165/280コマ目の宗尹卿の部分の現代語訳と意味
(↓)この下記の URL の「柳営婦女伝叢」という資料の中の「幕府祚胤傳」という資料の、165/280 コマ目の右側のページ、「幕府祚胤傳 六」の三百十六ページの “宗尹卿” の部分の
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945825/165
宗尹卿~~
享保六年 〇〇閏七月十五日~~(略)~~
~~(略)~~
同八年 〇卯十一月、髪置~~
までの部分を現代語に訳して、意味を教えてください。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945825/165
(↑)上記の URL の「柳営婦女伝叢」という資料の、165/280 コマ目の右側のページの宗尹卿の部分の、
宗尹卿~~
享保六年 〇〇閏七月十五日~~(略)~~
~~(略)~~
同八年 〇卯十一月、髪置~~
の部分までの、現代語訳とその意味を教えてください。
投稿日時 - 2019-08-31 20:35:01
宗尹卿
享保六年辛丑の年閏七月十五日 夜 子の刻(にお生まれになったので)、(お生まれになった日付を)十六日に改めた
すなわちご本丸にて誕生された。
蟇目は御留守居役の島田弾正忠が、矢取は島田市十郎 箆刀は西丸の御留守居中山隠岐守が勤めた。
御乳付には 松平左京太夫頼純の娘と 小出信濃守英貞の妻 が当たった。
〇二十二日 松平小五郎殿と(命名書を)勧められた。
若年寄大久保長門守教重がこれを受け、 御紋は石井筒之内葵とされた。
〇五月二十三日 山王へ宮参り
西丸下の外、桜田門の内にある大久保長門守宅にお寄りになった。
(蟇目、矢取、などの役職については https://okwave.jp/qa/q9647691.html をごらんください)
投稿日時 - 2019-09-01 07:52:54
御回答ありがとうございました。
>〇二十二日 松平小五郎殿と(命名書を)勧められた。
若年寄大久保長門守教重がこれを受け、 御紋は石井筒之内葵とされた。
という意味だったのですね。
よくわかりました。
ありがとうございました。
投稿日時 - 2019-09-01 17:25:16
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回答(3)
#1です。補足です。
乳つけ(ちつけ)には下記のように生母以外が当たる習慣があったためです。
https://kotobank.jp/word/%E4%B9%B3%E3%81%A4%E3%81%91-1184829
投稿日時 - 2019-09-01 08:56:07
御回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2019-09-01 17:26:45