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岩本正利と吉宗の将軍家継承に随従した岩本氏の関係は

(↓)この下記の URL のページによると、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の生母の “お富の方” の父は幕臣・岩本正利 であり、

さらに、「於富(お富の方)の生家・岩本家は、元は紀州藩の紀州徳川家に仕え、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の家であった。」

そうですが、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%AF%8C%E3%81%AE%E6%96%B9

この “お富の方” の父である幕臣・岩本正利 と、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣であった岩本氏は、どのような関係に当たるのでしょうか?


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%AF%8C%E3%81%AE%E6%96%B9

(↑)この上記のページによれば、

お富の方の父は幕臣・岩本正利。

於富(お富の方)の生家・岩本家は、元は紀州藩の紀州徳川家に仕え、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の家であった。

となっていますが、

この、お富の方の父である幕臣・岩本正利 と、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の岩本氏は、どのような関係に当たるのかを教えてください。

投稿日時 - 2019-02-13 17:45:56

QNo.9587437

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質問者が選んだベストアンサー

zugkqrsさん、こんばんは。

直系の子孫です。正房の代に幕臣となり、次の正久、その次が正利ですから、直系の孫にあたります。



岩本氏
https://blog.goo.ne.jp/aguis57/e/becf27a7ecc169ec711c80e57000ccf3

投稿日時 - 2019-02-14 19:05:19

お礼

御回答ありがとうございました。

(↓)このページですね。
https://blog.goo.ne.jp/aguis57/e/becf27a7ecc169ec711c80e57000ccf3

(↓)ここの部分の文章ですね。

 最初に出てくるのは岩本能登守正房という人で、寛延元年(1748年)、六十一歳で亡くなっています。前書きに、次郎左衛門正次のときに紀伊大納言頼宣に仕え、三代を経て正房に到る、とあります。

 正房のころの紀伊藩主は、のちの吉宗です。吉宗が将軍となるのに従って、晴れて江戸に出てきますが、当初は扶持米三百俵なので、旗本ではなく御家人です。
 しかし、何があったのか、記述がないのですが、一か月足らずで従五位下能登守に叙任とあるので、石高は記されていませんが、この時点で旗本に列したわけです。

 正房には三男二女があって、家督を継いだのは次男・帯刀(たてわき)正久という人。寛延二年(1749年)、二十九歳で死去。
 正久の嫡男が内膳正(ないぜんのしょう)正利で、天形星神社に境内社として祀られている「石見様」の父親であるとともに、十一代将軍・家斉の祖父ということになります。正利の代に二千石取りに出世しています。

 正利の嫡男が「石見様」こと石見守正倫(まさみち)ですが、「寛政重修諸家譜」には牧馬関係の仕事に従事していたらしき記述はあるものの、房総地区に縁があったようなことまでは書かれていません。
 一橋治済の御部屋様(側室)となり、十一代将軍家斉を生んだ富子は正倫の姉です。
 諏訪神社のホームページには長姉とありましたが、次姉です。三姉の次に正倫が生まれ、さらに妹が二人いますが、この二人は実子ではなく養女なので、正倫より年長だったかもしれません。男子は正倫だけだったようです。


つまり、
岩本能登守正房 ー 次男・帯刀(たてわき)正久 ー 正久の嫡男が内膳正(ないぜんのしょう)正利

となりますね。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2019-02-15 11:38:59

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