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昔、旅人(渡世人)って本当にいたのでしょうか?

江戸時代に、「木枯し紋次郎」のような故郷を捨て宛もなく生涯にわたって全国を旅する旅人(渡世人)って実際にいたのでしょうか?
博打だけでは勝ち続けられないと思うし、現代のホームレスと違って捨ててあってもまだ食べられる食品や、日雇いの仕事も簡単には見つからない時代だと思います。また、真冬の寒さなどはどのように凌いでいたのでしょう。

投稿日時 - 2020-10-26 09:09:26

QNo.9815960

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質問者が選んだベストアンサー

>全国を旅する
 は、困難だったかもしれません。せいぜい関八州・五街道の範囲でしょう。
まず当時人々は移動の自由が大きく制限されます。

 基本閉鎖社会的な部分が大きく、余所者には厳しい目が向けられたでしょう。例えば自分の家に勝手に余所者を入れることも泊めることもできません。自分の家でも庄屋などの許可が必要だったはずです。
鹿児島など、方言を言い間違えただけですぐしょっ引かれます。

 関所破りも重罪で,街道から外れて発見されれば捕縛対象になります。また、資金源は
街道にあるわけですから、そんなに長く離れられません
 一方、往来手形があれば旅人は手厚い救済が受けられ、確かに江戸期は旅行ブームでした
しかし、往来手形は「無宿」人には支給されません

 当時自由にどこでも往来できたのは、盲人と鉱山師くらいでしょうか
 とは言っても、千葉にサツマイモの栽培法を伝えたのは浮浪者だったというお話を聞いたことがあります
もう一つ。治外法権が適用される鉱山集落に潜れば、結構食いつなげたでしょう

>真冬の寒さなどは
 まさしく、南に「渡」ったことでしょう

投稿日時 - 2020-10-27 15:00:59

お礼

やはり、勝手気ままな旅などできなかったということですね。

>例えば自分の家に勝手に余所者を入れることも泊めることもできません。

たしかに紋次郎は廃屋で夜を過ごすことが多かったですね。

>治外法権が適用される鉱山集落に潜れば、結構食いつなげたでしょう

鉱山って罪人などが送られる印象があるのですが、かなり過酷な環境で働かされたのでは、自由気ままな旅をしてる渡世人では勤まらないと思うし、まして、よそ者では死にそうになっても誰も助けてくれない可能性が高い。
結局、紋次郎のような旅人の存在した可能はかなり低いと言うことですね。

ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-10-28 04:04:33

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回答(3)

ANo.2

居たと思われます。

多分、現代みたく
「お金」のみではなく
どちらかと言えば、
「サバイバル」みたいな
事もしてたのかも。

それと食料確保も
収穫時期を狙い
支給は「お金」てはなく
採れた物かも。

税金はわかりませんが
町や村だと人数は
把握していたと思われますが
山奥に居た山賊や僧侶や
野武士などは把握してないし
税金の徴収もしてないと
思われますから、
旅人は自然と免税してたのかも。

以上から多分
昔は今ほどお金を
必要としなく
少額の金銭でも
歩いて旅が出来たのでは?
と思われます。

投稿日時 - 2020-10-26 10:04:57

お礼

確かに昔は電気も車もスマホも無い時代ですので、単に生きるだけならお金はあまりかからないのでしょうね。

全国へ旅をするには、関所も通る必要がありますが、やはり獣道などの抜け道があったのでしょうか。
いずれにしても、まっとうに寿命を迎えられずに最後は行き倒れの無縁仏となるような生涯を送ることになり、実際の旅人の記録など残ってないのでしょうね。

ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-10-26 18:19:07

江戸時代の庶民は、自分が住む村や町にある寺の「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」、すなわち「人別帳」に登録されていたので、これが戸籍の代わりとなった。
故郷の村を出て行方不明となると、人別帳から外された。これが「無宿(むしゅく)」である。
「渡世」という言葉は、江戸時代では「生活」の意味である。
「渡世人」は通常の商売などに従事しないで生活を送る者ということで、「無宿渡世人」は各地の博徒の親分のもとを渡り歩き、博打をしたり小遣い銭をもらったりして生活した博徒を指すが、実は、こうした使い方は江戸時代にはなかった。
博徒は多くが無宿であり、「無宿」は誇るべきことでもなかったから、わざわざ自分から「無宿渡世人」ということもなかったのである。江戸時代後期、北関東の農村は養蚕(ようさん)が盛んになったことによって、階層分化が進み、田畑を捨て無宿となり博徒となった者は少なくなかった。
こうした者をモデルに書かれた笹沢左保(ささざわさほ)著『木枯し紋次郎』は、中村敦夫主演でテレビ化され、無宿渡世人のイメージを一般化させる大ヒット作となった。
上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれた紋次郎は、10歳のときに家を捨てて、故郷の村を出、諸国を回る侠客である。農民の出であるから、「二本差し」ではなく、脇差(わきざし)の長いものをもつ。これが長脇差(ながどす)である。
他人とのかかわりを極力避け、己の腕一本で生きようとする紋次郎のニヒルなスタイルは魅力的だが、実際には、博徒の親分に寄宿しないと生きていくことは困難だったであろう。

引用:イミダス・集英社 渡世人(とせいにん)/無宿渡世人(むしゅくとせいにん)
山本博文 (やまもと ひろふみ)東京大学史料編纂所教授

投稿日時 - 2020-10-26 09:59:46

お礼

>実際には、博徒の親分に寄宿しないと生きていくことは困難だったであろう。

やはり、実際には紋次郎のような旅人がいた可能性はかなり低い。ということですね。
また、博徒の親分にしても訪ねてくる旅人の全てにタダ飯を与えることはないと思いますので、敵対グループへの殴り込みなどに協力させるなどの何らかの債務を与えていたのでしょうね。

ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2020-10-26 18:12:09

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