こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

果たして生きていると言えるのか

 
考えてみてくれ。
声も出ず、目も動かず、首も回らず、手も立たず、足も立たず、ただチンポだけが真っ直ぐに直立しているとゆー人間は果たして生きていると言えるだろーか。
 

 

投稿日時 - 2014-12-09 16:18:14

QNo.8852570

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

~~~~~~~~~~~~~~~

御身はわれらのものだ!
…………
しらふのままに戻れたはずなのに、
柘榴をかじったそのために、御身はわれらのものとなった!
(ゲーテ『感傷の勝利』第四幕)

アレクサンドリアのクレメンス〔『雑録』第三巻第十五章〕も同じ比喩と同じ表現を用いてこの一件を言い表しているのは注目してよいだろう。「天国のために、自らいっさいの罪を断ち切った人たちは幸せであって、この現世のことから冷ややかに身を守っていける」。

性欲が生きんとする意志のもっとも決定的な、もっとも強力な肯定であることは、これが動物ならびに自然状態にいる人間にとって、生の究極の目的であり、最高の目標であることによって
裏書されている。彼が最初に努力をするのは自己保存であるが、それへの心配をすませてしまうと、ただちにおこなう次の努力は、端的にいって種族の繁殖である。人間は単なる自然状態の存在であるかぎり、努力できるのはせいぜいそれくらいのことであろう。自然もまた、その内奥にある本質は生きんとする意志そのものであって、全力をあげて人間や動物を繁殖へと駆り立てて

いる。繁殖がすめば、自然は個体とともにその目的に達してしまったことになるので、個体の死滅にはまったく無関心である。
生きんとする意志としての自然にとって、大切なのはただ種族の保存だけであり、個体などは自然にとってはみればものの数にもはいらないからである。
(第五十四節に同じ考えが別の角度からなされている)。――


性欲のうちには自然の内奥の本質、生きんとするあるの意志がもっとも強力に表明されているので、古代の詩人や哲人たち
――ヘシオドスやパルメニデス――が、エロスこそは万物の基本であり、原理であり、創造者であると述べたのはまことに意味深いことであった[アリストテレス『形而上学』二・四(編者注九八四ページ二三B)を見よ]。
ペレキュデス(ピュタゴラスの師といわれる前六世紀ごろのシュロスの人。神譜や天地創造説を最初に散文で編纂した)も、
「ゼウスは世界を創ろうとして自らエロスと化した」と言っている。プロクロス『プラトンのティマイオス注釈』三。――。

この主題をくわしく扱ったのは、最近出版されたゲオルグ・フリードリヒ・シェーマン『天地創造者の愛欲について』一八五二年刊である。
インド人の言うマーヤー、これの作品であり、これの織物であるものが仮象の世界の全体にあたるが、このマーヤーも愛欲amorと言いかえられてよい。

生殖器は身体のいずれの外的器官にくらべてもはるかに多くの意志の支配のみを受けていて、認識にはまったく
支配されていない器官である。いや、そういうだけでは足りず、意志は生殖器においては認識からほとんど独立して
現れてくるので、そのさまはちょうど、単なる刺戟に応じて植物的生存(植物的、とはアリストテレスに基づき動物の生殖と栄養に関する機能のみを指す)を
有効におこなう、すなわち再生産を有効におこなう身体の諸部分と同じような意志の現れ方である。身体のこれら諸部分では、認識を欠いた自然界(人間、動物を除く自然界)におけると同じように、意志は盲目的に作用している。なぜなら生殖とは、
ただ単に、一つの個体が新しい個体に移っていく再生産にほかならず、それはいってみれば死が二乗された排泄分泌に過ぎない(第五十四節参照)と同じような意味で、生殖は二乗された再生産に過ぎないからである。

以上のすべてをまとめてみると、生殖器は意志の本来的な焦点ということになる。
生殖器が脳の対極をなすのはそのためである。なぜなら脳は認識の代表であり、認識というのは
意志の世界とはもうひとつべつの側面、つまり表象としての世界だからである。(生殖器、脳をそれぞれ意志と表象としての世界の代表とみなす)。
生殖器は、生を維持し、時間に無限の生命を保証する(種族を絶やさない、という意味)原理である。
この特性をそなえているおかげで、生殖器はギリシアにおいてはPhallos(バッカスの狂騒乱舞における荘厳な行列の中で、自然の内部の生殖力の表徴として
誕生したものの像)として、インド人においてはLingam(梵語で表徴の意、すなわち男根の表徴。第五十四節参照)として
崇拝された。これらはつまりは意志の肯定のシンボルである。ひるがって認識の方はといえば、意志の廃棄に可能性を
与えるもの、自由を通じての解脱、世界の超克と滅却とに可能性を与えるものにほかならない。
われわれは本書のこの第四巻の冒頭で(冒頭ではなく第五十四節)、生きんとする意志が自分を肯定するときに、
死との関係はどのように見えられるべきかを詳しく考察しておいた。すなわち死は生きんとする意志を亡ぼすものではない。そのわけは死がそれ自身すでに生のうちに含まれ、生の一部のうちにあるものとして存立しているからである。死の反対にあたる生殖は、
完全に死と平衡を保っていて、たとえ個体が死んでも、生殖が生命を永久に生きんとする意志に対し確保し保証しているからである。このことを表現するために、インド人は死の神シヴァにリンガLingamを属性として与えたのであった(第五十四節参照)。
またわれわれは、同じく第四巻の冒頭で、完全な思慮深さもって生の決然たる肯定の立場に立つものは、いかに恐れずに死に直面するかを詳論しておいた(『ヴァガバッド・ギーター』のアルジュナ王子を例として)。
この件について今はこれ以上は述べないことにしよう。世の大抵の人々は、これだけの明瞭な思慮深さなどをもたずに、、生の肯定の立場に立って、始終生を肯定して生きているのが実情である。世界はこうした肯定の鏡であるから、世界は無限の時間と無限の空間と無限の苦悩のただなかで、生殖と死との間を果てしなくただ数知れぬ個体を擁しながら存在している。――

さりとて、このことについて、いかなる方面からも悲嘆の声はあがらない。これほどの第悲劇ならびに大喜劇を、いわば自費で上演してみせているものは意志であり、意志はまた同時にみずからその芝居の観客でもあるからである。―

世界はまさしくこのような姿である。意志、現象として世界となるところの意志がこのような姿のものだからであり、それは意志がそう欲しているからという理由につきている。これほどの現象に対してさえ意志が自己自身を肯定しているという事実は、苦悩にとっては自己釈明となろう。意志のこの自己肯定は、意志が苦悩を背負ってくれていることによって正当化され、
平均化されている。ここで早くも、われわれの前に全体としての永遠の正義へのひとつの展望が開かれてくる。永遠の正義というテーマをこれからわれわれは細目にわたって詳しく明瞭に見ていくことにしよう。だがそれに先立って、時間的な正義、ないしは人間的な正義についてもなお一言しておかねばなるまい。〔1〕

[1]この点については続編の第四十五章を参照。



ショーペンハウアー 意志と表象としての世界III

西尾幹二 訳

中公クラシックス

49~53ページ

第四巻 第六十節

~~~~~~~~~~~~~~

長いので誤字脱字あるかもしれません。

投稿日時 - 2014-12-10 09:40:24

お礼

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:08:41

このQ&Aは役に立ちましたか?

31人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(15)

ANo.15

>半殺し、半死にってゆー言葉もあるでよ。

素朴集合論だけじゃなくて、こりゃぁ、ブール代数の基礎から学び直さにゃいかんぜよ。

投稿日時 - 2014-12-10 23:41:26

ANo.14

医者は「あと15分で決めてください」と家族に判断をせまる。
生の可能性にかけるか、死を待つか。こういうことが現実におこる。

まだ生きている。なのに「手術はやめてください」と言ってしまった。
人間として生きられまいと思ったからだ。

だが、どちらとも言えない。いえない。

投稿日時 - 2014-12-10 21:48:48

お礼

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:04:40

ANo.13

まず生きているという言葉と 人間として存在しているというという言葉が違う意味だということを

言って置かなければなりません。

チンポが立っているということは 死後硬直でもない限り 生きてる証であります。

しかしチンポは立って 欲望はあっても 感情も心もないとすれば 人間として存在していることにはならないと私は定義します。

質問者様の「生きている」という言葉は多分 生きて存在している という意味でしょうから

人間として 生きてはいるが 存在してはいない。と言う事になります。

何故そうなるかといいますと ゾウリムシでも大腸菌でも生きていますが 存在しているのは生命としてであり

質問者様がおそらく考えていらっしゃる 人間として 人間存在として存在してはいないからです。

結論としては質問者様が「生きていると言えるだろーか。」の「生きている」という言葉の意味を

分かり易く定義して貰わなければ 何とも言えないということです。

投稿日時 - 2014-12-10 20:57:35

補足

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:10:30

お礼

>結論としては質問者様が「生きていると言えるだろーか。」の「生きている」という言葉の意味を

分かり易く定義して貰わなければ 何とも言えないということです。


ここは哲学カテでもあるので、人間として生きているかと問うています。
 

投稿日時 - 2014-12-10 21:51:05

ANo.12

生物・医学的な意味での「生きている」ではない、ということを前提として話します。

他者(人間・人)と互いに意思疎通が可能であるということをもって、「生きている」とすれば、
~~~~~~~
声も出ず、目も動かず、首も回らず、手も立たず、足も立たず、ただチンポだけが真っ直ぐに直立しているとゆー人間は果たして生きていると言えるだろーか。
~~~~~~~
は「生きていない」と言うことができるのでしょう。
もっとも、♂が直立することがただの生理的反応でなく、♂の勃起などで他者と意思疎通が行われていない、ということを前提としますけれど。

そして、この文脈において、植物状態に陥った人を生きていない言うことも多いのでしょうね。
体があたたかい、体を刺激することによって生じる刺激→反応という反射的反応などがあったとしても、近親者でさえそこに「人間としての生」を見出すことは難しい。
他者が生きていると感じるには、意思疎通ができること、互いに交渉性があることが重要な要素なのでしょうね。


また同時に、
体を自由に動かせる、同じ言葉を話すことができる相手であったとしても、
馬の耳に念仏、馬耳東風状態で、交渉性がまったく存在しない相手に対して、「お前は(人間として)生きていない」と言うことも可能なのでしょう。
取り付く島のない相手に「人でなし」なんて辛辣な言葉を浴びせることもある。


互いに意思疎通ができる、交渉性がある、ということは、大切なんじゃないですかね。

投稿日時 - 2014-12-10 17:03:30

補足

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:09:58

お礼

 
結論として、そのよーな人間は生きているとは見なせないってことですね。
ありがとうございました。
 

投稿日時 - 2014-12-10 18:53:41

ANo.11

死んでいない人間は生きていると言えるんですよ。

素朴集合論を勉強したらどうでっか?

投稿日時 - 2014-12-10 09:58:49

補足

 
ところで、
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:09:38

お礼

半殺し、半死にってゆー言葉もあるでよ。
 

投稿日時 - 2014-12-10 18:46:16

ANo.9

高度に機能の発達した生物においては、その
複雑なシステムを維持する大変さゆえに、
「生きている<->死んでいる」は明確に分別
される状態だが、ウィルスになると単離すると
結晶するような、生物と無生物の間を行き来す
るものある。
その事は、宇宙空間での物質進化~原始海水中
での化学進化~生物進化の過程においても、
どこかの時点で突然、生物になったり、意識を
生じたりしたのではなく、徐々に生じたのだ。
であれば、「生きていると言えるのか」とわざ
わざ問う意味は薄いと言える。
「ある程度生きている」だ。

「脳死が人の死だ」とか「遺伝子による自己合成」、
「エントロピーの減少」など、それぞれの専門分野
で「生」の定義をしているので、適宜活用するだけ
の話だ。

投稿日時 - 2014-12-10 08:58:03

お礼

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:07:42

hitonomih34 さん おはようございます。

私も観た事がないので、いい映画かわかりませんが、寺島しのぶ主演の「キャタピラー」という映画を観て考えるのが良いかも。

結構エロっちい映画のようです。

夜のおやつ、うなぎパイより。

投稿日時 - 2014-12-10 05:21:07

お礼

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:07:14

ANo.7

少なくとも、絶頂を迎えそのチンポすら力尽きた時、もはや生きているとは言えまい。

投稿日時 - 2014-12-10 03:46:54

お礼

 
やっぱり。
 

投稿日時 - 2014-12-10 18:55:27

ANo.6

そんな私を騎乗位で強姦してくれるのが、ありがたいアルケーちゃんだ。
彼女のマスタベーションを手伝うのは君ではない。
私だ。

投稿日時 - 2014-12-10 01:10:01

お礼

 
クスクス。
とにかく君のド変態ぶりには皆ウンザリしておる。
さっさと近くの小学校へ言って小学生の前でV字開脚して来なはれ。
 

投稿日時 - 2014-12-10 19:13:58

ANo.5

問題は彼の脳内がどのように活動しているか、何を思い、何を考えているかです
   ↑
此処までになると 肉体の死が人間の死で無い方向に行くのです・・

人間には 肉体と精神があり 精神は死が無く霊界で永遠に生き続けます・・

それは 目に見えないし 立証も不可能・・だけども 生きている人間に 善の心があるのは証明されてる訳なので 心が時空を飛び越える事は可能だと考えざるを得ない・・

月でも火星でも 心だけなら行けるので 霊界があると考える方が自然的発想なのです

脳死してても人間倫理で脳死判定が幾度も行われるが 脳死状態でも死で無いから 倫理が付いて回るのです

あなたも この様な 立派な事を書くのなら せめて「チンポ」で無く 別の部位で質問するべきです

チンポが 悪い訳では無いが 大抵の場合は こんな質問には使用しない事くらい承知でしょ・・

投稿日時 - 2014-12-09 20:31:21

お礼

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:06:27

ANo.4

でも自我があれば「生きている」
自我についてはアラン・チューリングのチューリングテストがあり
これを通ればロボットだろうがサルだろうがゴキブリだろうが
立派な「人間だ」
植物は応えてくれているのか分からないので今の処不明。

投稿日時 - 2014-12-09 18:52:14

お礼

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:06:01

ANo.3

体の一部が機能してるって事は 他の箇所も機能しています

心臓も肺も 血液循環の至る部分も‥

これで 答えは出てますよね・・

投稿日時 - 2014-12-09 17:03:50

お礼

 
>心臓も肺も 血液循環の至る部分も‥

心臓や肺が動いていて、血液循環していても人間として生きているとは言えないでしょう。

問題は彼の脳内がどのように活動しているか、何を思い、何を考えているかです。
 

投稿日時 - 2014-12-09 19:10:35

 貴君は、人生万事、頭や言葉で考えれば正解に到達可能という幻想を抱く傾向がある。「身体」による思考も重視するべき。


  失礼に聞こえたら、ゴメン。

投稿日時 - 2014-12-09 16:39:45

お礼

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:05:31

ANo.1

「生きている」の定義によるんで人によってはそうでしょうし、別の人によっては違うでしょう。
生物学的には生きてますけどねぇ。

投稿日時 - 2014-12-09 16:26:49

補足

 
生命倫理について、仏教ではどう教えていますか。
坊主は答えを持っていると思いますか。
 

投稿日時 - 2014-12-10 22:05:05

お礼

 
生物学的に生きていることと、人間として生きていることは違うよね。
 

投稿日時 - 2014-12-09 19:59:31

あなたにオススメの質問