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江戸時代のお墓の数

ご先祖は江戸時代、初期から幕末まで郷士だったみたいですが
お墓の数が少ないんです、延享に建てられた供養塔あわせても、三つ(あと3つお墓があったらしいのですが、わけがあり分家のお墓の土台になってます)
分家のほうがお墓の数が多い気がします
両墓制でお墓に骨は埋まってません
お墓が少ないのは、どんな理由が考えられますか?
ご先祖は、いつの頃からお墓を建てられるようになったかもわからないです

投稿日時 - 2018-09-17 11:41:09

QNo.9538161

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質問者が選んだベストアンサー

> お墓が少ないのは、どんな理由が考えられますか?

 ふつう、郷士でも大金持ちではないので、墓は1基でしょう。

 複数あるのは、藩の殿様とか、藩の重臣クラスです。もちろん例外はあって、なにか特別な功績を上げた人とか。

 我が家にも、「先祖代々の墓」の他に、第二次世界大戦で戦死した人の墓があります。遺骨は入っていませんが。

 複数の墓を作るのが慣例という土地があったとして、本家の墓が分家より少なくて、分家の墓の土台になっているという点を考えると・・・ 大変率直に言って

 本家が「没落した」と考えるのが素直なんじゃないでしょうか。そのせいで数多くの墓石を建てる余裕がなくなった、と。

 古来、本家と分家が争って本家が滅亡したことなどたくさんあります。あの織田信長の家だって、主の斯波氏の家老の「織田家」の分家であり家臣だった「織田家」(斯波家からみたら陪臣)ですから。今や本家の織田家の話なんて誰も知らない。

 余談めきますが、古代中国では、1国が他国を侵略して勝つと、滅ぼした(併合した)という象徴として、滅ぼされた国の王室の廟を暴いて、宝物を自分の家の廟に移したりしました。

 (わけあって、のわけがどんなのかわかりませんが)親戚とは言え他家の墓を自家の墓の土台にするなどという罰当たりなことをしている点から考えて、本家が分家から借金でもしたか、本格的に争って本家が押さえ込まれた(その象徴)か、というところではないでしょうか。

 まあ、本家の主がよほど寛容な人で、墓を建てる余地がない分家に同情して土台にすることを許したとか、「墓石は1基あれば十分」と方針を変えたということもありえますが。

投稿日時 - 2018-09-17 15:49:10

補足

お墓を土台にされた理由は、分家から借財をして返せなくなったからです。ご先祖は、屋敷の土地で借財したお金を返したらしいです。借りた理由は、門を村のお寺(ご先祖のお墓はない)に移動させるためお金が必要でした
本家の屋敷は親せきの人たち(離れた村の親せき含め)がお金をだして、少し離れとこに200坪くらいの敷地、数百坪の畑を買ってくれて、屋敷も建ててくれたと言い伝えであります
一回は潰れましたけど、ご先祖は親せきのおかげで復活しました
一町3反の田んぼだけは取られませんでした

投稿日時 - 2018-09-17 16:43:12

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回答(3)

両墓制のばあい,村はずれの「埋め墓」は個々の遺体を別々に埋め,やがて遺骨が分解してしまうと,おなじところを掘り返して新しい遺体を埋めるはずです。敷地は広いといっても無限にはありませんから。

いっぽう,村内にある「祀り墓」は,イエでひとつがふつうなんじゃないですか? 敷地はかなり制限がありますから,分家が増えれば大きな本家の墓も縮小するかもしれません。

投稿日時 - 2018-09-17 12:01:11

ANo.1

面倒臭かったから。。

投稿日時 - 2018-09-17 11:55:17

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