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神武天皇を教科書から排除したのはGHQですか?

神武天皇を教科書から排除したのはGHQですか?

投稿日時 - 2015-12-12 18:02:21

QNo.9094631

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回答(3)

ANo.3

 No.2です。少し補足します。回答者も占領軍の中に、戦時中に強調されたような超国家主義的、あるいは神がかり的な歴史観を排除したいという意向があったことを否定するつもりはありません。そのためにいったん歴史の授業を中断させ、文部省に新しい教科書を作らせました。

 その一方で占領軍の幹部とりわけマッカーサーは、敗戦後も多くの日本人が天皇を敬愛していることをよく理解していました。要するに占領軍が排除したかったのは「國體の本義」に書かれてあるような極端な歴史観であって、日本の歴史における天皇の存在そのものではありませんでした。

 文部省が作った新しい教科書に、神武天皇が初代の天皇として登場している一方で神武東征の話などが省かれていることは、このためだと考えられます。

 歴史教科書の「国家のはじまり」の部分から神話が消えたことについて、著名な古代史研究者で東京大学の文学部長などを勤めた井上光貞は大ベストセラーとなった「神話から歴史へ」(中央公論社 日本の歴史1)の「はじめに」で次のように述べています。(以下引用)

…わたくしのように戦前に教育をうけたものは、学者の研究したことなどは教室で聞くことはできず、教科書といえば古事記・日本書紀の神話からはじまっていた。ところが、戦争の終結とともに、このような神話はまったく追放され、日本の歴史は石器時代から教えられるようになった。その背景には、連合軍の占領政策の一環としての旧日本的な伝統を一挙に破壊しようという意図もあったかもしれない。だが、学者が明治以来、こつこつと研究してきた科学的な歴史研究の成果を、歴史教育の場で、ありのままに語るということは当然のことであった。日本の歴史教育はここで、ふつうの文明国としてあたりまえの水準にやっと到達したのであった。

 しかし、この変化があまりにも急激であったためか、歴史像の分裂ともいうべき奇妙なゆがみが生じてきた。とくに古代史については、それが顕著だった。…(引用終わり)

 念のために付け加えると、井上は記紀の神話や物語に価値がないとか学ぶ必要がないなどとは主張していません。同じ「はじめに」には以下の記述もあります。(以下引用)

…とくに大事なことは、その素材のなかには、移籍や遺物を研究する人類学や考古学ではとうていとらえることのできない、わたくしたちの祖先の思想や習慣が無尽蔵に編みこまれているということである。
…日本人とはいったい何者なのか、日本人の歴史の底を流れているものはいったいどんなものなのか、古事記・日本書紀の神話や物語は、このような問題を引きだしてくるための貴重な古典なのである。(引用終わり)

投稿日時 - 2015-12-15 22:38:58

補足

いい回答ですね。
整然としていてわかりやすいです。

投稿日時 - 2015-12-16 20:20:05

ANo.2

ご質問の前提となる事実が少し違います。文部省が戦後初めて作った歴史用の国定教科書では、神武天皇は「排除」などされてはおらず、「初代天皇」として登場しています。

戦後の歴史の授業は、敗戦の年である昭和20年の12月までに、占領軍の指令により修身や地理とともにいったん中止されました。その間に大急ぎで新しい教科書として国民学校用の「くにのあゆみ」が作られ、昭和21年9月に刊行されて同年10月から国民学校の歴史の授業が再開されました。以下にその教科書の記述をそのまま引用します。( )は原文ではルビ(ふりがな)です。

「くにのあゆみ」上
第一 日本のあけぼの
二 大和の朝廷
國のおこり
大和は今の奈良縣にあたる地方です。緑の山山にかこまれたこぢんまりした盆地であります。そのころ最も有力なものが、この盆地からおこつて、だんだん日本を一つにまとめたのであります。この大事な仕事をおはじめになり、畝傍山のふもとの橿原の宮で、最初に天皇の位におつきになつた方が、神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)といはれています。(引用終わり)

この新しい歴史教科書「くにのあゆみ」は、戦前の神話に始まる教育への反省から大方の歓迎を受けたようです。しかし一方では当時厳しい批判もありました。マルクス主義の立場の歴史学者井上清は「くにのあゆみ批判ー正しい日本歴史ー」という著書(昭和22年)のなかで次のように述べています。(以下引用)

「くにのあゆみ」は、いつ神日本磐余彦天皇が即位したか、いつ大和朝廷が全國を支配したか、古墳がいつごろのものか、これらについてまつたく年代をしるさない。ただ遠い昔のように書いてある。これはなぜか? 年代を書くと、紀元節とか二千六百年とかのいつわりがただちにはつきりするからである。さすがにもう二千六百年の神武紀元を主張することもできないし、しかもそれを批判せず何とか温存しようとするために、年代を一つも書かないのである。けれども、時代の観念をはつきりさせない歴史教育なんてものはない。(引用終わり)

その後、歴史の教科書の「国のはじまり」の部分には神武天皇は登場しなくなりました。これは日本の歴史を確実な史料などに基づいて実証的・合理的に記述するならば、神武紀元をそのまま史実として採用することはできず、神武天皇を初代の実在する天皇とすることもできないという判断からです。これは明治以来(古くは江戸時代に遡るものもありますが)の日本での着実な歴史研究の成果の蓄積によることであり、別にGHQなどに強制された考え方ではありません。

投稿日時 - 2015-12-15 14:27:18

補足

>敗戦の年である昭和20年の12月までに、占領軍の指令により修身や地理とともにいったん中止されました。

そうだよ、War Guilt Information Programの中でGHQは日本人の世論を手紙などを観察することで判断していた。

その結果全然日本人が戦争について反省していないことが判明したために教科書から改竄していく手法を選んで、歴史教科書などを一度差し押さえ検閲して都合のいい内容にしてから出版したのだ。

投稿日時 - 2015-12-15 17:35:08

GHQ内に設けられたCIE、民間情報教育局 (Civil Information and Education Section) ですね。

「神国日本の宣伝」は検閲事項であり、民間人の私信を開封してまで検閲を行っていましたので、教科書に載せるなどとんでもないことだったでしょう。

投稿日時 - 2015-12-12 18:13:50

補足

いい意見ありがとうございます。
確かにそうですね。

投稿日時 - 2015-12-15 03:03:45

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