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解決済みの質問

空海と景教の関係

大日如来が不思議で質問し、その背景は理解したのですが、納得までには至っていません。そこで仏教の全般について書かれている本を再読していましたら、唐に渡った空海が景教(キリスト教のネストリウス派)の聖書を漢訳しているインド人伝道者に出会い旧約聖書を譲り受けたと書いてありました。
そこでネット検索すると西暦803年に景教の洗礼名「遍照金剛」を受け、旧約聖書の漢訳を日本に持ち帰ったと書いてありました。戦国時代に来た宣教師は大日如来のことをデウスと英訳したとあります。
大日如来が創造神のようだと以前から思っていたので、ある意味で納得でもありますが、これらのことは本当のことなのでしょうか。教えてください。

投稿日時 - 2014-07-30 11:06:48

QNo.8697822

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

 こんにちは。お盆が近く月忌参り中で、いわゆる金儲けに奔走している糞ボーズですが、しばらく前に景教と仏教との関係を調べていたので少しお話しさせていただきます。

>>そこで仏教の全般について書かれている本を再読していましたら、唐に渡った空海が景教(キリスト教のネストリウス派)の聖書を漢訳しているインド人伝道者に出会い旧約聖書を譲り受けたと書いてありました。

 実はこの説はとある勘違いを発端にあらわれた説だったりします。
 この勘違いの発端を作ったのがイギリスのゴルドン(ゴードン)夫人という方です。この方は比較言語学者でインド仏教学者・宗教学者であったマックス・ミュラー氏に指示して学んだ方ですが、明治四十年ごろに来日し、以来日本を拠点として東洋宗教研究を深め、持論である仏教とキリスト教は別物ではなく根本的には同じことを表しているという考えを論証することに取り組まれていました。そのため、中国や朝鮮半島にも訪れて中国西安の景教碑に注目をされ、景教はキリスト教では異端視されたネストリオス派の事で、唐代に東進し唐王朝からも保護を受けて布教は順調であり、唐代健中二年(781年)碑が建立されたという事を論証しました。
 そしてここからが勘違いのもとになったところですが、ゴルドン夫人は自分の研究成果の記念にとこの碑のレプリカを高野山にプレゼントしました。これがなぜ高野山だったかという事について神直道氏の『景教入門』によれば、この碑は空海の景教に対するなにがしかの功績をたたえたものではなく、仏教とキリスト教一元論という思想に基づいて密教に対して好意的な考えを持っていたからのようです。簡単に言えば、ゴルドン夫人は何となく密教好きだったし、高野山にお世話になったからという理由だけで、空海の中に景教の痕跡を見出していたわけではないという事ですね。確かに、ゴルドン夫人と高野山の関係は深く、高野山に登山したり、仏教書の英訳で有名なティモシー・リチャード氏と一緒に高野山に訪れ講演したり、本を寄贈したり、景教碑が立つときにはたくさんのお坊さんでお勤め上げたりしてます。(景教碑にお坊さんがお勤め上げるなんて面白すぎる光景ですがねwww)しかも、ゴルドン夫人のお墓はこの景教碑の隣にあります。ただし、ゴルドン夫人は高野山だけにそうしたのではなく、朝鮮半島においても金剛山というところにも景教碑のレプリカをプレゼントしてます。もちろんこちらは空海大師とは関係のないところです。
 しかし、そののち高野山にある景教碑を見た人が「真言密教と景教が関係あるに違いない」と思い、「どうやらゴルドン夫人は弘法大師空海は景教とであったことを見抜いていたのではないか」となり、「空海の出身は秦氏という説があり、秦氏は日本に流れたユダヤ教徒だ」とか、「空海がいた当時の西安は景教が盛んだったから、そこで景教を学んだに違いない」という説に発展していったようです。
 しかし、前述のように、ゴルドン夫人は景教碑を空海が景教とであったことを見越して作ったのではなく、お世話なった日本と朝鮮半島の仏教関連施設に送ったにすぎず、また空海大師がいた当時の西安は当時にしてみれば超国際都市であり、多くの宗教が流入していたわけですからほかの宗教との接点もあったはずですし、それらを全く無視して景教のみに焦点を当てるのはいかがなものかと思います。まぁ、大まかに言えばこんなところです。いろんな説が出てますね。個人的に面白く読んだのですが、信憑性という事になると、大きな疑問が残ります。

>>大日如来が不思議で質問し、その背景は理解したのですが、納得までには至っていません。

 大日如来の原型という事でいえば、すでに仏教最古の経典とされる『スッタニパータ』の中に見出すことができます。
 例えば、大日如来や阿弥陀如来のようの光キャラクターを持った仏はゾロアスター経のアフラ・マズターが原型にあるなんてことがよく言われますが、それ以前に仏教内部に目をやってみますと『スッタニパ-タ』の中ではお釈迦様は太陽族の末裔とされたり太陽と比喩されたりしてとらえられております(『スッタニパータ』中村元訳、No54,178,423,540,550,687,1016,1097,1128)。海外研究においてはフランスのセナール氏はお釈迦様を「太陽の英雄」ととらえインド独自の神話の延長にいるのではないかと発表したくらいです。そもそも、最古の経典にもお釈迦様と太陽の関係が記されていることは注目すべきでしょう。

 また、大日如来の法身仏といわれる仏様ですが、法身という考えの原型も『スッタニパータ』の中でも最古層といわれる第五章パーラヤナの中に登場します。それが、

1146 (師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」(中村元師訳・ちなみにこの「信仰を捨て去れ」はスリランカのブッダ・ゴーサ尊者によった解釈ですが、誤訳です。正確には「信を発せよ・信を起こせよ」です。詳しくは村上真完師『「信を発こせ」再考』を参照してください。現在の研究者の中ではこちらの説の方が優位です)

という部分です。ここでは、ピンギヤ尊者という方が師匠のバラモンバーヴァリ尊者にお釈迦様から聞いてきたことを伝えるシーンなんですが、ピンギヤ尊者とバーヴァリ尊者しかいないはずなのに、突然お釈迦様が言葉を発します。このパーラヤナの末尾で語られているのは信心を起こし仏随念するピンギヤ尊者についてなので、それによって得られた功徳という事になるんでしょう。そして、ここで注目はヴァッカリ尊者の名前があるところです。このヴァッカリ尊者はパーリ『相応部』の中で、病床の床に伏して苦しんでいるときにそのことを知ったお釈迦様が訪ねて行って「法を見るものは私を見る、私を見るものは法を見る」と説いて、ヴァッカリ尊者はその日のうちに四諦を会得したと説かれています。つまり、1146で現れたお釈迦様はまさに「法を見るものは私を見る、私を見るものは法を見る」という姿なのでしょう。
 では、仏教における法とはどのようなものか?法と聞くと人格的なものとは離れた理法と考えがちですが、この『スッタニパータ』1146では人格的なものと離れた法として現れておらず、人(お釈迦様・ブッダ)と法は不二であるという立場からあらわされています。また、それは

1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(生存するものとしては)数えられないのである。」(中村元師訳)

とあるわけですが、中村元師の訳はちょっと意味が通じにくいので西義雄師の訳をもとに解説しますと「名称と身体」ってのは名色なんてことなんですが、名前と身体への間違った執着という意味です。名前のへの間違った執着とは、譬えが分かりやすいので突然龍樹大士の『中論』になってしまうのですが、「去る者はさらない」という言葉があります。これは、去る者という名前には実は去るという要素がないという事です。もっと簡単に言えば、ラジオのスポーツ中継とかで、「ランナー達がスタートの時を静かに待っております。静寂がつつまれる。さぁ、一斉にスタートしました。」っていう感じのきいたことないですか?この時ランナー(走る者)は走ってますか?走っていない時も走っているときもあるでしょ?つまり、去る者は去らないんですね。去る者という名前を聞いただけで、去るという要素を加えちゃうのが執着ってことです。身体への執着は身体が俺なんだって思いこむ執着ですね。「滅びてしまった」は解脱したという事、「(生存しているものとしては)」というのは生存は十二縁起のうちの一つで生存に対する執着のある者という意味で、西義雄師は「識を有する者即ち凡夫」と補足しておられます。つまりここでは、お釈迦様はもう(執着を持つものとしての)人間とは言えないというわけですね。だからこそ、だから、お釈迦様はパーリ『増支部』には「あなたは神か?ガンダッバ(半人半獣の神)か?夜叉か?それとも人か?」と問われて、それらすべてを断って、「自分は何者かたらしめる汚れをすべて断っており、あえて呼ぶとしたら仏陀である」と答えています。しかし、お釈迦様は法そのものかといえばそうではなく、法そのものであるというのなら形而上学的な存在になってしまいますが、先に申し述べたように法と人格とは一体であり、あえて言うなら仏陀としか言いようがないわけです。このあたりを詳しくは西義雄師『最古の仏典に説く不滅の仏陀観』を参照してください、書ききれなかった細かい論証がされています。
 
 本題ですが、大日如来においてもこの『スッタニパータ』第五章における仏陀観である法と人格は別にあるのではないという原則に従っているものであると考えます。「お釈迦様は人間です」と結構簡単におっしゃる方がいるのですが、わたしは素直にその通りですとは言えません。人間であったお釈迦様が神格化されていくうえで、出来上がったのが大乗の仏であるという論者は、対外上述のような部分を無視して捉えれおられる方が多いように見受けられるのは残念なことです。実際に経典を見てみれば、最初期の経典においても法と人格とが一体となったお釈迦様しか説かれていないんですよね。このあたりが大日如来の原型じゃないでしょうかね?

急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛

投稿日時 - 2014-08-01 12:24:16

補足

この質問を通じて多くのことを学びました。
甲乙付けがたいのですが、ベストアンサーにさせてもらいました。

投稿日時 - 2014-08-10 13:29:54

お礼

わくわくしながら読ませていただきした。誤解も多いのですね。仏教の大学などて学んでみたくなりました。私が呼んだ本では空海の父は大伴氏系で母は物部氏系と書かれてありました。
阿弥陀佛のことも教えてください。釈尊の師であるとか極楽浄土の国を作った国王がモデルと言われているが、よく知らないのです。お釈迦様ではなく、何故に阿弥陀佛なのかをです。
忙しいのに長文をありがとうございました。

投稿日時 - 2014-08-01 13:13:23

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回答(11)

ANo.11

 お返事ありがとうございます。本格的なお盆直前なので、時間の関係で短めに。

>>ニュートンは万有引力を発見と運動力学の法則をつくりました。惑星探査機の軌道もその法則で計算されます。発見する前から引力はあったのですが、それを発見し法則化するのは偉大なことです。地球が円いなら南極の人は宇宙に落ちてしますはずなのに何故に落ちないのかを考えた人は過去にも居たはずです。その人とニュートンとでは価値が違うのです。

 これは過去七仏についての事かと思いますが、私はもちろん史学的視点や考古学的視点のような客観的な視点は重要であると思っておりますが、仏教を理解するには経典は経典そのものを素直に読むという主観的な視点は忘れてはいけないとも思います。
 経典を経典として読むという視点からすればお釈迦様を含めた過去七仏は『大譬喩経』ではちゃんと悟りを開きそれを体系化してお弟子たちに説いていたとあります。経典の中では、決してお釈迦様に劣った存在であるとは説かれてはいません。結局は経典に書いてあることを、客観的立場に見せかけて主観的に取捨選択しているにすぎないわけです。


>>阿弥陀佛の理屈を考えた人は釈尊と同等になるために阿弥陀佛を置いたと思うのです。大日如来も同じだと思っています。自分を釈尊と同等もしくはそれ以上と思う心根はあっぱれです。しかし、私にはそのことが素直に飲み込めないのです。中国、朝鮮を経て日本に伝わった大乗仏教に違和感を感じるのです。

 私の誤解かもしれませんが、これは「俺はお釈迦様と同じ悟りもしくはそれ以上の悟りを得たんだから新しい経典をつくっても問題ないぜと思って大乗の経典はつくられた」ってことですかね?
 もしそうであるのならば、それは大乗のみに向けられるというのはいかがなものでしょう?仏教の経典はその初期の段階から新作、増稿、増補、がおこなわれています。最初期の経典といわれる『スッタニパータ』でさえ、例えば第三章の誕生説話は『大譬喩経』からの引用であるといわれていますし。『大譬喩経』についても、最初期は誕生説話として新作され徐々に増稿・増補されたものと考えられています。また、パーリアーガマとと漢訳阿含の比較研究などによって、アーガマに無い内容が阿含に増稿されているわけですが、阿含に増稿されたものは、すでにパーリアビダルマ文献の中に見ることができ、ただの解説であったアビダルマが経典に格上げされていった経緯もわかってきています。そして、それはパーリ『増支部』の中にはすでに「仏教的にうまいこと言ってればお釈迦様の言葉と扱ってよい」という一文も存在していますが、仏教ってそもそもその立場なんですよね。
 そうであるならば、上述のような「俺はお釈迦様と同じ悟りもしくはそれ以上の悟りを得たんだから新しい経典をつくっても問題ないぜと思って大乗の経典はつくられた」という立場であるならば、大乗以前からすでに仏教は経典を新作、増稿、増補、定着というプロセスを行っています。ですから、大乗のみにその視線を向けるのはおかしなことであると思います。

 私はむしろ大乗経典にはお釈迦様への原点回帰の意気込みのようなものを感じます。
 まず、大乗が生まれ始めたころのメインの仏教はアビダルマ仏教と呼ばれ、一つの見方をすれば経の解説書(アビダルマ)をメインに扱うものでした。私たち現代人もよくやることですが、解説書を参考にして経典を読むのではなく、解説書をメインに経典を読むという事になってしまていたわけです。解説書にこう書いてあるから、経典のこの言葉はこういう意味だという具合です。経と論の立場は本末転倒してしまっていたんですね。そんな中生まれたのが大乗であり、大乗は多くの要因を持って生まれてきたわけですが、その一つの要因は経典の権威の復活であり、お釈迦様の言葉への回帰です。
 そして、その最初期大乗が大乗であるという自覚を持つ以前にできたと考えられる経典を学者によっては原始大乗と呼びます。これは大乗と初めて名乗った『道行般若経』以前に成立していたであろう経典の事です。その中の一つが、阿弥陀仏を中心に説く『無量寿経』といわれています。この『無量寿経』は海外論文では『スッタニパータ』第五章である『パーラーヤナ』との関係が研究されておりますが、大変近い構造を持った経典でもあります。例えば、『無量寿経』には至心・信楽、欲生という三つの信心が説かれていますが、『パーラーヤナ』にもsaddha、pasīdāmi、adhimuttacittaの三つの信心が説かれています。『無量寿経』信楽という信心は同経の異訳やサンスクリット、チベット語のテキストには見出せませんが、これは後半の「その名号を聞きて信心歓喜せん(阿弥陀仏の名前を聞いて信心歓喜する)」という一文からとられたものと考えられます。この、「その名号を聞きて信心歓喜せん」の部分は、現存する『無量寿経』の中で最も古い形態を残すといわれる『大阿弥陀経』の中では、「阿弥陀仏の声を聴いて信心歓喜する」と説かれています。これはまさに『パーラーヤナ』において、

1146 (師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」
1147 (ピンギヤはいった)、「わたくしは聖者のことばを聞いて、ますます心が澄む(=信ずる)ようになりました。さとった人は、煩悩の覆いを開き、心の荒みなく、明察のあられる方です。

という、ピンギヤ尊者が経験したことと重なります。ちなみに信楽はサンスクリットではcitta prasādaという語で漢訳では「浄信」と訳されることもあります。『パーラーヤナ』の中では先の引用の1147に出てくる「心が澄む(信じる)」というのがパーリのpasīdāmiという語であり、『無量寿経』の信楽のサンスクリットと同じです。こんな風に、『無量寿経』のような大乗経典だったとしても、過去の経典に説かれていることへの回帰という事を実はあらわしているんですよ。
 
 こんな感じですかね。時間がなくて、私の考えを押し付けるような形でダーッと書いちゃいましたが、この辺を考慮に入れてご自身仏教観をつくっていってください。誤字脱字乱文はご容赦を。
合掌 南無阿弥陀仏

投稿日時 - 2014-08-10 11:38:26

お礼

>仏教を理解するには経典は経典そのものを素直に読むという主観的な視点は忘れてはいけないとも思います。
私は理屈屋なので、素直に読むには前提条件に納得する必要があるのです。仏教はやはり万人を経由した教えでしたか。なので万通りの解釈がある。釈尊が長く生きたことも関係しているのでしょう。
このお礼をもって終わりにします。皆さんありがとうございました。

投稿日時 - 2014-08-10 13:19:35

ANo.10

 ちてりすと1さん こんにちは。


 【Q:《我れ》はある?ない? どちらですか(仏教)】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3454478.html
  投稿日時 - 2007-10-23

 質問者の noname#80116 は わたし・ぶらじゅろんぬです。

 これは わたしがこのOKヱーヴでの《デビュー》のときあたりにした質問です。

 ばか‐はげさんも 回答してくれています。その浄土系に対して 真言系の ぼんのう03(bonnnou03さん)とそして言わば中道の――と言っても ほかのお二人が片寄っているというわけではありません―― ぼんぼにえ( bonbonnier )さん これら三人の方々とのやり取りが おもな中身を成しています。

 というふうにちょっと懐古趣味に浸りますと その頃はまだ――まだです――ゴータマ氏によきところがあるのではないかと思っていた部分があります。その後急激に ゴータマ批判に転じました。

 ばか‐はげ(=愚禿親鸞)氏とも真っ向から対立するところがあります。もっともわたしは 親鸞は 信仰の極致に到ったと捉えていますので その点は 愚禿さんと同朋であるようですが。



 
 さて わたしは 個人にとっての信仰と集団ないし組織としてのシュウキョウ(特にオシエ)とを明確に厳格に区別しています。

 【Q:宗教は 百害あって一利なし。】
 【Q:信仰の組織教義化は 犯罪ではないのか】
 【Q:組織宗教を 弾劾する。】

 【Q:神について勘違いが多いのは なぜでしょう?】
 【Q:《信じる》を哲学として定義せよ】
  ・・・



 ということで ちょっとした自己紹介でした。






  ★ (No.9補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~
 宗教は宇宙や太陽や世界などを論ずるが、人間の真理を説くのに必要なのですか。それは人を惑わせる道具に過ぎない。
 実在した人間を祭っているうちに、年月が経つと白蛇が・・・などと言うのと同じです。変な理屈が余計に判らないものにしている。結局は人集めの方便なのだと思っています。
 若い時に学んだ唯物観念が拒絶反応させるのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは シュウキョウと信仰とを区別すべきだというわたしの質問をいくつか挙げました。その趣旨説明でかなり明らかにしているかと思っています。


 ★ (No.9お礼欄) 《わたしを見る者は法を見る。法を見る者はわたしを見る》の教えはよく見るのですが、私にはこちらに来なさいと聞こえます。
 ☆ これは ばか‐はげさんに訊いてください。ゴータマのせりふですから。

 わたしは おかしいではないかと言いますか その法(ダルマ)とゴータマとが一体であるというのは 百パーセント全面的にひとしいというのか(そのときには ゴータマ氏・即・神であるとなります) それとも 部分的に一体であるというのか? これをはっきりさせて欲しいと言っています。

投稿日時 - 2014-08-02 16:31:36

お礼

添付資料も含めなるほどと読ませていただきました。しかし、心に浸み込んできません。若くはないのですが、このような境地を心が拒んでいるのです。信仰心が弱いのかもしれません。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-08-02 19:54:27

ANo.9

 せっかくですから 《蛇蝎のようなもの》でもやり取りを継ぎます。


 ◆(回答No.8)  『中論』てことでいえば、私もブラ氏も間違いですね。「人でない。法でない。人であり法であるのではない。人でなく法でもないでもない」ですからね。 
 ☆ これは 論理ですね。そして論理ではなく 想定としてでも自説における《現実》を言おうとしたのだと採れば けっきょく信仰の領域を言っています。

 わたしの言葉で《非思考の庭》です。
 それは 可知(既知および未知)でも不可知でもない《非知(または 非経験の場)》を――つまり神をということですが――受け容れたときにわが心に成る庭です。

 《知り得るか知り得ないがか知り得ない何ものかなるナゾ》と言えばよいのです。

 そうして《論理》であるにせよ・ないにせよ 問題は 《ひとが 特定で個別のゴータマならゴータマという人物として生身のからだでいる》ということが 問題です。この事実に変わりはないということ。
 
 この事実は基礎なる事実であって その上でその《身と心なる存在》が《ダルマ(法)と一体である》かどうかが問われます。

 自然本性として生まれて来ている人間存在という基礎事実をまさか変えようとして 《ゴータマは 法と一体である》とか《わたしを見る者は法を見る。法を見る者はわたしを見る》だとかを言っているのではないでしょうね。という話になります。




 ぎゃくに言えば 神を《非知》として想定した時点ですでに その神なるナゾ・したがって霊は 人間存在に霊として潜在するといった想定をも――人間が勝手にですが――織り込んでいるものと考えられます。

 かくして ひとは ブラフマン神の霊と一体となりうる霊我=アートマンを 生まれつきの身と心とにやどす。と想定が伸ばされます。

 これは アン‐アートマン(無我・非我)とよぶやはり霊のことで その人の心なる非思考の庭では《無梵無我一如》なる信仰が成り立っている。こう想定されます。

 のちにマハーヤーナ―(大乗)は アン‐アートマンでは恰好がつかないので ブッダターと言い換えました。如来蔵とも。そして 神のほうも 無梵では何となく居心地がわるいので ダルマとしてのブッダを立てました。

 浄土系は これを アミターバ(無量光)またはアミターユス(無量寿)なるブッダと呼びます。

 真言系は マハーワイロ―チャナ(大日)と呼びました。無量光と大日とは 同じ概念でしょうね。

 アマテラスというようなものです。



 ◆ 法と一体でないお釈迦様がいたとしたら、それって悟ってないってことになっちゃうと思うんですよね?
 ☆ かくして 梵我一如=無梵無我一如=仏仏一如という三つの形態にして同じひとつの類型において 信仰がわが心なる非思考の庭にあって しかも〔人が生身のからだで生きるかぎりは〕動態として推移する。

 そのことに問題はなく あるとすれば この一般類型としての梵我一如について 神(梵)とわれ(我)とは 神の霊としてまったくひとしく一体であるのか? です。

 まづ確認しますが ひとなら(または 一切衆生は)生まれつき《梵我一如》なる想定において 神の霊をやどす。

 そのかぎりで ひとは《ダルマ(法)と一体である》。

 けれどもそれは まったくのかたちでそうなのか? 
 言いかえると ひとは それでは百パーセントが 神ブラフマンやダルマなるブッダそのものであるのか?


 早々と答えを出すなら 一般にこれは そうではなく ひとは神に似る者であり その身と心とは 《神の似像(にすがた)》であると言われ 神の霊を《分有する》のだと捉えられています。




 長くなりましたので 端折ります。

 では ゴータマは 神の霊と一体であるというとき それは 神(ダルマなるブッダ)と完全に一致しているというのか? それとも一般の人びとと同じく 神の霊を分有するというに過ぎないのか? です。

投稿日時 - 2014-08-02 13:01:32

補足

宗教は宇宙や太陽や世界などを論ずるが、人間の真理を説くのに必要なのですか。それは人を惑わせる道具に過ぎない。
実在した人間を祭っているうちに、年月が経つと白蛇が・・・などと言うのと同じです。変な理屈が余計に判らないものにしている。結局は人集めの方便なのだと思っています。
若い時に学んだ唯物観念が拒絶反応させるのです。

投稿日時 - 2014-08-02 15:43:13

お礼

何度も読みましたが、よく理解できませんでした。
《わたしを見る者は法を見る。法を見る者はわたしを見る》の教えはよく見るのですが、私にはこちらに来なさいと聞こえます。

投稿日時 - 2014-08-02 15:45:35

ANo.8

 お返事ありがとうございます。

>>阿弥陀佛のことも教えてください。釈尊の師であるとか極楽浄土の国を作った国王がモデルと言われているが、よく知らないのです。お釈迦様ではなく、何故に阿弥陀佛なのかをです。

 乗りかかった船なのでもうしばらく。阿弥陀仏に行く前にまずはお釈迦様についてです。
 私たちは経典の伝承や手塚先生の『ブッダ』等でお釈迦様の生涯に触れることができます。しかし、「天上天下唯我独尊」や「四門出遊」の話は知っていても、仏教の経典でお釈迦様の生涯はどのように成立したかは知らない方が多いです。所謂「仏伝」を説いた最古のお経について、ドイツのウインディッシュ氏の説によれば『大譬喩経(大本経)』と考えられます。しかし、『大譬喩経』に説かれる仏伝はお釈迦様の生涯ではありません。お釈迦様を含めた「過去七仏」の中でも、第一仏である毘婆尸仏の生涯を語ったものです。
 この過去七仏は古い段階で仏教の中にあらわれた多仏思想です。中国の玄奘三蔵が七世紀に入ってからインドに訪れた時に、お釈迦様に破門された提婆達多尊者の教団が続いていて過去七仏のうちお釈迦様を抜かした近い時代の三仏を信仰していたと『大唐西域記』に記していますので、もしかしたらお釈迦様在世から過去七仏の思想は仏教内部に存在したかもしれません。まぁ、あくまで七世紀の史料ですから可能性としてしてですがね。
 はなしを『大譬喩経』に戻します。このお経には第一仏の毘婆尸仏の生涯とともに、過去七仏すべての仏に共通することが九もしくは十の項目として挙げられています。七仏の事項と呼ばれます。
1生まれた時代と名前
2人々の寿命
3カースト
4ゴータマ系の姓である
5悟ったのが共通の菩提樹
6弟子の人数
7二大弟子がいる
8生涯をとおしての待者がいる
9父、母、都
10、(パーリ語聖典にはないが)息子
以上です。つまり、お釈迦様の生涯で『大譬喩経』ができた当時わかっていたのはこの程度なんです。経典というのはそもそも教えを残すためのもので、お釈迦様の人生を残すものではありません。伝記的に記されている『涅槃経』でさえ食あたりになってから亡くなった直後の事までです。そのためお釈迦様の生涯については、教えに残っている断片をつなぎ合わせるしかなかったわけです。また、吹田隆道師『ブッダとはだれか』によれば、戒律には「お釈迦様がどこでだれに対して教えを説いたかわからなくなった時は、当時の有名な聖地の名前や、当時の有名な王様や弟子の名前を入れておけばいい」というものがあるそうで、この戒律ができた時には多くの事が分からなくなっていたのでしょう。そこで、お釈迦様の生涯を直接描くのではなく過去七仏のうち第一仏の毘婆尸仏の生涯として描くことにしたわけす。そして、その後『大譬喩経』をベースに『稀有未曾有経』というお釈迦様の生涯を直接あらわした経典などができたわけです。つまり、お釈迦様の生涯さえ、お釈迦様の生涯をベースにしているのではなく、毘婆尸仏の生涯をベースにして作られたものだということで、それ以外の話はあとから付け加えられたことになります。

 そして、この過去七仏は最終的には過去二十五仏まで発展します。これは、パーリ『相応部』に

比丘達よ、縁起とは何か。比丘達よ、生を縁として老死がある。如来たちが生まれようと生まれまいと、この道理は定まる。

とあり、注目すべきは如来をここでは複数形で使っていて、法は無始無終であり数多くの悟りを開いた如来が過去にもいたことが説かれています。こういった考えをベースにお釈迦様の過去世の姿を通して仏教者のあり方を説いた、『ジャータカ』というものも発展していきます。お釈迦様はその過去世についても長い修業を積んでおられ、なおかつ多くの仏陀と出会っていたとされます。この中でお釈迦様と最初に出会うのが燃燈仏という仏陀です。お釈迦様が過去世において儒童梵士と呼ばれていた時に、燃燈仏みたいになりたいと思って修行を始めます。すると、それを見た燃燈仏から「未来において、悟りを開き釈迦仏となるであろう」と授記されるという話です。これを燃燈仏授記というのですが、阿弥陀仏という仏もこの燃燈仏授記をベースにしています。
 阿弥陀仏について主に説かれている『無量寿経』には最初に錠光仏というブッダがいたというところから始まりますが、この錠光仏というのは燃燈仏の異訳名です。そしてこの燃燈仏から何代も後になって世自在王仏というブッダが表れて、その世自在王仏にあこがれて一人の王が出家し法蔵菩薩と名乗って修行を始めますが、それを見た世自在王仏がいつかお前は悟りを開くだろうと授記を与えるというように、燃燈仏授記がベースにあることが分かります。

 次にパーリ『涅槃経』には、

修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうとそこに花輪またはお香や顔料をささげ礼拝し、また心清らかにして信ずる人々には長い間利益と幸せが起こるであろう。

とあるように、仏舎利を納めたストゥーパにすることですべての人々の心を清らかにできるとあります。歴史上の仏陀であるお釈迦様の涅槃が、ある意味救済者としての仏陀像をつくる切欠となったといえます。
 この後弟子たちは師が亡くなったことを悲しみますが、すぐさまお釈迦様の跡目を相続した大迦葉尊者が、お釈迦様の教えを今一度確認するため第一結集を開きます。ただし、このときはまだ口伝えであり、文献化してはいませんでした。この第一結集は大迦葉尊者が代表となり、戒律は優波離尊者、経は阿難尊者を中心にまとめることになりました。ここで、阿難尊者は「私はお釈迦様がこのようにおっしゃったのを聞きました」という形で、自分を前に出さずお釈迦様を前面に出していきました。後に第二結集の時、阿難尊者のお釈迦様主義が教団の主流派になっていくわけですが、その過程で救済者仏陀としてのお釈迦様像がより強くなっていき、弟子たちを阿羅漢と呼びお釈迦様の固有名詞としての仏陀という使われ方をするようになります。
 しかし、お釈迦様があくまで「仏陀」であり、原意は「目覚めた人」です。つまり、何か新しい理論をつくったわけではなく、もともとある法に気が付いた人という意味です。私たちにとってブッダはお釈迦様一人であるが、お釈迦様と同じことに気付いた人が過去にいてもおかしくはないということで、お釈迦様の悟った理の永遠性を示すものとして、過去の仏たちが具現化したのが上述の過去七仏です。そして、さきに申し上げた通り、この過去七仏は過去二十五仏にまで増えます。
 そして過去がいるんだから未来もあるだろうと登場するのが弥勒仏です。弥勒仏は現在はお釈迦様も悟る直前まで修行していたという兜率天というところで修行中だそうです。そしてその後、未来物も増えてゆき、賢劫千仏という千人の仏陀が未来にあらわれます。
 ところが、あくまでこの多仏思想は時間軸という制限がりました。それはなぜかと言えば、仏陀という言葉をお釈迦様の固有名詞化していく過程で「一つの世界に仏陀は二人存在しない」と考えられるようになっていたからです。ですから、お釈迦様が亡くなってから弥勒仏が表れるまで、われわれはどうしても仏陀に会えないことになってしまします。仏陀には会えないが悟りを開きたいという人たちは、『ジャータカ』などに書かれている「授記」の物語をもって無仏の時代を乗り越えようとします。梶山雄一氏『仏陀観の発展』によれば、無仏の時代には生身の仏陀に代わるものとして、仏陀の遺骨や、仏足石が授記を授けると考えられていたようです。悟りを目指しても、その目標となる仏陀がいない、そんな時代に「それいでいい。頑張って修行すれば悟れるよ。」という授記の信仰が表れるのも必然だったのでしょう。
 そして、この無仏の時代に授記に対する考えが生まれてきた中で、やはり直接仏陀に教えを乞いたいという人もいました。そういった人たちは古代インドの須弥山という世界観から発展した仏教独自の三千大千世界という世界観をベースに、お釈迦様の悟った理の時間軸的に広がりを、空間軸的にも広がりもあるはずと考えます。これは、先に述べた「一つの世界に仏陀は二人存在しない」という原則を変えることなく、今直接に仏陀に会うことができるという解決策でした。古い文献から言えば、『増支部』の中に目連尊者が神通力を示すため東の奇光如来を訪ねるというくだりがありますし、大乗仏教の最古の他方仏としては東方阿シュク仏(漢字は文字化けしますので)、続いては西方阿弥陀仏が古く、大乗を自ら名乗った最古の経典である『道行般若経』との比較研究において、最も古いもので紀元前には成立していたのではないかと考えられています。
 まぁ、史学的にはこんなながれが阿弥陀仏ができたんじゃないかと。

 あとブラ氏の回答にあったことを、文字数の関係で三点だけ。
 『中論』てことでいえば、私もブラ氏も間違いですね。「人でない。法でない。人であり法であるのではない。人でなく法でもないでもない」ですからね。 
 法と一体でないお釈迦様がいたとしたら、それって悟ってないってことになっちゃうと思うんですよね?
 あと、梵我一如については仏教でも説かれていますが、バラモン教のものとは一線を画します。前にも仏性の事で申しましたが、仏性と同じく仏教におけるアートマンは実践の中でのみ存在し、バラモン教のアートマンは教理に存在します。詳しくは西昭嘉氏の「原始仏教における無我説の再考」と「原始仏教聖典におけるattanとbrahman」という二本の論文を参照してください。

 誤字脱字乱文ご容赦を
合掌 南無阿弥陀佛

投稿日時 - 2014-08-02 09:24:44

お礼

お礼が送れました。わざわざの長文をありがとうございました。何度も読み返しました。
ニュートンは万有引力を発見と運動力学の法則をつくりました。惑星探査機の軌道もその法則で計算されます。発見する前から引力はあったのですが、それを発見し法則化するのは偉大なことです。地球が円いなら南極の人は宇宙に落ちてしますはずなのに何故に落ちないのかを考えた人は過去にも居たはずです。その人とニュートンとでは価値が違うのです。
阿弥陀佛の理屈を考えた人は釈尊と同等になるために阿弥陀佛を置いたと思うのです。大日如来も同じだと思っています。自分を釈尊と同等もしくはそれ以上と思う心根はあっぱれです。しかし、私にはそのことが素直に飲み込めないのです。中国、朝鮮を経て日本に伝わった大乗仏教に違和感を感じるのです。

投稿日時 - 2014-08-09 10:32:46

ANo.7

 こんにちは。

 完全に蛇蝎のごとく嫌われることを述べます。(嫌われるために述べるのではありません)。


 
 ◆ (ANo.6) 実際に経典を見てみれば、最初期の経典においても法と人格とが一体となったお釈迦様しか説かれていないんですよね。このあたりが大日如来の原型じゃないでしょうかね?

 ☆ これは 《想像と思考》の歴史があったという事実でしょうけれど かなしいかな 《去る者は去らない》のであって じっさいに文字と言葉の通り現実に生身のからだにおいて《ダルマと人格とが一体である》というゴータマ・ブッダの姿があったという史実を保証することはない。と考えなくてはならないのではないでしょうか?

 ということは 可能性としてはあり得るわけですが そうだとすれば ゴータマは ただの人間であったという見方についても同じ程度に可能性がある。こう見なくてはならない。となりますまいか。








 というよりも 《ダルマと人間存在との一体》と言えば まさにブラフマ二ズムにおける《梵我一如》なる――非思考の庭にあっての――現実のすがた これを忘れたり知っていて葬り去ってしまったりしていては 何の学問的な意味もない。こうなりますまいか。


 とすれば ゴータマは アン-アートマン(無我・非我)を言い出してただただ《無梵無我一如》なる裏返しの説をとなえた。に過ぎない。と見るのが 妥当であると考えられますが いかがでしょう?


 マハーワイロ―チャナ・タターガタ(大日如来)は 梵(ブラフマン)の代わりに・つまりはゴータマにおける無梵(ア-ブラフマンないしアン-アートマン)の代わりに ダルマ・カーヤ(法身)のブッダとしてそう名づけつつ立てられたものである。それが ゴータマ=太陽族の末裔なるところから来ているというのは あり得たとしてもです。

 空海は その持論たる即身成仏なる見解において このような《梵我一如》なる信仰の一般類型を知っていたと考えられます。



 ネストリウスのイエス観は イエスなる男をキリストなる神とは見ない。とすれば あたかも空海のごとく その信仰を一般類型としての梵我一如として捉えていることになるようです。


 空海:仏仏一如
   仏:マハーワイロ―チャナ
   仏:ブッダター(仏性)

 ネストリウス:霊霊一如
   霊:ヤハヱー=キリスト〔なる神〕
   霊:《われ》〔なる非思考の庭〕



 ヤハヱ―とブラフマンとは いわゆる創造主なる神として描かれています。(そういう表現をしたというのみですが)。

投稿日時 - 2014-08-01 15:27:07

お礼

浅はかで理解にいたらず、蛇蝎のようであることも分らないのです。

投稿日時 - 2014-08-01 16:30:23

ANo.5

>大日如来が不思議で質問し、その背景は理解したのですが、納得までには至っていません。

〇釈迦如来が説いた法門は非常に多岐に渡っていますから、後代の求道者はいろいろ大変だったわけです。
様々な教えを学ぶ過程で様々な宗派に分かれたとはいえ、全て釈迦如来の教えなのですね。空海もそのことは十分に理解していたわけです。空海が学んだ密教は、釈迦如来の教えの中でも秘技の部分ですね。これは智慧の部分ですから「金剛」と呼ばれています。金剛とは「智慧」のことですね。釈迦如来の智慧の部分を霊的に表した象徴を「るしゃなぶつ」とか大日如来と言っているのですね。「遍照金剛」とは智慧の光が世界を照らしているという意味ですが、世界は神の言葉により創造されたという旧約聖書に通じるものがあるでしょう。
これは、実はその通りで、寺の入口の門には、「あ象」と「ん像」が置かれていますね。「あ」は「アルファ」で「ん」は「オメガ」を意味しています。これはお寺の門の先に最初で最後の仏がいるということですから釈迦如来は創造主と同じなんですね。これが仏教の本当の秘技かもしれませんね。
一方、釈迦如来を慈悲の面から論じたお経もあるわけですが、これが浄土教系になったのですね。慈悲の面からの表現が「無量寿」とか「無量寿光」ですね。これを阿弥陀仏と呼んでいます。霊界の秘技を教える仏の面と救済仏の両面を備えた仏が釈迦如来、釈迦大如来ですね。
釈迦如来のの弟子で成功者は、天台ちぎと空海と言われていますから、南無遍照金剛が空海に対してであってもかまわないと思いますが、本当の意味は釈迦如来の智慧に帰依しますということですね。
法門無量請願学(知)ですから、智慧の法門ははるかに広大で深いですね。参考までに

投稿日時 - 2014-08-01 08:20:38

お礼

釈尊の死後にガンダーラ地域で釈尊の偶像が作られ、キリスト教の影響で古代からあった太陽神を大日如来に仕立て直し、釈尊の上に置いたのではないかと推理しているのです。教えの内容はそれなりに知っているのです。そのことではなく物事の成り立ちの因果関係を知りたいのです。
大乗仏教のというのは異民族に仏教を伝えてゆく方便ではないのか。お経もすべてが方便であると思っています。方便は物事を分り易く説明するので良くないものとも思っていません。
釈尊を創造主とは思っていません。その発想はキリスト教に似ています。釈尊は真理に目覚めた人間であると思っています。
詳しい説明、ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-08-01 09:46:34

ついでついで。

インドの挨拶の言葉で「ナマステ」というのあるじゃないですか。
この「ナマステ」の「ナマス」と「南無・ナム」は同じもので~す♪
ですから、
それほど小難しく考えなくてもいいのかもしれませんよ。

実は、

「弘法さん、おはよう」
「弘法さん、こんにちは」
「弘法さん、お休みなさい」

くらいの意味なのかもしれない♪♪♪

投稿日時 - 2014-07-30 23:52:38

お礼

私は物凄く理屈屋なのです。こんにちはだけであったら、遍照金剛は要らない。むしろ『南無遍照金剛』のお題目の方がすっきりして言いやすい。

投稿日時 - 2014-07-31 08:16:19

いやいや、
「南無大師遍照金剛」というオマジナイは、
空海が死んだ後に、高野山の誰かが作ったのだと思いますよ。

空海が大師号をもらったのは、921年。
空海が死んだのは835年なんで、
少なくとも南無大師遍照金剛というオマジナイができたのは、
921年以降ということになります。

観賢という東寺で一番偉かった真言宗のお坊さんが、空海に大師号をくださいと言って、朝廷から弘法大師という諡号をもらったんですよ。
この観賢には、
彼が高野山を訪れたとき、奥の院(空海が今も生きているとされる場所)に入ったら、空海が生前そのままの姿でいた。
有り難くて涙が止まらなかった。そして、伸びた空海の髪の毛とひげを剃った、
というエピソードがあります。
空海は死んでいない、今も奥の院で生前のままの姿でいるのだ。弥勒下生の際に、目を覚まして、その活動のお手伝いをするのだ、
という大師入定信仰の発端ともなった大変有名なエピソードです。
今昔物語にも、このお話は載っています。

真言宗の人は、この話を聞くと目がウルウルとする。
現在も、奥の院にいるとされる空海には、朝夕、ご飯が運ばれています。
そして、
奥の院にご飯を届ける人は、そこで見聞きしたことを決して漏らしてはいけない、という掟があります。
空海が、今なお、そこにいるかどうかは、この人たちしかわからない。
―――実在の空海は火葬されています。このことは記録に残っている―――

真言宗徒は、奥の院に空海が今も生きているということを信じて疑わない。
奥の院に行くと、もしくはTVなどで奥の院を目にすると、自然に涙が出てくる。
記録がなんだ!! 史実が何だ!!
そこにいると信じているんだから、空海は今も生きているんだ!!!!
理屈じゃないんだ!!!!!!
というわけです。


誰だったかな、
キリスト教(イエズス会)の宣教師がこの伝説を聞きつけ、
バチカンにこの伝説を書いた書簡を送ったんですよ。
この書簡は確か残っているはず。
イエスの復活と弘法大師復活に似たようなものを感じたらしいですね。

投稿日時 - 2014-07-30 23:28:05

お礼

確かに生きている時に大師とは呼ばれていなかったし、自分に帰依するとは言わないので後で作られたお題目ですね。奥の院にもお参り行きました。ご飯を届ける話はテレビで見ました。
その時に親がいつまでも生きていると、子は頭が上がらないなあと思いました。

投稿日時 - 2014-07-31 08:07:08

お礼、ありがとうございます。


☆それは知りませんでした。「南無大師遍照金剛」というお題目は「弘法大師と大日如来に帰依します」なのか「大日如来の化身である弘法大師に帰依します」のどちらなのですか。
◇この二つのどちらかかと言われれば、
「大日如来の化身である弘法大師に帰依します」
なのでしょうね。

ただ、わたしは、素朴に「弘法大師・空海に帰依します」でいいのでは、
と思います。
歴史上実在した弘法大師・空海というよりは、
「お大師様」なんじゃないですか。
真言宗や密教、そして、仏教という垣根を越えた、素朴で民間信仰的な神さまである「お大師さま」でいいと思いますよ。

四国のお遍路さんの白装束や笠なんかに「同行二人」と書いてあるじゃないですか。
この同行二人の一人は巡礼者、そしてもう一人は「お大師さま」。
巡礼者さんたちは「お大師さま」がいつもそばにいて、二人で巡礼をしていると思う、感じる。
これでいいと思いますよ。
「大師信仰」は仏教の宗派や仏教という宗教の垣根を超えた民間の信仰なんで。
難しく考える必要はないと思います。



そうそう、これを忘れてはいけない。
宣教師はキリスト教の神さまデウスを大日如来と日本語訳した。
で、当時の日本の人たちは、キリスト教は新しい仏教の一派だと思ったそうです(ニコニコ)。
これではいけないと言うことで、
慌てて、このデウスを「天」や「天道」と訳しなおした、と言われています。

この経緯は、
http://www.geocities.jp/goromaru134/goromaru/nippo03.html
に詳しく書かれていますので、
よろしかったら御覧になってください。

投稿日時 - 2014-07-30 19:33:56

お礼

空海は大日如来の化身。空海は自分を拝ませているのですね。恐れ入りました。偉大な天才です。
空海は釈尊と同等以上でありたいと思ったのでしようね。その心根は見上げたものです。
ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-07-30 20:26:28

こんにちは。


☆唐に渡った空海が景教(キリスト教のネストリウス派)の聖書を漢訳しているインド人伝道者に出会い旧約聖書を譲り受けたと書いてありました。
◇こういう都市伝説がありますよね。
ですが、この都市伝説は誤っている。
都市伝説によれば、
最澄は旧約聖書を持ち帰り、
空海は旧約聖書と新約聖書を持ち帰った、
とされています。
このことを裏付ける碑文が、高野山のどこかにあるとかないとか(ニコニコ)。

まっ、空海が景教や拝火教(ゾロアスター教)の存在や、その教えのごく一部くらいを知っていても不思議ではないでしょうね。特に、ゾロアスター教ですが。
美女で有名な楊貴妃や、安禄山の乱を起こした安禄山は、ソグト系(ペルシャ系)で、
長安には結構、ペルシア系の人がいたらしく、
ゾロアスター教を知っていても、それほど、不思議なことではありませんよ。


☆そこでネット検索すると西暦803年に景教の洗礼名「遍照金剛」を受け、旧約聖書の漢訳を日本に持ち帰ったと書いてありました。
◇遍照金剛は、大日如来の密号ですよ。
これは、空海がお師匠の恵果から頂いたものです。
胎蔵界、金剛界のマンダラに花を投げたら、二度とも、その花が大日如来(遍照金剛)に落ちた。
お師匠さんの恵果は、これを見て、「不可思議、不可思議」と何度も呟いたそうです。
そして、この遍照金剛という灌頂名を頂いた。


☆戦国時代に来た宣教師は大日如来のことをデウスと英訳したとあります。
◇デウスを大日如来と訳したんですよ。
これは本当の話です。



☆大日如来が創造神のようだと以前から思っていたので、ある意味で納得でもありますが、
◇仏教においても、
この世界を創った神さまは、バラモン・ヒンズー教と同じで、梵天(ぼんてん・ブラフマン)です。
大日如来は、この世界の創造神ではありません。



で、
大日如来との関わり合いが言われているのは、
ゾロアスター教の《アフラ・マズダー》ですね。
どちらも《光》に関係する名前を持っているので、
同じ神さま、
もしくは、
ゾロアスター教の《アフラ・マズダー》がインドに入って、
大日如来、もしくは、毘廬舎那仏になったんじゃないか、
というゾロアスター教の学者や研究者がいます。
はっきり言って、取るに足りない学説です。

もし、関わり合いを云々するのならば、
ヴェーダのアスラ神族の親分、ヴィローチャナでしょうね。
 ヴィローチャナ vi-rocana
 毘廬舎那(ヴァイローチャナ) vai-rocana
 大日如来(マハー・ヴァイローチャナ) mahA-vai-rocana
名前、すごく、似ているでしょう。
ヴィローチャナは、太陽の神さまで、
この神さまは、キリスト教やユダヤ教の成立、ゾロアスター教の成立よりも、
ずっとずっと古くから存在する神さまです。

vai-rucanaを正確に中国語に訳すと、「遍く照らすもの」→「遍照」になります。
だから、
遍照金剛というのは、大日如来のことなんですよ。



で、
御疑問のすべてに答えておりますでしょうか。

投稿日時 - 2014-07-30 12:53:06

補足

>遍照金剛というのは、大日如来のことなんですよ。
それは知りませんでした。「南無大師遍照金剛」というお題目は「弘法大師と大日如来に帰依します」なのか「大日如来の化身である弘法大師に帰依します」のどちらなのですか。

投稿日時 - 2014-07-30 18:58:41

お礼

何でも良く知っていますね。空海も最澄もキリスト教のことを知っていたのですね。でも最澄にはその影響がないように思えます。大日は名前からして太陽神ですか。太陽神が仏を作った?
私は人間であった神様には関心があるのですが、太陽は物体であって神様とは思えないのです。地球上の万物の恵であることは認めています。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-07-30 19:24:22

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