはならないかもしれませんが、孔子が生きた春秋戦国時代の中国と現代では人間の生物的寿命も思索背景も異なるとの事実を先ずは踏まえておくことも大切ですね。
 僕は聖人君子然として肩に力の入っている孔子や儒家の物の考え方が大嫌いです。モデルはこうだ、こうであるべきで他はあり得ないとの考え方に自らが疑問を持たなかったのか、それを考えてみると、お前さんは自らの願望を全て満たすことができたのかね、そしてそれが人生の正解といえるのかね、と不思議な印象を持ってもしまいます。
 天命を知る、などとはしたり顔の老人や固定的にしかものごとを考えられない、貧しい発想ではなかろうか。そんなに全ての考え方に出会ったことがあると断言できるほどの根拠があるのか。
 むしろ「何時になっても、まだまだ知らない事もあり洟垂れ小僧だな、自分は」と反問し続ける日々です。そして何も「天命」なる他者からの指図で人が生きているともいえないとの「主体的に生きることが人間そのもの」とのヨーロッパ近代の思考様式に同感もします。
 孔子の考え方を理解しようとなさるなら、対極にある老子が提案する「のんびりとあるがままを認める」ことも参照しては如何でしょう。

投稿日時 - 2014-07-02 19:52:46

ANo.8

その当時の50歳と、今の50歳を同じに考えちゃいけません。

その当時の50歳は、50歳まで生きれる人なんてほとんどいない世の中で、「死ぬ直前」の年齢です。


つまりこれは、50年生きたら天命を知る。のではなくて、人間死ぬ直前になったら天命を知る。という意味です。


人間は死期を覚悟した時、自分は何のために生まれてきたのか真剣に考えるようになるそうです。これは年齢には関係ありません。若くして末期ガンに犯された人も同様です。

その考え抜いた末の答えが、その人の天命の答えと言う事でしょう。

投稿日時 - 2014-07-02 11:25:34

ANo.7

流れは何となくあってる気がする。おばあちゃんの知恵や七五三の祝いの意味などの科学的合致や、この孔子の言葉など、最近昔の人は偉いと思うことが多くなった。

投稿日時 - 2014-07-02 10:19:25

ANo.6

五十にして天命を知るとは、孔子自身の体験であると思います。

『子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。』              (為政編)

  わたしは十五歳で学問に志し、
  三十になって独立した立場を持ち、
  四十になってあれこれと迷わず、
  五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
  六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
  七十になると思うままにふるまって、
  それで道をはずれないようになった。


思い起こせば私は、十五で学問を志すことは無かったですが
三十と四十は、そのようになってますね。

己の天命は、おそらく分かっていると思います。
個人的なことなので書けませけどね。
生涯を通して得て行くものとして捉えています。

誰でも分かるとは言い切れませんが、その経験を通してですから
それだけの時間を要するのではないかと感じています。

懸命に生きてきたことと、常に求め続けることはやってきました。
生きることに懸命な時もありましたが、気を取り直して
懸命に生きるやり方に戻し、求め続ける先は己でした。

30代は、立場はあれども独立した個として歩むのに
かなりの試行錯誤のチャレンジを続けていました。
その時の「今いいと思えるもの」を手にしやってみる。

その繰り返しの中で自分を磨いて確立して行ったので
天命とかではなく、やりたいからやり続け進み続けることでした。

天職ではないかという人もありましたが、そうだとも感じてなかったですね。
学生の時に思い描いた仕事とも全然違っていましたし
今やりたいことをやれるようになることを目指しただけですね。

そうこうで固まったぐらいに四惑が来ました。
そんな感じで進み続け生きてます。

他の人がどうかは、よくわかりません。

投稿日時 - 2014-07-02 09:26:27

ANo.5

認識の深まりは、一応の到達点はあるが、そこが終着点
ではない。
日常的な感覚における、いわゆる素朴唯物論から始まり、
理解を深めて、その向うにある原理的本質である超弦に
至ったとしても、そこから自動的に、生物の多様性や人間
社会の約束事など、現象的複雑さを導けるかというと、
そうではない。
底にタッチしてUターンしてからは、無常に変転する現象的
多様性の分析という、果てしない途が待っている。

「現象を見て原理的本質を看破する」事はあっても、逆に
「原理を把握して現象的多様性を推察する」事はできない。
なぜなら、そうした現象的表面性とは、階層現象の下位の
単位の相互作用において、安定な反応系が持続し、上位
現象の単位になる、という事のくり返しであり、可能性と
淘汰、そこにおける機能の相補分化による生態系の構成
という、任意的要素(相補分化)が介在するからだ。

天命とか悟りとか、そんな形骸にこだわるヒマがあったら、
一歩でも先に進み、少しでも多く社会貢献すべきだ。

投稿日時 - 2014-07-02 09:22:42

ANo.4

詳しく理解していないで 自分勝手な解釈です(最初に間違いだったらと断ります)

宿命は 変えようがない道 

天命は 天との交流で探す道

運命は 自分の選択結果

天職が見つかるのは 一万分の一の確立かもしれない

当てずっぽうに迷走するよりは 好きだと思う事を遣り続ける

或は 今遣ってる事が何処まで何処まで好きになれるか

小生は 少学生の時に好きだと思った事を遣り続けている

管理職になる直前に自営の道になったのも 好きな事を遣りたかったから

投稿日時 - 2014-07-02 09:21:02

ANo.3

50代で自分の言葉で表現できなくとも、他の偉大な哲学者の借り物の哲学でなく、自分の哲学を持つ、ってことだと思います。

自分の哲学を持った人は、死期を迎えても冷静に受け止め、天命をまっとうしたように、安らかに亡くなっていきますが、他人の哲学の投売りの人、醜い醜態での死に方をさらします。

その死亡前の元気な時でも、哲学を持たれた方は、愚痴もいわずに幸せで平和な暮らし。哲学をもたれなかった人は、愚痴だらけ、目先のどうでもいいことに目くじらを立てています。

わたしも、肺癌で18ヶ月、脊髄にも移転した病人なので、この先長くはないですが、神様から与えられた人間としての義務は果たせなれたので、余命何ヶ月と宣言されても、静かに聞き取ることができました。まだ、何ヶ月もあるので、人生を存分に楽しませて頂きます。

わたしと何らかの関係にあった皆様、ありがとうございますと感謝の念です。皆様がなにか困れたことがおこれば、あの世から御一家が平穏に暮せるように応援させて頂きます。この質問者のお方も何かのご縁なので、勝ってですが応援させてもらいます。これが、私の天命かも。

投稿日時 - 2014-07-02 08:45:09

お礼

ご回答ありがとうございます。ご回答者様は、私などよりもはるかに大きな苦難を経験しておられるのですね。借り物でなく自分の哲学を持った時を天命を知るというのなら、私はまだまだ苦労が足りないのかもしれません。他のご回答を見ても、天命は、神のお告げのようにある時突然ひらめくのではなく、日々の積み重ねの先にあるもののようですね。とりあえず、まずは不惑の四十を目指します。ご回答者様の残された人生がすばらしいもので有ることをお祈りします。ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-07-02 19:31:02

ANo.2

当然 孔子が悟った言葉です
一般人には無理でしょう

投稿日時 - 2014-07-02 08:00:06

最近は・・・

40にしてリストラに脅え
50にしてリストラされ

なんて光景が(笑)組織社会で出世したりしたら、50にして天命を知る(地位が確固たるものになる&実務から離れられる)ってだけじゃないですかね?。生まれてきた意味なんて誰にもわかりませんし、子供を産み育てる以外は、各々が自己肯定しているだけの意味に過ぎませんね。30で結婚していれば、50になって子供が一人前になるから、天命は終えた年では?。自分がこれをする為に生まれてきたなんてのは錯覚に過ぎませんよ。全部、自分を肯定する為の屁理屈に過ぎません。

投稿日時 - 2014-07-02 07:51:55

あなたにオススメの質問