こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

仮定法に過去形が使われる理由について

もしそうならばというよりも、もしそうだったならばという方が仮定の話に迫真力が出るように思うのですが、何か理由があるのでしょうか。

投稿日時 - 2019-03-05 18:48:15

QNo.9593953

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

>仮定法に過去形が使われる理由について
>もしそうならばというよりも、もしそうだったならばという方が仮定の話に迫真力が出るように思うのですが、何か理由があるのでしょうか。
⇒以下のとおりお答えします。

「迫真力」があるように感じさせる要素は、「~した、~だった」という語感が与える「達成感・既成感」でしょう。しかし、それは部分のみを見て感じることから来る錯覚で、「~ならば」までを含めた全体を見れば、実態は逆で、過去形・完了形の使用によって「もう終ってしまった、反転の可能性はない、取り消せない」ことを決定づける表現であることに思い至るのではないでしょうか。

(1) If I were/was a bird「もし私が鳥だったならば」は、どう頑張っても取り消せない(鳥になれない)ことを表しています。ですから、これを、(1') *If I am a birdのようにすることはできません。(冒頭の*印は「非文」であることを示します)。
それに対し、(2) If I were/was rich「もし私が金持ちだったならば」は、実現の可能性を含むので、(2') If I am rich「もし私が金持ちならば」とすることができます。このように、(2')の表現は実現の可能性を含む表現なので「現実的条件文」とも言います。これに対し、(1)などの表現は、実現の可能性を含まない表現なので「非現実的条件文」とも言います。

来て欲しくない人に対して、「おとといおいで」と言うような表現を使うことがあります。時間は未来に向って流れ、決して過去へ向って流れることはない一方通行なので、このように過去形やそれに類する内容を持つ語を伴う表現は、暗に「事実を取り消せない、反転できない」というような意味を内包します。
ということは、逆から考えると、「おととい~(せよ)」や非現実的条件文は、過去形やそれに類する語の語感が内包する「事実を取り消せない、反転できない」という意味合いを暗示するのに利用した表現と言えるでしょう。「仮定法に過去形が使われる理由」はここにあった、というわけです。

なお、古英語には、直説法、命令法のほかに接続法というのがあって、仮定を表す場合にはこの接続法過去が使われていました。(If I were a bird のwereは唯一、接続法の名残りと言われます)。この接続法の基本的性質は、事実かどうか分からない・疑わしい、実現可能性が疑わしいような場合に「発話者が主観的に考えたこと」として述べる場合に用いられる、ということでした。
それで、接続法は別名「叙想法」(想いを述べる)とも言われます。「もし~だったならば」というような仮定法はまさにこの「想いを述べる叙想法」の仲間だったわけですね。逆に、事実を述べるための表現は「叙実法」といわれることがあります。まとめると、現代英語の命令法や仮定法は「叙想法」の仲間であり、直説法は「叙実法」の仲間である、ということになります。

投稿日時 - 2019-03-06 11:42:50

お礼

ずいぶん深いお話ですね。特定の言語にだけあるものと言語のいかんにかかわらず共通するもののふたつがあるのかなと思いました。勉強させていただきます。

投稿日時 - 2019-03-06 13:52:43

このQ&Aは役に立ちましたか?

0人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(4)

ANo.3

「ならば」は排他的な二分仮定ですが、「そうならば」は単純に「そう」と条件を指定するだけです。

「もしそうだったならば」は断定の助動詞「だ」で肯定判断し、「た」と、それが過去の事態であることを述べた後、現在に観念的に戻りそれが仮定であることを「ならば」と表現しており、単なる仮定ではなく、仮定法過去という全く現実と異なる仮定であることを強調しているためです。■

投稿日時 - 2019-03-06 11:12:28

お礼

ご教示を念頭に置いて勉強させていただきます。

投稿日時 - 2019-03-06 13:54:14

ANo.2

「た」という助動詞が、過去ばかりでなく完了もあらわすからでしょう。
「もしそうならば」は単なる仮定ですが、
「もしそうだったならば」は、「そうだった」といったん事実として完了させて(確定したことにして)、そのうえでそれに続く未来を仮定の形で考えようとしています。そういう語感があるから、迫真力があるように感じられるのでしょう。

ちなみに「完了」とは「その動作なり状態が終わった」ということなので、未来にも使えます。というか、未来のことに使われる「た」は完了を表しています。
例文として「明日、宿題が終わったらいっしょに遊ぼう。」
「もし君と結婚できたら僕は幸せだ。」
もちろん過去の出来事にも使えます。
「宿題が終わったから遊びに行ってきまーす。」

投稿日時 - 2019-03-05 21:54:52

お礼

なるほどですね。英語でも過去形と仮定法は関係がありますが、御説のような理由があるのかなと思いました。

投稿日時 - 2019-03-06 02:11:54

はい。私もふしぎに感じます(笑)。
古文では,
 我,男ならば(未然形)=私が男だったら(仮定)
 我,男なれば(已然形)=私は男なので(事実)
で区別するんですけどね。

投稿日時 - 2019-03-05 19:41:39

お礼

英語でも似たようなことがありますから言語の問題ではないのかなとも思います。

投稿日時 - 2019-03-06 02:13:31

あなたにオススメの質問