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締切り済みの質問

裁判員に召集されての感想です

具体的なことは書けませんのでご了承ください

メンバーの一人が、被害者の遺族感情を訴えていましたが、これは全くもって裁判にとって百害あって一利なしの発言としか思えません。このような発言をする者を裁判に参加させることが可能な裁判員制度の意味が分かりません。
今の日本の現状や国民感情に適するか否かは別問題ですが、今の日本の法律は「テミスの女神」が示すように、いかなる事情、都合であろうとも、唯、罪と罰を等しくせよ、との思想において整備、実行されているはずです。
判決に遺族感情が考慮されるならば、天涯孤独の人を殺害した場合と親族が多数いる人を殺害した場合では刑が異なる事態が生じることになり、法の下の平等の精神と合致するのでしょうか。そうならないために、感情的な判断に陥らない訓練を終えた者だけが裁判に携わることができるのではないのですか。
以上の理由により、私は裁判員制度制度に反対します。
諸兄諸姉のお考えをお聞かせください。

「テミスの女神」の由来については質問とは無関係ですのでコメントは不要です。

投稿日時 - 2019-03-01 02:42:46

QNo.9592449

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回答(8)

ANo.8

感情を持ち込むのは裁判員制度の狙いの一つだったはずで、専門家による国民の感情とは必ずしも一致しないし法解釈と判断を是正するためでもあったかと。そもそも裁判員に法的に公正な判断など求めていないでしょう。その考えがいけないのか、運営手法に問題があるのかどちらでしょう。後者であれば裁判所に具体的にフィードバックすべきで、裁判員に選ばれたことのない私には状況がわかりません。前者であれば制度自体賛成でいずれアメリカ並みにもっと広げても良いと思います。

投稿日時 - 2019-03-02 17:14:56

お礼

回答ありがとうございます。

「法」と「感情」の関係には諸説ありましょうが裁判の進行、判決に感情を持ち込むことに私は反対です。しかし、賛成するにしても、今の法体系に裁判員制度を導入するのは矛盾すると思います。

投稿日時 - 2019-03-13 00:17:24

ANo.7

それを含めての裁判員裁判でしょう。法律論だけで裁判をするなら今までのように法律の専門家である裁判官に任せておけばいい。そこへ一般社会人の感覚や意見や判断を取り入れたいのであえて裁判員制度を作った。私は悪いこととは思いません。裁判官だけの裁判の方がいいですか?

投稿日時 - 2019-03-01 14:57:06

お礼

回答ありがとうございます。

某病院で
医師「今回の癌手術はとても難しいので、一般の方々の意見を参考にして手   術を進めたいと思います」
一般人1「そのピクピク動いているものはなんですか」
一般人2「これが癌ですか そうは見えませんが」
一般人3「そこの不健康な色をしてるものは、なんだか分かりませんが、つ    いでに切除したほうがよい」
一般人4「癌もその人の個性というかぁ、運命なんだからぁ、手術には反対    ですぅ」
こんな手術は受けたくありません

某裁判所で
専門家「今回の裁判はとても難しいの一般の方々の意見を参考にして審議を    進めたいと思います」
            ー以下略ー

こんな裁判は関わりたくありません

投稿日時 - 2019-03-13 00:06:23

ANo.6

敗戦後、ドイツと違って旧制高校を廃止したことに似て、日本の文化の風土に合わないものを採用したことが問題なのかなと思います。裁判は専門家に任せる方が良いと思います。

投稿日時 - 2019-03-01 13:08:18

お礼

回答ありがとうございます。

同感です。ただ、今の裁判制度が日本の文化の風土にあっているかどうかを考えると、多少の違和感があります。法曹界でもそれを感じ、解決するための裁判員制度の導入かと思われますが、もしそうであるなら、主旨には賛成するものの、その手段が裁判員制度というのが理解できません。それならどうすると聞かれても返事はできないのですが

投稿日時 - 2019-03-12 23:46:30

ANo.5

>今の日本の法律は「テミスの女神」が示すように、いかなる事情、都合であろうとも、唯、罪と罰を等しくせよ、との思想において整備、実行されているはずです。

私、憲法には詳しくないのですが、憲法でそう規定されているのでしょうかね。日本国における法の実行は法律に基づいており、その「法律の中の法律」に該当するのが憲法です。憲法に「司法は罪と罰を等しくせよ」と解釈できる部分があるのか、私は寡聞にして知りません。

>判決に遺族感情が考慮されるならば、天涯孤独の人を殺害した場合と親族が多数いる人を殺害した場合では刑が異なる事態が生じることになり

交通事故で半身不随のケガをさせてしまった、というときに、そのケガをした人が年俸数億円のプロ野球選手と無職のニートでは、裁判で出る賠償金の額は大きく変わるでしょう。
刑事と民事は違う、とおっしゃるでしょうが、民事だろうが刑事だろうが法律の下で判断されるのは同じであり、裁判所の場所は違っても裁判官の資格が変わるわけでもありません。

そもそも命の値段は同じでしょうか。90歳の老人と、19歳の若者と、くたびれたオッサンと嫁入り前の娘さんが、みな同じ命の値段でしょうか。そうあるべきという意見もあるかもしれませんが、現実は違います。
法律を現実に合わせるか、社会を理想に近づけるべきか、それだけでもそれぞれに意見は異なるでしょう。私は前者の考え方の持ち主であり、おそらく質問者さんは後者のタイプだと思います。

>感情的な判断に陥らない訓練を終えた者だけが裁判に携わることができるのではないのですか。

人間は感情の生き物である以上、裁判官とて感情に左右されます。認知症の母を介護の末に世話しきれずに手をかけた息子に、裁判官は執行猶予をつけた温情判決を出しました。「感情的な判断をするべきではない」なら、この息子さんもストーカーの挙句に相手を殺した殺人犯と同じに扱うべきだとなります。
どうしても感情的判断をなくしたいのであれば、判決を出すのは人間ではなくAIであるべきだとなるでしょうね。AIに感情は存在しないですから。訓練を受けているから感情に左右されないというのは違うでしょうね。訓練を受けていなくても、感情に左右されない冷静な人は存在しますから。

ただ日本の裁判員制度には問題があるとは思います。ひとつは裁判員に死ぬまでの守秘義務が果たされること。墓場まで持っていかなければいけないのでしょうか。もし関係者が裁判員の様子がどうだったか聞きたくても、それを口にするのは絶対に許されないことなのか。
もうひとつは、量刑まで決めてしまうことです。アメリカの陪審員制度も、論じるのはあくまで「有罪か無罪か」です。有罪が確定した場合の量刑は裁判官が決めます。この点においては、何の訓練も受けていない裁判員が量刑まで決めるのはおかしいと思います。論じるのは、あくまで「被告は有罪と裁判員は認めるのか、無罪と認めるのか」というレベルに留めるべきだと思います。

日本には昔から「仇討ち」というのがありますから、日本人はどうしても感情的にそれが出てきてしまうのですが、それは今回のテーマではないので割愛します。

投稿日時 - 2019-03-01 11:32:17

お礼

回答ありがとうございます。
>憲法に「司法は罪と罰を等しくせよ」と解釈できる部分があるのか・・・
ないでしょうね。「忖度くせよ」ともないでしょうね。
訴える者がいて、訴えられる者がいて、さて法律はどう応えるべきか、決めるのは人間です。その決に際しての態度、構え、が「唯、罪と罰を等しくせよ」だと思っております。間違っているでしょうか
>法律を現実に合わせるか、社会を理想に近づけるべきか、・・・
質問文が粗雑だったでしょうか。今の法体系に裁判員制度を導入するのは矛盾しているのはのではないか、というのが質問の主旨でしたが
>「感情的な判断をするべきではない」なら、・・・
「感情的な判断」と「状況を考察、考慮する」を混同してませんか
>判決を出すのは人間ではなくAI・・・
裁判ではありませんが、「こんなバカに裁決されるぐらいなら、サイコロで決めたほうが益しだ」と思うことはありますよ。
>量刑まで決めてしまうことです
全く同感です。

仇討ちに纏わる感情は判決に関係ありやなしや、別の機会に質問いたします
そのときは、よろしくお願いします

投稿日時 - 2019-03-12 22:58:36

ANo.4

>メンバーの一人が、被害者の遺族感情を訴えていましたが、・・・
>このような発言をする者を裁判に参加させることが可能な裁判員制度の
>意味が分かりません。
→メンバーとは、何のメンバーか分かりませんが、被害者感情は
裁判には必要だと思いますが・・・

>感情的な判断に陥らない訓練を終えた者だけが裁判に携わることができる
>のではないのですか。
→確かに、裁判員裁判に選ばれた人は一般人なので、被害者の感情に
流されやすいと思います。

裁判員裁判制度は知っていますが、この意見が最終的に判決にどの程度
影響するのか、知りたいところです。
主観の入らない、合理的な方法はあるのでしょうか?
また、質問者さんには、説明はあったのでしょうか?
これが分かると、より正確な意見が出るかと思います。

投稿日時 - 2019-03-01 09:44:15

お礼

回答ありがとうございます。
>被害者感情は裁判には必要だと思いますが・・・
そのとうりです。被害を受けたと思わなければ訴えることはありません。
>この意見が最終的に判決にどの程度影響するのか、知りたいところです。
私も知りたいです。
>主観の入らない、合理的な方法はあるのでしょうか?
ありません。では、すべて主観に基づいた判決のほうが望ましいとでも
>これが分かると、より正確な意見が出るかと思います
そうしたいのは山々なのですが、守秘義務に抵触する基準が今一つ分かりません。「いつ頃」とか「どこそこの事件」と記述するだけで、見る人が見れば、どの事件かが分かるように時期や裁判所の所在地が選ばれているようですし、然々の発言者が女性か男性かと書くだけでもおそらく見当がつくのでしょう。

投稿日時 - 2019-03-12 22:15:57

ANo.3

まず、裁判員制度の説明をします(私の考えではありません)

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法律の専門家が当然と思っているような基本的な事柄について,裁判員から質問や意見が出されることによって,国民が本当に知ろうと思っているのはどういう点なのかということが明らかになり,国民の理解しやすい納得のいくものになると思われます。
一言でいうと,裁判の進め方やその内容に国民の視点,感覚が反映されていくことになる結果,裁判全体に対する国民の理解が深まり,司法が,より身近なものとして信頼も一層高まることが期待されています。
さまざまな人生経験を持つ裁判員と裁判官が議論することで,これまで以上に多角的で深みのある裁判になることが期待されます。
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つまり、ココで書かれていることも、その場で主張されると良いと思います

質問者様の意見もひとつの視点であり、その考えを裁判官に「質問」し、その場にいる人たちのとの共通認識を高めて、議論・評議されると良いと思います

例えば書かれている他の人の意見を裁判官がただ見ているだけなら、なぜ?今の感情論を放置しているのか?と聞けば、専門家である裁判官が説明してくれると思います

また、2005年に市民1千人と裁判官766人を対象に、判決についてのアンケートをしたことがあり、「被害者・遺族が被告に重い刑罰を望んでいる場合に、判決で刑を重くするか」・・・結果は、裁判官の8割が「判決を重くする方向」と答えたのに対し、市民は5割にとどまり、裁判官の方が、被害者や遺族の意向を重視する傾向が出ています

つまり、質問者様の意見こそ、その議論・評議の場で重要であるので、私的にはぜひ、その場で意見を表明していただきたいと思います

私自身は「被害者の遺族感情」はわかりません・・・被害者遺族になった経験がないからです

つまり、被害者の遺族感情を専門家である裁判官のほうが知識として知っているであろうし、その説明を求めるのも、その場で重要であると思います

>私は裁判員制度制度に反対します。諸兄諸姉のお考えをお聞かせください。

先に書いたように、私は被害者遺族になった経験がありませんので、被害者遺族の感情を代弁もできなかれば、気持ちも測ることに限界があります

ので逆に、被害者の遺族感情について、反論する余地はなく、書かせていただいたとおり、整理するために判例なども含め、裁判官へ質問をしながら議論を進めていくと思います

また、質問者様はすでに、書かれていることが本当であれば、裁判員になった経験者の感情も踏まえて、思考を構築されています

つまり、私はその経験者の感情もわかりません

しかし、その経験者の感情を無視して回答しろと言われたら、矛盾があるとは思います

大変申し訳ございませんが、この投稿に添付された画像や動画などは、「BIGLOBEなんでも相談室」ではご覧いただくことができません。 OKWAVEよりご覧ください。

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投稿日時 - 2019-03-01 06:39:53

お礼

回答ありがとうございます。

>裁判官の8割が「判決を重くする方向」と答えたのに対し・・・
法律は生きている人間のためにあります。死者に全ての不公平と不条理を持たせて、後は閻魔様にお任せ、この世では皆が納得、というのが裁判の理想
かもしれませんww

>その場で意見を表明していただきたいと思います
私が言う前に、専門家が実に巧みに、その発言を貴重な意見の体裁を整えつつ無効化しました。漫画の主人公なら「お前はすでに無効にされている」と見栄をきるところでしょう。

投稿日時 - 2019-03-12 21:56:07

ANo.2

 メンバーの一人が・・・ということは、裁判員裁判に参加されたんですね。
 私はそういう感情的な意見は、ある程度必要だと思います。
 それで判決が判例と大きく乖離してしまったのなら、それは裁判官方が裁判員を扱う能力がなかっただけでしょうね。

 もちろん、その感情的な意見に他の裁判員も振り回されるような場合は問題があると思いますが、ある程度は裁判官方が制限して方向を示していたはずです。
 そもそも裁判員裁判が採用された理由のひとつに、判決と日本国民の意識とが乖離しているからというのがあったのではないかと。
 これまで総じて軽いと思われていた凶悪犯罪への判決が、時代と国民の意識に合わせて判例が変遷していくのは悪くないと思いますよ。
 遺族からしてみればそういう裁判員には感謝するでしょうし、判決内容に納得しなければ結局裁判員のいない高裁・最高裁に委ねられるのですしね。
 被告人が世間からどういう目で見られているのかを知ってから次の裁判に臨むというのも、それなりに意味があるのではないでしょうか。

 それに、そういう人にこそ、裁判の中身を知ることは良い経験になると思います。
 全く何も学べない人もいるでしょうけど、大抵の人は裁判を通して学べることや意識が変わることがあるのではないですか?
 私はなかなか有意義な体験だったと思っています。

投稿日時 - 2019-03-01 05:31:58

お礼

回答ありがとうございます。

確かに有意義な体験ではあったでしょうが、本音を言うと、(裁判についての)一般人の考え、反応のデータを採取するためのモルモットにされた気分です。
裁判員の意見をすべて無視できる安全弁(と言っていいかどうか)があるので集団的ファナティックな判決になる心配はなさそうですが。

話は少し、いや、大きくズレルのですが、前例主義というのも、いささか考え物だと感じました。前例がなければ、近似した例を探す、それもなければ、条件を拡張して探す、それがなければ・・・・でてきた前例は言わずもがなです。前例という武器が通じなければ素手で立ち向かうまで、という覚悟が誰にも感じられませんでした。

投稿日時 - 2019-03-12 21:29:04

ANo.1

私は、無垢の人を無残に殺害し、これといって反省も見られない凶悪犯に大してだけ死刑を肯定します。
それには、わざわざ税金で凶悪犯を生かしておくことに対する遺族の激しい怒りも含まれています。
しかし、あなたの、「天涯孤独の人を殺害した場合と親族が多数いる人を殺害した場合では刑が異なる事態が生じることになり」云々には目から鱗でした。
確かに、天涯孤独であろうが親族が多かろうが人一人の命の重さに変わりはありません。
よって、遺族感情によって量刑の多寡が決められてはならないと思います。
但し、世の中には色んな考えがあります。
それが裁判員制度が導入された理由だと思います。
遺族感情を強調する裁判員がいてもなんら不思議ではなく、むしろ、当然だと感じます。
それを聞き、他の裁判員が判断し、最終的に裁判長が判断すれば良いのだと思います。

投稿日時 - 2019-03-01 03:16:46

お礼

回答ありがとうございます。

どの職場でも感情的な発言を戒められたことのある人は多いと思うのですが
それはなぜでしょうか。「考え」と「感情」は似て非なるものではありませんか。「この件は遺族感情を強調すべき」という考えは成り立ちますが裁判にあってはけしてしてはならない発言だと思います。

投稿日時 - 2019-03-12 21:03:24

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