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解決済みの質問

《空中の権能》とは 何でしょう?

 ▲ (エペソ書 2:1-2) ~~~~~~~~~~~
 1: さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

 2: この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ (あ) 《空中に勢力を持つ者》とは なんでしょう?

 (い) それが 《この世を支配する者》なのですか?

 (う) 《不従順な者たちの内に今も働く霊》というのは 単純に言えば《悪魔》だと思われますが そんなものが ほんとうにいるのですか?

 (え) このような《権能》が《霊》としてはたらき わたしたちは《死んでいた》のでしょうか?

 (お) いいえ。自分たちのそれぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?

 (か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?

投稿日時 - 2014-08-30 08:36:50

QNo.8735720

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

bragelonneさん こんばんは

ベストアンサーのお礼にbragelonneさんの哲学体系構築の一助として参考文献となればと思い投稿いたします。

現在の宇宙観にこびりついた現代人の私は、なんと斬新な考えだと思ってしまいますが、当時の古代ユダヤ教の考えでは空には、第1の天として空高く雲のあるところ、第2の天として星や天体が張り付いているところ、第3の天としていわゆる楽園があると考えられていたそううです。

コリント人への第二の手紙12章2節に出てくる「第3の天」という言葉を読んでいただけるとわかりますが、パウロもこのような宇宙観を持っていたと考えられます。

さて、ご質問ですが、この聖句の「この世を支配するもの(アイオーン)」は永遠の時の流れ、または、グノーシス神話(知識豊かなbragelonneさんはもうご存知と思いますが、もうパウロの時代からキリスト教の異端が生まれ使途行伝8章9節に出てくる魔術師シモンはグノーシス主義のシモン派を率いていたそうです。)の中では悪しき霊的存在を示すそうです。

「かの空中」とは天の最下層(おそらく第1の天ですか)でグノーシス神話の中では諸霊の勢力を持つ者(アルコーン)が住むとされていたそうです。

ですからサタンと捉えてもいいと思いますが、パウロにとってのこの使い回しはグノーシス主義をキリスト教の異端であるという意味合いが含まれているかもしれません。

回答(お)につきましては私も賛成です。神は人間を自由意志がないロボットとしてはいないと思います。

アダムとエバの話にしろ十戒にしろ神は「~してはならない」と断言命令してますが、これはもし神と人との間に愛と信頼の関係あるのなら、その文をすべて「~するはずがない」と置き換えも可能と思います。前提つきですが。

(か)はいかがでしょう。ヒットラーなどは悪魔に取り付かれたかもしれない。bragelonneさんは哲学体系が完成しても、まさか独裁者として君臨する野望はないと断言してください(笑)

しかし、子孫がbragelonne哲学体系を使い世界統一戦争をおっぱじめるかもしれませんよ。そうならないようにくれぐれもご注意ください。

以上参考文献でした。

投稿日時 - 2014-08-30 18:37:55

補足

 《第三の天》など《天》をめぐる宇宙観について 次の質問と回答を見つけました。いくぶん神にかかわらせたオシエというその中身に近い解釈ではないかと思いますが ここに掲げておきます。

 【Q:聖書の記事について質問です。】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7724767.html


 ◆ (回答No.2:第一の天から第三の天までについて) ~~~~
 第一の天とは、物質的な天、大空または宇宙。

 第二の天は 霊的な天使たちの住む領域。そして、

 第三の天、つまり「天の天」とは、全能の神の王座のあるところ、

 ということができます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 《天使の住む・第二の天》に どうも《悪霊ないし 堕天使でしょうか悪魔》なるチカラがはたらくと見られているのでしょうか? エペソ書6:12に《天にいる悪の諸霊》とあるようです。

 ◆ (同上:空中の権能について) ~~~~~~~
 ヤコブ(イスラエル)も天使と格闘してついには勝ちましたが、「腿の関節、つまり腰の筋」を打たれて謙遜にさせられました。(創世記27:24-32)

 それに対応して、クリスチャンは悪魔(ヤコブの時の天使に対応)と格闘しなければなりません。

  「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 」

 とエフェソス6:10-18にあります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

投稿日時 - 2014-09-01 12:21:48

お礼

 まづ聖書のくだりの確認です。

 ▼ (コリント後書12:2-4) ~~~~~~~~
 2: わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。  
 3: わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。
 4: 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 確かに 《第三の天》と《楽園》が出て来ますね。

 
 あめんほてぷ2000さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。



 ★ 「この世を支配するもの(アイオーン)」は永遠の時の流れ
 ★ 諸霊の勢力を持つ者(アルコーン)
 ☆ これらは 確かに使われていますね。

 ▲ (エペソ書 2:2) ~~~~~~~~~~~

 κατὰ  τὸν  αἰῶνα(<アイオーン)  τοῦ  κόσμου  τούτου
 = according to the course of this world,
 = この世を支配する者に従い

 κατὰ  τὸν  ἄρχοντα(<アルコーン)  τῆς  ἐξουσίας  τοῦ  ἀέρος
 = according to the prince of the power of the air
 = かの空中に勢力を持つ者に従い

 〔 κατὰ  τὸν  ἄρχοντα(<アルコーン) 〕 τοῦ  πνεύματος
 = 〔 according to the prince of 〕 the spirit
 = 霊〔の支配者〕に従い

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 ★ グノーシス神話((中略)・・・もうパウロの時代からキリスト教の異端が生まれ使途行伝8章9節に出てくる魔術師シモンはグノーシス主義のシモン派を率いていたそうです。)
 ☆ ということは この《悪魔≒空中の権能》とは グノーシス主義ですからけっきょく思考と想像の産物として現われたものだ。ということでしょうか?
 
 偶像の神 思念ないし観念としての神だということでしょうか。

 いや あるいは グノーシス主義は 二元論ですね。それも 関係していましょうか。



 ふむ。ただ 信仰の道をはづすという場合は グノーシス主義のごとく理念志向によるだけではないとは思われます。善神と悪神との二元論によるマチガイだけではないかも知れません。






 ☆☆ (趣旨説明欄)(お) いいえ。自分たちのそれぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?
 ★ 回答(お)につきましては私も賛成です。神は人間を自由意志がないロボットとしてはいないと思います。

 そして
 ★ アダムとエバの話にしろ十戒にしろ神は「~してはならない」と断言命令してますが、これはもし神と人との間に愛と信頼の関係あるのなら、その文をすべて「~するはずがない」と置き換えも可能と思います。前提つきですが。
 ☆ これは そういった解説がついていますね。必ずしもオシエないし規範なのではないという見方です。律法ないし法律ではなく アブラハムの信仰に立って その信仰によってあゆむというかたち。信仰の道をあゆむ者には 《ころすという行為をするようになることはない》といったように。



 ☆☆ (趣旨説明欄) (か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?
 ★ (か)はいかがでしょう。ヒットラーなどは悪魔に取り付かれたかもしれない。bragelonneさんは哲学体系が完成しても、まさか独裁者として君臨する野望はないと断言してください(笑)
 ☆ 独裁者を放っておくような人びとからもし仮りに支持を受けても うれしくない。でしょうね。

 ★ しかし、子孫がbragelonne哲学体系を使い世界統一戦争をおっぱじめるかもしれませんよ。そうならないようにくれぐれもご注意ください。
 ☆ 悪魔に取り憑かれることがないということが分かって来たなら ひょっとして人間の知恵と能力と努力とで 競争が始まるかも知れませんね。互いに自由な批判を もろに・余すところなく おこないきるようになるかも分かりません。

 経験合理性にもとづく推論が行き着くところまで 議論をつらぬきとおすようになるかも分かりません。

 議論戦争が始まるかも分かりません。
 

投稿日時 - 2014-08-30 22:15:31

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回答(16)

ANo.16

「お礼」ありがたうございます。このあたりで最終にします。

>>ひょっとして 文法からすると 破格なのでは?

現代西洋語の感覚からすれば「破格」ですね。日本語だつて同じく「破格」です。
解釈上の前置詞は何でもいいのですが、アガペー「について」の説明をしますよ、といふことが伝はればよいのではないでせうか。ヘブライ語のアシェルも同じ感覚です。

「明晰でないものはフランス語ではない。」

といふ有名な言葉がありますが、不明晰な言語として一番に挙げられてゐたのがラテン語だつたと記憶してゐます。(違ふかもしれません。)現代語の感覚では、古典語の理解は無理です。これは外国語カテゴリでも苦労します。

もしかすると、私の感覚がまちがつてゐるのかもしれませんけれど。

>>オールスターズの件 やっぱしダメでしたね。
>>サポートは このサイトを目の敵にしているみたいな。・・・

ねこさんには申し訳ないことをしました。回答者のみなさんにも。少なくとも、盗用事件の記述に関しては、徹底削除の方針のやうです。私としては、臭いものには蓋ではなく、利用者に注意を促す必要があると考へてゐます。

ご迷惑をおかけして、すみませんでした。

投稿日時 - 2014-08-31 19:05:55

補足

 今回は 考えさせられましたし それぞれの点でみなさんにお世話になりました。

  BA には 文字通りに《空中の権能》を問題としてあらたに継ぐように促してくれたあめんほてぷ2000氏のご回答を えらびました。

 よろしかったら あらためておつき合いください。

投稿日時 - 2014-09-01 13:03:07

お礼

 たぶん めでたし めでたし。でしょうか。

 オールスターズは 残念ですが よりよい道筋を問い求めて行けばよいという考えに落ち着きます。つまりは そのオールスターズの件にしても トライアゲンになるかも知れないという意味において。


 ご回答をありがとうございます。



 あっ。もう一点ですが わたしにとって悪魔論はかなり進めて来ています。ですので 理論もかなり得て来ています。この質問の問題点は 《空中の権能》というその言い回しにありました。何でそういうふうに言うのか?


 これは あめんほてぷさん2000さんが 取り上げてくれました。第一から第三までの天があるといった宇宙観にもとづき この空中の権能が出て来ているのではないかという解説です。

 悪魔だとすると へびの印象があります。へびが 空中のチカラであり支配者であるという感覚が いまひとつ分かりにくい嫌いはありますが まづはそういった世界観にかかわっているという捉え方だと思います。


 
 《へび》の理論 これを掲げておきましょうか?

投稿日時 - 2014-08-31 19:19:52

ANo.15

「お礼」拝見いたしました。

>>ということは わたしの説の勝ちになりますよ。

bragelonneさんの勝ちです。

>>その思考や想像をおこなうという意志の自由を
>>他人がどうこうするわけには行かない。

結局わからないので、否定もできません。

実際上は、bragelonneさんの考へでゆくことになります。

>>エーガペーセン(神が愛した)の対格語は 
>>ヘーマス(われわれを)とそしてこのヘーン(アガペーなる愛を)
>>という二重のかたちになる。

無理に西洋現代語で解釈するから複雑になるだけで、ふつうに読めば、アガペーの内容を解説してゐるだけの文です。あへて西洋現代語訳すれば、前置詞をつけた訳になると思ひますが、余計な道具を使ふ必要はないと思ひます。

投稿日時 - 2014-08-31 17:34:58

お礼

 ★ あへて西洋現代語訳すれば、前置詞をつけた訳になると思ひますが、余計な道具を使ふ必要はないと思ひます。
 ☆ そうなんですか。そういう認識はありませんでした。

 ふううむ。だから いくつかの訳し方が出て来るということでしょうか。
 つまり

 ・ through the great love with which he loved us (New Jerusalem Bible)

 のごとく前置詞をつけたかたちに採る。これなどは ディアを through としているのですから with ではなくて やはり同じ through which とすれば 解釈にとっては分かりやすい。こういうことでしょうか?

 ・ through his great love that he loved us (A Conservative Version)

 これなどは 前置詞をつけるのを嫌ってのように いっそのこと名詞節にしてしまえというような解釈なのでしょうか。


 ・ because of the great love he had for us (New American Bible)

 これになると 《愛でわれわれを愛した(ディア ヘーン(アガペーン) エーガペーセン へーマス)》の主格‐対格( S = ホ テオス - V = ヘーマス )のかたちさえを変えてしまった。やはり前置詞無しの関係節をつくろうとした。
 次の訳文も 同じようです。

 ・ because of the intense love which He bestowed on us (Weymouth)


 ふうーう。こんなカラクリがあったとは。
 でも ひょっとして 文法からすると 破格なのでは? 文法じょう認められているということでしたが これは 破格を大目に見た受容なのではないですか?



 ご回答をありがとうございます。

 オールスターズの件 やっぱしダメでしたね。サポートは このサイトを目の敵にしているみたいな。・・・

投稿日時 - 2014-08-31 17:50:33

ANo.14

「お礼」ありがたうございました。

>>大きな出来事または事件を悪魔の所為にするという安易な心理としての飛びつき
>>――つまりそれは たいていは責任のがれ――に走ってしまうクセです。

これは、ご指摘のとほりだと思ひます。さういふ状況はたしかに有害です。

《空中の権能》には、高度なステルス機能が備はつてゐて、レーダー誘導地対空ミサイルでは撃墜できないのが難点です。電波系のbragelonneさんでは、捕捉不能です。

>>悪名高いローマ教会のオシエにあっても

宗教の組織化には恐ろしい面があります。個個の人たちを否定するわけではありませんが。

>>どんでん返しが成った。理論じょう成った。

まだ理論上ですね。実現はしてゐません。

>>いのちの貴びと生きることとをないがしろにする思想および行動については 
>>善を損ない傷つけることとして はっきり《悪》だと判定してよい。

たしかにそこまでいつてしまふと、問題です。

何事も話しあひは必要かと思ひます。例の盗用事件もさうなのですが、対話に応じてくれないことがいちばん困ります。

>>新学期突入前短期集中特別講座をありがとうございます。

私のほうが教へていただいてゐます。文法は嫌ひです。本を読むだけで充分です。先日、文献から用例を挙げることを羨ましいと書いてくださつた方がいらつしやるのですが、読んだ本から実例を説明するのがいちばん普通の態度だと思ひます。

>>ヘーンは 関係代名詞として 
>>むしろアガペーン( love )を承けています。

語順がさうなつてゐますので、bragelonneさんの見方が正確ですね。

前置詞は、現代西洋語の視点でせう。おほらかな古典語には不要です。アガペーの内容を説明してゐるだけです。印欧古典語は日本語の融通無碍に通じるところがあるのが、私にとつての魅力です。外国語カテの質問者さんのなかにも、現代語の得意な人ほど、そのあたりの事情をのみこめない場合があり、話がむづかしくなります。

投稿日時 - 2014-08-31 13:32:58

お礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ 《空中の権能》には、高度なステルス機能が備はつてゐて、レーダー誘導地対空ミサイルでは撃墜できないのが難点です。電波系のbragelonneさんでは、捕捉不能です。
 ☆ ということは わたしの説の勝ちになりますよ。

 つまり この権能は 空中に人間が描いた像であってこれをアイドルにして 自分の行動をそのアイドルの意志に従うものであると決めるようになっているということ。

 つまりは 人間の思考と想像の産物であって その思考や想像をおこなうという意志の自由を 他人がどうこうするわけには行かない。つまり さすが電波系の頭脳を持ってしても 《捕捉不能》であるということになります。







 ★ 前置詞は、現代西洋語の視点でせう。おほらかな古典語には不要です。
 ☆ ふうーむ。だとしたら エーガペーセン(神が愛した)の対格語は ヘーマス(われわれを)とそしてこのヘーン(アガペーなる愛を)という二重のかたちになる。
 したがってたとえば:

 ・ because of the intense love which He bestowed on us (Weymouth)

 というような意味の取り方になりましょうか? へーマス(われわれを)を  on us (われわれに)に変えて捉えています。
 あるいは別様に:

 ・ through his great love that he loved us (A Conservative Version)

 というように《 ヘーン エーガペーセン へーマス 》をひとつの名詞節(≒ that he loved )として見ている。



 ますますわっかんないなぁ。外国語カテでたずねますよ?

投稿日時 - 2014-08-31 14:09:30

ANo.13

「お礼」ありがたうございます。
お役に立てない回答ばかりで、申し訳ございません。

>>《文学》と《哲学》とのあいだに何かの領域があるというのはピンと来ません。

私もわかりません。書いてあるのですから、いつたんは、そのとほり受けいれればよいのではないかと、自分では思つてゐます。幽霊とかUFOとか遊郭とか誘導尋問とか優秀回答者とか、ユーがつくものは怪しいものだらけです。否定することはできませんから、害がないなら、いやむしろ、信じることで幸せならそれでいいのではないでせうか。

>>だとしますと それは 相対的なチカラしか持っていません。

ほかの回答者のみなさんもおつしやるとほり、人間には自由意志がある、それが原則です。

初めの回答番号2に書きましたが、善悪の二項対立を人間が簡単に決定してしまふのは、おそろしいことだと思つてゐます。他者の価値観を認めず、「悪」だと判断することこそが戦争への道ではないでせうか。

>>《ヘーン》は 対格なのですよね? 
>>でも エーガペーセン(神が愛した)の対格は 
>>《ヘーマス(われわれを)》がありますから・・・
>>あっ 二重対格語のようなかたちなんでしょうか? 
>>《ディア》が ひとつ抜けているのですか? 
>>なくても合法(合文法)なのですか?

関係代名詞が名詞を修飾してゐるだけです。グッドウィン希語文法第421条第4項に適合し、合法です。関係代名詞の対格は、形容詞と同じく名詞の対格に合せてゐます。二重対格といふわけではありません。もし対格アガペーンが属格アガペースであれば、関係代名詞も属格ヘースになります。

投稿日時 - 2014-08-31 08:25:25

お礼

 あははははっ。よく集めましたね。
 ★ 幽霊とかUFOとか遊郭とか誘導尋問とか優秀回答者とか、ユーがつくものは怪しいものだらけです。

 お早うございます。けさは 寝坊すると思っていたのが あんがい早く起きました。
 ご回答をありがとうございます。


 ただし:
 ★ 否定することはできませんから、害がないなら、いやむしろ、信じることで幸せならそれでいいのではないでせうか。
 ☆ 《害》は あります。それは ムイシキが出て来て 何もかもそれの所為にする風潮が出来てしまったように それほどでなくても やはり大きな出来事または事件を悪魔の所為にするという安易な心理としての飛びつき――つまりそれは たいていは責任のがれ――に走ってしまうクセです。

 悪魔がおれに命じたんだ。だから やった。というような言い訳が用意されているとしたら これは ゆゆしき問題です。自由意志をないがしろにする人間放棄に到ります。

 だって 悪名高いローマ教会のオシエにあっても 《キリスト・イエスは じんるいの罪またさらにはその根源としての原罪をあがなった》と言っているのですから もう罪へと人が へび≒悪魔≒空中の権能によってみちびかれることはなくなった。――こう言っていなくては ウソです。

 へびの時代から 子どもたちがライオンや蝮といっしょにあそんでいてもだいじょうぶの時代へと どんでん返しが成った。理論じょう成った。うんぬん。




 ★ ほかの回答者のみなさんもおつしやるとほり、人間には自由意志がある、それが原則です。
 ☆ ええ。

 ★ 初めの回答番号2に書きましたが、善悪の二項対立を人間が簡単に決定してしまふのは、おそろしいことだと思つてゐます。他者の価値観を認めず、「悪」だと判断することこそが戦争への道ではないでせうか。
 ☆ これは これも 大問題であり欠かせぬ論点を成します。(断定口調に成って来ました)。

 (1) すなわち 煮詰めた議論として言えば 善悪観は 主観の問題であり 善とは ヤマシサ反応にさからわない心の保持だと見ます。さからう意志は 善の損傷となり 善の欠け・すなわち悪となります。

 (2) すなわち ヤマシサ反応そのことは 誰にも共通であるとしても その具体的な現われ方・いえ つまり反応への反応の仕方 これは 人それぞれです。よって 主観ごとに 善観が出来て来ると考えられます。

 (3) おそらく すべての人に共通の――ほとんどただ一つの――善は 《いのち・存在》でありそのとうとさ・また生きること・そして 共に生きることを指すものと考えられます。(存在の中核は 意志です。自由意志です)。(人権じゅうりんというのは 意志を踏みにじることです。外傷もありますが 意志を無視するのが 人権侵害です)。

 (4) 生きることとその互いのとうとび・ゆえに共生 これを善の物指しとしてもよいと考えます。(どうせ 緊急避難などの条件がつけられるのですし)。

 (5) あとは議論を端折りますが 言いたいことは もし
 ★ 他者の価値観を認めず、「悪」だと判断することこそが戦争への道ではないでせうか。
 ☆ という主張に対してなら こう答えます。:

 ○ いのちの貴びと生きることとをないがしろにする思想および行動については 善を損ない傷つけることとして はっきり《悪》だと判定してよい。もしそうしないなら 初めから 人殺しとしての戦争を肯定していることになる。





 新学期突入前短期集中特別講座をありがとうございます。

 ★ グッドウィン希語文法第421条第4項に適合し、合法です。
 ☆ 高津春繁の本で勉強しました。参照できなくて残念です。

 ですが
 ★ 関係代名詞が名詞を修飾してゐるだけです。
 ☆ 関係代名詞というのでしたら 何の代わりなのですか? どの語を承けた関係代名詞なのですか?

 あるいはひょっとして

 ○ ヘーンは 《そのゆたかな愛によって( ディア テーン ポレーン アガペーン)》なる語句を繰り返し示すためにある。

 のでしょうか? 


 いえいえ。

 ・ through the great love with which he loved us (New Jerusalem Bible)

 この場合は ヘーンは 関係代名詞として むしろアガペーン( love )を承けています。《修飾している》わけではありません。そして この見方をするなら 《ディア ヘーン( with which )》というように前置詞が必要なのではないのでしょうか?

投稿日時 - 2014-08-31 11:37:24

ANo.12

コメント有難うございました。私のようなものの回答がきついツッコミになるとは思いもよりませんでした。
モーセの律法やそれ以前のことについては、浅学にして何も申し上げられません。ただ、

>したがって 《よからぬことを、よきことと思わせる教えのもとに暮らしていた》としても それは―― 一時期の一部の人びとないし地域で自由意志の自覚がとぼしくなっていたとしても―― やはりすでに感性が よきこと・よからぬことの判定をヤマシサ反応としておしえているのではないかと考えます。

という点については少し引っかかります。感性は、生まれつきそなわっているものではなく、育てられるものと考えます。感性が育っていない人に、ヤマシサ反応を期待できるでしょうか。それと同じ論理で、遠藤周作の言う「どうにもならない悪」というのも、以前から引っかかっています。昔インタビューで聞いたのですが、遠藤周作の考える悪とは、こういうことだそうです。「キリストが磔になった時、多くの人が石を投げつけた。最初は投げていなかった人も、周りの人がやるのを見て、一つ投げてみたところ、たまたま命中したので、面白くなって投げ続けた。そういう、どうしようもない悪というものがあるのではないか。」そんな内容だったような気がします。そういう「悪」を描くのが、遠藤周作のテーマだったのでしょう。しかし、これは本当に「悪」なのでしょうか。私がそれを疑問に思うきっかけになったことがありました。
オーストリアに留学中、国営放送のFMで、オーストリアの作家、アルベルト・ドラッハ(Albert Drach)のインタビューを聞いたことがあります。この人はユダヤ系だったため、大戦中はあちこちに逃げていたようです。頭の良い人で、1942年に逮捕され収容所に送られたとき、生年月日の下に記載されていたIKGという略号、つまり「Israelitische Kultusgemeinde」を「in katholischem Glauben」と翻訳させて、釈放されました。この作家が、「ユダヤ人を収容所へ送ったのは悪ではない、官僚主義だ」と言っておりました。つまり、役人は上からの命令に従ってサインするだけ、ということです。これをドラッハは、「愚かさ」とよび、そのあとに続けて、「この世で最も困るものは、愚かさだ、悪というのは、愚かさのひとつの形式に過ぎない」と話していました。この言葉が大変印象に残っております。「悪魔」を「悪」の比喩としてとらえるならば、「悪魔」というのは、愚かさゆえに自分自身で作り出した幻影、ということにならないでしょうか。自らが作り上げたものであるがゆえに、悪魔だとは思わない、そして「あらがい難い圧倒的なチカラをもってアヤマチへと誘導」します。
このところ、世の中で何かが起きると、マスコミは必ず善悪を演出します。これは大衆受けしますので、多くの人がそれによって問題が解決すると錯覚します。しかし、そんなことばかりしているので、笹井氏のような犠牲者が出ます。悪魔は実在せず、その実態は「愚かさ」にあるということが理解できなければ、本当の解決にはならないと思っています。事件の当事者もマスコミも愚かです。ただ、これがモーセの時代の律法の話と関連させることができるかどうかを論じるのは、私の能力外のことになりますので、どうか御勘弁ください。

投稿日時 - 2014-08-30 23:49:55

お礼

 あらためまして こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ★ 感性は、生まれつきそなわっているものではなく、育てられるものと考えます。感性が育っていない人に、ヤマシサ反応を期待できるでしょうか。
 ☆ うむ。そうですね。幼児や子どものときのことを詳しく知らないのですが あのお ヤマシサ反応というのは あれですよ。つまり ウソをつこうとすると胸のドキドキが激しくなったり 顔が赤くなり言葉がろくにしゃべれなくなったりする心や身の変化です。

 つまり ウソ・イツハリを言ったりおこなったりするときには 誰でも生まれつきの自然本性としてこの反応が起きると思って ヤマシサ反応というふうに言って来ました。どうなんですかね。この反応が起こらない人がいましょうか。とは思います。




 ★ それと同じ論理で、遠藤周作の言う「どうにもならない悪」というのも、以前から引っかかっています。
 ☆ これも ふむというふうにまづ受け留めまして。つまり よく知らないのですが これは 模倣欲望ですとか 集団心理のようなことではないのでしょうかね。

 どちらかと言うと あとに出て来る《おろかさ》なのかも知れないとは思いました。《官僚主義》も 前例に従うといったように或る種の模倣というかたちにおいて成っているとすればです。




 ★ この作家が、「ユダヤ人を収容所へ送ったのは悪ではない、官僚主義だ」と言っておりました。つまり、役人は上からの命令に従ってサインするだけ、ということです。これをドラッハは、「愚かさ」とよび、そのあとに続けて、「この世で最も困るものは、愚かさだ、悪というのは、愚かさのひとつの形式に過ぎない」と話していました。
 ☆ ううーん。あまり考えたことのない見方・考え方なんですが もし逆の見方をしてみるのも 話がすすむのだとしますと 《おろか》な場合は ひとつの場合として《知らなかった》ということも起きますね。

 つまり わるいとは知らなかったという場合であり それは 善意であると見なされる場合もある。悪を為したことには変わりはないわけですが。

 でも殺害につながるコトについては このような善意は ないでしょうね。

 ★ 「ユダヤ人を収容所へ送ったのは悪ではない、官僚主義だ」
 ☆ アーレントという人は ふつうの市民の感覚や生き方から そのような民族の殺害などという行為の実行が起きたのだとか言ったそうですね。

 いま いろいろと反対の見方から考えることを試みているのですが
 ★ 悪というのは、愚かさのひとつの形式に過ぎない
 ☆ そうですね。ユダヤ人が捕らえられ収容所に送られるというとき そこで何をされるのかを知らない場合は それでも認めの判子を押すと思うのです。と考えるのは 浅はかでしょうか。



 ★ 「悪魔」を「悪」の比喩としてとらえるならば、「悪魔」というのは、愚かさゆえに自分自身で作り出した幻影、ということにならないでしょうか。自らが作り上げたものであるがゆえに、悪魔だとは思わない、そして「あらがい難い圧倒的なチカラをもってアヤマチへと誘導」します。
 ☆ つまり これまで逆の見方を試みましたが ここでなお往生際わるく自説にこだわるならば こうです。
 すなわち もし収容所へ送られそこでは けっきょくガス室で《処分》されるのだと知ったとしたら そのときには 自分がそのことに直接に加担するのでなくても 一度はヤマシサ反応を起こすと思うのです。

 この反応にさからう自由度が 人間にはあるとも言って来ましたし あるいはそのような強行突破が重なると感性も麻痺してしまい 反応を起こさなくなるかも知れないとも いま考えます。



 ★ 「悪魔」を「悪」の比喩としてとらえるならば、「悪魔」というのは、愚かさゆえに自分自身で作り出した幻影、ということにならないでしょうか。
 ☆ この見解は 《悪魔とは 思考や想像の産物である》というわたしの立ち場にとって 裏づけをしてくれているような内容なのですが たぶん発想のみなもとは ちがっているのでしょう。

 だからなのでしょうか この《愚かさ》をめぐっても もし端的に《人殺し》の要素があるとするなら それを実行するというときに やはりヤマシサ反応は起きる。とは推測します。

 起こることは 例外なくです。その反応にしたがって やましいことを避けるか・それともやましいことでも 敢えておこなうか。この選択は 人それぞれである。とは 考えます。




 どうも読み直してみて 直接にお応えし得ていないように思えています。どこか発想が異なるところがあるような感じを持ちます。感覚において わたしのそれは 粗いのかも知れません。


 それでも
 ★ 悪魔は実在せず、その実態は「愚かさ」にあるということが理解できなければ、本当の解決にはならないと思っています。
 ☆ という悪魔観は 同じような・しかも扱い方で別であるような。ちょっとお手上げかも知れません。

 ひとつ見方が異なるという事例が 分かりました。つまりそれは
 ★ 笹井氏のような犠牲者が出ます。
 ☆ この犠牲は 笹井氏がみづから招いたものであるか それともみづからにアヤマチはない場合には 世間の波風に飲まれてしまうほど弱かったかだとわたしは考えていますから。

 つまり 何も自死をえらぶことはない。まったくない。何があってもである。という見方です。
 自死も 人殺しですから ヤマシサ反応が起きたはずです。こういう見方をしています。

 というところから見るなら Tastenkasten さんとわたしとは どうも繊細さの点で違いが現われて来ているのではないかとは 思いました。

 こういうときは ぷらぽた氏が ことの実態を解き明かしてくれるのではないでしょうか。

投稿日時 - 2014-08-31 01:31:45

ANo.11

回答が多くて、お相手がたいへんさうですね。

>>どういう思考のあり方であるのかが 分かりません。

私もわかりません。
STAP細胞のやうに科学の世界では、証明できないならば、ない、とされますが、宗教の世界では、証明できないからといつて否定はできません。書いてある以上は、素直に読めばいいのではないかと思ひます。反論は当然あるでせうけれど。

回答番号8の「お礼」にまたギリシャ語の話がありましたが、回答番号10にも書きました。関係代名詞が、女性単数対格なのですから、アガペーンだけにかかる、といふのが自然だと思ひます。和歌の解釈でしたら、さういふ重層的な読みもおもしろいのですけれど。

>>《空中の権能》とは 何でしょう?

完全に制してゐるわけではありませんから、「制空権」ではなく、「航空優勢」のレベルと思はれます。

投稿日時 - 2014-08-30 21:56:18

お礼

 こちらから先に応答いたします。ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
   >>どういう思考のあり方であるのかが 分かりません。

 私もわかりません。
 STAP細胞のやうに科学の世界では、証明できないならば、ない、とされますが、宗教の世界では、証明できないからといつて否定はできません。書いてある以上は、素直に読めばいいのではないかと思ひます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ぷらぽたさんは 《素直》過ぎます。
 
 つまり まだなお 《文学》と《哲学》とのあいだに何かの領域があるというのは ピンと来ません。
 シュウキョウは オシエとしては 哲学です。その中で タトエとしては 文学です。

 信仰としては――非思考の庭にかんしては―― 経験思想や経験科学を超えています。





 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
  >>《空中の権能》とは 何でしょう?

 完全に制してゐるわけではありませんから、「制空権」ではなく、「航空優勢」のレベルと思はれます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ だとしますと それは 相対的なチカラしか持っていません。
 
 あらがい難い圧倒的なチカラをもってアヤマチへと誘導するというような悪魔ではない。のですね?








 ★ 関係代名詞が、女性単数対格なのですから、アガペーンだけにかかる、といふのが自然だと思ひます。
 ☆ ぷらぽたさんは 《自然》過ぎます。物差しが欲しいです。

 《ディア》が ひとつ抜けているのですか? なくても合法(合文法)なのですか?

投稿日時 - 2014-08-30 22:27:20

ANo.10

回答番号6「お礼」拝見いたしました。

>>主語は ホ テオス= 神が。
>>述語は エーガペーセン= 愛した。
>>および シュネゾーオポイエーセン=生かした。

文が長いので、ややこしいのは確かです。

>>《そのゆたかな愛によって( ディア テーン ポレーン アガペーン)》
>>だけで済むようにしか考えつかないのですが?・・・

そのとほりだと思ひます。アガペーについてアガパオーするといふのは、馬から落ちて落馬するのと同種ですが、ギリシャ語やヘブライ語ではめづらしくないやうな気がしますし、だからこそ、そちらにしか、かからないのではないでせうか。

投稿日時 - 2014-08-30 21:37:42

お礼

 ★ そのとほりだと思ひます。
 ☆ そうなんですか?


 ご回答をありがとうございます。



 ★ アガペーについてアガパオーするといふのは、馬から落ちて落馬するのと同種ですが、ギリシャ語やヘブライ語ではめづらしくないやうな気がしますし、だからこそ、そちらにしか、かからないのではないでせうか。
 ☆ ううーん。やっぱし むつかしい。

 《ヘーン》は 対格なのですよね? でも エーガペーセン(神が愛した)の対格は 《ヘーマス(われわれを)》がありますから・・・あっ 二重対格語のようなかたちなんでしょうか? 

 


 あぁ。なんだかなぁ。


 でも お教え ありがとうございます。

投稿日時 - 2014-08-30 22:47:41

☆さて 空中の権能とは 何でしょう?
◇テキストとしての流れからすれば、
《肉(欲)》を求めるハタラキや心の有り様となるのでしょうか。

でも、分からないですね、
「the air」という言葉が(従順や善性などの)欠乏や空虚といった意味を表わしているのかもしれないので。



☆もし悪魔だとして それは 実態があるのでしょうか?
◇現われとしての心やそのハタラキとしてならばある。
しかし、それは実体的な存在ではない、と考えるべきなのでしょうね。


で、
the ruler of the spiritのspiritも霊や聖霊といったものと考えるべきではない、
と思います。

投稿日時 - 2014-08-30 21:33:53

お礼

 あらためまして こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ◇ 「the air」という言葉が(従順や善性などの)欠乏や空虚といった意味を表わしているのかもしれない
 ☆ これは 《善の欠如 ないし 善の損傷》として 善のマイナス つまり悪のことですね。

 ◇ テキストとしての流れからすれば、 / 《肉(欲)》を求めるハタラキや心の有り様となるのでしょうか。
 ☆ その《ハタラキや心の有り様》は 人びとにはあらがい難い圧倒的な・または得も言われぬほど魅力的なチカラを持つものか? でさらに中身がはっきりするように思います。

 もし《霊》と言っているのなら それは つまり経験事象を超えていると考えられるからには 人間の知恵と能力と努力を超えていると思われます。


 ただしこの《霊》という規定も 必ずしも神としての霊のことではないかも知れません。

 
 あっ 書いてありましたね。
 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 で、
 the ruler of the spiritのspiritも霊や聖霊といったものと考えるべきではない、
 と思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~





 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆ もし悪魔だとして それは 実態があるのでしょうか?
  ◇ 現われとしての心やそのハタラキとしてならばある。
 しかし、それは実体的な存在ではない、と考えるべきなのでしょうね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ここは 意見が一致しました。ただしその実態は 悪魔という表現をつかっているだけではないかとは思っています。

投稿日時 - 2014-08-30 22:39:38

回答が遅くなりました。最近はさまざまな宗教議論への参加者がふえてきて、好ましく感じてゐます。特に佛教については、回答者がねこさんだけのときが多く、心配してゐたものですから。

>>《存在として》という概念そのものが 一大事ではないでしょうか?
>>悪魔のことについてですよ?

作曲家の先生がおつしやるとほり、書いてあるとほりです。

たしかに文学的問題ならば、すんなり認めればすむことです。現実には、否定はできません。比較すると叱られるかもしれませんが、STAP細胞よりも、可能性があるやうな気がします。

さきほどの関係代名詞の件ですが、何かあつたのでせうか。文法の説明など、bragelonneさんには不要と思ひますけれど。

for his great love wherewith he loved us (American Standard Version)
through his great love that he loved us (A Conservative Version)
through the great love with which he loved us (New Jerusalem Bible)
because of the great love he had for us (New American Bible)
because of the intense love which He bestowed on us (Weymouth)

投稿日時 - 2014-08-30 20:58:23

お礼

 ★ 作曲家の先生がおつしやるとほり、書いてあるとほりです。
 ◆(回答No.4) (か)「悪魔などは 屁の河童である」- 悪魔であることに気付いていなければ、そう叫ぶことはできませんね。
 ☆ これですか?


 まづは ご回答をありがとうございます。

 
 でも 人が《悪魔に気づいていなければ》 やはり悪魔は 現実ではないですね。虚構の世界でしか現われない。となるのではないでしょうか?


 ★ たしかに文学的問題ならば、すんなり認めればすむことです。現実には、否定はできません。
 ☆ は 大いに分かるのですが
 ★ 比較すると叱られるかもしれませんが、STAP細胞よりも、可能性があるやうな気がします。
 ☆ は どういう思考のあり方であるのかが 分かりません。つまり 自説にかたくなになっているように見えるのでしょうが そうではなく 決してそうではなく 飲み込めないのです。

 《実体》であるとか《存在》であるとかのカテゴリには 悪魔は 入らない。という捉え方のほかに どういう定義や認識の仕方があるのか? これが 分かりません。

 文学については 分かります。






 ▽ through the great love with which he loved us (New Jerusalem Bible)
 ☆ だとしますと

  2:4  διὰ  τὴν  πολλὴν  ἀγάπην  αὐτοῦ  〔 διὰ 〕 ἣν  ἠγάπησεν  ἡμᾶς

 のように もうひとつ ディアが必要なのではないのでしょうか? よろしくお願いします。つまり そうなると ディア・・・・・・アウトゥー(そのゆたかな愛によって)なる語句は 2:5 のほうの 《シュネゾーオポイエーセン=生かした》にかかることになるという寸法です。
 
 なんだかなぁ。

投稿日時 - 2014-08-30 21:33:41

ちよつと外出してきます。帰り次第、回答いたします。

さきほど、ホロコーストのギリシャ語の回答をしてきたばかりですので、ついでに一点のみ。

>>この《 ヘーン 》って何ですか? 関係詞ですか? 

外国語カテでも、文法の説明はめんどくさいので、ほとんどしてゐません。ここだけ特別です。関係代名詞の女性単数対格ですね。アガペーンにかかります。男性単数主格は「ホス」。

投稿日時 - 2014-08-30 18:15:09

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ アガペーンにかかります。
 ☆ かかっても むしろ要らないとしか思えないんですけれど?・・・
 

 ▼ Eph 2:4  But God, who is rich in mercy, for his great love wherewith he loved us,
  2:5 Even when we were dead in sins, hath quickened us together with Christ, (by grace ye are saved;)

 ▲  ~~~~~~~~~~~~~~~
 2:4   ὁ  δὲ  θεὸς  πλούσιος  ὢν  ἐν  ἐλέει  διὰ  τὴν  πολλὴν  ἀγάπην  αὐτοῦ  ἣν  ἠγάπησεν  ἡμᾶς

 2:5 καὶ  ὄντας  ἡμᾶς  νεκροὺς  τοῖς  παραπτώμασιν  συνεζωοποίησεν  τῷ  Χριστῷ  χάριτί  ἐστε  σεσῳσμένοι
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 主語は ホ テオス= 神が。
 述語は エーガペーセン= 愛した。および シュネゾーオポイエーセン=生かした。

 2:5 は いまのヘーンなる語が そこへも関係するのかなと思って出したのですが けっきょく 《そのゆたかな愛によって( ディア テーン ポレーン アガペーン)》だけで済むようにしか考えつかないのですが?・・・

 お手上げです。なお おしえてください。

投稿日時 - 2014-08-30 21:15:25

「お礼」ありがたうございました。

>>《サタンの支配》というのは 単なるタトエであって
>>じつは 単純に人間の自由意志の――おのれにさからう場合の――
>>自由度とそれを駆使したときの心の状態 これを言うのではないでしょうか?

私はそこまでは断言できません。存在として認めてもよいのではないか、とも思ひます。ただし、一人の人間として聖書を読み、みづからへの戒めとしての価値を見出すならば、bragelonneさんのお考へに賛成です。私はさういふ立場です。

投稿日時 - 2014-08-30 16:06:42

お礼

 ★ 〔* 悪魔 あるいは サタンの支配について〕 存在として認めてもよいのではないか、とも思ひます。
 ☆ ここが 重大な問題点であると思うのです。

 つづきましてのご回答をありがとうございます。


 つまり 《存在として》という概念そのものが 一大事ではないでしょうか? 悪魔のことについてですよ?

 つまり 文学として そのような表現を用いることは 何の制約もありません。表現がうまかったか・まづかったかだけで判定すればよいのだと思います。

 でも 哲学は 済まされないでしょうね。



 つまり 悪魔・サタン・空中の権能・・・これらは 文学の問題であるというのが 質問者の立ち場です。




 ちょっと軽いかたちで・つまり例によってコーヒーブレイクとして 出してみておこうと思ったのですが 大きな問題点を――わたしから見れば――成しているようですし 意外と《悪魔》論は みなさんがそれぞれ持論をお持ちのようです。

 いましばらく出来るところまできちんと進めて置こうとは思います。




 ★ 一人の人間として聖書を読み、みづからへの戒めとしての価値を見出すならば
 ☆ という観点からの判断 これもありそうなのですが どうでしょう? ありそうで まだ分かりにくいとも言わなければならないように感じます。

 それは 先ほどの《存在するかどうか》の問題です。悪魔は 想像の産物であり 文学の扱う題材ないし主題である。哲学は 表現の問題であらそわないという条件で タトエとして用いることがある。となると思います。

 すなわち
 ★ 私はそこまでは断言できません。
 ☆ というときの《断言》の問題ではないように思っています。つまりぎゃくに言うと ジャンルの違い・つまりそこでの扱い方の問題であると。

 おおきな論点だと思います。




 ところで

 ▼ Eph 2:4  But God, who is rich in mercy, for his great love wherewith he loved us,
 ▲  2:4   ὁ  δὲ  θεὸς  πλούσιος  ὢν  ἐν  ἐλέει  διὰ  τὴν  πολλὴν  ἀγάπην  αὐτοῦ  ἣν  ἠγάπησεν  ἡμᾶς
 http://www.blueletterbible.org/Bible.cfm?b=Eph&c=2&t=KJV#s=t_conc_1099004

 ☆ この《 ἣν 》って何ですか? 関係詞ですか? 《 wherewith 》と訳されているのですが。

投稿日時 - 2014-08-30 17:49:14

ANo.4

bragelonneさんこんにちは。以前、「言葉をなぜ、学ぶのか?」に参加させていただいた音楽家です。
キリスト教に詳しくないので直接の回答はできないのですが、引用文にわからないところがあります。

>この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者

とあるのですが、「この世を支配する者」の部分が、私が所有する聖書(フェデリコ・バルバロ日本語訳、講談社)には、「この世のならわしに従って、空中の勢力のかしら、すなわち不従順な人々の中に今も働く霊に従って歩んでいた」とあり、ルター訳のドイツ語の聖書でも「Auch ihr wart tot durch eure Übertretungen und Sünden, in denen ihr früher gelebt habt nach der Art dieser Welt, unter dem Mächtigen, der in der Luft herrscht, nämlich dem Geist, der zu dieser Zeit am Werk ist in den Kindern des Ungehorsams.」、つまり「nach der Art dieser Welt」となっております。また、講談社の方の注釈には、「空中に勢力を持つ者」は「悪魔」のこと、とありました。したがって、もしこれが正しいとすれば、
(あ)(う)「空中の勢力のかしら」「不従順な人々の中に今も働く霊」はともに「悪魔」ということではないでしょうか。
(い)は、その文が本来「この世のならわしに従って」という意味であるとすれば、質問が成り立たなくなってしまいますが、その「悪魔」に従って生活することが世のならわしになっていた、という意味では、「悪魔のならわしに従って」ということになりますね。
(え)注釈によると、「あなたがた」は「異邦人の信者」、「不従順な人々」は「ヘブライズム」、「私たち」は「ユダヤ教からの信者」とありました。
(お)よからぬことを、よきことと思わせる教えのもとに暮らしていたのであれば、自由意志というより、よからぬことをしていると思っていなかったのでは?
(か)「悪魔などは 屁の河童である」- 悪魔であることに気付いていなければ、そう叫ぶことはできませんね。

聖書などほとんど読んだことがない者の回答です。本気になさらないでください。

投稿日時 - 2014-08-30 15:31:33

お礼

 たすてんかすてんさん こんにちは。ああ そうでしたか。《日本文化》の質問で 質問者にていねいにおしえてあげていましたね。そのときは 作曲家さんだとは知りませんでした

 ご回答をありがとうございます。

 
 ★ (か)「悪魔などは 屁の河童である」- 悪魔であることに気付いていなければ、そう叫ぶことはできませんね。
 ☆ なかなかきついツッコミだと思いました。

 それから バルバロ訳は 参照できました。ルーテル訳は 持っていませんので 参考にさせてもらいます。



 ▽ unter dem Mächtigen, der in der Luft herrscht, nämlich dem Geist
 ☆ これは 

  ▲ according to the prince of the power of the air, 〔 the prince of 〕the spirit

 とあるその《 the prince of the power 》が 《 dem Mächtigen 》なる一語に訳されているので  わかりにくくなっていますが 《 nämlich dem Geist 》の《霊》は 《空中の権能( the prince of the power )》のことだと捉えられます。


 ☆ つまりは 意味からすれば

 ○ der in der Luft herrscht, =  nämlich dem Geist

 であるのかなと考えます。
 
 その限りで バルバロ訳は 次のように受け取るほうが 逐語訳としては よいようです。

  △ この世のならわしに従って、〔また〕空中の勢力のかしら〔に従って〕、すなわち不従順な人々の中に今も働く霊〔なる頭〕に従って歩んでいた

 でしょうか。




 さて
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 講談社の方の注釈には、「空中に勢力を持つ者」は「悪魔」のこと、とありました。したがって、もしこれが正しいとすれば、
 (あ)(う)「空中の勢力のかしら」「不従順な人々の中に今も働く霊」はともに「悪魔」ということではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは おそらく一般の見方だとわたしも思います。(い)についても おっしゃるとおりに思います。

 むしろ問題は 質問者にとって 《悪魔》が どういう実態(実体?)であるのか? にあります。




 ★ (え)注釈によると、「あなたがた」は「異邦人の信者」、「不従順な人々」は「ヘブライズム」、「私たち」は「ユダヤ教からの信者」とありました。
 ☆ 《不従順な人びと》とは 旧約の世界になお閉じ籠るヘブライイズムでもあるのでしょうし 一般に《神――ヤハヱーやキリストの神を超えた一般・普遍の神――》との関係を受け取りも拒みもしないところの・信仰としてのっぺらぼうの生き方ではないかと考えますが どうでしょう。



 ★ (お)よからぬことを、よきことと思わせる教えのもとに暮らしていたのであれば、自由意志というより、よからぬことをしていると思っていなかったのでは?
 ☆ ここも ツッコミの響いたところですが ものごとが入り組んでいると思います。

 旧約の時代であるなら 《よきこと・よからぬこと》は 一般にモーセの律法に明らかにして記されています。

 モーセの以前には アブラハムがいたのですから そしてかれは律法の規範によるというよりは 信仰によってあゆむ人間でしたから また話がややこしくなると思うのですが 要するに――モーセの律法による規範がものを言う時代にあっても けっきょくは―― ヤマシサ反応は 誰にもはたらくと考えます。

 だれの心にも やましさを知覚することが 生まれつきの自然本性としてそなわっています。(ブッダター(仏性)がやどると言っても 同じことでしょう)。よって その意味で 自由意志はすでにあった。その意志による判断をおこなう際に ヤマシサ反応があらわれます。よからぬことを考えると 考えるだけで胸が動悸をおぼえたりします。


 したがって 《よからぬことを、よきことと思わせる教えのもとに暮らしていた》としても それは―― 一時期の一部の人びとないし地域で自由意志の自覚がとぼしくなっていたとしても―― やはりすでに感性が よきこと・よからぬことの判定をヤマシサ反応としておしえているのではないかと考えます。


 したがって
 ★ よからぬことをしていると思っていなかったのでは?
 ☆ については いわゆる社会において集団としての洗脳があって そのハタラキが影響したとしても 一時期・一地域・一部分ではないかと考えるのですが どうでしょう。

 戦時中というけっこう長いあいだ・多くの人びとが マインド・コントロールにかかったような歴史もありましたが。また 韓国は 長い長いあいだ集団としての集団の全体が おかしくなっていると見られますが。





 さて 悪魔論は いかがあい成りましょうか。

投稿日時 - 2014-08-30 17:32:50

KJVと日本語訳ですと分かりにくいので、
Net Bibleから引用しますと
―――――――――
Ephesians 2

2:1 And although you were1 dead in your transgressions and sins,
2:2 in which you formerly lived according to this world’s present path, according to the ruler of the kingdom of the air, the ruler of the spirit that is now energizing the sons of disobedience,
2:3 among whom11 all of us also formerly lived out our lives in the cravings of our flesh, indulging the desires of the flesh and the mind, and were by nature children of wrath even as the rest…

https://bible.org/netbible/index.htm
―――――――――
と非常に分かりやすいようです。

この注釈を見ると、
he ruler of the kingdom of the air is also the ruler of the spirit that is now energizing the sons of disobedience. Although several translations regard the ruler to be the same as the spirit, this is unlikely since the cases in Greek are different (ruler is accusative and spirit is genitive). To get around this, some have suggested that the genitive for spirit is a genitive of apposition. However, the semantics of the genitive of apposition are against such an interpretation (cf. ExSyn 100).
とありますので。
the air,に続くspiritに該当するギリシア語は属格、所有格で、
日本語訳、KJVともに訳として問題があるようですね。
 ―――KJVはグレイか。でも、日本語訳には問題がある!! とんでもない誤訳の可能性がある―――

これを読むと、悪者は《肉・flesh》となるのですかね。

この訳が正しいならば、
この霊は悪魔や悪霊ではないということになりそうです。

投稿日時 - 2014-08-30 14:00:16

お礼

 そうですね。やや 複雑なようです。

 つづいてのご回答をありがとうございます。


 わたしが理解したところでは
 ◇ the air,に続くspiritに該当するギリシア語は属格、所有格で、
 ☆ ということで NetBible の訳が 原文に忠実なように思います。

 すなわち:
 ▲ according to the ruler of the kingdom of the air, the ruler of the spirit
 ☆ であるようです。ということは KJV についてこれをあてはめるなら こうなります:

 ▼ according to the prince of the power of the air, 〔 the prince of 〕the spirit

 ☆ ややこしいですね。
 
 ○ 空中の権能なる王(第一人者・支配者) [・・・]霊の王(支配者)



 それから 知り得たこととして:

 ○ 2:1 や 2:2 の 《あなたがた》は ユダヤ人ではないいわゆる異邦人のこと。
   2:3 の《われわれ》は ユダヤ人のこと。

 であるようです。





 さて 空中の権能とは 何でしょう? 
 もし悪魔だとして それは 実態があるのでしょうか?

投稿日時 - 2014-08-30 16:46:44

先日は、外国語カテゴリでの、投稿文盗用問題におつきあひくださり、ありがたうございました。さらに調べてみると、哲学カテゴリの回答文もYahoo知恵袋にコピペされてゐました。「デジタルライフオールスターズ」といふサイトがあるのですが、そこでこの件の監視もしくは注意報発令などの役割をはたしてもらへないものかと、今思案中です。


質問文のパウロの言葉は、ぶらげろさんの解釈のとほりと存じます。下記のとほり、ルカもヨハネも、同じ趣旨の記述をしてゐます。

それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。
(使徒言行録26章18節 新共同訳)

わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
(ヨハネの手紙一5章19節 新共同訳)


神の国が現実世界において実現してゐない以上、「サタンの支配」とみなすのが聖書的な発想です。以前ねこさんから、聖書の教へは、善と悪といふ極端な二項対立だといふ指摘を受けました。たしかに、これは聖書を読むときに、心にとめておかなければならないきはめて重要な要素です。

最終的な判断ができるのは、神のみです。私は、予定説でさへ誤りだと思つてゐます。小さな存在にすぎない人間がかるがると判断すべきものではありません。人間にできるのは、ぶらげろさんがおつしやるとほり、「それぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?」、その程度のことにすぎません。


私は「屁の河童」などと主張するほど下品ではありませんので、(あ)から(お)までに同意いたします。

以上、悪魔plapotaの意見でした。

投稿日時 - 2014-08-30 13:10:47

お礼

 ▲ (使徒行伝 26:18) ~~~~~~~~~ 
 〔* イエスが パウロに向かって語っていることばとして イエスがこのサウロ=のちのパウロを召したのは〕
 それは、彼ら(* イスラエル人および異邦人つまり世界の人びと)の目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたし(* イエス・キリスト)への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。
  (使徒言行録26章18節 新共同訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ですね。けれども この《サタンの支配から神に立ち帰らせ》というときの《サタンの支配》というのは 単なるタトエであって じつは 単純に人間の自由意志の――おのれにさからう場合の――自由度とそれを駆使したときの心の状態 これを言うのではないでしょうか?


 こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 回答No.1でのやり取りにも このいま述べました趣旨を説明しています。併せてお読みいただければ さいわいです。



 すなわち
 ▲ (ヨハネの手紙一5章19節 新共同訳) わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
 ☆ というときの《悪い者の支配》というのは そうではなく 人間にあってそれぞれおのれの意志自由なる選択における――よからぬほうの――自由度のことを言うのではないか? です。

 空中の権能などが 人間と別様にいるわけがありません。

 そんなことを言うから――つまりは タトエを実在のものであるかのように見たり言ったりするから―― たとえば《人間の自由意志や知性から独立した〈ムイシキ〉なる領域》を推し立てられても 文句を言わないのですし 批判をし得ないままでいる。のではないでしょうか?

 アーラヤ識などと言っても ただの想定です。
 ましてや アマラ識=九識などというのは あり得ません。


 シュウキョウだけではなく 哲学までも まだまだ《おままごと》の域を出ない。




 ★ 以前ねこさんから、聖書の教へは、善と悪といふ極端な二項対立だといふ指摘を受けました。たしかに、これは聖書を読むときに、心にとめておかなければならないきはめて重要な要素です。
 ☆ これは 次元がちがいます。空中の権能とは 別です。

 そのように対立する二項としての善と悪という概念は あくまで人間の自由意志による《ヤマシサ反応にさからわない自己同一性とその保持》とそして《ヤマシサ反応にさからっておこなう意志行為とそれによる心の欠け》とであって そのように相対的な世界における相対的な内容の概念です。




 この際 重大なことを提起します。

 ★ 最終的な判断ができるのは、神のみです。
 ☆ という命題は 人間の意志行為としての判断です。それ以外のものではありません。

 人間ぶらじゅろんぬの見るところを推し進めています。

 

投稿日時 - 2014-08-30 15:35:04

KJVですと
―――――――――
1 And you hath he quickened, who were dead in trespasses and sins;

2 Wherein in time past ye walked according to the course of this world, according to the prince of the power of the air, the spirit that now worketh in the children of disobedience:


http://www.kingjamesbibleonline.org/Ephesians-Chapter-2/
―――――――――
ですね。

これはこれで、どうとでも解釈できる文章ですね~。
で、
この「the air」は、「虚勢」とか「外見的に取り繕った態度」とかの意味、あるいは「空中楼閣 air castle」の「air」とかの意味で、「虚しいもの」、「実際には無い」とかの意味なんでしょうね。


☆☆ (あ) 《空中に勢力を持つ者》とは なんでしょう?

 (い) それが 《この世を支配する者》なのですか?
◇不従順な子らに働く霊ですよ。
《悪魔》や《悪霊》と呼ばれるものなのでしょうね。



☆(え) このような《権能》が《霊》としてはたらき わたしたちは《死んでいた》のでしょうか?
◇この文章を読むかぎりは、そうなるのでしょうね。
(見た目は)生きてはいたが、(実は)死んでいた、死んでいたも同然だった、となる。



☆(お) いいえ。自分たちのそれぞれの自由意志で よからぬことを思いこれを実行してもいただけなのではないのでしょうか?
◇イエスとイエスの教えを信じることによって聖霊が後天的に与えられるものか、
そうではなく、
生得的に我々に備わっているのかによって違ってくるのでしょうね。

前者の立場に立つならば、自由意志の選択ではない、と考えるべきなのでしょうね。
《悪魔》や《悪霊》によって支配されているのですから。

後者の立場に立つならば、「自由意志で」ということになるのでしょうね。
ですが、《先天的に聖霊が備わっているよ説》だと、「人が何故悪を行なうのか」がうまく説明できなくなるじゃないですか。
まっ、
「悪いのは肉の部分だ」と、霊の部分ではなく《肉》を悪者にしちゃえば、
この件については何とか説明がつくのかもしれませんが。



☆(か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?
◇わたしは、これでも一応《自力》派なんで、「悪魔なんて本当はいない」とは言いますが、
ここまで踏み込んだ発言はしませんよ、絶対に。

投稿日時 - 2014-08-30 12:38:35

お礼

 そうですね。言いたいことは
 ◇ 《悪魔》や《悪霊》によって支配されているのですから。
 ☆ という状態について それは いやいや

  ○ われわれ人間が 自分の自由意志で よからぬことをたくらんでそれを実行に移した。だけではないのか?

 です。

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 つまり だって アダムとエワとには初めから自由意志がそなわっていたからこそ それぞれのおのれの心に あの木から採って食べてはいけないというヤマシサ反応が起きていた。しかもそれにさからって 食べたのは 同じ自由意志による考えとおこないである。のではないでしょうか?

 悪魔だとか 空中の権能などというチカラは どこにもありません。

 人間の自由意志の自由度を表わしただけのタトエなのではないでしょうか?

 というのが 趣旨です。





 ◇ ですが、《先天的に聖霊が備わっているよ説》だと、「人が何故悪を行なうのか」がうまく説明できなくなるじゃないですか。
 ☆ いえ。ですから おのれの心――聖霊なるきよらかさ――にさからって自分の意志をおこなう自由度を われわれ人間は 持つ。すなわち 《心にさからう》ことは よからぬことであり 言うとすれば悪なのではないでしょうか。

 ヤマシサ反応を強行突破する意志自由のことであり その実行であり その結果 おのれの心に出来た欠け――自然本性のきよらかさなる心に出来た欠け―― これらを 悪と呼ぶのだと見ます。


 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~
 まっ、
 「悪いのは肉の部分だ」と、霊の部分ではなく《肉》を悪者にしちゃえば、
 この件については何とか説明がつくのかもしれませんが。
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 ☆ いいえ。悪を考えつきそれを 論理によって弁護しつつ実行するのは 理性です。悪を考えるにあたっては 感性ないし感情としての知覚をきっかけにしたかも知れません。

 ただし この知覚にもとづきそのまま先へ進むのは やましいことだとおしえるのは それも 感性であると捉えます。


 つまり わるものは 理性でありおのれの知性なる心であり じつに おのれの自由意志である。となりませんか?




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  ☆(か) 悪魔などは 屁の河童であると言わねばならないのではないでしょうか?
  ◇ わたしは、これでも一応《自力》派なんで、「悪魔なんて本当はいない」とは言いますが、
 ここまで踏み込んだ発言はしませんよ、絶対に。
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 ☆ 《空中の権能》に義理立てしなければならないことでもありますか?

投稿日時 - 2014-08-30 15:12:38

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