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解決済みの質問

イエスの哲学は 《存在》論である。宗教を卒業しよう

 1. アブラム(のちのアブラハム)という人は 或る日 すでに七十歳をすぎているのに 神から――あたかもお告げがあるかのように―― 

    故郷の地を去って 行きなさい。

 と言われ そのようにしました。行き先も告げられずに。

 2. その子孫としてモーセという男は その神に名を尋ねたとき 

    《わたしはある》 それが わたしである。
    (エフィエー アシェル エフィエー.)

 という答えを得たと言います。
 

 3. 伝えによると ダヰデという人は 

    きょう わたしは おまえを生んだ。

 という言葉を その神から聞いたそうです。すでに父母からは生まれているんですけれどねぇ。
 

 4. イザヤという人に到っては 《主なる霊が わたしに臨んだ》と表現する歴史に発展しました。

    これは主がわたしに油を注いで 
    貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね 
    わたしを遣わして心の傷める者をいやし 
    捕らわれ人に放免を告げ・・・(中略)・・・るためである。
                 (『イザヤ書』61:1-3)

 5. その後 さらに時は飛んで イエスという人が出たと言うわけです。

 6. イエスが 《自分の育ったナザレに来て いつものとおり安息日に会堂に入り 聖書を朗読しようとして立ち上がった》時のことです。
   
    すると 預言者イザヤの巻き物を渡され 開くと次のように書いてあ
    る箇所が目に留まった。

      主の霊がわたしに臨み 油をわたしに塗った。
      主がわたしを遣わしたのは 貧しい人に福音を伝え 
      捕らわれ人に解放を・・・告げ知らせるためである。》
                  (つまり『イザヤ書』61:1-2)

    イエスは巻き物を巻き 係りの者に返して席に坐った。会堂の人びと
    は皆 イエスに目を注いでいた。そこでイエスは 

      ――この聖書のことばは 今日 耳を傾けているあなたたちに
       実現した。

    と話し始めた。
        (ルカ福音4:17-21)

 7. 《神と人間――おのおの我れ――とのカカハリ》が――人間の言葉による表現上―― ここまで 及んだのだと捉えます。

 8. ひと言で言って 《存在》――《わたしは ある》――をめぐる理論の問題である。そしてこれで 完成だと言ってよいのではないでしょうか。

 9. さらにその後 イエスは この存在論の実証をしたと伝えにはあるようです。

 10. 十字架上において はりつけになるというコトを みづから欲して そのとおりになったことにおいてだと言います。

 11. 生前には かれがユダヤ当局に捕らわれたとき かれを見捨てて逃げた弟子たちも その死後においては かれは 神であったと言い始めたそうです。じっさいイエスは 自分が神だと言っていた。

 12. もしかれが 神ではなくただ人間であるだけであったとすれば そのような存在論の実証は もし信念の強い殊勝な人がいれば その限りで誰でも出来ると思われたでしょう。ようやったな 弱い人びとにとって必要があれば また誰かあとに続くだろうとうわさして おしまいである。

 13. 存在論は 実証が《完成》していないことになります。アブラハムやモーセらは 自分たちからイザヤらにつらなった存在論の系譜とその言わば悲願は さらに 別の人によって実現するのを待つということになります。

 14. もしイエスが 人間ではなく仮りに神であるだけだったとすれば そのままそれは 《うそ》ですから 張り付けの十字架から降りて行って 奇蹟を起こしたということに話は成るのかも分かりません。神のやることはおれたち人間には関係ねえよで おしまいとなります。

 15. 父ヨハネと母マリアから生まれた人間であると同時に 聖霊によって身ごもった子つまりキリストと呼ばれる神の子でありみづからも神であると言うというところに その歴史的な一大事件としての《虚構》があり どうもそこで存在論を実証したのではないか。とうわさされているのかも分かりません。

 16. アブラハムから始まった神の信仰は 一たんキリストの登場を俟つというかたちのキリスト史観として承け継がれた。そしてそのキリストが出たからにはこの《時を俟つ》キリスト史観は もう要らない。

 17. われらが《存在》の成就である。さまざまな《貧困》の解消が 宗教抜きで成されるという課題が残った。

 18. 言いかえると このキリスト・イエスをも 宗教の種にして おのれの支配欲を満たそうというヤカラがいつづけているということだ。

 ご批判をどうぞ。

投稿日時 - 2016-11-13 10:50:17

QNo.9255078

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

<ご批判をどうぞ

批判ではありませんが、神もイエスも知識ではなく感じるものです。
知識に偏向してまうと知識論争になってしまい、神を感じることがなくなってきます。
また、私は自分を聖人、あるいは神の使いという人を信用していません。
本当に聖なる領域に近い人は私の知っている人では2人だけです。
一人はキリスト教で一人は神道です。共通しているのは目が青みがかっているということです。では外人が全てそうかといわれると反論できませんが・・・。
科学では説明できないことも多く経験し、科学で説明できないことがこの世にはあると思っています。
手を頬に近づけると温かいです。温かい、つまり放熱です。熱はエネルギーです。もしこのエネルギーを増幅出来れば大きな力となります。これがイエスの力となって聖書に記されています。

神を知らない者にとっては、西行法師の「何人のおわしますか知らねどもありがたさに涙あふるる」の心境です。

また神は雄弁ではありません。ほとんど語らないと言ってもいいでしょう。
また神は無であり、神と接触できるのは我々が生きている間だけです。生きている間しか神と接触できません。

神と話すのではなく神を感じるのです。言葉で説明できるものではありません。
あなたは私なんかよりよほど真剣に求道されている方かと存じますが、知識だけでなく感じるようにしてください。体が温かくなり、涙が自然と流れてくるようになります。
もうあなたと会話することもありませんが、レベルが違うと無知として扱われるかもわかりませんがどうかあなたに祝福ありますように・・・。

投稿日時 - 2016-11-15 00:46:35

お礼

 そうですね。

 もう一回 そうですね。

 まづは ご回答をありがとうございます。

 あめんほてぷ氏のほかに やっとまともなご投稿を得ました。



 そうですね。

 まづは わたしは いぢわる人間ですので エラーの訂正です。

 ○ なにごとの おはしますかは 知らねども
   かたじけなさに なみだこぼるる

 ですね。





 汲めども尽きぬ泉の水の湧くごとく あなたの心に 乾いたと思ったら いつもみづみづしさがあふれ出て来ます。

 それゆえに われら《神を感じる》やからは 神について なるべく合理的に説明するつとめがある。わたしは こう思っています。



 一隅を照らすといった・ひとつのつとめは なるほど 思いやりや助け合いをつうじて そのあたたかさに触れ得るならば 光を見たと感じることが出来ます。

 あるいは 医学といった科学のちからで なお光を見させることが出来るようになって来ています。

 これらは ただし 人間の能力と努力とで見ることのできるひかりです。



 ところが さきほど泉の水の湧くごとくと言いましたが ひとの心を照らすというよりは おのれの心の中でそのこころの燈心がともされるということ。あかあかと ただし燠の火のように ゆっくりとチロチロといった風に燃えるともしび。

 神を感じるというのは そういうあり方の成ることを言うのではありませんか?

 なぜなら 科学やひとの思いやりといった人間のチカラだけでは そうは成らないと考えられるからです。




 もし:
 ★ 体が温かくな
 ☆ っていらっしゃるということでしたら そのとき・そこから:
 ★ 涙が自然と流れてくるようになります。
 ☆ だけではなく・また 涙はこぼれるにまかせて そうではなくそのあなたの心のありさまを しっかりと言葉にしてひとに伝えるようにして欲しい。

 これが わたしたちのつとめです。




 神は 神そのものを:
 ★ 言葉で説明できるものではありません。
 ☆ ということでしょうが 神を感じるありさまについては 伝えることが出来るはずです。

 ただ かたじけない ありがたい と言っているだけでは ダメです。




 わたしは へそ曲がりですから 
 ★ 祝福
 ☆ も要りません。こうやって《放火》のつとめをおこなっています。それだけです。

投稿日時 - 2016-11-15 07:57:26

ANo.17

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回答(17)

ANo.16

>これだけの説明で ひとつの仮説が出来ています。

 それがどうかしたというのですか?
 その仮説が正しいという証明を貴方はしていないのですから、貴方の考えが中身のない空っぽなものである事に何ら変わりはないではありませんか。
 それに、

>後、7ばかりに拘っておられる様ですが、貴方が事実であると証明していない仮定は他にも幾つもあるのですから、もしも例え7の話が事実であると証明出来たとしたところで、それだけでは貴方の話が中身の無い無駄話ではないという事にはなりませんよ。

と書いた筈ですが、やはりそちらは証明出来ないのですね。

投稿日時 - 2016-11-14 02:24:34

ANo.15

もっと考えることです。」←?・・

考えるって?・・

あなたが 他人に聞かずとも 神の意図を知ればイイだけ・・

聖書を読んだのなら 神に聞く方法は知ってる筈だが?

投稿日時 - 2016-11-14 01:50:54

ANo.14

★ あなたの思う回答しか正解にならない・・
 ☆ というふうに あなたが思うことが ただしいとすでにあなたは決めつけている。」←「ご批判をどうぞ」と なってるのに批判すれば それを批判するだけでしょ?・・

そして あなたの思う回答で無けりゃ あなたは受け付けず この質問自体締め切る事になる・・

これって このサイトの欠点なのです・・

あなた達は 運営に踊らされてるだけって事を理解していない・・

何も解決出来ないのです・・・

この様なサイトの やり方では・・・・

投稿日時 - 2016-11-14 00:03:42

補足

 もっと考えることです。

投稿日時 - 2016-11-14 00:23:02

ANo.13

>事実にもとづき それについての解釈をも交えている。と言えば 分かりやすかったですか。

 むしろ分かり難いですね。
 その解釈が正しい解釈の仕方で、正しく事実を表したものであるという事を貴方は一切証明しておりませんから、その様な解釈に基づいている貴方の考えは、貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くなく、正しいか否かを広く問う事が可能な段階にある問いなどとは到底呼べる代物ではありません。

投稿日時 - 2016-11-13 22:04:44

補足

 あなたは 存在論を知らない。

 これだけの説明で ひとつの仮説が出来ています。

投稿日時 - 2016-11-13 22:15:45

ANo.12

>表現の歴史として事実である。
>事実にもとづいて仮説している。

 嘘はいけませんね。

>ここまで 及んだのだと捉えます。

と捉えたのは誰なのですか?

>この神の名を告げたときの命題を人間に当てはめた場合の――《存在》論

が表現の歴史として推移して来たと考えているのは誰なのですか?
 どれも貴方がそう捉えてそう考えているというだけの事に過ぎず、万人が認める事実などではないではありませんか。
 その様な、貴方の個人的な思い込みによる仮定を事実であると見做すという誤った考えに基づいてばかりいるのですから、貴方の考えを推し進める事で得た結論の話など中身のない空っぽなものに過ぎず、そのような中身のない話をすることは単なる無駄話以外の何物でもないと言っているのです。
 後、7ばかりに拘っておられる様ですが、貴方が事実であると証明していない仮定は他にも幾つもあるのですから、もしも例え7の話が事実であると証明出来る様たとしたところで、それだけでは貴方の話が中身の無い無駄話ではないという事にはなりませんよ。

投稿日時 - 2016-11-13 21:28:35

補足

 事実にもとづき それについての解釈をも交えている。と言えば 分かりやすかったですか。

投稿日時 - 2016-11-13 21:34:07

ANo.11

>☆☆ 表現の歴史として捉える
>☆ と言っているはずです。

 だから、

>それもまた単なる仮定に過ぎず、正しい見方であると証明されている訳ではありませんよね?
>貴方はそれらの前提が正しい事を証明しておりません。
>それより先の話に関して
>>広くみなさんに問う
>などという事をしたところで、
>そんな問いに正解などある訳がないじゃないか」
>という事になりますので、
>先に話を進める事は無意味であり、その様な無意味な事に関する話は無駄話以外の何物でもないという事です。

と言っているはずです。

投稿日時 - 2016-11-13 19:39:58

補足

 表現の歴史として事実である。

 事実にもとづいて仮説している。

 その内容がただしいかどうかは 次の問題。

 

投稿日時 - 2016-11-13 19:42:29

ANo.10

>そして まだその見方については まさに仮説ですから

 そうですよ。だから、それより先の話に関して

>広くみなさんに問う

などという事をしたところで、
「そんな話は7が正しいかどうか分からないのだから、正しいかどうかも分からないじゃないか。
 そんな正しいかどうか分からない7より先の話に関して正しいかどうかを問われても、そんな問いに正解などある訳がないじゃないか」
という事になりますので、7より先に話を進める事は無意味であり、その様な無意味な事に関する話は無駄話以外の何物でもないという事です。
 あなたの考えの結論は、貴方が7以外にも設けている幾つもの仮定が事実でなければ成り立たないのですから、尚の事、貴方の考えは結論を出せる様な段階には全くなっていないという事になります。
 それにもかかわらず、貴方は何の根拠も証明もなく結論を出しているのですから、その様な結論は無意味であり、貴方の考えは無駄話に過ぎないものという事になります。


>単純に 《われはある / 存在の理論》と見なして あとは 全体として捉える

 それもまた単なる仮定に過ぎず、正しい見方であると証明されている訳ではありませんよね?


>☆☆ 8.

>☆☆ 9. さらにその後 イエスは この存在論の実証をしたと伝えにはあるようです。

に関しても同様で、貴方はそれらの前提が正しい事を証明しておりません。


 従って、貴方の反論は お門違いです。だから 中身がからっぽだと言いました。

投稿日時 - 2016-11-13 18:56:15

補足

 ☆☆ 表現の歴史として捉える
 ☆ と言っているはずです。

投稿日時 - 2016-11-13 19:27:24

ANo.9

>あなたの挙げている《正当な理由》は なおまだその中身が明らかになっていません。あなたの主観の内では成っているのかも分かりませんが 相手に・つまり質問者に対しては 証明がされていないし じっさい中身すら明らかになっていません。

 それは話が逆ですね。
 質問文の7辺り以降で挙げている貴方の考えの前提条件が、貴方が勝手に設けた仮定ではなく、事実であるという事を貴方は証明していません。
 それ故、貴方の考えを

>貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くない。

と見做すのは順当な事であり、貴方の考えが真実に近いものであるか否かという事に関して証明する必要があるのは、その考えを主張している貴方自身であって、批判する立場である当方は貴方の考えに「前提条件として仮定にしか過ぎないものを用いている」という穴がある事を指摘するだけで十分な批判になるのですから、貴方の考えが仮定に基づいたものである事を証明する必要など全く無いのですよ。
 「事実であると証明もしていない単なる仮定に過ぎない事」を事実であるとしなければ成り立たない考えなど中身のない空っぽなものに過ぎません。
 前提条件が正しいか否かを問わずに話を進めたところで、もし前提条件が間違っている事が明らかになればそれまでの話は全て無駄になるのですから、前提条件が正しいか否かを検討もしていない貴方の話は単なる無駄話に過ぎません。

投稿日時 - 2016-11-13 17:11:49

補足

 ★ 質問文の7辺り以降で挙げている貴方の考えの前提条件が、貴方が勝手に設けた仮定ではなく、事実であるという事を貴方は証明していません。

 ☆☆ 7. 《神と人間――おのおの我れ――とのカカハリ》が――人間の言葉による表現上―― ここまで 及んだのだと捉えます。
 ☆ 《表現》の問題として 《神とわれとの関係》の歴史があった。あるいは 《わたしはある》という――この神の名を告げたときの命題を人間に当てはめた場合の――《存在》論が やはり表現の歴史として――わづかな例示においてながら―― 推移して来た。
 このように言っています。

 そして まだその見方については まさに仮説ですから 広くみなさんに問うというかたちです。

 そして これは 表現の歴史という問題ですから 特にその命題と展開の証明を問うものではありません。単純に 《われはある / 存在の理論》と見なして あとは 全体として捉える・・・こういう構えです。


 このような――軽い――意味において 次のように作業仮説を設定しています。:
 ☆☆ 8. ひと言で言って 《存在》――《わたしは ある》――をめぐる理論の問題である。そしてこれで 完成だと言ってよいのではないでしょうか。
 ☆ なぜ《単純で軽い意味において》でよいのかと言えば 存在論は 《われがわれである》という自同律として成り立っているものだからです。

 あとは イエスがイザヤ書のくだりに触れて言ったこととしては 貧困者とわれとの関係といった社会的な側面が 課題として加えられている。という恰好です。

 これも しかしながら 存在論の単純な応用ないし実践のもんだいとなります。だから 気軽に扱えるという考え方です。中身は重大でしょうが。



 ☆☆ 9. さらにその後 イエスは この存在論の実証をしたと伝えにはあるようです。
 ☆ これについては 《10》以下で説明しています。



 存在論が 自同律にもとづくというのは 《万人に当てはまる》普遍的な理論です。自己同一性のことです。


 あなたの批判は お門違いです。だから 中身がからっぽだと言いました。




 今後において同じあやまちを繰り返す投稿であるなら 放っておきます。


 はっきり言って 常識以前の投稿内容です。

投稿日時 - 2016-11-13 17:58:10

ANo.8

ってったって できるわけないのは 分かっている」←うん・・同じネームで ならね・・

そして このネームでも批判する気は無い・・

何故なら 此処って あなたの思う回答しか正解にならない・・

ならば あなたが解かる日が来るまで 間違ってても仕方ない・・って事だから・・

 

投稿日時 - 2016-11-13 15:05:40

補足

 ★ あなたの思う回答しか正解にならない・・
 ☆ というふうに あなたが思うことが ただしいとすでにあなたは決めつけている。

投稿日時 - 2016-11-13 15:12:13

ANo.7

>それでは
>おまえのかあちゃん でべそ!
>のたぐいのののしりです。

 何故その様に思われるのか理解に苦しみます。
 当方は

>その様な考えは貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くない。
>それ故、その結論も正しいものという事は永遠に出来はしない。

という正当な理由を挙げているのですから、真っ当な批判になります。
 御質問は

>ご批判をどうぞ。

というものなのですから、私の回答は立派に回答となっております。

 貴方は

>ご批判をどうぞ。

としているにもかかわらず、

>中身としての説明がありません。
>無駄な投稿は 遠慮なさってください。

と要求しているのですから、貴方のコメント内容は不当な要求というものであり、それ故、

>中身としての説明がありません。
>それでは
>おまえのかあちゃん でべそ!
>のたぐいのののしりです。

というコメント内容の方こそ単なる不当な罵りに過ぎないというものです。
 このサイトは質問者の意見に賛同する回答を得る事のみを目的とした投稿を行う事は禁止されていますよ。

投稿日時 - 2016-11-13 14:55:56

補足

 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 当方は

  >その様な考えは貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くない。
  >それ故、その結論も正しいものという事は永遠に出来はしない。

 という正当な理由を挙げている
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《おまえのかあちゃん でべそ!》の場合も 結論としては明確に述べています。

 ただ その理由が 推測なわけです。そのかあちゃんのヘソが出べそかどうかは 分からないまま・あるいは 事実として分かっていてもそれを相手に証明しないまま 結論だけを叫んでいます。

 あなたの挙げている《正当な理由》は なおまだその中身が明らかになっていません。あなたの主観の内では成っているのかも分かりませんが 相手に・つまり質問者に対しては 証明がされていないし じっさい中身すら明らかになっていません。






 別の言い方をすれば すべての学説はひとりの人間の仮説に始まると言っても間違いではありません。

 だから あなたの挙げている批判とその理由は まだ海のものとも山のものとも明らかではありません。

 中身がからっぽです。

投稿日時 - 2016-11-13 15:22:40

Bragelonneさん こんにちは。

修行の途中で忙しく、回答は控えようと思っていましたが、一言、回答します。

Bragelonneの質問内容を読んでいると、bragelonneさんは「律法学者」ではないかと思うことがあります。

聖書の一字一句を解釈するとどうなるか。出エジプト記に下記のような一節があります。

死に値する罪
「女呪術師を生かしておいてはならない」
出エジプト記22章17節

この聖書に書かれた一節が、もとになり、中世の16世紀17世紀に「魔女狩り」が行われ、10万人から20万人の人が裁判にかけられ、4万人から6万人が処刑され、約8割は女性だったそうです。

17世紀にキリスト教のカトリックとプロテストにおける30年戦争(1618~1648)が起こりましたが、この戦争でドイツでは人口の4分の1から3分の1が失われたそうです。

キリスト教の神の真理が「愛」であるとしたら、上述のことは神が望んでいるところでしょうか?

私は、キリスト教がローマ帝国において国教となり、権力と結びついたことによる歴史の中の腐敗の出来事であると思います。

では、仏教はどうかと言えば、お釈迦様の入滅後、100年たらずで、戒律を重んじるか、どうかで、上座部(テーラヴァータ)と大衆部(マハーサンギカ)の「根本分裂」が起きています。

このような分裂はお釈迦様は望んだことでしょうか?

この哲学カテゴリで指摘がありますが、イエスも仏陀も書物は一切残していません。

その考えを律法学者のような、真理ではなく権力に重きを置く人間により勝手解釈されると、上記のような事態がおきます。

Bragelonneさんも読まれたかもしれませんが、キリスト教の聖人アウグスティヌスは著書「キリスト教の教え」の第7章において「知恵」に至る「上昇の7段階」を説いています。

1)神への畏れ
2)敬虔
3)知識(隣人愛の認識)
4)正義
5)あわれみ(隣人愛による自己完成)
6)目そのものを清める
7)知恵

この7番目の「知恵」について、某大学の神学科の名誉教授に尋ねたところ、「神の知恵」と解釈できるのではないかとおっしゃっていました。

しかし、それでは、人間が神になるという、最も重い傲慢の罪を犯すことになるのではないか、聖書の福音書でイエスが、またパウロも度々、「完全なものになりなさい」と説いていますが、この「完全なもの」とは「神」ですか?と尋ねたところ、

イエスが説いているのは「愛において完全になりなさい」という意味だ、と教授してくださいました。

Bragelonneさんが、自身の哲学において、キリスト教や仏教を勝手解釈するのは、自由ですが、私は「愛」と「慈悲」は真理と思っています。Bragelonneさんが単に「知識」の受け売りする「律法学者」でなく「知恵」として昇華されることを望みます。

では、修行に戻ります。またいつか。

投稿日時 - 2016-11-13 14:28:24

お礼

 宗教――つまりは オシヘつまりは 律法 そして律法主義――から卒業しようと言ってるんですよ。


 よく読んでよ。


 キリストを待望していた時代は オシヘを鵜呑みにする律法主義ではなかったと見るとしても アタマにキリストという概念を 絶対的な命題として持っていたかと思われます。(まぁ ダヰデ以降でしょうが)。

 イエスがキリストとして登場したからには もうその《キリスト待望史観》は 要らなくなったわけです。


 文字通り 宗教は 消えました。

 (わづかに キリスト・イエスのことを伝えるという仕事はあった。だから パウロの言うには《宣教という愚かな手段》を用いて そのつとめは果たされた。それでもう 宗教は消えました。理論じょう)。




 こういう見解です。




 ご回答をありがとうございます。

投稿日時 - 2016-11-13 14:42:39

ANo.5

という投稿は 寄せるにあたいしますか」←値するかどうか・・よりも 聖書は「比喩と喩えの」書物・・

比喩を解読しないと解からない様になってるが あなたは 少しも解読出来ていない・・

これでは 話に ならない・・

アベルとカインの供え物の受け取り・・ノアの箱舟の意味・・アブラハムが 何故 息子を供え物にしなければならなかったのか?・・等・・・全て解き明かしてこそ 解かる書物です・・

投稿日時 - 2016-11-13 13:00:00

お礼

 ぢゃあ 解かっているのなら その内容を説明し 批判すべきところは批判してください。


 ってったって できるわけないのは 分かっている。




 

投稿日時 - 2016-11-13 14:26:27

ANo.4

質問者様も私も死ぬ日は遠くない。
実践もせずに、いつまで思考に留まっているのですか。
それとダヰデって誰。

キリストの死後二百年以上経ってできた福音書にこだわり過ぎ。
共観福音書の元となったQ資料が発見されれば状況は変わりますが。
死後五十年にはできていた使徒行伝やパウロの書簡のが、
キリストや教えに関して正確である。

以上

投稿日時 - 2016-11-13 12:59:51

お礼

 で お考えの内容は?




 ご回答をありがとうございます。

投稿日時 - 2016-11-13 14:24:23

ANo.3

>中身としての説明がありません。

 中身とは何の事ですか?
 貴方の考えは仮定に基づいた空想ばかりで中身が無いので、中身としての説明など必要ないではありませんか。

投稿日時 - 2016-11-13 12:29:52

補足

 それでは

  おまえのかあちゃん でべそ!

 のたぐいのののしりです。

投稿日時 - 2016-11-13 14:22:56

ANo.2

 その様な考えは貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くない。
 それ故、その結論も正しいものという事は永遠に出来はしない。
 従って、貴方のその考えは只の妄想と同レベルのものに過ぎないのであるから、その様な事に関する話を続ける事は無駄以外のなものでもない。
 貴方はその事を自覚し、その様な無駄話から卒業しよう。

投稿日時 - 2016-11-13 11:21:49

補足

 中身としての説明がありません。

 無駄な投稿は 遠慮なさってください。

投稿日時 - 2016-11-13 11:37:03

ANo.1

ご批判をどうぞ」←批判はありません・・

あなたの思う様に・・

あなたが思ってる事はあなたのもの・・

イエスも アブラハムもヤコブもイサクも モーセも・・・そして 神も・・誰もあなたの思う事を咎めない・・

投稿日時 - 2016-11-13 11:18:54

お礼

 という投稿は 寄せるにあたいしますか?

投稿日時 - 2016-11-13 11:38:32

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