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【歴史・日本史】菅原道真を祀っている北野天満宮は

【歴史・日本史】菅原道真を祀っている北野天満宮は

当時は天災の神様だったんですね。

そうだと思った。

いつから学業の神様になったのだろう?

もしかして天災の神様を奉った神社が学業の神様の神社に変えたのは歴史が浅かったりして。

明治時代に変わったとか?

天災に見舞われて厄除けで建てたのに学業の神様っておかしいと思った。

普通、天災除けで学業の神様を奉る神社建てます?

おかしいでしょ?

全国の修学旅行生と学校の教師は馬鹿だね。

天災の神様に受験合格しますようにって願ってるのを想像したら笑えてしまった。

投稿日時 - 2016-09-10 18:00:21

QNo.9227140

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

神社とは、合格を頼みに行くところではない。
募集定員500名のところ、600人が頼みに来たら叶えようがない。
合格祈願をし、自分の決意として合格するのだという気持ちを確認しに行くところである。
祈願が成就したらお礼参りをしてまた次の目標に挑むのです。

投稿日時 - 2016-09-10 18:15:26

お礼

みなさん回答ありがとうございます

当の神社が合格「祈願」と謳っているが。

投稿日時 - 2016-09-11 10:59:24

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回答(7)

ANo.7

菅公の御霊は実際に
「たたり」
をおこない天災を操ることができるほどの神威を明らかにしたので
(と当時の人が考えたので)
名誉回復と顕彰をおこない神として祭ることになったのです。
祟るべき人たちをひとしきりやっつけてしまえば神のあらぶる側面も落ち着きますから
あとは威力のある神として祭り上げることでその威力を利益として与ろうという考えです。
実際、祟ることもできない様な微力の神では学業成就の祈願にも応えられんでしょう。

で、実際のところ学問の神としての側面(和歌とか)は古くからありましたが、江戸時代の寺小屋の学問普及により一般にも広まったということのようです。

投稿日時 - 2016-09-11 08:47:26

ANo.6

菅原道真って元々学者なんですけどね 笑

学者ながら右大臣まで出世した天才だからこそ
神社まで建ててもらったわけだし
大体 道真が死んで怨霊になって天災が起きたってのは後付けですから

それに道真の本尊は北野天満宮じゃなく太宰府天満宮です
北野は大宰府からの分祀ですよ

投稿日時 - 2016-09-11 07:43:46

ANo.5

山口にある防府天満宮の来歴には、道真の死後1~2年で造られ始めたとあり、これが本当ならば当初から学問の神として祀られていたと言えそうです。(京の災厄は死後10年くらいしてからのもの)

童謡のとうりゃんせで、天神様というのはどんなに怖い神様なのだろうと子供のころは思ってたなぁw

投稿日時 - 2016-09-11 04:08:33

ANo.4

japanway さん、こんばんは。


全国の修学旅行生と学校の教師は馬鹿だね。
天災の神様に受験合格しますようにって願ってるのを想像したら笑えてしまった。

彼自身は宇多天皇のブレーンとして高い教養と学問を持っていました。確かに天神様としてまつられたのはその霊を慰めるためですが、また、学問の神様といわれたのが、明治以降だったとしても、わらにもすがりたい気持ちの受験生の心を笑うのはやめた方がいいと思います。

投稿日時 - 2016-09-10 23:46:14

ANo.3

>北野天満宮は、当時は天災の神様だったんですね。

というよりも、天変地異が起きない事を祈った神社です。
菅原道真が大宰府で憤死して以降、都では「大雨・雷雨など、天変地異」が多発。
当時の朝廷は「菅原道真の祟りじゃ!」と考えた訳です。
菅原道真が風神・雷神を従えて、異常気象を起こしている。
そこで、菅原道真を「神として祀り、怒りを鎮める」対策を行ったのです。
今でも、菅原道真を祀る「全国の天満宮」では、「干ばつ時に、雨乞い神事」が伝わっています。
この「雨乞い神事」が有名なので、「天災の神様・降雨の神様」と見做される事があるのです。

>いつから学業の神様になったのだろう?

時代が下れば、徐々に「菅原道真=怨霊」という説が小さくなっていきます。
道真といえば、博学の家柄です。
怨霊というよりも、学問の神様としての存在が徐々に大きくなります。
鎌倉時代には、既に「雨の神様・学問の神様」となっていますね。
これは、何も不思議な事ではありません。
(伏見)稲荷神社も、元は「稲作・豊作」の神様です。
が、今では「商売の神様」としての方が有名ですよね。^^;
出雲大社も、恋愛の神様を祭っているのではありません。
現に、拝殿正面には「オオクニヌシ命」は存在しません。
※拝殿から向かって右側に、オオクニヌシ命は鎮座しています。
※ですから、(事実を知っている)参拝者の多くは「拝殿の左側に移動して(オオクニヌシ命の正面側)祈り」をささげます。
ただ、古事記からの伝承で「妻を力で奪わなかった」事で恋愛の神さんと見做されただけの事。

>普通、天災除けで学業の神様を奉る神社建てます?

天災除けでは、学問の神さんは祀りませんね。
天災用には、天災を防ぐ神さんを祀ります。
例えば、高野山・比叡山・全国の国分寺にも「(寺が建つ)土地の神さんを祀る神社」が境内に存在します。

>天災の神様に受験合格しますようにって願ってるのを想像したら笑えてしまった。

まぁ、神社の歴史を知らないと笑ってしまいますよね。^^;

投稿日時 - 2016-09-10 22:47:22

ANo.2

えっと、、いろいろ認識誤りがありそうです。
まず、菅原家というのは学問で朝廷に仕えた家柄です。その中でも菅原道真は幼い頃から優秀な人で、その頭脳が評価され、当時の家柄ではあり得ない右大臣にまで出世した人です。で、左大臣の藤原家にその優秀さを妬まれ、政治権力闘争に敗れ、無実の罪をでっち上げられて大宰府に島流しになりました。
失意のうちに亡くなった同時に京の都で落雷などの天変地異や有力者病死が相次ぎました。当時の有力者はこれを道真公が怨霊となって災いをもたらしていると考え、その祟りを鎮めるために北野天満宮に祀りました。ここから雷神との結びきました。
ですので、学問の神様であるのは、その家柄および本人の優秀さが基になっており、雷神であるのは朝廷から不遇を受けて怨霊になったことが基になってます。当時の科学レベルや信仰レベルではそれぞれ正当で説得力のある根拠があります。天神様に学問の神様を兼任して貰ってるワケではありません。どちらかと言うと逆。

ちなみに降りかかる災厄から逃れるまじないとして「クワバラ、クワバラ」と言いますが、これは道真公が京都の桑原出身であり、怨霊となった道真公が京都に落雷の災害をおこしますが、なぜか桑原町だけはその被害をなかったそうです。それが転じて「ここは桑原町ですから災厄を落とさないでください」っていうまじない言葉になったと言われてます。

投稿日時 - 2016-09-10 20:55:08

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