こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

自衛権は自然権か?

自衛権は自然権だ、と言う言い方を良く聞くようになりましたが実はこの自然権と言う言い方が私には良く解りません。
この時に自然権だという事によって、どのような効果があるのか?具体例で教えていただけないでしょうか?

基本的人権は自然権だといわれていますが、この時の自然権ということには、どういう効果があるのでしょうか?
基本的人権は、法律によって制限することのできない権利だ、という事だとして、そのことにどういう意味があるのでしょうか?

仮に憲法で自衛権を放棄したとして、その場合その放棄は無効だ、ということなのでしょうか?

投稿日時 - 2015-06-16 18:07:44

QNo.8995412

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>自然権だという事によって、どのような効果があるのか?

「特に明文化しなくても持っている権利」でいいと思います。
自然権であるがゆえの効果は「明文化しなくても」だけです。


>仮に憲法で自衛権を放棄したとして、その場合その放棄は無効だ、ということなのでしょうか?

なりません。自民党の吉田茂元首相(首相当時は日本自由党)は、「自衛権は放棄する」と国会答弁し、憲法が成立しました。自衛権は持っているけどあえて放棄したのです。ですので、自民党の議員達は憲法制定時は「自衛権は放棄すべき」と考えており、あの文言の憲法になったのです。

自然権だからどうのこうのという人たちの主張は「無効な憲法を作った吉田茂ら当時の国会議員は、法律のほの字も分からないアホな人たちだ。今の憲法は無効な憲法なのだ」とでも言わない限り、矛盾だらけの屁理屈に過ぎません。

投稿日時 - 2015-06-17 23:23:13

お礼

ありがとうございました。

私の一番大きな疑問は解消しました。

日本人の法律感覚は、めちゃくちゃに思えてきました。

特に議員たちや政治家の非常識は恐ろしい気がします。

投稿日時 - 2015-06-19 15:01:29

このQ&Aは役に立ちましたか?

0人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(5)

ANo.5

自然権とは、法を制定又は適用する際に法以前の (法より優先する) 普遍的権利として尊重される・されなければならない権利である、とする法律上の概念です。いわば「法の精神」に相当する部分です。
この自然権は人々・集団上に法によらずはじめから存在し、法によって侵すことのできない権利であるとして取り扱います。

この考え方は近代の先進各国により普遍的に採用されてます。国際社会の常識です。
法のないところには自然権もありません。自然権は法の精神として尊重されているのみであり、無法の地にはこの種の自然権もありえません。

安全保障の面での「自然権」といえばまずは「自衛権」ですが、人々・集団が自身を侵すものに対して反撃して自身の安全・地位を防護することは、法によらずして自然に有している天然の権利であると、法の精神上で考えます。
これは戦争の違法化を実現し、戦争放棄の概念を広めた1928年の「パリ不戦条約」のあたりから国際的に広く「法的」認知された自然権です。

この「パリ不戦条約」が日本の憲法9条のモトになってます。文言も非常に近しく、憲法9条はパリ不戦条約の精神を継承していると考えられてます。
よってそれを傍証としても、憲法9条は自衛権を自然権として取り扱っているとの思想が普遍的意義を持つようになってます。
つまり、日本は現行憲法で自衛権を否定はしてませんし、否定するのは法的に不可能であり、それが現在の法曹界の常識です。

否定されているのは「戦争」であり、「侵略」です。
過去の大戦が日本の侵略によるものであったとしたら、日本は犯罪を犯したことになります。逆にそれが自衛のためのものであったとしたら、合法的な行為であったとして許容されます。
なので日本は「侵略戦争」をしたのか「自衛目的」だったのかの要人の認識が社会的に問題視されるわけです。


以上を具体的に言えば、
某国が「戦争」をしたが、それが合法か違法かを国際社会が判断する際に、その戦争がその国にとって「自衛」のためであったのなら、合法として許容され、それ以上に「崇高で尊い」戦いとして称賛されます。
自衛行為は人々・集団・国が有する自然権であり、それは戦争放棄を定めたパリ不戦条約あたりから国際認知された平和原理だからです。国際「法」的に認められ、それ以上に平和を守るための崇高な戦争なのです。

そのような自然権を否定することは不可能、という考え方が近代国際社会の通念になってます。


自衛権には後年、集団的自衛権なる言葉が国連憲章上に追加され、もとよりの自衛権は個別的自衛権と集団的自衛権に弁別されて理解されるようになりましたが、
集団的自衛権は「国々」が有する自然権として考えられてます。
この集団的自衛権も国の集団が自身を防衛するための権利であるとするわけですね。

しかし集団的自衛権を行使する際は、パリ不戦条約や日本国憲法9条で明記されている「国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」という部分に引っかかるケースが多々あるため、更に日本の場合には引っかかるケースが殆どであろうと予想されるため、非常に微妙な部分ではあります。

A国がC国から攻撃・侵略を受けた際にA国と同盟関係にあるB国がA国を助けに行った場合、AとCとの間の「国際紛争」にBが飛び込む訳ですから、「国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」という部分に引っかかる可能性が高い。
或は逆に、AとBは一心同体の同盟国であるから、Aへの攻撃はBへの攻撃と同等とみなしてB国の自衛権を発動して戦争に飛び込めば、それは集団的自衛権の発動となり合法化します。

日本にはそのような密接な国が米国以外に存在せず、しかも超大国であるその米国は日本の助けなどは殆ど不要な状況が長年継続してきましたから、日本が集団的自衛権を行使する場面は皆無でした。
日本がそれをやれば「国際紛争を解決する手段」としての戦争介入、つまり禁止された戦争の遂行となり、憲法違反であるとともにパリ不戦条約を犯し、近代の国際社会の法的常識を侵す結果になった。

日本が集団的自衛権を行使しても合法(合憲)なケースは、それが日本の個別的自衛権を超えない範囲に限られている、と判断されます。
米国を防衛するのではなく、日本を守っている米国軍を防衛するのは、ひいては日本防衛に寄与する、という考え方ですね。
それは集団的自衛権の行使ではなく、日本の個別的自衛権の行使である、と。

名前だけ「集団的自衛権の行使」であるだけで実質的には「個別的自衛権の行使」にすぎません。
それを集団的自衛権の行使であると強弁するのなら、それは憲法違反になります。


なお、
> 仮に憲法で自衛権を放棄したとして、その場合その放棄は無効だ、ということなのでしょうか?

現行憲法下では自然権である自衛権(個別的自衛権)は放棄できません。上記のように法の精神に反するからです。
ただし、現代の国際社会の法的通念を全く無視した異質な憲法を新たに制定すれば、国際社会のつまはじきものとしてではありますが、自衛権の放棄は可能でしょうね。

投稿日時 - 2015-06-18 18:09:39

お礼

大変詳しい説明を有難うございました。

大変勉強になりました。

有難うございます。

投稿日時 - 2015-07-09 09:39:03

ANo.3

こういう概念的なことで、「こうです」と言い切るのは、基本的に自己主張を言っているだけです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%A8%A9

哲学的なことに、数学的な正解はありません。
こういう概念的な哲学論は、わかりやすく言うと、「愛って何」と言うような質問と同じようなものです。

どんな権利でも、その権利が存在する理由や、それに関連する法律を作るために、国家や政府などが、民衆を管理する場合に説明や前提が必要になりますね。
そういうのを国が説明する。(勿論、哲学者が「こうこうこうだ」と自分の考えを発表し、それがいろいろな人に議論され発展していき、他の学者や民衆に受け入れられたモノを、国が取り入れるという場合もあるでしょうし)

学者や国民がそれに対して、いろいろな解釈をする。批判したり、それを認めたり。そうやって、「権利」なんて言葉・概念が完成、一般化してきた中世から現在にかけて、いろいろな「権利」と「それぞれの権利に対する学説・議論」が発展する段階で、「自然権」と言う言葉が生まれてきたのでしょうね。

自然権という言葉が出来、そういう認識が出来てくると、また延々と「自然権はどうなのか」という議論は続いていく種類のモノです。

仮に憲法で~云々は、そういうわけで、哲学的な概念や学問を放棄すると言うことは出来ませんから・・・

「概念を放棄」・・・というのはちょっと難しいですね。

その哲学的な概念を禁止、規制する法律を制定することなら出来ると思いますが。

なんとうか、説明が難しいですが・・・
つまり、あなたの質問は「愛は憲法で放棄できますか」「放棄した場合は、それは無効ですか?」的な質問に近い感じです。

投稿日時 - 2015-06-16 20:16:24

お礼

ありがとうございました。

「哲学的概念」という見方をした方が良いような気もしてきました。

でも賛成してくれる人は、すくないような気もしますが・・・・。

投稿日時 - 2015-06-19 15:07:29

ANo.2

自然権とは、空気を吸う権利のようなものです。人間生きていたら、疑いもなく誰にでもある権利です。基本的人権は自然権ではありません。自由民主主義が生まれた後に出来た権利です。空気を吸う権利は昔からあったものですが、基本的人権はそれを認める社会体制や法律が出来た後です。主にフランス革命の後です。それ以前はありませんでした。王様など支配者は民衆を好きなように出来ました。基本的人権は人間が作ったものなので自然権ではありません。
集団的自衛権を含めた自衛権は、敵に襲われたとき我が身を守る権利です。人間だけでなく生物ならなんにでもある権利です。自分一人でなく、仲間と一緒に守るのを集団的自衛権と言います。日本人以外、猿でもウサギでも蟻でも、なんにでも許されている権利です。日本人の場合、おかしな憲法学者とリベラルマスコミと左翼政党によってそういう権利はないと言われ、今国会で揉めています。
お分かりいただけましたか。もしご不審な点があれば、再度ご質問ください。

投稿日時 - 2015-06-16 19:24:01

お礼

ありがとうございました。

実は良くわからなかったのですが、どこを再質問したらよいか?も解らなくなりましたので、失礼します。

投稿日時 - 2015-06-19 15:11:07

ANo.1

"基本的人権は自然権だといわれていますが、この時の自然権と
いうことには、どういう効果があるのでしょうか?"
   ↑
人間が造った法規では、侵害できない、という
ことを意味します。
具体的には、法律は勿論、憲法でも侵害は許されない
ということです。

憲法によって保障された権利なら、憲法で剥奪することも
可能、ということになります。
だから、憲法以前の自然法によって保障されている、
故に憲法でも剥奪できないのだ、ということです。


”この時に自然権だという事によって、どのような効果があるのか?
 具体例で教えていただけないでしょうか?”
    ↑
人権と同じく、憲法でどう定められていようが
自衛できるのだ、ということを意味します。


”仮に憲法で自衛権を放棄したとして、その場合その放棄は無効だ、
 ということなのでしょうか?”
    ↑
自然権だから、憲法でも放棄できない、という
ことを意味します。


この自然権、という概念は、キリスト教に由来する
ものです。

人間を創ったのは神だ。
だから人間の基本的権利を奪えるのは神だけであって
人間は侵害できない。

しかし、神では異教徒に説得力を持ちません。
それで、自然権、という概念を造ったのです。

この説明は、8月革命説で有名な宮沢先生
によるものです。

投稿日時 - 2015-06-16 18:31:57

補足

早速の解りやすいお答えを有難うございます。
確か不戦条約の時に、自衛戦争を含むか否かで議論があったと記憶しているのですが、議論があったということはこの時は自然権では無かった、と言う事のように思えます。
とすると自衛権が自然権だということは、現在どのように承認されているのでしょうか?
何かその根拠を示すことが出来るのでしょうか?

投稿日時 - 2015-06-16 19:02:38

お礼

有難うございました。

投稿日時 - 2015-07-07 09:47:02

あなたにオススメの質問