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若年寄大久保長門守教重止之の意味は?

(↓)この下記の URL の「柳営婦女伝叢」という資料の中の「幕府祚胤傳」という資料の、165/280 コマ目の右側のページ、「幕府祚胤傳 六」の三百十六ページの “宗尹卿” の項目の所の

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945825/165

宗尹卿~~
享保六年 〇〇閏七月十五日~~(略)~~

のすぐ後の所の、

〇廿二日、~(略)~

の所についての質問があります。

「◯廿二日、被進松平小五郎殿」
「若年寄大久保長門守教重止之」

を現代語に訳すると、どういう風になって、また、それはどういう意味になるのでしょうか?


また、「若年寄大久保長門守教重止之」の前に、

◯廿二日、被進松平小五郎殿

とあるのですが、

それでは、「◯廿二日、被進松平小五郎殿」 「若年寄大久保長門守教重止之」という事は、

“松平小五郎” という名前を進めたのは、若年寄大久保長門守教重という人物だったという事でしょうか?





http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945825/165
(↑)この上記の URL の「柳営婦女伝叢」という資料の、165/280 コマ目の右側のページの宗尹卿の部分の、

宗尹卿~~
享保六年 〇〇閏七月十五日~~(略)~~

のすぐ後の、

〇廿二日~(略)~

の部分の、

◯廿二日、被進松平小五郎殿
若年寄大久保長門守教重止之

の意味と現代語訳を教えてください。


また、これは、

◯廿二日、被進松平小五郎殿
若年寄大久保長門守教重止之

という事は、

“松平小五郎” という名前を進めたのは、若年寄大久保長門守教重という人物だったという事なのかどうかを教えてください。

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投稿日時 - 2019-09-06 15:29:21

QNo.9653881

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質問者が選んだベストアンサー

1。 ◯廿二日、被進松平小五郎殿
 若年寄大久保長門守教重止之

の意味と現代語訳を教えてください。

 ◯廿二日に、松平小五郎殿とお名前が勧められ、若年寄大久保長門守教重がこれを受け止めた。

2。◯廿二日、“松平小五郎” という名前を進めたのは、若年寄大久保長門守教重という人物だったという事なのかどうかを教えてください。

 
 https://okwave.jp/qa/q9647691.html
 には大久保長門守が「命名書を高く捧げて」とあります。

 その前に「享保六年辛丑の年閏七月十五日 夜 子の刻(にお生まれになったので)、(お生まれになった日付を)十六日に改めた」とあります。
 
 次に乳母についての記述があります。ということは16日から22日まで、乳母はいるが新生児の名前がないことを示しています。

 これは生母の「あら乳」を飲まさず下記の乳児に必要な抗原を取らせない結果、乳児の死亡率の高い不安定な期間は名前をつけないという習慣に従っていたのでは無いかと思われます。
 https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E4%B9%B3-1265020

 ですから、大久保長門守の職務は、新生児の生存が確かになるまで名前を「止め置いて」、確実になってから発表することではなかったかと思います。

 そうすれば、無名の期間があり、名つけ、宮参り、などの行事が出産直後でない説明もつくように思います。

 ですから“松平小五郎” という名前を進めたのは、別人にしても、若年寄大久保長門守教重が名前を受け止め、発表に関与したことは間違いないと思います。

投稿日時 - 2019-09-07 03:13:48

お礼

御回答ありがとうございました。

よくわかりました。

助かりました。

ありがとうございました。

投稿日時 - 2019-09-07 13:25:34

ANo.2

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回答(2)

ANo.1

> ◯廿二日、被進松平小五郎殿
> 若年寄大久保長門守教重止之

 22日、松平松平小五郎殿 進めらる
 若年寄大久保長門守教重 これを止(とど)むる

 でしょうね。

 これだけでは何に進められたのかわかりませんが、松平松平小五郎殿が何かに進められ、それを若年寄大久保長門守教重が、それを止めさせた、ということと思います。

 「松平小五郎殿 進めらる」の前に女性が書かれていますね。「松平左京大夫の娘で、小出信濃守英貞妻」の女性です。

 なので、推測なのですが、その女性の再婚相手として松平小五郎殿の名が上がり、手続きが進行していたところ、若年寄大久保長門守教重が、それを止めさせた、のではないでしょうか。

 想像がたくまし過ぎますか?、自信はありませんが。

投稿日時 - 2019-09-06 23:38:02

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