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解決済みの質問

善は善にして常の善にあらず。「老子」

受け売りでし。
(ヒマな時にでも)

投稿日時 - 2014-12-26 05:12:27

QNo.8870527

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

言うまでももないか、あるか、
元は、
老子第一章
道は道にして、常の道にあらず、名は名にして常の名にあらず、無を天地の祖に名付け、有を大地の母に名付く。
もって無はその檄を現さんと欲し。有はその嬌を誇示せんとす、
第荷二章
人々は、善は善である、と考え、善が悪である事を知らない。美は美であると考え、美が醜である事をしらない。
・これら相い対峙する二つのものは、否定、対立しあいながらも、一つの統一体をなすものである。
と、ヘ-ゲルの弁証法、もしくは、色不異空、色即是空、が述べてあります。
老子の考え方を現代風、あるいは私流儀で説明すると、
善=善 である、しかしそれは、善-善=0 と言うのと同じであり。一つの単位としての統一体
、もしくは、存在、とはならない。ある、ためには。善×1/善 =1 でなければ、ならない。
善と(1/善)は表裏であり一体である。(1/善)は悪と名付けられる、常でない善となる。
道は道にして常の道にあらず。という世界の在り方は、名、妄想、の在り方、起こり方とも一致する。
となるのでしょう。米粒の在り方、法則生、も米俵の在り方法則性も同じである?

投稿日時 - 2014-12-26 22:30:03

お礼

hannya-g|様、ご回答ありがとうございます。


>「老子の考え方を現代風、あるいは私流儀で説明すると、
善=善 である、しかしそれは、善-善=0 と言うのと同じであり。一つの単位としての統一体
、もしくは、存在、とはならない。ある、ためには。善×1/善 =1 でなければ、ならない。
善と(1/善)は表裏であり一体である。(1/善)は悪と名付けられる、常でない善となる。
道は道にして常の道にあらず。という世界の在り方は、名、妄想、の在り方、起こり方とも一致する。
となるのでしょう。米粒の在り方、法則生、も米俵の在り方法則性も同じである?



>「道は道にして常の道にあらず。という世界の在り方は、名、妄想、の在り方、起こり方とも一致する。
となるのでしょう。」

ああ、何か、涙腺が刺激されたような感覚を覚えました。
数十億という人に「教育」することが(仮に)可能として、
それでもまだ、「後世」は、とめどもなく現れますね。

投稿日時 - 2014-12-28 02:42:45

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回答(6)

ANo.6

魔女狩りですか・・

まっ いい・・



処で・・善は善にして常の善にあらず

善が不変で無いのでは無く 最初は不変だった善に 悪が少し混ざり それが受け継がれながら増幅したとすれば・・

そして その悪を完全に消し去る事が出来る様にするには どうやれば良いのかを知っている人に聞き その 処方と必要な薬があれば良いだけになる・・・


たった これだけの事

投稿日時 - 2014-12-28 07:28:00

お礼

na22me様、ご回答ありがとうございます。

>「魔女狩りですか・・
まっ いい・・」

「魔女狩り」を「ま、いいか」で済まされるのは、
刑事司法で「「冤罪」があっても、(平気)」ということかもしれないですし、
フェアでは、ありませんね。


>「処で・・善は善にして常の善にあらず
善が不変で無いのでは無く」

はい



>「最初は不変だった善に 悪が少し混ざり それが受け継がれながら増幅したとすれば・・
そして その悪を完全に消し去る事が出来る様にするには どうやれば良いのかを知っている人に聞き その 処方と必要な薬があれば良いだけになる・・・
たった これだけの事」

「善は不変」とのお考えですね。

「たった これだけの事」とは、na22me様ご自身の発想でしょうか?

投稿日時 - 2014-12-31 14:21:34

ANo.5

kurinalさん、こんばんは。


「即非の論理」が紹介されていましたね。

「善は善にして、善に非ず、ゆえに善なり」

 (┓→(┓∧┗))→┓=┓

これって、真理価値の面では、ただ「善なり」というに等しいのですよ。



意味パラメータのストレッチ

 善{1}-善{-1}-善{1}

をして(肯定して、否定して、肯定して)、判断の柔軟体操をしてるのだと思います。

深い意味はありません。その意味を汲み取ろうとすると気が変になります。



「道可道、非常道」

これは人為的倫理より自然の理に従うべきだということ。

「善可善、非常善」

同上。

投稿日時 - 2014-12-27 00:27:54

お礼

atomonados様、ご回答ありがとうございます。

親切な人を、私は他にも知って居ます。
結婚を考えてしまうほど、「よい人」です。


>「「善は善にして、善に非ず、ゆえに善なり」

意味パラメータのストレッチ
 善{1}-善{-1}-善{1}
をして(肯定して、否定して、肯定して)、判断の柔軟体操をしてるのだと思います。
深い意味はありません。その意味を汲み取ろうとすると気が変になります。」

なるほど。
しかし「「善(悪)」というものが、「不変」ではない」という前提があれば、どうでしょうか?

例えば。現代の世にも「一押し!」みたいのがあるとしても、それは、「絶対」では、ありませんね。

投稿日時 - 2014-12-28 02:59:25

ANo.3

善は善にして、善に非ず、ゆえに善なり、
山は山にして、山にあらず、ゆえに山なり、

華厳経の「即非の論理」。

禅宗にいわく、生は生にして生にあらず、ゆえに生なり。
生死は不二にして、不二にあらず、ゆえに不二なり。

この世に何ものも生じるものは無く、何ものも滅するものがない、ゆえにこれを不生不滅という。
この世に常住するもの無く、何ものも去るものもなく、ゆえに不常不去という。
何ものも同一なもの無く、何ものも別異なるもの無く、ゆえに不同不別という。

ナーガールジュナ・竜樹「中論」。

老子にしろ、華厳経にしろ、禅にしろ、ナーガールジュナにしろ、みんな東洋の共通の論理。

投稿日時 - 2014-12-26 18:19:24

お礼

urigadai2013様、ご回答ありがとうございます。


私の、質問前の考えでは、Ano.2様のご回答に近い内容を思っていましたが、


ご回答によれば、「自然」の追究は、もっと徹底された何かであるようです。
(連想したものは「一期一会」とか、)

ところで、「善(悪)」とは、そんなに移ろい易いものなのか、とか、
あるいは、「そんなことは、誰にも言えない」に無理があるのだろうか、とか。

示唆に富むご回答を、ありがとうございました。

投稿日時 - 2014-12-28 02:32:47

ANo.2

善悪の分別は、価値判断の根底的な“確か”なもので
ありながら、その「確かさ」は依拠するものであり、
異なる社会集団や時代の経過によって変転するもの
だということ。

投稿日時 - 2014-12-26 10:05:45

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。


不肖も、「科学の進歩により、善悪って変わってしまうのでは?」と、不意に思ったことが、ありました。
それに近いことを、述べて頂いたのかなと思います。

投稿日時 - 2014-12-28 02:21:53

ANo.1

コップの中の飲料水に 1滴の毒が混ざった飲料水は 果たして飲めるだろーか!?

浄化の やり方さえ 正しければ 元の飲料水になる

それが キリストの使命

投稿日時 - 2014-12-26 05:59:38

お礼

na22me様、こんばんは。


キリストは「善悪」の問題を考えさせられる、かもしれない。


>「コップの中の飲料水に 1滴の毒が混ざった飲料水は 果たして飲めるだろーか!?
浄化の やり方さえ 正しければ 元の飲料水になる」

この譬え?は、知りませんでした。
・・・「魔女狩り」の論理に、似ているような気がします。

投稿日時 - 2014-12-28 02:17:02

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