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締切り済みの質問

宗教改革は可能か?

現代に置いても宗教の持つ力は大きいのですが
宗教はその宗旨を時代に適応させようとしません
いい事も言ってますが時代遅れな事も旧態依然としています。
科学、宗教、哲学がその役割を果たさないと世界は良くなりません。
科学の悪用を無くし 宗教の迷妄を無くし 哲学の硬直化を無くす為に
まずが宗教改革や哲学改革が必要だと思うのですが
宗教改革、哲学改革は出来るでしょうか?

投稿日時 - 2019-02-09 20:41:02

QNo.9586194

困ってます

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回答(7)

ANo.7

宗教が、参加者のために集団としての性質を自己改変するとしよう。
それは存続することを目的とした場合で、たいてい金目当てだと証言されている。
歴史的にもだ。
自己の精神は誰にとっても、信教とかかわりを持つ。
その信教が、宗教という集団では、改変のために経費を徴収する。
ピラミッドとは経済活動の原始的な発露で、国力を向上させるための生産活動だったらしい。
まあ、ともかく現金を献上しろ。
それが貢献だよ。

投稿日時 - 2019-02-14 03:03:50

ANo.6

政治なら、参加する当事者が改変可能だ。
宗教への参加は、服従だよ。
改変しないまま、古くなり捨てられていくことが宗教だ。
宗教とは、参加するものではなくて、帰属して、服従する性質だからだ。
このような性質なので、改変はしないで単純明快に放棄すればいい。
君は何かに帰属していないと、自己の存在は承認されないのかね?
そして、承認されないと存在できないのかね?
そんなの必要ないよね。
当然だ。
君は存在している。
単に君が存在していることを誰も知らないだけだ。
何ら問題にならない。

投稿日時 - 2019-02-14 02:58:01

ANo.5

yuniko99さん、お久しぶりです。

苦悩のお気持ちは分かるような気がします。現代が病んでいるのは、仰せのとおりかも知れません。しかし、残念ながら、「宗教、哲学、科学の改革を!」と叫んだところで、お偉いさんも、世間も動きそうもないように思います…。おっと、そう言って突き放すだけでは回答にも何にもなりませんね。そこで私は、せめて自分の問題として、「人の振り見てわが振り直せ」の観点から少し考えてみようと思います。

例えば、国会をはじめとするいろいろな会議の場で政治家や官僚の方々が発言する際に、「自分の損得のために」臆面もなく、しかも、いかにも「正否を論じるような顔で」主張するような場面がよくあります。ダブルスタンダードの典型ですね。
「○○ファースト」を標榜するお偉いさんがいます。その○○(ファースト扱いされる対象、お偉いさんから見れば自分の選挙母体)にとっては、聞こえがいいかも知れません。しかしそれは、規模を拡大した自己中心、他者を踏み倒して自分たちだけ得をする、他人の不幸を相対的に自分の幸福にすり替えるような発想で、これでは「帝国主義」と変わりません。

こういう考え方はよろしくないと思います。少なくとも好きではありません。ですから私は、これを一つの反面教師、「他山の石」にしようと考えています。つまり、「そういう人にはなりたくない」です。では、どうなりたいか。「自分ファースト」の発想を抑えて、何とかこれを排し、異分子を認めて共存共栄を模索すべきだと思います。そして、右肩上がりの繁栄を追求するのでなく、そこそこのところに安定して循環する「持続可能な幸福類型」をもって最善としたい、と考えています。

いわゆる「世を憂える」この種の問題については、一般論として、「哲学する」姿勢が大事だと思います。現在「××なあり方をしている」ことは、それがいかにお粗末なものであっても非難はすまいと思います(非難しても詮無いでしょう)。それより、「今後を問いたい」のです。といっても、「こうなればそれだけでよい。ここまで来ればそれだけでよい」というような部類ではなく、「常に探求するスタンスを大事にすべきである」と考える次第です。

問題を意識化し、それに思いを致す心性、そういうことに意を用いる姿勢と心的態度をもって、我々の未来を考える縁(よすが)にするつもりです。そして、このささやかな個人プレーを拡大していく、つまり、「個の普遍化」をすることによって、己を含む人間社会の「民度」の向上を考える。我々にできることは、このくらいのことが限度かも知れません。ただ、その限度内でできる限りのことをする所存です。

以上、「宗教改革は可能か」のお尋ねに添えず心苦しいですが、ご回答まで。

投稿日時 - 2019-02-12 11:40:00

ANo.4

>宗教改革、哲学改革は出来るでしょうか?

ちゃんとできているところもありますよ。宗教も元々がいい教え(教団)、そうでない教えがありますよね。そういう輩を含めると理想には近づかないでしょう。

投稿日時 - 2019-02-11 16:16:47

補足

ちゃんと出来てるところって 何処ですか?知りたいですねえ。

投稿日時 - 2019-02-13 21:45:38

ANo.3

金払うつもりあるか?
私に言わせれば、めい一杯やったのに、うわさされた「莫大な懸賞金」はサギだった。

投稿日時 - 2019-02-11 01:34:50

ANo.2

それは常に行われています。
キリスト教を例に上げると
過去から現代にいたるまで さまざまな 流派 文派が生まれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

日本の仏教
https://biz.trans-suite.jp/9059

それぞれの時代に合わせて改革されてきています。
現代でも新興宗教という形や 元に戻ろうという原理主義 などがあります。
改革 必ずしも 改善ではない ということもありますけど キリスト教は 聖書の教えが 科学の発展により否定されてきたことにより 力がなくなってきていることも 改革の大きな要素になっています。

しかし 宗教は 科学の発展により 信仰としての教義は無意味なものになってしまいました。
神という絶対的存在などありえない。唯一の価値観などない。宗教のちがいによる 憎悪 争い など 宗教による改革は不可能。
そこで哲学のほうで新しい価値観を創造していくことが望ましいと思うのだけれど どうも哲学者という輩は 実はコンプレックスの塊で 意図的に難解な言葉ゃ言い回しをして 理解不可能な 言葉遊びで「お前たちには理解できないだろう」的な言辞を弄する傾向にあるのが問題。
口語で語る哲学 というものも ときどき出てきますけど それをもっと推奨して広めないといけないと思う。
日本では 最近若くして亡くなられた 池田晶子さん。

宗教は 多神教は原始的な自然発生的なもので 一神教が進化した形と言われるけど 一神教の他者を受け入れない性格はよくないと思う。異教徒は人に非ず。というところ。

キリスト ユダヤ イスラム これらは元は同じところからスタートして 分岐していったもの。
近代の産業革命が始まったころ 利息をとってはいけないという教義について ある日突然「そうだ異教徒から取るのは教義に違反しないだろう」とひらめいたのがユダヤ教徒だったかキリスト教徒だったか そこから資本主義が誕生して ユダヤ キリストは収奪する側になり 昔ながらの戒律を守り続けたイスラムは収奪される側に。
近年になりそれに気が付いたイスラムがキリストユダヤに反旗を翻したのが現代のIS闘争。
どちらも一神教で他者を認めない存在。こんな争いは宗教をなくすことでしかおさめられない。

投稿日時 - 2019-02-10 17:12:32

ANo.1

質問者さんが希望するようなものは、無理でしょう。

そもそもそんなにドラスティックな改革なら、それは改革というより新しい宗派の創造となるでしょう。であるならば、教祖というかカリスマが必要です。劇的な宗教改革にはカリスマの存在が欠かせません。
ユダヤ教の中からイエスというカリスマが生まれてキリスト教が誕生しました。中東でムハンマドというカリスマが生まれてイスラム教が誕生しました。ヨーロッパではヤン・フスとルターというカリスマが生まれましたが、彼らはイエスやムハンマドほどのカリスマがなかったのでキリスト教の一派であるプロテスタントを生むに留まりました。

もし現代の世界にイエスやムハンマド級のカリスマが現れたら、間違いなく精神異常者として葬り去られることでしょう。教祖を精神異常者として分析する精神科医は少なくありません。

>いい事も言ってますが

それは普遍的なことだからです。「なぜ私は生まれてきたのでしょうか」とか「世の中には生まれながらにして幸せな人もいれば生まれながらに不幸な人もいる。なぜ神は不幸な人々を助けてくれないのでしょうか」というような問いや悩みは数千年前から存在して、数千年後にも悩んでいる人がいるでしょう。
仏教であれイスラム教であれキリスト教であれ、何百年、何千年という時間をかけてふるいにかけれられて生き残ってきた教えは、真理が宿っているのですよ。

>科学の悪用を無くし 宗教の迷妄を無くし 哲学の硬直化を無くす

無理でしょう。人類のおそらく半分近く、ひょっとしたら半分以上は科学が真に理解できません。例えば世の中には「私は科学しか信じない。オカルトは信じない」とドヤ顔でいう人がいますが、こういう人は科学を正しく理解していない人の典型です。科学というのは証明されているのはごく一部で、9割方は仮説です。「オカルトは証明されていないから信じない」といっている一方で「科学は信じる」というのはおかしいのです。科学も証明されていないのがほとんどですから。一例をあげれば、重力というのものは科学的に証明されていません。本来オカルトは証明されていないから信じないという人ならば、重力も科学的に証明されていないから信じないとなるべきなのです。自称科学しか信じない人は科学教という宗教を信じているのです。

宗教の迷妄は、宗教そのものの問題ではありません。それを解釈する人々の問題です。そして必ず、その言葉を杓子定規に解釈する原理主義者が現れます。これも宗教そのものの問題ではなく、人間の頭の問題なのです。

哲学の硬直化というのが何を意味しているのか分かりませんが、人類にとって最古の学問のひとつである哲学は、もう既に新しい発見はほとんど残されていないでしょう。しかもその根幹をなす人たちはプラトンやらソクラテスやら、何千年も昔の人々です。何千年も昔の人が発見したものを、我々は手直しするだけなのです。新しいものがなければ硬直化するのは当然のことだと思いますよ。

それに、改革というのは「こうあるべきだから、今のここをこう変えるべきだ」となるべきです。例えばイエスは「神は怒っているのではなく、お前たちを愛しているのだ。愛されているのだから、そのことを感謝して過ちを悔い改めなさい」と説きました。変えるべきところを明確に示しています。
しかし質問者さんの提言には「どうあるべきか」がありません。「変えなければいけない」とはいっても「どこに向かって変えるべきか」というのがありません。目的地も決めずに旅行に出かけるようなものです。それでは行き当たりばったりにしかならないですよね。そして行き当たりばったりでは世の中は本当に変わりません。そういうことを「手段が目的化している」といいます。

投稿日時 - 2019-02-09 21:12:39

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