こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

市町村合併、埼玉県の事情をご存知でしたら。

埼玉県に引っ越してきて約5年。三芳町在住です。
今の家の周辺は坂も少なく、当初は多かった畑が潰されて宅地が増えてきていますが、長閑な空気を概ね気に入っています。
ただ三芳町というのはその前に入間郡という「郡」が付くのですね…。
引っ越しを決める際はそれほど深く考えなかったのですが、どうも「郡」と付くとどうも一般的に奥のほう、不便な田舎のイメージがあるようです。
引っ越し後に知人に新住所を報告すると、話の間が開いたり、戸惑いの表情を見ることもありました。最寄駅は池袋から30分圏内なんですが。

私は地方出身ですが、実家は山の中の僻地にありますが、それでも平成の大合併で、「郡」から「市」に変わりました。
都道府県其々に事情、市町村合併の良し悪しというのもあるかとは思います。

埼玉県というのは、いまでも結構、市町村は細かく分かれている方だと感じています。
引っ越しの際に不動産屋近辺から「三芳町は平地が多く企業の工場、倉庫が多いので税収に困らず、周辺との合併を断った」とか
同じ理由で「和光市はホンダがあるから」とも聞きました。噂でしょうか?

興味、関心がある程度ですが、市町村合併、平成の大合併時等の埼玉県の事情をご存知でしたら教えてください。

投稿日時 - 2018-08-29 13:16:32

QNo.9531996

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

No.3です。
わざわざお礼を記入頂きありがとうございます。
追加のご質問がありましたので説明させて下さい。

>三芳町と、毛呂山町 越生町の間に他の市が挟まっているのですね!これはしかしなんとも理解しがたく、ここにも複雑な力関係、事情がはたらいているのでしょうか。
入間郡という地域名は明治12年に発足しました。
当時は行政区としての意味がありました。
以降入間郡内の村落が町や市として入間郡から離れていきました。
最終的に残ったのが現在の三芳町、毛呂山町、 越生町です。
三芳町が飛び地のような位置になっているのはこの他にさいたま市の揉め事も影響しています。

>全国的にみても珍しいのではないかと思う次第です。
関東地方では左程珍しい現象ではありませんが全国的に見れば珍しいと言えます。
これは関東地方の歴史とくに江戸時代の統治が深く関わっています。
江戸時代に関東地方に配備されていた大名は幕閣で自領の経営よりも幕府の経営に注力していました。
結果として堅固な城郭を中心とした城下町が発達しませんでした。
江戸へ物資を送る町人が主体の宿場町のような性格の強い町として発達していました。
領地も沢山の飛び地で形成されていて他の地方の大名のように纏まった領地を持ちませんでした。
川越領のように赴任する大名の石高に応じて大名領であったり幕府直轄領であったりと目まぐるしく変わっていた村もありました。
当時年貢は村単位で課せられていました。
旗本の場合は複数の村から年貢が納められたり。一つの村から複数の旗本へ納められたりしていました。
村には村役人と呼ばれる農民の自治組織がありました。
この村役人が村内の誰がどれだけ負担するかを決めると同時にどの旗本にいくら納めるかを決めていました。
つまり納税業務の実務は全て農民自らがやっていたということです。
大名は幕命でしばしば領地を変更(転封)させられていました。
下級官僚であった旗本は功績次第で手にする年貢高がしばしば変わっていました。
「地頭(領主)は当座の者百姓は末代」などと言う言葉も生まれ、この村は自分達のものだという意識が定着していました。
一方で律令時代には△△国〇〇郡××村という行政区分があり、江戸時代にも数村を管轄する郡奉行という役職が設けられていました。
明治政府も行政区分を決める際に農村部を統括する「郡」という区分を設け郡奉行に相当する郡長を定めて地域行政に当たらせました。

>「入間郡」って必要なんですかね?
入間に限らず「郡」と言う地域名は現在実質的な行政区分としての意味をなくしています。
習慣的に残されているだけですので「必用か!」と言われると必用は無いということになります。
郡を廃止する権限は県議会など地方議会に委ねられています。
県議会議員や町村議会の多くは立候補する人も選ぶ人も親子代々その土地で生まれ育った人達が大半です。
上記した歴史的な経緯からも地方議会は地元意識の強い議会となっています。
習慣的に残っているだけにせよ埼玉都民のような人達が「郡」は田舎みたいでいやだといっても通らないのが現実です。

蛇足
さいたま市が揉めているのは、大宮が地名のとおり氷川神社の門前町として発達した町で浦和とは歴史的にも異なる地元意識を持っていました。
これを無視して統合した市の名称を大宮市にするか浦和市にするかなどと余分なことを持ち出した結果おきた揉め事です。
現職の議員などの力関係以前の問題です。
平成の大合併では役人が主体となって決めていたために歴史的な地名が抹消されて思いつきのような地名が付けられたケースが大半です。
住人も地元意識というものを理論的に説明できませんでした。
遅ればせながら歴史学会が警鐘を鳴らし始めましたが遅すぎました。

投稿日時 - 2018-08-30 16:25:40

お礼

>関東地方では左程珍しい現象ではありませんが
珍しくないと??調べてみたら秩父郡、児玉郡、比企郡、北葛飾郡…本当ですね!説明を受けてもやはり不思議です…。
他の郡もそこそこの中堅都市に囲まれていたりするのに、「郡」。思わず「へぇー」という言葉が出てきます。
「郡」もいずれ少しづつ減り、逆に貴重となる可能性も?「ウチは「郡」なんだよ。珍しいでしょ」と胸を張れる日がくることもあるでしょうか。

本当に詳しい説明を分かりやすくしていただきました。日本史歴史の苦手な私でも、読みながら想像が働きます。
先生?講師?研究者?専門職?の方でしょうか…?私の思いつきの質問にこんなに詳しく細かくおつきあいいただきまして至極恐縮です。ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-08-30 21:16:41

このQ&Aは役に立ちましたか?

1人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(4)

ANo.3

>埼玉県というのは、いまでも結構、市町村は細かく分かれている方だと感じています。
三芳町にお住まいの結果受けられた印象でしょう。
県の北部や西部では市町村数は相当減少して広域な市町村が生まれました。
南部つまり東京と隣接している南部地域はほとんど実施されませんでした。

参考(合併実施前と後の地図があります)
埼玉県の市町村合併(『平成の大合併』の現状と課題)を取りまとめました ...
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0106/gappei/houkoku.html

>引っ越しの際に不動産屋近辺から「三芳町は平地が多く企業の工場、倉庫が多いので税収に困らず、周辺との合併を断った」とか同じ理由で「和光市はホンダがあるから」とも聞きました。噂でしょうか?
三芳町が財政的に豊な町だということは間違いはありませんが三芳町が断ったという話は聞いたことがありません。
三芳町の周辺の市町村も財政的には豊です。財政面からお互いに敢えて合併する意味がありません。
さいたま市と合併して政令指定都市に組み込まれる意志でもあれば別ですが、さいたま市自身が揉めに揉めています。
参考
ルポ/だれのため「広域合併」~さいたま市 - 3Web
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/saitama.html

三芳町としての問題はむしろ「市」への昇格です。

和光にあるホンダは研究部門が主体です。
ホンダが財政に寄与しているのは寧ろ埼玉製作所がある狭山市です。
ホンダ関連の部品メーカーも集結しています。

埼玉県の南部の市町村が豊なのは埼玉県に居住していて東京へ通ういわゆる埼玉都民が多数暮らしていることが大きく寄与していました。
参考
埼玉都民 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/埼玉都民
抜粋
特に埼玉県南部(さいたま市、川口市、蕨市、所沢市、新座市、朝霞市、和光市、戸田市、草加市、八潮市、三郷市、吉川市など)はベッドタウンとしての特徴が強く、大都市周辺をベッドタウンとして通勤・通学する流れは近年の都市形成においてはポピュラーである。
中略
埼玉県内の鉄道路線は、東京方面へ直接行く路線網(京浜東北線、埼京線、宇都宮線、高崎線、武蔵野線、東武伊勢崎線、東武日光線、東武東上線、西武池袋線、西武新宿線、つくばエクスプレス、埼玉高速鉄道など)が非常に発達し、県内の東西交通よりも南北交通が至便となった。高度経済成長期以降、このような南北間鉄道交通網整備を背景として、埼玉県では南部を中心に宅地化が急速に進行し、「住居は埼玉県にあっても東京都区内に通勤・通学する」というライフスタイルを持つ新住民が急増した。

尚、この埼玉都民も定年後都心へ回帰する現象が顕著になり減少し始めています。
参考
「埼玉都民」5年で1万人減 2015年時点で93万人 :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO18840360T10C17A7L72000/

減り始めた「埼玉都民」 - ださいたま 埼玉 彩の国 エッセイ (足で書いた ...
http://blog.goo.ne.jp/jiei62/e/b5c891231bcb738fc8edddd08de41e2c

地域に関心を持たない埼玉都民の一人としてのエッセイです。

投稿日時 - 2018-08-29 15:32:02

お礼

添付された資料urlで、初めて知る情報が多々。ありがとうございます。浦和と大宮の争いなど、いろんな複雑な事情が垣間見え、恐ろしくも感じる次第です。

>三芳町が財政的に豊な町だということは間違いはありませんが
やはりそうでしたか。引っ越し手続きで庁舎に初めて訪れた際も一見豪華そうに見え、こんな規模の町の庁舎がなんでこんなに立派?と思いました。

ところで、私の引っ越しコンプレックスのきっかけ…とまで言うつもりはありませんが、改めて「入間郡」と検索してみました。するとウィキペディアによると入間郡以下の3町、三芳町 毛呂山町 越生町、なんと飛び地でした。三芳町と、毛呂山町 越生町の間に他の市が挟まっているのですね!
これはしかしなんとも理解しがたく、ここにも複雑な力関係、事情がはたらいているのでしょうか。全国的にみても珍しいのではないかと思う次第です。「入間郡」って必要なんですかね?無くてもいいんじゃないかと思いますが。
なにはともあれいろんな情報、早速ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-08-29 22:38:31

ANo.2

その通りです。大手企業の工場などがある市町村(主に町)は、最近の市町村合併の動きとは別に、単独の町を結構維持しています。埼玉で私の知っているところでは、横瀬町という小さな町が、秩父市の隣にあり、合併を断りました。横瀬は、三菱マテリアルの大きな工場があるので、町民の数のわりに税収が多いとのことです。合併が良いと言っているのは国で、大きな市もかなりの赤字があり、そこと合併すると、たちまち税収を吸い取られてしまいます。

投稿日時 - 2018-08-29 13:44:09

お礼

横瀬町という町を知らず、調べてみました。なるほど…いわゆる昔からの企業城下町、それも今も景気に関係なく続く企業を擁する市町村はそれが強みということになりますか…。早速のご返答、ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-08-29 20:04:06

ANo.1

平成の大合併は、法律で決められたもので、その期間に合併を行えば、合併時にかかる費用などの負担金が国から払われたので、合併が進んだわけです。

しかし、その法律も、不要とされ、のちになくなりましたので、今更合併しても補助金が出なくなりました。
なので、合併自体が以前に比べてしにくくなったわけです。

はっきり言って、合併をしたがるところは、お金がない(税収)ところで、合併を嫌がるのは、お金を持っている(税収の多い)ところになります。
簡単に考えればわかりますが、
税収が多い町が、税収が少ない街と合併した場合、人口と面積は増えますが、もとの住人や、地域に対して使えるお金が減るわけです。
合併したがるでしょうか?

同じくらいの力の町同士であれば、合併の効率化で良いわけですが、さが大きければ、弱い街は嬉しいですが、強い街は損しかありません。
その兼ね合いで合併するかどうかなどが変わっていきます。

郡などから市になるにしても、かなりのお金がかかります。
住所の変更になるわけですから、住民票のデータベース、地番表示、案内表示などたくさんの変更を行わなければなりません。
そんなことやったって、メリットは、イメーイ的な町から市に変わるだけ、
他のメリットがない中で、巨額のお金がかかるデメリットをどう考えるのかになるんですよ。

投稿日時 - 2018-08-29 13:28:45

お礼

なるほど…平成の大合併時にはまったく関わりの無いところに住んでいて関心もありませんでしたが、いろんな混乱した地域もあったんでしょうね…。早速のご返答、ありがとうございました。

投稿日時 - 2018-08-29 19:59:14

あなたにオススメの質問